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銭(インチキ)の力で、戦国の世を駆け抜ける。(本編完結) 作者:Y.A
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第三十五話 西遠江拝領と徳川信康

「殿、損害の集計が終わりました……」

「そうか……ご苦労」

 徹夜で目の下に隈ができている本多正重から、光輝は書類を受け取る。

 佐久間信盛が計画し、徳川家康が賛同した武田軍との決戦は、織田・徳川連合軍の大敗北と両者の死によって終わった。
 浜松城外に陣を構える光輝は、織田信張、水野信元、丹羽長秀などと共に敗戦処理に奔走して一睡もしていない。

 翌日、武田軍から主だった将の首を返還すると連絡がきた。
 その中に佐久間信盛の首もあったため、正式に信盛の討ち死にが確認される。

「徳川軍は一万二千人の内約五千人、佐久間隊は生き残りが平手隊の生き残りと合わせても六千人か……」

 バラバラに逃げていた丹羽隊と信張隊の損害が三割に収まって幸いとはならない。
 二人も、自軍の損害の大きさに頭を抱えている。

 三万二千人で決戦に挑んで、一万人以上を討ち死にさせたのだ。
 これは、滅多にないレベルの大敗であった。

「武田軍も酷いようですが……」

 偵察によると、現在まともに動ける武田軍の数は二万人を割っている。
 という事は、五千人を超える死傷者を出してしまったという事だ。

 まだ確認は取れていないが、三枝守友、真田昌輝、山県昌景が討ち死にした可能性が高いとの報告が入っている。
 家康の討ち死にで三河衆が狂乱して武田軍に攻め入り、これに父の死で混乱した佐久間信栄も同調して、両軍に大きな犠牲が出た。

 信玄からすれば、川中島に続く無駄な犠牲というわけだ。
 これらの損害のせいであろう、武田軍は少し陣を下げている。

「信元殿、どうしますか?」

「大殿に判断を仰ぐしかないでしょうな……」

 浜松城の防衛だけであれば何とかなるであろうが、問題は徳川家の方だ。
 当主が討ち死にし、家臣や兵にも犠牲が多い。
 暫くは戦すら不可能であり、その前に三河一国の統治にも不安が残った。
 もしここで武田軍と講和なりしても、今の徳川家だと簡単に武田家に呑まれてしまうだろう。

 三河が落ちれば、今度は尾張が危険になる。
 水野信元からしても、このままというわけにもいかなかった。
 信長から、政治的な判断を仰がなければいけないというわけだ。

「家康殿の嫡男は、いくつでしたっけ?」

「信康殿なら十二歳だ。元服したばかりだな」

 そんな子供に、対武田戦線を任せる。
 どう考えても不可能であった。

「(下手に任せると、武田家に降ってしまうぞ……)」

 信玄は血を吐いて倒れたそうだが、決戦の時には回復して巧みな指揮を取った。
 徳川家家臣達による狂乱というアクシデントに見舞われたが、それさえなければ大勝を誇っていいであろう。

「対石山、丹波も赤井家は信用できないし、加賀一向一揆、播磨や山陰の情勢も不明です」

 その後、信長が動いて武田家と和議が結ばれた。
 現在の領有地域を互いに認めて兵を退くという条件であったが、そんな講和案がいつまでも守られるはずはない。
 信玄は、必ずまた攻めてくるはずだ。

「前門の信玄に、後門の一向宗ですか……」

 南信濃、遠江と二つの対武田戦線を抱え、織田家はまた困難な状況に追い込まれる事となる。




「飛び地か……」

 元亀二年の春、光輝は浜松城内で一人呟く。
 今の織田家の状態は、畿内は比較的安定している。
 講和を結んだ石山は今のところは大人しい。
 またいつ蜂起するかわからないが、それでも畿内が安定しているので信長は領地の整備に奔走している。

