32.戦いの足音 1
翌日、ライルは商品を受けとると商隊を引き連れて出立した。
この時、次回以降の取引は新バーバニル銀貨で行うという取り決めがなされている。
【新バーバニル銀貨】【売却値】2800円
その後、一ヶ月、二ヶ月と時が過ぎていく。
エルザが代表を務めるポーロ商会との交易は、これ以上ないほどに順風満帆。
俺の懐には、金、金、金、が集まり、『町データ』の資金が湯水が湧くように貯まっていった。
それに伴い、俺の普段の生活も少しリッチになった。
最近ハマっているのは美食である。
最高級の霜降り牛肉。
特製のステーキソースに絡めて一口食べれば、肉は柔らかく、肉汁が口の中に広がり、なんともいえない幸福感に包まれる。
マグロの大トロは、比喩でもなんでもなく口の中で“溶けた”。
大トロとは溶けるものなのだと異世界に来てはじめて知り、感動と情けなさが入り雑じったくらいだ。
他にも、うに、あわび、キャビア、蟹、天然鰻、松茸などなど、元の世界では決して口にできなかった食材の数々を、俺は味わっていた。
たまにジハル族長の下に行って、高級食材を使った料理を食べさせると、彼はその美味さに目を丸くしたり、逆に不味さを堪えるように食べたり、なかなか面白い反応を見せてくれる。
これもまた、俺のささやかな娯楽の一つだ。
何も不自由がない生活の中での、食事の充実。
もはや、元の世界での生活よりも完全に恵まれているといっていいだろう。
さて、美食もいいが、そればかりにかまけていたわけではない。
軍事面についてもしっかりと金を使っている。
とりあえず俺は、俺の安全のために【装甲車】を購入した。
【96式装輪装甲車】130億円(定価1億3000万円)
ちゃんと防弾のフロントガラスがあり、オートマチック仕様で、冷房も付いている、新しい型の車両だ。
少し狭っくるしいのが難点ではあるが、安全のためだ、背に腹はかえられない。
ともかくも、これで至近距離から矢を放たれたとしても平気だろう。
さらに【装甲車】の購入にあわせて、【73式大型トラック】の運転手も育成している。
今のところ、育成対象者は狼族の者数人だ。
有事の際、俺が【装甲車】に乗ったならば、彼らには空いた【トラック】に乗ってもらう場面があるかもしれない。
俺一人で何もかもをやるには限界がある。
何かあった時のために、手数を増やすのは悪くないはずだ。
他にも、各城壁には【四斤山砲】を多数取り揃え、また獣人達には【足軽胴】などの防具を渡してある。
日本式の甲冑を着た獣人達は、石垣などの風景もあり、まさに戦国時代さながらの様相であった。
軍事に関しては大体こんなところだろう。
軍事以外には、町の拡張にも資金を使いたいところであったが、俺は能力を未だ人前で晒したことがない。
もっとも、どこからか現れる資材を獣人達は不審に思っているだろうし、今さらな話かもしれないが。
一度コボルト族に、木材をどうしたのかと聞かれたことがある。
俺が答えることを拒否すると、二度と尋ねてくることはなかった。
こちらに気を使っているのだろう。
なんにせよ、俺の能力は最終最後の奥の手であり、おいそれと見せることはできないということだ。
――そして夏、秋と過ぎ、冬がやってくる。
冬のある日のこと、招かれざる来訪者が北の方角から現れた。
明らかに軍勢だと思われる砂煙を、北の物見が捉えたのである。
すぐに町は戦闘体制へと移行した。
そして現在俺は、北門の上にて進軍してくる軍勢の様子を、睨み付けるようにうかがっているところである。
「フジワラ様、大砲の準備を!」
北門に集まっていた各城壁の砲兵が声をあげる。
「……トラックより砲弾を下ろす! 砲兵は弾薬を受領しろ! ただし、大砲の覆いは合図があるまで取るな!」
北、東、西にはそれぞれ8門ずつの【四斤山砲】が設置されていた。
それらは普段、幕をかけられており、【砲弾】と【薬包】に関しても、事が起こった時にのみ俺が配ることになっている。
石垣を下りて、トラックの荷台から皆と共に弾薬を下ろしていく。
それが終わると、俺は再び石垣へと上り、再び北の軍勢をうかがった。
やがて、軍勢は止まった。
双眼鏡を覗けば、見覚えのある赤い竜の旗がたなびいている。
「赤竜騎士団か」
俺は小さく呟いた。
その停止位置はここより数キロも離れており、大砲でも届くか届かないかという距離だ。
前回行った小銃射撃。
それの攻撃範囲がどこまであるのかを、敵は測りかねているのだろう。
すると、敵の軍勢の中から騎馬が四頭飛び出した。
騎乗者の二名は鎧を纏っておらず、その内の一名は真っ赤な髪をした女性――エルザであった。
そういうことか、と俺は思った。
武具をつけていないもう一人の者は外交官だろう。
前にエルザに頼んだことがあった。
交易が国に露見した際には、外交官を派遣するように提案してくれ、と。
あの軍勢はこちらを威圧し、交渉を有利に運ぼうとするためのもの。
そして彼らが布陣している位置こそ、こちらを恐れている証拠である。
「フジワラさん、ウチや! 攻撃はやめてや!」
四騎の先頭を走っていたエルザが、必死の声を上げた。
「皆さん、絶対に攻撃しないように!」
弓を構えた者達に、矢を射たないよう命令する。
その後、眼下の四騎のうち武装していない男性がこちらに向けて叫んだ。
「私はイグナーツ・ブラウニッツェという者だ! サンドラ王国の外交官をしている! 町の長であるフジワラと話がしたい!」
