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番外編その一 バレンタインは俺にとって戦場だ

 皆さん、バレンタインデーというのをご存じだろうか。まあ、知らない人はいないと思うが形式上の礼儀として聞いてほしい。


 日本では勝ち組と負け組がはっきり分かれ、負け組は勝ち組に対して丑の刻参りをする毎年の恒例行事だ。


 アメリカでは男女問わず好きな人にチョコや花束などを渡して感謝の気持ちを表すらしい。そっちの方が製菓会社の陰謀とか絡まなさそうだから、健全な雰囲気がするように感じられる。


 少し話が長くなってしまったな。そして俺こと秋月静は――




「何でチョコ作ってんだろ俺……」




 薫に付き合わされてチョコを作っていた。


「そう言うな。お前だって甘い物は好きだろ?」


「そりゃ好きだけどさ。誘った側のお前が作らないのが納得いかない」


 ついでに言うと、俺にとって明日は確定した修羅場なので、早いところ逃げる準備をしないと命がヤバいのだが。


「仕方ないじゃないか。お前が作った方が美味しいんだから」


「否定はしないけど、立場が逆だと思うんだ」


 何で男が作って女に渡さにゃならんのや。外国ではそれもあり得るんだろうが、ここは日本だ。外国のルールを持ち込まないでほしい。例え俺の方がお菓子作りの技術があったとしても。


