第6話
「もう少し……、多分こんな感じ……」
真っ赤に熱されたナイフの刃をにらみながら、タイミングをはかるように呟く春菜。これまでに何本も無駄にして、ようやく刃の成形や焼き入れの勘がつかめてきた。これが成功すれば、今日は三本連続で、前からのトータルでは五本連続で成功となる。
「よし、今!!」
じっくり睨みつけ、目的の温度で目的の時間熱したと確信を持った所で、素早く火からおろし水に突っ込んで冷却する。派手な音を立てて急激に冷やされた鋼の刃が、歪みながらその身を引き締める。
「……上手くいったみたい……」
水から引きあげた刀身をじっくり観察し、極端な割れやどうにもならないほどのひずみが起こっていない事を確認してため息をつく。
「後は、これを焼き戻しした後、砥石で仕上げかな」
前の二本は、すでに焼き戻しの作業のうち冷やす工程に入っている。焼き入れと違い、一気に冷やしてはいけないため、今日はおそらく焼き戻し作業が終わったところで作業は終わりだろう。
「一本目はそろそろ冷める頃かな?」
今焼き入れが終わったものを熱し、空冷で冷ませばいい感じに冷めるところまで温度を下げたところで、本日の最初の一本目を確認。午前中からと結構長い時間空冷しているので、いい加減焼き戻しも終わっているだろう。
「……ん、ちゃんと出来てる」
ナイフの出来を確認し、思わず嬉しさに表情を崩す。後は刃の形を整えてやれば、この一本は完成だ。どう頑張っても数打ちの安いナイフと変わらない性能にしかならない出来だが、それでもこちらに飛ばされた時に持っていたものよりは頑丈で性能もいい。
「明日もやってみて、これぐらいのものが安定して作れるようになってたら、次のステップかな?」
練習に次ぐ練習でようやくものになりつつある鍛冶の腕。それが嬉しくて、当初の目的や目標を忘れて腕を磨く方向に意識が向く春菜。こういう部分が、彼女がスペックは高いのに残念だと言われてしまう由縁であろう。
「姉ちゃん、大分腕を上げたな」
素手で触れるところまで冷めていたもう一本を確認していると、ここの責任者のドワーフが声をかけて来た。
「そうですか?」
「おう。最初にここでハンマー振ってた時には、とても見れたもんじゃねえ仕上がりだったが、こいつは仕上げさえしくじらなきゃ、普通に売りもんにできるものになってるからな」
「本当に?」
「おう。名品、とまではいかねえが、実用範囲には入ってる」
プロのお墨付きをもらい、自分の実感がそれほど外れていないと分かって、更に嬉しくなる。
「折角だから、そっちの二本は仕上げてったらどうだ?」
「いいんですか?」
「どうせ、そいつが持って帰れる温度になるまで、まだまだかかるだろう? それぐらいなら待ってても構わんよ」
そう言って指差したのは、焼き戻し真っ最中の最後の一本だった。ドワーフの言葉通り、まだまだ素手で触れるような温度にはなっていない。
「なんだったら、ちょっとぐらいはアドバイスしてもいいぞ?」
「本当ですか?」
「おうよ。流石にお前さんとこの親方ほど的確には無理だが、いつも来てる無表情な嬢ちゃんよりはちゃんと説明できる」
さりげなく澪より出来る事をアピールしながら、そんな申し出をしてくるドワーフ。実際のところ、単純な鍛冶の腕で言えば、澪とこのドワーフとではそれほど大きく変わらない。エンチャントその他を駆使して製品を作るため、完成品の性能は澪の作る物の方が大幅に上だが、それを抜けば年の功の分、下手をすればこのドワーフの方がいいものを作る可能性がある。そして、その年の功が、ものを教えるという観点では大いにプラスに働くのだ。
澪も、教師としてそれほど駄目な訳ではない。だが、製薬や錬金術のようにはっきりと反応が出るものはともかく、鍛冶のように感覚がモノを言う分野においては説明できる語彙も少なく、また、どの程度口を挟んでいいかも分からないため、碌なアドバイスが出来ないのだ。
「じゃあ、せっかくなので」
「おう」
折角の申し出だからとドワーフからのアドバイスを受け、丁寧にナイフの整形を行う春菜。一本目を仕上げたあたりでなんとなくコツがつかめ、二本目は特に補足されることなく仕上げてのける。
「どうやら、全体的にコツをつかめたみてえだな」
「多分つかめてる、のかな?」
ドワーフに褒められ、やや自信なさげにそう答える春菜。前に比べれば作業の腕が上がった自信はあるが、まだまだ見ただけでどう調整すればいいかを見抜けるほどの実力はない。砥石での整形作業にしても、フリーハンドで綺麗な刃を一発で作れる訳も無く、墨をつけては高いところを磨って落とし、刃の面を木の板に当ててはゆがみをチェックし、といった作業を繰り返してようやくちゃんと切れる綺麗な刃を作り上げられるかどうかである。宏やこのドワーフのように、墨もつけずにきれいに凹凸を落とせるような腕となると、いつその領域にたどり着けるか想像もできない。
「お前さんの歳で、しかも最近本格的に始めたんだったら、十分すぎるほどの腕だよ。むしろあの工房主や無表情な嬢ちゃんが異常すぎる」
「あはははは……」
ドワーフの指摘に、思わず乾いた笑いを上げてしまう春菜。宏も澪も、この世界の人間からすればかなりのずるをしている。それを知っているだけに、あまり手放しでほめられるとちょっと心苦しいものがあるのだ。
