第14話
「向こうの方にうっすらと見えてきてるの、イグレオス神殿かしら?」
「うむ。そろそろじゃのう」
地下遺跡を出てから時速六十キロで約一日。ようやく目的地のイグレオス神殿が見えてきた。
「それにしても、このゴーレム馬車は恐ろしい性能じゃのう」
「あんまり無茶はやってへんつもりやけど、そんなにおかしいですか?」
「あの妙な光線、砂鮫を一撃で仕留めておったではないか」
「まあ、弱点撃ち抜けばそんなもんやと思いますわ」
普段は使わないワンボックスの武装だが、今回は何度か使う機会があった。砂漠のモンスターは、意外と速い速度で地下を動き回るものが多く、時速六十キロ程度では振りきれない相手も少なくないため、結局何度か魔導レーザーで攻撃して道を開けさせる必要があったのだ。無論、仕留めた獲物は達也が回収できる範囲でアポートを使って回収している。
因みに、魔導レーザーの攻撃力では本来、砂鮫を一撃で仕留めることは出来ない。だが、魔導レーザーには照射時間に応じて多段HITすると言う特性があり、撫で斬りするように動かせば大体必要なダメージを稼ぐ事が出来るのである。
「普通、馬車そのものに攻撃能力があるものはほとんど無いのだが、それは知っておるか?」
「普通の馬車に攻撃能力ないっちゅうんは知ってますけど、ゴーレム馬車やとそんなに珍しくないん違います?」
「いやいや」
相変わらず意識がずれたところを見せる宏に、秒殺で突っ込みを入れる女王。普通のゴーレム馬車は、少なくとも走行中に撃てる飛び道具を備え付けている物はほとんどない。ゴーレム馬車の攻撃手段など体当たりぐらいしかなく、それ以外の攻撃が出来るものは大抵戦車と呼ばれている。
「工房主殿は、戦車の値段を知らんと見える」
「戦車? ゴーレム馬車やなくて?」
「戦闘能力があるゴーレム馬車は、普通戦車と呼ばれるのじゃ」
「っちゅう事は、この車も戦車になるんですか?」
「そうなるのう」
女王の言葉に、ものすごい違和感を覚える宏。言うまでもない事だが、彼にとって戦車というのはキャタピラがあって砲塔が旋回するあれである。某戦車発掘RPGならワンボックスも普通に戦車扱いだが、そのつもりで作った訳ではない宏にとってはあくまでワンボックスは車なのだ。
「因みに、普通の戦車って攻撃力はどの程度ですか?」
「そうよのう。軍が購入している物は機密ゆえに詳しい事は言えんが、妾が知っている商人の戦車は、砂鮫やロックワームを仕留めるには少々火力が厳しかったはずじゃ」
「積んである武装は、飛び道具ですか?」
「うむ。と言っても、火球を打ち出す程度のもので、ジャイアントホッパー程度ならともかく、砂鮫クラスになるとダメージは出るが十発ぐらい撃ち込まねば仕留められん」
「なるほど」
どうやらこの世界で一般的な戦車というのは、中東などで使われている日本車を改造してマシンガンやロケットランチャーなどを据え付けた、いわゆるテクニカルと呼ばれている物と大差ないらしい。
「その程度のものでも、普通のゴーレム馬車の軽く二十倍はする。しかも、速度は馬とそう変わらん」
「高!」
「火球をチャージ時間以外の代償なしで無限に撃ち出せるとなれば、普通はそんなもんじゃろう」
「そうは言っても……」
普通のゴーレム馬車の最も安いものが十万クローネ、セネカもしくは円に換算して一千万ぐらいの値段がする。ゲームの時にはたかが十万だったため珍しくも無かったが、こちらの通貨価値に馴染んできた今の宏達にとっては、その程度のちゃちな性能で最低でも二百万クローネはするというのは非常識な値段だと感じてしまう。
無論、この場合は宏達の感覚がおかしい。ゴーレム馬車の動力として使える性能の魔力結晶は、この世界で製造できる人間は各々の国に十人いればいい方で、しかもその性能に至れるだけの素材もそれほどの生産量はない。必然的に、最低ラインの魔力結晶ですら二週間に一つぐらいしか作られておらず、攻撃性能を持たせうるものとなるともっと生産量は少ない。
その動力の問題に加え、攻撃するに耐えるフレームだの増えた重量の処理だのを考えれば、本体に使われる素材もどうしても高いものになってくるのだから、値段が指数関数的に跳ね上がるのも当然である。
「ワンボックスといったか? この戦車を購入するとなると、冗談抜きで国が傾きかねん値段になるじゃろうなあ」
「んな大げさな」
「大げさでも何でもないぞ?」