 阿波の三好家もすぐには上陸を試みないであろうし、丹波の赤井家も明智光秀が上手く押さえていた。

 信長は安土城で精力的に政務を行いつつ、時おり畿内各地に出向いてその統治に腐心している。
 三度の一向宗蜂起に備えるためであろう。

 西は今のところはいいとして、問題は東である。
 織田家の事実上の筆頭宿老であった佐久間信盛と、対武田家の一翼を担っていた三河の同盟者徳川家康が討ち死にした。

 この報告に信長は大きなショックを受け、急ぎ武井夕庵を使者として武田家に送り込み講和を結んだ。
 条件は、現状維持と一年間の停戦。
 同盟破りには定評のある武田家であったが、予想以上に長引いた戦と兵員の消耗、武田四天王と呼ばれた山県昌景の討ち死にも痛かったようで、この講和は守られると信長は踏んでいる。

 ただし、一年間のみである。
 徳川家の損害は織田家や武田家の比ではなく、現在、家康の嫡男徳川信康が当主となり、生き残った家臣達が懸命にその補佐を行っている。

 だが、あまりに戦死した将が多いので、現状では三河一国の保持が精一杯であった。
 討ち死にした主君の仇と狂乱し奮戦したのはいいが、その犠牲の多さで徳川家の屋台骨に罅が入ってしまった。

 生き残った家臣達の中で、内向きの事に得意な石川数正、有力な武将である本多忠勝、榊原康政などに大きな負担がかかる事となる。

「信康殿の徳川家当主就任と、三河守襲名を急ごうと思う」

 信長は、信康と自分の娘徳姫との婚姻を前倒しし、朝廷に働きかけて任官も急ぎ行わせた。
 信康の父家康が討ち死にした原因の一つに佐久間信盛の無謀な決戦策もあり、むしろそれが大きいので、信長は信康には気を使っている。

「将来はいざ知らず、今の徳川家は三河一国が限界です」

 岐阜を訪れた石川数正は、奥三河の返還を求め、西遠江との交換を申し出た。
 この状況に至っては、織田家と徳川家との間で平等な同盟などあり得ない。
 浅井家のように服属大名扱いとなり、このまま無理に保持すると武田家の侵攻を招く西遠江を一時放棄すると数正が提案したのだ。

「であるか」

 信長はそれを受け入れ、その西遠江は光輝に今回の褒賞として与えられた。

「飛び地で、最前線で、他にも困難だらけですけど……」

「サルと一益に、南信濃で押さえた領地を加増した。ミツの援助がないとすぐに信玄坊主に呑まれてしまう。助けてやってくれ」

 秀吉と一益には、今までの領地の他に南信濃で織田家が押さえた領地が分け与えられた。
 だが光輝が手助けをしないと、一年後には信玄に押し潰されてしまう事は明白であり、そのための西遠江拝領というわけだ。

「我は、石山の手当てと西で忙しいのだ」

「わかりました」

 そんな事情があり、光輝は西遠江を拝領した。
 長篠城を含めた奥三河は徳川家に返還され、徳川家の領土はこれで安全圏となる。

「まあ、浜松城にいる我らが信玄坊主に抜かれなければという条件つきですけどね……」

「徳川家は、全力で新地殿を手助けしますぞ」

 浜松城において石川数正から西遠江を引き渡された光輝は、これからの苦労を思って溜息をついた。
 石川数正が出来る限り手助けするとは言っているが、今の徳川家は三河の統治で手一杯のはずだ。
 早速、三河の一部豪族や国人衆が反抗的な態度を取っているらしい。
 若い新当主である信康が侮られているのであろうが、それ以上に信玄が早速動いている可能性が高かった。

「領内の街道の通行許可だけでいいので、三河を確実に治めてください。後ろから攻撃される事態になると困るので」

「ごもっともです」

 こうして石川数正が徳川家の事実上の家宰となり、本多重次、高力清長、天野康景などと共に三河の統治を始め、本多忠勝、榊原康政、大久保忠佐、忠世が軍の再編、調練、反抗する豪族の討伐なども行うという役割分担ができた。

 信康はまだ十二歳でしかなく、彼が傀儡のような立場になってしまったが、もう少し成長してからでないと任せる事ができない。
 経験を積ませようにも、信玄の脅威が迫っている以上は、失敗ができないので困ってしまうと数正がボヤいていた。

