ラスキノ攻防戦 ‐新市街本戦‐
9月30日。
帝国軍は手を変え品を変え、ラスキノに攻勢をかけ続けている。昨夜には少数の帝国軍兵によって夜襲がしかけられた。ラスキノ防衛部隊の疲労は極致にある。特に民兵隊の疲弊と士気の低下は著しく、このままでは新市街を守り抜くことは不可能だ。新市街が落ちれば味方の士気に与える影響も少なくない。それに何より問題なのが……
「ラスキノの市民に告ぐ! 今すぐ降伏すれば、身の安全は保障する! シュレメーテフ中将は諸君らに対し寛大なる処遇を以ってするだろう! 重ねて言う、降伏せよ!」
頭にガンガン響く、敵の通信魔術だ。
「くそったれ! 帝国貴族の奴らが、約束を守ったことがあるか!」
度重なる降伏勧告も、民兵たちは頑として拒否している。寛大なる処遇なんて物は擬態だとみんな知っていた。降伏すれば待っているのは農奴人生だ。だが、士気が低下し続ければウッカリ宣伝を信じて降伏する輩も出てくるかもしれない。今は一人でも欠けたら辛い状況だ。でも「降伏するくらいなら死ね」と言う訳にもいかないしなぁ……。
そろそろ限界が近いか。うーむ。
「サラ、水球を上空に打ち上げて」
上空に打ち上げる初級魔術は信号弾の代わり。今回は火球が敵襲、水球は後退具申の意味。
「後退するの?」
「うん。一時的にだけど」
ひとつの防衛線だけが後退すれば、他の戦線の友軍に被害を出してしまう場合がある。下がるときは同時の方が良いだろう。
突撃大好きなサラは少し不満気な顔をすると上空に水球を打ち上げた。暫くすると防衛司令部から信号弾が打ち上げられた。火球1発の後に水球3発。「新市街北部の各戦線は後退せよ」という命令だ。
「よし、サラ。敵の動きに合わせて一時後退する。作戦は覚えているよね?」
「大丈夫よ」
だが敵の正面からの後退は至難の業。人間誰しも、後ずさりしながら戦うよりも前に突進して戦う方が得意だからだ。うまく逃げるにはそれなりの戦術がいる。
まずは後退する前に帝国軍に対して逆攻勢に出る。具体的には敵の先頭集団に対し初級・中級魔術を斉射し、行き足を止める。その後は魔術で敵を牽制しつつ急速後退し、次の防衛線まで退く。分隊ごとに交代で中級魔術を撃っては後退し、次の部隊が中級魔術を撃って後退、これを繰り返す。敵がなおも突進してきたら、またこちらが攻勢をかける。防衛線付近であれば左右の建物から待ち伏せ攻撃ができるだろう。
次の防衛線まで後退できた頃、帝国軍はなお攻勢をかけた。左右からの攻撃に目もくれず、恐怖を無視して突撃してくる。よく言えば勇猛果敢、悪く言えば視野狭窄な突撃だ。突撃してくる敵槍兵には陣形も連携も何もない。ただただ単純で幼稚な突撃だ。指揮官の顔が見たくなるね。
「サラ、俺らで迎撃しよう。魔術は控えめに。魔力温存のためにね」
「えぇ!」
義勇軍剣兵部隊で迎撃。10人にも満たない少数部隊だが、俺以外の人は士気も練度も高い。狂乱して突っ込んでくる素人槍兵隊なぞ鎧袖一触だった。
狂乱状態から壊乱状態になった敵槍兵をさらに追撃。俺らに完全に背を見せて全力で後退し始めた。これ以上追撃すると逆撃を被るかもしれないから、俺らも一旦下がるか。
---
第二防衛線に北部各戦線は後退に成功した、と防衛司令部のカーク准将に伝令があったのは午後1時のことである。
「被害は?」
「被害は軽微、とのことです」
「ほほう。後退戦で被害軽微とは奇跡的だな」
ラスキノ市防衛部隊の損害は今日までにわずか1割、350名余りの戦死者を出しただけである。各防衛線が各々の判断で敵に逆撃を加え失血を強いていることもあって、ここ数日の帝国軍の攻勢は及び腰になっている。
「だがやはり問題となるのは食糧と士気だな」
食糧は残り3週間分、それまでに帝国軍が攻略を諦めてくれなければ我が軍は飢餓で全滅することになる。また食糧が不足すれば味方の士気は崩壊する。飢えた軍隊が戦って勝った試しはない。
「そのうち、人肉を食らうことも覚悟せねばならないだろうな」
「なんとも楽しみな献立ですね」
悠長にそんなことを言うのは、シレジア軍士官候補生で人事参謀代理兼補給参謀代理のノヴァク准尉だ。
「随分余裕だね?」
「指揮官が陰鬱な顔していたら士気に及ぼす影響が大きいですからね。無理にでも笑いますよ」
「もっともだ」
確かに。部下の前で暗い顔をするのは指揮官の仕事ではない。多少は余裕を見せないとな。
「で、ノヴァク准尉。市民の様子はどうだ?」
「ちょっと困った事態が起きてます」
「困った事態?」
「はい。『俺も戦線に参加させろ』という志願が多いんです」
「……ほほう」
どうやらラスキノの市民は帝国軍の攻勢に臆するどころか、むしろ士気を高めているようだな。
「やる気があるのは良いんですが、その中には女子供老人も多くてですね。どうしたもんかと思いまして」
