33.戦いの足音 2
三人称です
――サンドラ王国は王都サンドリア。
冬のある日のこと、およそ一月ほど不在にしていた赤竜騎士団が、王都サンドリアに帰還した。
名目は地方の巡回ということであったが、その実態は南方にある獣人の町への遠征である。
そして現在、王城は玉座の間にて、ブラウニッツェ外交官と赤竜騎士団の新団長が王の前に跪き、今遠征の報告を行っていた。
「獣人の町との取引はなったか」
「はっ、滞りなく」
王の言葉に、遠征の最高責任者であったブラウニッツェ外交官が答えた。
「うむ、これで国はより豊かになるだろう」
サンドラ王はにっこりと笑った。
そして続けて言う。
「それで、お主の目から見て、かの町はどうであった」
「危険であると」
「む、それほどか」
「今すぐにではありません。ですが十年二十年と経てば、間違いなく我が国の脅威になります」
「何を見た、申せ」
「城壁に並んだ者達は皆、鉄製と思われる鎧を着ておりました。これは、前回の報告にはなかったものです」
「鉄か。産出するのか?」
「おそらくは。さらに、町の西側には煉瓦で造った家が無数に建てられていました。これは人口の増加を見越してのことでしょう。
話によれば、町の中の家々は木製だったはず。
つまり、木々の少ない地であるからこそ、その地に適した家を新たに造りだしたのです。
あの町はまさに日進月歩の勢いで発展しております。これに人口が伴えば、強大な“国”となるでしょう」
「むぅ……」
サンドラ王は顔を険しくさせて唸った。
国になると断じたブラウニッツェ。
規模の話ではない。サンドラ王国と対等の力を持つという意味で、ブラウニッツェは“国”という言葉を使ったのだ。
すると、二人の間に口を挟んだのは、ブラウニッツェの隣に跪いていた赤竜騎士団の新団長である。
「何を悩んでおられるのですか、父上。やることは決まっているではありませんか」
サンドラ王を父と呼んだ新騎士団長は、黄金の髪を短く切り揃えた見目麗しい女性であった。
彼女の名はミレーユ・サン・サンドラ。
その名が示す通り、ミレーユはサンドラ王の次女に当たる者である。
さて、王女ともあろう者が何故、騎士団長などをやっているのか。
それについて少し説明をしなければならないだろう。
女だてらに剣を振るい、弓をたしなむじゃじゃ馬姫。
それがミレーユに対する世の評判だ。
しかし、その武芸はただのお転婆姫の枠を越えて、騎士連中にも劣らない確かなものであった。
――それは、今より二ヶ月も前のことである。
その日、赤竜騎士団の新しい団長を決める騎士団長任命の儀が執り行われた。
赤竜騎士団の伝統として、団長に何よりも求められるのは、強さ。
そのため、我こそはと思う者達が互いの剣技を競い、最後まで勝ち残った者が赤竜騎士団の団長に任命されるのである。
勝ち抜き形式の試合。
使われるのは木剣とはいえ、骨は折れるし打ち所が悪ければ死に至る。
それゆえ、試合の参加には、腕に覚えのある者しか名乗りをあげなかった。
何を勘違いしたのか、騎士見習いの佐野も参加したのだが、当然勝ち残れるはずもなく、初戦にて敗退している。
そして優勝者の前に突如現れたのが、覆面をしたミレーユである。
ミレーユは一言も放たず、ただ木剣を構えた。
力こそが正義の騎士団において、これを受けない手はない。
覆面をした乱入者が何者であろうが、打ちのめしてから調べればいいことである。
まず一名の騎士が木剣を持ってミレーユの前に立った。
だが一合も剣を合わさぬうちに、騎士の首元にはミレーユの木剣が添えられていた。
「尋常でない腕……」
「只者ではないぞ……」
ザワリと風にそよぐ木々のように、騎士達は色めきたつ。
「静まれ!」
騎士らを黙らせたのは、先の任命の儀において優勝者であった騎士。
彼には、既に己が騎士団長であるという自覚があった。
そして優勝者とミレーユの立ち合いが始まる。
それは互いの技量を尽くした素晴らしい戦いであり、見ている者は誰しもが息をのんだ。
だが、その戦いも長くは続かない。
剣を合わせること六十余。
己が剣を地に落としたは優勝者、相手の顎先に剣を突きつけていたはミレーユであった。
「これで私が赤竜騎士団の騎士団長ね」
漸く、その美しい女の声を発したミレーユ。
顔の覆いを脱ぎ捨てると、彼女は、子供がいたずらに成功したように無邪気な顔で笑った。
ところで、修練を積んだ男に女が勝つ、そんなことが本当にあるのだろうか。
その答えは――ある、だ。
彼女には、魔力によって肉体を操作するという天賦の才が宿っていた。
