45.講和 1
夏も盛りの頃。
俺の下に来訪者の知らせが入ったのは、自宅の庭で洗車をしている時である。
俺はすぐさまお馴染みの戦闘服に着替えると、カトリーヌに乗って北門へと向かい、石垣を上った。
「フジワラさん! ウチやウチ!」
眼下には、城門の前にて叫ぶ赤い髪の女性。
なんだろう、ウチウチ詐欺かな?
……なんて冗談は置いておく。
改めて言おう、町にポーロ商会会長のエルザがやって来た。
連れは騎士の格好をした者が四人。
いずれも見たことのない顔だ。
馬車はたった一台で、商売をしに来たようには見えない。
「エルザさん、ご用件は!」
石垣の上と下である。
俺は声を張り上げて尋ねた。
「今日は、商売で来たんやない! 特使とやらを任されてきたんや!」
まあ、そんなことだろうと思った。
俺と親しい者を送り、和平を求めようというのだろう。
これはサンドラ王国も、いよいよ切羽詰まっているのかもしれない。
四つの騎士団のうち、二つも壊滅させちゃったからな。
まあ、当然か。
「他の四人は!」
「国が付けた護衛や! 商会の関係者ちゃうで!」
正直に言ったな。
これは、エルザを信用していいということか?
いや、四人の騎士に何の反応もないところを見るに、折り込み済みの回答なのかもしれない。
まあ今わかるのは、騎士を使った悪巧みをするつもりはない、ってことくらいか。
そんなつもりがあるのなら、商会の者だと身分を騙って、素知らぬ顔で町の中に入ろうとするはずだ。
「では、エルザさんだけの入場を許可します! それでいいですか!」
「文句あらへん! こっちは元々そのつもりや!」
騎士四人を残し、エルザを町に入れた。
そして、久しぶりの挨拶を交わす。
エルザとは、およそ一年ぶりといったところか。
国相手の交易が始まってからは一度も会っていなかった。
「いやあ、ホンマに参ったわ。ウチはただの商人やっちゅうねん」
懐かしむ言葉を一頻り口にすると、エルザはサンドラ王国に対して、ぶつくさと文句を言い始めた。
それは、空き店舗の一室に案内した今も続いている。
「なんでこんなことせなあかんねん。役人の仕事やろ。仕事せんのやったら、税金返せや。
つーか、あの腐れイ○ポジジイ、さっさとくたばれや!」
その内容は、どんどんと過激になっていく。
特に今回、特使を命じたというサンドラ王の最高顧問官に対しての文句が酷い。
年頃の女性が口にしてはいけないような下品な言葉もあり、聞いてるこっちが恥ずかしくなるほどだ。
「はは……そろそろお話を」
「せやな、さっさと済まそか。
ウチが国から頼まれたんは、サンドラ王国とこの町の講和や」
「講和、ですか」
「せや。
聞いたで? フジワラさん、サンドラ王国の軍をボッコボコにヘコましたそうやんか。
サンドラ王国は四竜騎士団のうち、赤と黄が壊滅。
こりゃあかんわ。弱りきったサンドラ王国を他の国が見逃すはずないで」
「あれ? 教会からのお達しで、国家間の戦争は禁止されたのでは?」
「あれな。大義名分があれば問題なし、っていうのに差し代わったわ。つまり、戦争なんてやりたい放題ってわけや」
大義名分なんて簡単に作り出せる。
そういうことなのだろう。
もう何年も前に、平和はすぐに終わると語ったフロストの言葉は正しかったわけか。
エルザが言葉を続ける。
「今、サンドラ王国が恐れとるんは、フジワラさんに南を衝かれることや。そうなったら確実に北に隣接する国が攻めてきて、終わりやな。
今のサンドラ王国には、北と南に軍を割く余裕はない」
「そんなことまで言っていいんですか」
「むしろ言わなきゃならへんねん。
ええか? たとえばサンドラ王国が他国の支配下に落ちたとしよか。そうなるとどうなると思う?」
「どうなるって……ああ、そういうことですか」
別の国が成り代わっても、結局同じ。
この町は狙われる。
それどころかサンドラ王国を吸収した、より強力な国が、この町に攻め込んでくるかもしれない。 それならば、生かさず殺さずで、サンドラ王国にはせいぜい盾として気張ってもらった方がいいだろう。
「な? 講和の方がエエやろ?
ウチをここに寄越したんは、フジワラさんに冷静になって考えてもらうためや。
フジワラさんが怒りに任せてサンドラ王国を攻撃しても、得することはない、ってことやな」
「なるほど、よくわかりました。
ところで私達に関係なく、北にある国がサンドラ王国に攻め込む可能性はあるんでしょうか?」
「そりゃ、あるで。主力の騎士団が二つも潰れてもうたんやで?