「……できた」


 それでも作ってしまう俺の体が恨めしい。ああ、明日は生き残れるのだろうか……。


「それじゃ、明日を楽しみにしてるからな」


 綺麗にラッピングまで施したチョコを楽しそうに見ながら、薫が俺に押し付けてくる。


「いや、今渡したっていいだろ。というか今受け取れ。俺の安全的に」


 学校で渡したら俺の死亡フラグが立つ。二百本くらいいっぺんに。


「だが断る。そういうのは当日に渡すものだ」


「じゃあ明日の朝早くにポストに入れておいてやる」


 最悪、夜中の0時になったら窓から放り込む事も辞さない覚悟だ。命には代えられないのだよ。


 ……つまり、それぐらいに明日は修羅場になる事が予想されているのだが。


 毎年思う。明日という日を無事に越えられますように、と。


「それも断る。明日の夕方ぐらいに渡してくれ。そうしてくれたら我が家で夕食をご馳走しよう」


「……仕方ない。放課後で良いな?」


「ああ」


 渋々ながらも引き受けてしまった。だって食費が……。


 覚えておこう。人生、命よりも金の方が大事な時もある。


 何か納得できない敗北感に包まれてその日は終わりを告げた。






 バレンタインデー当日。俺は作戦行動前の軍人の気持ちでその日を迎えた。


 まず目が覚めたらカーテンを閉じる。外からの奇襲を防ぐためだ。


 それから時間の確認。気が逸っていたのか、まだ六時前を指していた。


「よし、シャワーを浴びよう」


 今日という日を乗り切るべく、まずは気合を入れねば。


 まだ寒い冬の朝。冷水のシャワーを浴びて全身を引き締める。


 柄にもない精神論だが、今日の俺はそんな事にもすがりたくなるくらい切羽詰まっている。


 バレンタインデーというのは、俺にとっては一年のうちで最初の修羅場で最後の山場でもある。ここを越えてしまえばあとは楽なものだ。


 勝ち組と負け組がはっきり分かれ、そして俺は第三者から見たら勝ち組に属するらしい。何より厄介なのが、薫からのチョコを貰えるという事だ。


 薫からのチョコを狙う輩は多い。おそらく四ケタ超えるんじゃないかってくらい多い。


 しかし、あいつは何を思ったのか毎年俺にしかチョコを渡さない。そのおかげで俺がどれだけの修羅場をくぐっているのやら……。


 冷たいシャワーを浴びて萎縮し切った筋肉に喝を入れ、朝食の準備をする。


 昨日の残り物の大根と油揚げの味噌汁を温め、冷凍のご飯を温めて茶碗によそる。それだけでは寂しいので、ちょっと豪勢に豚バラ肉を焼いておかずにする。


 普段の朝食は軽めなのだが、今日は例外だ。力を付けないと……殺される。冗談抜きに。


 食卓に並べ、さあ食べようとした時、インターホンが鳴った。


 今何時だと思ってやがる。まだ七時だぞ。とにかく俺の朝食を邪魔した奴は許せん。


 誰がインターホンを鳴らしているのかなんて分かり切っているのだが、それゆえ余計に腹が立つ。一言言ってやらんと気が済まん。


「おはよう静。今日もいい朝だな」


「帰れ」


 問答無用でドアを閉めようとしたのだが、素早くドアの隙間に手を入れた薫がそれを邪魔する。こしゃくな。その指ごと閉めるぞ。


「ぐぐぐ……っ!」


 何という馬鹿力。指先だけで俺の全体重のかかった力と互角以上に渡り合うか。


「はぁっ! まったく、仮にも女の子である私にこんな仕打ちをするバカがあるか」


 結局押し切られてしまい、薫が中に入ってくる。


「安心しろ。大の男より力がある奴を俺は女とは認めん」


 そしてさも当然のように食卓に座ってマイ茶碗を持つんじゃない。


「それで、私の朝食はどこだ?」


「大概人の話を聞かないなお前も!」


 とはいえ、そんな態度にも慣れたもので俺は薫の茶碗に味噌汁とご飯を用意してやる。さすがに五年近くこの生活を送っていれば諦めもつくというものだ。


「この豚肉は?」


「俺のだからな。食うなよ」


 それでも人の話を聞かずに箸を伸ばしてくる薫から皿ごと遠ざけて死守する。力を付けないとヤバいんだよ俺は。


「ケチ」


「ケチで結構」


 ふてくされたように唇をとがらせている薫を無視して食事を始める。味噌汁を口に入れ、ご飯を咀嚼する。


「……豚肉」


「…………分かったよ。やるからそんな目で見るな。メシが不味くなる」


 重い雰囲気での食事よりはおかずを減らして楽しい雰囲気で食べた方がまだマシだ。俺の精神的に。


「本当かっ!? ありがとう!」


「……理不尽だ」


 さっきまで涙目で見ていたのはどこのどいつだ。


 にこやかに、かつすごい勢いで豚肉を口に運ぶ薫を見て、俺も負けてられんと食事を再開した。






「さて、学校に行くか。そろそろいい時間だし」


「いってらっしゃい」


 俺はソファーに寝っ転がりながら薫に手を振った。


「ストップだ。なぜ行く支度をしない」


「いや、だって俺今日学校休む予定だし」


 今日のあそこは戦場だ。そんな場所に自分から足を踏み入れる趣味はない。


「はぁ……、どうしてお前はこの日になると急に行きたがらなくなるんだ? 私には不思議で仕方ない」


「分かってて言ってるなお前」


 薫親衛隊は俺が薫の近くにいる時は基本的に手を出さない。だが、それもこの日だけは例外だ。


「まあ、半分ぐらいはな。私は世話になった相手にしかチョコを贈るつもりはないので、諦めてもらえると嬉しいんだが……」


 こいつは鈍感鈍感言われているが、さすがに好きとストレートに告白されれば好意には気付く。そして薫が告白された回数はすでに三ケタを越えている。


 ……その全てが女子というあたり、男という生物がいかに根っこの方でヘタレなのかよく分かる構図だと思う。げに恐ろしきは女の行動力か。


 とにかく、薫は自分の視点で世話になったと思う奴にしかチョコを渡さない。ある意味ではバレンタインを一番よく理解していると言っても過言ではないと思う。


「いや、俺以外にもお世話になった人とかいるだろ?」


「まずは父さんと母さん。この二人は確定だ」


「うんうん」


 その辺は普通だと思う。俺だって色々と世話になっているし、今度何か贈り物をする予定だ。


「そして静。お前には昔から何度もフォローしてもらっているしな」


「いや、あれはフォローしないと俺も死ぬからなんだけど……」


 暴走族に囲まれた状態で戦えと言われればさすがにこいつの援護はする。というかしないと死ぬ。


「他の人はな……思いつかないんだ」


「だからそれが何でだよ。世話になったクラスメイトとか、先生とかいないのか?」


「お前、私の成績とかは知ってるだろう。それに忘れ物とかほとんどしないぞ」


 知ってるよチクショウ。だけど校内トップのくせに、後先考えないその性根は間違いなくバカの類だよ。


 それにこいつは基本的に自分の事は自分でする。薫の世話を焼きたくてたまらない連中からすればたまったもんじゃないだろうが、自分に割り振られた仕事は自分でやる、という薫の持論は俺も賛成している。


