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銭(インチキ)の力で、戦国の世を駆け抜ける。(本編完結) 作者:Y.A
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第六十三.五話 捕鯨と森兄弟

「苦節十年以上……ようやく就役したな。やったぞ、キヨマロ」

「はあ……私はアンドロイドなので、常務の命令に従って建造に協力しただけですが……」

「そこは、一緒に感動してくれよ!」

「無理です、私はアンドロイドなので」

 兄の光輝が津田家の表の顔なら、弟の清輝は津田家の裏の顔である。
 光輝が全国を飛び回っている間、津田領の支配力強化のために色々と努力している……半分は趣味の産物であったが……。

 今日も、津田水軍の新造船が無事に就役した。
 このところ船は定期的に就役しているが、今日の船は特別だ。
 最新型の蒸気船にして、その材質は木材と鋼の混合、大型で津田水軍どころか日の本でも最大の大きさであった。

「大きな船だな……」

 津田水軍を預かる九鬼澄隆は、その船の巨大さに改めて驚かされた。
 浦賀造船所で巨大な船が建造されているのは知っていたが、実際に海上に浮かぶとそのように感じてしまう。
 だが、一つだけ不思議に思う点もあった。

「清輝様、この船の武装は艦首だけなのですか?」

 澄隆は、巨大新造船に大筒が積まれていない事実に気がついた。 
 艦首に固定された、大きな種子島に似た物が設置されているのみである。

「ああ、艦首のね」

「あれは、新兵器なのですか?」

「新兵器といえば新兵器だな。その名も、捕鯨砲」

「捕鯨砲ですか。強そうな名前で……あれ?」

 清輝の説明に、澄隆はますます違和感を覚えた。 
 それは、もしかするとこの船は軍船ではないのではないかと。

「清輝様、この船はもしかして……」

「そう、クジラを効率よく獲るために僕が苦心して建造させた新造の捕鯨船さ! 艦尾にはクジラを甲板まで引き揚げるスリップウェーを装備。甲板上で安全に無駄なくクジラを解体できる。肉、皮、油の塩蔵のための設備に、冷凍設備は小さくせざるを得なかったな……」

「すりっぷうぇーですか?」

「新しい機構だと思ってくれ」

「はあ……」

 二十世紀に出現した巨大捕鯨船のような船はまだ建造できないし、そこまで大きい船だと船員の確保も難しい。
 まずは、近代捕鯨の設備をある程度装備したこの捕鯨船で、少しだけ遠洋に出て捕鯨をしてみようという計画だ。

 他にはライバルがいないので、津田家が近海捕鯨を独占できる。
 経験を積んで、将来は遠海捕鯨も可能になるであろう。
 この時代にはうるさい反捕鯨団体もいないし、資源保護をちゃんとおこなって鯨を取り尽すような事態を避ければ、長い期間津田家に利益をもたらしてくれるはずだ。

「ところで清輝様、この捕鯨船は誰が運用するのでしょうか? 船員は?」

「ええと……船員は沿岸で捕鯨をしているクジラ漁師を一部雇い、他に訓練途上の新人とか、水軍からも人を出してもらおうかなと」

「この船、水軍の管轄なのですか?」

 澄隆は、また自分の仕事が増えてしまう恐怖に慄いてしまう。
 と同時に、危機的忙しさの中で手に入れた生存本能で、捕鯨を任せる責任者の選定に入り始めた。
 つまり、捕鯨は津田水軍が通商路を護衛しているように、これは訓練の一部なのだと。
 ならば戦時には実戦部隊に組み込まれるものと考え、つまり捕鯨でも指揮官が必要で、その指揮官に一任してしまおうという考えであった。

 なぜなら、澄隆は過労死したくないからだ。

「設備とかの関係でそうなるかな。水軍は予算を食うから、ここは船員の訓練も兼ねて儲かるクジラ漁もやらせようという計画だ。焦らなくてもいいから、よろしくね。あっ、この船の船名は『浦賀丸』という事で。また同型船の建造も始まったから」

「はあ……」

 こうして、九鬼澄隆の忙しさは更に跳ね上がった。
 彼は他の水軍の船と組み合わせて数隻の船団で捕鯨船『浦賀丸』を運用、最初は苦戦するも、次第にノウハウを蓄積して徐々にクジラの捕獲量を増やしていく。

