賢人宮
王宮の中は意外と寂れていた。手入れが行き届いていないし、人も多くない。王宮ってもっと華やかなイメージあったけど、こんなもんなんだろうか。っと、あまりキョロキョロすると田舎者感丸出しだな。
そして俺はそれなりに着飾った部屋に通された。見た感じ応接室と言った感じかな。エミリア殿下の私室を覗いて見たかった気もするけどさすがにそれはなかったか。
「そんなに固くならないでください。確かに私とユゼフさんでは身分に違いがありますが、士官学校の同期生で、戦友でもあるのです。もっと肩の筋肉を解してください」
「そうだぞユゼフくん、もっと楽にしたまえ。ここで多少の無礼を働いてもそれを咎める奴はいないのだから」
「は、はい……」
と言われても、この状況下で砕けろと言われて砕けられるほど厚顔無恥でもない。
「……さて、ユゼフさんとは前からこうやってゆっくりお話ししたかったんです」
「恐縮です」
三人で話す機会ならいくらでもあった気がするけどね。
「ユゼフさんには戦場でも士官学校でも、何度も助けられました。この場でお礼を申し上げます」
「え、いえ、そんな恐れ多いです」
王族を守るのは義務みたいなもんだし、それにヴァルタさん、もといマヤ・クラクフスカさんに脅されたし。あの、マヤさんそんなに睨まないで怖いから。まだ私何もしてないって。
「……そ、そう言えば殿下は国王陛下とはゆっくりお話しなさったんですか?」
「えぇ、昨日ゆっくりお話ししました。こちらが言いたいこと全部、ぶちまけてきましたよ」
「殿下もお人が悪いですね。少し手加減して差し上げませんと、陛下も気に病んでしまいますよ」
「肝に銘じておきます。そうそう、お父様もユゼフさんには感謝している、と申しておりました」
国王陛下に感謝のお言葉を戴いた。やったぜ。国王陛下の知遇を得るなんて、今までの中で一番の戦果かもしれない。
にしても、ちょっと引っかかる言葉があった。少し攻めてみようかしら。多少の無礼は咎められないってマヤさん言ってたし。
「しかし国王陛下とそのようなお時間を取れたのは昨日なのですか。殿下が王宮にお戻りになったのは、確か3日前でしたよね。4年半もお会いになっていなかった殿下との時間が取れないとは、陛下も随分ご多忙とお見受けしました」
「……そ、そうですね。お父様は厳格な方です故、国政を放置してまで私に会うことはしなかったのでしょう」
なぜか目を逸らされた。ついでにマヤさんもばつの悪そうな顔をしている。
……ここで昨日のラデックの会話を思い出したのはきっと気の迷いだろう。うん。これ以上深く突っ込むのはやめよう。
「そんなことよりも」
ラデックと同じ論法で逃げないでください。
「私は、今回ユゼフさんと今後の事でお話をしたいと思ったのです。正式に軍に配属されれば、こういう話をする機会はあるかはどうかありませんからね」
「今後の事?」
「えぇ、この国の事、と言えば分かり易いでしょうか」
つまりこの王女様は俺に政治の相談をしようというのか。確実に俺の仕事じゃない気がする。
「なぜ、私なのですか」
「国政に詳しく、そして信頼出来て、気兼ねなく話せる人物というのは、私はマヤと貴方しか知りません」
「買い被りすぎですよ」
「あら、そうですか? オストマルクとの同盟に反対したのは、貴方ですよね?」
言い逃れできない。確かに反対したけどさ……。
「と言うのは半分冗談です。私はユゼフさんとお話がしたいんですよ。そのための口実と思ってください」
「はぁ……」
どこまでが冗談なんだかよくわからんね。
「では、本題に入りましょうか」
「本題とは?」
「えぇ。今後、我がシレジア王国が行くべき方向、です」
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同時刻。
何よりも大切な一人娘がやっと帰ってきたと思ったら男を家に連れてきたという情報を聞きつけたこの国の最高権力者は錯乱した。
「どこの男だ!」
「ハッ。近衛兵からの連絡によれば、ユゼフ・ワレサと言う名の士官候補生らしく……」
「ワレサか、聞いたことあるぞ!」
ユゼフ・ワレサはクラクフスキ公爵令嬢からの報告書に頻繁に出てくる名前である。曰く、戦術研究科所属で農民階級の長男で、成績は下から数えた方が早いとかなんとか。
「賤民の分際で、余のエミリアをたぶらかそうと言うのか! 許せん!」
“賤民”と言ってしまうほど国王フランツは大貴族のような選民思想を持っているわけではない。政治に関しては良い評判を聞かない国王だが、節度のわきまえ方は国王らしいものである。このような事態になったのは、ひとえに娘が心配だからである。早い話が、彼は親バカなのだ。
彼は執事の一人に怒鳴りつけるように言った。
「おい、そのワレサという男がいるのはどこだ。直接会ってやる!」
「……お答えできかねます」
「なぜだ!?」
「彼、つまりエミリア殿下とユゼフ・ワレサ殿とが会談中、たとえ国王陛下であってもこれを阻害してはならない、とのエミリア殿下からのお達しがありまして……その」
「貴様は、エミリアと余の命令、どちらを優先するのだ!?」
「勿論、私は国王陛下の執事にございますゆえ、陛下の指示に従います。ですが、今陛下が殿下とお会いになれば、殿下はどうお思いになるでしょうか」
