第9話
「連中が先日、このスティレンに入ったとの事だが、様子はどうだ?」
「はっ、四日前にこのスティレンに入っております。昨日までグランドフォーレに宿泊し、その後は外れにある貸し工房に拠点を移した、との事です」
「ふむ……」
スティレン城の国王の執務室。本日の執務をあらかた終えたフォーレ王の問いかけに、宰相がよどみなく答える。
「そうか、グランドフォーレに宿泊できたか。その程度の人物ではある、という事か」
「そうなりますな」
「その後の動向は?」
「今のところは、これと言って何かをしている様子はありません」
何もしていない、という報告に少々眉をひそめる国王。クレストケイブであれだけ派手に行動したのだから、むしろ何もしていないというのは胡散臭く、不気味でもある。
「本当にか? 武闘大会に関しても、何も行動を起こしておらんのか?」
「拠点探しを終えた後は冒険者として雑事をこなす以外、本当に何もしていない様子です」
重ねて問う国王に、きっぱりと言い切る宰相。実際、現時点では宏達は、武闘大会で賑わう事で増えた雑事をちまちまとこなす以外、本当に特別な事はしていないのだ。
「なるほど。不審な動きは、しておらん訳か」
「何を持って不審とするかにもよりますが、今のところは法に触れるような真似も、法には触れないまでも咎められるような真似もしていないようです。逆に、クレストケイブの件以外では褒賞を与えるような事も行っていませんので、それ以外でこちらから干渉する口実は存在しないかと」
「ふむ。ならば、しばらくは様子見だな」
宏達が大人しいと聞き、とりあえずそう結論を出す国王。アロゴードマインおよびクレストケイブでの行いや、ファーレーンとダールの関係者の話を聞く限りでは、宏達がそういう方面での野心を持っていたり、人を陥れるための行動をしたりという事はまずない。それは分かってはいるのだが、直接見て人となりを確認した訳では無く、また、本人達が自身の影響力を甘く見過ぎている部分が目につく事もあり、警戒を解く事は出来ないのである。
「そう言えば、クレストケイブの方は、今どうなっておる?」
「先日完成した三号炉、及び四号炉も、順調に稼働しているとの事です。現時点では、まだまだ鉄の生産量が落ちた分を補えるほどではありませんが、現在建設中の五号炉及びそれ以降の溶鉱炉が順調に完成すれば、三年以内に鉄から魔鉄に入れ替わった採掘分全てを加工できるようになるだろう、との見通しです」
「ふむ……」
どうやら、順調に魔鉄製品の生産量は増えているようだ。これに関しては、元々ドワーフ達の少なくない割合が、魔力さえ補えれば十分に魔鉄を精製、加工できるだけの能力を持っていた事が大きい。そのため、魔力不足というネックさえ解決してやれば、生産能力を増強する事は難しくなかったのである。
「そう言えばその件で、何やらゴミが余計な事をしておったようだが、そちらについては何か分かったか?」
「はい。彼の人物に公文書を与えた者については、既に特定して拘束してあります。見苦しい言い逃れをしているようですが、武闘大会までには罪を認め、動機を白状する事でしょう」
「そうか。冤罪で全てを巻き上げられそうになったのは、どのような人物なのだ?」
「エンチャントなどをかけない単純な鉄製品を作らせたら、クレストケイブでも五指に入る職人だと聞いております。残念ながらドワーフとしては魔力が極端に低く、そのため素晴らしい腕を持ちながら魔鉄鉱石の精製・加工は出来なかったようですが、今回の件で一番最初に試作名目で新型炉を提供されたため、現在では今までにないほどの品質を誇る魔鉄製品を作り上げているとの事です」
「なるほどな……」
その時点で、事件のからくりを大まかに察したらしい。怒りと呆れが入り混じった表情を浮かべるフォーレ王。
「理由がどうであれ、わが国でそれだけの職人相手に不当な行為を働いて、無事で済むと思っているとはこのゴウトも甘く見られたものだ。のう?」
「御意に」
その一言で王の求める事を察し、命令を待つまでも無く深々と頭を下げる宰相。もっとも、フォーレ王の怒りは宰相の、否、関係者全員の怒りでもある。公文書を発行できる立場でありながら、この国でまっとうな腕のいい職人に悪さをするという事の意味を理解していないのは、頭が悪いどころの話ではない。
「さて、武闘大会の参加締め切りまで、残すところあとわずか。連中がどのような行動を見せるか、引き続き監視しておくように」
「分かりました」
ゴミの処分に筋道をつけて、現在の重要事項に話を戻すフォーレ王。宏達がスティレンで本格的に活動しはじめるまで、もう少しの時間見守ることしかできないフォーレ中枢であった。
「武闘大会の締め切り、もう明日だがどうする?」
「参加する理由があらへんやん」
スティレンに入ってから一週間。フォーレ王たちがアズマ工房一行の行動に注視している事とはつゆ知らず、ようやく話題の武闘大会についての身の振り方を話し合う事になった宏達。もっとも、しょっぱなから宏に切り捨てられる通り、元々武闘派では無い彼らが、わざわざ武闘大会などという派手な大会に参加する理由がないのだが。
「それとも、誰ぞ参加したいん?」
「あたしはパス」
「私もかな?」
「ボクもパス」
宏の問いかけに、女性陣が即座に拒否する。対人戦は面倒なことこの上ないし、賞品も特に魅力的な訳ではない。賞金など無くても金を稼ぐ手段はいくらでもあるのだから、わざわざ殺人のリスクがある対人戦、それも殺しても罪悪感を覚えない輩とは限らない相手と戦うようなイベントはパスしたいのだ。