 クジラは、使えない部分がない優れた水産資源であった。
 肉、油皮、内臓、舌などが食用に、ただし捕鯨船の冷凍庫は容量が少ないので、これは津田家向けに一部が冷蔵、冷凍されるのみで、あとは干物や塩蔵にされた。

 冷蔵・冷凍庫は試作品で、清輝達が未来から持参したような高性能な品ではない。
 最大の欠点は、大きすぎて設置場所が限られる事であった。
 蓄電バッテリーとソーラーパネルも苦心して製造したがまだその性能は低く、それでも普通に使えるので、今はよしという事にしている。

 骨とひげは工芸品の材料に、鯨油は灯り用の油や石鹸、洗剤、ロウソク、化粧品、火薬、水田の害虫駆除剤などの材料に、肝臓からは肝油を取って栄養剤や医薬品の材料に、食用にならない部分も肥料になるので効率よく解体するために『浦賀』は建造されたわけだ。

「というわけで、どうにかクジラ漁が可能な練度まで仕上げたが、私は他の仕事が忙しい。この捕鯨艦隊の指揮は高虎に一任する。任せたぞ」

「お任せ下さい」

 澄隆が『浦賀』以下の捕鯨艦隊を任せたのは、近江から津田家に仕官した藤堂高虎であった。
 彼は津田水軍の幹部候補生となり、今までは各部署で研鑽に勤しんでいた。
 そこを澄隆に目をつけられ、この艦隊の責任者に任じられたのだ。

「捕鯨艦隊とて、戦時になれば戦をするのは同じだ。それに、鯨は巨大で危険な生き物でもある。くれぐれも油断せぬように」

「了解しました!」

 初めての抜擢に高虎は大喜びし、彼は艦隊の練度を高めながら捕鯨に勤しんだ。
 後に水軍の司令官としても有名になる高虎であったが、彼にはもう一つの顔があった。

「あれは、鰯鯨だ! 肉が美味いぞ! みんく鯨とはまた違う味わいがあるのだ!」

「こら! 雌と子供は捕獲禁止だ! よく見て捕鯨銃を使え!」

「鯨は、尾の身の部分が一番美味いな。これを海上で焼いて食べられるのは最高の贅沢だ」

 高虎は鯨の生態、種類とそれぞれの部位の品質や味などについても詳しくなっていき、後世で『鯨博士』と称されるようになるのであった。






「『浦賀』とその他数隻の運用が始まったばかりだね。司令官の藤堂高虎は拾い物だったけど」

「あとで、浅井亮政殿が返せって言わないかね?」

「言えないんじゃないの? 捕鯨船だけど『横須賀』、『横浜』、『川崎』の順で建造だね。沿岸の小型クジラやイルカ漁は地元の漁師達に任せるとして。でも、資源保護や効率のいい利用、保存、加工方法は伝授するという感じかな?」

「それでいいだろう」

 津田水軍による捕鯨船団の運用がスタートした。
 当面の間はあまり遠洋には赴かないが、将来的にはもっと大きな船を建造して大船団で安全に効率よく鯨漁をする予定になっている。

 ただ、それは大分先の事だと思われていたが。
 津田家が持つ船の中で圧倒的に巨大な捕鯨船は、今の時点で就役したのは一隻のみ。
 計画にある残り三隻は、順番に建造されて就役する予定になっている。

 名前が未来の地名になっているが、津田領内で同じ位置に港や町を建設途中であったので、家臣達からは変だとは思われていなかった。

「そういえばさ。鯨って美味しかったっけ?」

「どうだったかな?」

 未来では感情的に行動する反捕鯨団体のせいで、あまり鯨肉を食べた記憶がない二人であった。

「食べてみればわかるさ!」

 というわけで、本日は藤堂高虎が品質を落とさないように丁寧に冷凍した鯨肉などが解凍され、色々と調理されて出てきた。

「美味しそうだね、みっちゃん、キヨちゃん」

「鯨がこんなに沢山、贅沢ですね」

「鮮度がいいのがいいですね」

「大昔に主上に献上された事があるって聞きました。鯨は高級品ですから、ここに嫁ぐまで食べた事がなかったです」

 子供達は、夕姫以外は外に家庭を持ったり嫁いでしまったので、今日子、お市、葉子、孝子のみでの夕食というのも珍しくなくなっていた。

「刺身、さらし鯨、尾の身はステーキに、食道、胃、腎臓、小腸、肺などの内臓は茹でたり煮物にして、はりはり鍋もあるし、赤身肉はカツ、龍田揚げ、焼き肉にしても美味しい。軟骨は珍味になるし、ベーコンも作りました」

