39.戦争 3
夜となった。
北門裏には、ヘッドライトを点灯させた二台のトラックと装甲車が並び、車両の前には32名の狼族(内、運転手2名)と30名の猫族――計62名の者が整列していた。
これより俺達は夜襲に向かう。
狼族はその信頼性を、猫族は夜目の良さから、今回の夜襲の参加をそれぞれの族長に頼んだ。
つまり、並んでいるのは両族長が選抜した者である。
その者らの前に立ち、各々の顔を眺める。
皆、やる気十分といった顔立ちだ。
そこで、おや、と目を留めた。
列中には、狼族のミラがいたのである。
かつて町から逃げ出した頃とは違い、今は大人びた雰囲気を纏っているミラ。
彼女は真剣な眼差しで、ただ前だけを見つめていた。
人間に対する強い恨みがまだあるのか、ないのか。
夜襲のメンバーから外すべきかとも思ったが、ジハル族長がなんの考えもなしに選ぶわけがない。
私怨に囚われて、足並みを乱すなんてことはないだろうと信じることにする。
そして俺は、皆に向かって口を開いた。
「これより、敵を攻めます。これは敵を殺すことが目的ではありません」
俺の言葉を、皆は黙って聞いている。
選ばれた者という自覚がそうさせているのだろう。
いつもなら、ざわつくような話だ。
俺は続けて言う。
「相手に、もう戦えない、戦いたくないと思わせる、相手の心を粉々になるまで打ち砕く戦いです。
まあ、簡単に言えば、嫌がらせに次ぐ嫌がらせみたいなものですかね。
ということで、こんな戦いで怪我するのも馬鹿らしいので、安全第一でいきましょう。
では、乗車!」
号令と共に、狼族、猫族の者達が二台のトラックに乗り込んだ。
また、トラックの後ろには、【四斤山砲】をロープでくくりつけて牽引するようにしている。
『一番車、乗車完了しました』
『二番車、乗車完了です』
装甲車の運転席で、各運転手に渡したトランシーバーから連絡が来た。
こちらも準備は万端だ。
「では出発します」
トランシーバーに向かって出発を告げて、装甲車のアクセルを踏む。
「お気をつけて」
門の横には見送りにジハル族長が来ていた。
俺しか乗っていない装甲車を先頭にして、門を潜り、荒野を走る。
敵の陣営地まではわずか4キロ。
トラックが牽引している【四斤山砲】をひっくり返さないために、ある程度速度を抑えて道を進んだ。
10分ほどが過ぎ、敵の陣営地が近くなる。
すると陣営地の方から、カンカンカンカンと鐘の音が鳴った。
夜襲を知らせるためのものだろう。
ヘッドライトを点けているため、俺達が来たことは相手側に丸分かりだ。
まあ、何の問題もないが。
各車両を陣営地からおよそ500メートルの位置に停止させる。
獣人達が下車し、砲兵が【四斤山砲】の準備をする中、俺は運転席から【12.7㎜重機関銃M2】を装着したキューポラ(展望塔)へと移動した。
【12.7㎜重機関銃M2】6億円(定価600万円)
取り扱いについては、自衛隊の【教本】で学習済みである。
12.7㎜という大口径の弾丸に、その優れた連射性能と1キロを超える有効射程。
はっきりいって、これさえあれば大抵の敵は倒せるんじゃないかと思う。
もっとも、今回の夜襲での使用は敵が向かってきた時のみだ。
やがて【四斤山砲】の砲撃準備が整った。
「射撃用意……撃てぇ!」
俺の合図によって、二門の【四斤山砲】の砲身からドンッ、ドンッという音が鳴る。
どこかを狙ったというわけでもない砲撃は、敵の広い陣営地のいずれかの場所に着弾した。
◆
――夜。
陣営地の天幕にて、ミレーユは鎧も脱がずに、寝台で体を休めていた。
目は閉じてはいたが、眠ってはいない。
敵のことを考えるとどうしても眠れなかった。
すると、カンカンカンカンと物見台に設置した鐘が鳴り響いた。
まさか、と思いミレーユは身を起こす。
そして、その“まさか”は当たっていた。
「敵だっ! 敵が来たぞっ!」
外から聞こえたのは、敵の来襲を知らせる声。
「くっ!」
ミレーユは、顔に苦渋の色を浮かべながら、立て掛けてあった剣を取って天幕を出た。
「逃げろ! 殺されるぞ!」
「早くここから出るんだ!」
外は混沌としていた。
誰も彼もが戦う気などなく、ただ陣営地から逃げ出そうとしているのだ。
これでは抵抗などできようはずもない。
ミレーユは即座に退却することを考えた。
だが、退却するにも、やらなければならないことがある。
「誰か! 輜重はどうなっている! 知っている者はいないか!」
さしあたって、輜重の管理は最重要事項であった。