王宮の権威はボロボロや。
ウチが北の王様だったら、金ばらまいて何人かの領主を寝返らせた後に、攻め込むやろな」
「ふむ……」
まあ、講和するのは構わない。
どのみち、この地から動くつもりはないし。
いやむしろ講和をすべきだろう。
サンドラ王国が北の国と戦争になった場合、後顧の憂いがあっては、サンドラ王国も満足に力を出せず、負けてしまうかもしれない。
北の国とサンドラ王国、できることならば共に傷つけ合った上で現状のまま、というのが俺としては望ましいのだ。
しかしそうなると、北の国との戦力差はどれほどのものなのか。
実は、サンドラ王国が騎士団を半分失ってもなお強く、北を先に滅ぼして力を蓄えてから、再びこの町に攻め込もうとしている、という可能性も考えられる。
これはここで判断はできないな。
捕虜から情報をよく聞き出さないと。
「返事は数日待ってもらってよろしいですか?」
「ええで、ええで。講和の条件も考えといてや。
ウチも商売で来たわけやなし、今回はのんびりさせてもらうわ。ちゅーわけで、美味しい食事を期待しとるで?」
パチリとウインクするエルザ。
変わらないな、と俺は思った。
「一緒に来た騎士達はどうしましょうか」
「別にそのままでもええで。馬車に食べ物があるし、死にはせんやろ」
「そ、それはちょっと酷いんじゃあ……」
「酷いことなんてあるかいな! ここにくるまで、ウチがどんな思いしたと思うてんねん!
あいつらとの会話、どれだけあったと思う? ゼロやで、ゼロ!
あいつらウチが話しかけても、一言も返さへんねん! 頭にウジでも湧いとるんちゃうか!」
「そ、それは……酷いですね……」
「せやろ? あいつら青竜騎士団のもんなんやけどな。王様の近衛をやってるせいか、まるで人形みたいやねん。ヤバいで、ほんま」
近衛か。
国家の大事に関わることを、見たり聞いたりできる立場だ。
感情をなくすような教育でもされてるのだろうか。
「わかりました。では、夕方には美味しい食事と美味しいお酒を持ってくるんで、楽しみにしていてください」
俺は立ち上がり、部屋を出ようとする。
すると、エルザが手を伸ばして俺の足を掴まえた。
「ちょっと待ってえな。
こっちは、やることないから暇やで。暇々や。
ずっと一人で寂しかったんやで? もうちょっと構ってくれてもええやんか」
駄々をこねる子供のようにわがままを言うエルザ。
女性に引き留められるのに悪い気はしない。
エルザは美人であるし。
とはいえ、こちらにもやることがある。
「なら、狼族の者にリバーシというボードゲームを持ってこさせましょう。私は相手をできませんが、狼族の者に――」
「それや!」
「え?」
「それ、リバーシや! なんでウチにもっと早く教えてくれへんかったんや!」
「なんのことですか?」
「しらばっくれてもあかんで。今、サンドラ王国じゃあ、ローマット監修のリバーシが大流行しとるんや。
ローマットってどこかで聞いたことある名前やなぁ、思うて調べてみたら、ここで捕虜になっとった奴やんか」
ローマット。
懐かしい名前だな。
俺自身はそこまで関わっていないが、狼族の者達とはボードゲームでよく遊んでいたという。
町を出ていく際には、狼族の者からお土産を貰って、ローマットが涙ぐんでいたのをよく覚えている。
「売れてるんですか?」
「売れてるなんてもんやないで、バカ売れや。ウチも真似してリバーシ売り出したんやけど、ローマット印が入っていないのは偽物みたいな扱い受けてな。あんま売れへんねん」
「ローマット印?」
俺が聞き返すと、エルザが「せやで」と頷いて答える。
「ローマットっていえば、今や『名人』なんて言われててな。サンドラ王国どころか、他国にまでその名は有名になっとる。
ローマット印っちゅうんは、その名人が認可した印や。今んとこ、ある大商会でしか取り扱われてへん。
それなのに、誰も彼も名人ローマットが認可したリバーシ盤を欲しがりよる。
リバーシ盤を売るのは犯罪やないけど、ローマット印を偽造したら犯罪や。名前を騙るってことやからな。
だから、もうお手上げや」
名人。あのローマットが。
確か彼は貴族の生まれだったはずだ。
リバーシの名人とか、一体彼はどこへ向かうつもりなのだろう。
ともあれ、知っている者が元気そうにやっているのは、少し嬉しい。
あとで、ローマットと仲が良かった狼族の者に教えてやろう。