第十五話 未知との遭遇
驚いた。
勉強が全く進まない。
あの後もマキらとは何度か遊びに行った。その度にスッキリ爽やかな気分にはなるのだが、家へ帰り独りになると無意識に彼女のことを考えている自分がいる。すると手が止まり、何もすすまず気づくと1、2時間は経っている。
どうやら身体を動かしたり、誰かと会っている分にそこまででもないようだけど、独りになるとダメみたいだ。自分が自分でどうにか出来ない。ひょっとしてどこか身体がおかしいのだろうか?これがストレスというやつだろうか。それともニュースでよく聞くうつ病というものか。とにかく自分が思い通りにならない。
春にクラスでとった集合写真を眺めたり、ボンヤリすることが多く、虚しく過ぎる時間に焦れば焦るほど勉強は進まなかった。
夏休みの初日、母さんに「終わらせるまで旅行には行かない」宣言をした手前から余計に気まずい。追い打ちをかけたのは母さんの発言。何を勘違いしたのか僕の勉強が終わるまで夏の旅行もお盆の帰省も見合わせると言った。
(勘弁してくれ)
母さんの恐らく唯一のストレス発散法である旅行を封じたらどうなるのか想像しただけで恐ろしい。母さんの笑顔がいよいよ僕を気まずくさせ、比例して勉強の手は止まった。
雨は降ることがなく見事な夏空が続いている。
気まずさから知らず意味もなく外に出ることも増え(家にいると勉強していると勝手に勘違いされる)行き先もない僕はいつの間にかあの幼稚園に足が向いていた。
(今日で何度目だよ・・・)
錆びついた門。
荒れた花壇。
小さな鉄棒。
半月状の背の低い雲梯。
何より二階から滑れるコンクリ製の滑り台。
(そういえばなんで時計だけは動いているんだ?)
「はぁ・・・」
思わずため息が出た。
(何してんだ・・・)
「何してるの?」
「うん・・え?」
振り向くと彼女がいた。
ヨレヨレの薄水色をしたTシャツ。何かのキャラクタのようなものがプリントされていたようだが原型をとどめていない。オヘソが見えている。デニム地のショートパンツ。ビンテージ風のダメージパンツのようだが恐らく違うだろう。腰まで届きそうな長かったロングヘアはアップに。後ろで結んでいるようだ。彼女は僕に強い目線を向け心なしか緊張感に満ちた表情をしているように見える。
(初めて私服を見た・・・可愛い!ラッキー!)
というより、どうして彼女が。
「あ~・・・こん、にちわ」
(声が裏返った恥ずかしい、シヌ)
「うん、どうしたの?」
以前はココへ来て万が一彼女に会った際の対策というかシミュレーションというか言い訳を考えていたけど完全な不意打ちだった。すっかりその可能性を忘れている。
(晴れでも来ることがあるのか)
このシチュエーションは・・・
(下手な対応をすれば完全にストーカーだ!)
硬直する脳みそをフル回転させたが何も言葉が浮かんで来ない。さながらゴミ屋敷をひっくり返しているような脳内状況。何から手をつけていいやら。何を言うつもりだったかも全く思い出せない。
(ヤヴァイ・・・)
彼女はこんな細い線の身体からどうしてそんな迫力が生み出されるのかというほど気迫があった。目線を幼稚園に向けると、ふと、あの夢のことを思い出した。
「夢の話・・・覚えてる?」
パニクる意識とは関係なく、勝手に口をついた。
「もちろん」
彼女が笑った。
(うわーヤヴァイ、可愛い、ヤヴァイ助けて、誰か写真とってお願い)
「ここの幼稚園さ、母親に買い物を頼まれた時たまに近くを通るんだ」
(そうだよ!嘘は言ってない。でも、母親はまずかったかな。マザコンと思われる?)
「うん、それが夢とどういう?」
「あの夢の・・・幼稚園ってココなのかなって思って確認したくなって。馬鹿みたいだよね高校生にもなって」
(嘘は言ってない。少なくともこの前はそれが目的だった)
「そっか、なんだ」
(なんだって何?なんだってどういう意味で?)
