卒業試験
東大陸帝国の西部、バルト海沿岸に「ラスキノ」と呼ばれる小さな都市がある。
人口は1万人程で、これと言った産業もない。ごくごく普通の都市。
かつてラスキノは国だった。非常に小さな国ではあったが、独自の言語を操り、独自の文化を育み、気風溢れる人々を生んだ。国民は飢えもせず、幸せに包まれながら小さな歴史の時を刻んでいた。
そして大陸帝国という強大な力を持つ国家によって、それらは一瞬にして踏み潰された。
帝国による文化破壊、言語絶滅という同化政策によって、ラスキノは地理的概念へと転落しかけた。
だが彼らの文化、言語は帝国の治世を以ってしても完全に消すことはできず、ラスキノの魂は地下で細々と生き残っていた。
そして大陸暦636年、ラスキノの魂が再び雄叫びを上げた。
---
「5年生諸君、卒業間近で申し訳ないが緊急招集だ。これより君らは全員、シレジア東部国境へ行って貰うこととなった」
東部国境? まさか東大陸帝国が侵攻してきたのか?
他の者もそう思ったのか、不安の声を口にする。それが伝播し、講堂は騒然となった。
「まず言っておくが、東大陸帝国が我が国に侵略したわけではない」
?
じゃあなんで東に行くんだ?
「諸君の任務は、東大陸帝国内にあるラスキノという場所へ行って貰う」
知らない都市だ。おそらく地図に乗るか乗らないかくらいの小さい都市なのだろう。
「義勇兵として」
義勇兵? え、義勇兵って言ったの?
義勇兵とは、自由意思に基づいて編成した志願兵というか民兵と言うか愛国心溢れすぎてる軍人と言うか、まぁそんなもんだ。
そして時に、正規軍に所属して正規の装備背負って正規軍のお偉いさんが指揮して正規軍から給料貰って戦いつつ「うちの国の軍隊とは関係ねーから! あいつらが勝手にやってるだけだから!」って言い訳するための言葉でもある。
今回校長が言ってるのは明らかに後者だろうな。うん。
おいはやく卒業させろや。
「今回君たちは自らの意志でラスキノに行って貰う。勿論、参加は自由だ」
さっきと言ってること違ってますよ先生。でも参加しなくてもいいなら堂々と宣言して
「参加しなかった者は4年間の再指導と、10年間の追加軍務を受けてもらう。もしそれを怠った場合、授業料の支払い義務が生じるので注意するように。では、諸君に参加の意思を問う。もし参加したくないと言う臆病者はその場で大きな声で自分の名前を言い、私の所に来るように。その時最終確認を行うので、もし本当に参加しないと言うのなら所定の手続きに従ってほしい」
これ完全に強制ですね。合計9年学校にいて20年間軍務とか殺す気か。そしてここで大声で叫ぶ臆病者がいるはずないだろ! そして校長の所に行ったら家族がどうの国の恥だどうの言うんだろ!? もしそれを乗り越えても書類上の不備だ事務のミスだなんだで結局は参加意思アリになる。
うん、この国だめだわ。
「全員参加意思アリということだな。感謝する」
うわーみんな愛国心にあふれてるなー。
「早速だが、諸君らは明後日に東部国境のタルタク砦へ向け出発する。詳しい任務の内容や軍の規模についてはそちらで説明する。準備を怠らないように。以上」
……はぁ、田舎に帰りたいです先生。
---
集会終了後、エミリア殿下とヴァルタさんが先生に呼ばれた。何の話かだいたい想像つく。王女を義勇兵にさせるわけにはいかないもんね。
数分後、話し合いが終わったのか少し駆け足で戻ってきた。なんかムスッとした顔で。これもだいたい何言われたかわかるよ。でも一応確認
「で、何をお話しになってたんですかエミリア様」
「行くなと言われました」
「でしょうね。それで、エミリア様はどうなさるんですか?」
「私は志願しましたよ、と言いましたが、上層部からの命令であるから行くなとしつこく言われました」
ごもっともである。もし殿下に傷がつこうものなら先生の首が物理的に飛ぶことは免れない。
「だからあの方たちに言ったのです。あなた達は軍務省の命令と、公爵令嬢たる私の命令、どちらを優先するのかと」
やめてさしあげましょう? なんか普通に可哀そうだから。
「ワレサくんが心配することはない」
「ヴァルタさん」
なんだかんだと頼りになる姉御! エミリア殿下をなんとかして止めてくれる!
「エミリア様は私の責任でもってお守りする」
あ、そっちなの。連れて行かないという選択肢はないのね。
「無理を言っていると自覚はありますが、ここで引いては士官学校に来た意味がありません」
殿下はいつも毅然としてらっしゃるが……。
「でも今回は外征です。どのような内容かはわかりませんが、事によっては政治的な問題になりかねませんよ」
「問題ありません。私はまだ爵位を継いでいない一般的な公爵令嬢です」
一般的ってなんだっけ……?
「しかし万が一と言うことも」
「万が一のことは起こさせないと言っているだろう!」
姉御がキレた。怖いからやめて?
「それにサラさんやユゼフさん、ラデックさんもいます。問題ありませんよ」
あるようなないような。いややっぱりあるよ。
「マヤさん、寮に戻り急ぎ準備をしませんと遅れてしまいます。行きましょう」
「承知しました、エミリア様」
二人はそう言うと俺を無視して女子寮へ駆け足で向かった。
……はぁ。気が重いなぁ。
大陸暦636年8月19日。この日、士官学校第5学年の卒業試験が始まった。