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34.戦争前夜 1

 冬も終わろうかというある日、獣人の町で捕虜となっていたローマットが、王都サンドリアへと戻ってきた。

 ミレーユがその報告を聞き、ローマットの下を訪れたのは訓練が終わった夕方のことである。


「ここか」


 既にローマットは城の者による聴取を終えており、町で宿をとっていた。

 ミレーユが赴いた場所は、貴族街にある煉瓦造りの宿だ。


「主人、ちょっといいか」


 宿に入り、宿の主人に声をかける。


「へい、なんでございやしょ、騎士様」


 ミレーユが身に付けているのは、赤竜騎士団のマントと腰の剣。

 誰もが一目で騎士とわかるだろう。

 おまけに起伏の少ない肢体のため、胸にサラシを巻いて男物の服を着れば、誰も女とは気づかない。


「ローマットという男がここに泊まっていると聞いたんだが」


 ミレーユが尋ねると、主人は「こちらへ」と言って、二階のローマットの部屋に案内した。


 部屋の前に立つミレーユ。

 木製のドアにある染みが目についた。

 ドアだけではない。

 貴族街の宿にしては壁も廊下も、どうも汚い。

 そんなことを考えながら、ミレーユはトントンと部屋のドアをノックする。


「赤竜騎士団の団長だ。入っていいか」


「ちょ、ちょっと待ってください」


 ミレーユが入室の許可を求めると、中からバタバタとした音が聞こえてきた。

 やがて、ガチャリと扉が開き、弛んだ顎をしたローマットが現れる。


「どうぞ」


「うむ」


 中は机と椅子とベッドしかない粗末な部屋だった。

 この宿が、貴族街にある宿の中でも下級に位置するのは明らかである。


「私が新たに赤竜騎士団の長になったミレーユだ」


「は、はい。ローマット・バイデンハルクです」


 ミレーユが、緊張した様子のローマットを観察する。

 顔、首、腕、指。

 その五体を一通り眺めるが、なにか拷問を受けたような痕は見受けられない。

 それに捕虜というものは大抵やつれて帰ってくるものであるが、ローマットは明らかに肥えており、ミレーユは不思議に思った。


「座らせてもらうぞ。お前も座れ」


 ミレーユは椅子に腰かけると、ローマットも机を挟んだ向かいの椅子に座る。


「獣人の町でお前が知っている限りのことを聞かせてくれ。町はどんな様子だった。お前はどのように暮らしていた」


 ミレーユは、ローマットに獣人の町のことを聞いた。

 敵を知ることは、戦いでもっとも重要なことだ。

 文化や風習、個人の嗜好や性格まで、なにが勝利に繋がるかわからない。


 すると既に城の者に同じことを話したからなのか、ローマットは慣れた様子で語り始める。


 どのような町であったか。どのような種族がいたか。町の主はどのような人間であったか。

 食べ物や建物、果ては気候にいたるまで、知る限りのことをローマットは話した。


 それを黙って聞いていたミレーユ。

 文明の程度が高いことは既に聞き及んでいたので、特には驚くことはない。

 町の主がよっぽど優秀だったというだけのことだ。


 だが、わずかに興味をもったといえば、ローマットの扱い。

 彼は一室に閉じ込められはしたものの、そこは今いる部屋よりもよっぽど大きくかつ清潔で、三食が与えられ、服も着替えられ、風呂にも入れたのだと言う。


 サンドラ王国が捕虜とした者を入れる地下牢――あの虫が湧き、汚水にまみれた場所とはまさに天国と地獄のような差だ。


 またローマットは、ほとんど毎日、獣人とボードゲームをして暇を潰していたと語った。

 なんだそれは、とミレーユは頭が痛くなった。

 捕虜というよりも、至れり尽くせりで招待されているようなものではないか。

 ミレーユが、そう考えるのも無理のない話である。


