迷いの宮殿
「そう言えば皇太子、いえ皇太大甥セルゲイは何歳なんですか?」
「確か……今年で17歳だったかと思います」
「17歳ですか。若いですね」
「そうですね。もっとも、私達が言えるような台詞ではありませんが」
「それもそうでした。私達まだ15歳でしたね」
この歳で自分の年齢を忘れるのはまずいんじゃないだろうか。若年性健忘症を心配した方が良いかな。
「……」
マヤさん、ちょっと睨まないでくれます? 怖いから。年齢の話題出したのわざとじゃないの。別にマヤさんが俺より7歳も年上なこと気にしてないから!
「マヤ」
「なんでしょうか、エミリア殿下」
「あまりいじめないでくださいね」
「いじめてませんよ。単に睨みつけてただけです」
やめてください心臓が止まります。
「まぁ冗談はさておき」
いやマヤさんの目は8割5分は本気でしたよ?
「この継承問題は、将来我が国にとって無視できぬ影響をもたらすことになると思います。問題を静観するにせよ、介入するにせよ、何らかの準備をしなければなりません」
「そうですね……でもその前に情報を集めない事には何もできません」
「そうだな、機先を制するにはとにもかくにも情報と言うしな」
さすが剣兵科首席と三位だね。わかってらっしゃる。
「……問題は、今までエミリア殿下が仰られた情報は、全てカロル大公殿下が懇意にしている大貴族の方からの情報なのだ」
「ほほう」
いわゆる大公派貴族か。大公派は東大陸帝国とのパイプがあるみたいだし、その辺の情報も入ってくるんかな。でも独自の情報ルートを持たないのはきついな。そこら辺の事は大貴族様が独自のパイプを使って得るものだ。大貴族からの支持が少ないエミリア王女殿下にとってはつらいところだろう。
「まぁ、嘆いたところで情報が降ってくるわけではありません。このことは後日の事としておいて、今は私の知る情報をユゼフさんに教えます。その上で、ユゼフさんやマヤの意見を聞きたいのです」
「わかりました。私もエミリア殿下のお役にたちたいですし」
「私も、エミリア殿下のために微力を尽くします」
そのために今まで頑張ってきたと言っても過言ではないのでね。
「ありがとうございます。では、話の続きをしましょう」
エミリア殿下は手元のお茶を豪快に飲み干すと、隣国の情報について話した。
「さて。もし孫娘エレナの子が男子だった場合、おそらく血を見ずにはいられないでしょう」
「イヴァンⅦ世の意向はどうなのです?」
「今の所、何もありませんね。ただ、イヴァンⅦ世は異母弟のヴァシーリーⅤ世と仲が悪かったと聞いております。ですので、ヴァシーリーⅤ世の孫であるセルゲイに帝位を継がせたくない、と思っていても不思議ではありません」
「なるほど。では他の貴族たちはどちらに着くでしょうか」
帝位継承問題で重要になるのは貴族の後ろ盾だ。貴族の支持を得られなければ、私兵をつかって反乱を起こされる可能性がある。そこまでいかなくても、貴族の経済力や軍事力は帝国にとっても重大なものだ。前世で言う所の、なんか選挙の度に地元の有力企業や資本家がグイグイ来るようなもんだ。
「わかりませんが、おそらくセルゲイが支持されるでしょう。今まで男系男子しか皇帝になれなかったのにここで女系男子を選んでしまうというのは、男尊女卑の考えが強い帝国では受け入れられ難いでしょう」
「ですが仮にも皇帝陛下のお言葉、となると……」
「泥沼ですね。まるで我が国のようです」
「……いえ、殿下は王になるべきです。継承権一位なのですから」
継承順でごねると大陸帝国みたいになる。
「そうですね。でも継承順などどうでもいいかもしれません。優秀な者が王位につけばいいのです」
「殿下!」
「あぁ、慌てないでください。別になりたくないとは言ってませんよ。私は私の義務を果たします」
殿下の言いたいことも分かる。帝位継承一位の暗君よりも、継承二位の名君の方が良いに決まっている。
でも、俺はエミリア殿下が暗君だとは思えない。名君になる余地あると思うよ。本当に。
「あぁ、話が逸れてしまいましたね。貴族の後ろ盾の話なのですが、気になる噂もあるのです」
「噂?」
「はい。実はセルゲイ・ロマノフの母親は今もご存命なのですが、その母親はリヴォニア貴族連合の貴族の流れを汲む者、という噂なのです」
「……なんですって?」
リヴォニア貴族連合、それはシレジアの西にある国家。前世世界ではドイツ帝国と呼ばれた軍事大国である。
「あくまで噂です。それにどの貴族なのかもわかりません。皇族に嫁ぐくらいですからそれなりの地位だとは思いますが……」
でもこれが本当だとしたら結構根は深いかもしれない。継承戦争に発展する可能性もある。だとすると、イヴァンⅦ世は外戚となったリヴォニア貴族による内政干渉を恐れて、無理矢理女系男子を帝位に着けようとしているのかもしれない。……だが、まだ噂の段階だ。容易に信じることはできない。それにこの噂、大公派による悪意が含まれている可能性もある。慎重に検討しないとな。
「……エミリア殿下、大公派はどちらを支持しているか、もしくは繋がりがあるかわかりますか?」
「いえ、そこまではわかりません。そもそも叔父様がなぜ東大陸帝国との繋がりを重視しているのかさえもわからないのです」
殿下はため息を吐くと、しゅんとしてしまった。無理もないか。
「まぁ、まだ時間はあるでしょう。子供が生まれるまで……そうですね、半年ほどの猶予はあるのです。それに、事態の成り行きを見守るのも一手ですよ」
「……そう、ですね。悩んでも仕方ありませんか」
悩んだって仕方ない。ないものはないのだし、嘆いたところで腕が急に伸びたり増えたりはしない。ちょっとずつ進めて行こう。あとマヤさん睨まないで、しゅんとしたのは確かに俺のせいかもしれないけどさ。
「さ、さて、噂の真意をさておくとして、問題は第60代皇帝を補佐するのはいったい誰かということですね」
「どういうことかね、ユゼフくん」
「簡単な話ですよ。イヴァンⅦ世はもうじき崩御する。であれば帝位を継ぐのは産まれたばかりの乳飲み子か、それよりはマシだけど17歳の若者かになる。どちらに定まろうとも、皇帝の政務を補佐する者の権限は強くなるはずです」
政務の補佐をするのは、皇帝政務秘書官だとか帝国宰相だとか、あとは国務大臣あたりだろうか。とにかく、その地位に誰が就くかによってシレジアの運命が決まると言ってもいい。
「17歳の青年ともなれば、きっとそれなりの政治手腕を発揮できるでしょう。であれば、自らの権力を振るいやすい赤子に支持を寄せるかもしれん」
「そうですね。……そう言えば、そのエレナ皇女の配偶者も誰なのかわかりませんか?」
「それなのですが……実はエレナ皇女はまだ未婚なのです」
「……父親が誰かわからないのですか?」
「えぇ。仮にも皇族ですから、行きずりの男性の子ではないのは確かでしょうが……」
ロマノフ皇帝家は、どうやら炎上寸前の迷宮みたいな感じになってるようだ。こりゃ相当奥が深そうだね。