そして、この才は別に都合のいい偶然でもなんでもない。
王の一族は元々武門の生まれ。
現王こそおとなしい性格であるが、かつてサンドラ王国を興した始祖の王はミレーユと同じ肉体操作の術により、武力をもってサンドラ王国の地を平定したのである。
ミレーユが幼い頃、枕元で語られた始祖王の話。
それはまるで、幻想のような英雄譚であった。
ミレーユは憧れた。
そして自身の才に気づいた頃、憧れはやがて渇望となる。
己も祖王のようになりたい。
そんな気持ちが、日に日に強くなっていったのだ。
練兵場で行われた騎士団長任命の儀。
これはミレーユにとって好機だった。
彼女は現在17歳。
これを逃せば、王族の務めとして他国に嫁がねばならなくなる。
だからこそミレーユは優勝者の前に立ち、そして勝った。
己こそが赤竜騎士団の長に相応しいのだと、ミレーユは声を大にして叫んだのである。
無論、父であるサンドラ王は反対する。
しかしミレーユは、認めねば逐電すると言って、無理矢理に王を了承させたのであった。
――場面は玉座の間へと戻る。
獣人の町がいずれ強大になるであろうことを聞かされ、言葉を詰まらせた王。
それに対し、何を悩んでいるのかとミレーユは不遜な物言いをした。
「何が言いたい、ミレーユ」
サンドラ王が、騎士団長にして娘でもあるミレーユにジロリと目を向ける。
「芽は早めに潰す、簡単なことではありませんか」
「そうは言うがな、ミレーユ。戦いというのは、そう簡単なものではないのだ」
「いいえ、父上。此度においては、時間をかければかけるほど難しくなるのは明らか。
時は獣人らに有利。ならば我らは、どれだけ時をかけずに攻めるかが肝要であり、それこそが最も合理的で“簡単”な戦略であるかと思われますが」
いかがか? と眼に強い力を込めるミレーユ。
その性質は苛烈。
既にミレーユは姫というものを捨て、騎士団長としての気概を持ち合わせていた。
するとサンドラ王は小さく息を吐く。
それはため息。
なぜ、こんな娘に育ってしまったのか、という思いの表れである。
「もうよい、お主らは下がれ。後はこちらで決める」
そう王が言うと、ブラウニッツェとミレーユは立ち上がり、一礼して去っていった。
ブラウニッツェとミレーユが玉座の間を辞すると、あとに残ったのは玉座に座る王と、その横に立つ老齢の最高顧問官のみである。
サンドラ王は言う。
「攻めるにしても遠すぎるであろう。
袋に手を入れれば噛まれるだけぞ。
いずれ袋から出たところを叩けばいいではないか」
背後に砂漠があることから、獣人の町がある土地を袋にたとえたサンドラ王。
こちらから攻めれば、地の利はあちらにある。
補給のない南の地は、それだけ過酷な場所であった。
ならば、獣人達の矛がこちらに向いてからでも遅くはないのでは、とサンドラ王は考えていた。
要は戦いには反対ということだ。
それに対し最高顧問官は、いいえと首を振った。
「下層の者に金を与えて、獣人の町へと連なる村を作りましょう。
そこを補給地として獣人の町へと攻め込むのです。
戦後にも商路の中継地として無駄にはなりません」
「地揺れはどうするのだ? 家は建てられんぞ」
「そんなもの天幕でよろしいではありませんか。形にこだわらなければどうとでもなります。
そもそも、獣人の町さえ支配してしまえば、もう敵はいません。城も城壁も必要ないのです」
「うむ……」
「春に入植し、夏に開墾する、秋に麦を植え、翌年の初夏の収穫と同時に軍を南進させるのです」
「しかし、攻城戦はこちらにも大きな被害を生むだろう」
「町が容易く落ちなければ、数をもって囲むだけでも構いません。
畑は外にあると聞いています。囲んでしまえば後は飢えるだけ、自ずから降伏してきましょうぞ」
「むう、だが魔法の解析も終わってはおらぬしな……」
王の頭にあるのは赤竜騎士団の前団長、ガーランドの死。
かの者の遺体どころか遺品すら持ち帰ることができずに、赤竜騎士団は惨めに敗北した。
対個人の魔法だという話だが、本当に敵の手の内はそれだけなのだろうか、という危惧の念がサンドラ王にはあった。
「大陸の情勢は不穏なものが見られます。イゴール帝国でのことは陛下もご存じでしょう?」
最高顧問官がたしなめるように言った。
イゴール帝国はカスティール王国に隣接する北の国である。
そこで跡目を争って領内で戦いが起きた。
長子が勝ち、反乱を起こした次子は処断されたが、次子を操っていたと目されているのが、カスティール王国である。