「……何?」
「陛下が、殿下との仲を壊したくないのであれば、ここは大人しく政務に専念するが良いと存じます」
“ぐうの音も出ない正論”という帝国語はこの時の為にあるのだと、フランツは感じ取った。
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「東大陸帝国の皇帝の名は、ユゼフさんならご存知ですよね?」
「えぇ。第59代皇帝イヴァンⅦ世です」
「そうです。では、イヴァンⅦ世は何歳ですか?」
「……詳しい年齢はわかりません。ですが、かなりの高齢であると聞き及んでいます」
シレジアの話をしようと言われたのに、話し始めたのは東隣の国の皇帝のことだった。確かにシレジアの運命はあの皇帝が握っていると言ってもいい状況にはあるけど。そのイヴァンⅦ世は、良い評判を聞かない人だ。最高権力者としての枠を踏み越えてはいないが、最高権力者としての枠に踏み入れてもいない。要は凡君だ。
「イヴァンⅦ世は72歳だ」
「マヤさん、詳しいですね」
「君が来る前に予習をしといた」
「なるほど、それが首席卒業の秘訣ですか」
復習はともかく予習は嫌いなんだよね。だから中途半端な成績取るんだろうけど。
「それで、そのイヴァンⅦ世がどうなされたのですか?」
「いえ、イヴァンⅦ世が話の本題ではないのですが……、ユゼフさん。また質問で申し訳ないのですが、東大陸帝国の帝位継承権第一位は誰だかご存知ですか?」
「えっ……あの、いや、申し訳ないのですが、存じません」
「大丈夫ですよ。帝位継承権第一位は皇太子セルゲイ・ロマノフと言います」
「イヴァンⅦ世が72歳ですから、やはり彼も高齢なのでしょうか」
「いえ、セルゲイ・ロマノフはイヴァンⅦ世の子供ではないのです」
「えっ、皇太子なのでしょう?」
皇太子って普通、皇帝の子供のことだよね?
「えーっと、確か皇帝イヴァンⅦ世には子供が4人いるのですが、全て女性なのですよ。隠し子も、今の所確認されていないようです」
「なるほど」
東大陸帝国において皇帝になれるのは男だけだ。これは第33代皇帝マリュータ・ロマノフが決めたものだ。まぁ女の子を帝位に着かせること認めちゃったら、正統なロマノフ皇帝家は西大陸帝国にいる人になっちゃうからね。
一方、東大陸帝国以外の国の皇族・王族・貴族は男系男児にこだわっていない。そもそもほとんどの国にとって大恩ある西大陸帝国の皇帝家は女系だし。
そして大陸帝国内戦の原因になったこの男女の区別だか差別の問題は、大陸の価値観に大きな影響を与えている。つまり「男だ女だで揉めると碌なことが起きないよ。かつての大陸帝国みたいにね!」という考え方が庶民の間にも広まっているのだ。だから女性士官とかも数は少ないものの存在するし、女性で家督を継いだり、帝冠・王冠を戴いたりすることはよくある。無論、前世のように「女は家庭にすっこんでろ」的な男性優位の考え方もあるにはある。女性が前線に立つことによる問題もあるから、女性の積極的な徴兵は行われていない。今後どうなるかは知らないけど。
以上余談。
「セルゲイ皇太子は確か、イヴァンⅦ世の異母弟の孫です。ですからセルゲイは正確に言えば皇太子ではなく、皇太大甥……と呼べばいいのでしょうか」
「大甥とは……随分遠いですね。……その大甥が帝位継承権第一位だとすると、そのイヴァンⅦ世の弟やその息子は既に?」
「はい。イヴァンⅦ世の異母弟ヴァシーリーⅤ世は27歳の時事故で早逝し、その子供、つまりイヴァンⅦ世の甥にあたるドミトリーⅡ世は32歳の時に病没しています」
……皇帝一家が事故や病気で早死にする。嫌な予感しかしないなぁ。
「なんだか、頭がこんがらがってきましたね」
「大丈夫ですよ。もっと話がややこしくなりますから」
なにそれ怖い。
「東大陸帝国の帝冠を戴けるのは男子のみ、というのは第33代皇帝マリュータが決めた帝位継承規則ですが、これは男系男子に拘っていないのですよ」
「と言うと、イヴァンⅦ世の娘に息子がいたら……」
「大火事になりますね」
西大陸帝国がもう一つできそうな予感がするのだけど気のせいだろうか。隣国の内戦か、嬉しいやら悲しいやら。
「でも、殿下の仰りようだと、孫はいないようですね?」
「いませんね。何の因果かは知りませんが、4人の娘のうち長女マリヤは既に死亡、三女アンナは未婚、残りの次女ルイーゼと四女アレクサンドラは結婚していますが、ルイーゼの子供は2人とも女性で、アレクサンドラはまだ子供を生んでいません。年齢はそれぞれ42歳と30歳ですから、今後子供ができるかと言えば……」
「微妙ですね。強いて言えば四女アレクサンドラに可能性はありますけど……」
女性の出産年齢は10代後半から30前半が最盛と言われている。だから42歳のルイーゼの妊娠は不可能と言っても良いし、アレクサンドラもそろそろ危ない。それに30になって未だ子供がいないとなると、夫婦どちらかが不妊症である可能性もあるし。まぁ、子供運がなくてまだ生めないだけかもしれないけど。
「そうですね。でも今回の場合はルイーゼの娘の方が問題なのですよ」
「……まさか」
「そう、ルイーゼの娘、つまりイヴァンⅦ世の直系の孫娘であるエレナが、妊娠しているという噂があるんです」