第8話
ようやく首都スティレンに活動の場が移ります。
「そっちはどうやった?」
「私達が当たったところは全部満室だって。そっちも?」
「何処も空きはねえってさ」
ダンジョンの攻略を終えた次の日。一行はフォーレの首都・スティレンで、とある問題にぶち当たっていた。
「とりあえず、普通からちょっと高いぐらいの価格帯の宿は全滅だな」
「この分だと、警備とかプライバシーとかの面で論外ってレベルの宿も厳しそうね」
「達兄、真琴姉。恐らく、空いてるとしたら物凄い高級宿だけじゃないかな、って思う」
「だろうなあ」
スティレンの宿が何処も満室なのだ。理由は簡単。
「武闘大会っちゅう奴は凄いもんやなあ……」
「まあ、ウルスの新年祭みたいなもんらしいからなあ……」
「門番のおっちゃんが言うとった事、甘く見とったわ」
クレストケイブでまごまごしているうちに、フォーレの一大イベントである武闘大会の期間とかち合ってしまったのだ。しかも、今年は三年に一度の権威ある大会で、予選だけで一週間以上かかるというかなり大規模なイベントになっている。それだけの試合が組まれるという事は、選手だけでも相当な人数が来る。そこに大会目的であちらこちらから観客が来るとなれば、いかにスティレンが世界有数の大都市だといえど、宿の許容量を超えてしまうのは当然といえるだろう。
ウルスの新年祭も同じようなもので、毎年盛大なイベントを目当てに遠方や他国からも多数の観光客が訪れ、ウルス中の宿を全て埋め尽くしてしまう。もっとも二日間だけ、しかも基本夜通し騒ぐ類のイベントであるため、宿が取れないなら寝なきゃいいじゃない、みたいなノリの人間も結構多いウルスの新年祭と違い、期間が長く夜中に特にイベントがある訳ではないスティレンの武闘大会の場合、この時期の宿不足は結構深刻な問題だったりするのだが。
「普通の冒険者が泊まれるような手ごろな宿は、おそらく周辺の村とか全部回っても何処も空いてないだろう、とも言われたわね」
「やっぱり、ここは割り切って高級宿に泊まるか?」
「背に腹は代えられない感じだから、いざとなったらそれで文句は言わないけど、予算は大丈夫なの?」
「現金は十分にあるから、特に問題はないよ」
資金的なものを気にする真琴に、あっさり問題ないと言い切る春菜。そもそもこのチームは、基本的に宿代とちょっとした消耗品や食材の購入以外、金を使う事はほとんどない。下手をすると一番大きな出費が達也と真琴の酒代だったりするぐらい出費が少ない上、宏がモノづくりなどで足止めを食らっている状況だと、大抵他の人間が屋台や冒険者協会の依頼をこなして現金を稼いでいる。その時についでに食材も狩ったり採ったりしている訳で、装備にほぼ費用がかからない事もあって、一般的な冒険者に比べると極端に出費が少ないのだ。
なので、一週間やそこら高級な宿に泊まったところで、資金的にはびくともしない。しないのだが、庶民的な金銭感覚と戦後の日本人的な貯蓄志向が染みついているこの一行、そもそもセレブな生活にあこがれも幻想も抱いていない事もあり、今まで高い宿になど見向きもしなかったのである。
所詮は少人数の経済活動故に見逃されている面はあるが、稼ぐだけ稼いでほとんど他所に放出しないとか、実に経済によろしくない連中である。
「予算が問題ないとなると、次の問題は……」
「たかが六級とか五級の、それも貴族とかが混ざってる訳でもない普通の冒険者を、お金出しただけで泊めてくれるかどうか、だよね?」
真琴が言いだそうとした別の問題を、先回りして春菜が答える。アズマ工房の名声自体はクレストケイブまで響き渡っていたが、それがこのスティレンでも通用するとは限らない。ファーレーンやダールなら王室にも顔がきくが、そのコネもフォーレでは役に立たない、とまでは言わないが、高級といったところでそこらの宿のオーナーや従業員が把握しているとは思えない。
ただ高いだけでそこまでうるさくない宿、というのもあるが、大抵の場合は高級な宿というのは身分や身元というものに対してうるさいのである。別に選民意識だとか余計なプライドの高さだとか、そういう理由ではない。他国の貴族や、下手をすれば王族なども泊まる事があるのだから、金を持っているだけの胡散臭い人間を泊まらせる、などという事は出来ないのである。それが、格式というものだ。