「はぁ……。行くよ。行きゃいいんだろ。だから俺の体を持ち上げようとするな。普通に持ち上がりそうで怖い」


 渋々起き上がって制服を取り出す。内側にポケットを複数作って、中には色々な物を入れている。特に胸ポケットに仕込んだ薄い鉄板は俺の命を何度も救ってくれた。


「…………」


 無言で目線を送り、出てけと言ってみる。きちんと理解したのか、薫も素直にうなずいて玄関まで下がってくれた。


 これと言って特徴のないブレザーに袖を通し、カバンを持つ。教科書など向こうに全部置きっぱなしだ。ノートは全教科入れているため、問題なし。


「ほれ、行くぞ」


「そうだな。まだ時間もあるし、ゆっくり行こう」


「……やっぱり帰って寝る」


「待て。ここまで来たんだから諦めろ」


「まだウチの前だ! それに嫌なんだよこの日は!」


 なんか空気が怖い。嫌な感じに淀んでいる。


「往生際の悪い奴だな……。諦めて、登校しろ!」


 駄々をこねる俺を薫が首根っこ掴んで引きずり始める。


「く、首が……! 閉まる……」


 襟はやめてほしい。冗談抜きに閉まってるから。酸素が脳に行き渡らないで意識がぼんやりしてきた。あ、視界が……。


「…………」


 俺の首がコテン、と倒れ動かなくなる。薫はそれに気付かず楽しそうに俺の体を引きずっていった。






「着いたぞ。……静?」


「……生きてる」


 我ながら呆れんばかりの生命力だ。お花畑はしっかり見えたんだけどなあ……。


「……ゲッ、もう学校着いたのか!?」


 くっ、意識を失っている間にここまで来てしまったか。


「ああ。さすがに目の前まで来れば逃げないだろうと思ってな」


「お前の考えは甘い」


 校門から背を向けて全力ダッシュの姿勢に入ったのだが、薫に服の裏を掴まれて急停止。


「いい加減諦めろ。ほら、先生方も見てるぞ」


「ああ。殺意のこもった目で俺を見てるな」


 超憎々しげに俺を睨んでいる。視線に物理的攻撃力があったら、俺なんて滅殺されているだろう。


 そして先生に目を付けられてしまった以上、もう帰れそうにない。


「はぁ……」


 生きて帰れますように、と信じてもいない神様に祈ってから俺は校内に足を踏み入れた。


 まず下駄箱には金属部分に触れたら感電する仕掛けが施されていた。高校生が仕掛ける罠のレベルだろうか、と首をかしげながらもゴム手袋装着でそこをクリアする。


「スタンガン仕様か……」


 しかも電力最大。心臓が悪い人が受けたらショック死するぞ。


 罠自体はクリアしたので、スタンガンを取り外して電力を下げてからポケットに入れておく。武器ゲット。


『…………チッ』


 何やら舌打ちがそこかしこから聞こえた気もするが、スルーしておこう。この程度、毎年の事だ。






 黙々と机に向かってノートを取る生徒たち。俺もその中に混じってノートを取るふりをしながら、俺を狙う輩を見定めようとする。


 何やら向こうにも暗黙のルールがあるらしく、授業中にはそれほど目立った行動は取ってこない。その代わり、休み時間になったら怒涛のラッシュを仕掛けてくるのだが。


 チラリと時計を見て、チャイムが鳴る時まであとどのくらいかを大雑把に確認し、再び前を見る。


 すでに授業自体は佳境に差しかかっている。昼休みの修羅場もスタンガンを駆使してクリアしてみせた。具体的には廊下を水で濡らしてそこに入った連中に問答無用でスタンガン使用。