だが、ずるをしているとは言っても、補正があってすら脱落者が大量に出るシステムで鍛えた腕だ。指導者がいた澪はともかく、せいぜい横のつながりで多少の情報を融通し合うぐらいしかせず手探りであの領域まで達した宏は、それはそれで十分に尊敬に値する。少なくとも、まともに生産をしていなかった春菜や真琴、達也などはそう評価している。
それでも、ずるはずるなので、気まずさを拭える訳ではない。春菜にできる事は、誤魔化すように刃先のチェックを続けることだけであった。
「春菜さん、そろそろ終わったか?」
「あ、宏君」
そんな感じで現実逃避をしていると、いろいろと話し合いが終わったらしい宏が顔を出した。まだ作業をしていると聞いて、迎えに来たらしい。
「それが今日の作品?」
「うん」
「……春菜さんの経歴で考えたら、十分ええ出来やと思うで」
「そう?」
不安そうに聞き返してくる春菜に頷くと、まだ仕上げを済ませていない物を手に取ってチェックする。
「……あと五本ほど作ったら、ナイフは卒業やな。おっちゃんもそう思うやろ?」
「まあ、そんなところだろうな。普通ならあと半年は同じものを打つんだが、姉ちゃんのもの覚えの良さなら、まずはいろいろなものを作ってみた方がいいかもしれねえからな」
宏だけでなくドワーフからもお墨付きをもらって、実に嬉しそうに微笑む春菜。普通の女の子ならばそこは喜ぶところではないだろうと思われるが、こういう事を素直に喜ぶのが春菜の長所であり、残念なところでもあるのだろう。
「まあ、何にしても今日はあがりや。澪はとうの昔に兄貴らと合流して帰っとる」
「了解」
宏に手伝ってもらいながら、ざっと作業場を掃除して荷物をまとめる春菜。最後に使った道具がちゃんと揃っている事、元の場所に戻っている事を確認したところで、監督責任者のドワーフに向き直る。
「今日は遅くまでありがとうございます」
「おっちゃん、春菜さんの事、ありがとうな」
「なに、姉ちゃんみたいな有望な若いのに協力するのも、儂の仕事だからな」
若者二人に礼を言われ、やや照れくさそうに頷いて見せるドワーフ。種族に関係なく、こういう気持のいい若者は大好物だ。
「多分こっちは明日も打ち合わせとか説明とかで一日終わるやろうから、春菜さんはまた鍛冶の練習やな。他にやりたい事があるんやったら、そっちでもええけど」
「ん、鍛冶作業が楽しくなってきたから、明日もこっちを頑張るよ」
「そっか」
春菜の返事を聞き、一つ頷く宏。どうやら順調に生産キャラへの転向が進んでいるようだ。
「そういう訳やから、悪いんやけど、明日も春菜さんの事たのんますわ」
「おう、まかせとけ」
戸締りを確認しながら、頭を下げた宏に気のいい返事を返すドワーフ。恋愛や性欲の対象としては外れるとはいえ、ドワーフ族から見ても春菜は十分に美人だ。そんな女の子が一生懸命鍛冶作業に打ち込む姿は、年配のドワーフからすれば無条件で協力したくなり、若手の腕を磨いている最中の駆け出し連中は負けてられない、いいところを見せないと、と向上心に火をつける。
駆け出しや若手を指導する事で給料をもらっているこのドワーフからすれば、春菜の存在はカンフル剤としてとてもありがたく、それを差し引いても有望な若者が一生懸命打ち込んでいる姿を見るのは大好物だ。故に、断る理由も肩入れしない理由も無いのである。
「ほな、また明日」
「おう」
二人の距離感がもう三十センチほど近ければ、というより、お互いに注意して八十五センチより近寄らないようにしていなければ、普通の感覚では恋人同士に見えてもおかしくない男女を見送り、最後にもう一度火の始末と戸締りを確認するドワーフ。一緒にいるときの春菜の輝き方を見れば、色恋沙汰が食欲よりかなり下の方に来るドワーフですら、彼女の恋心のありかを見間違えたりはしない。宏がそれなりにきつい女性恐怖症で、春菜のその感情をもてあまし気味だ、という事実も同じぐらい傍目に明らかなのが哀れではあるが
「いい恋なんだか、難儀な恋なんだか」
見た目も位置取りもちぐはぐな宏と春菜を思い出し、春菜に対する同情とも何ともつかない感想を漏らして、職場を後にするドワーフであった。
「そう言えば、作業してて気になったんだけど」
「何や?」
「銅製品の鍛造って、しないの?」
「あ~……」
春菜の問いかけに、そう言えば説明していなかったと思い出す宏。とはいっても、理由自体はそんなに難しくはない。
「この世界の銅はな、武器を鍛造するには柔すぎる上に、延性がちょっとばかし大きすぎてな。鍋とかのための絞り加工するんにはともかく、あんまり鍛造の武器には向かんのよ。産出量も鉄に比べたらそない多くないし」
「青銅とかは?」
「そっちは逆に硬くなりすぎて、しかも叩いても身が詰まったりとかせえへんから、逆に鍛造に向かんのよ。せやから、精錬スキルで鋳造するんが一般的やな」
宏のその説明に、妙に納得してしまう春菜。そもそも、鉄の方が産出量が多い時点で、消耗の激しい武器に銅を使うという選択肢は消える。何しろ、地球と違って、この世界の武器は出番が多い分、基本的に量産品の武器は鍋よりはるかに寿命が短い。そんなものに、産出量で劣る分高価になり、しかも性能的にも武器に向かない金属など使わない。
「じゃあさ、別の質問。魔鉄とミスリルの上が、オリハルコン・アダマンタイト・ヒヒイロカネなんだよね?」
「せやで」
「ウーツ鋼とかダマスカスとかはないの?」
「フェアクロの場合、そこら辺は鉄とか魔鉄と上位金属の合金や。まあ、下位と上位の合金やからっちゅうても、必ずしも上位金属に劣る訳やないけど」