 今日子が中心となって鯨料理が作られ、光輝達は鯨料理づくしを楽しんだ。

「俺は、ハリハリ鍋と刺身が一番美味しいと思った」 

「鯨カツと内臓の茹でたのも美味しいと思うね、僕は」

「ベーコンとハリハリ鍋が美味しいわね」

「尾の身を焼いた物が美味しいです」

「私は、龍田揚げとべーこんですね」

 光輝、清輝、今日子、お市、葉子と、それぞれに鯨料理を堪能した。
 その中で、一人だけ変わった物が気に入った人物も存在する。
 それは、清輝の妻である孝子であった。

「刺身も最高ですけど、この睾丸を茹でた物も美味しいですよ」

 鯨の睾丸を茹でた物は珍味として知られていたが、これが大好物だと言ってのけた女性は、津田家の中では孝子のみであった。





「はあ……」

「大丈夫ですか? 成利殿」

「お気遣い感謝いたします」

 鯨料理を楽しんだ光輝は再び石山に滞在していたが、そんな日々の中で側近衆である森成利を接待していた。
 彼は信長お気に入りの人物で、父親である森可成が老齢のために隠居してからは信濃に独立した領地を与えられたほどであった。

 とっくに元服しているのに、信長は彼を『蘭丸』、『お蘭』などと呼んで常に傍に置いていた。
 まだ少年の面持ちを残しながらも、女性のように綺麗な顔をしており、一部には信長の寵童であるという噂も流れている。
 この時代の上層階級では普通の事らしいが、光輝にはそんな趣味はなかった。

 たまに綺麗な美少年が光輝の寵愛を受けて出世しようと妙な媚を売ってくる事があるので、逆に辟易しているくらいなのだから。
 勿論光輝にはそういう趣味がないので、顔を合さない部署に移動させてしまう。
 移動させられた者は、なぜ光輝が自分を気に入らなかったのか理解できないで津田家家臣を止めてしまう者が多かった。

『津田殿もそうですか。いやあ、心強いですわ』

 織田家の重臣で衆道にまったく興味もないし、必要だと言われても決してしたくない考えているのは秀吉くらいであった。
 彼は、以前に光輝がそういう事にまったく興味がないと聞き、仲間が増えたと喜んでいたのだから。

『俺は、女性にしか興味ないです』

『ですよね? 上流階級の嗜みとか言われても困りますわ』

 秀吉は、男なんて何がいいのだろうという顔をした。
 女好きの彼からすれば、衆道など永遠に理解できないというわけだ。

『嗜みというか、そういう関係になれば裏切られないだろうというのが、一番大きい理由だと俺は思いますけどね。そんな素晴らしいものでもないでしょう』

『津田殿の言うとおりなのでしょうね。せっかくそういう仲になっても、痴情のもつれで殺傷事件もたまにあると聞きますし』

『男同士で痴情のもつれですか……想像するだけで怖いなぁ……』 

 光輝と秀吉は、二人で衆道は御免蒙りたいという話で盛り上がった。

『これだから下賤の身分の者は……』

 そして、そんな二人を衆道に理解のある細川藤孝がバカにする。

『サルと大殿に媚びるしか能がない男だ。そんなものであろう』

 柴田勝家は、実は自分もまるで衆道に興味がなかったが、藤孝の意見に賛同して大嫌いな光輝と秀吉を非難した。
 もっとも、そのせいで罰が当たり、複数の美童に言い寄られてあとで辟易する羽目になってしまうが。

『津田領における衆道は紙の上だけだな』

 津田領で最も盛んな衆道は、あくまでも清輝の妻孝子が作成している物語の中だけであった。

『噂によると、森成利様は非常に創作意欲がわき立てられる方だとか? 頑張って組み合わせを考えますよ!』

 孝子はこの年になっても相変わらずなので、津田家の人間は『ほどほどにね』と言うのが常である。
 光輝も、まさか目の前の成利に孝子の創作の餌食になっていますとは言えないので黙っていた。