もっとも、スティレンの大闘技場には生命保護の機能があり、タイタニックロアや疾風斬のような攻撃系エクストラスキルで保護機能をぶち抜いてしまわない限りは、一定以上のダメージは無効化されて戦闘不能扱いになる。故に、普通に試合をする分には死人は出ないのだが。
「兄貴が出たいんやったら、別段止めへんけど?」
「俺が出たいと思うか?」
「いんや」
「だろう? それに、十中八九、先制攻撃の手加減オキサイドサークルで勝負がつくんだから、面白みも何もねえよ」
言い切った達也の言葉に、思わず納得してしまう宏達。オキサイドサークルは普通に効く相手に対してはどこまでも便利な魔法で、酸欠で仕留めるのにかかる時間こそ変更できないが、後遺症を残さずに昏倒させる、という種類の手加減は容易にできるのだ。
「てか、そこまで便利な魔法なのに、あたしオキサイドサークルに関しては、達也が使ってるところを見るまで存在そのものを知らなかったわよ」
「実用になるのが熟練度七十五以上からで、しかもダンジョンのモンスターとかベヒモスクラスのフィールドボスとかには大概効果がねえからな。最前線でダンジョン攻略してる連中が使わねえのもある意味当然だ」
「ああ、そっか。そういう事か」
達也の解説を聞き、自分の周りにこの便利な魔法を使っている人間がいない理由に納得する。ダンジョンのモンスターに効かないのであれば、ダンジョン攻略の時に使うはずがない。もしかしたら、身内に使いこなしている人間がいるのかもしれないが、フィールドで狩りをしたのは飛ばされる前の段階で現実時間で一年近く前。それもボス狩りだったのだから、これまた高確率で出番などなかっただろう。
余談ながら、オキサイドサークルは習得した時は、ウルス近郊に出没するウサギの口と鼻を塞げる程度の効果範囲と、その状態で辛うじてウサギを窒息死させられる程度の持続時間しかない。しかも、全体を取り込めないのだから束縛機能も無く、誰かに捕まえておいてもらう、もしくは束縛系のスキルや魔法で相手が動けないようにした上で窒息死させるしかスキルを上げる手段がない。その作業を千羽ほど繰り返してようやく熟練度が一つ上がる、というのが、オキサイドサークルがマイナーな魔法に甘んじている理由である。
「まあ、話はそれたが、とりあえず俺達は不参加でいいって事だな?」
「ええよ。っちゅうか、参加する理由があらへん」
「了解。じゃあ、武闘大会に関しては、これと言って何もしないのか?」
達也の確認に対し、宏がちょっとばかし不審な挙動を見せる。それを目ざとく見咎めた達也が、宏にジト目を向ける。
「お前、何か悪だくみしてるだろう?」
「悪だくみっちゅうか、悪ふざけは考えとるよ」
「一体何を考えてんだ?」
達也に問い詰められ、どう説明しようかと視線を宙にさまよわせる宏。考えている事は実にしょうも無い事なのだが、それなりにいろんなところに影響がありそうなので、口にすると駄目出しされそうなのが悩ましい。
「まあ、まだ考えてるだけやねんけど、やりたい事は二つほどやねん」
「ほう? 何をやりたいんだ?」
「一つはな、丁度ええ機会やから、春菜さんが練習で作った奴のうち、売り物になる範囲のんにちょっと手ぇ入れて露店で売りさばこうか、ってな。これに関しては、商業組合に一応許可は取ってん」
「それはまあ、どうせあっても使わねえんだし、売れるんだったらいくらでも売り払えばいいとは思うが、もう一つは?」
思ったより健全というか普通の内容だった一つ目に毒気を抜かれながらも、宏の事だからどうせ余計な事を考えていると警戒を解かずに突っ込む達也。他のメンバーも微妙に身構えているあたり、この件に関しては宏はまったく信用がない。
「もう一つも、春菜さんの作った武器とか細工ものを処理するんが目当てやねんけどな」
「それが目当てだったら、わざわざ余計なことしなくてもいいと思うんだけど……」
「普通に売るだけやったら、おもろないやん」
大したものではないと言っても、自分の作品で余計な事をされてはたまらない。なので抗議も兼ねて窘めるように意見を言った春菜を、余計なところで芸人根性を発揮しているとしか思えない回答で退ける宏。妙にワクテカしている宏に、ますます不安が募る一同。
「でまあ、やりたい事のもう一個やけど……」
もったいつけた宏の言葉に、緊張と不安の表情を浮かべながらやや前のめりになって続きを待つ達也達。
「そこそこの腕の無名の選手が、装備の力で優勝したらおもろない?」
「流石にそれは、いくらなんでも悪ふざけが過ぎるぞおい!!」
宏が言い出した言葉は、予想通りろくでもないものであった。
「定時連絡、定時連絡」
どうにか今週も体重を増やさずに済んだ、などと安堵しながら、レイニーはレイオットと通信を始めた。
『現時点で、何か変わった事は?』
「いくつか報告事項あり。最初の一つとして、ハニー達がスティレンに入った」
『ふむ、ようやくか』
予想以上に時間がかかったな、などと考えながらも、続きを促す。
『どんな様子だ?』
「基本的にいつも通り。今回は屋台もやってないみたい」
『武闘大会に参加する事はないと思ってはいたが、屋台もやっていないのか……』
「うん。昨日拠点移った所だし、宿に泊まってる間は、拠点探しと駆け出しの冒険者らしい仕事しかしてない」
レイニーからの定時報告を受けたレイオットは、最初の報告内容に嫌な予感を覚えて眉をひそめる。
『ヒロシは外に出ているのか?』
「ハニーは工房借りてからずっと引きこもってる」
『本気で嫌な予感しかしないな……』
宏が拠点に引きこもっている場合、十中八九は碌な事をしていない。それで何か大きな被害が出る、という事はないが、敵味方双方の思惑を大きく狂わせることはしょっちゅうだ。
