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大陸英雄戦記  作者: 悪一
ラスキノ独立戦争
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一時の休息

 

 東大陸帝国の帝都ツァーリグラードから少し南に離れた郊外に、「春宮殿(ヴェスナードヴァリエーツ)」と呼ばれる華美な宮殿がある。春宮殿はロマノフ皇帝家の親族や外戚が住む離宮であり、広大な庭園は春になると多くの花が賑わいを見せることからこの名がついたとされる。

 現在この宮殿には帝位継承権第一位の、つまり何もなければ第60代皇帝となるであろう皇太子セルゲイ・ロマノフが居住している。



「……という訳でございます、殿下」

「それで? 卿は余に対し何をしてほしいのだ?」


 皇太子セルゲイ・ロマノフは謁見の間にて、帝国軍事大臣アレクセイ・レディゲル侯爵と会見している。内容は、ラスキノで起きている大規模な反乱について。


「これ以上ラスキノで戦っても意味はありません。元々は特に何も持たぬ都市、拘っても仕方ないでしょう」


 セルゲイは皇太子の身分でありながら帝国軍少将でもある。無論それは皇族故の人事であるのだが、彼はその階級に相応しい知識も持ち合わせていた。


「だが安易に独立を認めるわけにもいかぬ。それでは帝国の威信が軽んじられるだけだろう」

「重々承知しております。ですが、キリス第二帝国の動きが不穏なものになっているのも確か。そしてシレジア王国も独立戦争へ介入する動きも見られます」

「シレジア、か。しかしレディゲル候、100年前ならいざ知らず、今のシレジアを過度な警戒心を持たなくても良いのではないか?」

「無論でございます。シレジアは今や亡国、恐れる心配はありません。ですが、まだ例の計画を始めるのは時期尚早かと」

「理由は?」

「現在、我が帝国は南のキリス第二帝国を警戒せねばならぬ状況。ここで西に軍を振り向ける余裕はございません。それに、我が軍は残念ながら二正面作戦を行えるほど軍事的、財政的な余裕があるわけではありません」

「そうだろうな。陛下は国政に興味を持たぬ故、卿も苦労しているだろう」

「いえ、そんなことはございません」


 東大陸帝国第59代皇帝イヴァンⅦ世は音楽と女性にしか興味を示さない人である。最高権力者としての権威を過度に振り回す人物ではないが、政治に関しては閣僚に丸投げしている。それ故に帝国内は改革が進まず、経済は低迷を続けている状況だ。


「にしても、結果的にあの小国の手助けをする形となるのは、些か癪だな」

「問題ありません。いずれ相応の対価を支払ってもらいますので」

「あぁ。だがあの国が我々に対価を支払おうという気を起こすかね」

「彼らの意思など重要ではありません」

「そうだな。……ラスキノ独立の件、陛下に提案してみよう」


 セルゲイはそう言うと、静かに謁見の間から退出した。




---




 10月12日。


 ラスキノ北西戦線は静かだった。停戦が成立した、というわけではない。双方ともに手を出すのを躊躇っているからだ。

 帝国軍は依然数において絶対的有利の立場にあったが、これまでの戦いで多くの兵を死なせたことから余力がなくなり、不用意な攻勢に出れなかった。故に持久策をとるしかなくなり、嫌がらせの攻撃や架橋作戦を不定期に行うしかなかった。一方ラスキノ防衛軍は増援到着の見込みが立ったことから無理強いをして攻勢に出る必要がなくなり、防御に徹するようになった。

 10月8日のあの作戦以降、このような状況が続いていた。この戦況を利用できないか、とラスキノ軍司令部が思ってはいたが、北西戦線以外の橋を全て破壊してしまった以上、戦術的な選択肢が減ってしまったがために有効な策を打ち出せずにいた。


「『覆水盆に返らず』と昔から言うから、今更ああだこうだ言うのは間違ってるとは思う。けど、言いたくなるんだ。渡河の手段をいくつか残しておけば、って」


 ラスキノ防衛作戦を立案し、ここまでラスキノ独立軍の被害を最小限抑え、そして現在帝国軍の攻勢意欲を削いだ張本人ユゼフ・ワレサは、防衛司令部の士官食堂で頭を抱えていた。ラスキノ攻防戦が始まってから既に2週間以上が経過していたが、ユゼフがここまで過去を悔やむのは初めてであった。それは戦線が実質ひとつに集束し戦力に余裕が生まれ、後悔する余裕が生まれた、ということでもある。