作った宏にとってはそこまでのものではないワンボックスだが、オンリーワンの機能がふんだんに詰まっている上に性能が桁違いである事を考えると、その価値は一級ポーションを超える。大規模な街を廃墟に変える火力とその余波に耐え抜く防御性能、どんな荒れ地でも平然と走ってのける走破性能に邪魔な時にはポケットに入るサイズにできる管理の容易さ。少々搭載能力が低いとはいえ、それは単に宏が荷台を大きくする必要を感じなかったというだけで、まだまだ容積拡張を重ね掛けする余地は十分に残っている。
これだけの条件が揃っているのだ。もし売りに出せば、それこそ何処の国も戦争も辞さない覚悟で手に入れようとするだろう。幸いにして、攻撃能力については女王とセルジオ、ノートン姉妹とファーレーン王家以外からは魔導レーザー程度しかないと認識されている上、他の国の人間はそもそも攻撃できる事を知らない。それゆえに、同等以上の火力を持つ戦車を保有している事もあり、同行している近衛達には何としてでも手に入れようとする考えはないが、天地波動砲の存在が知られてしまえばそうもいかなかっただろう。
「売りさばくものに関しては自重しておるようだが、普段使いするものも、もう少し自重しておいた方がいいと思うぞ」
「それ言って聞くようなら、あんな潜地艇みたいなものを作ったりしませんって」
「まあ、そうよのう」
達也の投げたような言葉に、苦笑を返すしかない女王。この手の職人というのが、暴走しはじめると際限なく暴走する事は女王にも覚えがあるらしい。
「それにしてもこの道、徒歩ではまず突破できませんよね」
「こんな過酷な道、よく整備したと思う」
「ダールという国が成立する前からある道じゃからな。もっとも、当時は砂漠ではなかったともいうが」
「ああ、なるほど」
言われて納得する一同。普通に考えれば、よほどの理由が無い限りはこんな過酷な土地に神殿や街を作って道を通したりはしない。最初から道や町があったところが砂漠化した、と考えた方が自然である。
「砂漠化した原因に、陽炎の塔が関係あるのかな?」
「あたしが知る限りでは、煉獄の辺りにある毒沼が確かあそこが出来た時に発生したって話だったし、似たようなものなんじゃないかしら?」
「恐らく、まったく無関係ではあるまい。もっとも、我が国にもそのあたりの正確な記録は残っておらんから、推測しか出来んが、な」
「もし情報があるとしたら、ルーフェウスの大図書館あたりかな?」
「それか大地の民の連中やろうけど、陽炎の塔がいつ出来たかによっちゃあ、もうすでに眠りについた後やったっちゅう可能性もあるからなあ」
灼熱砂漠について、そんな風に考察を重ねていく一同。もっとも、砂漠の成立がいつだろうと、その原因が何であろうと、正直なところ今の彼らに役に立つ訳ではないのだが。
「さて、それはそうとそろそろ降りる準備をしておいた方がいい。この馬車の速度なら、もう目と鼻の先じゃ」
女王の言葉を受け窓の外を確認する。いつの間にか目の前に巨大なオアシスが広がり、石造りの古代遺跡一歩手前という風情の建物と、それを囲むように広がった町並み、そして町を守る頑丈そうな市壁が見えてきた。あとはこのまま坂を一気に下れば、五分程度で到着するだろう。
「神殿行く前に、あのオアシス見てきたいんやけどええかな?」
「手続きの類があるし、時間的にも今日は神殿には入れんからから問題はなかろうが、どうしてじゃ?」
「ちっといろいろ気になりますねん」
「ふむ。何か作れそうなのか?」
「それを確認するために、見てきたいんですわ」
宏の言葉に、顔を見合わせる一同。一人で放置すると高確率でろくなことをしない宏だが、余計な事をすると言っても一番ひどくて前回の地下遺跡程度。自分達が振り回される事を横に置いておくならば、これと言って問題がある訳でもない。
それに、碌でもない事をした結果、自分達の安全の確保につながったケースも無い訳ではないため、絶対駄目だと言うのは難しい。
「どうする?」
「あたしか達也が付いていけば、余計な事はしないんじゃないかしら?」
「師匠はものを作ってこそだから、行かせた方がいい」
「ん~、単独行動はいろんな意味で心配だから、私と達也さんが付いていけばいいんじゃないかな?」
さりげなく一緒に行動しようとする春菜に、思わず生温かい視線を向けてしまう宏以外の一同。ハンドルを握っているために視線を向ける事は出来なかったが、真琴も内心では似たようなものだ。本当に、恋する乙女は一生懸命である。
「まあ、春菜はともかく、達也が一緒に行けば、ブレーキぐらいにはなるんじゃない?」
「完全に止めきれる自信はねえが、まあ行ってもいいんじゃねえか? ヒロが何か引っかかってんだったら、また俺達に絡む話がありそうだしな」
