三十八話
「よっ……と」
手頃な木に登り、それなりの高さまで行ってから枝に座る。空に満月が見えてきた。
「メイ、もういいぞ」
「ほほ、良い月じゃ」
ゴスロリチックな服を着たメイが俺の肩に座る。
その見ているだけで癒される姿に少しだけ目尻を下げ、いくつか持ってきた料理と酒を取り出す。
「ここからなら月が見えるな。星はさすがにちょっとしか見えないけど」
木の上まで登ったのは月が見たかったからだ。地面にいたんじゃ日の光すらさえぎってしまうので、月の光なんて絶対に見られない。
「まっ、木々の隙間から見える月を肴にするってのも乙なもんだ」
そう言って、酒を一口あおる。心なしか、さっきより美味しく感じる。月だけでも美味い酒は飲める、という事か。
「風流が分かるではないか、主」
メイが面白そうな顔をしてこちらを見る。
「言ってるだろ? 俺は騒がしいより静かな方が良いって。だからこういう空間の方が俺の好みってこと」
別に騒がしいのが嫌いってわけじゃない。ただ、最後の尻拭いがいつも俺に来てしまうので敬遠したいだけだ。
「それより、メイは飲まないのか? お前の分も想定して結構多めに持って来たんだけど」
メイはちっこいので、それでも大した量ではないが。
「そうじゃな……妾は食事を特に必要としないんじゃが……。必要ないだけで、食えないわけではないしのう。主の相伴に預かるとしよう」
そう来ると思って用意しておいたおちょこのように小さなコップに酒を注ぐ。メイが両手でそれを持ち、一生懸命飲み干す。
「……ふぅ、確かにこれはずいぶんと度の強い酒じゃのう」
「その割には酔った気配がまったくしないなお前」
俺だって結構酔ってる方なんだけど。明日は軽度の二日酔いになるだろうな。
「妾を誰だと思っておる? 精霊が酔うなんて事あるわけなかろう」
「……それもそうだな」
そう言われてしまうと納得せざるを得ない。細かい理論なんてどうせ分からないのだから、酔わない、という事実だけ知っておけばいい。
「それにしても……主は酔わないのか? まだ未成年じゃろう?」
「昔っから何度か飲む機会はあってね。その時に飲んだ経験はある。それに酔ってないわけじゃないぞ」
頭はボーっとするし、体もふわふわして自分の体じゃないみたいな気分がする。
「そうなのかえ? 顔も赤らんでおらんし、どう見ても普通の状態なのじゃが……」
「顔に出にくいんだよ」
そのため、いくら俺が飲んだと言っても信じてもらえない。そして最後には暴れ始める薫たちを止めるために奔走するためになるのだ。
「…………」
「…………」
お互いに無言で杯を交わし合う。メイは体が小さいので何かを食べるにも全身を使う必要があるのだが、俺は助けなかった。一生懸命体を動かして料理をつまむメイに癒されていたから。
「……どうした主?」
ふと、メイが料理を食べる手を止めてこちらを見てきた。
「……ちょっとな」
こうして静かな空間に、そしてそれを壊さない奴と一緒にいると前いた世界の事を思い出してしまう。
「……寂しいのか?」
「それはない」
メイの気遣うような言葉に即答する。誰が好き好んであんな日常的に命の危険を感じる場所に戻らにゃいかんのや。
……いや、それを言えばこの世界でも大して変わらないけど。さらに周りの仲間が俺の色々と大切なものを脅かしているという素敵な状態だ。
「……俺の居場所は存在するのか?」
平穏に過ごせる場所とか、カイトみたいなやつがいない場所とか。
「さあのう……この世界を隅々まで見れば一つくらいは見つかるかもしれんぞ」
「それ明らかに秘境レベルだよね!?」
そんなところをどうやって探せと。そもそも見つかるかどうかも分からないし。
「……はぁ、こうなると故郷が恋しくなるな」
満月には故郷を思い出させる効果でもあるのかもしれない。
「恋しいのか?」
「ああ。一応、帰る場所はあったし、バカやる友達も少しくらいはいた」
本当に少しだけど。大半は薫と一緒にいる俺を目の敵にしてた。
特に帰る場所があるってのは大きい。今の俺は根なし草。いつ死ぬとも知れぬ道中。
「帰る場所か……フィアたちはそういうのを持っておるからな」
カイトはどうか知らないが、フィアはカシャル王国の王女だ。魔王を討伐した時には彼女とも別れる時が来るだろう。
「その点で言えば薫もそうなんだが……あいつはタフだから、これくらいの状況じゃへこたれない」
タフというより、外界の変化に鈍感なだけと言った方が正確な気がする。
「薫か……あ奴は勇者らしいからのう。きっと周りの人の信頼も得ているじゃろう」
「だが、帰る場所は得られない」
勇者だから。人間たちを襲っている危機を取り除くまであいつに安息は許されない。
……勝手なものだ。何の了解も取らずに俺たちを呼び寄せておきながら、自分たちの全責任をかぶせるなんて。
それに正直理解ができない。いくら伝承とかで謳われる勇者であるとはいえ、ポッと出の奴に自分の命運を託すか普通?