無論、全部が全部そうではなく、最初はそういう理由でも、今では歴史やら何やらに胡坐をかいて、選民意識に凝り固まってしまっている宿や店も少なくはない。だが、本当の意味で格式が高い宿や店というのは、自分達がただ上流階級の世話を許されているだけだという事を理解しているため、取引が出来ない相手でもわざわざ反感を買うようなやり方で追い払ったりはしない。
とはいえ、この場合は本当の意味で格式が高かろうが選民意識のなせる技だろうが、泊まれないという事実は何一つ変わらないので余り関係ないのだが。
「まあ、当って砕けてみるしか?」
「だよね」
澪の言葉に同意する春菜。最悪、どこかで野営しながら拠点にできる賃貸住宅を探すにしても、出来る事なら宿には泊まりたい。
「さて、何処からあたるか」
「こういう場合は、冒険者協会で私達のランクでもお金さえあれば泊めてもらえそうな宿を紹介してもらったらいいかな、って」
「そうだな。下手に当って砕けるよりは、そっちの方が早そうだ」
「というか、最初からそうしとけばよかったかも」
春菜の最後の一言に、思わず乾いた笑みがこぼれる一同。たかが一日二日と軽く考え、武闘大会の人出を甘く見た結果とはいえ、実に遠回りをしたものである。もっとも……。
「私達、まだまだいろいろ甘く見てたみたい……」
「三年に一度、ってのはすごいもんだな……」
金を出せば泊めてもらえる種類の高級宿は、すでに全部埋まっていたのだが。
「腹くくって、門の外で野営するか?」
スティレンを象徴するランドマークの一つ、大闘技場。その近くの広場の、それも死角になる場所にこっそりテントを張ろうとして衛兵に追っ払われた人を見て、宏がそんな提案をする。
「折角だから最後に一軒だけ、アタックしてみようよ」
宏のその提案に対し、ちょっと破れかぶれが入った表情でそう答える春菜。そのちょっと不吉な表情に、少々嫌な予感がする一行。
「別に一軒ぐらいかまへんけど、何処にチャレンジするんや?」
「ほら。高級品扱ってる一角の、それも中央にそびえたつ格式高い高級ホテルがあるじゃない」
「……本気か?」
「あそこなら、部屋自体は確実に空いてるよ?」
「まあ、そうだろうけどなあ……」
春菜が提示したのは、スティレンでも、いや、フォーレでも一番の格式を誇る宿、グランドフォーレであった。一泊の料金が一人頭で最低一泊三万ドーマ、日本円で三十万円からという破格の値段もさることながら、冒険者が泊まろうと思うのなら、最低でも三級、つまり地方領主にフリーパスで面会できるランクがないと不可能だ、と言われている。
言い出した春菜自身、間違っても宿泊出来るとは思っていない。ただ、折角なので、行くだけ行ってみたいというただそれだけである。それだけだったのだが……。
「何泊、お泊りですか?」
「えっ? いいんですか?」
「もちろんでございます」
何故か、あっさり宿泊許可が下りる。
「とりあえず、拠点を探す間だから、三日ぐらい?」
「そんなとこやな」
「じゃあ、今日入れて三日で」
「かしこまりました」
「ドーマだと今大きなお金がないので、クローネで支払いでも問題ありませんか?」
「はい。問題ありません。このホテルでも通貨の両替は可能ですので」
流石超一流ホテル。国外からも超大物が来るだけあってか、通貨の両替サービスも行っているらしい。前払いで四十五万ドーマ、クローネに直して約四千五百クローネを支払う春菜。
「今から準備をしてまいりますので、恐れ入りますがもうしばらくお待ちください」
顔色一つ変えずに金額を確認したフロント係が、優雅に丁寧に一礼した後、一度奥に引っ込む。
「どうしよう。ちゃんと泊まれちゃったよ……」
「泊まれた理由が何処にあるかが分からへんのが、ちょっと不気味なところやな」
「てか、金は足りるのか?」
「手持ちに五十万クローネぐらいあるから、大丈夫。流石に一番高い部屋に一月とか言うとちょっと厳しいけど……」
地味に凄まじい大金を持っていることが判明し、流石に少々目をむく達也と真琴。この金の出所の半分近くが、現状ではほぼ専売と化しているカレー粉や味噌、醤油などの売り上げと、ファーレーン王家の皆様が愛してやまないインスタントラーメンの代金だというのは、知らない方が幸せになれそうな事実だが。
「いつの間に、そんなに稼いでたんだよ……」
「非合法なお金じゃないけど、知らない方が幸せにはなれるかな?」
「なんだよ、それ……」
などと、最高級宿でするのはどうかと思うような抜けた会話をしていると、奥から先ほどのフロント係が何処となく立派な男性を連れて出てくる。
「お待たせしました。この宿の支配人が、皆様をご案内させていただきます」