「もう一回寄り道する時間的余裕は多分ないとは思うけどね」
「春菜、あんたそれが分かってても止めないでしょ?」
「状況によりけり」
検問のために車を止めながらの真琴の突っ込みに、非常に当てにならない回答を返す春菜。それを聞いて、ここまで来てまたしても寄り道か、などと何処となく諦めの境地に至る達也と真琴であった。
「しかし、見れば見るほどでかいなあ」
「琵琶湖とかより、普通に大きいよね」
「で、何を調べるんだ?」
関係者の許可を取り、神殿のそばにあるオアシスを見物に来た宏と達也、春菜。彼らが来たあたりは人がいないが、神殿を挟んで反対側の湾のようになっているあたりは沐浴が許されている事もあって、そろそろ日が落ちる時間帯でもたくさんの人がいる。
「まあ、まずは水質のチェックやけど、こんだけ広いと……」
「潜って遺跡探すとか言うなよ?」
「流石に、水に入る許可も取らんとそれやる度胸はあらへん」
達也の突っ込みに、即座にそう返す宏。裏を返すと、許可があれば堂々と潜って遺跡を探すと言う事である。
「とは言えど、このオアシスはいろいろ気になるんは事実やで。何っちゅうか、ここだけ魔力の質とか空気とかが極端にちゃうねん」
「神殿があるからじゃないの?」
「そうかもしれへんねんけど、炎の神様の神殿の近くで、何でこんなに水の気が強いかっちゅうんはなあ」
水の気が強いという言葉に、思わず顔を見合わせてしまう春菜と達也。
「オアシスがどう言う原理で蒸発せんと存在できるんかは知らんけど、周りの地脈とか地質とか考えたら、この規模の湖が存在してるんは腑に落ちんとこや。それに……」
「それに?」
「これだけの水資源が確保できてるんやったら、もっと町が大きいてもおかしないやん。せやのに、この町はオルテムほど大きい無い。周りが農業に向かん砂漠やっちゅうても、オルテム超えるぐらいの規模までは余裕で水も食料も賄える感じやのに」
純粋に不思議に思った事をつらつらと並べていきながら、水質調査のためにカップ一杯程度の水を汲み上げる。それを色々とチェックして、出した結論は
「何一つ手ぇ加えんでも飲めるな。後、神殿があるからか、ちょっとした聖水みたいな状態になっとる」
「えっ?」
「まあ、あくまでちょっとした、っちゅうレベルやから、エルに作って貰うたスペシャル聖水ほどの性能はあらへんけど」
流石というかなんというか、かなりとんでもない話であった。
「なあ、一ついいか?」
「ん?」
「この中にバルドとか叩き込むとして、ダメージは出そうか?」
「そこまで強力やあらへん。せいぜいがちょっと皮膚がひりひりする程度やろう」
何とも中途半端な結論である。
「他に、何か調べるのか?」
「調べたい事は山ほどあるけど、貰った許可やと後はせいぜい……」
足もとの草を根っこから掘りかえして観察し、そのまま埋め戻す。
「この辺の植生を確認する程度や」
「で、何か変わった事は?」
「胸張って言いきれんネタやから、ちょっとノーコメントやな」
色々とおかしな所を確認し、とりあえずノーコメントで誤魔化すことにする。一つ言える事は、大霊峰の山頂付近に生えているような草がしれっと混ざっているのは、絶対何か妙な力が働いているはずだと言うことだろう。もっとも、大霊峰の山頂付近にしか生えていない、などと胸を張って言いきれないため、今のところはノーコメントにするしかないのだが。
「ほんまやったら宿かどっかであれこれ試したいとこやねんけど、一応神域になるやろうから勝手に持ち出すんもあれや。これぐらいにしてそろそろもどろっか」
「その草程度ならば、神殿もうるさい事は言わないけどね」
チェックの終わった雑草を全て埋め戻し、さあ宿へ引き揚げるかと振った台詞に、性別不詳の涼やかな声色の声が返事を返す。見ると、二十歳前後と思われる宏と大差ない身長の中性的な容姿の人物が、いつの間にやら数メートルというところまで近づいていた。
「わざわざ気配消して忍び寄ってくるとか、大概悪戯が過ぎると思うで?」
「これは失礼。真剣に何やら吟味していたので、邪魔をするのもどうかと思ったのだが」
「普通に声かけてくれたらええやん」
どちらの性別と言っても納得するであろう涼やかな美貌の人物に、何処となく警戒しながらも特に驚いた様子も見せずに突っ込みを入れる宏。
「そんで、エルとかアルチェムの同類さんが、何の用や?」
「それが分かるのかい?」
「最近、なんとなく分かるようになってん」
じわじわと距離を離しながら、普通の感じを装ってそんな会話を続ける。そのあたりで、硬直が解けた春菜が声を上げる。