食物がなければ、人は生きてはいけないのだから、これは当然のことといえよう。
されど、ミレーユの声に誰も耳を傾けるものはいない。
皆は北へと逃げ惑うばかりであった。
「おい、お前!」
ミレーユは、目の前を通りすぎようとした騎士の腕をつかんだ。
騎士は鬱陶しそうに、ミレーユをギロリと睨みつける。
まるで上官を上官とも思っていない、その態度。
しかし、それを責める暇すら今は惜しい。
「今から食料がどうなっているか見に行く、ついてこい」
「……なせ」
「なに?」
「離せよ!」
その騎士は、もはや上下の関係を取り繕う余裕すらなくなっていた。
騎士がミレーユの腕を振りほどこうとする。
しかし、ミレーユの力は魔力によって人一倍強く、簡単にはいかない。
すると騎士は吐き捨てるように言った。
「食料なんざ輜重隊の仕事だろーが! そんなに気になるんなら、てめえ一人で行けよ!」
ミレーユは、もう騎士の腕を掴んではいなかった。
ただ騎士が走り去っていく後ろ姿を呆然と眺めるだけである。
そして南の方から、ドンッという音が聞こえた。
“あの”音だとミレーユは思った。
獣人の町でも聞こえた不可視の攻撃音。
そしてその直後に、脳髄にまで響くような激しい音が、陣営地内から聞こえた。
これにより兵達の混乱はいっそう激しくなり、皆、必死の形相で陣営地から逃げ出していく。
ある男などは、天幕の前に繋いでいたミレーユの馬に乗って、去っていった。
ミレーユはそれを咎めることもできず、ただ見つめるだけである。
南から、再びドンッという音が聞こえ、陣営地のどこかで激しい音が鳴り響く。
ミレーユの胸に、昼間の恐怖が甦る。
だがその時、ミレーユはあることに気がついた。
落ち着いて“音”を聞いてみると、その音源は二つしかないのである。
獣人の町では、何十とあった敵の攻撃音。
それがたった二つ。
もしかすると、軍が一丸となれば敵に勝てるかも知れないとミレーユは思った。
だが、すぐに首を振る。
(今さらなんだというのだ。
こんな軍の有り様では、もうどうしようもないではないか)
もはや軍の体を成していない。
それは自身の将軍としての未熟さ故のことでもある。
もしバルバロデムが生きていたなら、どうであっただろうか。
そんなことを考えながら、ミレーユは己の不甲斐なさを噛み締める。
「くそ!」
ミレーユは悪態を一つ吐き、余分な考えを全て捨てた。
今考えることはそんなことじゃない、食料についてだ。
食料は必須。
北の村までは、ここから25キロ近く離れていた。
だというのに、この状況では誰も食料を運んでない可能性がある。
それゆえ、ミレーユは食料庫へと急いだ。
食料庫につくと、食料を荷車に積み込んでいる一人の農民兵がいた。
向こうもこちらに気付いたようで、互いの目が合った。
「騎士様」
その農民兵は一言呟いて頭を下げたが、手を休めることをしない。
ミレーユは近寄って言う。
「お前は逃げなくていいのか」
「へへっ、みんな腹すかせちまうでしょ。これでも俺は、輜重隊の班長なんで。他の班員四名は逃げちまいましたがね」
赤茶けた肌の農民兵であった。
髪はボサボサ、無精髭が生え、その笑った顔はお世辞にも綺麗なものとは言えない。
だがミレーユは、そんな彼を誰よりも立派な“騎士”であると思った。
「手伝おう」
己もできることをやらねばならない。
「あ、それなら馬を引いてきてはもらえませんか」
「ああ、わかった」
ミレーユは男の指示に従い、馬繋ぎ場へ駆ける。
そして、走りながらミレーユは思った。
いた、と。
まだ、いたのだ。
自分の役目を全うしようという兵が。
ただそれだけで、ミレーユの心は温かくなった。
その後、すぐに輜重隊の馬繋ぎ場へとたどり着くが、そこに馬はもういない。
誰かが乗っていったのだろう。
ミレーユは一つ、二つ、三つと、馬を探して陣営地内の馬繋ぎ場を回っていく。
――そして四つ目。
そこには、馬が一頭だけ手付かずで残っていた。
馬は興奮しており、手綱が結ばれた『コ』の形をした杭を引き抜こうと暴れている。
危なくて誰も近寄れなかったのだろう。
ミレーユは馬の手綱をつかみ、その豪腕で引っ張ってから叫んだ。
「静まれ!」
力強い一言。
馬は一瞬ビクリとし、頭を垂れる。
ミレーユが強者であることを、従うべき相手であることを、馬は知ったのだ。
「よし、いい子だ」
ミレーユが馬の首を撫でる。
乗馬用の細い馬。
本当ならば牽引用の巨馬がよかったが、贅沢は言えない。
ミレーユは馬を引いて、食料庫へと向かった。
早足で道を行く。
もう陣営地には人はいない。