学ぶ事で出てきた、今まで気にしていなかった疑問。折角の機会だからとそれについて矢継ぎ早に質問する春菜と、出来るだけ端的に答える宏。短時間とはいえ、せっかくの二人きりの時間をそういう質問で潰してしまうあたり、残念な女ぶりは健在のようだ。
「オリハルコンとかのすぐ上が神鋼?」
「いんや。その辺と神鋼の間に、アミュオン鋼とガルドリウムっちゅう金属があんねん」
「それ、どんな金属?」
「アミュオン鋼は、性質としてはアダマンタイトの上位にちょっとオリハルコンとかミスリルの特性が入った感じや。むちゃくちゃ硬い割に弾性もそない悪くないから、これで上手い事芯鉄と皮鉄作った日本刀は、無茶苦茶切れ味良うなんで。あと、呪いとかをはじく割にスキル使った時の魔力やらなんやらの通りが良くてな。その上、使用者の気迫やらテンションやらに呼応して切れ味やら頑丈さやらが上がる性質もあんねん」
「うわあ……」
流石に上位金属だけあって、破格の性能を持っている。その分、加工もとんでもなく難しいのだが、そこは言うまでも無い事なので春菜もコメントしない。
「で、ガルドリウムの方は、アダマンタイト以上、アミュオン鋼未満っちゅう位の硬度と弾性をもっとる金属でな。こっちはヒヒイロカネを単純に強化した感じや」
「そもそも、そのヒヒイロカネってどういう性質を持ってるんだっけ? 確かオリハルコンが精神感応の特性があって、呪いに強いけど魔力の通りはいい。アダマンタイトは特殊な性質はないけど、とにかく硬度と弾性に優れた強靭な金属、だったよね?」
「せやな。ヒヒイロカネは、精錬すれば何もせんでも勝手に自己修復の性質を持つ、使い手に合わせて成長する生体金属やな。その分、合金にするんはごっつう難しい上に、加工するんも独特の癖があって面倒くさい。後、成長するっちゅうても、ヒヒイロカネもガルドリウムも神鋼には届かん、っちゅうか、神鋼自身にも成長する特性があるから、そもそも追いつける訳があらへんけど」
「……もしかして神鋼って……」
「今までの金属の特性、全部持っとんで」
「……やっぱり……」
流石最高位の金属、といったところか。
「そう言えば、オリハルコンとかの鉱石もらってあるんだけど……」
「ここらの設備で精錬するんは、ちっとばかししんどいなあ。カカシさん所のんでも、絶対とはよう言わんところやし」
「だよね」
「あと、オリハルコンとアダマンタイトはともかく、ヒヒイロカネは加工してるとこ見たら絶対引くで。正直、僕もあんまり積極的に加工したくない感じやし」
「引くって……」
宏の妙な言葉に、何とも言えない表情を浮かべる春菜。今まで宏がやってきたものづくりは、少しでも生産がらみに関わった人間が見れば普通に引くようなものばかりである。その宏が引く、と言い切るのだから、一体何をやらかすのか非常に不安である。
「まあ、どうせそのうち見る事になるやろうしな。真琴さんの必殺技の事考えたら、一振りはヒヒイロカネで刀作っといた方がええやろうし」
「成長する、って言う部分に賭けるんだったら、確かにヒヒイロカネの刀はあった方がいいよね」
「まあ、限度はあるけどな」
その言葉を最後に、なんとなく会話が途切れる。春菜が現時点で持っていた金属関係の疑問は今の会話で全部解消しており、鍛冶についても質問できる事はほぼ回答をもらっている。今日あった事を話すにしてもほぼすべて終わってしまっているようなもので、これといって話題になるようなものがないのだ。
実際のところ、話題がないからといって、特に気まずさは感じない。二人で一緒に道を歩く、それだけでも春菜は十分満足してしまっているし、宏は宏で今更春菜と一緒に歩くことに気まずさも何もない。互いに対して持っている感情にはかなりの温度差やベクトルの違いがあるくせに、表面に出てくる行動が妙に万年新婚の熟年夫婦のような感じなのが、何ともちぐはぐである。
「……そう言えば」
「ん? 何や?」
「あ、うん。ちょっと前に真琴さんと話をしたんだけど、宏君はまだ向こうに帰りたい?」
「何や、藪から棒に」
もうそろそろ拠点に帰りつく、というタイミングでの、春菜からの唐突な問いかけ。その内容に、思わず怪訝な顔をしてしまう宏。
「もう帰り道も終わりだな、なんて思ったら、なんとなく真琴さんとその話をしたのを思い出したんだ」
「さよか。で、真琴さんはなんて?」
「向こうに残してきた黒歴史を全部一掃したいから、一度は帰りたいんだって」
「あ~、なるほどなあ。もしかしたら、時差があって誰かに見られる前にけりつけられるかもしれへん、っちゅうところか」
「そんな感じの事言ってた」
真琴の言い分に、とても納得した様子を見せる宏。はっきり言おう。オタクに属する人間にとって、それはとても重要な事情だ。
「恐らく澪もそこは変わらんやろうなあ」
「真琴さんも同じ事言ってたよ」
「で、兄貴は言うに及ばずとして、春菜さんは?」
「私は、望むと望まざるとに限らず、一度は戻らなきゃいけないんだ」
「ふーん? そらまた何で?」
当然と言えば当然の宏の問いかけに、真琴に説明した事と同じ内容を宏に告げる春菜。
「なるほど。とんでもない身内が居ると、大変やねんなあ」
「もう慣れたけど、それでもたまに色々思う事はあるよ」
春菜からの説明を受け、思わず拠点の玄関先で立ち止まってそんな感想を漏らす宏。関係者が凄い人ばかり、というのは、子供にとってはいい事よりもたまったものではない事の方が多いらしい。
「で、宏君は?」
