番外編その二 後編 旅先で事件に遭うのは名探偵だけで充分だ
聖湖の周りを歩きつつ、点々と存在する土産屋を片っ端から冷やかしていく。これが正しい旅行の楽しみ方だ、きっと。
「静、さっきの話を聞いたか?」
俺が寄った土産屋に売っていた聖湖名物『まぐろ君』を見て、何で湖の名物に海水魚……? と深く疑問に思っていた時、隣にいた薫が声をかけてきた。
「いや、聞いてなかった。何の話だ?」
素直に答えるが、薫も特に気を悪くした感じはなかった。まあ、言い方からして誰かの話を聞いた、という又聞きのようだったしな。
「最近、この辺りで通り魔が出るらしい。被害も結構大きいそうだ」
「へー」
心底どうでもいい話だった。超おざなりに返事をして、そのまま視線を『まぐろ君』に戻す。
「む、何だその俺興味ありません、みたいな声は」
「だって実際に興味ないし」
対岸の火事とかそんな感じだな。外国で起きた殺人事件について話されている気分だ。
「興味ない事ないだろう。私たちが旅行に来ているここで事件が起きているんだぞ」
「そうは言ってもだな。俺たちがここに泊まるのは一泊二日だぞ? その短期間で通り魔に遭うわけねえよ。それにそういう人種は観光地を狙わずに人気のない路地を狙うっての」
観光地では、誰がいつ頃外を出歩くなどの情報が曖昧になる。何せ常に外からのお客さんが来ているからな。
そんな場所で犯罪をやるのはひどく難易度が高い。よって、俺たちは安全だ。
「静の言う通りだが……、それでも気になってしまうのは仕方がないだろう?」
「お前の気になるは心配するという意味じゃなくて、犯人を捕まえよう、という気になるだから仕方なくなどない」
前者ならまあ許容範囲だ。だが、後者は明らかに一般人が持つべき思考じゃない。
「む……、犯人を捕まえようとするのはそんなに悪い事だろうか」
「悪い事だとは言わないけど、現状の俺たちじゃ雲を掴むような話だと言っておく」
情報がゼロに等しいし、そもそも未だに捕まっていないのかどうかすら疑問だ。
「うぅ……」
俺が次々と突き付ける現実に薫が情けない声を上げる。ったく、少しは考えろっての。
「っつーことで、気にしても無駄! ほら、そろそろ戻るぞ」
話をピシャリと打ち切り、薫の手を引っ張って外に出る。
しかし、薫は納得がいかないのかぶすっとした顔で俺を見てくる。
「……そんなに気になるのか?」
コクリ、とうなずかれる。その目は大真面目な輝きを宿していた。
対照的に俺は頭痛に襲われる。こいつの悪癖がまた顔を出した。目の前、というより知ってしまった事件は放っておけない、という悪い癖が。
その上、情報も何もまるでないというのに突っ走ろうとする性格だ。放っておいたら一人で何やらかすか分かったもんじゃない。
「……はぁ、俺は夜にもう一度この辺を散歩するけど、一緒に来るか?」
「は……っ!? ああ。付き合ってもいいぞ」
唐突に話を変えた俺に薫が目をパチクリさせるが、すぐに意図を理解してうなずく。
「その時に見つからなかったら諦めろ。どうせ俺たちは明日には帰る予定なんだから」
まあ、帰るのは明日の夜だから厳密に言えばもう一回くらいはチャンスはあるのだが、黙っておく。自分の不利益になる事をしゃべる趣味はない。
「分かった! では、一緒に頑張ろう!」
散歩で何を頑張れと、とか思いつつ俺たちはバンガローへ戻った。
こういう旅先での定番はやはりバーベキュー。ジュウジュウと音を立てて焼ける肉と野菜の香りが食欲をそそる。
焼く係は俺と東也さん。冬月家では女性の権力が強いのだ。薫に逆らうのは別に大丈夫なのだが、玲子さんには逆らえない。あの無条件に平伏したくなるオーラは一体何なんだろう……。
「焼けた、っと。ほれ」
良い具合に焼けた串を持って薫に渡す。
「ありがとう。静も食べろ。美味しいぞ」
「食べてるって」
適当につまんでいるので特に空腹は感じない。
「ほら、この辺りの肉なんかは食べ頃なんじゃないか?」
しかし、薫はそれをやせ我慢と取ったらしく、俺の皿に肉とか野菜を乗せてくれる。ありがたいけど、串をひっくり返すのに一生懸命な俺の両手は塞がっている。
「仕方のない奴だな……ほら、口を開けろ」
「無理」
さすがにそれはやめてほしい。東也さんと玲子さんがすごく生温かい目で俺たちを見てるから。
「静、今夜お前のバンガローに行っていいか?」
