閑話その二
今回も三人称でお送りします。
薫一行は静がカシャル王国をフィアとともに飛び出した、という話を聞いて急遽城に戻されていた。
「フィアがさらわれてしまった! あの小僧……!」
憎々しげに玉座に拳を置くカシャル王。それを見て、真実を知る薫一行は静に同情の念を送っていた。同情だけで誤解を解く事はしないが。
「それで、私たちに一体何の用ですか?」
薫がパーティーを代表して話しかける。彼女は静からもっとTPOをわきまえろ、とかいつも言われていたのだが、薫とてこの場で使うべき言葉が敬語である事くらい知っている。
「うむ……。貴殿らは、これからさらに北へ行く予定であったろう? すまぬが、南へ行ってフィアを連れ戻してきてほしいのだ」
「……申し訳ありませんが、それは承諾できません」
もし静が薫と三日置かずに出会ったら、今度こそ世を儚んで自殺しかねない。実際にはそんな事ないのだが、静の胃が壊れるのは確実だろう。
「私たちは彼が信頼における人物であると知っています。ですので、フィア様はある意味最も安全な場所にいますよ」
そしてある意味最も騒がしい場所に……と薫は内心でつぶやいた。静のそばにいて、厄介事が絶えない時などなかった。
静は何だかんだ言って義理堅い性格をしているし、一度仲間と認めた人間のためには、国が絡むような厄介事でも嫌な顔せずに引き受ける面も存在する。
そういう点は薫の方がよく知っており、静もフィアを一度仲間と認めたからこそ、自分たちより先にこの国の厄介事に首を突っ込んでいた。そこまでした彼がフィアを見捨てるなど、あり得ないだろう。
……まあ、国が関わるような厄介事に惰性のまま巻き込まれていたのでは死ぬ、と思ったのかもしれないが。
「む、むぅ……しかしだな」
カシャル王は薫にそこまで説明されても、首を縦に振らない。静はカシャル王にとって、愛しい娘を奪ったアンチクショウ、という認識をされてフィルターがかかっているのだ。下手したら追撃部隊が出されかねない。
「では……」
薫は目をつむった。これはできれば言いたくなかった。薫のためではなく、静のために。
「彼が私と一緒に召喚された勇者の一人である、と言ったらどうします?」
ああ、これで彼の平穏はなくなったな、許せ静。と彼女は二秒だけ静に謝った。どうせ遅かれ早かれバレる事なのだ。
「なんと!? ……そうか、ならば簡単には戻せないな……」
カシャル王は王としての冷徹な顔でそうつぶやく。薫は勇者という名前の持つ効果に少し驚いていた。まさかここまで態度が変わるとは思わなかった。
しかし、ある意味では当然なのかもしれない。勇者とは魔王を倒す存在であり、その称号の知名度は計り知れない。
その勇者と一緒に戦って魔王を倒したとなれば、それは素晴らしく名誉な事となる。歴史に名を連ねる事だって不可能じゃない。
薫のパーティーにリーゼがいるのもそう言った理由がある。魔王討伐を成し遂げた勇者の仲間に一国の姫がいれば、その国の評価はウナギ上りだ。
……実際は静が脅されて渋々フィアを連れて行ったのだが、彼らは当然知らない。
「彼は勇者であり、私も信を置く者です。ですから、心配は必要ありません」
きっぱりと言い切る薫。その言葉には、うなずかざるを得ないような力強さがあった。カリスマ、とでも言うべきものだった。
「……そうか。すまない、手間を取らせてしまったな」
王が頭を下げるなど前代未聞だ。だが、それも勇者の前であれば許されてしまう。げに恐ろしきは勇者という名の持つ力か。
「いえ、大事な娘さんを奪われたのなら、お怒りは尤もです」
薫もある意味理想的な受け答えをしていた。静が見たら腰を抜かすレベルの。
「では、下がってよいぞ」
「はっ、失礼します」
薫はその場を辞し、ようやくカシャル王国から旅立った。
「それで、これからどうするんです? 薫さま」
「そうだな……静たちは南に向かったんだ。私たちは北へ行く。確かすぐ近くに村があったな」