「ねえ、宏君」
「ん?」
「エルちゃんやアルチェムさんと同類って事は、その人もしかして……」
「多分、イグレオス様の巫女さんやろうなあ。当然女やで」
「残念ながら、君ほど豊かな胸をしていなくてね。初対面の人にはよく間違えられるんだよ」
思わず胸だけの問題じゃない、と突っ込みそうになって、慌ててその言葉を飲み込む達也。考えなくてもセクハラである。
「そんでもっぺん聞くけど、巫女さんがわざわざ何の用や?」
「特に用がある訳じゃないが、女王陛下が御執心で二人の巫女に懸想されている人物というのに興味があってね。公の堅苦しい場ではなくて、普段通りの行動をしているところが見たかったのさ」
「自分、大概悪趣味やなあ」
「何の何の。海洋神レーフィア様の巫女なんて、ある意味では悪趣味の極みだと聞いているよ。まだ普通に人間であるだけ、自分は難易度が低い方さ」
「何の難易度やねん……」
巫女の言い分に、思わず突っ込みを入れてしまう宏。そもそも、人間じゃないのが巫女をやっている、という事自体、どう言う事なのか小一時間ほど問い詰めたい。
「興味があった、っちゅうんは分かった。自分から見て、僕らはどう言う判断になる?」
「実に面白いね。興味深い話もしていたようだし、権力だの利益だの抜きに仲よくしたいところだよ」
「そらどうも」
「それで、先ほどノーコメントだと言っていた事について、少しだけ詳しい事を聞きたいのだが、駄目かな?」
「大した話は出来へんで?」
「それで十分さ」
その言葉に、何をどう言うべきか少し整理する。
「せやなあ。正直、絶対やとは言い切れん話やから話半分ぐらいで聞いといてほしいんやけど……」
「聞いてから判断するよ」
「さっき掘り返しとった草な、大霊峰の山頂付近で採れる奴やねん」
「……大霊峰の?」
「せやで。絶対とは言い切れん、っちゅうたんは、大霊峰の山頂以外に生えてへんとか、胸張って言いきれんからや」
興味深い、を通り越して、判断に困る話をされて言葉に詰まる巫女。
「本当に、それは大霊峰の山頂で採れる草と同じなのかい?」
「少なくとも、ものとしては同じや。ただ、まったく同じかっちゅうんはこの場でははっきり言えん。大体の品質は分かるっちゅうても、成分とかは持って帰って機材使って処理せんと正確には判断できへん部分やし」
宏の言葉を聞き、しばし考え込む巫女。
「そうだね。巫女としての権限を使ってこの一帯の草の持ち出しを許可するから、調査してくれないか?」
「せやなあ。出来る限りは調べてみるわ」
「お願いする」
イグレオスの巫女の要請に一つ頷き、めぼしいものを一株ずつ掘り返して回収する。
「今更の話だけど、巫女さんの名前、聞いてなかったよね?」
「せやな。そもそも、自己紹介自体してへんやん」
「これは無作法だったね。自分はナザリア。名目上はイグレオス神殿の巫女をしている」
「名目上は?」
「お恥ずかしい話だが、自分はイグレオス様の巫女としては、歴代でも下から数えたほうが早いぐらいの資質しかなくてね。ファーレーンの姫巫女殿やエルフの巫女殿のように、神殿の外でイグレオス様と交信できるほどの能力はないのだよ」
自嘲するようなナザリアの口調に、どう声をかけていいのか分からない一同。実際のところ、ナザリアぐらいの資質で巫女をやっているケースなど珍しくも無いのだが、同時代に妙に強い資質を持つ連中が二人もいるとなると、流石にまったく気にしない訳にもいかないのだろう。
「まあ、場所選べばイグレオス様と交信できんねんやったら、別段問題あらへんのちゃう?」
「そうだよね。エルちゃんの場合は割とどうでもいい話でアルフェミナ様が降りて来てる事が多いし、アルチェムさんは交信できるって言ってもほとんどそう言う事はしないらしいし」
「アルチェムの場合、アランウェン様の性格があれだからなあ。呼びかけが通じてる手ごたえはあっても、邪魔くさがってあまり回答が返ってこないらしい」
「っちゅう訳やから、基本神殿から出えへんねんやったら、イグレオス様がちゃんと毎回呼びかけに応えてくれれば全然問題ないと思うで」
二人の巫女の現状をよく知っているが故に、慰めると言うよりしみじみと語る感じになってしまう宏達。気まぐれで面倒くさがり屋のアランウェンはまだいい。神というのは基本、そういうものだからだ。アルフェミナは頻繁にエアリスにお告げだのなんだのをしているくせに、肝心な事を聞こうとすると多忙を理由に出てこないのである。