「はじめまして。このグランドフォーレへよくお越しくださいました。噂に名高いアズマ工房の皆様をお迎えできて、とても光栄です」
最高級宿の支配人がわざわざ顔を出し、最上級の扱いで出迎えたのを見て、驚愕の余り硬直する一行。
「え、えっと。こちらこそ、ご丁寧にどうもありがとうございます」
余りに予想外の事ではあるが、いつまでも固まってはいられない。完璧にとはいえないまでも、どうにか取り繕って挨拶を終える春菜。
「つかぬ事をお伺いしますが……」
「何でございましょう?」
「とても光栄な事なのですが、私達のような若造を、なぜ支配人さん自ら案内してくださるのでしょうか?」
「これは異な事を。一流ですら手が届かない名品を作りだし、ファーレーンとダールで王室に認められたアズマ工房の皆様を、ただの若造と侮るような不見識な者はここにはおりません」
「うわあ……」
支配人の言葉に、思わずうめいてしまう春菜。確かにファーレーンとダールの王室には、アズマ工房から直接納品しているものがある。だが、それらは現状、他ではノウハウが確立されていないからアズマ工房からしか買えないというだけで、素材自体は少なくともウルスなら誰でも普通に買える程度のものしか使っていない。それに、宏と澪はこの世界の標準からすれば突出しているが、それ以外のメンバーはまだまだ普通の職人の域を出ないのだ。
はっきり言って、どう考えても過大に評価されている。
「でも、名乗る前からあっさり宿泊の許可が下りた気ぃするんですけど、うちらの容姿って、そんなに広まっとります?」
「いえ。ですが、我がグランドフォーレの従業員ならば、皆様がどのような立場でも侮ったりはしません」
「それはまた、何でですか?」
「皆様のお召しになっている装備。その性能については門外漢なので何も申せませんが、少なくとも普通の冒険者が手に入れて着こなせるような代物では無い事ぐらいは分かります。どのような流れで手に入れたにせよ、それだけのものを正当な持ち主として着こなしている方々を門前払いにするなど、そのような不見識な従業員を雇った覚えはございませんので」
宏の質問に、大真面目な表情でそう言い切る支配人。どうやらこの宿の伝統と格式というやつは、伊達ではないらしい。
「皆様を担当したものも、アズマ工房の名前を見てむしろ納得した、と申しておりますし」
「でも、アズマ工房の名前を騙っとる可能性はありまっせ?」
「先ほど申しました通り、皆様はすでにそれだけのものを着こなし、穏当な態度と正当な手段で宿泊の可否を確認している、その時点で当館に是非お泊まりいただくべきだと言い切れるのです。その素性がどうであれ、あまり関係ございません」
にこやかに言い切った支配人に、何とも言えなくなって顔を見合わせる一同。屋台以外はそれほど表立った活動をしていないのに、実に名前が知れ渡ってしまったものだ。
「皆様のお部屋はこちらになります」
「……こんなに大きな部屋しかないんですか?」
「五名様ですので、相応の広さのお部屋を用意させていただきました」
案内された部屋は、スイートルームとまでは言わないまでも、かなり広い部屋であった。流石に鍛冶などが出来るような部屋ではないが、少なくとも、クレストケイブで仮拠点にしていた賃貸住宅よりは広い。
「それでは、ごゆっくりとお寛ぎください」
とりあえず代表して春菜に部屋の鍵を渡すと、にこやかな笑顔のまま立ち去っていく支配人。
「なんか、予想外にもほどがあるよね?」
「まあ、もうちょいしたら真琴さんの誕生日やし、どうせこの後バタバタするやろうから誕生日に祝うんは難しいやろうし、前祝いっちゅうことでパーッとやったらええんちゃうか?」
「ん、そうだね。お金払っちゃったし」
「ファーレーンで荒稼ぎした金をフォーレでばらまくのはどうかとも思うがね」
「まあ、金額がそこまでやないっちゅうだけで、フォーレでもそれなりに稼いどるからええやん」
自分達が予想外に大人物になっている事に戸惑いを覚えながらも、金は払ってるんだからと部屋に入る一同。こうして、破れかぶれになってとった行動の結果、春菜はこの世界で初めて、春菜以外は生れて初めて、一国で最も高級で格式高いホテルに宿泊するという経験をする事になったのであった。
「高級宿って言うぐらいだから、これでもかって派手な高級品を並べ立ててるのかと思ったら、そうでもないのね?」
案内された部屋は、広さこそ宿として考えれば破格のものだったが、調度品などは地味ながら風格のあるものが主体の、むしろシックで落ち着いた空間であった。
