同盟
10月28日。
防衛司令部作戦会議室にはエミリア・シレジア王女殿下、カーク准将、そして第334部隊のメンバー。そして扉の外にはゼーマン軍曹が警備している。
1ヶ月ぶりの会談だ。
「会談を始める前に、閣下にお聞きしたいことがあります」
「なんでしょうか?」
「あなたは、何者ですか?」
場が一瞬、静まり返った。
「あなたがただの軍人であるはずがありません。一介の准将が、このような外交の場につくことなど、ありえませんから」
「……貴族だから、ではダメですかな?」
「ダメでしょう。それともオストマルク帝国には武官と文官の区別がないとでも仰るのですか?」
武官が政治の領分に入るのは厳禁。武官ができる政治は軍事に関することだけ。軍事独裁国家でなければ、どこの国でもこれは守らなければならない原則だ。一応はね。
「これは手厳しい」
「貴方が何者かを教えてくれないのであれば、今日はこれまでとしましょう」
エミリア殿下はそう言うと立ち上がって、会議室から去ろうとした。演技だろうとは思うけど。
「……私は、オストマルク帝国外務省調査局のローマン・フォン・リンツと申します、殿下」
「リンツ……リンツ子爵、ですか」
「左様です」
どうやら我が王女様は准将の正体に心当たりがあるらしい……けど口を挟みにくい雰囲気。後で聞いておこう。
「して、リンツ子爵閣下は我が国に対し何を要求するのでしょうか」
「要求、というより提案と言ったところですが。先日私が言ったのと同じこと、つまりはシレジアとオストマルクが手を結び、共通の敵に対して肩を並べ対処する枠組みの形成です」
「……その枠組みについて、いくつか質問があります」
「なんでしょうか」
「貴国が、そのような提案をなさる理由について聞きたいのです」
周辺国にとって、シレジアはただの餌だ。肥沃な土地に、そこそこの人口と経済力がある。だが国土の大きさに比して軍事力は貧弱と言ってもいい。その気になれば、それこそ鎧袖一触で滅亡できるくらいに。そんな国と同盟を結ぶより、いっそ他国と結託して一緒にシレジアを滅ぼした方が何倍かお得な気がするが。
「各国にとって、我がシレジアは併呑してしまった方が良いでしょう。その中で、貴国が我が国と同盟すればいらぬ軋轢を生むのでは?」
「確かに、殿下の仰る通りではあります。しかし我が国、そして貴国にも利点がある話だと思います」
「利点、とは?」
「まずご質問にあった我が国の利点について述べましょう。我が国はシレジアと同盟関係を結ぶことによって、共通の敵に対する牽制ができます」
「共通の敵?」
「東大陸帝国、と言えばよろしいでしょうか」
東大陸帝国は現在、経済が低迷している。でもそれが立て直されるのも時間の問題かもしれない。最悪の時期は脱したし、国内の改革をどうにかして推し進めれば一気に巨大な帝国が再誕することになるだろう。
「シレジアが滅亡し、各国に分割された後はどうなるでしょうか。答えは簡単明瞭、3つの国が覇を競いあうこととなるでしょう。シレジアを戦場として」
「……そうですね。しかしそれだけでは、貴国がシレジアに加担する理由にはなり得ません。もっと別の国、たとえばリヴォニア貴族連合と組んだ方がよろしいのではないですか?」
「無論それも考慮に入れましたが……些か気になる情報があったもので」
「それは?」
「……いえ、いまだ未確認情報の部分が多く、お答えするのは差し控えておきましょう。とにかく、リヴォニアと我が国は手を結ぶことはできないと思います。だからこそ、私たちは残された選択肢として、シレジアとの同盟を望むのです」
「しかし我がシレジアと貴国との間にわだかまりがないわけではありません。そうですね?」
ここで言うわだかまりとは、先の第二次シレジア分割戦争の時にオストマルク帝国に割譲させられた元シレジア王国領のことである。そなりの経済規模を持った貴族領を2つ割譲させられたため、シレジア王国の経済が低迷した。そして当地に住むシレジア人の処遇についても、あまりいい噂は聞かない。
「はい。仰る通り、難しい問題があるのも確かです。その点については今後、2国間で話し合って解決できればと思います」
カーク准将、いやリンツ子爵は明言を避けた。あくまでここは非公式の場だし、子爵は大臣ではない。政治的係争地の処遇について権限を持っていないだろう。
「……わかりました」
エミリア殿下もわかっていたのか。それ以上は追及しなかった。
休憩という名目で、リンツ子爵は別室に移動してもらった。こういう外交の場で休憩っていうのは「ちょっと周りから意見聞きたいなー」という意味だ。本当に休憩する奴はいない。
「みなさん、どう思いますか……と言っても、ここには政治家はいませんが」
「殿下、私たちは一介の軍人であり、武官です。政治の領分に首を突っ込むのはどうなのでしょうか」