気まぐれを起こして返事を返してくれたアランウェンによると、別にネタとして何かを狙っている訳ではなく本当に多忙らしいのだが、だったらせめてお告げとして欲しい情報の断片でもいいからくれればいいのに、と思ってしまうのは人間として仕方が無い事であろう。
因みに、ザナフェルの家出の話は、現時点ではアルフェミナからの回答はない。遺跡の時にエアリスの体に降りて来て話をしようとしたのだが、何やら神様サイドで問題が起こったらしく
「なぜこのタイミングで……」
などと険しい顔をして吐き捨て、イグレオス神殿で話すと言って出ていってしまったのだ。あの忌々しそうな表情は演技には見えなかった事を考えると、どうやら人間達の知らないところで、いろいろ抜き差しならない問題が発生しているらしい。
「まあ、話変えるとして、や」
「何かな?」
「自分、巫女やっちゅうんやったら、この神殿の成り立ちとかそういう話は詳しいんやろ?」
「流石に、長老にはかなわない。所詮自分は小娘だからね。年を重ね、経験を自分のものとして熟成させた人たちには、知識も知恵も経験も、どう逆立ちしても及ばないさ」
「でも、概略ぐらいは知っとるんやな?」
宏に問われて、一つ頷くナザリア。流石に略歴ぐらいはそらんじる事が出来なければ、巫女などとは恥ずかしくて名乗れない。
「ほな、聞くけど、このオアシスの底に何か沈めたとか、そういう話はあらへん?」
「自分が知っている限りでは、その手の伝承はなかったと思う。ただ、この湖は神聖なる水をたたえているから、何か聖遺物の類が沈んでいてもおかしくはないかな」
「要するに、潜って見んと分からへんっちゅう事か」
「もしくは、イグレオス様に直接聞くか、だね」
宏の寄り道する気全開のコメントに、春菜が軌道修正するように意見を言う。流石に聖地同然の場所にある湖に潜るとか、余計なトラブルを引き寄せるどころの騒ぎではない。基本的に宏のやりたい事をやめさせようとはしない春菜だが、公序良俗に反しそうだったり現地の人間の神経を逆なでしそうだったりする時には、一応ブレーキをかけようとはするらしい。
「自分としては、必要があるならいくらでも潜ってくれて結構だとは思うけどね」
「必要があるかどうかが分からねえのに、いくらなんでも勝手に潜るのは駄目だろう?」
「というか、そもそも許可が下りるかどうかが怪しいと思うんだ、私」
達也と春菜の言葉に、反論の糸口を発見できずに苦笑する宏。宏自身、湖の底に何かありそうだとは思っていても、今すぐ調べなければいけない必要性が思い付かず、どうしても調べたいという衝動も湧いてこないため、地下遺跡の時のように強引にやろうという気が起こらない。
「まあ、一旦戻ってこれ調べるわ。場合によっちゃあ、またこのあたりとか向こうに見えてる島とか調べに来る事になると思うけど……」
「その時には自分に言ってくれ。その程度の許可、必要ならいくらでも出すさ」
「了解。とりあえず明日の面会の時に一応の調査結果は報告するわ」
「楽しみにしているよ」
ナザリアの言葉に軽く手を上げて、宿に戻っていく宏達。その後ろ姿を見送って、ついでだからと沐浴をしている人たちの方へ歩いていくナザリア。この時、真っ直ぐ神殿へ引き揚げれば、少なくとも彼女はこの後の騒動に巻き込まれずに済んだのだが、神ならぬ身の上で神殿以外ではまともにお告げを受けることも難しい巫女には、未来の事など知る由もないのであった。
「やっと戻ってきた!」
「どうした、そんなに慌てて」
「そりゃ慌てもするわよ!」
「師匠、達兄、春姉! エル達がさらわれた!!」
「はあ!?」
いきなりの急展開に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう宏達。色々無茶があるにもほどがある。
「ちょっと待って、落ち着いて状況説明して」
「せやせや。エルにもアルチェムにも色々渡してあるからすぐになんかされる事はあらへんはずやし、状況が分からへんかったら対応も出来へん」
真っ先に冷静さを取り戻した春菜の言葉に、宏が追従する。状況が分からない事には、どうする事も出来ない。
「まず確認やけど、どんな状況でさらわれた?」
「手続きを終わらせて帰る途中に、馬車ごと持って行かれたわ」
「っちゅうことは、ドーガのおっちゃんも一緒か?」
「ええ。セルジオさんと女王は神殿に残って別行動だったけど、プリムラとジュディスは一緒にさらわれてるわね」
手続きを終えて帰る途中、という事は、それほど時間は経っていないのだろう。予定では、巫女との面会時間やら何やらの打ち合わせに加え、ちょっとした見学もしていたはずなのだから。