『他の連中は、どうしている?』
「ハルナとミオは、ハニーと一緒に何かやってる。タツヤとマコトは、雑用とモンスター狩りに専念してる、らしい」
『ふむ……』
何とも不審な情報である。先入観でものを言うのは良くないが、どうにも本当に碌な事はしていないイメージしかない。
『……まあ、連中が碌な事をしていないとしても、主に振り回されるのはそっちの国と邪神関係者だ。ファーレーンには大した影響はないだろう』
「殿下、ひどい」
『根本的な話として、だ。フォーレで起こった出来事に、頼まれもせずにファーレーンが介入する訳にはいかんだろう? お前が個人の判断と権限で手を出せる範囲ならともかく、私が直に出ていくと話が大きくなりすぎる』
「この飼い主、本当にひどい。ハニーに会わせてもくれない癖に、大した権限も無いわたしに対応丸投げしてる……」
『権力者というのはそういうものだ、諦めろ。で、他の報告事項は?』
このまま漫才を続けていては、話が終わらない。さっさと戯言を切り上げて、続きをせかす。
「大きな話としては、エルザ神殿本殿と音信不通、らしい」
『……大事ではないか……』
「うん。事が事だけに緊急連絡を入れようかと思ったけど、最初の情報ソースがいまいち信用できなくて、もう少し確度の高い情報を集めてた。内容的にも、ただの胡散臭い噂の段階で下手に緊急連絡入れて、話が制御できないほど大きくなったら流石にまずいと考えた」
『なるほど、な。最初に情報を拾ったのは、いつだ?』
「一昨日の晩。だから、確度が高い情報が揃わなくても、今日報告するつもりだった。これが前の定期報告直後とかだったら、次の日の昼過ぎぐらいまで情報集めたら、迷わず緊急連絡を入れてた。内容的に一週間はまずいかもしれないけど、二日ぐらいだったら大勢に影響しないと判断した」
レイニーの対応に、いいとも悪いとも言わずに一つ頷くレイオット。胡散臭い噂として広まっている、という事は、既にそれなりの時間が経っている、ということだ。情報を確認するぐらいの時間の差は、大した影響が出ないだろう。
『それで、口ぶりから言って、ほぼ確定なのか?』
「ほぼ確定。本殿に向かった人間が、何人か行方不明になっている。あと、来るはずだった人間が来ていない。スティレンの神殿がおかしいと思い始めたのが、丁度前の定期報告の時ぐらいだそうで、街中での調査とかこまごまとした準備とかに時間を取られて、少人数の調査隊を送り出したのが昨日の早朝との事。で、その調査隊から、予定された定時連絡がこない、って今朝がた騒ぎになってた」
『なるほど。厄介な事になっていそうだな』
「うん。一応明日にでもルートは確認しに行くけど、正直こっちからはそれ以上調査するのは難しいから、ここから先はエアリス様の領域だと思う」
『ああ、そうだな。この件は、こちらで預かる。場合によっては、エアリスがそちらに向かう事になるかもしれん』
「了解」
五大神の一柱にして三女神の一柱である、大地母神エルザ。彼女がいるはずの神殿と連絡が取れない、というのは大いにまずい。流石にこの件に関しては、内政干渉だのなんだのとごちゃごちゃ言っている余裕はなさそうである。
「で、次に、マークしてたディーデント伯爵が、公文書偽造の罪でフォーレ王家に拘束された」
『とうとう、か』
「うん。直接的なきっかけは、クレストケイブでハニーの邪魔をしたチンピラに、くだらないお墨付きを与えていた事だったらしい。そのチンピラが拘束されて、そこから芋づる式に色々出てきたみたい。昨日ぐらいまでは何か見苦しい言い訳をわめいてたそうだけど、今日の昼ぐらいには完全に降参してた、との事」
『なるほどな。やけに具体的だが、その情報はどこから仕入れた?』
「体重という乙女のピンチと引き換えに仲良くなった、国の中央に近いドワーフの人」
レイニーの言葉に、誰の事かすぐにピンとくるレイオット。
『ダヴィド侯と、そこまで親しくなったのか?』
「調査に入った酒場で宴会に巻き込まれて以来、週に二回は飲む間柄?」
『それはまた、随分と気に入られたものだな』
「おかげで、ここのところ肝臓と体重が気になってしょうがない」
『相手はドワーフだからな。悪いが、諦めて肝臓を鍛えて減量に励んでくれ』
思わぬ大物を釣り上げていたレイニーに驚きつつも、それゆえにどうしようもない事に関しては内心申し訳なく思いながらも冷たくあしらうレイオット。
「流石に週二回もドワーフに付き合うのは辛い。殿下、ハニーにお酒とダイエットの対策を相談していい?」
『……そうだな。たるんだ体を晒すのに抵抗がなければ、許可しよう』
「うっ……」
恐らく気にしているであろうことをピンポイントで貫きつつ、とりあえず褒美代わりに許可を出すレイオット。宏達がクレストケイブであれこれやらかしているうちに、レイニーはレイニーで色々なものと引き換えにかなり重要なコネを作っていたようだ。
『報告は、それだけか?』
「後は大したことはない。せいぜい、クレストケイブの新型炉で作った魔鉄製品が入荷するようになってきて、鉄製品の値段が落ち着き始めたぐらい」
『なるほど。連中が関わっているから当然といえば当然だが、予想よりかなり早いな』
「遠からず、鉄製品の輸出量も元に戻せるだろう、とはこっちの鉱業組合の組合長の言葉」
『それは助かるな』
レイニーがもたらしたありがたい情報に、通信機の向こうで顔をほころばせるレイオット。ダールと違ってファーレーンは、質を気にしなければ需要を賄えるだけの鉄鉱石は取れる。だが、鉄鉱石の質が質だけに、製鉄技術も加工技術もフォーレに比べて二枚は落ちるため、ここのところのフォーレの輸出制限は頭の痛い問題だったのだ。