「そら、いっぺんは帰りたいで」
「どうして? 普通に考えたら、宏君と澪ちゃんは、こっちにいた方がいいんじゃないかって思うんだけど」
「そない難しい話やあらへん。エロ漫画持っとるだけでも安心するほど心配とか迷惑かけた家族にな、女の友達出来たでって見せたりしたいねん」
「友達、か……」
「何ぼ何でも、恋人とかまだまだ無理やで」
宏の「友達」という発言に対する複雑な気持ち。それを隠そうともしない春菜を苦笑しながら窘める宏。ダールでの一連の出来事で、春菜達の気持ちを勘違いだの思い込みだのと言い張って逃げる事はやめた宏だが、それがすなわち恋愛可能になった事にはつながらない。つながる訳がない。
春菜とて、そんな事は百も承知だ。宏にとっての女友達というものが、どれほど特別なものかも十分分かっている。そんな特別な存在だと家族に紹介したいと言ってくれるのは、ものすごく嬉しいし誇らしい。だが、欲張りな心は、友達ではどうしても満足できないのである。
「嬉しいんだけど、素直に喜べない自分の浅ましさが悲しいな、って……」
「それについてはノーコメントにさせて。僕が何言うても『お前が言うな』やし」
「あはは」
宏の茶化しながらも百パーセント本音の言葉に、何故かどことなくすっとして明るい笑い声を上げてしまう春菜。
「まあ、それはそれとして。仮に物凄い時差が大きくて、っちゅう仮定になるけど、騒ぎになるほど時間が経たんうちに向こうに戻れたとして、出来たら学校では余計な騒ぎ避けるためにある程度距離取った付き合いにしたいんやけど……」
「それを私が納得すると思う?」
「戻った時の状況次第やとは思う。戻れるとしても、どう言う形で戻るかはっきりせえへんから」
「あ~……。まあ、そうだよね」
向こうに戻れたとして、今の記憶や気持ちがそのままだとは限らない。考えたくはない話だが、そもそも向こうに戻る時まで、自分の恋心が持続しているかどうかすら断言はできないのだから。
「で、記憶とか今のままで、時間だけせいぜい半日一日ぐらいの経過で戻れたとして、学校では距離ちょっと取りたいけど、それ以外のところでは世話になった人とか中学時代のダチで今も連絡取り合うてる連中とかに、こんな素敵な女の子が友達になってくれたんやで、って紹介はしたいんやけど、あかん?」
「学校で距離取れ、って言うのが不満だけど、それ以外はすごく嬉しい」
惚れた男に素敵な女の子、と言われて舞い上がりそうになる心を抑え、それでも押さえきれない喜びに満面の笑みを浮かべてそう答える春菜。相変わらず友達扱いだが、そこは文句を言っても仕方がない。
「話は終わったか?」
「あ、達也さん。ただいま」
「おう、お帰り。で、青春一直線な話が終わったら、さっさと飯にしようや。いい加減腹が減ったぞ」
「せやな」
宏が女性恐怖症で、言っているフレーズが友達でなければ、下手すればプロポーズと変わらないような台詞を聞いていたらしい達也。その茶化すような言葉に特に動揺するでもなく、平常運転で手を洗いに洗面所へ向かう宏。残念ながら宏にとっては額面通りの意味しかない言葉であり、春菜が舞い上がるほどには言った本人にとって特別な言葉ではないらしい。
本人に面と向かって「素敵な女性」などと言い放ち、それを遠まわしにとはいえ茶化されて平然としているあたり、今までとは違う意味で将来が不安になる光景ではある。動揺していない理由が、宏当人に口説いたりする意図がなく、その言葉は単なる事実で言ったから恥ずかしいと思う理由がないから、というところが余計に。
「……なあ、春菜」
「……何?」
「あいつ、それなりに年取って高級スーツが似合う程度の風格が付いたら、物凄い無自覚たらしになるんじゃねえか?」
「……今でもその兆候はある、と思うんだ……」
「お前も大変だな……」
「あはははは……」
妙に同情の入った達也の言葉に、今までの舞い上がった心に冷や水を浴びせられた感じになって力なく笑うしかない春菜であった。
「ねえ、宏。ちょっと確認したいんだけど、いい?」
「ん?」
夕食も終わり、片づけに入ろうとしたところで、真面目な顔をした真琴が宏を呼ぶ。なお、夕食は真琴と澪の「久しぶりにチープでジャンクなものが食べたい」という意見を聞き入れ、袋ラーメンにちょっと工夫した具を乗せたものと餃子、チャーハンというカロリー過多で栄養価を余り考えていないメニューだった。内容が内容なので、作るのは非常に早かった。
「確認って、何?」
「溶鉱炉の話、今どうなってるの?」
「今回は何処を改造するか、っちゅう話は終わったで。後は明日、何処からどういう順番で進めるか決めて、工事に関わる人間に説明して、明日の午後あたりから解体スタートやな」
「で、具体的にはどれぐらいかかる?」
「最初の一カ所は解体含めて五日ぐらい。二カ所目は僕は触らへんで指示だけやから十日ぐらい。三カ所目はもう僕は関わらへんで、困った事があったら連絡貰うてアドバイスしに行くだけの予定やから、日程は何とも」
「ん、了解」
宏が示した日程を聞き、一つ頷く真琴。本殿を探す、といいながら、もうずいぶん長い事クレストケイブで足止めを食らっている。流石にこの先の予定が一カ月単位でかかるというのであれば、行動指針を一から見直す必要が出てくるところであるが、今回はそこまででは無いようなので、とりあえずよしとする事にしたようだ。
「で、もう一個確認。その間で三日ぐらい手があかない?」