薫の一言にキースが荷物袋から地図を取り出し、確認する。このパーティーでの荷物係はキースただ一人である。女性が多いパーティーでは男性の肩身が狭いのだ。
「はい。確かにここから二日ほどで到着する小さな村があります」
「じゃあそこへ向かおう。ここから先はかなり長丁場だからな」
カシャルより北にあって大国と呼べるのはアリエス帝国くらいだ。……北の方に帝国が多いのはなぜだろう、と薫は至極どうでもいい事を考えていた。
アリエス帝国へはここから徒歩で行けば一月はかかる。そのため、途中の村や町でこまめな補給が強いられてしまう。
蓄えは充分にあるのだが、念には念を入れて薫は補給をする道を選んだ。
「分かりました。……そういえば、静さんは大丈夫ですかね?」
「あいつの事だ。今頃追手がかかってるんじゃないかビクビクしているだろうさ」
薫が静の心境をドンピシャで言い当てる。伊達に幼馴染はやってなかった。
「それもそうですね。私たちが助けた事、知りませんしね」
リーゼは薫の言葉に苦笑する。静に対する評価がだいぶ上がっており、今までみたいに露骨な嫌悪感は抱いていないように見える。
……確かにリーゼから見た静の評価は上がっている。だが、それでも静と薫が一緒にいる事は別問題であり、薫が静に近づけば理不尽な怒りは静に向くのだ。報われないにもほどがある。
つまり、リーゼが静の事を怒りや嫉妬の感情なしに話せるのは、静がその場にいない時だけである。
「だが、あの男なら何とかしてしまうだろう。あいつの知略は正直言って舌を巻いた」
キースも静を高く評価する。彼も薫の仲間である以上、根っこは好青年であり、静が薫と一緒にいれば嫉妬こそすれど、リーゼほど表には出さない。それでも敏感に感じ取った静は胃を押さえるのだが、彼は気付かない。
おまけに静の事を薫と一緒にいたという事から過大評価する癖があり、ただ厄介事から逃げ出したい一心で静が何か言っても、全てが静の予想の逆を行くある意味たぐいまれな技能を持っている。
「ああ。私もずっとあいつの悪知恵には助けてもらっている」
「ええ。彼ならどこへ行っても生きていけるでしょう」
「……でも、必ず何かしら巻き込まれてますよね」
リーゼの一言で全員が無言で空を仰いだ。
「……良い天気だ。先へ進もう」
薫は何も聞かなかった事にしたらしい。しかしよく見ると額から一筋の汗が流れていた。
滞りなく薫一行は村へ到着した。本当に何もなかった。静たちみたいに盗賊に襲われる事もなかった。
ちなみに静は二日かかる街へ向かう場合、まず一日三回は盗賊に出くわす。どこから沸いて出たお前ら、と言いたいくらいの出現率だ。
「この村は平和そうだな。補給を終えたらすぐに出よう」
薫たちは様々な国からの支援を受けており、路銀の心配をする必要はない。RPGの基本である節約生活など完っ璧に無視していた。むしろその点では静たちの方が勇者らしい。
ちなみに薫たちもギルドへの登録はしてある。静のように路銀稼ぎではなく、薫に経験を積ませるためだ。
魔王は強大で、おまけにずる賢い。後者は静だけが持っている見方だが、おおむね間違っていない。その魔王に立ち向かうには、呼び出されたばかりの薫では役不足だった。
そのために行われたのがギルドで戦闘経験を積ませる事だ。種々様々な魔物と戦わせ、薫はその力を己のものにする。そうして充分な力を付けた頃に魔王と戦わせる。そういう筋書きだった。
静は見抜いているが、薫には言っていない。教えたところで薫が一度決めた事を覆すとは思えないし、それによってお互いを信用し切れずにパーティーが崩れてしまう事を危惧したのだ。
薫たちは宿を取り、全員で食料を買いに行った。
「……なあ、聞いたか? 南のアウリスの噂」
「ああ、なんでも周辺の魔物がほとんど消えたらしいな。何の前触れなのやら……」
村人がひそひそと何やら会話をしていた。偶然にも耳に入り、妙に気にかかった薫は詳しく聞いてみる事にした。
