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幻想大陸 作者:しるうぃっしゅ

一部 邂逅編

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二章   魔女











「くそっ……あの、気狂い女神め。なんてところに落下させるんだ」

 忌々しげに吐き捨てたのは、海水に塗れた青年。
 ギガントタートルを一刀のもとに斬り捨てた、キョウ=スメラギその人であった。

 女神に意識を消され、次に取り戻した時に視界に入ったのは彼方まで続く海。遥か上空から海面へと叩き落されたキョウは、再び意識を失いそうになったが寸でのところで歯を食いしばりなんとか気を保つことに成功した。
 感じた衝撃は凄まじく、下手をしなくてもあのまま死んでも可笑しくは無かったレベルだ。今度会ったらこの恨みもこめて必ず斬ろうと固く誓う。

 もっとも海ではなく、普通の地面に墜落していれば間違いなく大地に咲く赤い華になっていたことを考えればまだ許せたかもしれない。キョウは全く許すつもりは無かったが。

 朦朧とした意識で、海底から襲い掛かってきた巨大亀を叩き切ったのはいいが、海面を血が広がっていく。
 この血がさらなる凶悪な生物を引き寄せるのではないかと予想したキョウは、目を瞑り軽く深呼吸を繰り返す。
 呼吸を整えること数度。眼を開ければ既に、状態は普段通りに戻っていた。それを確認すると、陸地に向かって泳ぎだそうとしたその瞬間。

「―――悪いが、それ(・・)を引っ張ってきてくれんか?」

 耳元で冷淡な少女の囁き声が鳴り響く。
 冷たい海水に浸かっているのとはまた別の、冷たい冷気が身体を包む。
 周囲を見渡しても、キョウの見る限り人はいない。ある物は四つ(・・)に別たれたギガントタートルの肉体。

「……誰が、もう一度斬った?」

 ぽつりとキョウが多少驚いたのか目を見開いて呟いた。
 彼が刀を振ったのは一度。頭から尾にかけて両断しただけだ。だが、今目の前にある巨亀は中央から左右にかけてもう一度何かによって切り裂かれていた。
 幾ら目を瞑り体調を整えていたとはいえ、自分に気づかれないように攻撃を加えられていたことに多少の驚きを抱いても仕方あるまい。

「―――その一つくらいならこちらまで運んでこれるじゃろう?」

 再び聞こえる囁き声。
 どこから聞こえてくるのか、と意識を集中させる。
 すると前方、陸地が見える方角から得体の知れない力道を感じた。目を細めてみれば、切り立った崖の上。
 そこに小柄な銀髪の少女が仁王立ちしているのが見えた。キョウからしてみればどういう原理か不明だが、遠く離れたあの距離から音声を飛ばしてきていることに気づく。

 相手の言うことを無視することもできたが、生憎と今は情報が欲しい。女神がキョウに伝えていたことを信じるならば、この場所は彼が住んでいた大地ではない。
 この幻想大陸という世界の情報ならばどんな些細なことでも知らなければならないと判断した。それなら、相手の機嫌を損ねるような真似はできるだけしないほうが吉の筈だ。
 幸いにも相手からの言葉は理解できた。ならばこちらの言葉も相手に伝わるだろうと、僅かに安堵する。

 何時までもここにいるわけにいかないと、少女の依頼通り四つに切断されたギガントタートルの持ちやすい部分、即ち甲羅の端に手を引っ掛け陸地を目指して泳いでいく。
 四分割されたとはいえ、巨体の身体は海の中とはいえ幾分か重い。それほど泳ぎが得意というわけではないキョウだったが、なんとか陸地まで到達する。
 砂浜にあがると巨亀の肉塊を担ぎ上げた。その時ひくりとキョウの嗅覚が、香ばしい匂いを嗅ぎ取る。肉塊の断面、そこには綺麗な焼け目がついていたのだ。
 そことは別の角度の断面を見る。即ち、キョウが斬った部分だ。そちらは焼け目など一つもなく、生々しい赤色を湛えていた。

「……火で焼き切ったのか」
「ほう、気づいたか。なかなかの観察眼じゃな」

 気配一つ感じさせずに、銀髪の少女は片手に釣り竿、片手にバケツを携えて歩み寄ってくるところだった。
 あまりに小柄な体格だったために、さしもののキョウも僅かに眉を顰める。見かけで人を判断するということはないが、それでも目の前に現れた白銀の少女が、自分に気づかれずにこれ(・・)をやったなど中々に信じられない。

