王女の憂鬱(改)
それは、カールスバート政変が起きる10日前のお話。
「殿下! 準備をなさってください!」
「嫌です。行きたくありません」
「そう仰られては困ります! どうか言う事を聞いてください」
「私は王宮から出たくありません」
シレジア王国の王都シロンスク、その中心には代々の王家が住む「賢人宮」と呼ばれる宮殿がある。
湖の畔に建てられたその宮殿は、シレジア王国がまだ大陸で一、二を争う強国だった頃に建てられた。
しかし現在ではその広大な土地をすべて管理するだけの財政的余裕がなく、宮殿の三分の一が閉鎖されている。
さて、そんな宮殿のとある一室に、この我が儘な彼女は住んでいる。
彼女の名はエミリア・シレジア。現シレジア国王であるフランツ・シレジアの直系の娘にして、王位継承権第一位の持ち主だ。年齢は10歳。だが幼い頃から王族として育てられてきたためか、年齢以上の風格が溢れている。
いや、溢れていた。
「私が今ソコロフに行ってもどうにもならないでしょうに」
「いえ、これは重要なことなのです。どうか御仕度をなさってください」
エミリア我が儘王女様は近侍と彼此かれこれ1時間は押し問答をしている。
こうしている間にも近侍達の給料が発生しているため、はやく王女に決断してもらわねば国家財政が破綻する、と部屋の外で待機している財務尚書が心配していた。
「今からソコロフに行って何をすると言うの。どうせつまらない老人の戯言を聞くためだけに披露宴に出席せねばならないのでしょう? 私は嫌です」
「いえ、この式典に参加してこそ両国の絆がより深ま」
「るわけないでしょう。そんなことしたって」
さて、この二人が揉めている問題とはカールスバート共和国への親善訪問である。
カールスバート共和国は、かつて反シレジア同盟に参加し、シレジア王国と戦争していた国である。そんな旧敵国に行きたくない王女の気持ちはわからないでもないだろう。だが、大事な式典があるのも確かなのだ。
その式典こそが、シレジア=カールスバート相互不可侵条約締結記念式典である。名前が長いのは仕方ない。
この不可侵条約はこの1年間秘密裏に交渉が続けられており、1ヶ月後の記念式典で初めて大陸中に明かされる条約である。
この不可侵条約を踏み台にしてさらに深い関係……つまるところの同盟関係を目指す動きもあり、両国にとって重大なイベントなのである。
と言う訳でそんなイベントに出席してほしい、と国王が王女に言った。
王女は式典中ストレスで死んでしまうんじゃないかと近侍たちは心配していたのだが、その前にそもそも式典に行くのが嫌と言う想定はしてなかったらしい。
式場で王女を励ます言葉を100個近く用意していたのに、これでは無駄になってしまう。だから近侍たちも必死に彼女を説得しているのだ。
「エミリア、あまり我が儘を言わないでくれ。お前そんな子じゃなかっただろう」
「……叔父様」
近侍達の間を掻き分けて彼女に話しかけてきたこの人は、彼女の叔父、つまり現国王の弟であるカロル・シレジア大公。王位継承権は第二位。35歳。年齢に似合わない髭が特徴的である。
「この式典はとても大事なものだ。場合によっては、国民の命に関わる問題なのだ」
「わかっております、ですが……」
わかっているけど心情的には行きたくない。無理もない。彼女はまだ10歳なのだから。
「これも王族の務めなのだ。我慢してくれ」
「はい……」
この王女、カロル大公には弱い。なぜかは言わないでおこう。
「私もこの式典には同行する。エミリアは落ち着いていれば平気さ」
「……わかりました」
こうして、エミリア王女(とカロル大公)のカールスバート行きは決定した。
表向きはシレジア辺境領土の視察である。