第6話
「まいったもんやなあ」
「困りましたね……」
出だしからの性格が悪いとしか言いようがない展開に、のんきにぼやく宏と深刻な顔をするアルチェム。この状況でエロトラブルに巻き込まれてしまうと二重の意味で命が危ないため、宏は慎重にアルチェムとの距離を取っている。
「ヒロシさん、連絡はつきましたか?」
「そこは問題あらへん。ただ、見事に二人ずつ分散させられたみたいでな、なかなか難儀な感じになっとる」
「難儀なことになってるって……」
言葉の割に深刻さを感じさせない宏の口調に、思わず眉をひそめてしまうアルチェム。普通に考えれば、こういう形でパーティを分散させられてしまうのは、割と致命的な状況のはずである。いくらアランウェンの指示があったとはいえ、足手まといだと分かっていて無理やりついてきた自分が何かあるのは許容するつもりはある。故に自分が危ない目にあうのはいいとしても、他のメンバーがいくら自分よりはるかに経験豊富でも、こんな風に分散させられた状態ではその実力を十全に発揮する事は出来ないのではないか。そちらの方が心配である。間違っても、こんな風にのんきな会話をしているような状況ではないはずだ。
ダンジョン化した森に突入した瞬間、彼らは見事に分散させられていた。空間を捻じ曲げてのやり口ゆえ、現在位置すら分からないと言うなかなかに洒落にならない状態だと言うのに、宏はさほど焦った様子を見せない。それが不思議であり、どうにも理解できないアルチェム。そんなアルチェムをなだめるように、宏が口を開く。
「分散させられてしもたんはどうしようもないんやから、深刻ぶってもしゃあないで」
「でも、ここはダンジョンなんですよ?」
「ダンジョンやわな」
「出口も分からない上に、私は完全に足手まといですよ? 悔しい事に、きっとヒロシさんの足を思いっきり引っ張ります。それに他の皆さんだって、このままだと危ないんじゃ……」
「ようある話や」
そう。パーティを分散させるトラップなど、実によくある話なのだ。ついでに言えば、レベルの低い誰かと一緒に行動している時に限って分散のトラップに引っかかる程度のことは、それほど珍しくはない。敵の強さが分からないため、あまり楽観的に構える訳にもいかないのは事実だが、連絡が取れる状態で分散させられた事に焦っても仕方が無い。連絡を取り合って、近接戦闘がほとんどできない達也と連絡手段が無く実力に劣るアルチェムが一人だけ孤立した状態で飛ばされる、と言う最悪の事態だけは避けられた事を確認している。それが分かっている以上は、落ち着いて行動する事がこの場合一番重要だ。
多分、アルチェムもそんな事は言われなくても分かっているだろう。だが、生まれて初めて突入したダンジョンで仲間たちと無理やり引き離され、戦闘面ではどこまで頼りになるかよく分からないヘタレ風の男とペアを組まされると言う状況で、落ち着けと言われても難しいのは仕方が無いだろう。
宏の方もそれが分かっているので、不安を訴えるぐらいは聞き流している。そのままのれんに腕押しといった風情の会話を続けてアルチェムをクールダウンさせながら、もう一度周囲をぐるりと見渡してぽつりとつぶやく。
「それにしても、難儀な感じやな」
「何度も言わなくても、分かってます」
「いや、多分自分が考えてるんと僕が言うてるんとでは、難儀の種類が違うで」
不思議な事を言い出す宏に、ただ嘆いているだけだったアルチェムが怪訝な顔をする。そんなアルチェムの態度を確認し、話を続ける事にする宏。
「多分、このダンジョンは普通に通路の構造が変わるタイプや」
「えっ!?」
「まずくせもんなんが、壁も天井も木と蔦で出来とる、っちゅうところやな。足元も雑草が生えとって地面が見えん。石壁とかレンガの壁がずっと続くんも大概やけど、この光景も大概自分の現在位置が分かり辛い」
「そうなんですか?」
「せやねん。仮に動かへんかったとしても、少なくとも普通の人間の目やと、景色の違いをはっきり認識・記憶するんは厳しいやろうと思うで」
