エピローグ
『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』の初舞台が終わってから、随分な時が過ぎた。
潤子さんはあのあと「ブロードウェイでも十分イケるわよ」と、そんな嬉しい言葉を残して日本を発ち、小山内氏とレンはお正月過ぎまで母国で過ごしたのち、それぞれの場所へ戻っていった。
小山内氏はかつて自分の住んでいた2号室が、すっかり様変わりしているのを見て――しきりに「エクセレント!エクセレント!!」という言葉を繰り返していたようだ。どうもこの言葉は彼のお気に入りらしく、そのあともミドリさんの料理を口にするたび、氏は何度も繰り返し同じ言葉を口にしていた気がする。
ところで、小山内氏はまだノーベル物理学賞に輝いていないけれど、ミドリさんと結婚した。
彼曰く、もしわたしたちが『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』という舞台を製作していなかったら、たぶん自分はミドリさんにプロポーズしようなどとはまるで思わなかっただろうということだった。
「でも、あの舞台を見て」と、小山内氏は言った。「若い頃の情熱とか、彼女のことをどう思っていたかとか、色々なことを思いだしたんだよ。僕は研究第一で、それ以外のことはどうでもいいっていう生活を長く送ってきたから……まあ、今更結婚に理想とか夢を見たりはしてなかったけど、それがこう」しきりにステッキを振る。「まざまざと甦ってきたんだね。青春時代の憧れや夢とか、そういった忘れかけていたものが。君たちは僕が<ベルビュー新聞>を書いていたからこそ、あの舞台が完成したって言うけど、むしろ感謝したいのは僕のほうだよ。人生で一番大切なものを思いださせてくれて、本当にありがとう」
もちろん、小山内氏が物理学研究の軸足を置いているのはアメリカだけれど、彼は向こうへミドリさんのことを連れていったりはしなかった。一応、結婚式は挙げたものの、彼はベルビュー荘へ帰ってこれる時だけなるべく戻ってくる……といったような生活を送っている。
まあ、なんといってもその結婚式、司式を執り行ったのが他でもない大谷氏で、正直あたしは彼の心中はどんなものなのかが不思議で、そのことを聞いてみたことがあった。
「むっちゃ腹立つわ、あいつ~。今ごろなんやねん!人の元女房に手をだしくさりおって」とか、思わないんですか、と。
「まあ、もうこの年だからね。嫉妬心なんていうものは、随分薄らいでるよ」
大谷氏は自分が牧師をしている教会で、祭壇を前にした座席に座り、そう言っていた。
まあ、彼の仕える神さまの前なのだから、嘘はついてなかったんじゃないかと思うけど。
「うまく言えないけど、まあ、それでもね。やっぱりあいつは一番いいところを持ってく奴だなって思う気持ちはあるよ。僕が牧師になったのは、息子の死がとても大きく影響しているけれど、あの時の僕には、<神>というか、宗教っていうものが物凄く大きな救いに繋がることだった。もともと大学では哲学を専攻してたから、西欧文明を理解するのにキリスト教の教えについて書かれた本は随分読んでいたし……でも、ミドリにとっては、僕が宗教の世界へ逃げたっていうふうに見えたんだろうね。本当は自分と一緒に息子を失った悲しみを受けとめてほしいのに、僕はひとりで宗教の世界へいってしまい、彼女をひとり取り残してしまったんだよ。そのことをはっきりした言葉でミドリに聞いたことがあるわけじゃないけど、「男親と女親は違う」っていうふうに、彼女はそう思ったみたいだ。自分の体の一部をもぎ離されるような、そこまでの痛みを、僕は感じていないんだと……わかるかな?ミドリは普段、あのとおりの温厚で優しい人だけど、一度火薬に火がつくと、まるで火の女神みたいになる女なんだよ。彼女はそのことで僕のことを絶対に許さなかった。それがまあ、離婚した原因かな」
「……そのこと、小山内氏は知ってるんですか?」
結婚式専用のチャペルではない、本当の教会という場所へ来るのが初めてだったので、あたしは教会堂の様子をきょろきょろ見回してばかりいたけれど、もちろん大谷氏の話は至極真面目に聞いているつもりだった。
「知ってるって何を?ミドリが本気で怒ったら、火のように激しくて手のつけられない女になるってことを?」
「えっと、それもありますけど……それよりも、大谷さんがミドリさんと離婚した理由について、彼は知ってるのかどうかと思って」
大谷氏が牧師をしている教会の本堂は、とても清潔で綺麗ではあったけれど、わたしの頭のイメージにあるカトリック教会とは随分様子が異なっていた。確かに、祭壇の中央、牧師が説教をする説教壇の後ろには十字架が掲げられている……でも、その背後にある窓にはステンドグラスといったものは嵌まっていない。