「そう考えると、ここの連中って身勝手だよな……」
「そうじゃの。自分たちにできる事を何もせず、ただ誰かに責任を押し付ける……。人間として正しい姿だとは思えんの」
メイも俺の言葉に賛同する。
「正直、ここの人たちは未だに好きになれない。もちろん、例外もいるけど」
フィアやカイトは仲間だと思っているし、旅の途中で関わった人たちも良い人だと思っている。
「……では、主は何のために戦うのじゃ? 仲間のため、なんて偽善は聞かんぞ。主はそれでも自分の責任は自分で取れと言うはずじゃ」
「……正解だ」
友人だからこそ、彼らには仲間に依存するなんて事をしてほしくないと思う。
「後、平穏のため、という理由も却下じゃ。どうせ叶わぬ願いなのは主が一番よくわかっておろう?」
「…………………………正解だ」
「さっきよりも答えるまでの時間が長かったのう」
「うるさい! 分かってる事を言うなチクショウ!」
メイが俺の事をこの上なく理解していた。嬉しいはずなのに、嬉しくない。
「では、言ってみよ」
「ったく、上から目線で言いやがって……分かったよ。答えるからそんな目で見るな」
メイの姿で涙目上目遣いとか、すっごい罪悪感に襲われるから。
でもなあ……これ、恥ずかしいんだよなあ……。
「……誰にも言うなよ」
「ほほ、そもそも妾の姿を見た事のある輩は主を除けばフィアぐらいじゃろう?」
「それもそうか。一度しか言わないからな。よく聞け……やっぱり聞くな」
自分の恥ずかしい言葉をよく聞け、とか正気の沙汰じゃない。小声で素早く、そして一回だけ言ってしまおう。
「どっちなんじゃ?」
メイが俺とのやり取りで磨き抜かれた突っ込みスキルを使って突っ込んでくるが、スルーする。
「……あのバカのためだよ」
言ってから顔が火で焙られているように熱くなる。メイは顔をキョトンとさせて、何を言われたのか理解できない様子。
「…………くっくくく、あっはははははは! よもや女のためとは思わなかったぞ!」
「やかましい! だから恥ずかしいっつったんだよ!」
「うん? 妾は聞いてないぞ?」
そうだった。心の中でしか言ってない気がする。
「と、とにかく! 二度は言わねえぞ!」
「一度で充分じゃ。……しかし意外じゃのう。主が誰かのために戦うとは」
そういうわけでは断じてない。
「違う……はず」
「自信がないのう」
いちいち入ってくるメイの茶々がウザ過ぎる。しかしあながち外れてないから反論もできない。
現在の行動指針は薫のミスの尻拭いだ。そのために俺たちはこうして北の地方を旅している。
薫に命を助けてもらったから、受けた恩は返すという理由ももちろん存在する。特にあいつに借りを作ったままにしておくと絶対ロクな事にならない。
……やっぱ、それが自然だって思ってしまう俺が悪いんだろうな。薫のミスを俺がフォローするのが当然であると体が覚えてしまっている。
というか、あいつのミスは即座にフォローしないと俺にまで被害が来る素敵なものだったから、っていう理由もあるけど。
「……お主ら、相当深いところで繋がっておるのう……」
それを伝えた際のメイの一言。不本意この上ない。
「冗談じゃねえ」
冗談ではないだけで、否定はできない自分が恨めしい。いつもあいつのピンチには俺がいるし、俺のピンチにはあいつがいる。
……こうして考えてみると、本当に俺と薫は常に一緒にいるな。薫が好きな奴から疎まれても仕方のない事かもしれない。
「それでお主、結婚はいつじゃ?」
「次言ったらブン投げる」
地平線の彼方まで吹っ飛ばす勢いで投げる。
「しかしのう……心の奥底で繋がっておるなど、よほどの夫婦でもないぞ? お主とて、彼女の事を少なからず想っておるのではないか?」
「はっ、それはない」
俺に厄介事を運んできた回数で堂々のトップを取り続けている奴をどうして好きにならねばならん。
「鼻で笑いおった!?」