「値段が高いだけのホテルとかはそういうのもあるけど、格式とかそういうのも売りにしてるようなところは、見て分かるような派手な高級品はあまり使わないかな」
「そういうもんなの?」
「うん。その代わり、何処にでもあるような何気ない椅子が一脚何十万とか平気でするけど」
春菜のその解説に、思わず顔が引きつる真琴。説明を聞いた途端に、そこらに転がっているもの全てがとんでもない高級品に見えてしまったのだ。
「因みに、そこのソファーで、おそらくうちらが払った一泊料金やと足らんぐらいの値段やな。ダールの部屋に置いてある奴の方が、恐らく質はええけど」
「あっちはワイバーンの皮膜使ってるから、比較対象になってない」
宏の余計な補足を聞いて座ろうとしていた達也の動きが止まり、澪が突っ込みになっていない突っ込みを入れる。
「まあ、高級品っちゅう奴は、そう簡単に傷まんから高級品やねん。それに、少々の破損やったら目立たんように直したるさかい、安心して座ればええで。最悪、ベヒモス革のソファー渡せば、弁償とか言わんやろうし」
「明らかにそっちの方が高級だものねえ……」
ワイバーンだのベヒモスだのという単語が出てきたあたりで、なんとなく高級ホテルに対する恐れが無くなってきた達也と真琴。流石に装備で傷をつけてはまずいのでそこだけは注意するが、遠慮というものはこの時点であっさり捨て去る。
「……ん~……」
「……なんだろうなあ、悪くないはずなのにこのがっかり感は……」
ソファーの座り心地は悪くなかった。悪くないどころか、本来なら極上といってもいいだろう。いや、そもそも宿の客室にソファーがあったことなど初めてなのだから、そこに感激しなければいけない。なのに、二人とも何とも納得いかない表情を浮かべてしまう。
「達兄、真琴姉。ソファーの座り心地は普通それが最上級かその一歩手前」
「ファーレーンとかダールに置いてあった奴は、忘れなきゃいけないよね。だって、ワイバーンとかベヒモスのソファーって、座り心地が格別だし……」
「そういや、レイっちに一脚頼まれて納品したなあ」
つまり、自分達はファーレーン王家御用達の家具を使って生活しているのだ。最高級とはいえ、たかがホテルの部屋など恐れるに足りないのである。
「なんだかあたし、いろいろ寂しくなってきたわ……」
「俺もだ……」
生れて初めての高級ホテルに対する期待と不安が一気に解消された、それ自体はいいのだが、その理由が余りにもあれでどうにも寂しくなってくる。ある意味において、宏と行動している弊害と言えよう。
「まあ、せっかくやねんし、部屋にあるもん確認して回ろうや」
「そうだね。色々と魔道具もあるみたいだし」
そうやってチェックして回ったところ、この部屋には結構いろいろなものが置いてあった。
「腐敗防止がかかった戸棚の中に、何か高そうなワインが一本あったわ」
「ちょっとしたつまみも一緒に置いてあったな」
「これ、飲んじゃっていいのかしら?」
「ちょっと待って、確認するよ。……ん、メモ発見。ウェルカムドリンクだって。この部屋に最初からある飲み物とか食べ物は、全部宿泊料金に含まれてるみたい。他にも、ノンアルコールの飲み物も入ってるはずだけど?」
「ん? ああ、これか。ブドウとリンゴとオレンジの生ジュースがあるな」
「じゃあ、私達はそっちだね。後で宏君と澪ちゃんにも声かけるよ」
ちょっとした台所スペースには色々な飲み物やちょっとした食べ物が。
「お、風呂発見。フォーレは入浴文化やないから、高級ホテルっちゅうても部屋に風呂はないかと思うとったわ」
「でも、師匠。そんなに大きなお風呂じゃない。結局使わなかったけど、アドネのホテルの部屋風呂の方が大きかった」
「ファーレーンとフォーレを一緒にしたらあかんで。そもそも、フォーレはどっちかっちゅうたらサウナが普通やし、毎日風呂沸かす習慣もあらへんねんから」
部屋の奥の扉、その向こう側には、存在をあきらめていた入浴設備が。
「うん。トイレもしっかり掃除が行き届いてるね。さすが高級ホテル」
「そらまあ、こういうところに手ぇ抜くようで、国一番の格式とか言えんわな」
魔道具を惜しみなく使った水洗式のトイレは実に清潔に保たれており、
「ベッドおっきい」
「流石に天蓋付きって訳じゃないみたいね。まあ、あたしだと、そういうベッドは流石に勘弁願いたいけどね」
「なんだ、そういうお姫様のようなベッドにあこがれてるのかと思ったぞ」
「ないない」