「三河は石川数正殿に任せるしかない。問題はこっちだ」

「同じく難事ですな」

 浜松城の中で、光輝は正信と共に溜息をつく。
 織田家が派遣したすべての軍勢が引き揚げ、現在西遠江を守るのは新地軍だけであった。

 織田信張、丹羽長秀,水野信元は、すべての援軍を率いて領地に戻っている。
 今回の一連の戦の戦功で、また信長は家臣の配置をかえた。

 まず、浅井長政に北近江に続き若狭を加増している。
 丹羽長秀は対石山対策も兼ねて和泉を拝領、三好義継は畠山高政の旧領河内に移封された。
 信長は、隣の大和にいる松永久秀に義継の面倒を見させる予定のようだ。
 明智光秀は坂本城の他に丹波一国を、ただし赤井直正のせいでその支配力は弱い。
 また反抗すると見て、討伐後を見越しての配置であると周囲からは見られていた。

 越前と加賀の一部は、前田利家などの寄騎達と共に柴田勝家に与えられた。
 羽柴秀吉は墨俣と南信濃を、滝川一益は岩村城と南信濃を。

 摂津は信長の直轄地となり、南近江、美濃、尾張と共に現在領国化が進められていた。

 そして光輝は、伊勢志摩、伊賀、紀伊、尾張の一部、西遠江である。

「正信、最近流民が多くないか?」

「戦のあとですから、そう不思議ではないかと」

 西遠江には、現在東遠江や駿河から大量の流民が流れ込んでいた。
 仕方なしに、開墾中の農地に送ったり、街道工事で働かせたりしている。

「南信濃との連絡が不便で困ります」

 石川数正に相談して三河国内の街道利用を認めてもらったのだが、そこまで工事の手が回らない。
 勝手に道を広げるわけにもいかず、南信濃への補給と連絡は東美濃経由が主となっていた。

 西遠江も、今の領域だけでは自給自足すら難しい。
 伊勢から船で食料を輸送するため、港の整備を行う羽目になった。
 天竜川を始めとする河川の治水工事も必要である。

 必要な物資は、やはり新地・伊勢経由で送り込む事になった。

「武田水軍の妨害などはないな?」

「はい、講和は守っているようですよ」

 輸送船団を護衛してき九鬼澄隆が、光輝の問いに答える。

「武田水軍ってどうなんだ? 強いのか?」

「設立間もないですからね。油断しなければ大丈夫です」

 一門衆の年配者や、たまに今日子からの指導を受けて研鑽を行った澄隆は、今では立派な水軍司令官に成長した。
 あとは、もっと経験を積んで貫録をつけるのみだ。

「対武田戦になったら色々と動いてもらう。それまでは、運び屋だな」

「殿、大赤字ですね」

「言うなよ……」

 飢えた狼武田軍に殺されたくはないので、光輝は物資と資金を注ぎ込んで西遠江の開発を続ける。
 浜松城は大幅に拡張され、全軍での籠城も可能になった。
 街道もできる限り広げたが、三河国内はどうにもならない。
 徳川家も、資金と人手不足でどうにもならないようだ。

