[出会い] その弐
「姫、姫。起きて下さい姫」
台所から、昨日までこの家にいなかった住人を呼ぶが返事はなく、どうやらまだ寝ているらしい。
昨日僕こと宝治 秋柾は、彼女―――紅花 梓・フレイマスターと出会い、不幸というしかない死を迎えたわけなんだが。
人だった僕は現在は半分、別の生き物。
今は、人であり鬼であり吸血鬼でもある。見た目は特に変化が無いのが残念といえば残念かな。
昨日は、彼女が家に住む為の日用品を買い揃え、服はまたの機会ということになったが、下着だけはどうしてもと言われ買いに行くことにした。
最近の若い子は大人なんだと認識を改めためるほど、彼女の買った下着は大胆と言うしかなかった。
お風呂に入った後、彼女がその下着姿を僕に自慢してきたことは、自らの脳内にしまっておくことに。
「朝ご飯が出来ましたよ。姫」
そういえば、あれからなんどか彼女を名前で呼んでみたけど。僕の口からは『姫』以外の呼び方は出なかった。
僕的には気にならないけど、初めてできた友達に名前を呼んでもらえなかったことがショックだったらしく、彼女はなんども謝っていた。
彼女が言うには、彼女と僕の間で主従関係が結ばれていて、僕が下僕で彼女が主・・・って漫画だか何かにそんなタイトルがあったような。
「姫~姫?起きてないのかな」
「これは・・・部屋に入いって起こすべきか?」
まさか――――この僕にこんな日が訪れるなんて!ドキドキ!銀髪少女寝起き突撃!
では、失礼して――――
「失礼しま~す」
とりあえずお約束の抜き足、差し足、忍び足。
そっと覗き込んだ彼女の顔は、赤らんでいてその表情は苦しそうで、僕が昨日貸した真新しいTシャツが汗に滲んでいた。
「姫?どうしました!姫!」
彼女はそっと眼を開けると苦しそうに言った。
「血・・・血を、飲まないと」
「血?血って、人間の?ですか」
彼女は、どうやらその血を飲まないと体調に影響が出るらしく、一度だけ頷くとまたゆっくりと眼を閉じた。
「僕の血でいいのかな?半分ぐらい別ものですけど・・・」
僕は自分で手を噛み血を垂らして、それを彼女の口元に近づけたら匂いを嗅ぎつけたかのように鼻を動かした。
「くっ!」
カプリと噛み付く彼女の口はまるで水を飲むように血を吸いはじめ、コクコクとノドを鳴らしその渇きを潤す。
吸われていく僕の血液は多分致死量、けど僕は―――死なないというか死んでるというか―――。
「ぱぁあ~!いっぱい飲んだ。秋柾―――大丈夫?」
「おいしですか?僕の血・・・」
あまりの飲みっぷりに驚きながら、なぜか感想を聞いてしまった。
「あ~そう言えば、いつもより魔味味じゃなかったかも。どちらかと言うと~お味味って感じね」
どうやら僕の血は彼女に好評のようだ。
「それより姫。魔味味とか、お味味とかはマイ流行なのですか?」
僕は疑問に思っている、どうも聞きなれない言葉を彼女に聞いてみた。
「マイ流行?魔味味は魔味味、お味味お味味だけど。何か変かな?」
「ええ。お味味はおいしい、魔味味はおいしくないって言うのが一般的ですかね。ウマイとか、マズイとか言うこともありますが」
僕の言葉が衝撃だったのか恥ずかしかったのか、彼女は顔を赤くしていた。
「おいしい?不味い?お味味、魔味味は使わないの?・・・私が教わったのと違う―――」
「間違った日本語を教わったみたいですね。姫は、学校とかにも行ってなかったんでしょう?」
「うん。行ってない」
「じゃ、しかたないでしょう。ほら起きて下さい。
お味味?な朝食できていますよ」
彼女は何かを決意したような面持ちで。
「・・・秋柾。お―――“おいしい”朝食できてるの?」
「おいしい?お味味って使えばいいのに」
「それはもう絶対!使わない!」
顔を真っ赤にして、彼女は改めて自分の決意を表した。僕は笑いを微笑に変えて答えた。