「領地に戻れないのは辛いですか?」

 成利は信濃に領地を持っているが、信長の傍から離れられないので家臣に任せきりになっている。
 その件で苦悩しているのかと思っていた。

「いえ……その件ではありませぬ。津田様は、大殿に朝鮮出兵反対を述べませんでしたね」

「大殿の決定だからだ」

 反対するのは簡単なのだが、それで光輝と信長の間に隔意が生まれると困ってしまう。
 いや、隔意があると光輝を嫌う譜代衆……この場合は勝家が筆頭であったが……が事実にしかねなかったからだ。

「津田様の態度は正しいと思います。そう、津田様は正しく大殿が最も頼りとする重臣にして一門衆なのです」

 成利は、最近信長が密かに朝鮮出兵を後悔しているのだと語った。

「ですが、それを朝鮮に出兵している諸将に言うわけにはいかないのです」

 自分達は、一体何のために出兵したのだという話になってしまうからだ。
 だから信長は、明との講和である程度勝利したと思われるような講和案を模索している。
 だが上手くいっておらず、これも信長の悩みのタネになっていた。

「津田様は、さっさと兵を退いてしまえばいいと仰いませんね」

「それも問題だと思うからだ」

 商人の立場で言えば、早く損切りをして朝鮮から兵を退いてしまった方がいい。
 だが武士、為政者の立場でいえば、明との交渉を纏めた方が長い目で見て得だと光輝は思うのだ。

「日の本と明がちゃんと講和を結んでおけば、将来的な不安定要素を少なくできる。国家同士が戦争になったのだ。後に破られる可能性もあるが、正式な講和を結ぶ事で大殿の政権の正当性が確立されるのであれば、講和を結べるまでは朝鮮に兵を置くしかない。戦における戦術的な勝利は重ねているのだ。明が折れるまでは、兵を退くべきではない」

 一旦始まった国家同士の戦争なのだから、もはや短期の利益ではなく将来的な利益を追うしかないと光輝は語った。
 明に対して優位な講和を結ぶ。
 これにより、日の本における織田政権家の正当性が確保されるというわけだ。

「なるほど」

「今はなるべく国内の開発も進めて、朝鮮での損を相殺しないとな」

「そうですね」

 成利は、光輝の話を聞いて少し気持ちが安らいだようだ。
 軽く笑みを浮かべている。

「(うーーーん、憂うイケメン、笑顔のイケメン。イケメンは何をしてもイケメンだな。イケメンは、人生で五倍くらい得するからな)」

 光輝が言う五倍という数字に、明白な根拠などない。
 彼が勝手にそう思っているだけだ。

「成利殿、今日は鯨料理などを用意したが、苦手という事はありませんよね?」

「いえ、一度だけ大殿からご馳走してもらった事がありますので」

「そうですか、ならば是非に召しあがってください」

「ありがとうございます」

 成利は、鯨の刺身、ステーキ、カツ、ハリハリ鍋などの料理を光輝からご馳走になる。

「新鮮な鯨の身は生で食べられるのですね。前に食べた鯨は少し癖がありましたが、これは美味しい」

 的確な解体と保存がされた鯨の美味しさに、成利は感動する。
 彼は、今の時点では津田家でしか食べられない貴重なものだと理解し、招待してもらってよかったと心から喜んだ。

「気にいられたのでしたら、お土産をどうぞ。こちらは塩蔵品になってしまいますが、冷やした状態で加工しているので癖は少ないですよ」

「ありがとうございます、津田様」

 成利は、お土産に樽に入った塩蔵鯨の身を嬉しそうに持って帰った。
 そして光輝は、『イケメンは喜んでもイケメンだな』と、当たり前の事を心の中で思いながら彼を見送る。

「蘭、それは何だ?」

 成利が自分の屋敷に戻ると、たまたまこの日は兄である長可がいて一人酒を飲んでいた。
 長可はつい先日朝鮮から戻り、今は兄の可隆が朝鮮で森軍を率いている。
 父である森可成が隠居した時、跡継ぎは嫡男である可隆に決まったが、その時に信長は可隆に対し、弟である長可達に配慮するようにと命令した。
 森家の当主は可隆でいいが、長可と他の弟達にもちゃんと領地を分けるようにとわざわざ言ったのだ。
 後に長可達は独立した領地を得たが、信濃は森兄弟の領地が隣接し合っている状態であった。