「二カ所目の溶鉱炉の解体からガワが組み上がるぐらいまでは、僕が指示出すような事はあらへんからいけると思うんやけど、何で?」
「そろそろ、あのダンジョンを攻略しちゃった方がいいかな、って思うのよ」
「なるほどなあ」
真琴の提案を受け、確かに、と頷く宏。どうせ元には戻らないだろう、などという思い込みで放置していたが、そろそろ一度ぐらいはボスを仕留めた方がいいのは間違いない。
「その場合、ちょっとそこで悩ましい話があるんやけど」
「何よ?」
「それやったら、一回潜って鉱石集めて来て、ちゃんと装備作ってから本格的に攻略した方がええんちゃう?」
「あ~……」
宏の至極もっともな提案を受け、真剣に考え込む真琴。未知のボスに挑むのだから、安全性を考えるなら装備を整えてからの方がいいのは当然だ。
「装備作るの、どれぐらいかかる?」
「内容にもよるけど、一日あれば十分や」
「鉱石掘りに行く時間は作れそう?」
「一カ所目の解体と基礎に二日ほどかかるし、指示出すんは基礎やる時の最初だけやから、掘りに行く時間も作りに行く時間も十分やで」
「そっか」
宏が提示した日程を聞き、即断する。
「だったら、掘りに行く時は付き合うから、装備作りお願いしていい?」
「了解や。何やったら、刀以外に防具とかも用意するから、希望があったらよろしゅうに」
「そうね。ウルスの時に着てた様な鎧は、流石に重いからパスとして。動きやすくてあまり音がしないプレートタイプの部分鎧って、出来る?」
「手持ちの素材やったら、特に問題あらへんな」
「じゃあ、それでお願い」
「了解や」
真琴のリクエストをメモし、手持ちの素材から最適な組み合わせを頭の中で決定する。
「あ、そやそや。真琴さん」
「何?」
「あったらありがたい素材があるんやけど、獲りに行けそうやったら獲ってきてくれへん?」
「あたしに言うって事は、モンスター素材なんでしょうけど、何?」
「アドラシアサウルスの骨と胆石とすい臓」
「了解。要は頭だけ落として、全身無傷で持って帰ってくればいいわけね?」
「そういう事やな」
宏の要求に、特に問題なさそうに答える真琴。この会話だけを聞いていれば、アドラシアサウルスというモンスターが大して強くなさそうな印象を受けるが、実際にはそんな生易しい生き物ではない。
アドラシアサウルスは、ミダス連邦領内のかなり僻地の方に生息する、全長十メートルほどの俊敏な肉食恐竜である。そのサイズから分かるように、生半可な近接攻撃は相手の皮膚を貫くことすらできず、巨体のくせに俊敏な動きは時にツバメ型の高速飛行モンスターを一方的に蹂躙する事があるという、まともな冒険者はちょっかいを出すどころか生息域の半径百キロ以内に近寄ることすら忌避するモンスターだ。
とはいえ、速くてデカイだけならワイバーンの方が上で、ガルバレンジアほどのパワーも厄介な特殊能力も持ち合わせていないモンスターなど、真琴にとっては狩りやすいカモでしかない。しかも、オキサイドサークルに対する耐性がワイバーンほど高くないため、達也がいればそれこそ無傷で秒殺することすら可能という、このチームに目をつけられた時点で単なる肉の塊と同じ扱いをされてしまう哀れな生き物である。
「そういえば、アドラシアサウルスの肉って、美味しいの?」
「ケルベロスと違うて、なんとか食える範囲の味やな。ただ、ワイバーンとかみたいに美味くはなかったと思う」
「そっか、残念」
「まあ、春菜さんに預けたら、なんか工夫して食えるようにしてくれるやろう」
「それもそうね」
無責任な宏の言い分に、これまた無責任に同意する真琴。春菜が生産に関して唯一宏に勝っているのが、食材に対する工夫だろう。はっきり言って、よくもまあここまで食うことに情熱を傾けられる、というぐらいありとあらゆるモンスターの肉を調理してのける様は、呆れを通り越して一種感動すら覚える。
そんな春菜を持ってしても食えるように出来なかったケルベロスやマンイーターは、恐らくどうやっても人間が食えるようにはならないのだろう。
「まあ、明日適当に狩ってくるわ。三頭ぐらいでいける?」
「うちらの装備だけやったら、そんなもんやな」
「了解。そう言えば、換金可能な部位とかある?」
「一応、皮が普通に売れると思うで。あれの皮は裁縫の初級でもなめして鎧に加工できる割に、鉄にちょっと負ける程度のなかなか悪ない防御力になるからな」
「なるほど。ってか、皮をなめすの、裁縫なの?」
「何故か裁縫やねん」
意外と言えば意外すぎる情報を聞き、何処となく感心した声を上げる真琴。正確には、革を扱う可能性があるスキルならどのスキルでも皮のなめしは可能なのだが、実はあまりその事実は知られておらず、宏ですら裁縫以外でも出来るとは思っていない。
「何にしても明日行ってくるから、ワンボックス使うわね」
「はいな」
そんなこんなで、細かい予定を詰めていく宏と真琴。所詮オキサイドサークルに耐性が無い恐竜ごときに苦戦するはずも無く、翌日の昼には五頭ほどの成果を持って帰ってくる真琴と達也。仕留められたアドラシアサウルスの肉は春菜の手によって徹底的に燻された後、三日ほどぬか漬けにされて熟成され、更に三日ほど味噌に漬け込まれる事でまろやかで味わい深い肉になって、宏達だけでなくドワーフ達にまで美味しく頂かれてしまうのであった。
真琴と今後の方針を決めてから二日後。宏は春菜と澪を連れて、ウルスのアズマ工房にある真火炉棟まで戻ってきていた。達也と真琴は、ドワーフ達からの頼まれごとのためにクレストケイブに残っている。
