三十二話
「……生きてるか?」
「ギリギリな」
そうかい、と言って俺は後ろに体重をかける。
「重いぞ静。あまり体重をかけるな」
俺の背もたれ代わりになっていた薫が文句を言って、俺に体重をかけてくる。
「テメェが軽過ぎんだよ。もっと太れ」
たまに、本っ当にたまに心配になる。こんな細くて大丈夫なのだろうか、とか。後、この細腕からどうやってあんな馬鹿力が出るのかも気になる。
「む、それは女の子である私に対して言って良い事じゃないな」
一応、女としての矜持を持ち合わせているのかムッとした声が後ろから返ってきた。
「あいにく、俺はお前を女として見た事はない。だから安心しろ。丸々太ったってなにも言わない」
たぶん。さすがに度が過ぎていたら何とかしようと思うはず。太った勇者とか、見たくない。
「ははっ、ある意味では告白のようにも聞こえるな。私のどんな姿にも頓着せず、幼馴染を続けてくれるというのだから」
薫が何やらトンデモ理論を展開していた。キサマに告白だと?
「あり得ねえっての」
そりゃ確かにこいつは美人だよ。性格だって勇者になれるくらいだから悪くない。
ただ、勇者だからこそ見ず知らずの人のために危険に足を突っ込んでしまうから、平穏からは程遠い人生になりそうだ。というわけで俺は願い下げ。
「それにしても……何とかなるもんだな」
「まったくだ。私だってあの数を相手にすると聞いた時は冷や汗をかいたぞ」
お互いに乾いた笑い声を上げながら周囲を見る。そこには魔物の死骸が地面を埋め尽くしていた。
あの後、俺たちはせん滅戦を戦い抜いた。自分でも途中から記憶が抜けるほどの凄惨な戦いだったらしい。伝聞形なのは覚えてないから。
なんにせよ、俺はこの戦いを生き残った。それさえ分かっていれば充分だ。
「んで、お前は大丈夫なのか?」
「かすり傷だけだ。そう言うお前は?」
「無傷」
薫の支援に回っていたし、ヤバい時はカイトを盾にしたので、攻撃にさらされた回数は薫より少ない。
「それはよかった。……ところで、静の近くに這い寄っている奴がいるんだが、」
「死ね」
気絶したふりをして俺に近寄ってきたカイトの後頭部を全力で踏み抜く。
「あぐっ!」
普段なら恍惚とした表情で受けるのだが、さすがに疲れているらしく気絶してくれた。ありがたい。
悪を滅して一安心していると、見慣れた青髪の少女がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「静さん、生きてます……か……」
何やら言葉の途中でパクパクと口を開け閉め。何やってんだ?
「あ、あの……」
「おお、どうしたんだよ?」
顔真っ赤だぞ。
「ご、ごめんなさい!」
「はぁ?」
わけが分からん。いきなり謝られても困る。
「そ、その、私は何も見てませんから! ど、どうぞご存分に!」
「何をだよ」
存分に何をしろと。魔物との戦いはもう一生分やったから飽き飽きだ。
「あ、あうぅ……」
これ以上ないというほど顔を赤くしたフィアがうめき声を上げてうつむいてしまう。赤くなった耳が可愛らしい。
よし、俺も考えてみよう。現在、俺は薫と背中合わせに座っている。ついでに手も薫と重ねている。座っている場所は魔物の屍の上。
……もしかして。
顔が引きつっていく。これは……はた目から見たら、すごく仲睦まじそうに見えるのでは?
「……フィア。今の俺たちってどう見える?」
「せ、戦場で逢瀬を交わす……恋人みたいに見えます。はっきり言って絵になります」
「…………」
俺は無言で手をどかし、立ち上がろうとする。だが、薫がそれを阻む。
「なぜに俺の手を掴む!?」
薫の思考がまったく読めない。まさかこいつが俺を好いている?
いやいやいやいや、二百パーセントあり得ないって。友人としての好き、ならあり得るかもしれないけど、異性として好きはあり得ん!
……待てよ? どっかおかしくないか?
頭を冷やして薫を見つめ直す。
「私をそんな目で見ないでくれ……体が火照ってしょうがない」
そう、これがおかしい。性格の例えが勇者であるこいつは貞操観念が非常にしっかりしている。要するに結婚するまでそういう事はなし、と言っちゃうような奴だ。
そんな奴が結婚もしていない奴に潤んだ瞳を見せ、誘うかのようにしなを作るなどあり得ないなんてもんじゃない。悪夢のレベルだ。
「ま、まさか! 二人はこのまま勢いに任せて一夜の過ちを!?」
フィア、手で顔を隠すな。しかも目はバッチリ見えてるし。
…………ん? 勢い?