長子曰く、次子を支援していたのはカスティール王国であり、次子が勝てば、そのままカスティール王国に帰順する密約が交わされていたとのこと。
もし次子が領主となりカスティール王国に寝返れば、もはや内乱の枠を越えてしまい、イゴール帝国は手を出せない。
教会の不戦の公布を逆手にとったカスティール王国の計略であったのだ。
「いずれ大陸が戦火に包まれるのは必定。後顧の憂いを断つ意味でも、南部の平定は避けられないことと思います。
陛下、どうかご決断を」
「うむぅ……」
サンドラ王は煮えきらない様子で、その場の決断を避けた。
だが後日、主だった文武官僚を集めた討議が行われ、その結果、サンドラ王国は南方の平定を第一戦略目標として動き出すことになる。
◆
ブラウニッツェとミレーユが王に謁見していた頃。
兵舎に戻った騎士達は武具の手入れをし、見習い騎士達は騎士らを出迎えた後、帰ってきた馬の世話をしていた。
そして、武具の手入れをする者達の中には佐野勉の姿もあった。
そう、佐野は騎士見習いから正式な騎士へと昇格していたのである。
きっかけは二ヶ月前に行われた新団長任命の儀。
佐野は身の程知らずと言われながらも試合に出場し、初戦で負けはしたが、ベテランの騎士相手に幾十合も打ち合って見せた。
すると騎士団に欠員が出ていたこともあり、その度胸と見込みのある剣の才が見込まれ、晴れて騎士となったのであった。
閑話休題
騎士となって与えられた小さな一人部屋にて、佐野は己のプレートアーマーを油で拭いていた。
だが、どうもその手の動きは鈍重である。
赤竜騎士団は軽装の騎兵隊。
重装騎兵などとは違い、武具の手入れなどすぐに終わる作業だ。
現に、他の騎士達は既に作業を終わらせ浴場へと向かっている。
されど佐野はぼうっと上の空で、いつまでも己の甲冑を磨いていた。
その頭の中にあったのは、獣人の町の主のこと。
ブラウニッツェと獣人の町の主との会談の際、佐野は軍中にずっといたため、町の主の顔は見ていない。
だが、名前がフジワラであるということを、この行軍の中で人づてに聞いていた。
(フジワラって、藤原以外にないよな……)
行軍の最中は慣れない乗馬と、新人騎士としての雑用で考える暇などなかった。
――フジワラ。
日本なら漢字で藤原と書き、どこにでもある名字だ。
歴史上の偉人の中にもその名はある。
(こりゃ、日本人で確定だな。あとはどうするか)
他の騎士達は、時が来れば町に攻め込むのだと言っていた。
その“時”に何をするべきかを、佐野は考える。
まずは現在の己の状況の整理。
念願の騎士になった。
いずれは最強の騎士にもなれるだろう。
だがいつだ?
何年待たねばならない?
佐野は、めんどくさいことが嫌いだった。
剣の修行も最近では、はじめの頃にあった上達を感じられなくなり、飽きてきていた。
(なんとかして手柄を立てて、貴族になりてえな)
騎士になるという目標は達成した。
ならばもういいのではないか。
次の目標に進むべきだろうと佐野は考えていた。
丁度、サンドラ王の娘が騎士団長になった。
手柄をたて、王女の覚えがめでたくなれば貴族への道も開けるかもしれない。
いや、それよりも、あの顔だけはいい姫を手込めにすれば――。
「ぐふふ」
よこしまな考えが佐野の脳内を支配した。
最初は女なんぞに騎士団長が務まるか、と佐野はむかついていたが、今考えれば悪くない話である。
そして、フジワラという手柄が佐野の目の前に転がっていた。
悩むことはなにもない。
フジワラとやらを踏み台にして、貴族に上り詰めればいいのだ。
だが問題もある。
現代の武器である【銃】。
これの攻略は厄介極まりない。
あの矢掴みのガーランドさえ、【銃】の前にはあっさりと死んだ。
そこまで考えて、待てよ? と佐野は思った。
銃は弾薬あってこそであり、限りがあるのは間違いない。
(一体、何発持ってるんだ? それさえわかりゃあ、どうにでもなる。
いや、それよりも、同郷のよしみで近づき、油断した隙に人質にとってしまえば……)
相手が銃を抜くのよりも、己の剣の方が速いという自信。
元の世界では、接近戦においては刃物の方が怖いなんていう話も佐野は聞いたことがあった。
佐野は磨いていた鎧を置くと、剣を取って外へ出る。
そして、芝の生える庭先にて、思う存分剣を振るった。
仮想する相手は【銃】を持った人間である。
いずれ来る戦い。
佐野には同郷だから、なんていう甘い考えはない。
食うか食われるか。
それだけだ。
だがそれは、己は強いのだという根拠のない自惚れによって、自身の敗けを想像できない、あさはかで若者らしい考えでもあった。