「新しい装備を作る、はええとして、や」
前日にちょっと深いところまでもぐって採掘した鉱石を前に、春菜と澪に対してそう切り出す宏。それなりに重要な話になると踏んで、真面目な表情で次の言葉を待つ春菜と澪。
「武器は現状のんをアップグレードするとして、防具はどないする?」
「どう、って言うと?」
「流石にどの金属もワイバーンレザーアーマーより防御力はかなり上になる訳やけど、金属製の防具に切り替えるかどうか、っちゅうんが一つ」
宏の説明を聞き、そのまま金属製の防具に切り替えるものと無意識に考えていた事に気が付く春菜と澪。単純に防御力だけでは測れないメリットデメリットがあるのだから、そこを踏まえて考えなければいけないのは当然と言えば当然である。
「宏君、革とか布製で今よりいい防具って無理なの?」
「布に関しては、霊帝織機作った上であれこれ触媒用意する必要があるな。一応今みんなが着とる服でも、ワイバーンレザーアーマーよりは防御面では優れとるけど、どっちかっちゅうたら上に布製以外のを重ねる前提やからなあ」
「そっか。革は?」
「最低でもレッサードラゴン系を仕留めて来んと、大幅な防御力の向上は厳しいで」
「あ~……」
宏の指摘に納得する春菜。レッサードラゴンとは、ドラゴンの中でも特に弱くて繁殖力が強い種を指す。弱いといっても曲がりなりにもドラゴンなので、単純な攻撃能力はガルバレンジアと互角かやや強い。ただしなまじ生物としては強靭な肉体を持つためか、レッサードラゴンには知恵の類はほとんど無く、ほぼ本能だけで攻撃を仕掛けてくる。特殊能力と呼べるものは属性ブレスぐらいで、ワイバーン同様地面に引きずり降ろせばかなり脅威度が薄れるモンスターである。
なお、余談ながら、レッサードラゴン系に分類されるのは、各種属性ドラゴンと海竜の一部で、色で識別されるドラゴンは大抵上位種のドラゴンとなる。また、亜竜であるワイバーンは、レッサードラゴン系には含まれない。
「まあ、レッサードラゴンは強いっちゅうても所詮は雑魚モンスターやから、バルドの第三形態とかに比べたらかなり余裕はある相手やけどな」
「師匠、今からそいつらを仕留めに行くのは、流石に時間が足りない」
「まあ、そういうこっちゃな。あと、流石にドラゴン種にはオキサイドサークルが効かんから、綺麗な革とか素材ゲットするんはちょっと大変やしな」
「だったら、最初から選択肢は一つしかない」
「いんや、無理に金属製防具にせんでも、ワイバーンレザーを補強するっちゅう手もあるで」
宏の指摘に、出来るの? という表情を浮かべる澪。少なくとも、澪の力量ではワイバーンレザーアーマーに手を入れるのは難しい。
「まあ、補強、っちゅうても大したことは出来んけど、部分的にオリハルコンかヒヒイロカネで作った板を張り付けたると、レッサードラゴン系の防具ちょっと手前、ぐらいの性能にはなるで」
「宏君、そのやり方で今の防具を強化した場合、革製の防具としての特徴は駄目になったりしないの?」
「そこは大丈夫や。そのための改造、やからな。せやから、メリットは革製防具の特性をそのまま残せる、デメリットは使う素材の割に性能が大したことあらへん、っちゅう所や」
「なるほど。ちょっと悩みどころだよね」
宏に提示された内容を聞き、真剣に悩む春菜。前に出ることも少なくない割に薄めの防御力は、彼女の明確な弱点だ。だが、それを補うために金属製の防具に切り替えると、下手をすると最大の武器であるスピードと手札の枚数による対応能力を殺すことになりかねない。実に悩ましい問題である。
「今ある金属だと、どんな防具が出来るの?」
「オリハルコンは、性能はともかく使い勝手は普通の鉄製の鎧と変わらん。アダマンタイトは普通の鉄より重たいから、ドルのおっちゃんとかみたいな体で止めるタイプの前衛に向いとる。ヒヒイロカネは革よりちょっと重くなる程度で柔軟さもなかなかやけど、育つまではちょっとばかり頼りない感じや。
ただ、素材の性質はそうやけど、重さに関してはエンチャントとか添加物とかである程度どうとでもなるし、動きやすい動きにくいは、どう言う鎧作るかで大幅に変わるから、素材だけでは一概に言えんところやで」
「と、いうと?」
「そら、フルプレートと部分鎧では動きやすさは全然違うし、チェインメイルとリングメイル、スケイルメイルでもそれぞれ動きやすさとか防御力、音がどれぐらいひどいかとかえらく変わって来るし」
「ああ、確かに」
言われて納得する春菜。金属防具はせいぜい軽鎧に分類されるブレストプレートとガントレットぐらいしか身につけた事がない春菜だが、鎧も種類ごとにどんな攻撃に強くどんな攻撃に弱いという設定がやたらと細かく設定されていた事は覚えている。流石に身につけた時の感覚まで大きく違うとは思っていなかったが、構造や形状が変わるのだから、そこは当然と言えば当然だろう。
「ちょっとそれだけの情報だと決め辛いから、参考までに真琴さんと宏君はどんな装備にするのか、聞いていい?」
「真琴さんはブレストプレートとスカートアーマーに、可動範囲を調整した鉄板仕込んだブーツとガントレット、っちゅう所やな。僕のんは、ドルのおっちゃんにあげた鎧と同じ仕組みの、探索中はブレストプレートで必要に応じてハーフプレートとかフルプレートに展開できる鎧を作る予定や」