「すみません、ちょっといいですか?」
「あ、これはこれは……何でしょうか?」
村人は薫の丁寧な物腰に対し、笑顔で対応した。やはり見ず知らずの人との会話は礼儀を欠かしてはいけない、と静に教えられていた。
「さっきの話なんですが……もっと詳しくお聞かせ願えませんか?」
薫はこれまた静に教え込まれた愛想笑いを見せながら話す。薫は笑っていれば絶世の美少女を名乗ってもおかしくない容姿をしており、その顔を見た村人も鼻の下を伸ばしていた。
「ええ、しかし我々も聞きかじった話ですので……」
「それで構いません。お願いします」
「はぁ、それでは……」
村人たちの話は又聞きらしく要領を得なかったが、薫は根気強く聞いた。こういう時はわずかな情報から様々な事を推理できる静の思考能力をうらやましく思う。
「……つまり、南のアウリスという国で何か異変が起こっている、そういうわけですね?」
「へぇ、その通りです」
薫は顎に手を当てて思案する表情を作る。聞いた情報では、アウリスの方に魔物が集まっている、という話だ。
静は南へ向かった、南の国、静の厄介事体質、そして現在の静の置かれている状況。これらを鑑みると――
「静、今回は助けが必要か……?」
どう考えても静が何かに巻き込まれている事しか想像できなかった。
それに規模は分からないが、こんな辺境の、しかも方向が全く逆の村にまで伝わるのだから、相当な規模だろう。
「…………」
薫はわずかな間だけ逡巡した。静の能力の高さは薫が誰よりもよく知っている。彼の力に何度も助けられ、また自分も彼を助けた。その長年の経験が言っている。
――今回はヤバい。助けに行くべきだ、と。
「やれやれ、世話のかかる幼馴染だ」
静が聞いていればテメェにだけは言われたくねえ、と答えていただろう。どちらかと言うと、薫が厄介事を運んでくる事の方が多い。三対七くらいで。当然、静が三。
異世界に来ても変わらない自分と静の関係に苦笑しながら、薫は荷物を置いた宿へ足を向けた。
「みんな、聞いてくれ! これからアウリスに向かおうと思う」
薫はすぐさま出発する準備を整え、リーゼたちに号令をかける。
「アウリス、ですか……? でも、そちらは南の国ですよ?」
「分かっている。だが、静たちが危険にさらされている可能性が高い」
というかほぼ確定だ、と薫は内心でつぶやく。静のトラブルメーカーっぷりは半端じゃない。厄介事が向こうから寄ってきている。その彼がそんな極上の厄介事から逃げられるわけがない。
「静さんたちが……という事はフィアさまも!」
「そうだな。あいつの事だからしばらくは持たせるだろうが……きっと負ける」
確信を込めて言い切ってしまう。明確な根拠があるわけじゃなかった。ただ、長年幼馴染を続けてきた勘が言っているのだ。そしてそれは今まで薫を裏切った事がない。
「負ける、ですか……、彼が負けるとは想像できませんが……」
「いや、負ける。あいつはああ見えて肝心な部分での詰めが甘い」
要するに頭でっかちなんだな、と薫は静を評する。リーゼとキースもどこか納得した様子を見せる。やはり彼の勝手に悩んで袋小路に入ってしまう部分は知っているらしい。
「とにかく、急いで向かう。ここからアウリスへは結構遠い」
素早く地図を見て、ここから可能な限り短縮できるルートを探す。カシャルへは戻らない事にした。時間のロスと言う事もあるが、華々しく出発した手前、すごすごと戻れないという面もある。
「……食料を可能な限り買い込んで、できるだけ直線距離を移動。これしかないな」
行動方針を手早くまとめた薫はすぐさま荷物を手に持つ。
いつもと違い、どこか余裕の感じられない薫にリーゼが首をかしげる。まるで焦っているように見えるのだ。
「……薫さま? 焦っているんですか?」
「……否定はしない。何だかんだで生まれてからずっと一緒にいた奴だ。死なれたら……まあ、相当落ち込むだろうな」