「は? ぐぼっ!?」
いきなり突拍子もない事を言い出した薫に呆れた声を出した瞬間、口の中に肉が突っ込まれた。そしてすさまじい箸さばきで俺の口に野菜を放り込む。
詰め込み過ぎて息ができない。薫の手を必死に掴んで何とかやめてもらうようにアイコンタクト。今の俺はきっと涙目だ。
「もう腹いっぱいなのか? まったく、だらしない奴だな」
「もぐもぐもぐもぐ……はぁっ。お前が一気に詰め込み過ぎるから窒息しかけたんだよ!」
ヤバかった。血が全身に上手く行き渡らない感覚を味わったぞ。
「それはすまない事をした。それで、まだ食べられるのか?」
こいつ本当に悪いと思ってねえな。
ふつふつと沸き上がる殺意を堪え、今はまだ焼くのに専念しているからもう少し後で食べる、と言おうとしたところ、
「静くんはもう食べていいよ。ここからは僕がやるから」
東也さんがそんな声をかけてきた。
「え? いえ、そんなわけにはいきませんよ。東也さんこそ休んでください」
俺がやんわり断ろうとする。さすがに東也さん一人に任せて楽しようと思うほど、俺の神経は図太くできていない。
「いやいや、静くんは僕たちのお客様だよ。お客様に働かせっぱなしじゃ申し訳ないじゃないか」
「それはそうかもしれませんが……」
ぶっちゃけ、今さらな気もする。というかこの人たちに俺がお客さん扱いされるのが新鮮だ。
「それじゃあ……、薫の面倒を見てくれないかい?」
少し悩んだ風の東也さんがウインクしながら聞いてくる。そこまでして俺に休ませたいんですかあなたは。
「……そうですね。じゃあ、こいつの面倒は俺が見ますからあとをお願いします」
「うん、任された」
ニッコリうなずいた東也さんがバーベキューに専念し始め、その隣に玲子さんが寄り添うように手伝っていた。理想の夫婦だな。
「仲が良いな。父さんと母さんは」
「まったくだ。あんな親のもとに生まれたお前は幸せもんだろうよ」
「そうだな。感謝しよう」
うんうんとうなずき合い、俺たちはその場を後にした。
「夜の湖も綺麗だな……」
波一つ起こらない湖面に満月が映り、星々がアクセントとして散りばめられているその光景は実に美しい。湖を黒いキャンバスとして描かれた一枚の絵みたいだ。
「そうだな。それで、通り魔はどこだ?」
ロマンの欠片もない奴がキョロキョロと辺りを見回していた。というか俺の話聞いてないだろ。
「……お前なあ。今は旅行に来てんだぞ旅行。通り魔探す前に観光楽しめよ」
旅先で通り魔探しとか嫌過ぎる。何でそんな危険極まりない事をせねばならんのや。
「それはそうだが……どこにいるのか分からないんだぞ。気を張っていたっていいじゃないか」
「よくない。どうせこの辺にいるかどうかすら謎なんだ。それに人気もないし、足音で分かるって」
夜の湖は本当に綺麗なのに、人の気配がほとんどない。もったいない、と思うと同時にちょっとだけ嬉しくも思う。この景色を独占できるというのは存外に楽しいものだ。
「……そうだな。だけど、もし見つけたらお前も手伝うんだぞ」
「待て。どこからそんな話に飛んだ」
手伝うなんて一言も言ってないぞ。最大限に譲歩して夜の散歩に付き合うだけだ。
「お前が夜の散歩にいなかったら諦めろと言ったんじゃないか。これで見つからなかったら私も諦める。だからお前も協力しろ」
「理不尽過ぎないかその理論!?」
突っ込んでからため息を大きく吐く。どうしたものか……。
「……しゃあない。今夜だけだぞ」
この一言に言質を取れれば、明日は楽できる。そう考えての言葉だ。腹黒い? 頭が良いと言ってほしいね。
「言ってみるものだな。静はいつも私の我がままを聞いてくれる」
「我がまま言ってる自覚があるなら自重してほしいね。あと、貸し一つだからな」
嬉しそうな笑みを浮かべる薫に皮肉を返す。
「ああ。必ず返そう」
よし、言質取った。懐に隠し持ったテープレコーダーもバッチリ動いている。
「それならいい。んじゃ、探すぞ」
どんな無理難題をこいつに吹っかけようかウキウキしながら、やる気を出す。一度やると言った以上、真面目にやるのがポリシーだ。
「あ、おいっ! 引っ張るな!」
薫の手を引っ掴んで歩き出す。後ろが何やらうるさいが気にしない。