されど、依然として敵の攻撃の音は聞こえる。
その攻撃の箇所は定まっていないらしく、陣営地の各所で激しい音が聞こえた。
やがてミレーユが食料庫にたどり着く。
すると、その口から小さな声が漏れた。
「え……?」
それは驚き。
なぜならば、食料庫となっていた大型の天幕が倒れており、食料を積んでいた荷車が無くなっていたからである。
いや、違う。
荷車については無くなってはいない。
そこにはバラバラになった荷車の破片が確かにあった。
つまり、敵の攻撃がここに起こったのだ。
そして――。
「あぁ……」
ミレーユの唇が震えた。
倒れた天幕の入り口部分には足が見える。
一体、誰の足か。
ミレーユは震える腕で天幕を捲った。
そこには、先程の農民兵が血みどろとなって倒れていたのである。
「おい! お前!」
近寄って肩を揺すったが、何の反応もない。
当然だ。
その腹には大きな穴が開いていたのだから。
「あぁ……ああ……!」
何故だ、とミレーユは思った。
敵の攻撃の音は一度にたった二回しかない。
この広い陣営地で無事な場所は幾らでもある。
なのに何故“ここ”なのだ。
納得のできない、行き場のない気持ちが、ミレーユの胸の辺りからじわりと染みだした。
「神よっ! ああ、神よっ!」
天に向かってミレーユは叫ぶ。
それは嘆き。
「我らが一体何をした! なぜこのような試練を我らに与えたもうのか!」
叫ばずにはいられなかった。
この広い陣営地内。
農民兵がいた場所に“たまたま”敵の攻撃が起こるなどという偶然は、神の差配としか思えなかった。
なればこそ、獣人達にされるがままの現状もまた神の仕業ではないのか、とミレーユは天に向かって思いの丈をぶつけたのである。
だが、天から声が返ってくるわけもない。
ミレーユは一頻り叫ぶと、近くにあった食料が入った袋をとって馬に乗った。
気付けば攻撃の音は止んでいる。
背後からは火矢が飛び、陣営地が燃えはじめた。
「さらばだ」
名も知らぬ農民兵に別れを告げて、ミレーユは馬を駆けさせた。
馬は北へと進む。
その途中、通りすがる者達にミレーユは叫んだ。
「北へ、足の動く限り北に行け!」
敵はわざわざ陣営地に攻めてきた。
ならば、逃げる者へ追撃があるのは必然である。
ミレーユは、何人が生き残れるのだろうかと心をむなしくさせた。
だが、意外なことに敵の追撃はなかった。
約25キロの道のり。
陣営地から5キロ離れた地点で、敵の追撃がないとわかると、ミレーユは兵をまとめ、川沿いをいった。
食料はほとんどない。
そのため幾つかの馬を潰し、それを食料とした。
皆疲れ果てていた。
睡眠もとっていない。
だがそれでも、何かに追いたてられるように足を動かした。
そして夜が明ける。
日が顔を出すと、夏の日差しがさらに体力を奪っていく。
一人また一人と、集団から遅れていった。
村はまだだろうか、もう見えるころだろうか。
そう何度も思い、ミレーユは幾度も遠くへと目を凝らす。
やがて見えてきたのは、村があった場所より立ち上る黒い煙であった。
まさか。
まさか、まさか、まさか。
ミレーユの胸を強い焦燥感が襲った。
「くっ!」
ミレーユが、集団を離れて馬を走らせた。
駆けて駆けて、そしてたどり着く。
そこにあったのは、真っ黒い燃えかすとなった村。
木でできた物が、未だところどころで燃えており、黒い煙を上げていたのである。
「ああ……」
もう何度思っただろう。
ミレーユは、何故、どうしてと心の中で呟いた。
ミレーユが馬を返し、一団へと戻る。
ここで立ち尽くしていては、他の者がやって来てしまう。
彼らにこの村の姿を見せてしまったら、心が折れてしまうだろう。
集団に戻ると、騎士の一人がミレーユに尋ねた。
「団長、村は……?」
ミレーユは答えなかった。
歯を食いしばって言葉を飲み込んだ。
口に出してしまえば、弱音までも吐いてしまいそうだったから。
将として、毅然であらねばならない。
「ここで休憩をする」
それだけをミレーユは伝えた。
皆も悟っていたのだろう。
何も言わなかった。
この休憩で、ミレーユが乗っていた馬も食料となり、一団は再び北へ向かう。
ゆっくりとした歩みの中、先程の騎士がミレーユに再び質問した。
「団長、次の村は……」
その騎士が言葉を最後まで紡がなかったのは、不安の現れだろう。
もしかしたら、次の村にも獣人の魔の手が伸びているんじゃないのか、という不安。
「大丈夫だ。きっと大丈夫。だからもう少し頑張ろう」
偽りの励まし。
ミレーユの心にも、ただ不安だけがあった。