ある程度何でも自前で賄え、食糧供給を背景に割当量の削減幅を大幅に抑えてもらったファーレーンでこれだ。同じく製鉄に関わるあれこれをある程度供給しているダールやローレンはともかく、それ以外の国はかなり頭が痛い状況だっただろう。
何しろ、鉄がらみの技術に関しては、二番手がフォーレと比較して二枚は劣るファーレーンとマルクトなのだ。それ以外の国はさらに技術的には劣る訳で、国によっては致命的な影響を受けていてもおかしくない。
「とりあえず、連絡するような内容はこんなところ」
『分かった、ご苦労だったな。追加の予算を送っておいたから、明日にでも大使館に受け取りに行くように』
レイニーの報告を聞き終え、ねぎらいの言葉と業務連絡を告げて通信を切り上げるレイオット。通信が終わって、小さくため息をつくレイニー。最近は食事の量を大幅に絞っているため、実のところ経費にはかなり余裕がある。余裕はあるのだが、何に必要になるかは分からないので、そこは素直に受け取りに行く事に。
「寝る前に、もう少し運動しよう……」
レイオットに言われるまでも無く、前に比べて身体がたるんできている自覚はある。日々鍛え直すためにひたすら運動をしているが、二回で一週間分以上のカロリーを強制的に摂取させられるのだ。澪ぐらい燃費が悪くない限り、いくら鍛え直してもきりがない。
「明日、本当にハニーに相談しないと……」
はっきり言って、今のたるんだ体を宏に晒すのは嫌だが、それを言って先送りにすると手遅れになりかねない。女としても潜入工作員としても手遅れになる前に、好きな男に赤裸々に全てを晒して相談する事を心に決めるレイニーであった。
レイニーが定時連絡をしていたのと同じ日の夜。その日の作業を終えた鍛冶場では、へとへとになった春菜と付きっきりで指導していた宏、その補佐をしていた澪の三人が、完成品を前に打ち合わせをしていた。
「とりあえず、ラインナップとしてはこんなもんちゃうか?」
「……ん~、多分、こんなもんだと思う……」
完成品を検分していた宏の言葉に、スタミナも魔力も枯渇寸前まで使った春菜が同意する。彼らの目の前には、長剣十本に大剣八本、槍が五本、斧とハンマーが三つと、なかなかの数が並んでいた。全て、ここ数日の春菜の作品である。このうち長剣と大剣のそれぞれ半分ずつはクレストケイブで作ったものに徹底的に手を入れたもので、残りは全て、クレストケイブで作ったものを溶かして新たに作りなおしたものである。
「……作ってるうちによく分からなくなってきたんだけど、性能的にはどんな感じ……?」
「一番出来のいい長剣以外は全部、素の性能はファーレーンで売ってるのよりは大幅に性能はいいけど、ドワーフ製には届かない」
「そっかあ。まあ、そうだよね……」
澪の正確な評価に肩を落としながら、スタミナポーションに手を伸ばす春菜。飲まないと正直、明日の朝までに回復するとは思えない疲労加減なのだ。
「とりあえず、全部ちょっと不良品っぽい偽装かけて、不良品としてはふっかけ気味の値段で並べてみる予定やけど、どない?」
「その偽装をかける理由って、何?」
「あんまり現金かき集めすぎんように値段を抑えるんが一つと、偽装を見抜ける目利きがどんぐらいおるかの調査やな。因みに、春菜さんが作るんに失敗した、ほんまもんの不良品も混ぜる予定やで」
澪の質問に、ある種妥当だと思われる理由と明らかに趣味に走っているであろう理由を告げる宏。その理由を聞いて呆れつつ、特に文句は言わない事にする春菜と澪。
「で、いっちゃん出来のええ奴は魔鉄製の最低ラインとええ勝負やし、更にあれこれ手ぇ入れて本命のネタに使う予定や」
「本命のネタはいいとして、どんな風に改造するつもりなの?」
「素体はもう、必要十分な性能持っとるからな。ここはエンチャントで徹底的にあれこれやったろうかな、って」
「具体的には?」
「防御系のエンチャントでガチガチに固めて、それこそエルの技量でもワイバーンクラスとやりあえるようにしたろうかな、ってな」
明らかに遊ぶ気満々の宏の言葉に、思わず全力で呆れた声を漏らす春菜と澪。恐ろしい事に、鍛造段階で攻撃力向上のエンチャントがかかっているため、ワイバーンの中でも弱い奴なら必要最低限のダメージが通る程度の威力は出せるのである。
「さて、まずはベヒモスの油使うて全防御能力向上200%からやな。あとはアリゲーターの尻尾の骨でパッシブバリア発動率七割とガルバレンジアの毒袋で状態異常耐性強化(全)の75%つけたって、仕上げにパリィ強化75%と細かいステータスアップを入れられるだけ入れる感じで……。あ、せやせや。持ち主の力量とかピンチに合わせて開放される隠し機能の類も突っ込んどくか……」
「師匠、やりすぎ……」
「何の何の。これぐらい序の口やで」
何の冗談だ、と言いたくなるようなエンチャントを戯言とともに施していく宏に、思わず突っ込みを入れざるを得なかった澪。無論、そんな突っ込みを宏が聞き入れる訳もない。しかも、いくつか春菜が聞いた事も無いエンチャントが混ざっている。パッシブバリアなんて、そんなエンチャントも特殊能力も初耳だ。隠し機能については、どれもこれも突っ込みどころしかない。
「さて、完成や。ちょっと持ってみ?」
「……何、このどこの魔王に喧嘩を売りに行くつもりなのか、って剣は……」
「名付けてディフェンダーソードや。ドルのおっちゃんとかが使えば、それだけでバルドでも無力化できるはずや」
明らかに防御面だけ過剰な性能を持つ剣に、恐れと呆れの混ざったコメントしか出てこない春菜。そんな春菜の様子にドヤ顔を浮かべ、ひたすら物騒な台詞を言い放つ宏。