 話が終わる頃、もう部屋の外は暗くなっていた。

 部屋の中は、話の途中で宿の主人が持ってきた獣脂蝋燭が、光と共に嫌な臭いを放っている。


 そこでミレーユは、ふと、ベッドの上の木製の板とその上に乗る小さな木像が気になった。

 目を凝らして見ると、木盤と、その上で動かす駒のように見える。

 貴族がたしなむ盤上遊戯に軍盤というものがあり、それに似ていた。


「あれが、お前の言っていたものか?」


「ええ、チェスといいましてね。中々奥が深いんですよ」


 ミレーユが尋ねると、ローマットは自慢気な顔で駒をのせた木盤を机の上に置く。

 これをどうしたのかと聞いたら、仲良くなった獣人から餞別に貰ったとローマットは言った。


 チェスとやらの説明を聞く。

 軍盤よりも単純ではあったが、結構凝っているなとミレーユは思った。


 一度試しにやってみようと言うと、ローマットは「それならば別にいいものがありますよ」と袋の中から新たな木盤と小箱を取り出した。

 小箱の中には、片面を黒く、もう片面を白く塗った、円形の小さな木の板が無数に入っていた。


「これは?」


「これはリバーシといってですね、黒地と白地の板……石って呼んでるんですけどね、これを交互に打って、相手の石を挟んだら色が変わります。それで最後にどちらの石が多かったかを競うゲームです。

 単純なので、初めての方にはこちらの方がよろしいかと」


 なるほど、簡単だとミレーユは思った。


「ではやろう」


 最初に四つ並べて、パチパチと交互に石を置いていく。

 たかがゲーム、しかし勝ち負けがあるもので、負けるのは好むところではない。

 ミレーユは真剣に盤上の遊戯に挑んだ。


(より多くの石をとればいい、ただそれだけの簡単なゲームだ。

 数が多くとれる石の置き場を、いかに見逃さないかというのがゲームの趣旨だろう)


 子供だましのゲームだと、ミレーユは高をくくっていた。

 そして、その自信が反映されるかのように、途中まではミレーユの黒石が圧倒していた。


「なんだ、弱いな」


 ミレーユはほくそ笑む。

 目が本当についているのかと疑わんばかりに、ローマットは大量に石をひっくり返せる置き場所をさっきから何度も見逃しているのだ。


「いえ、まだこれからですよ」


 ローマットの余裕の笑みが鼻についた。

 そしてまた、パチパチと石を置いていく。

 すると、どうしたことか。

 中盤から終盤にかけ、ミレーユの黒石のことごとくがひっくり返されていったのだ。


「ば、馬鹿な……」


 ゲームは終了し、結果6対58。

 数えなくともわかる。

 ミレーユは負けたのだ。


「いやあ、まあ初めはこんなもんですよ」


 どや顔で語るのはローマットである。

 ニヤニヤとしている顔に、思わず拳を叩きこみたくなったミレーユであったが、全力でそれは抑えた。

 その代わりに、額にはピキリピキリと血管が浮かんでいたが。


「もう一度だ」


 無謀にも、ミレーユは再びローマットに挑んだ。


(角だ。起点となるのは角。角さえとれば……)


 一度の遊戯にして、角の重要性を見切ってたミレーユは流石といえよう。

 だが、日がな一日ボードゲームばかりをしていたローマットに勝てるはずもなく、またも完敗を喫した。


「……もう一度だ」


 更なる挑戦。

 しかし三度目の勝負は、石がマスを全て埋める前に決した。

 もちろんローマットの勝ち。


 ミレーユは、もうこりごりだと降参して石を置き、そして尋ねる。


「赤竜騎士団に戻ってくるつもりはあるか?」


 不意の質問であった。

 するとローマットは堪えるような、どこか未練がある顔になる。

 戻りたい、ミレーユにはそう思っているように見えた。


 しかし、ローマットは首を横に振った。


「何故だ。お前の剣の腕は中々だったと聞いているぞ?」


「あの町を攻めるのでしょう?