 そんな情けない作戦参謀に対して、檄を飛ばすのは騎兵科次席卒業なのに剣兵として第一線に立ち続けたサラ・マリノフスカである。


「今そんなこと言ったってしょうがないでしょ。今やれることをやる、それだけ!」

「わかってる。わかってるけど……」

「男のくせにウダウダ言わないの!」

「男らしさはサラに任せるよ。俺は帰って寝る」

「私は男じゃないわよ!」


 他人から見れば痴話喧嘩か夫婦漫才にしか見えないこの二人の会話は、既にラスキノ独立軍内でも有名である。だがその会話に下手に乱入しようものなら夫役の女性から漏れなく拳が飛んでくる。触らぬ神に祟りなし、ということでこの二人の傍には人が寄り付かなくなる。ただし数人の例外はある。その例外の一人が、サラの隣に座った。


「相変わらずですね。あなた達は」

「あ、エミリア! ちょっと聞いてよ!」


 やってきたのはエミリア・ヴィストゥラ。ヴィストゥラ公爵家の令嬢、ということになっている。


「どうしたんですか?」

「ユゼフがなんかウダウダ言ってるのよ」

「どのように?」

「えーと……なんだっけ?」

「忘れたんですか……」


 彼女はこの作戦においてそれなりの武勲を立てた。南西戦線で部隊を率いて絶妙なタイミングで攻勢をかけ、帝国軍に少なからぬ失血を強いた。

 一方、彼女の本当の地位を知っている数人の知人と上司は、彼女にあまり前線に立ってほしくないと思っている。実際、彼女はこの戦いで一度負傷している。負傷と言ってもかすり傷と言っても良いものだったが、それ以来最前線に立つのは自制してほしい、と副官役のマヤ・ヴァルタから言われたようである。


「別に大した話をしておりませんよエミリア様。ただ今後どうしようかと悩んでいただけですから」

「そうなのですか? でもあまり無理はしないでくださいね。考えることはあなたの仕事ではありますが、時には何も考えず肩の力を抜くことも大事です」

「肝に銘じておきます」

「そうそう。難しい話は今はよしましょう。ゆっくり話す機会なんてこの先あるかわからないんだから」


 そう言う彼女が難しい話をしたところをあまり見た事がない、というのは公然の秘密である。 


「そう言えばエミリア様、ヴァルタさんはどうしたんですか? いつも引き連れてるでしょうに」

「いつもいつも引き連れてるわけではありませんが……彼女は今南部戦線の索敵をしています。不定期に渡河を仕掛けてくるようなので、監視は怠れないのです」

「なるほど。そう言えばエミリア様は敵の将校を捕虜にしたそうですね」

「私ではありませんよ。マヤによるものです」

「え、でもヴァルタさんはエミリア様の武勲だって言ってましたよ?」

「それは彼女の誤解でしょう。私はただ降伏を勧告しただけです」


 今回のラスキノ攻防戦で捕虜になった帝国軍兵は現時点で全戦線合わせて185名。そのうち最も高位の者は、帝国軍第55師団所属のタラソフ中佐である。タラソフ中佐は先の橋破壊作戦において帰路を断たれ、エミリア・ヴィストゥラの降伏勧告を受諾し捕虜となったのである。この時中佐は武器を川に捨てるよう部下に命令している。


「そういやそのタラソフ中佐ってなんで剣を川に捨てたの? 別に川じゃなくてもいいじゃない」

「……おそらく、我々に使わせないためでしょう。中佐による最後の抵抗なのでしょう」

「帝国にもそんな奴がいるのね。帝国の指揮官は臆病な貴族か蛮勇な貴族しかいないかと思ったわ」

「そんなことはありませんよ。確かに貴族の指揮官は多いでしょうが、帝国にも平民出身の将官もいると言う話です」


 貴族の指揮官が多いのは東大陸帝国に限った話ではない。貴族や王族などといった制度がある国では高級指揮官に一定の割合で貴族がいる。そして残念なことに、コネや家の力のみで昇進した者も多いのである。


「いくらでも優秀な人間なんているものですよ。まだ時間はありますし、ゆっくり見つけて行けばいいのです」

「そうですね」




---




 だが、このラスキノ防衛司令部にはゆっくりしていられない人物がいた。独立軍補給参謀代理であるラスドワフ・ノヴァクである。


「捕虜に警備の人員と食糧が奪われる……でも殺すわけにはいかない、クソッ」


 彼は取り立てて武勲を立てているわけではない。彼は増援部隊の指揮を執った以外は後方に下がって補給と人員の整理、部隊の再編等の後方業務を行っていたのである。地味だがとても重要な仕事であり、前線で好き勝手暴れるサラやヴァルタを縁の下で支え続けた。


「えーっと、南部戦線で矢が足りないって? だったら使うなよ!」


 彼は前線部隊が好き勝手に物資を消費する状況に毒を吐いたが、それでも仕事はきちんとこなした。矢の不足は、帝国軍が放った矢を回収し再利用すること、それでも足りない場合は魔術兵によって補うことなどの対策を部隊に提案した。


「次は……あぁ、うん、そうか。食糧が足りないと言うか。俺もだよ!」


 彼は今日、まだ食事を取っていない。

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