「なるほどなあ。持って行ったっちゅうんはどういうやり方で?」
「巨大な竜みたいなのが、馬車を引っ掴んで飛んでいったのよ」
「そら、いきなり来られたら防ぎようはないなあ」
宏の言葉に頷くしかない真琴達。せめて澪が外に出ていれば、エクストラスキルで撃ち落とすと言う手段もとれたのだが。
「ちゅうか、それやったらすぐに通信で連絡くれたらよかったのに」
「通信が通らなかったのよ」
「用意周到やなあ……」
「むしろ、今までが大雑把過ぎたんじゃねえか?」
達也の指摘に、違いないと頷くしかない宏と春菜。ダールでの推定バルドの行動は、計画性という単語とは明らかに無縁だったのだから。
「とりあえず、これで状況は分かったな」
「この様子やと、下手したらナザリアもさらわれとるかもしれへんなあ」
「そうだな。その前提で動くか。女王達は?」
「まだ向こうよ」
真琴の説明と同時に、騎士が宿にかけ込んでくる。
「伝令! イグレオス様の巫女・ナザリア様が巨大な竜に連れ去られた!」
「やっぱりか」
「多分、外に出とったからやろうなあ……」
「とりあえず、この後どうするにしても、問題は一つ」
もう一度気持ちを落ち着けるために、再び春菜が状況整理に話を持って行く。事が起こってしまった以上、慌てても騒いでも事態が好転する事はない。
「どこに連れていかれたか、それが分からないと何もできないよ」
「せやな。まあ、そう言うたところで、残念ながらこのあたりの地理に疎いからどう探してええか、皆目見当もつかんのやけど」
必死になって冷静さを保ちながら、どうにもできない壁にぶち当たった事で内心歯噛みする宏と春菜。身近な人間がさらわれたという状況で、二人とも本当の意味で冷静で居られるほどには老成している訳ではない。
「とりあえず、連中が飛んでいった方向を地図と照らし合わせて、逃げ込みそうな場所を検討しましょう」
「それしかねえだろうな」
真琴の提案を受け、この一帯の大まかな地図を広げる。それを見ながら、ああでもないこうでもないと検討しつつ、何かに微妙に引っかかっている感じが拭えない一同。そう、何かを見落としているのだ。
「ちょっと待ってや! 考えてみたら、エルがおってさらわれたまんまっちゅうんは、おかしいやん!」
「えっ? あ、そっか!!」
「ファーレーン王家の転移魔法!」
宏の一言で引っかかっていた事が分かり、検討内容を変える。ファーレーン王家の特殊転移魔法で転移できないのなら、その場所は異界化しているはずだ。
「そうなってくると、一番確率高い場所は……」
「まず間違いなく、陽炎の塔しかないわね」
「分かりやす過ぎて、ミスリードが心配なレベルやで」
「問題は二つ。どうやって行くかと、空振りだったらどうするか」
澪の指摘に、思わず黙り込んでしまう一行。陽炎の塔には一度も行っていないため、転送石も転移魔法も使えない。車で行くにしても最短コースは道が分からず、街道を通るとなると結構な遠回りになる。しかも、どうにかして最速で陽炎の塔へ移動したとしても、空振りだったら次の候補地を絞り込んで突撃する時間があるかどうかは微妙なところだ。
さらに大きな問題なのが、冒険者資格が足りない事。特別許可をもらえると言っても、まだノートン姉妹の護衛期間が終わった訳ではないため、現時点では彼らだけでは入る事が出来ない。誰か通行許可証代わりになってくれる人が必要なのだ。
「せめて、なんか絶対やって胸張って言える確証が無いと、無茶通すにゃ厳しいか……」
「あくまでも適当に分析した上での推測でしかないからなあ……」
犯人からの要求も無く、連絡も取れない。その状態でなんだかんだで既に三十分以上は経過している。焦りは募るが、動くに動けない。そんな膠着状態を、能天気な声が打ち破った。
「伝令~、伝令~」
「Q2~、Q2~」
「ツーショットダイヤル~」
「違法スレスレ~」
「高額請求~」
「やかましい!」
突如転移してきたオクトガルの集団が、例によって例の如くよく分からない伝言ゲームを続けながら宏達を取り囲んだのである。
「電報~、電報~」
「チチキトク、スグカエレ~」
「サクラチル~」
「今はそう言うネタはいいから、連絡事項をさっくり言う」
あくまでも伝言ゲームを続けようとするオクトガルを、澪がバッサリ切り捨てる。ネタとヨゴレに存在意義を見出しつつある澪だが、さすがにこの状況でそっちに付き合う気は一切ないらしい。
「連絡事項~、連絡事項~」
「エルちゃんとチェムちゃんが、陽炎の塔に捕まっています~」