 流れてきた流民は、希望すれば大規模な開発が進んでいる尾張と美濃にも運ばれ、西遠江開発の人夫として日銭を稼いでる者も多かった。

「正信、調略の方はどうだ?」

 西遠江開発で奔走している最中、光輝は正信に東遠江の豪族や国人衆の調略を行わせていた。
 講和では直接の戦闘は禁じていたが、調略や情報収集までは禁じていない。

 現に、西遠江の豪族や国人で武田側につこうとした者達が数家、新地軍の討伐を受けて滅ぼされている。

 羽柴秀吉も、竹中半兵衛を使って北信濃国人衆への調略を行っていた。

「講和の期限が切れたら、信玄坊主は来るかな? 正信」

「間違いなく来ます。また石山が蜂起するでしょうから」

「もはや恒例行事だな……」

 拡大する織田家に危機感を抱いて将軍義昭が信長追討の密書を出し、それに石山以下の勢力が応じる。
 それを倒して織田家は勢力を広げる。

 信長は、義昭の行動を知っていてわざと放置している。
 情報が早いのは、幕臣にスパイがいるのであろう。
 誰かは知らなかったが、光輝はかなりの大物だと思っていた。

「私も一向宗だったのですが、正直呆れてきました」

 正信は、もう一向宗に未練の欠片もないようだ。
 仏の名を語って民衆を戦に駆り出す、光輝はこんな悪党はいないと常に口にしている。

「まだ野心を剥き出しにする武士や商人の方がマシだな。第一、坊主達は本当に仏様から仏敵を殺せなんて言われたのかね? 仏が人殺しを推奨か。素晴らしい教えだな」

 宗教に関してドライな考えを持つ光輝の発言に、正信は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。
 正信は三河で一向宗について主君家康に逆らい、すべてを失った。
 自分達は新地家に拾ってもらえたからよかったが、一揆で討ち死にした者達は本当に救われたのかと今でも疑問に思っている。

 石山の坊主達が、犠牲者について何か慰めの言葉でもかけたのか?
 貧しい無知な民衆を、自分達が勢力を広げるための道具にしているのではないかと。

「義兄弟とはいえ、そんなのと平気で組める信玄坊主ってのも相当な悪党だな。油断するとどんな策を食らうか……次の出兵までに武田家はなるべく弱らせよう」

「出来る限り努力します。ところで、今日は今日子様がいらっしゃるとか?」

「娘が産まれたから見せに来たそうだ」

「それはお目出度いですな」

 今日子は五人目の子を産み、その子は娘であった。
 光輝に名前をつけてほしいのと、前線に興味があるのかもしれない。
 ああ見えて彼女は、光輝など相手にもならない強さを誇る元エリート軍人なのだから。

「みっちゃん、女の子だよ」

「今日子様、物凄い恰好ですな」

「こういう場所だから動きやすい恰好でね」

 今日子は、いわゆる野戦用将校服というものを着ていて、それを始めて見る正信の度肝を抜いていた。
 カナガワの私室に仕舞ってあった、アキツシマ共和国軍の軍服を着用してきたのだ。

「何もないと思うけど、万が一に備えてね」

「さすがは今日子様ですな」

 武芸がイマイチな正信は勿論、他の新地家で剛腕を誇る家臣達が皆、今日子の強さを理解していた。
 大抵、新入りは『女如きが!』と侮って戦いを挑み、彼女に組み伏せられるのが恒例行事となっている。

「今日子様は、戦場でも通用しそうですな」

「すると思うけど、指揮官が前線で足軽を数名倒しても戦況に何の変化もないよね?」

 元エリート将校である今日子は、新地軍のために訓練マニュアルを書き下ろし、時おり訓練を指導して新地軍を精強に鍛え上げた。
 家臣の誰もが、『実は、新地家一番の実力者は今日子様』だと噂するようになっていたのだ。

「それは事実だよな。俺じゃあ、今日子に勝てないもの」

 そして、その噂を事実だと認めてしまう光輝にも正信達は驚いてしまう。
 それでも、光輝は武芸は苦手と言いながらも常に兵を率いて前線に出るので、家臣や兵士達からの人望が厚かった。