「分かりました」
朝食は、きっと彼女のお気に召したらしく『おいしい』を何度も使っていた。
「ねー秋柾。この家広いのに、他に家族はいないの?」
不意に聞く彼女の当然の疑問に、僕はどう伝えようか迷いながらも答えた。
「正直言いますと、僕に両親はいました。ですが今はいません。―――いないというのは、この世にということです」
「死んだの?パパもママも?」
「―――はい」
僕が彼女と出会う半年前のこと―――。
僕の両親は旅行が好きで、あの日も妹を連れて連休を使い九州に行っていたが、僕は修学旅行で京都に行っていて家族旅行には不参加。
この運命の悪戯が僕と家族の命運を分けた。
旅行の途中で知らせを受け、そのまま九州に駆けつけた僕を待っていたのは、両親の遺体。
交通事故。
父のハンドル操作のミス。
だから誰の所為でもない。
そんな、悲劇の主人公にもなりきれない結末が僕に突きつけられる。
唯一、不幸中の幸いだったのが妹が奇跡的に生きていたことだけど、ICUに入って意識を取り戻す気配がなかった。
突然の両親の死に僕は何も出来ないただの高校生で、葬式とか家の事とかもろもろは、父さんの兄である源一郎おじさんがしてくれた。
源一朗おじさんは、妹がこっちの病院で治療できるようにしてくれたり、僕の生活費や大学まで面倒みてくれると言ってくれた。
その手前、気力がなくても学校には行こうと決めている。
学校――――。
「あ!」
慌てて時計を見ると、朝の八時を過ぎていてこのままでは彼が学校に遅刻するからだ。
「学校に行かなくては!」
彼のその言葉に彼女はポツリと呟いた。
「学校行くの?秋柾」
「はい。申し訳ないですが。今から夕方まで行ってきます。お昼は弁当を作っておいたんで、それを召し上がってください」
急いで制服を着る彼の手を、彼女が不意に掴む。
「秋柾。学校って楽しい?」
「別に楽しくはないですよ」
彼の言葉に彼女はより強く握り、オドオドしながらも思いをなす。
「行かないで―――秋柾」
「姫・・・」
可愛らしく離れるのを拒む姿は愛おしくもあり、彼はつい願望を口にする。
「僕も学校なんて、本当は行きたくないです。
姫といたい。
しかし、学校だっけはどうしても行かないといけないんです」
彼はそう言うと彼女の手にそっと手を重ねる。
「それでも、姫が一緒にいて欲しいというなら。命令するといい」
その時の彼は両目が赤と青に光ったように彼女は思えて、呼びかけた時にはもういつもの黒の瞳に戻っていた。
彼はそっと彼女の頬をクネル。
「それじゃ、行ってきますね姫」
「・・・分かった。早く帰ってきてね―――秋柾」
玄関を出る時、彼を見る彼女の表情は明るく。でもそれは、そう振舞っていたのかもしれない。
普通の彼だったら、一日学校を休むくらい考えていたのだろうが、この時はきっと普通の彼ではなかった。
家族の事故前には、半登校拒否で週三で休むのが日常で、学校を休むにはそれなりの理由があった。
気に食わないという理由でイジメに似た行為を受けていた彼は、時には何十人という相手に一人だけでということもあったが、暴力に対し暴力で返していた。
彼自身ケンカも強くないが、三人相手にしても一人に勝つぐらいはできるほどだった。
しかし、勝ち負けなしのただの暴力が、彼を学校から遠ざけた。
その頃と重なって両親との死別は彼を変え、暴力に対し暴力で返すことはなくなった。
だが、彼が少し変わったところで環境や日常は簡単に変わらなかった。
憂さ晴らし、気晴らし、暇つぶし、ストレス解消。
そんなのやつ等を相手に逃げないことは、彼の心を疲れさせた。
しかし、彼女と出会ったことで彼の世界は劇薬を飲むが如く変わり、それを実感したいが為に学校へ行ったのかもしれない。