「で、どうなの?」
彼女が近づいて来る。
(ヤヴァイ、ヤヴァイ、ヤヴァイ)
「どうなの?って」
「え?だから夢の幼稚園と関係ありそう?」
「ああ・・そうだね、えと、違うみたい。夢では、あの2階から下りられる形の滑り台はなかったし、校庭に廃タイヤの跳び箱が幾つか埋まってた。それに地理的に鉄砲水が流れる筈ないじゃない」
僕は身振り手振りで説明すると、彼女はそれに合わせて一生懸命に聞いてくれているのがわかる。
(ヤヴァイ、隣に彼女がいる、ヤヴァイ、ヤヴァイよ)
ペンギンが光の先端を追って首を振るように、彼女も僕の指さす方を向いた。その姿がなんとも愛らしいじゃないか。
「この前も気になったんだけど鉄砲水ってなに?地理的にってどういうこと?」
「ん?鉄砲水っていうのはね」
夢のような時間。
彼女が隣にいて僕の話に耳を傾ける、夢の話に第二話があることに気づいた彼女は「え、何それ、そんなことあるの?それ聞かせて」と子供のようにせがんだ。その時に僕の右腕を両手で掴んだんだ。信じられない。嬉しくてシニそうだ。
僕は幸せすぎて頭がどうにかなりそうだったのを辛うじて抑え、姪っ子に話すような気持ちに切り替え辛うじて冷静に会話を続けられた。
「アハハハ、すご~い。本当に続きみたいになってる。それで夢の中のミイちゃんって子は助けられたの?」
(すご~いって、君でもそういう女子高生みたいな言い方するんだ)
「いや、それがさ・・・」
夢の顛末を話すと彼女はまるで実際に起きた事のようにショックを受けているのがわかる。
「そうなんだ・・・でも、きっと逃げられたんだよ!」
「うん、だといいんだけど・・・」
「大丈夫だよ!流されたところ見なかったんでしょ。君のお陰でその子は助かったんだよ、絶対。少なくとも気に病むことはない。君みにたいいい人いないよ」
「そうかな・・・」
「絶対そう」
彼女は満面の笑みを浮かべ僕を見ている。こんな柔らかい表情をすることがあるのかと思った。信じられない。これがあの彼女だなんて。
(うわーヤヴァイ俺を見つめてる、ヤヴァイ、ヤヴァイ、この時間よ永遠に続いてくれー、あーシヌ、あーシンでしまう)
「ありがとう」
「そう言えば、この前もココにいたよね」
突然 彼女の声のトーンが変わった。
いつもの鋭い目線に硬い表情が僕を真正面から捉える。
その余りにも唐突な変化と想像だにしなかった言葉に頭が真っ白になった。
僕は天国から地獄へと突き落とされた。
血の気が引くと小説で読んだことあるけど、本当に血の気が引く。ザーっと音が聞こえて来そう。引き潮のような猛烈な。体温すら下がっているようだ。
(見られていた・・・見られて・・・)
頭の中では例のイメージが走馬灯のように流れ、テロップには ”高校二年生、クラスで大人しいと言われていた少年に何が?ストーカー容疑で逮捕、少年の闇に迫る” と表示され、マキがインタビューを受け意気揚々とベラベラ喋っていた。クソ裏切り者。
彼女は僕の次の一言も待っているのか押し黙っている。
(綺麗な目だ・・・こんな綺麗で真っ直ぐな目をみたことがない・・・)
いかん、それどころじゃないだろ!
(なんとか誤魔化せないか・・・)
頭をフル回転させたが何も浮かんで来ない。
そんな最中、先生の言葉が唐突に思い出された。
「肝心な時に誤魔化す人間は誰からも信用を得られない」
急に冷めていく自分が感じられる。
(そうだ正直に言えばいいんだ。父さん、母さん・・・ごめん)
「うん、いたよ」
僕にとっては生涯これほど重い言葉はなかった。
「・・・でも、どうして?」
彼女の顔は見られなかった。
「だって、家そこだから」
「え?」
アッケラカンと言う彼女の指がさす方を見ると築五十年は過ぎてそうな古い二階建てのアパートが建っている。それは幼稚園の丁度ま裏にあった。
「ココ、2階からよく見えるんだ。さっきも君がいるのが見えた」
「あ~・・・・そ~う、なんだ」
(そんな、そんなまさか)
「よっぽど夢が気になったんだね」
さっきの表情とは打って変わって無邪気な笑みを浮かべる彼女の横顔が見える。僕はなんとも言い難い背徳心を抱いた。
「おかしいかな?」
おずおずと言う。
「ううん。こういうの何て言うんだっけ~」
頭を抱える。
「そうだ、ロマンチスト。なんだね」
「え!」
顔が一気に赤面するのがわかる。意識すると余計にそれは加速した。
「顔が凄い赤くなってる」
「やめて、やめ」
「アハハハハ 可愛いね~君ぃ」
「いやーみっともない、恥ずかしい」
顔を手で覆うが、この行為そのものが余計に恥ずかしかった。
(逆、立場が逆でしょ、普通こういうの女子の役でしょ!)
「ねー」
「はいっ?」
「これからマーさん、って呼んでいい?」
「え?」
彼女はいつだって唐突だ。
「マーちゃんって呼ばれているでしょ」
「ん?・・・ああ~ミツね。うん、なんだか彼だけはそう呼ぶんだよね」
「今のリアクションはマーちゃんって感じがピッタリ」
「そうかなぁー・・・うーん、じゃ~マーちゃんで」
(ミツよくやった!最高だ、まさか麗子さんからマーちゃんなんて嬉しくしてヤヴァイ)
「ううん、マーさんがいいな」
「え?そう・・・じゃ~マーさんで」
「ありがとう、マーさん」
(はあああああああああああ!心の臓が破裂してしまう!)