本当にシンプルなただの、明かりとりとしてのガラス窓。
他に本堂にあるのは、平等な形でいくつも並んでいるような、机と椅子が一体になったような長方形の座席だけだった。
「もしミドリが小山内の奴に話していたとすれば、知ってるだろうな。でもあいつはそんなこと、ミドリが自分から話そうとしない限りは、絶対自分からは聞いたりしない奴だよ。僕があいつに適わないと思う最たることは……最愛の息子を不条理な運命の手から助けられなかったミドリのことを、小山内の奴が代わりに救ったっていうことかな」
「どういうことですか?」
「息子が死んで暫くたった頃、たぶん風の便りみたいなもので、小山内も僕とミドリが静を失ったっていうことを聞いたんだと思う。で、何か自作の詩みたいなものを書いて、花と一緒に電報で送ってきたらしい。それになんて書いてあったのかはわからないけど、とにかく、その時から彼女の様子が変わった。だからね、嫉妬なんていう浅ましい感情を抱くのは、僕にとっては筋違いであるように思えるんだよ。僕に救えなかったミドリの心を、小山内が直接会いにきもせずに、ちょっと電報を送っただけで、たちどころに救ったんだ。そのことを思ったら、まあ、ふたりの結婚を祝福する以外にないかなって思う……もちろん、少し悔しい気持ちもあるけどね」
「でも、何もここで結婚式を行わなくてもいいんじゃないですか?それに、大谷さんが式を行う必要もない気がするんですけど……たとえば、他の神父や牧師さんに頼むっていうこともできるっていうか」
「いいんだよ。僕が自分でそうしたくて、あのふたりにそう申し出たんだから」
――わたしが大谷氏といつも話していて思うのは、雰囲気がミドリさんにとてもよく似ているということだった。
だから、温厚で優しいという言葉は、そのままぴったり彼自身にも当てはまる。
それと、ミドリさんが本気で怒ったら火の女神のようだという大谷さんの言葉も、なんとなく理解はできるけど……でもわたしには、大谷氏が怒ったところというのは、ほとんど想像できない。
<ピヨッと鶏まる!>で彼が牧師からぬ暴言を小山内氏に吐いたのはたぶん、ついうっかり小山内氏にのせられてしまったからなんだろうし。
まあ、なんにしても、そうした経緯によってミドリさんは小山内氏と結婚した。
そしてミドリさんはわたしとレン、それにミズキくんやほたるがベルビュー荘を出ていってからも――今も同じ、その場所に住み続けている。唯一、今も1号室に住んでいるのは久臣さんだけだ。
もちろんこう書くと、小山内氏がアメリカに長くいる間、ベルビュー荘では久臣さんとミドリさんがふたりだけで暮らしているのかと思われるかもしれない。いくらなんでも、それは少し不謹慎ではないか、と。
でもそうではなく、あのあとベルビュー荘は下宿屋をやめて、グループホームに姿を変えていたのだ。
『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』の舞台を見て、小山内氏がミドリさんにプロポーズすることを決意したように、ミドリさんも彼と結婚したことで、以前からずっとしようと思っていて、どうしても出来なかったことを実行へ移す心構えが出来たらしい。
それはつまり、誰も人が住まなくなって久しい、ベルビュー女子寮をリフォームして男子寮と通路を繋げ、老人福祉施設として復活させるということだった。そのためにミドリさんはまずホームヘルパーの資格を取り、今はケアマネージャーの資格も取得した上、<グループホーム・ベルビュー荘>の施設長になっている。
現在、男子寮のほうには男性の老人が五名入居しており、女子寮のほうには、7名の女性の利用者さんがいる。
わたしも時々お邪魔させてもらうけれど、食堂や居間で聞くことの出来る彼らの会話というのは、かなりのところ天然ボケが利いていて面白い。もちろんそれは、耳が遠かったり、痴呆症のある利用者さんが多いせいでもあるけれど……この間あたしがベルビュー荘へ遊びにいった時は、彼らはこんな会話をしていた。
久臣さん:「(新聞を読みながら、ぶうぅっ!!と放屁する)」
口が達者なUばあさん:「あ、また屁ぇこいた」
痴呆症のIじいさん:「(大声で憤慨する)わしは屁なんか、こいてねぇぞ!!」
耳が遠いFばあさん:「ああん?屁か?もしかしたら、こいたかもしれんな」
ベルビュー荘へ行くたびに、この種のことがいつもあるので、あたしはそのうち『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な老人たち』という脚本でも書こうかと思うほどだ。