私にはそんなことはできませんよ」


 聞くまでもないことであった。

 毎日獣人と暮らし、餞別まで貰ったのだ。

 情が移ってしまったのだろう。


 ミレーユは「そうか」とだけ言って、部屋を去った。



 ――これはミレーユの日記である。


 春。

 下層の者達の南方への入植が始まった。

 初期投資はそれなりにかかるだろうが、【香辛料】の交易によって相当な儲けがあり、金の心配はいらないだろう。


 ローマットの近況がある。

 嫡子は既に次男となり、ローマットは跡目を下ろされた。

 争いにならぬよう司祭の下で誓約書を書かされ、神に誓った。

 領地に戻ることは許されず、王都で暮らすならば月々の生活費の面倒を見てもらえるとのこと。


 惨めな話であるが、負ければああなるのだと自戒して身を引き締めねばならないだろう。


 夏。

 入植させた村では開墾が始まっている頃だ。

 そして来年のこの時期に、獣人の町へと攻め入ることになる。

 暑い季節、だが南部はさらに暑い。

 真の敵は、獣人でも、城壁でも、未知の魔法でもなく、この暑さなのかもしれない。


 ところで、城下町ではリバーシが売られるようになった。

 監修はローマット。

 単純明快なルールと時間効率のよさ、そしてその安さからリバーシは売れに売れているそうだ。

 町に行けば、どこかしらにリバーシ盤が置いてあるのだから、大したものである。

 また盤が買えない者も、地面に64のマスを描いて遊んでおり、リバーシはここサンドリアで大きな流行となっていた。


 さらに、ローマットの名は誰もが知っているほど有名らしい。

 リバーシにおいて、いまだ無敗なんだとか。


 秋。

 入植させた村では種植えが始まった頃だろう。


 ローマットを王城で見かけた。

 ガチガチと緊張した様子であったので、声をかけて話を聞くと、なんでもリバーシの指南のために父に呼ばれたらしい。

 市井のみならず、城中や兵舎でもリバーシの人気は健在のようだ。


 ローマットが城から帰る時の、どや顔がむかついた。


 冬。

 入植させた村についてであるが、定期連絡では特に異常もなく順調とのこと。

 しかし、川沿いの木のほとんどを切り倒し、来年以降は薪を本国から運ばねばならないだろうという話だ。


 ところで、城下町ではチェスが売られ始めた。

 “あの”ローマットの監修とのことで一時は売れたようだが、世の人々はすぐにリバーシへと戻っていった。

 ただし、一部の者には人気らしい。


 春。

 はるか北の地で戦争が始まった。

 教会が、『大義のある戦いならば破門には能わず』という新たな布告を出したのである。

 すると、その布告と同時にカスティール王国がイゴール帝国に攻め込んだ。

 侵攻した地は昔より領土問題が取りざたされていた場所であり、一年以上も前にカスティール王国が暗躍して、長子と次子で内乱が起こった地でもある。


 カスティール王国は主力をもって当たり、イゴール帝国側は一領のみの勢力ではとても防ぐことができず、あっという間に領土を奪われた。

 あまりにも準備がよすぎる。

 カスティール王国と教会が示し合わせていたことは明らかだ。

 無論、イゴール帝国も兵を集めて領土を奪還せんと動いた。

 しかし、既に防備を固めていたカスティール王国の前にはいかんともしがたく、イゴール帝国の戦況は思わしくない。

 やがて教会が仲立ちして両国間に講和がなり、休戦となった。


 また、他の国々でもなにやら慌ただしくなっており、ブラウニッツェをはじめとした外交官が、友好国を駆け回っている。


 今の大陸の状態は、まるで箱の中に押し込めていたものが、蓋の隙間から噴き出し始めたかのようだ。

 その蓋が外れた時が、この大陸が大きな戦火に包まれる時であろう。

 災いではあるが、国が大きく飛躍する好機でもある。

 願わくば、かつての始祖王のように歴史に名を刻みたいものだ。


 ところで、サンドリアの城下町ではリバーシの大会が開かれ、ローマットがあっさりと優勝したのだという。

 うちの新人騎士のサ……なんとかが出ていたらしいが、最初にローマットに当たり、中盤で全部ひっくり返されて負けたらしい。




 ――そして夏がやってきた。


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