表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大陸英雄戦記  作者: 悪一
エミリア
35/496

大陸史 その3

 前回どこまでやったっけ?

 あ、そうだ思い出した。シレジア王国成立までだね。今回はシレジアの昔話をしよう。


 大陸暦452年、シレジア王国は独立する。初代国王の名はイェジ・シレジア。こいつは元々大陸帝国の伯爵で、シレジア領を統治していた。


 シレジアは肥沃な土地を持ち、農業生産額は大陸でも五指に入る裕福な領地だった。当然帝国からの締め付けは強かったが、代々の領主シレジア伯爵の統治が良かったおかげで領民が飢えることはなかったらしい。


 が、ある時大陸帝国で帝位継承を巡って内戦が起きた。そう、国を巻き込んだ盛大な兄弟喧嘩だ。


 

 東大陸帝国は、辺境の反乱軍を鎮圧するために各地からあらゆるものを徴発した。例えば食糧とか鉄とか人員とか金とかね。

 当然各領から不満が上がった。そこに付け込んで西大陸帝国が資金援助だの武器供与だのをして反乱を煽ったわけだ。

 ただシレジア領は元々裕福で余裕があった。確かに徴発の量は半端なかったし帝国本土の奴らはなんか偉そうだったけど、西南大陸帝国はシレジアと地理的に離れていたから戦火に巻き込まれることはなかった。


 内戦勃発から150年経過した。


 相変わらず徴発の量が酷かったけどなんとか我慢できた。

 苦しいけどイェジ・シレジア伯爵は我慢した。この時は反乱起こしても勝算なかったし。


 我慢したが、帝国本土の奴は何をトチ狂ったのかさらに重税をかけてきた。たぶん「シレジア領まだ音を上げてないからもっと徴収しても問題ないはず」とか思ったのだろう。まさに外道。


 イェジ・シレジアはキレた。


「そんなに払えるかー! ちっくしょー!」


 と執務室で叫んだらしい。あ、これ無修正だから。このまんま言ったらしいから。


 大陸暦450年、シレジア伯爵の乱。


 だがシレジア伯爵は内政に関しては天才と言ってもいいぐらいの名君なのだけど、外交だの戦争だのについては専門外だった。

 そこで伯爵は親友であり帝国軍少将だったエルンスト・コシチューシコに土下座した。


「仮にも皇帝陛下に弓を引くことはお前にとっては不本意だろうが、シレジアの領民を助けるためにどうか力を貸してくれ」


 とかなんとか。

 恥も外聞もなく、伯爵はコシチューシコに土下座した。


 コシチューシコは、本気で土下座する伯爵に感銘を受けて、もしくはドン引きして、シレジア独立を手助けすることに同意した。


 そして2年間の独立戦争を経て、シレジア領は独立と相成ったわけである。

 コシチューシコ少将はシレジア王国軍初代総司令官の座につき、国王となったイェジ・シレジアから公爵と元帥の地位を与えられた。


 うんうん。感動的な話だね。ここで終われば。


 独立から2年後の大陸暦454年、コシチューシコはクーデター未遂を起こした。

 原因は確か、政治意見の相違だったかな。

 国王は「独立間もないし戦禍によって経済が疲弊している。国内の産業を立て直すべきだ」と主張し、元帥は「東大陸帝国が未だに強力な隣国として存在し続けてる以上、現状の戦力では国防に不安がある。だから軍拡すべきだ」と主張したそうな。

 どちらの意見が正解なのかは俺にはわからんが、とにかくこの政治的対立が感情的対立に変化してコシチューシコがクーデターを起こしたのである。


 そして失敗した。当然コシチューシコは粛清された。未婚だったのでコシチューシコ家は断絶している。




 大陸暦470年、イェジ・シレジアが病没し、彼の息子であるマレク・シレジアが18歳で王位に就いた。


 マレクは父と違って軍事の天才だった。

 イェジが築いた経済基盤を背景に軍拡を推し進め、大陸で一、二を争う軍隊を保有するに至った。


 マレクはその軍隊を使って東大陸帝国に喧嘩を売った。当時のシレジア王国軍は精強で、そして東大陸帝国軍は長く続いた内戦のせいでかなり貧弱だった。結果はお察しください。

 東大陸帝国に完勝したマレクは、勢い余って国境接してる国全部に喧嘩を売った。さすがに同時にじゃないが。

 でもどれも勝っちゃうんだよねこれ。この時国をいくつか滅ぼしたらしいし、どんだけ強いんだマレク国王。


 結局マレク・シレジアは常勝無敗の天才であり続けたまま大陸暦518年に馬から落ちて死んだ。最後の最後でカッコ悪い死に方をするなと言いたい。



 イェジ・シレジアが残した経済基盤と、マレク・シレジアが残した軍隊と領土。この2つを持ったシレジア王国は黄金期を迎えることとなる。

 第3代国王グロム・シレジアもちょっと変わった性癖を持っていたが、堅実的な治世を続けたため国は豊かであり続けた。

 ……え? どんな性癖を持ってたのか気になるって? それは、その、なんだ、えーっと、うん。


 さすがに初潮が来てない子はダメだと思うの。




 コホン。


 えーっと、ここからが今回の戦史居残り授業の本題だ。


 黄金期でウハウハしてるシレジアを快く思ってない国がいた。それはシレジアに領土を奪われた周辺各国だ。

 でもまだシレジアは強い。そんな国と戦ったらただじゃすまない。

 じゃあみんなで同盟組んで東西南北あらゆる方向から攻め込めばいいじゃん!


 大陸暦559年、反シレジア同盟成立。この同盟に参加した主な国は東大陸帝国、カールスバート共和国(当時はカールスバート王国)、オストマルク帝国、リヴォニア貴族連合である。


 翌560年、同盟諸国はシレジアに宣戦布告、後世「第一次シレジア分割戦争」と呼ばれる戦争の始まりだった。当時最強と言われたシレジア王国軍は東西南北、四正面作戦を強いられ、562年に敗戦、領土の三分の二を奪わた。

 第4代国王アルトゥル・シレジアは敗戦によるストレスが原因なのか、在位5年で死亡した。


 第5代国王マリウシュ・シレジアは、父の仇を討つべく軍拡に勤しんだ。

 そして前戦争から10年後の大陸暦572年、カールスバートに宣戦布告する。そして反シレジア同盟諸国はカールスバートを守る名目でシレジアに宣戦布告する。

 これが第二次シレジア分割戦争だね。ヴィストゥラ公爵家はこの戦争で断絶した。

 結果はご存じの通り大敗北、領土がさらに半分になり、国王マリウシュは自殺した。在位11年。


 わずか10年で復讐戦争始めた理由については明らかになっていない。

 ただ各国に割譲された地域に住むシレジア人がかなりの弾圧を受けていたそうなので、それが原因なのではないか、と言われている。



 こうしてシレジア王国は今坂道を全力で転がり落ちている。


 現在の国王はフランツ・シレジア。第7代国王。どいう人間なのかは……今俺の目の前に座ってるエミリア殿下がよく知っている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