「みっちゃん、この娘の名前をどうする?」

「あ! 愛! 次はい! 伊織姫! 次はう! は……思いつかない。え! で絵里姫!」

「悪くないね。あいうえお順なのはどうかと思うけど」

 光輝の三女の名前は、絵里姫に決まった。

「お市ちゃんも、もうすぐ産まれるから名前を考えておいてね」

「考えておく。娘は可愛いな、嫁に出すのが嫌になるくらい」

「そこは、御家のために我慢してください」

 最初は光輝の考え方が理解できなかった正信であったが、さすがに今は慣れたので、それに合わせた返答ができるようになった。

「そうでした。実は、もうすぐ信康殿がこちらを訪れる予定でして」

「そういえばそうだったな。視察だっけ?」

「はい、浜松城の拡張工事を見学して、岡崎城改修の参考にしたいと」

 どう考えても十二歳の子供にお城改築の指揮など不可能なので、将来のために見学に来たのだと思われる。
 数正も、信康を教育しようと懸命なのであろう。

「殿、この短期間で凄いものですな」

「大きな城だな、数正」

 予定どおりに、徳川信康と石川数正が姿を見せた。
 同行した数正が信康に話しかけるが、まだ子供の彼は浜松城の改築状況にはあまり興味がないようだ。
 新地軍の装備品などにも、信康は興味深そうに視線を向けている。

「(まだ十二歳、数えでも十三歳だからなぁ……)」

 信康は、大半の新地軍兵士が持っている銃剣つきの種子島に興味があるらしい。
 目を輝かせながら見ている。

「数正、我が家にも欲しいな」

「はあ……」

 現在の徳川家には、銃剣なしの種子島が合計で二十丁とないはず。
 あの無謀な決戦で敗北し、武田軍に奪われてしまったもの多かったからだ。

「種子島は大変に高価です。玉薬も同様で、これを使って訓練を行わないと戦力になりませぬ」

「新地家は金持ちなのだな。何とか手に入れよ」

「努力します」

 信康の願いを、数正は表面上だけ受け入れた。
 命令されたからといって、そう簡単に手に入るものではないから努力目標というわけだ。

「信玄坊主めの首を獲り、父上の仇を討つのだ」

 信康は勇ましい事を言っているが、所詮はまだ子供である。
 今の徳川家の状態で、外征など不可能に近いという事に気がついていないのだから。

「その女は何者だ? ここは前線だから下がっておれ」

「ご心配いただいきありがとうございます。新地光輝の妻今日子と申します」

 今日子は、自分を心配した信康に丁寧に挨拶をする。
 女だと侮られたのだが、所詮は子供の戯言と特に怒ってはいない。
 数正は、少し顔色が青くなっていたが。

「噂に聞いたぞ。女子とは思えぬほど強いと。俺と勝負するのだ」

 信康は、今日子の評判を知っていたらしい。
 その強さに興味があるようで、今日子と戦いたいと言い始める。

「殿、いきなりでは今日子殿に失礼かと……」

「いいではないか。多少強いとは言っても、俺には勝てまいて」

 新地家の家臣達の顔が一斉に引き攣る。
 みんな今日子を女だと侮って勝負し、完膚なきまでに負けてその実力を知ってしまった口だからだ。
 だが、それを信康で証明するわけにはいかない。
 今も徳川家は、名目上は織田家の同盟者なのだ。
 織田家家臣の妻が徳川家の当主を、武芸の勝負でコテンパンにするわけにはいかなかった。

「数正様、どうしますか?」

「私は構いません。あまり怪我をされると困りますが……」

 意外にも、数正は今日子と信康の勝負を許可した。
 数正は、若いから仕方がないとはいえ、いつも武芸や軍事の事ばかりに夢中になる信康に、どうにか内政などにも興味を持ってほしいと願っていた。