 キョウに自分がどう思われているのか全く気にしていないのか、少女は彼が抱えるギガントタートルを見て満足そうに頷いた。

「うむ。感謝するぞ、小僧。ここ暫く獣肉が続いておったから、魚―――とは言い難いが、久々にギガントタートルを食せれるとは嬉しい限りじゃ」

 表情に変化はないが嬉しそうな雰囲気を醸しだしている少女は、砂浜の先で森に入る手前の方角に向かって釣り竿を指す。
 その方角を見てみれば、木で造られたと一目でわかる一軒家がそびえ立っていた。

「悪いがあそこまで運んで貰えぬか? 礼にお主にもそれを使った料理を馳走しよう」
「……ええ、それくらいなら構わないですが」

 キョウの返答を確認した少女は、背を向け離れた家へと足を向ける。その背中に続くキョウだったが、数歩進んだところで少女は足を止めて振り返った。

「ああ、失礼した。まだ名乗っていなかったのう。ワシの名はディーティニア。お主は?」
「キョウ。キョウ=スメラギと申します」

 軽く一礼してキョウは答えた。
 本当は偽名を名乗ろうかとも考えていたが、敢えて本名を名乗ることにした。
 彼の名は世界(アナザー)ではあまりにも有名すぎる。それこそ小さな子供ならばその名を聞いただけで泣き出してしまうほどだ。国一つを滅ぼすことが可能な人外の域に達した怪物達(七人)。それが七つの人災と呼ばれる最強最悪の犯罪者。その一人に数えられているキョウの名前はそれだけのビッグネームとも言えた。
 もしこの名前で僅かでも反応するならば、ここは女神が言った幻想大陸ではなく、世界(アナザー)のどこかという可能性が高くなる。

 そんなキョウの思惑をあっさりと覆し、ディーティニアと名乗った少女は、そうかっと短く答えただけで歩みを再開させた。彼女の身体には緊張も何も無い。キョウ=スメラギという名前に全く反応しなかったことに、女神の言っていたことが現実味を帯びてくる。ここは本当に世界(アナザー)から隔離された世界なのかもしれない、と。

 後ろをついていっているキョウだからこそ気づかなかったが、ディーティニアも眉を顰めていた。
 ディーティニア(自分)の名前を聞いても全くの無反応。それに首を傾げざるを得ない。彼女の名前は言語が理解できる存在ならば、人間亜人魔族や竜種といった種族でも知られているからだ。
 冗談と受け取られたのかとも考えたが、それでも僅かなりとも反応はするはず。ディーティニアという名前を知らない者しか有り得ない無反応。そんな人間がこの世界(幻想大陸)にいるとは思えない。

 奇しくも二人の内心は、互いの反応を訝しむ状態となっていた。

 会話の糸口が掴めないまま木造の家に到着。数段ある階段をあがり、扉をあけた。
 木の匂いが鼻に香る。扉の先には随分と広めの部屋が広がっている。その中央には大きめの木造の丸テーブルが存在感を発しながら置かれていた。そのテーブルを囲むように幾つかの椅子が見受けられた。その横の壁面には石造の暖炉がある。天井へと煙突が続いているのが一目でわかった。部屋の奥には、炊事場だろうか。流し台やら、調理器具が無造作に積み上げられているのが見えた。

「では、そこに置いてくれるか?」

 両腕が塞がっているため、炊事場の一画を顎で指し示す。
 その指示通りにキョウはギガントタートルの肉塊をゆっくりとそこに下ろした。流石に重かったようで、ぷらぷらと両手を空中で振るう。
 ディーティニアは部屋の隅に釣竿とバケツを下ろすと、テーブルのすぐ傍にあった暖炉に向かって人差し指を向けた。瞬間、遠方から声を届けてきた時のような力道をキョウは感じ取る。それを肯定するように、暖炉の中に積み重ねてあった薪が燃え上がり、赤く輝き始めた。