「不満を言うとしたら、素材が所詮鉄やから、強度が強くて100%発動のパッシブバリアと率の高いパリィ強化はつけられへんかった事やな。流石に全防御能力向上200%は、低級素材につけると他のエンチャントの難易度を跳ね上げおるわ」
これで不満なのか、といいたくなるような宏の言葉に、呆れを通り越してある種の尊敬を覚えてしまう春菜。はっきり言ってこの剣、駆け出しの冒険者でもストーンアントの巣ぐらいは安全に駆除出来る武器だ。
「師匠、この剣のパッシブバリアって、出力どの程度?」
「防御力抜けたダメージを威力五千まで吸収、っちゅう所やな。ドルのおっちゃんとかユーさんの通常攻撃やったら問題ないぐらいやけど、中級スキルやと普通に貫通しおるわ」
「確率も考えると、確かにちょっと微妙」
宏と澪の会話を聞いて、それが微妙なのか~、などと遠い目をする春菜。実際のところ、ダメージを五千吸収というのは、一定以上のレベルになると攻撃力のインフレが激しいフェアリーテイル・クロニクルでは、確かに微妙な数値だ。だが、その一定以上のレベルというのが二百レベル台後半の達也で片足をひっかけた程度の数値なので、完全に通用しなくなるのはいわゆる廃人の領域になって来るのである。
しかも、通用しなくなってくると言っても、ダメージを軽減する保険という観点では十分すぎる性能を持っているし、宏やドーガのようなすさまじい防御力を持っている人間ならば、剣の他のエンチャントの効果も考えれば五千という数字は過剰と言っていいものである。
第一、この数字で駄目出しされてしまうと、同程度の性能で愛用者が多い中級防御魔法・アブソーブが完全に実用範囲外扱いされてしまう。
「ねえ、宏君……」
「ん?」
「確か、アブソーブの熟練度七十五ぐらいで知力が三百ぐらいだとそのぐらいの防御性能になった記憶があるんだけど、それで微妙なんだ……」
「発動率が所詮七割やからなあ。確実に発動するアブソーブとは微妙に比較し辛いで」
「そこは分かるんだけど、コストなしでクールタイムとか関係なく発動する事を考えたら、微妙って言うのはどうなんだろう、って思うんだ」
一応この中では常識人分類の春菜が、明らかに常識をどこかに置き忘れた宏と澪に突っ込みを入れる。この場に達也と真琴が居たら、間違いなく春菜に同意していたことだろう。
「最近感覚麻痺して来てたけど、やっぱり宏君が作るものは常識からかなりずれた所にあるんだよね……」
「何や酷い言われようやな……」
「レベル1の初心者がストーンアントとかに喧嘩売れるような武器作ってたら、そりゃいろいろ言うよ……」
「流石にレベル1やと防御力強化は張り子やで」
宏が作るものがあれで何なのはいつもの事で、しかも最近は中級から上級にかけての素材で作ったものが多かったために強くて当然だったためにスルーしていたが、たかが春菜が作り上げた長剣をここまで魔改造してのけた様子を見てしまうと、流石に宏に常識が通じない事は再認識せざるを得ない。
「春姉、春姉」
「何?」
「多分製造クリティカルの結果だろうけど、それでもその素体に出来るような武器を作れるようになってる時点で、春姉も同類」
「平気であれぐらい作れる澪ちゃんには言われたくない……」
目をそむけていたい種類の事実を澪に突きつけられ、なんとなくがっくりしながら力なく反論する春菜。結局、この三人は他所から見れば五十歩百歩なのだ。テレスやノーラのようなまだ普通の範囲にいる工房職員ならば、春菜は人の事を決して言えないと力強く断言してくれるであろう。
「それにしても春菜さん、うちらの間では割と一般的なエンチャントでも結構知られてへんみたいやけど、普通のエンチャント職人ってどんな感じやったん?」
「物凄く人気のある人で、中級折り返す前って言ってた。それも、一般に知られてるエンチャントの性能を強化したようなのしかできなかったみたい」
「あ~。オリジナルのエンチャント製作は、上級入らんとなかなか成功せえへんからなあ。育てるんにしても製造過程でエンチャントしたり、加工手順に応用したりとかやった方が上がりやすいから、なかなかやろうなあ」
「そういうもんなんだ」
「そういうもんやで。っちゅうか、春菜さんもそろそろ、普通に中級に入りかかっとるしな」
「えっ!?」
宏の指摘に、思わず大きく驚いてしまう春菜。だが、考えてみれば、今回は精錬の段階からエンチャントを使う練習をしたのだし、錬金術や製薬でも初歩のエンチャントの応用はずっと続けて来ている。宏の説明通りであれば、いい加減中級に入っていてもおかしなことは何一つないのだ。
「まあ、割とおかしなことでもあらへんねんけどな。錬金術とエンチャントとクラフトは他の生産に応用することが多いから、メイキングマスタリー覚える前に中級に上がるケースも珍しいないし」
「そうなんだ」
「せやで。澪も、確か錬金術とエンチャントは先中級上がっとったし」
宏の言葉を聞いて春菜が確認するように澪を見ると、本人がその事実を肯定するように頷く。
「まあ、中級入ったら文献とかから復旧できるエンチャントとか大幅に増えおるし、間ぁ見てそこらへんも教えたげるわ」
「うん」
「さて、明日ぐらいからの露店の準備も整った事やし、後は前祝いの後バタバタしてちゃんとお祝いできんかった、真琴さんの誕生日祝いやな」
「……なんか、前祝いが豪勢だったから、いまいち盛り上がらないよね」
あからさまな話題転換に乗っかりつつ、どうにも問題となってしまっている事柄を提示する春菜。背に腹は代えられない面があったとはいえ、はからずも豪華な料理と高い酒で誕生日の前祝いを済ませてしまったのだ。本番をあれ以上豪勢にするのもなんとなくいろんな意味でもたれそうで気が引け、だが祝わないという選択はしたくない。