「現在敵はのたうちまわっていますので、救出作業をお急ぎください~」
「以上、オクトガルからの連絡でした~」
澪にバッサリ切り捨てられて、正直に必要な連絡だけをさっさと済ませるオクトガル達。それを聞いて、推測が正しかった事を知る一行。こうなると、あとはやる事は一つだ。
「行き先が確定したなら、装備を整えて出撃よ!」
「通行手形はどうする?」
「塔のそばまで行けるんやったら、一応やりようが無い訳やない」
「いや、その必要はない」
出撃準備を整えながら陽炎の塔にどうやって入るかを検討していると、戻ってきた女王陛下が口を挟んで来た。
「妾が通行手形になろう」
「ええんですか?」
「これでも女王だからのう。それぐらいの権限はある」
「ほな、後の問題は一つだけや」
ポールアックスとジャイアントモールだけでなく、何を思ったのかツルハシまで準備した宏が、オクトガルの方を見ながら最後の問題を確認する。
「なあ。自分らこの人数を連れて陽炎の塔まで転移できるか?」
「できるの~」
「でもお腹がすくの~」
「ほな、まずは先払いでロックワーム肉使うたミミズバーガー、全部終わったらたこ焼き食べ放題出すわ」
「了解~」
「商談成立なの~」
鞄から山盛り取り出したミミズバーガーを前に、嬉しそうに飛び回るオクトガル達。その動きが収まるまでの間に全員の準備状態を確認し、準備が整ったところで声をかける。
「ほな、こっちは準備完了みたいやし、悪いけど運んだって」
「りょうか~い」
「あ、連絡忘れ~」
「チェムちゃん達は最上階~」
「何とかは高いところが好き~」
「予想通りやな」
オクトガルからの追加情報を聞き、それだけのコメントで切り捨てる宏。この状況で十五階のうちの四階だの八階だの中途半端な階層に陣取られても困る。
「転移するの~」
「頼むで! いざ、カチコミや!!」
珍しくこういうことに対して妙にやる気、と言うよりむしろ殺る気満々の宏に引きずられ、やけに気合が入る春菜達。ダールでの大事件は、発生と同時に一気に佳境になだれ込むのであった。
一方その頃、陽炎の塔の最上階では。
「この忌々しい歌を止めろ!!」
二人のバルドが部屋全体に響き渡る春菜の歌にのたうちまわりながら、エアリスが女神の力を借りて張った隔離結界を狂ったようにたたきつづけていた。
「あらあら、本当に効きますね」
「なんだか、見事に瘴気が薄くなっていっている気がします」
安全圏からバルドの様子を見守っていたエアリスとアルチェムが、春菜の歌にのたうちまわるバルド達を興味深そうに観察する。現在流れている曲は般若心経・デスメタルアレンジ。春菜の声質では一見迫力不足を疑いそうになり、その癖実物は妙な迫力があるという何とも言い難いアレンジである。
「本当に不思議です」
「姫巫女殿は、何を不思議がっておられるのかな?」
「いえ、ファーレーンにいた時にこの人たちの身内と戦いになったのですが」
「ふむ、それで?」
「あの時はハルナ様の生歌でも、ここまでの影響はなかったのです。なのに今回は確実に色々な物が数段落ちるこの魔道具を使った歌だというのに、あの時より効果が大きいのが不思議だな、と」
現在進行形で命の危機にさらされているというのに、ずいぶんと余裕を感じさせるコメントを告げるエアリス。実際、エアリス自身には割と余裕がある。そもそもエアリスとアルチェムの合わせ技でこのフロア全体に聖属性攻撃増幅のフィールドを張っている上、ダンシングエッジの改良版に霊布を使ったミサンガで防御面は万全、攻撃に関しても最上階で果てた冒険者たちの魂を味方につけ、数の暴力で拮抗させる準備は整っているのだ。さらにいざとなれば、アルフェミナをこの身に降臨させて、時空系の大技で最上階ごと連中を屠るという選択肢もある。
もっとも、アルフェミナの降臨は本当に最後の手段だ。降臨している間アルフェミナ自身が身動きが取れなくなるだけでなく、エアリスもかなりの消耗を強いられるからである。
「エアリス様もアルチェム様も、実に余裕が御有りですね……」
「救助の当てがありますし、切り札も何枚かありますもの。ねえ、アルチェム様」
「ですよね」
妙に余裕がある巫女二人に、歯の根をカチカチ打ち合わせながら絞り出すように声をかけるジュディス。エアリス同様、アルチェムも結構余裕がある。アランウェンからの連絡があり、いざという時はこの塔で果てた冒険者たちの魂に呼び掛ける、その手助けをしてくれる事になっている。その程度の時間なら、ドーガの防御技術とエアリスのダンシングエッジ、そしてアルチェム自身が身につけた障害魔法も使えば余裕で稼げる。