「料理はできるまで暫しかかる筈じゃ。そこで濡れた服を乾かしておくと良い」
「―――ああ、助かります」

 内心海水で濡れて気持ち悪かったキョウは礼を言い、とりあえず上着だけを脱ぐと暖炉を囲っている策に引っ掛ける。流石に年頃の少女がいる前で素っ裸になるわけにもいかない。
 服を乾かしながら、これからのことを考える。
 意識を取り戻してすぐに人と会えたのは幸運だ。しかも、確りと言葉も通じる。では、これからどうすればいいのか。
 素直に全部話してしまったほうがいいのか、と考えるが内心の考えを否定する。

 女神エレクシルによってこんな状況に陥れられたと話して、果たしてディーティニアは信用するだろうか。いや、恐らくは信用されないだろう。そもそも、世界(アナザー)では女神エレクシルは信仰されているが、それはあくまで宗教としてだ。一部の人間は存在を認めているとはいえ、もしキョウがエレクシルに会ったと発言すればほぼ全ての人間が、頭のおかしな人を見る目でみられることは間違いないだろう。
 そして、幻想大陸(ここ)に住む人間は世界(アナザー)のことを知っているのか。もしくは知らないのか。外からきた人間に対してどういった対応を取るのか未知数だ。 

 それにいきなり天空から落ちてくるという謎すぎる出来事を見られてしまったのだから、どういった言い訳をすれば信用してもらえるというのか。
 必死になって頭の中で思考を繰り返すも、上手い言い訳が考え付かない。

 そんなキョウを尻目にディーティニアは調理を開始していた。
 ギガントタートルの巨大な肉塊に包丁を通すと、不思議なことに一切の淀みなく切り落としていく。ある程度の大きさと分厚さで切り分けた後、それを更にいくつかに細かく裁断する。サイコロステーキ程度の大きさにすると、それを他の皿に取り分けておく。
 暖炉と同じく薪に火をつけると、黒い大きな鍋を火にかける。中には水や野菜、適度な調味料を目分量で混ぜると蓋をして炊事場から離れ、キョウの近くへと戻ってきた。
 その両手には木製のコップが握られている。なみなみと注がれているのは白い液体。甘い香りが鼻腔をくすぐる。かすかに湯気が立っているのを見ると、それなりに暖めているのだろう。そのうちの一つをキョウに手渡す。

「そうそう、お主に聞きたいことがあるんじゃが」
「何でしょうか?」
「キョウ、お主―――外界(アナザー)からの送り人じゃな?」

 ピタリとキョウの身体が一瞬反応する。
 脳内が目まぐるしく活発化した。どんな反応をすればいいのか、どの反応が最も適したものなのか。それら全てを取捨選択をし、その中の一つの答えを口に出そうとして―――。

「隠さずとも良い。そもそも別に外界(アナザー)から幻想大陸(ここ)に送られる人間は結構多いのじゃよ」

 さらに先手をとられ、押し黙るキョウを前にしてディーティニアはよっこいせっと声をだしながらキョウの対面となる椅子に腰をおろす。

「お主が正直に言うのならば、ワシの知る限りのことを教えるが……」

 どうする、っと視線で問うてくるディーティニアが意地悪く笑う。
 悩むのは一瞬。だが、ここは素直に彼女に従ったほうが良いと、第六感が告げてくる。
 根拠のない予感ではあるが、生憎と彼はこれに従って悪い方向に転んだことがないのを知っている。故に、決断も速い。

「ええ、ディーティニアさんの仰るとおりです。俺はつい先日までアナザーと呼ばれる世界に住んでいました」
「まぁ、そうじゃろうな」

 予想通りだったことにディーティニアは軽く頷いた。

「しかし、よくわかりましたね?」
「わからいでか。あのような光景を見れば、当然のことじゃろう?」
「……それは、まぁ。反論のしようがないですが」

 天から墜落してきたという己の危惧していた通りのことを指摘され、疲れたように溜め息一つ。

「もっともそれだけではないが」
「と、言うと?」
「お主がワシの名前に全く反応しなかったのが決め手じゃな」

 肩を軽くすくめて、手に持っていたコップに口をつける。
 コクリと喉が動き、ミルクを嚥下した。口の中に広がる味に満足したのか、目を細めて一息。

「ワシの名はディーティニア。この幻想大陸(世界)でワシの名を知らぬ者はおらぬよ。そのワシの名を聞き、目の前にしながら自然体でいられるお主は外界(アナザー)からの送り人と考えるほうがしっくりくる」
「……失礼ですが、どちらの意味で有名かお聞きしても?」
「くっくっく。言いづらいことをあっさりと聞いて来るな、お主。なかなかに神経の図太い小僧じゃ」