「だって薫だぞ? あいつ、俺に厄介事しか運んでこねえんだぞ? 確かに助けてもらう事もあるさ。だが、それだってそもそもの元凶はあいつである可能性六割以上だぞ?」
ライクの好きなら一万歩譲って許容ラインだ。むしろそれぐらいは思ってなければとっくの昔に見捨てている。
けど、間違ってもラブはない。どのくらいあり得ないかって、何もせずにゴロゴロと引きこもっていた奴が総理大臣になるくらいあり得ない。
「そ、そんなに嫌なのか……」
「そりゃ世界中に俺と薫しかいなかったら考えるよ? しかし、世界には大勢の人がいるんだ。その中で薫とくっつくなんて……想像するだけでも鳥肌が立つ」
「それはそれで女性に対して失礼な発言じゃな……」
メイの発言を無視して酒をあおる。ったく、何でこんな楽しい時にあいつの事など思い出さねばならんのや。
「……とにかく、事情はどうあれ俺はこの戦いに入ると選んだ。誰でもない、俺が選んだ。だから最後まで腹くくらせてもらう」
薫と同じ道を歩みたくない一心であいつから離れたのだが……。結局、薫と同じ道を歩く羽目になってしまった。
人生、ままならないものだとつくづく思う。俺の予想をことごとく裏切った結果がこれだ。
いつの間にやら魔王軍には名が売れているし、その魔王軍とも逃走ではなく対立の道を選んでしまった。
「主、案ずるな。どのような時でも妾がいる限り、主に負けはない。主の糸繰りは妾が見た中でも最上の部類じゃ」
「ないよ。それはない」
半人前も良いところの技術だぞ? しかもあれで俺の才能の限界。自分の無才が嫌になる。同時に薫のチートな才能がすごく妬ましくなる。
「とにかく、主が一番妾を上手に使いこなしておる、という事じゃ。自信を持て」
「無理」
自信なんて持たない方が良いって。自信過剰で死んでいく奴とか、結構いるから。というかそういう振る舞いをした瞬間死亡フラグ立つって。
「……妾はいらないのか?」
ぞんざいに扱い過ぎたのか、不安そうなメイが涙目で見上げてくる。
「いるって。お前は俺に絶対必要だ」
命を守る武器にして俺に襲いかかるストレスと戦う武器。それがあなた。
「絶対!? そ、それは本当か!?」
「ああ。正直、お前がいない生活は三日で死ねる自信がある」
まず胃が壊れる。次に精神が壊れる。最後に肉体が死ぬ。メイがいなければその三重苦が待っているのは想像に難くない。
「う、うむ! これからも頼りにするのじゃぞ!」
その姿が見られるだけでも頼りにしています。
などと会話をしながらダラダラと酒を飲む。メイはフィアたちのように酔わないから、いつも通りの会話を楽しめた。
「……あれ、何に見える?」
黄色く真ん丸な月に一点の黒点が現れる。そしてそれは徐々に大きくなっていき、輪郭を整えていった。
「鳥のように見えるぞ。……さて、妾はそろそろ戻るとするかのう」
「あっ!? テメッ、汚ねえぞ!」
そそくさと俺の中に消えたメイに文句を言いつつ、俺はこちらに向かってきている何かを特定しようと目を凝らす。
「……メイの言う通りか!」
確かにそれは鳥だった。超巨大であるという点さえ除けば普通の鳥だろうな。
「う、おおおおおおぉぉぉぉぉっ!?」
潰される。
本能で理解した俺は糸を使って木から木へと飛び移る。今は少しでも離れないと死ぬ……!
背中の方から凄まじい勢いの風が叩きつけられる。鳥の羽ばたきの音が聞こえるため、地面に着地しようとしている音だと推測。
「うわあああああああぁぁぁっ!!」
そして木の葉のように風に舞う俺。視界の隅で巨大鳥が地面に降りるのが見え、そこで後頭部に衝撃を受けてしまう。
「あ――?」
ぐるりと視界が上を向く中、一瞬だけ木が見えた。それに頭をぶつけたな、と思いながら俺の意識は驚くほどあっさり落ちた。
今回は難産でした……アンサズです。
静もああ見えて自分で選んだ事だと判断した事にはミスをしても言い訳しません。それ以外は逃げまくりますが。