第六十七話 島津家討伐
「先鋒軍では、池田元助殿が討ち死にしました。他にも、坂井越中守、各務元正、林為忠、野々村正成、平井久右衛門殿なども討ち死にし、兵の損失は五千人を超えています」
「半兵衛、そなたの予想どおりになったな」
「容易に想像できましたが、当たっても嬉しくはありませぬな」
天正十九年の秋から始まった島津家討伐は、予想以上の……羽柴家の今孔明竹中半兵衛に言わせれば、想定の範囲内の犠牲が出ていた。
やはり、日向と肥後で国人一揆衆を扇動していたのは島津家であり、織田家による島津家討伐が始まると、彼らは島津軍に合流した。
島津軍と共に彼らはもう後がないと奮戦し、数と装備の優位のせいで敵を侮っていた織田軍先鋒に大打撃を与える。
特に信忠が命じた奉行が二名も討ち死にした事により、朝鮮半島からの撤退に続き、織田幕府の権威を下げるのに十分であった。
「津田殿は、ルソンを落としたと聞いたが」
「らしいですな」
織田軍が島津家討伐で苦戦している間に、遂に津田軍がルソン島を含むフィリピン全土を占領した。
最後まで抵抗していたコンキスタドール(征服者)達をほぼ全員討ち取り、かの地を完全に制圧してしまったのだ。
この件に対し、ルソンを有していたヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)が激怒したが、津田水軍はルソン陥落と同時に多くのイスパニア船の撃沈と拿捕を実行する。
ルソン陥落に続き、イスパニアもヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)も強力な津田水軍に手の打ちようがなく、彼らはイスパニア船の寄港許可を得る代わりにルソンの領有権を放棄した。
現在のルソンを含むフィリピンは、津田家主導で大規模な開発と言語と宗教の同化による支配が始まっている。
これらの重責を担当しているのは、津田家のおかげでライ病が完治した大谷吉継であった。
『兵馬、大出世だな』
『おめでとう』
同じく、津田本家の財務方の幹部になっていた長束正家と、軍政部門の幹部になっている石田三成は、吉継の大出世に喜んだ。
フィリピンの統治と治安維持を統括する総督のような地位なので、大抜擢といえる人事だったからだ。
『嬉しいのは事実だが、やり甲斐がありすぎる仕事だな』
とは言いつつも、吉継は光輝からの期待に応えてフィリピンの安定化に尽力する事となる。
『大殿は、水軍に新たな土地の測量を命じたと聞くが……』
『今は測量だけだな。送り出す人手がいないから』
吉継の出世を祝う席で、彼は三成に外地の事情を説明した。
続けて津田水軍が、ニューギニア島、ニュージーランド、オーストラリア、タスマニア島の測量と調査も進めている。
これは、津田水軍の持つ大型船、蒸気機関、進んだ航海技術、船員の健康維持などがあって初めて可能な事であった。
あまりに遠隔地での活動なので、秀吉達は勿論、織田家にも測量の事実は伝わっていなかった。
「新しい上様はぱっとせぬと、世間で噂になっておるな」
「大殿が身罷ってから、大して時も経っておりませぬからな。いきなり地方の反乱とその討伐では……」
「織田幕府が不安定だととられかねないか……」
秀吉と半兵衛は、同時に溜息をついてしまう。
能力でいえば、信長には勝てないが無難に二代目が務まる器量を持つのに、なぜか上手く行っていないイメージを持たれてしまう。
損な人だなというのが、秀吉の信忠に対する印象であった。
「一族の誰かを派遣するとかで?」
「みたいだな。半兵衛は誰だと思う?」
「信房様……はないですな」
出羽の大半を大過なく治めて発展させているが、光輝の娘婿なので少し織田一族からは遠いと思われている人物だ。
信忠としても指名しにくいだろうと、秀吉も半兵衛も思っていた。
「この場合、信雄様と信孝様しかおりませぬが……」
信雄は信孝から交替し、全軍撤退するまでは朝鮮派遣軍の総司令官であった。
だが、あまりの無能さに、みんな秀吉こそが実質的な総大将だと思って接していた。
不敬だと思う者もいたが、朝鮮という外地で能力が微妙な信雄に従って死にたいと願う者も少ない。
よって、彼は最後まで目立たない存在であった。
朝鮮から撤退後は領地のある伊予へと戻ったが、伊予もいまだに河野家旧臣による扇動が残っている。
だが、これを何とかできるほどの能力は信雄にはない。
逆に、その判断を諌めた重臣岡田重孝、浅井長時、滝川雄利を誅殺してしまい、伊予の統治に支障が出る状態になっている。
またこの件で、滝川家との関係も悪くなった。
滝川雄利は一益の娘婿で、滝川一忠からすれば義兄にあたる人物であったからだ。
そんな事情があり、とても島津攻めの総大将など務まらない状態であった。
「信雄様はどうにもならんな」
「関わらない方が幸せでしょうね……」
秀吉と半兵衛は、激高して家臣を斬ってしまった信雄の愚かさに、もうこれ以上関わり合いたくないと思ってしまう。
「信孝様なら大丈夫でしょうが……」
信忠には少し能力が劣るが、十分に役目を果たすだけの能力はある。