 台詞とは逆に、何故か嬉しそうに笑みを浮かべてディーティニアはミルクを呷る。

「勿論悪い意味で、じゃよ。昔はよくヤンチャをしておったからのう」

 どこか遠い目で語るディーティニアに、どこかキョウ自身が重なって見える。
 ディーティニアは飲み干して空になったコップを両手で弄びながら、天井を見上げた。さらさらと美しい銀の髪が流れるように揺れている。

「そういうわけでお主が外界(アナザー)から送られてきたとわかったわけじゃ。まぁ、先ほども言ったとおり送り人は実際のところ多い。ワシも各地の大陸を放浪していたときは何度か見かけたこともある。隠すことのほどでもないぞ?」
「そうですか……では、ここ(・・)は本当に幻想大陸という場所なのですね」
「うむ。女神エレクシルによって創世された世界(アナザー)。その中央に位置しながら、四方を死の霧に包まれ何人たりとも侵入が不可能な人類未踏領域。ここ(・・)に住むワシらは幻想大陸と呼んでおる」
「俺が住んでいた世界(アナザー)では、死の霧の向こう側には楽園があるなんて伝承が一般的でしたよ」

 肩を竦めるキョウに対して、ディーティニアは皮肉気に鼻で笑った。

「楽園、か。全く持って愚かしい話じゃ。ここが楽園ならば、どんな地域でも天国と思えるわ」
「エレクシルの話によると、随分と厄介な生物がいるとか。生憎と外界(アナザー)には、外海を越えて人類未踏領域までいかないと魔獣の一匹もいませんでしたからね」
「ああ、そうらしい話はワシも聞いたことがある。外界(アナザー)には人間しかいないという話を―――」

 ピタリと、ディーティニアの言葉が止まった。
 いや、待て。今、目の前にいる男はなんと言った? 聞き間違いでなければ、こう言ったのだ。

 ―――エレクシル(・・・・・)の話によると、と。

「少し聞きたい、キョウ=スメラギよ。お主は、幻想大陸(こちら)に来る時、()かに会った記憶はあるか?」

 氷点下を思わせる、底冷えするディーティニアの質問に、口を滑らせたことに気づいたが、それはもう遅い。
 上手く誤魔化すことも考えたが、それも難しい。恐らくは嘘をついたとしてもそれは見抜かれるだろう。ならばもう下手に誤魔化すよりも本当のことを伝えたほうが、良い結果に繋がる筈だ。希望的観測だが、そう結論づけたキョウは、小柄な体からは想像もつかない威圧感を滲ませてくるディーティニアと視線を交差させる。

「エレクシルと名乗る、自称カミ様と出くわしました」

 沈黙が訪れる。
 銀髪の少女は痛い人を見る目でキョウを見て―――は、こなかった。
 ただ短く、そうかっと答えて椅子に深く座りなおして、深い息を吐いただけだった。

「お主も、あの気狂い女神に見出されたか。ワシが知る限り、お主で二人目(・・・)じゃよ」

 どこか哀れみを視線に乗せて、少女は語る。

「本来幻想大陸(こちら)に送られる人間は、あのイカレ女神と出くわすことはない。知らず知らずのうちに転移させられておるからのぅ。お主の住んでいた外界(アナザー)でも行方不明の人間は多かったであろう? 恐らくその何割かはイカレ女神の手によって幻想大陸(ここ)に飛ばされていたはずじゃよ」
「……こちらに飛ばされる基準みたいなのはあるんでしょうか?」
「そんなものはない。あやつからしてみれば、幻想大陸(ここ)の人間が減ったから補充しておこう、その程度の考えしかあるまい。女神とは名ばかりのむしろ邪神じゃよ、ワシからしてみればだが」

 明確な敵意を、彼方にいる女神に向けて、淡々と語る。
 ディーティニアの様子を見る限り、彼女も女神と邂逅したことがあるような言い方が少し気になったキョウは、それを聞いてみようと口を開いた。