彼が通う学校は県立の共学高校で、偏差値のそれなりにある進学校である。
遅刻するかに思えたが、人並みはずれた脚力で屋根の上へのり、そこを走れば学校の近くまではアッと言う間で、校門をくぐる時も教室までの階段を上がる時も、足取りは軽く彼は気持ち鼻歌交じりだった。
二階に差し掛かると、そこは三年の教室がある階で彼の前に立ち塞がる男が二人―――。
「よう、宝治。ちょっと面貸せよ」
短髪の男が先に彼に話しかけた。
「なんかようか?赤塚」
彼は彼女と話す時とは、一変した様な喋りで短髪の男に言う。その言葉がきっかけでもう一人の坊主頭が声を荒げる。
「赤塚せ・ん・ぱ・い!だろうが!てめぇー!また潰すぞ!クソが!」
この二人は何かと突っかかるので、正直彼はうんざりしていた。
「口が臭うぞイガグリ。せめて歯を磨け」
「俺の名前は岡崎だ!バカが!」
彼がイガグリと呼んだ坊主頭は、その怒りを額に浮かべて殴りかかった。
遅い―――。
彼の印象がそれになるのは、体感で手元から顔まで十五秒ほどあったからだ。
ゆっくりと彼の横を通過する拳。
「避けてんじゃねー!」
すぐさま、もう一度拳が振られる。
『何回やっても同じだ』そう思う彼は、その口に笑みを浮かべた。
次の拳を後に避けたことで、彼は新たな出会を迎える。
「きゃ!」
軽く避けたと思ったが、彼が当たった人物は体を宙に浮かべ、階段の方へ飛ばされていた。
このままでは大怪我をするであろう事は確実で、その容姿は小柄な女性に見えるが顔は広がったスカートに邪魔されて確認できない。
いけない!――――。
彼は、鬼と吸血鬼の混血である高位吸血鬼の血により高い身体能力を持ったおかげで、その女性の体を宙で受け止め音もなく着地した。
「ごめん。怪我はなかった?」
抱きとめた女性の足元とリボンを見るに下級生と分かる青。
華奢な体はまるで羽根の如く軽く、ショートボブカットな髪が可愛さを引き立たせている。
その小さな唇が動くと幼さが窺える声が彼の耳に届く。
「あっ――――はい。おかげさまで」
その子を立たせて上から下へ視線を動かすと、そっと手を頭におき。
「よかった。本当ごめんね」
彼がそう言うと上の方から気の強そうな声が聞こえる。その声の主は茶髪女の子で、どうやら今彼が助けた子の同級生らしい。
「麻兎依!大丈夫?」
階段の上からイガグリの声が響く。
「はっ怪我させりゃよかったのに、そしたら―――」
その続きを言う前に、そのアゴを気の強そうな女の子のアッパーが捉えた。瞬間ゴォ!と音が鳴り、イガグリは衝撃でひっくり返った。
「アンタたちの所為でしょ!謝りなさいよ!」
腕を組み凄む女の子に、麻兎依と呼ばれた女の子が声をかける。
「葉梨乃ちゃん。私は大丈夫だから―――」
「いいえ!麻兎依が無事でも私は許さないわ!」
起き上がったイガグリはアゴをこすり、葉梨乃と呼ばれた子を睨む。
「面白く決まっちまったじゃないか!」
イガグリは突き出す拳を、腕を組む葉梨乃に向けるが、その表情が怯む様子はない。
「危ない、葉梨乃ちゃん!」
このままだともろに受けるであろうそれを、軽く上に弾きイガグリの首を掴んだのは、数秒前まで階段の下にいた彼――宝治 秋柾であり、その表情には怒りを表し瞳を赤と青に光らせ言った。
「女の子にその拳を向けるのか―――下種が!」
その手がイガグリの首を締め上げると苦しみ始める。最初に名乗りをあげた男はうろたえ、腰を抜かしている。
「が、ぐえぇぇ――」
悶えの声を上げる相手―――その時、彼は思うのだった。
なんだこれ?放さないと―――こいつ、死んじゃうじゃないか。
『殺せ』―――誰だ?。『殺すのだ』―――何言ってる!
『我に従え!』――――うるさい!黙ってろ!
『殺して!殺して!殺しつくせ!』―――やめろ、やめるんだ。お前何なんだよ!
