開戦の狼煙(改)
大陸暦632年1月11日。
シレジアとカールスバートの国境付近は重々しい空気が流れていた。
「大佐……これは」
「あぁ、あいつら国境を越えたくてうずうずしてるって感じだな。少尉、住民の避難状況は?」
「いえ、少し手こずっております。まだ7割ほどです」
「急がせるんだ。奴らが国境を越えて来たら、どうなるかわからんぞ」
「了解です」
この辺鄙な田舎町に、総勢十数万人の招かれざる客が来ようとしていた。
◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
4年生と5年生に召集がかけられた。校長から出動待機命令が発せられた10日後の、大陸暦632年1月21日のことである。
同時に「状況によっては3年生以下の生徒にも召集があるかもしれない」とも告げられた。
そのこともあってか、俺の所属する1年3組の雰囲気は重かった。
召集を嫌がって退学を検討する貴族の息子がいた。遺書を書く者もいた。もうなにをしてもだめだと、諦めた奴もいた。
俺? 結構落ち着いてたよ。
いつも通り授業を受けて、いつも通りサラに殴られて、いつも通りサラに鞭打たれて、いつも通り寮に帰る毎日。
戦場よりサラが怖い毎日を送ってたせいでその辺の危機感が薄れたんだと思う。
「ねぇ、今日も私の居残り授業でいいの?」
「いいよ」
あの日以降、毎日サラに稽古をつけてもらっている。剣術馬術が中心。弓術はいいや。魔術は教えてくれる人いない。
サラのおかげで剣に振り回されることはなくなり、馬に振り落とされることはなくなった。ついでに痛みにも慣れたし動体視力も良くなった気がする。サラーズブートキャンプさすがやで。
さて今日の授業は剣術と馬術どっちなのかなー、と考えていたら我ら1年3組の担当教官が教室にやってきた。
「今から名前を呼ばれた者はすぐに教務課に来るように」
……召集かな? そうだろうな。それ以外考えられない。
「えー……、アントニ・コロバ。フィリプ・ジューレック。レフ・ビゴス。ハンナ・ヴィニエフスカ……」
先生は大した感情を持たず、淡々と名簿を読み上げる。名前を呼ばれた者を見てみると、みんな絶望的な表情をしていた。死刑宣告をされた囚人のような顔だ。
「……シモン・カミンスキ。ラスドワフ・ノヴァク。サラ・マリノフスカ。ユゼフ・ワレサ。以上16名だ」
……サラと俺は顔を見合わせた。今呼ばれたよね俺? 来たの? 赤紙来たの?
「……今日の授業は中止しなきゃだめかもしれないね」
「もしかしたら、もうしなくてもいいのかも」
冗談じゃない。ここで死んだら転生した意味がないじゃないか。
「とりあえず、教務課に行くか」
「そうね」
サラにそう言って教室を出た。その時ふと気になって振り返ってみると、そこには歓喜の渦があった。とりあえず今を生き延びることができた。そんな顔をしていた。
俺は今どんな顔をしてるだろうか。
◇ ◇
「手短に言おう。諸君らは明日の午前11時を以って南部国境方面軍第3師団第33特設連隊に配属されることになった。詳細は追って知らせる。諸君らの無事を祈る」
今日の日付は1月22日。昨日4、5年生を召集したばかりなのだがまだ足りなかったらしい。3年生以下の成績優秀者にも召集がかかった。
あーあ。俺も遺書でも書くかな。死んでも次の転生ライフが待ってるなら潔く死ねるのだが、次も転生できるとは限らない。
第一、俺はまだ童貞だ。誰かの言葉じゃないが、童貞で死ぬつもりはない。
……ってか俺、成績優秀者でいいの? 実技壊滅だったよ?
それに座学壊滅のサラも召集されたし。どういう基準だ。もしかしてみんな予想以上にバカだったの?
「諸君らには明日以降の授業には出なくても構わない。単位の心配もしなくていい。無事ここに帰ってくるのが試験だ。いいな」
先生の口調はひどく落ち着いていたが、同時にすごく申し訳ない顔をしていた。俺なんか10歳だし、こんな子供を戦場に……という良心の呵責からなのか。
先生たちを責めるつもりはない。召集メンバーを決める権限は先生にはないし、それに先生にも何人か召集がかけられていた。いつ死ぬかわからないのはお互い様だ。
「……微力を尽くします」
俺はそう言って、先生に敬礼をする。サラやラデック、他のみんなも同じく敬礼した。
習ったばかりで、どれもこれも不恰好な敬礼だったが、先生は何も言わず返礼してくれた。
◇ ◇
大陸暦632年1月28日。この日、カールスバート共和国軍はついに国境を越えた。
後世、シレジア=カールスバート戦争と呼ばれた戦争が幕を上げた瞬間である。