「ディーティニアさんも、会ったことはあるのですか?」

 誰に、とは付け加えずともそれだけで彼女には言いたい事が伝わっているようで、一気に不機嫌そうな表情へと変わる。

「遠い昔に一度だけ。散々いびられたことは今でも忘れぬ」

 過去を思い出したのか、両手で弄んでいたコップが一瞬で炎に包まれる。
 ディーティニアの掌から放出された圧倒的な火力で、瞬く間にコップは跡形もなく燃え尽きて消えた。その時、まるで見計らったかのようにコトコトっと火にかけていた鍋が音をたてる。
 沸騰しかけているのだろう。それに気づいたディーティニアは椅子から立ち上がると炊事場の方へと戻っていった。鍋の蓋を取り、中で煮えているスープをお玉でくるくると回転させる。
 そこで思い出したかのように、キョウへと顔を向けた。

「そういえばお主、何故にワシに敬語を使う?」
「……いえ、目上の方にはそれなりに敬意を払いますが」
「―――ほぅ。よく気づいたな。ワシはこのような姿で成長が止まっておるからのぅ。大概の初対面の人間はワシを子供だと勘違いするが」
「何といいますか、身に纏っている気配が違いますので」
「ふむ、なかなか見る目がある。まぁ、ワシにはお主の普段通りの言葉遣いで構わぬぞ」
「……おいおいと変えていきます」
「まぁ、無理にとは言わぬがな」

 鍋からスープを掬うと、小皿に移し口に含む。
 味付けが足りなかったのか、さらに調味料を振り掛ける。鍋の中身をかき混ぜると、再び小皿に掬い味見をする。今度は満足したのか、一人頷いている。

 次にディーティニアは余っているギガントタートルの肉を分厚いステーキ二枚分肉塊から切り落とす。適度な回数を軽く叩き、フライパンを取り出すと油をひき豪快に二枚の肉を焼き始める。
 油が弾けとび、肉が焼け爛れる音が激しく耳に届く。それと一緒に、肉の焼ける香ばしい匂いが部屋中に広がっていく。
 そういえば随分と長いことまともな食事をしていなかったな、とキョウはふと自分の食生活を思い出す。思い出してしまえば後は当然な流れで、部屋に充満する極上の匂いがキョウの胃袋を刺激し始めた。

「そういえば、お主歳は幾つじゃ?」

 腹が鳴るのを必死で抑えているキョウに気づいているのかいないのか、ディーティニアは気安く炊事場から声をかけてくる。第一印象では無口そうに見えたが、実は意外と話好きなのかもしれないと、キョウは相手への印象を変更した。元々彼自身話下手ということもあり、ディーティニアのように気軽に声をかけて貰えるほうが有り難いといえば有り難い。

「二十九です。残念ながら今年で三十路に突入しますがね」
「ほう、意外と歳をくっておるようじゃな。ワシはてっきり二十を少し越えたくらいだと思っておったが」
「三十路に突入する身としては、若く見られるのは嬉しいといえば嬉しいですが」
「ワシからしてみれば二十九も三十もどっちも変わらぬよ」
「そういうディーティニアさんは―――」

 失礼っとキョウは台詞を自分で切った。
 女性に年齢を聞くのは野暮である。幾ら彼とてそれくらいの常識は持ち合わせている。

「ワシか? ワシは正確には覚えておらぬが……確か今年でエレクシル暦八百三年だった筈だから、少なくとも八百年は越えておるようじゃな」

 しかし、聞かれた当の本人は全く気にせず答えを言い放った。
 しかもキョウの想像の遥か斜め上の返答を返してきたのだ。

 あまりの驚きに、ガタンっと条件反射で立ち上がる。テーブルについた手が大きく音を響かせた。
 纏う雰囲気から多少は年上だと考えていたが、桁が一つ以上丸々違う。むしろ、八百年とはなんぞやと本気で驚愕する。
 ディーティニアはしてやったりと、嬉しそうに口元を綻ばせ、くるりと身体をキョウへと向けてきた。

「ワシこそが幻想大陸創世より八百年の歴史を見届けし者。幻想大陸に五人しかいない魔女の名を冠するエルフ。世界最高の大魔法使い―――獄炎の魔女、ディーティニアじゃ」

 悪戯が成功したかのように、エルフ特有の長い耳をピコピコと動かして、幻想大陸(世界)最高を名乗った魔女は静かに微笑んでいた。 


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