僕は一見平静そうに見えても中では大変だった。
そこにいる彼女は学校にいる時とまるで別人。まさか双子の姉妹がいるってことはないだろうな。
(今がチャンスなんだ)
その言葉が僕の頭に燦然と輝く。
オジサンの言葉。
マキの言葉。
ミツの言葉。
得体の知れない感覚が全身に溢れかえった。
「僕は・・・」
決定的な一言を発しようとした瞬間、
「帰るね」
「え、用事でもあるの?」
「別に」
「だってマーさんも帰るでしょ?」
(マーさん!マーさーん!マーさんとは俺!俺とは僕!それがマーさん!)
「え?」
「だってモジモジしてるよ。ゴメンね引き止めちゃって。邪魔しちゃったね」
「違う違う違う違う」
「じゃーなんで?」
「え?、モジモジだからトイレだよ、きっとトイレに行きたいんだよ」
「ぷっ、何それ自分のことなのに、おっかし」
彼女は吹き出すとお腹をおさえ身を捩った。
(ヤヴァイ、可愛い、ヤヴァイ、可愛いはヤヴァイ、ヤヴァイは可愛い)
「君と話すのが楽しくてつい忘れてたのかも・・・」
(自分でも驚くほどスラスラと出た)
「あ、ゴメン、なんだか馴れ馴れしくて」
「君だけはシカコって呼ばないんだね」
唐突に真顔になった思うとまた全く予期しない言葉。
「・・・」
胸がチクリとする。
(レイコさん)
「レイ(しまった心の声が漏れた)・・さん」
「レイさんか~・・・なんだか嬉しい。ありがとうね」
「・・・」
言葉にならない。
彼女はなんなんだ。
学校では妖気漂う怪しい空気を纏い、僕達の世界から隔絶した中で行き平然としている。それが、さっきはどんな犯人すらも自供せざるを得ない迫力を持ち、その後は姪のような愛らしい顔を浮かべ、かと思えばゴーゴンのような恐ろしい目をし、今はまるで大人の色気漂う女性のような様子だ。
(一体、君は・・・)
彼女の横顔を見て感極まって言葉が出ない。
(シカコ)
気づいてないというクラスのヤツもいた。聞いてないというのも。でも、そんな筈ないんだ。どれだけ傷ついていただろうか。そう思うと胸が苦しくなる。でも、僕も同類だったことは間違いない。僕に彼ら彼女らを非難する道理はない。だって自分も声には出さないだけで思っていたんだから。
(シカコだって)
だから僕は彼女の言ういい人間なんかじゃない。
「そうだ、トイレだったね。うちの使ってって。この辺はトイレないでしょ」
「えっ!」
(何を言って、彼女は何を言っているんだ)
「でも、その・・・マズイでしょ」
「なんで?」
「まず・・・くない?」
「トイレでしょ?」
「そうだけど」
「うん」
「・・・じゃあ・・・お邪魔しま、す」
まさかの出来事の連続に僕の脳は完全にオーバーヒートし思考能力は完全に停止を告げた。
抗うことを放棄し、僕は誘われるまま彼女の住むアパートへと勝手に足が歩き出す。
(こんなシーン、ヤスから借りたエロ漫画にあったな・・「今日・・・両親とも出かけているんだ、テヘ」みたいな、はなから両親いねーし!そうだ・・いないということは、え?)
途端 心臓が破裂しそうなほど鼓動を始める。
(落ち着け、落ち着け、静まれ、俺よ静まれ。鎮まれマイサン。トイレをお借りするだけだから。馬鹿じゃねーの。トイレだよ、たかがトイレだろ、キモイんだよお前。って出るのかこんな状態で?無理でしょ。でも出ないと嘘だとバレる。まずい。とにかくトイレだ、トレイ・・・「いっトイレ」・・・って馬鹿だろお前。真性の馬鹿だろ!馬鹿!馬鹿!馬鹿!)
手すりがグラグラする階段を登る。
(うわーヤヴァイ本気でヤヴァイ、手と足が一緒に動いていることに今気づいた、普段どうやってるんだっけ、同時じゃないよね、あれ?同時だっけ?右、左、右?違う違う・・・あー助けて、いや助けないで、あーヤヴァイ、あーヤヴァ~イ!)
彼女は登ってすぐの部屋の戸を無造作に開けた。
「入って右ぃ」
そう言って指をさす。
(間をおかない!普通は男子が、しかも同級生の男子が自宅に入るのに、片付けない?「ちょっと待ってて~」があるんじゃないの?母さんですらそれやるのに。あってしかるべきだと思ったんだけど、しない人もいると、待たせないと、男前ですねぇ~麗子さん、フゥー!格好いい~!サムラ~イ!芸者!フジヤマ~!)
初めて女子の部屋に入る。