「そこは本人も言うとったから、今回は諦めて新作の酒と真琴さんが食べたい料理と、それからケーキぐらいでお茶濁す事になるやろうなあ」
「ん~、申し訳ないけど、それで行くしかないかな?」
「一応、ペンと紙とスクリーントーン各種と印刷機は用意してあるけど、使うかどうかは本人次第やしなあ」
「宏君、印刷機までいつの間に……」
なんだかんだといいながら、地味にそれなりの準備はしていたらしい宏に、本格的に呆れた表情を浮かべる春菜。
「あったら同人誌だけやなくて、いろんな事に使えるからな。因みにオフセット印刷可能で、製本まで全自動やで」
「師匠、それ明らかに、技術的に何段階か進化飛ばしてる」
「地底の連中も大差ない性能のんもっとるし、ええんちゃう?」
色々とオーバースペックな地底の連中を引き合いに出され、反論に困ってしまう澪。確かに連中の技術は今の地上の技術水準とは隔絶しているが、宏のように模倣すら出来ないものを作りまくって半ば垂れ流しにするような事はしていない。
「まあ、何にしてもや。あとは明日の料理、何食べたいか本人に聞いて……」
「ただいま~」
「お。噂をすればなんとやら、やな」
絶妙なタイミングで帰って来た真琴と達也に、明日の事で何処となく浮足立った様子を見せる宏達。そんな宏達の様子を知る由もない真琴と達也が、とりあえずみんなが集まっている鍛冶場に顔を出す。
「兄貴、真琴さん、お帰り」
「おう、ただいま」
「ただいま。武器は終わったの? 後、晩御飯何?」
学生組の顔を見て、挨拶もそこそこに気になっていた事を矢継ぎ早に質問する真琴。
「武器は終わったで。晩御飯はこれからやけど、春菜さんは何の予定やった?」
「ん~、ゴーヤに似た野菜見つけたから、それとロックボアの肉でゴーヤチャンプルーもどきにしようかなって。あとは形は違うけど冬瓜みたいな瓜もあったから、それを煮物にする予定。あ、もちろんまだまだ季節ものの枝豆と、おみそ汁もつけるよ?」
「お~。春菜、愛してる!!」
「ありがとう」
どうやら真琴の今の気分にストライクだったらしい。オーバーなぐらいに喜ばれ、微妙に苦笑を浮かべる春菜。
「で、真琴さん。明日何食べたい?」
「明日? ああ、そっか。あんまり気にしなくてもいいけど、強いて言うなら美味しいおつまみが一杯あるといいかな? ご飯にもあう種類だと最高ね」
「了解。色々考えるよ。ケーキは?」
「フルーツたっぷりなのも捨てがたいけど、シンプルなのもいいわね」
真琴のリクエストに頷き、これまたいろいろと頭の中で計画を練る。仕入れの方は問題ないので、後はリクエストに合わせて好き放題やればいいだろう。とりあえずケーキは切り分け用のホールで一つと小さいものを各人に一個ずつ作れば、両方のリクエストに応えられる。皆まだまだ若いし、デザートにケーキ二切れぐらいは余裕で食べられるはずだ。
「とりあえず企画は練ったから、明日はこっちのお酒でよさそうなのも探してくるよ」
「了解。楽しみにしてるわ」
翌日の夕食について簡単な打ち合わせを終えたところで、今日の成果物を披露する春菜。大半は春菜の技量もここまで来た、という証明にすぎないものではあるが、流石に本命は真琴をして
「何処のボスに喧嘩ふっかけさせるつもりよ……」
と呆れざるを得なかったのはここだけの話である。
そして翌日。
「お? レイニーか?」
「朝早くにごめん。ハニーに相談したい事がある。殿下からの許可は取った。いい?」
夜に向けて酒の仕入れに、と春菜に頼まれて同行する事になった達也が、誰かが出てくるのを待っていたレイニーを発見する。その春菜は現在、ついでに仕入れるものを決めるために、食糧庫を再チェックしている。
「相談? どんな事だ?」
「恥ずかしくて言いにくい事だけど、ダイエットの事」
ダイエット、と言われて思わずまじまじとレイニーの身体を観察してしまう達也。気にする必要があるとは思えないが、確かに以前に比べると少々、全体的に丸くなっている。もっとも、それ以上に何処となく顔色が悪い事の方が気になるのだが。
「……別に、気にする事はねえと思うんだが……」
「週二回、ドワーフの宴会に付き合うのはきつい……」
「あ~、なるほどな……」
ドワーフの宴会、という言葉で色々と理解する達也。確かにそれは、ダイエットが必要になりそうだ。今は不断の努力でこの程度に抑えていても、何かがあって運動量を稼げなくなった瞬間に太る。
「って事は、酒に対する対策も、か?」
「うん。一昨日のお酒、完全に抜けてる気がしなくて……」
「……お前も大変だな……」
「マコトとミオが羨ましい……」
澪とは別方向で感情表現が苦手なレイニーが、珍しく誰もが共感し、同情するような表情を浮かべてしみじみと呟く。そろそろ成長期が終わりかかっている少女にとって、ドワーフの宴会はいろんな意味で過酷な環境なのだ。
「達也さん、お待たせ。って、レイニーさん?」
「ハニーに相談したい事があって。殿下の許可は取った。駄目?」
普段とはちょっと違う、何処となくパワーが感じられないレイニーの様子に、思わず達也の方を見る春菜。
「色々思うところはあるんだろうけどな。今回だけは許してやれ」
「まあ、殿下の許可を取ってあるんだったら、宏君に飛びかかったりしない分にはかまわないんだけど。というか、レイニーさん顔色悪い上に、ちょっと太った?」
春菜に容赦なく問題点を突っ込まれ、全力でどんよりした空気を発散するレイニー。それを見て、地雷を思いっきり踏み抜いた事を自覚する春菜。春菜がフォローの言葉を口にするより早く、どんよりしたレイニーが口を開く。