なんにしても、久臣さんはベルビュー荘がグループホームになってからも住み続けており、彼は相変わらず印刷会社で夜勤の仕事をしながら、コツコツ小説を書き続けている……わたしは『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』がドラマ化及び映画化されることになった時、出版社とも多少関わりが開かれたので、久臣さんにこれまで書き溜めたものを本として出版してみてはどうかと薦めたことがある。
これはどうも、その後売れっ子漫画家になったミズキくんもまったく同じことを考えていたようで――彼もまたわたしより先に、その申し出を久臣さんにしたことがあったらしい。
「まあ確かに、印刷所で働いていながら、自分の書いた小説だけは本にならないだなんて、凄く皮肉なことなのかもしれないけど」と、久臣さんは言った。「でも、俺はそれでいいんだよ。ゴッホとかゴーギャンとか、もし生きてる間に成功していたら、もしかしたら彼らの絵は人の心にそう深く響かなかったかもしれないって思わないか?ゴーギャンなんて死ぬ覚悟を決めていたからこそ、畢生の大作<我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか>を生みだしたんだろうからね。まあ、俺なんかそう考えたらまだ、畢生の大作なんて呼べるものを書いてさえいないんだから……自分の書いた小説のことは、定年後にでもゆっくりどうするか考えることにするよ。たとえば自費出版とか、定年の記念に退職金で一冊くらい作るかもしれないな」
――正直、わたしにとって久臣さんは大恩ある人で、もし彼がいなかったら、その後の脚本家としてのわたしの人生は存在していなかっただろうと思う。
『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』は、初演の時に見てくれた人の中に、スポンサーになってもいいという某企業の社長さんがいて、すぐに再演されることが決定していた。それから公演の回数を重ねるうちに評判となり、ついにドラマ化が決定、ドラマ化されたものが今度は映画化されることになったというわけだ。
そして、もちろん『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』の脚本は、わたしひとりで書き上げたものではなかったけれど――わたしの元に、民放のTV局からドラマの脚本依頼が舞いこんだのだった。正直いって、わたしは脚本の書き方をきちんと基礎から勉強したことがあるわけでもなかったし、『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』自体、自分ひとりの力で書いたものではないということを、企画担当の人に何度も説明した。
ところが、「それでいいんです。いえ、それであればこそいいんですよ」的に押し切られる形となり、まずは「なんでもいいから書く」ということを強引に約束させられてしまった。そこでわたしは飛び上がりそうなほど嬉しい反面、内心ではかなりビビっており、どうしたらいいかと久臣さんに泣きつくことにしたのだ。
「最近は、頭が悪くなるようなつまらないドラマが多いからな」と、久臣さんはあたしに言った。「それよりは、少なくとも多少マシなものを書けば必ずヒットするっていうことだろう。サクラちゃんはキャバ嬢をしていたこともあるんだし、まずは一番得意な分野で勝負したらいいんじゃないか?たとえば、恋愛ものとか」
神妙な顔をして久臣さんの言葉をすべてメモすると、あたしは久臣さんがアドヴァイスしてくれた、物語を書く上で注意すべき留意点についても、彼の言うことをなるべく忠実に守るようにして脚本を書いた……久臣さんは物がわかるというか、自分は一応純文学的なものを書いているけれど、何がヒットして何がヒットしないかの、エンタメ的鑑識眼のきちんと備わっている人だ。だからもし久臣さんがその気になって、「今の時代にはこれが受けるだろう」というものを書きさえすれば、その小説はベストセラーになるのではないかと、あたしはかなり本気で思っている。
ようするに、わたしにとって久臣さんは脚本を書く上での影の参謀みたいなものだった。もちろん彼は、「こう書いたら?」とか「もっとこうすべきだ」といったような具体的なことは何ひとつ言わない。ただ、読んでみて「ここはまずいよ、サクラちゃん」とか「悪いけど、この展開はいただけないな」と言って、わたしの書いたものに赤線を引いて添削してくれるのだった。
そしてあたしは、その赤線の箇所についてうんうんと悩んでは、「もっと上の面白くて新しい展開」をなんとか考えだし、そうしてようやく『ロマンス通り113番地』というドラマの脚本を書き上げたのだった。