だが信忠は、母親が違う信孝よりも母親が同じ信雄に何とか箔をつけようとしている節があり、そのせいで人選が混乱していた。
「信孝様が島津攻めで功績を得れば、余計に信雄様が……」
「相対的に評価が落ちるよな……」
秀吉に言わせるともうこれ以上は落ちようがないと思うのだが、それを口にするほど愚かではなかった。
「大殿なら、私に任せて終わりなんだがな……」
信長は即断の人であった。
失敗もあったが、それ以上に成功があったからこそ天下を取ったのだと秀吉は思う。
秀吉が思うに、信忠は色々と考えすぎて失敗してしまうパターンなのだと思っていた。
「今の上様には、上様なりのやり方があるからな。お任せするしかあるまいて……」
人選で混乱があったが、信忠は多くの反対意見を押し切って信雄を島津攻めの総大将に任命した。
だが、信忠も信雄の力量は理解している。
軍監として蒲生氏郷を派遣し、彼にすべてを取り仕切らせた。
信雄は飾りというわけだ。
「長吉、無茶をするなよ。日吉が産まれたばかりなのだから」
「父上、この場合は出しゃばらない方がよろしいのでは?」
「念のために言ったまでだ」
秀吉も、ねねが産んだ後継者長吉に表立った職務を任せて、自分は影からの補佐に徹するようになった。
もっとも、自分が朝鮮に出兵している間、父親の名代として九州探題としての仕事と、筑前、筑後の開発、統治を任されていた若者である。
羽柴家が何とか赤字を出さずにやってこれたのは、この若者のおかげであった。
長吉には既に嫡男も生まれており、秀吉は羽柴家も何とか安泰だと思っている。
「ですが、蒲生殿が軍監として取り仕切っても、結果は同じなのでは?」
「まあ、今さら島津を許せるかという結論には至るな」
羽柴親子の予想どおりに、再度島津家討伐軍の再編が終わると、凄惨な戦が始まった。
今さら降伏など認められず、それがわかっているから島津側も徹底抗戦して双方に再び甚大な損害が発生した。
織田家側が『島津狩り』と称される殲滅戦を行い、島津側も最後の一兵まで戦う。
あっという間に双方合わせて数万人の犠牲者が出たが、軍監の氏郷は容赦をしなかった。
「どの道、犠牲が出る戦いである。ならば、一度で済ませるしかあるまいて」
戦いは苛烈を極め、遂に島津義久と義弘は居城である内城で一族もろとも腹を切り、火を放って鎌倉より続いた島津家は滅ぶ事となる。
その後も、生き残った島津一族や家臣達の殺戮が続き、共に戦っていた南九州国人一揆衆も殲滅された。
「いまだに反抗的な旧国人衆もいるが、これも時間の問題であろう」
ようやく収まった南九州に、信忠は満足した。
兵站や占領地の軍政で功績があった羽柴親子に、金銭や茶器を贈ってその功績を称える。
『せっかく、薩摩は開発が進んでいたのに!』
光輝は、再び荒れ果てた薩摩の惨状に信忠のいないところで文句を言う。
『創生よりも、破壊の方が手間がかからないからね』
『軍監が氏郷だから、荒廃した土地でキリスト教の布教でも始めなければいいけど……』
『それはあるかもね。宗教は人の心の弱みに付け込む部分もあるから』
『寺や神社も相当燃えたようだし、跡地で教会建設は勘弁してくれ……』
『兄貴、氏郷なら俺の使命だって、喜んでやると思う』
『だよなぁ……』
光輝と清輝は対島津戦の顛末を聞きながら、新しい薩摩の領主には手を貸すのを止めようと決意した。
以上のような事が薩摩で行われた場合、薩摩が混乱を脱するには時間がかかると思ったからだ。
「信雄、家臣達の話をよく聞いて新しい領地を治めるのだ」
島津家討伐終了後、信忠は薩摩、大隅、日向の太守に織田信雄を加増、移封した。
ただ統治が難しい土地なので、後継者のいない佐々家を改易し、肥後に島津家討伐で大活躍した氏郷を日向から加増、移封し、信雄の面倒を見させる事にする。
豊後にも、森長可や島津討伐で功績のあった諸将を配置して、信忠はどうにか信雄を独り立ちさせようと懸命であった。
いくら無能でも、同じ母親から生まれた弟だからであろう。
肉親に甘いという点では、信長と信忠はよく似ている。
「氏郷殿や長可殿が、信雄様の面倒を見てくれるのなら大歓迎ですな。しかし……」
秀吉は、もう一歩先を見ていた。
間違いなく羽柴家は、自分の死後に九州探題の職を辞さねばならないのだという事に。
信雄の三カ国太守就任は、将来彼とその子孫を九州探題にする布石なのだと。
「長吉、変な意地を張って改易されるなよ」
「承知しました」
長吉も気がついていた。
織田幕府は、将来的には信雄を九州探題に添え、蒲生家と森家にその補佐を行わせるつもりなのだと。
下手に九州探題職に拘れば羽柴家の改易もあり得るという父秀吉からの忠告を、長吉は理解した。
「せっかく幕府ができたのに、いまだ混乱が続きますな」
長吉は、前に本で読んだ中国の歴史を思い出していた。
漢の劉邦も、明の朱元璋も、功臣達を粛清したではないかと。
ならば自分もそうならないように、警戒するに越した事はない。
なおさら注意せねばなるまいと、長吉は決意を固めるのであった。