ひょっとしたら精神的に壊れてしまうかもしれない、と薫は苦笑しながらもはっきり言う。リーゼはその言葉に愕然とした。
――やはり薫の心で一番大きな場所を占めているのは静。それが間違いようのない事実となったからだ。
「だが、あいつの事だから死なない気もする。それすらも作戦でした、とかな。なら助ける必要もないか……?」
とか思ったら急に静の事を軽んじ始める薫。リーゼとキースには二人の関係がよく分からなくなってきた。
「あの……よく思うんですけど、薫さまと静さんの関係っていったい何なんです?」
お互いに信頼しているのは分かる。だけど、まったく違う道を歩いていて、交わったとしても静はいつも面倒臭そうに薫の相手をしている。断じて嬉しそうな顔じゃない。
「簡単だよ。あいつと私を表すには一言で充分だ」
薫は言葉を切り、次の言葉を笑顔で言った。
「――ただの幼馴染だよ」
予想外の返答にリーゼとキースの二人は目を見開く。ただの幼馴染、なんて言葉で片付けられるほどこの二人は浅い関係ではない。それこそ、長年寄り添った夫婦並みにお互いの事を知っている。
「本心からの言葉だよ。実際、彼も私と同じ答えを口にするだろうしな」
むしろ静なら腐れ縁だボケ、ぐらいは言うかもしれないと思い、薫は内心苦笑した。
「私と静の関係を探るのはこれくらいでいいだろう? そろそろ出発するぞ」
「あ、待ってください!」
「リーゼさま!? 荷物持つのは自分ですか!?」
嘆くべきは身分の差だった。しがない一般兵であるキースと一国のお姫さまであるリーゼ、勇者の薫。彼の居心地の悪さは静の心労並みに半端じゃない。
薫一行はその日のうちに出発し、アウリスまではわずか二週間弱で辿りついてみせた。
「……すでに始まっているみたいだな」
「そうですね」
薫一行は草むらに身を隠しながら、様子をうかがう。
アウリス国は魔物に囲まれており、まさしく人間と魔物の全面戦争という感じがしていた。
かなり離れているはずの薫たちにもはっきりと聞こえる誰だか分からない怒号、悲鳴。そして常にもうもうと立ち上る砂煙と血煙。
「うっ……」
これほど生々しい戦場は初めてなのか、リーゼが口元に手を当てる。
「大丈夫か?」
「はい……。ですが、薫さまは大丈夫なんですか?」
「大丈夫、というわけじゃない。私も吐き気ぐらいは感じる。これが本物の戦争なんだな……」
いくら修羅場慣れしているとはいえ、薫もちょっと前まではただの高校生に過ぎなかった。本物の戦争など知る由もない。
その点で言えば静もそうなのだが、彼は実際に戦場に立っているので精神が高揚しており、そんな事は考えていなかった。
「……それで、どうします? 下手に介入しても意味がありませんよ?」
魔物たちの壁に潰されて終わりだろう。何せたった三人しかいないのだから。
「まあ待て。きっと、こういう時は……ほら」
薫が視線を向けた先に、静はいた。魔法で押し上げた地面に立っている姿が見える。
「……本当に静さんだ」
薫の勘の良さにリーゼは戦慄した。以心伝心とかのレベルじゃない。もはや未来予知のレベルだ。
「いや、彼は勝手に厄介事に巻き込まれるからね。その場所にいれば向こうから突っ込んでくる」
「ああ、なるほど」
納得せざるを得ない説得力があった。静が聞いていたら、まず泣いているだろう。
「それじゃ、助けようか」
見ると、こちらの方向に飛んできていた静が急に何かに引っ張られる姿があった。
「こういうのは王子様の役割だろう……っと!」
薫は剣を抜き、静を掴んでいる腕を斬り落とし、死を覚悟したのか、目を固く閉じている静と一緒にいる青年を見る。
「やれやれ、そんな簡単に諦めるような奴だったかな? 私の相棒は?」
物語の補完部分、と言っても良いかもしれません。
しかし三人称だと話が長くなる……。
あと、互いが互いを腐れ縁だのただの幼馴染だと言いつつも、お互いが心から信頼している仲というのは素晴らしいものだと思います。
これが私のジャスティス。