寝室のベッドは部屋の広さに恥じぬ立派なものが用意されていた。それも、プロの技で清潔に寝心地よさそうに綺麗にセッティングされていて、ほんのちょっとしたことで、ここが実に従業員の躾が行き届いた格式高い宿である事を思い知らされる。
「タオルとか常備されてるのはこっち来てから初めてだったから驚いたが、広さ以外は日本の普通の観光ホテルとそんなに変わらないな」
「まあ、私が知る限り、高級ホテルなんて、世界中どこでもそんなに変わらないから。多分そういう部分は、世界が変わっても同じなんじゃないかな」
「設備の差はある程度しょうがないとしても、それ以外の部分であまり変わらない、ってのは、考えてみればそれだけで大したもんだとは思うがね」
達也の言葉に頷く一同。実際問題として、洗濯機のような便利な道具も無く、また、クリーニング屋のような洗濯を請け負ってくれる業者も存在しないこの世界において、全ての部屋に人数分以上のタオルを追加料金なしで常備する、というのは並大抵のことではない。しかも、こういう格式高い宿泊施設となると、従業員にもそれなりの人間性を求められるため、洗濯のためだけにたくさんの人を雇う、などという事は簡単ではない。
流石にこの世界での生活も長くなり、そこらへんの事情も理解できるようになった宏達は、それゆえにこのホテルのサービスの良さに関しては感心するしかなかったのである。
「問題があるとすれば、この部屋に用意されてる家具が、ことごとく今まで普段使いしてた奴の方が質がいいかもしれない事なんだが……」
「それはもう、最初から割り切るしかない事だと思うし。ねえ、宏君」
「何で僕に振るんよ?」
それなりに新鮮な驚きを感じながらも部屋の確認を終え、得た感想は結局そんなところであった。
「この分だと、飯は余り期待しない方がいいのか?」
「どうやろうなあ? 今までの宿でも美味かったもんはそれなりに一杯あったし」
「ウルスやダールのお城の料理とか考えると、美味しくないものは絶対出てこないよ」
「だといいけどなあ」
宏と春菜の言葉に、何とも疑わしげに応じる達也。確かに、これまでの道中でもそんなにまずい飯を食わされた回数は多くない。ウルスやダールでご馳走になった宮廷料理も、間違いなく美味に分類する事は出来た。が、高級ホテルの一流ディナー、という言葉のイメージにふさわしい、感動するほど美味い食事が出てくるのか、という話になると、残念ながら難しいのではないか、と思ってしまう。
何しろ、宏と春菜のおかげで食事の面も充実しているこの一行。感動できるだけの美味を、となると、最低ラインでワイバーン料理を超えなければいけないのだ。流石に宿や王宮でそのハードルを乗り越えた料理を口にした事は一度も無い事を考えると、フォーレ一のホテルのレストランといえども、そこまで過剰な期待は出来ない。
「なんつうか、さ」
「何、真琴姉?」
「物凄くありがたい事だから文句言うのは筋違いなんだけど、宏と春菜のおかげで旅の楽しみが半減してる気はするわよね」
「真琴姉、それものすごく贅沢」
「分かってるわよ」
澪に突っ込まれ、自分がひどく贅沢を言っている事は素直に認める真琴。実際、宏達の存在は非常にありがたいのだ。ありがたいのだが、おかげで宿のありがたみが労働力的な意味で楽な事しかなくなっている。しかも、料理をしなくていいというのは学生組の三人にとってはそれほどありがたいことでは無い様で、旅先での食事は郷土料理を知ること以上の楽しみは特になさそうなのだ。
「まあ、食事に関しては、要確認だな。元々別料金だし、ドレスコードの問題とかもあるから場合によっちゃあルームサービスって事になるし」
「あ~、そう言えばそうね。ドレスコードを指定されてたら、あたしたちの手持ちの服じゃ厳しいし」
とりあえず装備解除をし、霊布の服だけの楽な格好になった真琴がしみじみ頷く。そもそも、ドレスコードを指定されて対応できる冒険者などほとんどいない。
別料金なのだから、本来は外に食べに行っても別にかまわない。かまわないのだが、わざわざ支配人に案内してもらった手前、初日から外で食事をする、というのも気が引ける。それに、フォーレの高級料理というのも興味はあるのだ。
「ほんま、格式の高い場所っちゅうんは、何やかんやといろいろ面倒やなあ……」
「多分、今後もこういう事が多々あるだろうし、慣れるしかないよ」
場違いな場所にいる事に思わずぼやく宏を窘める春菜。とりあえずしばらくは動きたくなかったため、そこそこの時間になるまで用意されていた飲み物でまったりくつろぐ一行であった。
メインダイニングでの食事は、特に問題なく許された。