 一度圧倒的な差で敗れれば、ショックを受けて自分の言う事も聞いてくれるかもと微かな希望を抱いたのだ。

「いいですが、怪我などをしないでくださいね」

「ふん、俺は新地家のように金稼ぎばかり考えておらぬ。常に鍛錬を欠かしておらぬぞ」

「結構なご自信ですね。では、参りましょうか……」

 今日子の案内で、一行は浜松城内に増築された武芸の鍛錬を行う道場に到着する。
 信康は木刀を持って今日子と対峙するが、彼女は何も持っていない。

「武器はどうしたのだ?」

「残念ながら、信康様が相手なら必要ありません」

「後悔するなよ!」

 今日子の単純な挑発に信康は激怒した。
 数正は頭を抱えそうになってしまうが、信康はまだ若いから仕方がないのだと思い直す。

「(今日子、ほどほどにな)」

「(子供に本気は出さないから)」

 光輝が釘を刺したが、今日子はそれに笑って答える。

「勝負開始!」

「やぁーーー!」

 合図と共に信康が木刀で切りかかるが、彼の視界から瞬時に今日子の姿が消え、気がつくと手の甲に手刀を入れられて木刀を落としてしまう。

「信康様、木刀はしっかり持たないと駄目ですよ」

「っ!」

 今日子から拾ってもらった木刀を手渡され、信康は一気に頭に血が昇った。
 顔を真っ赤にするが、対照的に数正はもう勝負はあったなという顔をしている。

「やぁーーー!」

 信康は連続して木刀で斬りかかるが、今日子には掠りもしない。
 剣の軌道がすべて今日子に読まれてしまい、余裕を持ってかわされてしまうのだ。

 そして、いつの間にか投げ飛ばされて地面に叩きつけられる。
 信康は、なぜ自分が投げられたか理解できないでいた。

「信康様は、お年の割にお強いですな」

 道場で鍛錬をしていた島清興が冷静に信康の力量を計かり、その評価を光輝に伝えた。

「清興殿、今日子殿は……」

「数正殿、新地家の家臣は誰も今日子様には勝てないのです」

 今日子が無手でも攻撃は一切当たらず、気がつけば投げ飛ばされ、関節を取られて押さえ込まれ、首を締められて落とされてしまう。

「武器を持ってもお強いのです」

 自分の身長ほどの軽い金属製の棒を武器にして、呆気なく武器を弾き飛ばされ、打ち据えられてしまう。
 清興もたまに稽古をつけてもらうが、一回も勝った試しはないと数正に語る。

「新地家最強ですか」

「勿論殿では勝てませんから、そのとおりですな」

 それから三十分ほど、信康は何度も投げ飛ばされ、押さえ込まれ、首を腕で締められて参ったをする羽目になる。
 信康は体力に限界がきて、横になりながら激しい呼吸を続けていたが、今日子は汗一つ息の乱れ一つなかった。

「こんなに強い者がいるなんて……」

「ですが、戦場ではあまり役に立ちませんよ」

「何?」

「私の夫は私よりも弱いでしょう。ですが、金を稼いで新地軍の装備を整え、領地を開発して領民達の支持を得て力を増す。だから、信玄坊主に負けていない。信康様は、種子島が欲しいと言いましたが、どうやって手に入れますか? 種子島は、玉薬と弾がないと使えません。どうやって手に入れますか?」

「それは……」

 信康は、ただ種子島が欲しいと言っただけだ。
 どうやって手に入れるのかは、数正に押し付けてしまっている事に気がついた。

「武芸も大切ですが、それだけならば前線で槍を振るう足軽でもできます。多少強くて数名を討てても、全体的な戦況には何の影響もありませんよ。信康様が今しなければいけない事は、ただ三河を治めるだけではなく発展させ、増えた税の範囲内で軍備を整えて戦に備える。織田家との綿密な関係の保持も必要です。もっと色々と徳川家の当主として学ばれる必要があるのでは?」

「……」

 自信のあった武芸で今日子に一方的に破れ、説教までされて信康は元気を失ってしまう。

「幸いにして、数正様がおられるのです。武芸以外にも色々と学ばれる方がいいと思いますよ」

「……諫言痛み入る。俺は三河を発展させ、必ずや信玄坊主の首を獲ってみせるぞ。数正、俺に力を貸してくれ」

「ははっ!」

 数正は、信康と今日子を戦わせてよかったと心から思った。

「しかし、新地殿。こんなに強い奥方では大変ではないか?」

「信康様は、徳姫様と婚儀を挙げられるとかで?」

「そうだ。信長公が義父となるのだ」

「表向きは夫が威張っていた方がいいのですが、内向きでは妻を立てた方が夫婦は上手く行くのですよ」

 そう、自分は妻を立てているだけ。
 決して尻には敷かれていないと、確認しながら信康に話をする。

「なるほどな、婚姻の前に勉強になったぞ」

 それからすぐに信康は徳姫と婚儀を結び、自分の出来る範囲内で懸命に三河の統治を始めるのであった。
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