そんな感じに夜の湖のほとりを歩いていた俺たちは非常に仲睦まじく見えたそうだ。後日東也さんから写真とともに聞かされて愕然とした。というかどこからデバ亀していたんですかあなたは。
「…………」
初っ端からヤバそうな人に出くわした。
なんて言うか、顔がヤバい。明らかに目の焦点が合ってないし、表情も実に虚ろだ。以前暴走族との闘争でやり合った時に見かけた麻薬中毒者によく似ている。
「……あれ、怪しくないか?」
幸いというべきか、向こうはこちらに気付いていない。俺も薫も草むらに隠れて様子をうかがっていた。
「ああ。夜の湖で初めて会う人でもあるし……、何より雰囲気が危ないな」
薫の意見に俺も同意する。あれは近づいちゃいけない類の人だ。
水分補給のために買っておいた二リットルサイズのスポーツドリンクを飲む。五百ミリリットルのやつを複数買うより、二リットルを一本買った方が安いのだ。当然の事と言えばそれまでだけど、貧乏人にとっては結構便利な知恵だったりする。
「……ぷはっ。それでどうする? バカ正直に話しかけてみるか?」
あまりお勧めできない行動だ。もし問答無用で襲いかかられたりしたらシャレにならん。
「うーん……もう少し様子を見ておこう。あの人が犯人じゃなければそれに越した事はない」
薫はそう言うが、俺はほぼあの人が犯人だと確信している。何となくだが、犯罪をやる人っていうのは他の人とは違う雰囲気を出している。
……何でそんなのが分かってしまうんだろう。俺だって欲しくなかったよこんな特技。
自分の歩んできた波乱に満ちた人生にため息をついて、薫の方を見る。
「……何だよその手は」
「私にも飲み物をくれ。喉が渇いて仕方がない」
「ほらよ」
別段、断る理由もないので渡してやる。薫は豪快にグビグビと豪快に飲み干していく。
「って飲み干すなよ! あぁ……」
まだ結構あったのに……。明日までこれ一本で持たせる予定だったのに……。
「ん? 少しは残してあるぞ。ほら」
「本当に少しだな!」
底の方にほんのわずかだけ残っていた。これじゃ喉を湿らすことぐらいしかできないぞ。
「ったく……」
過ぎた事をゴチャゴチャ言うのは性に合わないので、腹の奥に怒りをためておく事にする。今度誰かにぶつけて発散しよう。
残ったドリンクを一気に飲み干し、口を閉める。相変わらず状況に変化はなし。あの中毒者っぽい人も至って普通に千鳥足で歩いている。
……千鳥足で歩いている時点で普通じゃないかもな。酒を飲んだ様子もないし。
「……なあ、このままじゃ俺たちが犯罪者だと間違われないか?」
今になって気付いた。この状況だけを第三者が見てどちらが怪しい? と聞かれたら間違いなく俺たちになる。
「……そうかもしれないな」
薫も同意見のようで額から冷や汗をかいている。そろそろこちら側がアクションを起こさないと非常にマズイ事になるかもしれない。
「よし、薫が話しかけてこい」
こいつの見た目なら男は警戒しないだろう。それに小柄な女なら狙いやすいと思ってくるかもしれない。うん、万全じゃないか。
「言っておくが、私に突進でもされたら成す術がないぞ。体格上、どうしても押されるのには弱い」
「それを差し引いてもお前が行くべきだっつってんだよ。そもそも言いだしっぺはお前だぞ」
ひそひそと草むらで言い争う俺たち。傍から見たら痴情のもつれとか思われてしまうのだろうか。不本意極まりない。
「否定できない……。分かった、行ってくる」
「よし、逝って来い」
「お前今違う言い回しをしなかったか?」
「気のせいだ」
しれっと言い切った俺に対し、薫がジト目を向けてくる。当然それも無視して薫の背中を押してやる。
「……ん?」
今までフラフラと歩いていた男が薫に気付いて胡乱な顔を向ける。見えるわけないと思うが、こちらも見られている気がして落ち着かない。
「こ、こんばんは……」
薫の方も何を言うべきか考えていなかったようで、しどろもどろに挨拶する。
「…………うるさい」
薫のあいさつに対し、男の方は淀んだ声を返してきた。本当に人間の出す声か疑うほどの暗い声だった。
「え?」
「うるさいってんだよぉ! どいつもこいつも俺の邪魔しやがって! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさぁい!!」
何だこいつ……、イカレてやがる。
今まで出会った事のないタイプの相手に俺も薫も思考が止まってしまう。