「ふーむ。さすがにその人たちを前線に立たせるわけにはいかないか」
と言っても俺は今現在、15歳の少年少女を前線に立たせ、指揮を押し付けているのだが。
「どうしますか?」
「そうだな。余り気が進まんが概ね18歳男性を基準に動員しよう。今は猫の手も借りたい状況だからな。無論、初級魔術や槍を十分に扱えるのが条件だ」
「その他の人らはどうします?」
「やる気と知識のある者は傷病兵の看護や補給の手伝いをして貰ってくれ」
「了解です」
ノヴァク准尉は良く働いている。補給や輸送などの仕事は軍隊内では地味で人気のない。だがノヴァク准尉はそれを嫌がろうともせず、適確に物事を処理している。オストマルクに来て欲しい人材だ。
「閣下、報告です」
ノヴァク准尉と入れ違いにやってきたのは、私の副官だ。
「どうした?」
「先ほど、南西防衛線より後退の意見具申です」
「やはりな。南部の各防衛線も第二防衛線まで後退させろ」
「ハッ!」
第二防衛線は橋を渡ってすぐの場所。つまりここからが本番だ。
---
第二防衛線まで下がったため、帝国軍の陣形も街道に沿って縦に長くならざるを得ない。縦に長い陣形を見ると側面から攻撃したくなるのは指揮官としては当然の感覚である。
「周囲に配置した民兵を使ってゲリラ的に側面攻撃を行わせよう。無理に攻撃しなくていい。敵を混乱するだけでも効果はある」
「そしたら追撃すればいいと。いつもみたいに」
「そう。いつも通りに」
路地や建物から側面攻撃した兵はすぐに退かせる。敵が路地や建物に入ってきても中は狭い。そこに待ち伏せして各個撃破する。無理そうなら防衛線の所まで戻る。敵が路地や建物を使って奇襲ができないよう各所にバリケードを作って妨害させてるし、いろんな建物に偵察兵を置いているからある程度防げる。
「そういえば上級魔術が全然飛んでこないわね」
「うん。市街戦だと上級魔術は使いにくいからね」
「どうして?」
「上級魔術は威力が高い。下手をすれば建物が崩壊して進軍ルートを塞いでしまうかもしれない。死角も多くなるし、これはかえって防御側を利するのみだからね」
ラスキノは新市街と言えども老朽化の激しい建物が多い。頑丈な煉瓦の建物でもすぐに壊れてしまうかもしれない。
「でもいつまでもこのままかしら?」
「というと?」
「痺れを切らして自棄になって上級魔術を使ってくるんじゃないの?」
それは……十分あり得るな。上級魔術の集中砲火で地区ごと壊滅、なんてやってしまうかもしれないか。
「それを防ぐためには、敵味方入り乱れての乱戦状態を作り出すしかない。そうすれば下手に上級魔術は撃てないだろう」
「もし敵味方の分別なく撃ってきたら?」
「そうしてきたら、こっちも宣伝すればいい。『帝国貴族らは非道なことを平然とする奴らだ。そんな奴らを守るために君ら農民たちはココにいるのか』とかそんな感じで。そうすれば敵の農民兵は葛藤して攻撃を躊躇する。うまくいけばこっちに寝返る」
「なら、早く上級魔術撃ってこないかしら」
「そうだね。敵も味方もいない無人の建物に攻撃してほしいね」
そんなことを言いつつ。敵の攻勢を凌ぐ。
---
10月3日。帝国軍ラスキノ市鎮圧部隊司令部。
サディリン少将の堪忍袋の緒が切れた。
「もう我慢ならん。上級魔術を使って敵の防衛線を打ち破る」
「しかし閣下。上級魔術を使用すれば都市に甚大な被害が出ます。非戦闘員に無用な被害が出るばかりか、建物が崩壊してしまえばそれは敵を利するのみです!」
「しかし、従来の攻勢では敵の防御を撃ち破ることはできん。これを突破するには絶大な火力を以ってするしかない」
「ですが閣下! 市街に対する上級魔術の使用はシュレメーテフ中将から控えるよう命令されています! それでは指令無視になります!」
「確かに『控えろ』とは命令された。だが、『禁止だ』と明確に命令されているわけではない。そうだろう?」
「そんな……!」
「それとも貴様は何か良い代案があるというのか?」
「そ、それは……」
緻密とも言える反乱軍の防御陣の前に帝国軍の攻勢は何度も失敗している。先日やっと新市街の中心部にまで進出することができたが、こちらも3割近い損害を出していた。
参謀は代案を持ち合わせていなかった。ただ目を逸らしただけだった。
「参謀、最も抵抗が激しい地点はどこか」
「……北西戦線です」
「では、その地点に対し上級魔術による攻撃を行う。それに際し、敵に気付かれぬよう同地点に対して攻勢を行い、敵主力の動きを封じる」
「しかし、そうすれば友軍を巻き込む形となります」
「構わん。どうせ死ぬのは平民の奴らだ」
「……!」
「参謀、すぐに準備にかかれ」
「……」
参謀は何も言わず、ただ敬礼するのみであった。