撤退と増援
橋が破壊されたという報が帝国軍師団司令部に届いた時、司令部は混乱に包まれた。
「どういうことだ!?」
「北中・北東の跳ね橋が反乱軍の魔術攻撃により崩壊しました。南部方面でも魔術の発動光が確認されており、おそらくそちらも……」
「野蛮な奴らめ! おい、工兵隊を呼び出せ。それと被害状況の把握だ、急げ!」
「ハッ!」
北西戦線は他の戦線に比べ道幅が広く兵力は展開しやすい。だがあくまでも街道としては広いと言うだけで、帝国軍が有利になれるほど大きなものではない。
サディリン少将はその数の有利を生かすために、架橋を検討した。
「第3工兵中隊長、メンコフ少佐であります!」
「来たか。早速だが相談がある」
「何でしょうか、閣下」
「北中及び、北東戦線で橋が破壊された。これを修復、もしくは仮設の橋を架橋することはできるか?」
「……難しいと思われます」
「理由は?」
「我が工兵隊が架橋・修復する中、反乱軍が黙ってそれを見ているはずがありません。上級魔術数発で全滅する可能性がある、見晴らしのいい橋の上では難しいかと」
「では我が軍も上級魔術によって架橋を援護すれば、できるか?」
「それも難しいと思われます。魔術兵は死角の多い市街ではかなり前進しなければなりません。旧市街からの弓矢や魔術攻撃を受け、先の魔術攻勢時のように魔術兵隊を大量に失う羽目になるかもしれません」
「ふむ……仕方あるまい」
そう言ってサディリン少将は架橋作戦を諦め、工兵隊長を下がらせた。
「それで、詳細な被害状況は?」
「はい。第55師団の状況は依然不明なままですが、北中・北東戦線の状況は入っております」
「構わん。読み上げろ」
「ハッ。北中戦線での戦死及び行方不明者は128名。北東戦線のそれは119名。戦傷者は両戦線合わせて913名です」
「南部戦線でも同様の被害があるとすれば、被害は合わせておよそ戦死500、戦傷2000というわけか」
「このままでは戦線維持に支障が出ます。ここは一旦攻勢を中止し、持久戦に転換した方がよろしいでしょう」
「……第55師団のシロコフ少将に連絡。戦力の再集結を行う」
「閣下!」
「持久戦を行うにせよ短期決戦を行うにせよ、南部からの侵攻は不可能になった。最低限の兵力のみを残し、北部戦線を増強した方が良いだろう」
「……わかりました」
これまでの帝国軍の戦いは醜態と言ってもいいものだった。10月8日時点での帝国軍兵の戦死傷者の合計は6,000名以上であり、これは全体の3割を超える数字である。これはサディリン少将が力任せに攻略を推し進めようとしたために被害が増大したのが原因だが、要塞でもない通常の都市である新市街がこれほどまでに重厚な防御を有しているとは想定外の事態だったのである。
そしてこの状況に追い打ちをかけるかのように、憂慮すべき情報がシロコフ少将にもたらされた。
「シレジアに大規模な部隊、だと?」
「はい。少なくとも10個師団の兵力が国境線に展開しております。おそらく、ラスキノ独立軍を支援する目的でしょう」
「10個師団だと……? シレジアがそんなにも兵力を集められるとは考えづらいが……。それは確かかね?」
「まず、間違いありません」
10個師団がラスキノに増援として加われば、オゼルキの部隊と合わせて5個師団しか有していない帝国軍の不利は免れない。中央よりさらなる増援を求めるしかないが、増援が到着する前に我が軍が全滅する可能性がある。帝国軍はラスキノ独立軍と違い、有利な地形に立て籠もっているわけではないのだから。
「どうしますか。閣下」
「私だけでは判断ができん。サディリン少将と協議が必要だろう」
「そのサディリン少将から連絡がありました。全軍北部戦線に集結せよ、とのことです」
「ほほう。それは都合がいい。すぐに準備せよ」
「ハッ!」
10月10日。
指揮命令系統と部隊の再編制を終わらせた第55師団は、北部の第52師団と合流を完了した。合流後、早速シロコフ少将はシレジアの増援部隊の情報をサディリン少将に話した。
「事は重大です。もしこの部隊がラスキノに到着すれば、我が軍は逆包囲される危険があります。ここはオゼルキまで撤退し、様子を窺った方がよろしいと存じます」
「卿の言にも一理ある。だがこの10個師団が本当に越境すると思うか?」
「……と仰られますと?」
「奴らが越境すると言うことは、すなわち我が帝国に侵攻してきたと言うことだ。それは彼の国にとって危険が大きすぎる決断ではないのか?」
「いや、それはラスキノが独立国である、とするのならば問題ないではないですか?」
「いつから我が帝国はラスキノの独立を認めたのだ?」
「……」
「第一、シレジアごときが10個師団も用意できるとは考えにくい。シレジアの平時の戦力は15個師団程度だ。そんな状況下で10個師団も派遣しては、国防上看過できない事態に陥るだろう」
この時サディリン少将とシロコフ少将は反乱軍にはオストマルクとシレジアの義勇軍が既に存在し、そして問題の増援にもオストマルク軍が多分にいることを知らなかった。ラスキノ防衛部隊の兵の構成は殆どがラスキノの市民と警備隊であり、義勇軍は全体の1割しかいなかったことからその存在に気付かなかったのである。
「ですがこの部隊を無視するのも些か問題でしょう。注意あってしかるべきかと」
「最もだ。シロコフ少将。二度手間になってしまうが、南に哨戒部隊を送り込み監視をさせておいてくれ。規模や編制は任せる」
「わかりました」
「さて、問題のラスキノ旧市街に対する攻勢だが……」
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時を同じくして、シレジアが増援部隊を用意しているとの報告がラスキノ防衛司令官カーク准将の耳に届いた。帝国軍が新市街南部を放棄したため一時的に包囲が解かれ、その隙をついて伝令の馬がラスキノに入ることができたからである。
「シレジア軍3個師団、オストマルク軍8個師団の増援か」
「はい。到着予定は今から約2週間後とのことです」
「2週間か。食糧のことを考慮するとギリギリだな」
しかしギリギリとは言え、これはラスキノ軍にとっての希望が見えたことを意味していた。果てのない防衛戦と減り続ける物資によって士気が下がり続けてたこの時に、2週間後に増援が到着すると言う情報は兵の士気を回復させることができる。何より、勝利と独立が手の届くところまで来たのだから。
「この増援部隊のことを早速全部隊に知らせよ。敵にばれないようにな」
「ハッ!」