「なるほど。って言うか、わざわざブレストプレートだけにせずに、真琴さんみたいに最初から部分鎧の組み合わせでいいと思うんだけど?」
「そんなもん僕が着こんだら、探索速度がものすごい遅なるやん」
「そういう理由なんだ……」
宏の説明に、微妙に呆れと感心の入り混じった顔でつぶやく春菜。今までそれほど気にならなかったが、宏は敏捷が増えるようなスキルはほとんど持っていない。たとえ重量に問題がなくても、行動を阻害されるような装備を着こむとてきめんに移動などが遅くなるのだ。
「師匠。師匠のパワーだと、重い装備でもそんなに行動が阻害されない気がするんだけど……」
「胴体を含む三カ所以上プレート系の防具着て軽快に動きたかったら、筋力だけやなくて敏捷もかなり必要やねんで。そもそもプレート系固有の行動阻害は、何でか敏捷もしくはスキルで軽減やし、残念ながらそういうタイプのスキルは持ち合わせがあらへん。せやから、金属鎧で普段から装備出来んのは、せいぜいブレストプレートまでや」
フェアリーテイル・クロニクルでは、防具の重装備はプレート系の防具を胴体を含む三カ所以上身につける事、と定義されている。その際に身につけた部位や身につけた数によって、さまざまなペナルティが発生する。このペナルティは重装備修練および重装行軍というスキルにより軽減されるのだが、このスキルが習得に大層手間がかかる上に成長が遅く、また、重装備によるペナルティとは関係ないプレート装備固有のペナルティには影響が薄いため、初期装備ですらまずフィールドでダメージを受けない生産廃人はスキルを取得する時間をケチって覚えていないのが普通なのである。
余談ながら、神鋼製のフルプレートは生産者に限り重装備に分類されず、またフルプレート固有のペナルティも存在しない。それも生産廃人が重装甲や重装行軍を習得しない理由になっている。
なお、言うまでも無い事だが、いくらゲームに似ていると言っても、この世界の重装備のデメリットはそんなデジタルな感じではなく、防具の構造や材質、重量などでさまざま問題が発生し、スキルというより装着者の慣れでカバーする感じになって来る。
「そっか」
「で、澪は防具の更新どないするか決まっとるん?」
「ボクはワイバーンレザーアーマーの改造で。いくら消音のエンチャントつけられるって言っても、シーフは金属鎧は基本アウトだし、ボクは春姉ほど基本防御が低くないし」
「了解。適当によさげな板作って仕込んどくわ」
などと言いながら、さっさと精錬作業に入る宏。春菜の分はまだ決まっていないが、オリハルコンクラスなら真火炉での精錬はそれほど時間はかからない。なので、確定分を作りながら決めればいいかと前倒して作業を進めているのだ。
「まあ、決められへんねんやったら、現状を大きく変えんで済むアイデアが無いでもないけど」
「どんな?」
「鍛造やなくなるんやけど、ヒヒイロカネをいじって流体金属にして、必要に応じて鎧の表面をコーティングする、っちゅう手はあるで」
「それ、防御力は上がるの?」
「今よりはな。ただ、きっちり躾しとかんと、なかなか上手い事行かんねんけど」
相変わらずあれでナニなアイデアを持ってくる宏に、いまいち信用しきれない様子を見せる春菜。金属なのに躾、という単語が出てくるあたり、かなり不安を誘う話である。
「澪もそっちにするか?」
「……春姉ならともかく、ボクはあまりちゃんと言う事を聞かせる自信ない」
「了解や。ほな、とりあえず春菜さんの分を試しに作るだけ作っとくわ。あかんかったらまた溶かして別のモンに使うし」
打ち合わせの振りをしながら、いつの間にか春菜の分を規定路線にする宏と澪。単にいろいろ作りたいだけの宏はともかく、澪は何かくだらない事を企んでいそうで怖いのだが、ここまで話が進むと今更ノーと言えない、妙なところで日本人気質な春菜。そもそも、自分の装備も決めかねているのだから、あまり偉そうにあれこれ言えないのではないかと引いてしまうのだ。
「さて、ほな先ずは武器全部作ってまおか。春菜さんのレイピアと澪のダガーはオリハルコンベースでええよな?」
「うん」
「師匠に任せる」
という二人の言葉を聞き、ならばと好き放題やってのける宏。相も変わらず色々と常識を投げ捨てながら、精錬だけでなく鍛造の最中にもさまざまな素材をいろんな形で組み込んで行く。
とはいえ、流石に完成に近付くほどに火花とは違う派手な光が周囲に飛び散る様は、いい加減宏がやらかすことに慣れてきた春菜達でも絶句してしまう光景で、魔鉄で武器を作っていた頃と違い、宏がやっている事がある程度理解できるようになっていた春菜は、あまり正しくない方向で職人技の奥の深さをしみじみ思い知るのだが。
「とりあえず、オリハルコンベースの武器は、こんなところやな。で、真琴さんのはどれがええっちゅうんはまだ本人すら固まってへんから、予定通りのヒヒイロカネがベースの刀以外にもアダマンタイトがベースの刀も一応作って、全部いっぺん試してみてもらうかな、っちゅう感じや」
オリハルコンで特に問題のないものを全て作り上げ、一息つきながら他に作るものを春菜と澪に説明する宏。ついでに今後の作業の参考になるように、どの工程で何をやったかも一緒に教える。なお、作った武器(宏自身と達也の分もある)は当然ながら修正の必要などない出来で、魔鉄製の今までのものを純粋に強化した形で落ち着いていた。もっとも、宏の事だから、使う側の使い勝手に影響しないところで何を仕込んであってもおかしくはないのだが。