『我は我、貴様自身だ。ゆえに殺せ!糧を食らえ、有象無象の臓物を抉り貪れ』
お前が僕だと言うなら―――言うことを聞け!放すんだ!手を!手を!―――――。
『貴様!我を拒むか!』
―――――放せ!―――――
彼が気付いた時にはその手は開かれていて、足元では咳き込む男がいる。
もう一人の男が口を開き言葉を発すると走って逃げていった。
「バケモノ」
イガグリは口を拭い『覚えてろ!クソが!』と吐き捨て逃げた。
その場で立ち尽くす彼を、話しかける声が正気に戻す。声の主は彼が最初に助けた麻兎依と呼ばれた子と葉梨乃と呼ばれた茶髪っ子。
「あの!聞いてますか?先輩さん」
「え!ああ、大丈夫」
「本当に大丈夫なのですか?顔色が優れないようですけど―――」
「あ―――うん。平気平気」
彼はすぐさま階段を駆けるように上がった。
「行っちゃったね麻兎依。それにしても凄い身体能力の持ち主ね」
「―――あの人格好良かったね葉梨乃ちゃん。名前何ていうんだろう」
「麻兎依はああいう人が好みなのね」
葉梨乃言葉に、麻兎依は顔を赤くして首を左右に振った。
彼は、教室に入って窓側の一番前の席に座ると、ため息を深く吐き窓の外を見る。
暴力的になってしまった原因を考えると、思い当たる事は一つで―――。それは今朝、彼女に血液を吸われていたことなのだが―――。
彼の懸念は、彼女の吸血衝動が自らにも起こらないかということ。
「まさか・・・。でもそれ以外ないな」
視線を感じて周りを見ると、こそこそと話す声が。どうやら彼のことを話していることから、今朝のことが早くも拡がっているらしく、白眼視されているようだ。
こういうのは日常茶飯であるが、いつもより気になるのはきっと罪悪感からだろう。
これは前よりもずっと居心地の悪い状況に、落ちてしまったように感じ始めている彼は『結局、なにも変わってないな』と思うのであった。
どれだけ人体に変化があってもそれを扱う僕が、こんなんじゃ――――。
つくづく世界は酷く、それでいて歪に現実を作るもの―――僕はどうやら自分ではなく、世界を変える必要があるみたいだ。
彼女と出会う前と何も変わっていなかった。
そう思い、彼が学校で時を過ごしているその瞬間に、彼女は家で暇を持て余していた。
「んー・・・あー・・・・・・、暇―――」
台所の机で顔を横向けに寝かせ足をブラブラさせながら、現状の自分を口に出してみる。
二時間程掛けて彼女は家を探索して、それに飽きたら他にすることがなかったらしく、後は彼を待つことしか残っていなかった。
「早く帰ってこないかな―――秋柾・・・」
彼女の日々の日課は暇を持て余すこと、それに関しては長年の免疫があるはずだったが。
今日に限ってはそれに耐えられそうにもない彼女は、何度もため息を吐く。
ふと時計を見ると、調度十二時である。
「あ!」
何かに気付いた彼女は、机の上にあった箱状の物を自らの前へ引っ張ると、元気にその箱の正体を口に出す。
「お昼のベントー♪おいしいベントー♪秋柾の手作りベントー♪」
ふたを開けると左右にお米とおかずが分かれて、から揚げ・卵焼き・ミニバーグ・きんぴら・ほうれん草が入っていた。
「おいしそー♪おいしそー♪」
から揚げを食べては『おいしい』、卵焼きを食べても『おいしい』とおいしいを使えるだけ使いながら食べていると、突然彼女の後から男の声が聞こえる。
「違うでしょー姫様。おいしいなんて僕は教えてないですよ」
肩を掴まれ耳元で声の主に囁かれると、彼女は使い慣れない箸を止めた。
家の中には彼女以外いるはずないのだが、いつの間にか入って忍んでいた男は言う。
「お味味と教えたでしょう姫様」
彼女はその声に、驚きと戸惑いの表情を浮かべてその名を呼ぶ。
「あなたは、ベクター!――――」
そこに現れたのは、彼女と駆け落ちをしようした下位吸血鬼だった。
〔――つづく――〕