その瞬間を逃さず、男が懐からずいぶんと肉厚なナイフを取り出して、薫に突進した。
「……っ!」
男の叫びで体が硬直していた薫はそれをかろうじて避ける。しかし、ナイフは避けても男の大柄な体までは避け切れず、その華奢な体が宙に浮く。
その後ろにはまるで闇への口を開けているかのような冷たい湖がある。
助けようにも距離が離れ過ぎており、薫が湖に落ちるのは避けられない。ならば、
「薫っ!」
空のペットボトルを放り投げ、薫が落ちるであろう湖の着水地点近くに落とす。二リットルサイズのペットボトルだ。即席の浮き輪になるだろうし、沈んでも酸素を取り入れる事ができる。
投げた勢いをなくさないように草むらから飛び出し、状況が理解できないのかナイフを持ったまま棒立ちになっている男目がけて走り、
「吹っ飛べ!」
顎から脳天までぶち抜く勢いで拳を振り抜く。男の体は意外に軽く、俺の拳を起点にグルンッ、と縦回転して背中から地面に倒れた。
「意識は……よし、完全に落ちてるな」
男が気絶している事を確認してから、ポケットから携帯を取り出して警察に電話しようとする。その時、足首を冷たい何かが掴んだ。
「うおぁっ!?」
ビックリして、思わずそれを振り払うように足を動かしてしまう。その正体が何なのかはその直後に気付いた。
「静、助けてくれたのはありがたいが、その態度はないんじゃないか?」
全身びしょ濡れの薫が額に髪を貼り付かせたまま、湖から上がってきた。この光景だけを見られたらちょっとした幽霊騒ぎになるんじゃないかと思うくらいの格好だ。
「別に良いだろ。結局倒したのも俺になっちまったし」
薫がした事などこいつに話しかけただけだ。
「まあ、それはそうなんだが……。警察には?」
「今連絡しようとしたところ。俺がやっとくからお前はとりあえずこれを着ろ」
俺が着ていた上着を脱いで放り投げる。いくら夏とはいえ、夜は冷えると思って着ていたのが功を奏した。とりあえず今の薫は濡れた服がピッチリ張り付いているから目のやり場に困る。
「ああ、ありがとう」
薫が羽織って前のボタンを留めるのを見てから、俺は警察を呼ぶべく携帯のボタンを押し始めた。
「……厄日だった」
時間は飛んで翌日。俺は目の下にゲッソリと隈を作っていた。
理由は簡単。東也さんたちに色々と追及されていたからだ。
警察を呼んで男を突き出して、感謝されてバンガローに戻るまでは良かった。問題はそのあとだ。
少し遅くなってしまったのを心配した東也さんと玲子さんは外で俺たちの帰りを待っていた。そして見た。
濡れた体に俺の上着を引っ掛けた薫を。
それを見た東也さんたちはまず目を見開き、次の瞬間俺に『大丈夫。全部分かっているから』的な生温かい視線を向けてきたのだ。
すさまじくにこやかな表情で赤飯を炊く準備をし始めた東也さんたちに慌てて事情を説明したところ、何でそんな状況で襲わないんだ、と逆に説教される始末。あなた方は俺に何を期待しているんですか。
その説教が長引き、解放されたのは明け方だった。
「……すまない」
薫も薫でその状況でどうして色仕掛けしないんだ、という意味の分からない説教を受けていた。しかし、その全ての切っ掛けが元を正せばこいつにあるため、薫も素直に謝ってきた。
「別にいいって……。お前も似たような目に遭ってたんだし」
これでこいつが無罪放免なら嫌味の一つでも言ってやるところだが、すでに罰は受けている。俺はこいつに貸しを作れたし、もう別に怒ってはいない。
「それでは私の気が済まない。……今後一ヶ月は私が弁当を作ろう」
「よし、手を打った」
一ヶ月間の昼食が確保された。やったね、食費が浮いた。
「二人ともー! そろそろ帰るから車に乗ってー!」
駐車場にいる冬月夫妻が俺たちを呼ぶ。
「……帰るか」
「……そうだな」
あの人たちも俺たちの説教で明け方まで起きていたはずなのにどうしてあんなに元気なんだろう、とか思いながら俺たちは歩き出した。
俺の旅行は終わりを告げた。思い出は昼と夜の湖の美しさと、薫と一緒に巻き込まれた騒動だ。
……後者が八割を占めているがな。
静は何だかんだ言って薫には割と甘い傾向があります。言っても無駄だと分かっているからの諦めも入ってますが……。
そろそろ新しい作品の執筆にも入ろうと思います。ですので、こちらの進行は若干遅くなりそうです。