「ってそうか、生殖本能か……」
ようやくこの状況を理解した。要するにこいつらは命の危険にさらされていたから、己の血を残そうという人間の本能が働いているんだ。分かりやすく言えば気が昂ぶっている状態。
俺? 俺はゼロってわけじゃないが、薫ほどひどくはない。きっと前に出ているか後ろにいたかの違いだろう。あと、戦いの記憶がおぼろげにしか残っていないのも効果があると思う。
「静……」
薫がこちらに驚くほど艶っぽい笑みを向け、ゆっくりと顔を寄せてくる。
ううむ、まさか貞操観念の固い薫でもこれほどの状態になるのか。人間の本能恐るべし。
「まあ、注意力が散漫になってくれて助かるけど」
とはいえ、素直に襲われてやるほど俺は優しい性格をしていない。
「あ……」
首に巻き付けておいた絹糸を引っ張り、頸動脈を圧迫して意識を落とす。普段の薫なら絶対に気付くのだが、さすがに発情状態では気付けないようだ。
「さて、宿に戻るかね。いい加減疲れた」
泥のように眠れるどころか二十四時間寝てしまいそうだ。魔物の死骸のベッドに寝ている薫の体を掴み、肩を支える。
「い……っ!?」
俺に体を預けた薫から女特有の甘い香りがして、心臓の鼓動が飛び跳ねる。何より薫が身近にいるだけで鼓動が上がる自分にビックリする。
「まさか……俺が薫を異性として見るなんて……!」
俺も気が昂ぶっている以上、一時の気の迷いだと断言できるのだが、一瞬でも薫にそういう感情を抱いてしまったのが妙な喪失感を味わわせてくる。
しかし、この喪失感が俺の性欲を綺麗さっぱり消し去ってくれた。本能に打ち勝つ喪失感って何だよ……。
顔に熱を持ったまま薫を運ぶ。その途中、何かに足を掴まれる。その方向に目を向けるとカイトがいた。全身が魔物の体液などにまみれていて非常に目の毒だ。気持ち悪いという意味で。
「静……僕も体が火照って――」
「じゃあ冷やしてやるよ。《水よ 押し流せ》」
最後まで言わせず、文字通り冷やしてやる。同時にカイトの体を遠くへ運ばせる。くるくると洗濯機に入った服のように回りながらどこかへ去っていった。あいつの事だから五分もしたら戻ってくるだろう。
「んで、フィアは何ともないよな?」
「あ、傷は負ってませんよ」
気が昂ぶっているかどうか聞いたのだが、見当違いの答えが返ってきた。まあ、フィアは戦闘狂だからな。戦っている間は気が昂ぶるのかもしれない。
……このまま成長すれば傾国の美女と呼ばれてもおかしくないくらいなのに、異常性癖持ちとか……思わずフィアの将来を心配してしまう。
「キースとリーゼは?」
「キースさんは下で治療を受けてました。リーゼさんは負傷者の看護に回ってます」
「治療? あいつ怪我でも負ったのか?」
あの戦いの中では、かすり傷こそ目立ったが治療が必要なほどではなかったはずだ。
「治療と言っても簡単なものです。今はぐっすり休んでますよ」
「……そうかい」
俺たちが必死の思いで戦っていたというのに、あいつは寝ていたのかよ。戦線から下がれとは言ったが、寝てもいいとは誰も言ってないぞ。
「俺たちも休もうぜ。ギルドで報酬を受け取るのは明日だ」
「賛成です。カイトさんは?」
「水泳を堪能中だとよ」
水泳させたのは俺だけど。
「そうですか。では行きましょう」
フィアは俺の言葉に一切頓着しなかった。何か負けた気がする。例えるなら渾身のギャグが滑った時の気分。
「……そういや、薫どうする?」
こいつは確か外から来たばかりだから入国手続きをしていない。当然、宿も取ってない。
「リーゼさんに預けましょう。あの人なら王族ですから中央議会の方々が勝手に部屋を用意してくれるはずです」
「それもそうか。フィア、頼んだ」
薫の体をフィアに差し出す。
「え? 静さんが運ぶんじゃないんですか?」
「リーゼの前でそんな事してみろ。八つ裂きだぞ」
やましい事は何一つないのだが、この状態は非常にマズイと言える。密着度が半端じゃない。
そしてリーゼは俺の事を憎くて仕方ない人間だと認識している。そんな人間が薫と一緒にいる、あまつさえ体を密着。
逆鱗に触れるなんて生易しいもので済まない事は想像に難くない。特にヤンデレは思考が読めないから怖い。ヤンデレに襲われた経験は結構多いが、そのどれもがトンデモ理論を展開していた。何度聞いてもあっけに取られてしまう。
「……それもそうですね」
しかし、納得されるのもそれはそれでやるせないものがある。そしてフィア、俺に憐れむような目を向けるのはやめてくれないか? お前も俺の胃痛原因トップファイブに入っているから。
フィアに薫を預け、リーゼを探す。幸い、輝くような金髪を背中まで伸ばしたリーゼはすぐに見つかった。薫の体をフィアが持っているのを見て心から安堵した顔をしていたのがムカついた。
身も心もフラフラになって宿に戻る。早く寝たい……。
「んじゃ、また明日な」
もう今日は起きる予定はない。あっても寝る。
「お休みなさい、静さん」
フィアは丁寧に礼をして自分の部屋に戻る。俺も一人用の部屋に戻り、ベッドにダイブする。
「うあっ! 乱暴ですよ、静!」
ピシリ、と俺の体が石化した。この熱意あふれる声は……、
「やはり静も僕が恋しかったんですね! さあ、僕と一緒に――」
誰もがご存じ変態、カイトだった。
「死にさらせえええええええええええぇぇぇぇぇぇっっ!!」
全力の拳を鳩尾の部分に打ち込む。げふっ、とか空気の抜けるような声がしたが、無視して連打する。
しばらくすると、シーツ越しの体がピクリとも動かなくなっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
思わず力が入って荒れてしまった息を整え、ボロ雑巾のようになったカイトの体を引っ掴む。
「外で寝てろ」
窓を開けてカイトの体を放り投げる。ドチャッ、と何やら液体にまみれた固体が地面に落ちたような音がした。
「……寝よ」
何事もなかったように窓を閉めてドアの鍵も閉め、ベッドに潜り込んだ。
「………………寝込みを襲われませんように」
非常に不安な気持ちのまま、俺は眠りに落ちた。
周りから見れば愛し合っているとしか思えない、しかし当人たちはただの幼馴染と言い張ります。
フィアなどはこの二人をくっつけようと頑張るのだろうか。