「師匠、ヒヒイロカネだけでいいと思うんだけど?」
「ヒヒイロカネは、馴染んで成長始めるまでに結構手間かかるからな。流石に今回のダンジョン攻略やとボス戦には間に合わんやろう。前の刀の残骸見た感じ、アダマンタイトやったら普通に作っても二回ぐらいは持つやろうし、強度に特化して作ったらもしかしたら壊れんかもしれへんし」
澪に意図を説明しながら、アダマンタイト製の玉鋼の小割り作業を始める宏。現実問題として、エクストラスキルを使うと一回で壊れる、という点を正攻法で解決するなら、ひたすら頑丈なアダマンタイトの刀を作れば恐らくある程度は解決する。だが、アダマンタイトの刀はそこからの発展性がない。故に、使ってみた結果三回は使えない、となった場合、エクストラスキルに耐える事に特化して成長したヒヒイロカネの刀に使い勝手で負ける可能性が出てくる。
と、条件面では、一見優位に立っていそうに見えるが、そこは良くも悪くもとにかく癖の強いヒヒイロカネ。保険も無しにそれ一本だけで勝負する気には到底なれない。なので、分が悪い賭けだと分かっていても、やはり作れるものは作っておいた方がいい。
「とりあえず、まずは面白みのないアダマンタイトを終わらせてから、ある意味本命のヒヒイロカネやな。あんまり人前で加工したあないけど」
そう言いながらもサクサクと作業を進め、オリハルコン製とはまた違った風格のある、中二心を刺激しまくる立派な刀を作り上げる宏。これでも足りないかもしれない、というのが、熟練度の低いエクストラスキルの厄介なところであろう。
「で、お待ちかねのヒヒイロカネや。春菜さん、絶対引く、思うけど、ヒヒイロカネはそういう金属やからな」
「春姉、鍛冶の腕も鍛えるんだったら、絶対避けては通れない道だから」
師弟にそう釘を刺され、ひたすら嫌な予感がひどくなっていく春菜。何というか、ここからの作業を見学していると、いろいろと後悔しそうな気がひしひしとするのだ。
「ほな、行くで!!」
そう言って、よく熱したヒヒイロカネに、今までにないぐらいの勢いでハンマーを振り下ろす宏。今まで聞いた事のないような鈍い音を立てて変形するヒヒイロカネ。
「ほう? お前さん、これやと足らん、ってか?」
いきなりドスの効いた口調でヒヒイロカネに語りながら、更にもう一撃、地面を砕きかねない勢いでハンマーを振り下ろす。金属を叩いたとは思えない鈍い音が響き、ヒヒイロカネの色が変わる。
「格好つけて気ぃ張っとるみたいやけど、お前さんはたかが金属や。生殺与奪の権利はこっちにあるんやで~?」
などといいつつ、嬲るように軽く表面を叩いていく宏。もう、この時点で春菜はどん引きである。
「ねえ、澪ちゃん……」
「ヒヒイロカネは、ああやってプライドをへし折って従順にしないと、普通に鍛造してもちゃんとした性能にならない」
「うわあ……」
澪の解説を聞き、更にどん引きする春菜。その間も宏の「口撃」は続き、金属を叩いているとは思えない妙に生々しい音が響き渡る。
「何か、宏君が言ってる言葉も結構引くけど、人の頬とか叩いてるような妙に生々しい音も引くよね……」
「そういうものだから、諦めて。ヒヒイロカネ以外は普通だから」
澪の言葉に、どんどんどんどんヒヒイロカネに対する不信感が募っていく春菜。そうこうしているうちに、ようやく金属らしい打撃音に変わり、甲高い音を立てて最後の一撃が加えられる。そのまま「ご褒美や!」などといいながら間髪いれずに焼き入れを行い、あっという間に完成させた宏にまた引く春菜。特に、最後の焼き入れをご褒美と言った時の口調がやばい。
「とまあ、弟子にやり方見せる、っちゅう理由がなかったら、絶対人様にはお見せできひんやり方せなあかん訳やけど」
終わった後、妙にげっそりした感じでそうコメントする宏。やってる最中にはどん引きしていた春菜だが、宏の性格上、これが楽しい訳がない事ぐらいは分からない訳ではない。というより、こういう時には内心どれだけやりたくなかろうが、表面上は本気でやっているように装わなければいけない事ぐらい、演劇の心得もある春菜が分からないはずがない。
金属の鍛造、という行為の最中にわざわざ特殊なプレイみたいな演技をしなければいけない、という点はどうしても理解を阻むものがある訳だが。
「あんなやり方で作るのに、見た目がものすごくきれいに仕上がるのがやけに腹立たしいんだけど……」
「春姉。それがヒヒイロカネ」
「……なんか、私の中の常識が、また一つ粉々に砕けた気分」
「春姉は常識についてコメントできる立場じゃない」
思わず口をついて出たぼやきを澪に全否定され、思いっきりへこむ春菜。だが、へこんでもいられない。
「ねえ、宏君」
「ん?」
「悪いけど、私の分の新しい防具は、オリハルコンのブレストプレートでお願い」
「あ~、やっぱりヒヒイロカネの防具は嫌か……」
「あれ見ちゃうと、ね……」
どうにもヒヒイロカネという金属を信用できなくなった春菜が、己の防具についてそういう注文をつける。その注文を苦笑しながら受け付け、ある意味武器より重要な防具を作り上げていく宏。達也と澪の分を除くオリハルコン製のブレストプレートを完成させたところで、
「そう言えば師匠」
「何や?」
「この上にさっき言ってた流体金属をコーティングすると、どうなるの?」
という澪の一言により、結局ヒヒイロカネの流体金属アーマーも一つ作ることになったのはここだけの話である。
フェアクロの金属が全部まともだと誰が言った?