ブラウンの髪を七三に分け、鼻下には左右にピンと跳ねた髭を持つ男性だった。
「私が藤原だ!」
「そなたがフジワラか! 腰を据えて話がしたい!」
「ならば馬から下りて武器を地に置いてもらおう!」
俺の指示に、ブラウニッツェをはじめとした、エルザ以外の三名が少しばかり話し合う。
そして四名は馬を下り、地に剣を置いた。
「では門が開いたなら、そのまま中に入るといい!」
「待て! 我らは町の外での会談を望んでいる!」
ブラウニッツェ外交官の提案。
何かの策か? とも思ったが、この場でということならば何も問題はないだろう。
「門の前でならいいだろう!」
「よかろう!」
俺の申し出をブラウニッツェ外交官は受け入れた。
「では、暫し待て!」
俺はトラックで自宅前に戻ると、パイプ椅子を四つ積んで再び北門へと戻る。
ジハル族長を供に、俺の後ろにはさらに二名の狼族。
石垣の上では獣人達が油断なく弓を構えている。
そして門を開けた。
パイプ椅子を設置すると、折り畳みの金属椅子に少し驚いた顔をするブラウニッツェ達。
俺とジハルが座り、その正面にブラウニッツェ外交官とエルザが座った。
俺の後ろには狼族の者が立ち、ブラウニッツェ外交官の後ろには、少し離れた位置で馬の手綱を引く二名の騎士が立っている。
「率直に言おう。我が国に入れ。税さえ納めれば、この地はそのままだ」
開口一番、ブラウニッツェは横柄な態度で傲慢ともいえる言葉を放った。
サンドラ王国という国家と、たかだか一都市である俺の町。
その差を考えれば、当たり前ともいえる発言だ。
「お断りします」
俺の答えは当然ノーだ。
しゃぶり尽くされるのは目に見えている。
もし獣人達を抱え込んでいなかったなら、飛び付いた話かもしれないが、今となっては獣人達の生活も守るべきものである。
もちろん最優先とすべきは、俺の生命だが。
「爵位を得ることも可能だぞ?」
「この地では爵位などなんの意味もありません」
「後方の兵が見えないのか」
「蹴散らせというのなら、蹴散らして見せましょう」
「ふむ……」
ブラウニッツェ外交官が俺の瞳を見つめる。
俺はドキリとした。
もちろん変な意味ではない。
ブラウニッツェ外交官の双眸は、こちらの心を覗きこむようであった。
外交のプロ、というやつなのだろう。
エルザもまた商売のプロと言えるが、彼女はこちらの機嫌をうかがうような下心があった。
だがブラウニッツェ外交官にはそれがない。
蛇が蛙を睨むように、ただ上から見下ろし観察する。
どう効率よく餌を手に入れるか、そんな感じだ。
しかし、俺は蛙は蛙でも猛毒の蛙だ。
このサンドラ王国より遠く離れた地なればこそ、俺の圧倒的な優位は動かない。
だからこそ、決して引かないという強い意思をもって、俺はブラウニッツェ外交官を見つめ返した。
「……よかろう、では商売の話だ」
ブラウニッツェ外交官はこの地の領有を実にあっさりと諦め、取引の話になった。
もっと話がこじれるものと考えていたから、こちらとしては嬉しい限りである。
まず今後の取引について説明を受けた。
なんでも、これからはエルザ率いるポーロ商会を隠れ蓑にして、国が主導で商売を行うそうだ。
エルザの販売網を活かしたかったのと、表だって国が利益をあげれば、他国の反発は免れないからだという。
そして売買品については、一回の取引量を増やす代わりに販売価格の減額を要求された。
別に突っぱねてもよかったが、俺はその要求をのんだ。
この町の価値を知られた以上、戦争へ向け時計の針が動き始めたといっていい。
彼らは交易だけでは収まらない、必ずこの地を手に入れようとするはずだ。
だから、それを少しでも遅らせるために、ある程度の利益をサンドラ王国に与えようと思ったのである。
他にも、この地の資源について根掘り葉掘り尋ねられたが、俺は黙秘を貫いている。
ブラウニッツェ外交官は獣人の鎧を見て、特に【鉄】について興味があるようだった。
「一年前の戦いで一名を捕虜にしております。名前をローマット」
取引の話が一段落つくと、俺は未だ旅館にいる捕虜のことを口にした。
すると、ブラウニッツェ外交官は後ろの騎士に顔を向ける。
「バイデンハルク家の嫡男“だった”者です」
騎士が答えると、ブラウニッツェは、なるほどといったように頷き、またこちらを見た。
「その者は返還してもらえるのだろうな」
「相応の対価をいただければ」
「捕虜の返還は、双方の友好の門出にふさわしいと思うのだが?」
「いえ、親しき仲にも礼儀ありと申します。片側が寄り添うだけでは主従の関係と変わりません」
「まあ、よかろう。では、しばらく預けておく。家督の問題もあるのでな」
こうして会談は終わった。
サンドラ王国軍は最初から商取引を行うつもりだったらしく、多量の銀貨を運んできており、いつもの倍の規模となる商品の売買を行った。
エルザとは個人的に少し話をした。
まず国に交易が露見したことを謝られたが、それは元より承知のことである。
俺が商会はどうなのかと聞くと、今までよりも利益は下がるが、国が後ろ楯についたので安全にはなったとのこと。
そしてサンドラ王国軍は町よりはるか遠くにて夜営し、翌日には去っていった。
夜間には、農場の近くをうろつく人間がおり、獣人が雄叫びを一つあげるといなくなったそうな。
全く、油断も隙もない話である。