「いけるもんやねんなあ……」
お高そうな雰囲気に微妙にのまれつつ、しみじみと呟く宏。無難なデザインの彼らの服は、その素材が持つ高級感と風格により、この格調高い空間に浮くことなく溶け込んでいた。
「多分、霊布の服だったからだと思うよ」
「せやろうなあ。単なるカッターシャツとかブラウスの類やっちゅうても、素材がシルク以上やねんからそれなりに品はあるんやろうなあ。僕にはあんまり似合ってへんけど」
余り似合っていない、という一言に、思わず苦笑が漏れる一同。似合っていない、という訳ではない。こちらに来てそれなりの修羅場もくぐりぬけてきたためか、それとも毎日普段着として着続けているからか、その無難なデザインの気品あふれる服装が、馬鹿にされない程度には板についてきている。
まだ完全に着られている感じを拭いさる事は出来ないが、少なくともダサいと一言で切り捨てられる事はないだろう。ファッション誌に掲載されているようなおしゃれな服を着せれば、一瞬でダサい男に早変わりするのは相変わらずなのだが。
「それにしても、フォーレの高級料理って、どんなのが出てくるんだろうね?」
「楽しみ」
もはや解決した問題から話題を変え、これから出てくる料理に意識を切り替える春菜と澪。春菜は料理人として、澪は食欲魔人として、フォーレの高級料理のフルコースという奴を楽しみにしている。
「今頃になって気が付いたんだが……」
「どうしたの、達也さん?」
「こっちの世界に来てから、自前で高級料理食うのって、今回が初めてだよな?」
「あ、そう言えばそうだよね」
今まで何度か高級料理を口にする機会はあった一行だが、それらは全て招待されてのものだ。手土産の類を持っていってはいるので、まったく無料で食事をしている訳ではないのだが、自分の金で食べるというのはこれが初めてである。
「まあ、アドネのホテルで食った分は僕らの仕事に対する報酬みたいなもんやから、あれは自前で食った事にしてええかもしれんで」
「金を払ったって感覚が無いのは、ちょっと横に置いておきたいところだな」
「せやな」
などと、緊張感がほぐれて来たのか緩い会話をしているうちに、食前酒が運ばれてくる。料理の内容や傾向、味の方向性は大きく違うが、西部の三大国家のフルコースは、基本的な形式は余り変わらないようだ。食前酒の後に出てくるのがスープが先か前菜が先か、もしくはサラダか、というところに地域性が若干出てくるものの、それらが出た後に魚料理と肉料理、という順番は同じだ。
なお、宏達未成年組は、料理に合わせた本日の発泡飲料である。ジュースという表現がしっくりこない程度には、甘さ控えめで高級感がある飲み物だ。
「んじゃまあ、無事にクレストケイブのごたごたから手をひけた事と、真琴の誕生日の前祝いを兼ねて、乾杯」
「乾杯」
折角の機会だから、グラスを掲げて乾杯をする一同。乾杯といっても日本でのコンパや飲み会のように、グラスをかち合わせたりはしない。ただ上品に軽くグラスを掲げるだけである。
「あ、この飲み物美味しい。なんだろう?」
「本日の飲み物、としか書いてへんからなあ。後で聞いてみよか」
「うん。今まで飲んだ事のない味だから、ぜひとも材料と作り方教えてもらって再現しなきゃ」
一口飲み物を口にし、その不思議な味わいに歓声を上げて即座に材料と作り方に興味を移す春菜と宏。片や料理人的思考で、片や職人的思考ではあるが、結果としては何一つ変わらない。
「部屋にあったワインもそうだけど、フォーレでこういう上品なお酒に出会えるのも不思議な感じね」
「ドワーフの酒ってとにかく量を飲む感じの、こういっちゃあなんだが品とか風情とかを求める代物じゃねえからなあ……」
食前酒の上品ですっきりとした味わいに、声をひそめながら不思議な感覚について話し合う年長組。もう少し野趣あふれる酒が振舞われるものとばかり思っていたので、良くも悪くも不意を突かれた気分なのだ。
「フォーレの事を悪く言うつもりはないけど、ドワーフが多いせいか、こういう上品なとか風情のあるとか落ち着いたとか、そんな表現が似合うお酒とか料理があるイメージはなかったのよねえ」
「こちらに初めてお泊りになられたお客様は、決まってそうおっしゃいます」
テーブルの外に聞こえないように言った真琴の言葉に、表情一つ変えずにこやかな笑みを絶やさずに従業員が口を挟む。どうやらタイミング悪く、丁度前菜をテーブルに給仕するときに先ほどの台詞を口にしてしまったらしい。まるで気配を感じさせぬ動きに、近くに来ていた事にまったく気が付かなかったのだ。
