噂
オストマルク帝国。
前世で言う所のオーストリア=ハンガリー二重帝国があった場所に位置している。
前世でもこの世界でもこの国は多民族国家として有名で、ひとつの国の中に10近い民族が住んでおり、すべての民族は皇帝の名のもとにみな平等である、とされている。
現在の皇帝はフェルディナント・ヴェンツェル・アルノルト・フォン・ロマノフ=ヘルメスベルガー。なげぇよ。
そしてオストマルク帝国は、かつて反シレジア同盟に参加していた。
---
ここはオストマルク帝国の帝都エスターブルク。華やかな街並みを持つその城塞都市の中心にはロマノフ=ヘルメスベルガー皇帝家が住む広大な宮殿がある。
今日ここでは、皇帝フェルディナント以下略の30歳の誕生日を祝う盛宴が開かれていた。
「シレジア王国と言えば妙な噂を聞きましてね」
そう口を開いたのは帝国の内務大臣補佐官のコンシリア男爵だ。右手にはワイングラスを持ち、彼も少し酔っていた。
貴族の噂は大抵、他の貴族が流したものである。貴族特有のネットワークによってその噂は貴族社会を駆け巡る。駆け巡る過程で情報は劣化し改変されていくものだが。
「ほほう? どんな噂かな?」
コンシリア男爵の語る“噂”に興味を持ったのは、資源省次官のウェルダー子爵。
「いやぁ、あくまで噂なのですが……。シレジア王国の王女……名は確かエミリア、でしたかな。その王女が士官学校に入学したそうです」
「それはそれは、突飛な噂だ」
シレジアの王女はまだ10歳、そのような幼子が士官学校に入った、などという噂はにわかには信じ難かった。
「あくまで噂です。おそらく、似たような名の人間が入学しただけなのでしょう」
「だろうな。もしそうだとしても、長くは持つまい。シレジアの士官学校が並の士官学校であればな」
どこの国でも士官学校と言うものは厳しい訓練が待っている。箱入り娘たる王女にその生活に耐えられるはずがない。
「だがシレジアも先の戦争で人材が不足してきているという話だ。そういう一面があるやもしれんな」
「そうですな。なんせ1万の将兵を失ったそうですから」
「だが我が国にとっては喜ぶべき結果かもしれん。彼の国はもはや外征することはできないだろう」
「ゆっくりと滅亡を待つだけ。問題はどこの国が滅ぼすか、ですかな?」
シレジアをどこの国が奪うか、これがこの時代のトレンドだ。
「おお、そう言えば私もシレジアに関して妙な噂を聞いたな」
「おや、子爵もですか」
「あぁ。シレジアのフランツ国王の弟であるカロル大公が、東大陸帝国と繋がっている……という噂だ」
「……これまた、そちらも随分大層な噂ですな」
シレジア国王フランツの弟、カロル大公は公明正大・文武両道で名君たる素質を持つ人物であると聞くが、意外とそういう一面もあるのだろうか。
「しかしあくまで噂でしょう?」
「あぁ、あくまで噂だ」
そう言って男爵と子爵はこの話題を打ち切り、次の話題に移った。
---
パーティーからの帰途、馬車の中で彼は熟考していた。先ほど聞いた噂。酒の席で、なおかつ出所不明の噂であったが、全くの嘘とは思えない。
このような噂は、多分に真実を含んでいるものである。
シレジア王国の次期国王候補が東大陸帝国と接近している。もし本当であれば、憂慮すべき事態である。
すべて事実ではないとしても、調査すべき情報だ。
「……御者、外務省庁舎に行ってほしい」
「わかりました」
直属の上司に、相談せねばならない。
「あの国が今滅亡して貰っては困るからな」