「ハルナだって、週に二回以上ドワーフの宴会につきあわされれば、絶対に太る……」
「あ~……」
レイニーの言葉で全ての事情を察し、全力で同情してしまう春菜。誰もが納得するあたり、ドワーフの宴会がフォーレ以外の国の年頃の女性にとって、いかに危険なものかがよく分かる。あれに付き合って平然としたまま、体型も何も影響を受けない真琴や澪は絶対におかしい。二人とも、明らかに胃袋どころか自分の体積よりも大量の酒もしくは料理を口にしているのだから、ウワバミもフードファイターも真っ青だ。
「というか、身体の方は大丈夫?」
「そろそろ、お酒が抜けなくなってきた気がする……」
「……宏君に相談しないと、まずそうだよね」
本人が思っているより深刻かもしれないと判断し、さっさと宏に相談することを決める春菜。折り合いがいい相手ではないにしても、死んでほしいと思うほど嫌いな相手ではない。どうしようもない変態ではあるが、会うたびに少しずつ常識を身につけて来ている様子がうかがえる事もあり、こういう苦境を見捨てるのは忍びないのだ。
「とりあえず、ちゃんと大人しくする事。宏君に飛びかかったりするなら、相談はなかった事にするからね」
「こんなたるんだ体で、ハニーの前で服を脱げない……」
「たるんだ、ってほどでもないけど、まあ、気持ちは分かるよ……」
いくら見た目に問題がないと分かっていても、好きな男に太った姿を晒すのは乙女心が許さない。その気持ちは大いに理解できる。こちらに来る前は、余程見苦しくない限りは気にする必要はない、などと思っていた春菜だが、本気の恋をした今となっては、そんな戯言は到底言えないのである。
無論、過度に絞りすぎてみっともない姿になるのも許せない。恋する乙女にとっての体重管理というのは、ベストの数値を探し当てるための不断の努力の積み重ねなのだ。
「じゃあ、ここで話をしててもしょうがないし、中に入って」
「おじゃまします」
春菜に促され、おずおずと中に入っていくレイニー。何処までもしおらしい彼女にどうにも調子が狂うものを感じながら、とりあえずさっさと宏に会わせる事に。
「あれ? どないしたん? って、レイニーか?」
出たばかりのはずの春菜と達也が戻ってきたのを見て怪訝な顔をし、その背後に隠れるように立っているレイニーに気が付いてとっさに身構える宏。過去三回の遭遇内容を考えれば、無理もない反応だろう。
「ヒロ、多分今回は大丈夫だ」
「というか、あんまりにも哀れだから、相談に乗ってあげて」
「兄貴と春菜さんがそういうんやったらええけど、っちゅうか、レイニーちょっと体大きなったか?」
「あう……」
達也と春菜に取りなされ、とりあえず警戒を解かずにレイニーを見て気が付いた事を確認する宏。その一言に思わずうめき声上げて、地面に両手をついてがっくりしたポーズを取ってしまうレイニー。
「顔色もあんまりようないし、どないしたんよ?」
「あいつの体格で週二回以上ドワーフの宴会につきあわされれば、こんなもんだろう」
「ああ、なるほどなあ……」
その一言で、レイニーが妙に調子が悪そうな理由と、相談事の内容を把握する宏。ここまでの全員が、ドワーフの宴会の一言でレイニーの抱えている問題を瞬時に理解するあたり、ドワーフの業という奴がよく分かる。
「体型に関しては、前がむしろよう胸の肉が落ちてへんなあ、っちゅう種類の細さやったから、今ぐらいでもええとは思うんやけど……」
「ハニーは分かってない……」
「分かってない、っつうてもなあ……」
宏的には、自分に女心の理解など求められても困る。困るのだが、それを言っても通じないのが人間というものだ。
「工作員としても、そろそろ致命的な状況になりつつある……」
「そんなに動きにくうなっとんの?」
「今がギリギリぐらい。この食生活が続けば、遠からず体が思うように動かせなくなる……」
「なるほどなあ……」
レイニーの深刻な表情に、流石に体重は気にしなくてもいいんじゃないか、とは言えなくなる宏。恐らく現状でも限界まで体を絞り、それでも徐々に体重が増えて来ているのだろうと推測できる以上、なにがしかの対策は必要なのかもしれない。
「まあ、流石に劇的に体重減らすようなもんはあらへんけど、代謝を上げて食べた分の燃焼を早くする薬と腰回りの脂肪燃焼を促進する類のダイエット食は準備できんで」
「頼んでいい?」
「下手すると命にかかわりそうやからなあ。ただ、ドワーフの宴会で食べた分をチャラにするためのもんやから、恐らく今の状態から体重は減らへんで。あと、ドワーフの宴会に参加せえへんなったら、今度一気に体重落ちかねへんから、一週間か二週間かぐらいで普通の食事に戻さんと命に関わんで」
「うん、分かった」
宏に言われ、素直に頷くレイニー。彼女とて、体重を落とし過ぎる事の愚は十分理解している。今回のような緊急事態でもなければ、ダイエットなど考えもしなかっただろう。
「で、お酒対策の方やけど、まずは今残っとるアルコール抜こうか」
そう言って、万能薬と三級のスタミナポーションをレイニーに渡す宏。ギリギリのラインではあるが、そろそろ後遺症という形になりかかっていたらしい。三級以上のスタミナポーションでも飲まない限りは、肝機能が回復しなくなりつつあったのだ。まだ完全にその状況に至っていないため三級のスタミナポーションでもいけたが、後二週間ほど遅かったら二級を使うか長期戦で治療するかのどちらかになっていたところである。
「……なんだか、ものすごく体が軽くなった……」
「肝機能障害が出とったみたいやからな。仕事やからしゃあないっちゅうても、ちょとばかし無茶しすぎやで」