「あ、ご、ごめんなさい」
「いえいえ。確かにフォーレという土地は全体的に、よく言えば質実剛健、悪く言えば見た目を気にしない文化ですので、国外からこられたお客様にそう思われてしまうのも仕方がありません。実際、当店のような店と料理はフォーレ全体を見てもごく少数で、王族でも普段は下町で食べられるような量が最優先、次に味で見栄えは最後という料理を食べていますから」
特に気を悪くした様子も見せずにフォーレの伝統野菜であるキャベツとジャガイモ、そしてレーゲックという大根の葉に似た葉物野菜を使った見事な盛り付けの前菜を並べながら、自分達の国について誇るでもなく、かといって卑下する訳でもなくにこやかに語る従業員。
「私、フォーレの細かい事を気にせずに一杯盛りつける大皿料理も、あれはあれで風情があって好きだよ。普通に美味しいし、みんなでわいわいやりながら食べるんだったら、大雑把に取り分けられる料理の方がいい面もあるし。落ち着いた食事って言うんだったら、圧倒的にこっちだけど」
「あたしも、少人数で楽しく、だったらこういう料理もいいけど、たくさんの人数でワイワイやりながら食べるんだったら、普通のフォーレ料理の方がいいと思うわ。要求される状況が違うだけで、どっちの料理がいいってものじゃないし。あ、もちろん、フォーレのこういう料理も美味しくて見た目綺麗で大好きよ?」
「ありがとうございます」
真琴の言い訳じみたフォローに嬉しそうに微笑むと、頭を一つ下げて次の料理のために下がる従業員。それを見送った後、とある失敗に気が付く春菜。
「あ、しまった」
「どうした?」
「飲み物について、質問するの忘れてた」
あくまでも料理人思考の春菜に、思わず呆れた表情を浮かべる達也。そこに追い打ちをかけるように、黙々と前菜を食べていた澪が口を開く。
「ねえ、春姉」
「何?」
「飲み物足りない。頼んでいい?」
一応高級レストランの上、飲み物も食べ物も別料金である事を気にしていたらしい澪のその台詞に、呆れを通り越して苦笑するしかない達也と真琴。今まで何もかもを自給自足で済ませてきた事もあり、どうにも自分達が世間一般では金持ちに分類される事も、少々金を使っても問題ない事もピンとこないようだ。
要は、貧乏性なのだろう。
「私ももう一杯欲しかったし、おかわり頼もうか。宏君は?」
「せやな。僕ももう一杯もらうわ」
なんとなく、全員飲み物を追加する流れになったため、折角だからとワインとソフトドリンクをボトルで追加する事に決める。人数が人数だし、真琴がいる以上酒を余らせるという事はない、という判断だ。もっとも、真琴の誕生日の前祝いという口実である以上、酒が一本で済む訳がないのだが。
なお、食前酒代わりに出たソフトドリンクは、ドルーツェンというこの国の伝統的な高級飲料であった。一杯の値段が安酒の倍以上する、実にお高い飲み物である。
「なるほど。ドルフェットって果物を絞って、アルコールにならないようにガレン草の汁を混ぜて、発泡するまで熟成させるんだ。ドルフェットって、普通に売ってる?」
「はい。ですが、ドルフェットは質のいいものを使わないと、雑味が強くなる上にガレン草のえぐみが出てしまうため、余り美味しいドルーツェンにはなりません」
「どんなのがいいドルフェットなのか、今度誰かに教えてもらおっと」
「でしたら、当店の料理長にお聞きくだされば、喜んで答えるはずです」
「ん、ありがとう」
注文の際に聞きたかった事を確認し、出てきたサラダを上機嫌で口にする春菜。フォーレではキャベツとレーゲック以外の葉物野菜は余り食されない傾向があるが、ここのサラダにはそれ以外にも、レタスや見覚えのない、おそらくモンスター食材であろう葉物野菜が入っている。これも後で要確認、と心の中のメモ帳に記録し、フォーレの伝統料理という枠を崩さずに洗練させたスープや魚料理を平らげていく。
「……さすが高級ホテル。食べた事のないモンスター肉が出てくるとは思わなかったよ」
「この辺のモンスターは、向こうにおるときに全部一回は食うたと思ったんやけどなあ……」
肉料理を食べ終え、デザートを待ちながら感心したように言い合う春菜と宏。恐らくはトロール鳥やロックワームなどと同じ、比較的普通の技量を持つ料理人が調理できる限界、というラインの高級なモンスター食材なのだろうが、どのモンスターがそうなのかが分からない。もしかしたら、ポメのようにゲームの方には存在しなかった生き物なのかもしれない。
「これも、後で料理長さんに確認だね」