 最初は隠居の身とはいえ父可成が上にいたので問題なかったが、先日彼は病で亡くなってしまった。
 これから兄弟で揉めなければいいがというのが、諸将の本音だ。

 複数の森家の領地が隣同士なので、領民や家臣達による争いがないとは言わないが、周囲で言われているほど兄弟の仲は悪くない。
 成利も、長可とは特に仲がよかった。
 森兄弟はみんな独立した領地を持っているので、金持ち喧嘩せずが通用したからだ。

 森家は、津田家でいうところの日根野家のような存在であった。

「兄上、朝鮮はいかがでしたか?」

「明や朝鮮の軍勢と戦えば勝てるんだが、勝ってもあまり意味がないような気がする。随分と敵の将と兵を斬ったが、戦況は膠着しているな」

 長可は、最初は新しい領地がもらえると大喜びで朝鮮に兵を出したのだが、今では嵩む出費に頭を悩ませていた。

「おかげで、酒のツマミもありゃしない。成利、その樽の中身は食い物だな?」

「はい、津田様からいただいた鯨肉の塩漬けです」

「豪勢な物を持っているじゃないか。焼いてくれよ」

「わかりました」

 成利は長可を労うために、自分がもらった鯨肉を塩抜きしてから七輪で焼いて出した。

「美味い! 酒が進むな」

 長可は焼いた鯨肉を美味しそうに食べながら、酒を飲み続けた。

「兄上にもお分けしますよ。そうだ、みんなにも分けましょう」

 成利は、可隆、長可、長隆、長氏、忠政と人数分に鯨肉を分け始めた。

「ああ、いかんな。蘭」

「ああ、母上と妹達の分もですね」

 森家六兄弟は、すべて同じ母親から生まれている。
 姉妹も三人いて、前田利家の妻お松にも負けない子沢山な母親として有名であった。
 成利は、彼女達の人数も合わせて鯨肉を再分割し始める。

「それもあるが、こうも人数が多いと一人分の量が減ってしまうだろう?」

「それでも結構な量ですよ。鯨肉は高価ですから、これでも十分に贅沢ですし」

 成利でも、この量をもらえたのだ。
 信長や主上はもっと沢山もらっているであろうし、一体金額にするといくらなのだと、成利は光輝の金持ちぶりに驚くばかりであった。

「蘭、いかんいかん。男たる者、ここは多くの獲物を得るために押していく事も重要なのだ」

「ええと……兄上?」

 最初は長可が言っている事の意味が理解できなかった成利であったが、伊達に言葉数が少ない信長の側近衆を務めてはいない。
 すぐに、長可がやろうとしている事を理解してしまう。

「兄上、酔っていますね?」

「津田殿から、もっと鯨肉をもらってくる」

 嫌な予感が当たり、成利は心の中で頭を抱えた。
 成利の兄である長可は非常に優秀な人物なのだが、時にこのように暴走し、それを止めようとするとキレてしまう事があった。

 以前にも、他の織田家臣の奉公人のわずかな粗相に腹を立てて斬り殺してしまったり、関所で警備の兵士達に止められたのに腹を立てて彼らを斬り殺したり、戦場で抜け駆けをするために命令違反を犯したりと。
 気の短さと、激高しやすい性格からトラブルの多い人物であったのだ。