「問題ありません。ここは非公式の場で、ここはラスキノ軍防衛司令部の作戦会議室。そして議題はシレジアの国防問題について。だから、あなた達が意見するのは許されます」
だいぶ屁理屈のような気がするが……まぁいいか。
「私は難しくてよくわかんなかったわ。だからユゼフに任せる」
「俺もマリノフスカ嬢に同意見。こういうのはユゼフの領分だろ」
「私もユゼフくんの意見が気になるな。私の意見はユゼフくんの意見を聞いてからにしよう」
「ヴァルタさんまでそんなこと言うんですか……」
俺は参謀であって外交官ではないのだが。
「はぁ……。私の個人的な意見としては、今の段階では判断すべきではないとは思います」
「先送り、ということですか?」
「はい。現状この同盟は利点よりも難点の方が多いです」
ひとつは、さっきもエミリア殿下が指摘したように、両国との間には埋めがたい確執があることだ。
分割戦争で勝ち取った元シレジア領をオストマルクがホイホイ手放すとは思えない。仮にシレジアが譲歩して返還を求めなくても、そこに住むシレジア人は王国に対してどう思うだろうか。「王国は俺らを見捨てた」と思うだろうな。こっちにその気はなくても、民衆はそう思う。そしてシレジア人が下手したらオストマルクで反乱を起こして、さらに締め付けが強くなって、シレジア自体の不信に繋がり同盟自体がぽしゃる。あるいはシレジア王国内からも不安や不満が高まって反乱を起こす……という可能性もないわけじゃない。
これを解決するには、せめてオストマルクが少数民族に対して寛大な政策を行うように要請し、そしてあくまでもそこはシレジア王国領なのだと主張し続けなければならない、形の上だけでもね。
ふたつ目は、東大陸帝国の動向だ。
仮にシレジア・オストマルク同盟が成立したとして、あの帝国はどう思うだろうか。確かに正面からシレジアを攻め落とすのは難しくなった。オストマルクはキリス第二帝国以上の実力を持つとされる大国だ。
そんな国と同盟を結べばどうなるか。東大陸帝国は自分も仲間を見つけようとするのではないか? 例えばキリス第二帝国。例えばリヴォニア貴族連合。オストマルクとの間になんらかの対立を抱えてる国は他にも。その国と手を結んで、同盟に二正面作戦を強いればどうだろうか。もしそうなったら、オストマルク分割戦争の始まりだな。
その対策は……対東大陸帝国同盟としてリヴォニアやキリスを巻き込んだ大同盟を組むことだろうけど、やっぱり各国にあるわだかまりというか係争地が多いから容易ではないだろうな。
そして三つ目。たぶんこれが一番面倒な問題かもしれない。
「それはいったい、なんですか?」
「1ヶ月前にもカーク准将が仰っていたことです。カロル大公派ですよ」
「叔父様……」
「カロル大公、もしくは大公派は東大陸帝国と密接な関係にあると思います」
根拠がないわけではない。5年前のカールスバート政変だ。
あの政変、そして戦争、王女一団襲撃、あれは全て東大陸帝国が裏で糸を引いていたのだろう。東大陸帝国はカロル大公と共和国内の不平分子と繋がりを持った。不平分子のクーデターに加担し、そしてそのクーデターの情報を大公派にリークした。
そして王女がカールスバートに入国した途端、政変が発生。辛くもシレジア王国内に逃れることができた。だがそこで共和国軍の騎兵隊に襲われた。しかも護衛は子供と素人ばかり、本来なら全滅だっただろう。
大公派は人事権を濫用して素人集団に護衛させ、さらには共和国軍を王国内に招き入れ、自然な形で王女を殺そうとしたのだ。王女一団がすぐに発見されたのも、きっと帰還ルートの情報が敵に渡っていたから。
そして敵騎兵隊に紛れていた所属不明の騎兵隊長さん。あの紋章がない豪華な剣を持つあの人。おそらくは東大陸帝国の人間だったのだろうな。
これで大公派は東大陸帝国と繋がっている、と思わない方が不自然だろう。
「と言ってもこれは推測です。物証があるわけではありませんが」
物証もなしに大公を弾劾できない。そもそもあの時は大公は馬車の故障でエミリア王女様から遠く離れた場所にいたのだから。貴族の誰かがやっただけだ、と言われてトカゲのしっぽ切りが行われるのが関の山だ。そしてその証拠を掴んだ俺らはたぶん死ぬかもね。訓練中の事故とか友軍誤射とかそんな理由で。
「ユゼフくんの推測が当たっていたとすると――いやおそらく当たっているだろう――オストマルクとの同盟は危険が大きいですね」
「えぇ、下手をすれば……」
エミリア殿下は、それ以上言わなかった。みんなわかっていたから、言う必要がなかったのだ。
東大陸帝国と繋がりを持つカロル大公。
オストマルク帝国と繋がりを持つかもしれないエミリア王女。
このふたりはどちらもシレジア王位継承権を持つ身である。
下手をすれば、内戦になる。