正直いってこのドラマの中には――あたしのレンに対する切ない想いがこめられていたので、もし奴がこのドラマを見たとすれば、「あいつ、俺に気があったのか」というのがすごくバレバレな内容ではある。でもあいつはその頃もまだアフガンにいたので、このドラマを見る可能性というのは、かなりのところ低くはあった。
もちろんその後、レンが帰国時にDVDなどで『ロマンス通り113番地』を見たかどうかというのは、定かではない。
あたしはそれからも『草食男子撲滅委員会』、『天使と悪魔の恋物語』、『嵐の中で抱きしめて』など、いくつかのヒット作を生みだしたのち、今も一脚本家として業界の片隅に生息している。
劇団レリックは、霧島さんの勤める大手商社の社長がスポンサーとしてついてくれてのち、今は東郷氏とユキが中心になって動く、前以上に団員数の多い劇団に成長していた。ほたるは『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』のヒロイン役をユキに譲るような形で退団すると、他の大きな有名劇団に所属し、そこでも看板女優として活躍することになった。
そしてのちにはドラマや映画の世界にも進出して、あたしが書いた脚本のドラマにも出演してもらっていた。
ほたるは結局、退団と同時に東郷氏とも別れ、上月数馬とつきあいはじめたのだけれど、彼との関係というのはあまり長く続かなかったようだ。それというのも、ほたるがミュージカルや舞台で次々と当たり役を獲得していったのとは違い、『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』以後、彼の俳優としてのキャリアはあまりパッとしたものでなかったせいではないかと思われる。
そしてほたるは今も痩せたままの体型をキープし続けているけれど、あたし同様独身のままだった。
ミドリさんはもちろんのこと、あたしは久臣さんやほたる、またミズキくんとも、ベルビュー荘を出てからずっと親交を持ち続けている。
レンの奴はアフガニスタンの地に二年ほど滞在したのち、そこで出会った女性と結婚するために帰国していたけれど……あたしはレンが結婚してからもずっと、奴といい友達関係というのを持ち続けていた。
わたしがあいつの奥さんに会ったのは一度だけで、それも相当強引に奴の新婚家庭へ押しかけて会ったというのが正しいと思う。たぶん昔のあたしなら「ねえ、本当にあの人があんたのミューズなの?」とでも言って、レンのことを茶化したかもしれない。
レンの奥さんになった人というのは、一言でいえば、「テニスの試合に熱中するあまり、パンチラしててもまるでそのことを気に留めないタイプ」の女性だったといっていい。決して美人というわけではないし、ファッションといったことに関してもまるで無頓着なのが、着ているものを見ていてわかる……でもレンはたぶん、彼の眼鏡にかなう、とてもいい人と結婚したのだろうと、あたしはそんなふうに感じていた。
そしてかくいうわたしも、レンとの失恋を『ロマンス通り113番地』というドラマの中で昇華したのち(恥かしい話、あたしはこの脚本を泣きながら書いた)――何人かの男と再びつきあいはじめるようになった。
うまく言えないけれど、それはたぶんただの惰性として誰かとつきあっていたに過ぎないようなものかもしれない。
レンが言っていたとおり、そうそう<ミューズ>という存在には巡り会えたりしないものなのだ。
<ミューズ>という言葉自体は本来、女性に対して向けられるべき言葉なのだろうけれど、あたしにとってはレンこそが本当に恋をしたと誇れる、ただひとりのミューズだった。
その証拠にというべきか、あたしの書くドラマには必ずといっていいくらい、レンと似たタイプの男が主役級の役か脇役として現れることが多い。そう、現実の恋とは別に、あたしは繰り返し何度もあいつに恋をしているのだ。
現実に存在して肉体というものを持つレンに対して、というわけではなく――わたしの心の中のレン、あいつの中に存在するミューズ性みたいなものに、あたしは今も恋をしているのかもしれない。
もちろんレンとは会うたびに、「また男を変えたのか、このビッチめ」とか、そんな話ばかりしているけれど……出会った当時とは違い、お互い三十代になって、まだ一応若いとはいえ容貌のほうも少しは変わってきた。
それでもあたしが心の中にまざまざと思い浮かべることが出来るのは、初めて出会った時のレンだ。
あたしは今も思いだす、あの長い坂道を途中まで上った時、樹々の陰の間から、あいつの影がはみ出していたことを……そしてうるさく蝉の鳴く中を、汗だくになって顔を上げた時、レンがどこか不敵に微笑んでいたこと。
そしてあたしはあいつと一緒にベルビュー荘へと向かっていくのだ。
あたしの人生において、唯一<青春時代>だったと呼べるようなベルビュー荘での日々を、もう一度繰り返すために……。
終わり