「まったく、それだけの能力を身につけられた、というのは素直に羨ましいよ」
「本当です。私など司祭だといったところで、大した魔法も使えません」
「自分など、巫女という名をもらっているというのに、神殿から出たら一般人と大差ない。まったく情けない話さ」
やたらめったら余裕の二人を見て、同時にため息をつくダール出身の三人。もっとも、この余裕の源には、宏が作ってくれた各種アイテムによる部分も大きい。ドーガなど、宏達がダールに出発する前に置き土産と称して、魔鉄製のプレートメイルと大槍、大盾の三点セットを用意してもらっていた。キーワード一つで装着できるそれは馬車が持ち上げられた時点で既に展開されており、やたらいかつい存在感を持ってバルド達を牽制している。
「まあ、嘆いていても仕方が無いから話を戻すとして」
「歌の事ですか?」
「ああ。生歌を聞いた事が無いから分からないが、正直これでも十分素晴らしい歌に聞こえる。だというのに、本物より劣るというのかい?」
「ええ。数段落ちます」
般若心経ゴスペルを聞きながら、胸を張ってきっぱりと言い切るエアリス。歌詞の意味はまったく分からないながらも、百人聞けば百人が素晴らしいと言い切るであろうその歌声。だが、本物を聞いた事があるエアリスには、間違いなく生歌の方が数段素晴らしいと言い切れる。因みに、アルチェムやドーガ、果てはノートン姉妹まで同意見である。
「だというのに、生歌よりこちらの方が効果がある、というのであれば、歌の種類に違いがあるのかもしれないね」
「歌の種類、ですか?」
「ああ。歌そのものか、もしくは歌詞の内容が瘴気を払うのに強い力を持っている物であれば、もしかしてそう言う事もあるかもしれないさ」
「ああ、なるほど。そうですね」
ナザリアの考察に、ひどく納得するエアリス。エアリス達は知らない事だが、ナザリアの考察は大正解だったりする。今流れている曲は全て、生歌だともっと強力な効果があった。いくつかの聖歌など、春菜が本気で歌った瞬間、音が届く範囲全ての瘴気が一瞬で根こそぎ浄化されてしまったぐらいである。
浄化効果こそ聖歌に一歩譲るものの、般若心経ゴスペルはその分悪魔とかその類に対する浸透能力が非常に高い。実際に邪神像に聞かせた時、一番影響が大きかったのが般若心経ゴスペルだったのだ。
宏達はわざわざ実験も考察もしていないが、どうやら西洋の神聖なるものと東洋の神聖なるものの合わせ技で、妙に効果が強くなっているらしい。般若心経シリーズを歌った時は春菜が自棄を起こして半ばふざけていたが、もし本気で歌っていたらバルド達の苦しみ方は、この比ではなかったであろう。
「あら、そろそろ魔力のチャージが切れます」
「一旦そちらをオフにして、こっちを起動しましょうか」
「お願いします」
アルチェムの提案に頷き、曲が終わったところを見計らってスイッチを切る。魔道具の魔力が切れたと見てにやりと笑い、今度はちゃんと力の入った一撃で結界を粉砕してやろうとバルドが拳を振り上げたところで、アカペラながら恐ろしく荘厳な聖歌があたりを圧倒する。再び流れた浄化作用の強い曲に、またまた地面をのたうちまわるバルド達。
「本当によく効きます」
「ハルナ様が来て下さったら、この場で生歌をリクエストするしかありません」
「実に楽しみだ」
なかなか鬼畜な事をさえずる巫女三人に、憤怒の表情を向けながら唸り続けるしかない二人のバルド。いっそ命を削ってでも最終形態になって、さっさとこいつらを踏みつぶしてしまうべきかと考え始めたところで、塔全体を恐ろしい震動が襲う。
「きゃあ!!」
「な、何事ですか!?」
「あ~、救助が来た、そうです」
「宏ちゃん達到着~」
「ピッチャービビってるぅ~」
ノートン姉妹の疑問に答えるように、タコつぼの中で大人しくしていたオクトガルが能天気な声を上げる。大人しくしていたのは空気を読んでいたからとかそんな高尚な理由ではなく、単にオクトガル通信で助けを呼んでいたからにすぎない。
「思ったより早かったのう」
「私達が連れて来たの~」
「たこ焼き食べ放題~」
「なるほど、便利じゃのう」
オクトガル達の回答に納得し、威圧しているだけでリラックスした姿勢を取っていたドーガが、臨戦態勢に入る。
「さて、この分じゃと、ボス戦は前回よりはるかに拍子抜けしそうじゃのう」
さらわれてダンジョンの最奥という悪条件のはずなのに、妙に漂いまくる楽勝ムード。その状況に微妙に呆れながらも、一切油断せずに大技の準備を整えるドーガであった。