「せやな」
どうにも食には妥協しない姿勢が染みついている宏と春菜は、今回もやはりとことんやるつもりのようだ。その様子を見て微妙に呆れながらも、今後も美味しいものが食べられそうだと少々期待する達也達三人。
「デザートも綺麗」
出てきたデザートにそんな感想を漏らしながらも、食べる手は容赦ない澪。おかわり自由のパンをかなりの数食べているというのに、まったく食欲は衰えていないらしい。真琴の酒もそうだが、澪の食べたものも何処に入っているのか不思議になるほどの食べっぷりである。幸いにして、今のところ胸には多少肉が付いても腹には付いていないようだが、背丈にも胸にも腹にも行っていないカロリーが何処に消えているのかは、永遠の謎である。
「とりあえず、宿とかで食べた料理の中では一番美味かったな」
「ファーレーンとかダールの王宮でご馳走になったぐらいには、美味しかったわね」
食後に出されたこの地方の茶を嗜みながら、宏達の料理という例外を除けば最上級の味だと言っていい評価を下す達也と真琴。どうにも表現が微妙なのは、ワイバーンやガルバレンジア、ベヒモスなどの特殊な肉のせいである。
「店がものすごい高級そうな雰囲気やから、浮いたらどないしようかと思うたけど、春菜さんのおかげで何とかなったなあ」
「そう?」
宏の言葉に不思議そうにする春菜に、全員が同時に頷く。付け焼刃ながら、今回は全員春菜の食べ方を見よう見まねで、記憶にあるレイオット達王族の食べ方も参考に、不細工にならない程度に崩して食べていた。なので、本式のテーブルマナーほどにはちゃんと出来ていなくても、他所から見て野蛮だとか下品だと言われない程度には取りつくろえたのである。
「何にしても、料理長さんに色々聞きたいんでしょ? 早く清算済ませて行ってきたら?」
「了解」
真琴の勧めに従って清算を済ませ、宏と澪を従えて厨房にお邪魔する春菜。料理長と意気投合してこの地方の食材について教えてもらえるだけ教えてもらい、お返しにいくつかの調味料の作り方と調理方法を教えて、双方ほくほく顔で話を終えたのであった。
そして三日後。
「また、結構広い所にしたんだな」
「丁度鍛冶場付きの物件で安いところが空いてたから、ここなら仮にスティレンでも転移陣を設置する事になっても問題ないかな、って考えたんだ」
「あ~、可能性はあるんだよなあ……」
一行は、春菜が探してきた鍛冶場付きの工房兼住居に拠点を移していた。
「クレストケイブの仮拠点もそのままなんだよな、確か」
「あそこは報酬として貰ったから、必要なら転移ポイントに使えるよ」
「なるほどな」
宏が作り方を教えた新型溶鉱炉、その技術料と試作三基の費用。その一部として、クレストケイブの仮拠点を貰い受けるように交渉していた。理由は簡単で、あると便利だからである。それ以外にもアズマ工房の身分証を提示すれば、ダンジョンでの採掘は無料で行えるように手配して貰っており、それでも余った報酬は普通に現金で受け取っている。流石に貰ったものが結構多い事もあり、現金で受け取ったのは五十万ドーマ程度でしかなかったため、宿での宿泊はドーマ通貨温存のためにクローネ通貨で支払いをしたのである。
「やっぱり、こういう空気は落ち着く」
早速リビングにベヒモス革のソファーを設置した澪が、そのソファーの上でだらんと伸びて呟く。その表情は一見無表情に見えて、その実明らかに緩んでいた。
「一流ホテルって奴も、たまにやったらええんやけどなあ」
「こっちの世界の事情を考えると凄く行きとどいてたけど、居心地悪かった?」
「ん~、何っちゅうか、部屋はともかくそれ以外のスペースでの高級感が、ファーレーンの王宮とかを思い出して微妙やった」
「あ、なるほど」
宏の言い分に、思わず納得する春菜。実家の絡みで一流ホテルだの一流レストランだのに行く事が多いため、彼女自身はああいう空間に慣れている。が、慣れているのと居心地がいいと感じるかどうかは別問題で、やはり春菜が居心地のいい空間というのは、庶民である宏達と余り変わらない。
もっともそれを言い出せば、いわゆるセレブのはずの春菜の両親ですら、庶民的な空間の方を愛してはいるのだが。
「とりあえず、部屋割決めてベッドとか置こうよ」
「せやな。どうせ鍛冶仕事とかやるから、僕は一階やな」
「だったら俺もだな」
そんなこんなで、あっという間に部屋割を決めた宏達は、下手な高級ホテルなど目ではないほど品質の良い家具を次々と配置し、瞬く間に庶民的ながらも何処となく品のいい空間を作り上げるのであった。