「分かってるけど、ドワーフ相手にお酒断るのは無理……」
「やろうなあ。っちゅう訳で、アルコールの分解を助ける薬、宴会前に飲む奴と終わった後に飲む奴用意しとくわ。ダイエット関連の準備もあるから、また晩ぐらいに来てや」
「了解。ありがとう、ハニー」
この苦境から脱出するためのわずかな光を見つけ、何処となく儚い笑顔を浮かべて心底嬉しそうに頭を下げるレイニー。この時点で変態的な行動に出ないのは、狂いに狂ったバイオリズムが、肝臓のダメージを取り除いた程度では元に戻らないからだろう。
「あ、そうだ。丁度いいから報告」
「ん? 何や?」
「まだ詳細は調査中だけど、ここのエルザ神殿が本殿と連絡が取れなくなった」
「……そらまた、厄介な話やな。そもそも、本殿ってどこにあるんや?」
「大霊峰中腹。過去にいろいろあって、基本的に一般人立ち入り禁止。だから本殿の詳細な場所やルートは秘匿されてる」
レイニーの情報に、難しい表情で考え込む宏と春菜、達也の三人。どうにもきな臭い話だ。
「一般人立ち入り禁止、っちゅうことは、何らかのコネで許可もらわなあかん、っちゅうことか……」
「とりあえず、本殿そのものに関してはエアリス様に丸投げした。ルートに関しては、入り口から中ほどぐらいまでは情報収集して割り出したから、今日これからちょっと調査してくる予定」
「……多分、自分が思うとるより身体の状態はようないから、今日はやめといた方がええ」
「……心配してくれるの?」
「そら、顔見知りに何かあったら寝覚め悪いしな。春菜さんらも、僕に相談持ちかけるん許したんはそういうこっちゃろ?」
宏の言葉に頷く春菜と達也。さほど縁がある訳でもなければ積極的に仲良くしたい相手でもないが、別段不幸になって欲しい訳でもない。故に、余りに哀れなレイニーの現状は、お人よしぞろいのアズマ工房一行が見てられなくて手を出すには十分だったのである。
「とりあえず、胃腸もちょっと弱っとるやろうから、そこらへんの薬も出しとくわ。ポーションで治ったから言うてすぐに無茶できる訳やないし」
「じゃあ、私はちょっとおかゆ用意してくる」
「薬飲んで春菜さんのおかゆ食べて安静にしとったら、晩には本調子に戻るはずや。今日一日は自分の拠点で大人しいしとき」
「ありがとう……」
宏達の優しさに感じ入るように、うつむきがちになりながらもちょっとかすれた声でお礼の言葉を告げるレイニー。その様子に青い瞳を丸くしていた春菜だが、すぐに優しい微笑みを浮かべて一つ頷くと、何も言わずに台所に消える。
「今日は真琴さんの誕生日パーティで、晩飯が酒のつまみ主体やねん。丁度ええ機会やから兄貴とか真琴さんとかに、酒の飲み方とか教わったらええわ」
「俺はともかく、真琴のは参考になるのかね?」
「真琴さんは素で海に酒流しこんどるような感じやから、微妙かもなあ」
などといいながらも、とりあえずこの場で渡せる薬を全て用意してレイニーに渡す宏。胃薬や熱さまし、酔い止めなどは宏達には必要ないものだが、なんだかんだで結構使う事が多いため種類も量もたくさん持っているのだ。
「お粥できた。一応こぼれないようにして腐敗防止の布で包んでおいたから、気をつけて持って帰って、食べる前に布を解いてね」
「本当にありがとう」
嫌われている自覚のある相手からあれこれ優しくしてもらい、何度も何度も礼を言うしかないレイニー。こうして夜には完全に復調し、真琴の誕生日祝いの席でベヒモスの角煮や枝豆をはじめとした大量の酒のつまみを前に、上手く誤魔化しながら適量を食べる方法やドワーフにペースを乱されずに酒を飲む方法を仕込まれる。
「ドワーフの宴会も、ここまでとは言わないまでも普通ぐらいまで落ち着いてたらいいのに……」
「それは思うよね~」
何を強要される訳でもなく、自分のペースで何もかも適量に抑えられる落ち着いたパーティに、思わずしみじみと呟くレイニーと、その言葉に心の底から同意する春菜。
「あたしはあの豪快な宴会も好きよ?」
「普通にドワーフを飲み比べでノックアウトできるマコトが羨ましい……」
心底羨ましそうに言うレイニーに、思わず心の底から憐れんで飲み方指導にも力が入る真琴。そんなこんなで、和やかにパーティは進んで行く。
「久しぶりに、ご飯が美味しい……」
「そっか、よかった。デザートもあるから」
「楽しみ。……この木の芽の揚げ物、美味しい……」
「スティレンの特産品で、この時期に新芽が出るんだって。やっぱり、ウルスでは見かけないものも多いよ」
久しぶりにちゃんと味わって食べられる食事を楽しんでいる様子のレイニーに、物凄く和んでしまうアズマ工房一同。状況が状況だけに量はセーブしているが、その分一つ一つをじっくり味わっている。
「武闘大会、今年の個人の部は三つ巴らしい」
「ふむふむ」
「組み合わせは明日発表される。優勝候補は……」
折角の誕生日パーティという事で、街で集めた情報のうち、雑談のタネになるものを積極的に供給するレイニー。特に武闘大会系の情報は、スティレンに入ってから引きこもり気味だった宏達にはありがたいネタだ。それだけならよかったのだが……
「ファーレーンの……伯爵と、ダールの……」
「えっ? そうなの?」
「あと、最近ファーレーンの地方騎士団の内部で……」
「そこのところ詳しく!」
「後ね……」
「フォー!! みなぎってきたわ!!」
よせばいいのに誕生日プレゼントとして腐の匂いが漂う新鮮な情報を大量に投下し、真琴に宏からもらった画材と印刷機をフル稼働させてしまうレイニーであった。
まあ、武闘大会なんてものに普通の形で関わるわけがないわけで。