 男子は直情的に突っ込んでくるため扱いやすいのだが、女子は非常にやりづらい。あいつら俺の横を通り過ぎる直前に包丁突き出してきたりしてくるから。普通に。


 手段の選ばなさっぷりでは男子は女子に勝てないと思う。女子のこう言う時の陰険さは俺が身を持って体験している。


 きーんこーんかーんこーん……。


「さらばっ!」


 授業終了のチャイムが鳴ると同時に席を立って走り、ドアを開けて廊下に飛び出す。


『逃がすかぁッ!』


 それに追従するかのようにクラスメイトが一斉に席を立って俺を追いかけようとする。


 廊下を走りながら、とりあえず逃げ切る算段を立てようとする。今やこの校内に俺の味方はいない。会う人全員が敵だと思え。


『A組は東から回り込め! B組は下で待ち伏せ! C、Dは追いかけるぞ!』


『了解!』


 非常に安心できないセリフが後ろで聞こえた。どうも連携が上手いと思ったら無線機で連絡を取り合っていたのか。奴らもマジだな。


「ってか、逃げられる場所が上しかねえよ……!」


 どう考えても追い込まれているのは明らかだが、今の鬼気迫るあいつらを相手にするのは分が悪い。


 階段を二段飛ばしで駆け上がり、五階の屋上までノンストップで到着する。


 屋上のドアを飛び付くように開けて、後ろ手に閉めて鍵をかける。ここまでやっても時間稼ぎにしかならない。外から壁を登ってくる連中や、鍵をピッキングしようとする連中がいるからだ。


 だが、そんな心配はどうやら杞憂のようだった。


「薫……? お前、どうしてここにいるんだよ」


「あそこまで上手い連携を取られてはいかにお前といえどここに来るしかないと思ってな。待ち伏せさせてもらった」


「……まだ授業はあるぞ」


 もうすぐ六時間目が始まる時刻だ。さすがに戻る気にはなれないが。


「お前が贈り物をしてくれるめでたい日だ。一時間くらい早く帰ったってバチは当たらないさ」


 どこがめでたいんだよ。俺が今日一日でどんだけ命すり減らしたと思ってる。というか早退する気満々か。


 そして何で贈り物をされるとめでたいのか真剣に謎だ。


 よく見ると、薫の手には俺のカバンとあいつ自身のカバンがあった。本気で帰るつもりらしい。


「ほら、これで私たちにとってはもう放課後だ。チョコをくれないか?」


「……別にいいけど」


 薫の手から俺のカバンを受け取って、チョコを取り出す。形は星形など様々だ。ハート? そんなもんねえよ。


「ほら」


 こいつが俺のカバン持っていたんだから自分で取り出せばよかったじゃないか、とか思いもしたが黙っておく事にした。様式美というやつだろう。


「ん、いつもありがとう静。ほら、私のだ」


「どこにあるんだよ」


 私のだ、と言われても薫の手元にチョコはない。まさかバカには見えないチョコとかじゃないだろうな?


「いいから口を開けろ」


「は? もがっ!?」


 変な事を言い出したため、呆気に取られてポカンと開けた口に褐色の物体が押し込まれる。


 固形物のようだが、舌の上でトロリと溶けて深い甘みを残していく。


「……美味い」


 それはチョコだった。薫からのチョコは年に一回しか食えないため、食い慣れた自分の味付けよりも新鮮に感じられる。


「それはよかった。頑張った甲斐があったよ」


 俺の評価を聞いて薫がふんわりとほほ笑む。それを見た俺はドッと疲れが押し寄せてくるのを感じ、肩を落とす。この笑顔のためだけに強いられた苦労を考えると果てしなく割に合わない。


「……帰るか」


 もはや何もかもどうでもよくなってきた。とりあえず家帰って寝たい。


「そうだな」


 俺の隣に並んだ薫が嬉しそうに笑いながら見上げてくる。別に俺は嬉しくも何ともないので普段通りの表情で歩き出した。


 ……生きてこの日を乗り越えられただけ、良しとしよう。

さっそく番外編の投稿です。時期は高校二年ぐらいです。

番外編は時系列が飛んだり、異世界でのお話も入りますが、タイトルで分かるようにしたり、文章中で明言するようにします。


今後ともこの二人をよろしくお願いします。

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