 加えて、今の長可は酒を飲んでいる。
 成利からすると、今の長可は取扱い注意であった。

「兄上!」

 成利は津田邸に向かって駆け出した長可を追いかけるが、残念ながら身体能力では長可には勝てなかった。
 あっという間に引き離されてしまう。

「(もし兄上が、津田様を斬ったりでもしたら……)」

 最悪の未来を予想し、成利は顔が青ざめてしまう。
 急ぎ津田屋敷に向かうが、正門の前に到着するとちょうど長可が出てきたところであった。

「兄上?」

 もし、自分の兄が光輝を斬っていたら?
 それだけが心配な成利であった。

「蘭、鯨肉はもらえたが、ちと量が多いな。樽で十個だから当然か。荷車を持ってこい」

「はい……(津田様、すいません……)」

 成利は、長可の頼みを聞いてくれた光輝に心から感謝した。

「あっ、十樽ももらってしまったな。蘭は一つ持っているから、俺が二つでいいか。いやあ、儲かった儲かった」

 酔っぱらった長可のために肝を冷やされた成利であったが、彼は信長の側近衆である。
 さすがにこれは酷いと、すぐに信長に報告をあげた。

「大殿、兄上を叱ってください」

 今までにも色々と問題を起こしてきた長可であったが、なぜか信長は彼を処分しなかった。
 信長は気をつけろくらいしか長可に言わず、恐ろしいほど寵愛されていたのだ。

「今回はさすがに肝が冷えました。もし津田様に切りかかりでもしたら」

「お蘭、さすがに勝三でもそれはしないだろう」

 信長は、確かに長可には甘いという自覚があったが、いくらなんでも自分のお気に入りである光輝を斬るような真似はしないと思っていた。
 信長が光輝を気に入っているのを知っているからだ。

「第一、津田様に鯨肉の大樽を十樽分も出させてしまいました。安い物ではありませんし」

「鯨肉は高価だからな」

 信長でも、特別な席でしか食べた事がない高級品であった。
 それを大量に光輝から半ば奪うようにして手に入れてしまったのだから、今度ばかりは兄長可を注意してほしいと、成利は信長に懇願した。

「今度こそは、兄上を叱ってください」

「いや……しかしだな……」

 信長が悩んでいると、そこに問題の長可が姿を見せた。
 彼は、大きな樽を一つ持っていた。

「大殿、津田殿から鯨肉を頂いたので、おっそ分けです」

 長可は、自分が光輝からせしめた鯨をひと樽、信長に献上してしまった。
 彼が信長から気にいられるのには、こういった気風のよさもあったりする。
 成利は、元は光輝の物じゃないかと思わないでもないが、既にそれを指摘する空気ではなくなっていた。

「すまんな、勝三」

「これ、塩抜きしてから七輪で焼くと美味いですよ」

「それはいい事を聞いたな」

 信長が長可を寵愛している理由の一つに、彼が自分が若い頃によく似ていると思っている部分があった。
 つまり、光輝視点でいうと共に元エリート系ヤンキーで、たまにいい事や優しい事をして周囲から評価される才能を持っているというわけだ。

 ヤンキーが子猫を可愛がると、いい人に見える現象である。

 信長も、既に光輝から塩蔵の鯨肉を大量にもらっていた。
 長可もそれは知っているはずだが、ひと樽多くあれば他の家臣に褒美として出せる。
 そういう配慮を見せる長可が、信長は可愛くて仕方がないのだ。

「勝三は優しいの。我がミツに礼を言っておくぞ」

「私も、あとで信濃の産品でも贈ろうかと」

「そうだな、そうしておいてくれ」

 結局、信長が長可を叱るという話はウヤムヤの内に終わってしまった。

「お蘭、ミツにこれを届けてくれ」

「畏まりました」

 ただ、さすがに信長も悪いと思ったようで、成利に金子の入った袋を光輝に届けるように命令した。
 光輝は、信長と連名で主上や公家達にも鯨肉を配っている。
 その代金も含めての金子であった。

「これはどうも丁寧に」

「こちらも、兄が大変に迷惑をおかけしまして……」

 光輝は、心から申し訳なさそうに謝る成利を見て、やはりイケメンだと再確認した。
 森成利は側近衆にして信長のお気に入りである。
 彼を妬む人は多いが、その分色々と苦労しているのだなと、光輝は彼に心から同情するのであった。





「みっちゃん、信濃の森家から新蕎麦が沢山届いたよ」

「鯨のお礼かな? 早速蕎麦を打たせてから食べよう。蕎麦殻も枕の中身に使えるし、蕎麦でパスタも作れるな。蕎麦がきも作ろう。そばつゆをつけて食べるのも美味しいけど、黒蜜をつけて食べるとデザートにもなる」

「いいねぇ、それ」

「あと、美味しかったら輸入すればいい。江戸の蕎麦屋で『信州産新粉入りました』と張り紙させて客を呼べるし」

「さすがは、みっちゃん」

 もつとも津田一家の面々はそんな事は気にしておらず、鯨肉のお礼に森家から新蕎麦をもらって大満足であった。





「しまった! 塩漬け以外の鯨肉や料理を味わう前に、ミツが江戸に戻ってしまったぞ!」

 やはり信長は、長可の件では光輝に悪いと思っていたようだ。
 いつものように光輝から鯨料理をご馳走になるのを忘れてしまい、一人思いっきり悔しがるのであった。
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