ずっと森に囲まれた村で暮らしてきたアルチェムにはピンとこない事を言いながら、壁の状態やら何やらを慎重に確認する宏。宏が安心と信頼の十フィート棒で壁を軽くつついた瞬間、つつかれた蔦と枝がもぞもぞ動き始める。
「予想通りやな」
「動きましたね……」
「これで、構造が変わる、っちゅうんも確定したやろ?」
「はい」
「こんだけ動いたら、目印つけるんも無意味や」
宏の言葉には、頷く以外の選択肢が無い。多分というかほぼ確実に、地面に矢印などを刻んでもすぐに消えてしまうだろう。
「ついでに言うたら、最初が最初やから、ワープの類が無いとも言い切れんねんな」
「ですよね」
「と、言う訳で、や」
何やら結論を出したらしい宏が、ポールアックスを構えて壁の前に立つ。
「馬鹿正直に通路通ったる理由も薄いし、一番瘴気が濃いと思われる場所にまっすぐ突っ込んでいくんが、いっちゃん手っ取り早い」
「はいっ!?」
「往生せいやあ!!」
アルチェムが素っ頓狂な声を上げたのを華麗にスルーし、腰の高さで薙ぎ払うように豪快にポールアックスを振るう。腕力向上の補助魔法によって多少とはいえ強化された腕力で振るわれた、爆熱の簡易エンチャントを乗せた斧刃によるスマイトは、その過大な破壊力で豪快にダンジョンの壁を叩き斬り、燃やし、爆発させて吹っ飛ばす。
「ほな、行こか」
過剰な破壊力により、普通に人二人ぐらい通れる大きさの穴が開いた壁を指さし、何事もなかったかのように平然と言ってのける宏。見た目の派手さや結果のすさまじさとは裏腹に、普通のモンスター相手だとワイバーンやケルベロスはおろかピアラノークに対してもそれほど大きなダメージにならない攻撃ではあるが、対物破壊という観点では他のメンバーの追随を許さない荒技である。今回は斧の攻撃が効きやすい樹木系だった事もプラスに働いた。
なお、今回の最大のポイントは、ダンジョンの壁を破壊するなどという力技をやらかしたくせに、宏が全く消耗していない点であろう。
「あ、あの……」
「ん?」
「あれって、ありなんですか?」
「やって出来た、っちゅう事はありなんやろう」
アバウトな宏の返事に、何をどう言い返すべきなのか分からずに、なんとなく耳を倒したような感じでため息をつくアルチェム。性的な面では無防備で常識に欠ける上にかつエロトラブル発生体質のくせに、それ以外の部分では妙に常識的な少女である。
「なんにしても、こんだけぎっしり木とか蔦とか生えとったら、何ぞ珍しい素材の一つや二つ生っとるやろう」
「あの、目的が変わってませんか?」
「さて、ガンガンいくで! 素材が僕を待っとる!」
アルチェムの突込みを無視してそう一声吠えると、隣の部屋の壁に突撃をかける宏。そんな森の民であるエルフとしてはあまり許容したくない行動をとる宏に呆れつつ、他に迷わず進む方法がなさそうだと何処となくあきらめをにじませながら、仕方なくと言った感じで後をついてくアルチェムであった。
「邪魔っ!」
カブトムシを一息でばらばらにし、少しでも瘴気が濃い方へと急ぎ足で進む春菜。珍しい事に、誰がどう見ても今の春菜は焦っていた。
「おい、落ち着け!」
「でもっ!」
「心配するのは分かるが、ヒロもそう簡単にはやられねえよ」
「そっちを心配してるんじゃない!」
新たに飛んできた大型のスズメバチを視線も向けずに切り捨て、感情的に叫ぶ。どちらかと言わなくとも穏やかな気性で、あまり感情的に叫ぶイメージの無い春菜が声を荒げるのを聞き、思わず内心で唸ってしまう達也。
「まあ、ヒロとアルチェムの組み合わせってのは、確かに不安をそそるのは分からんでもないが……」
「あの組み合わせで戦闘中にアルチェムさんのあれが出たら!」
「だから、言わんとしてる事は分かってるから落ち着け」
基本的に年長だからこういう役割を求められる達也だが、大抵の場合は一緒になだめる側に回るはずの春菜をこうやって落ち着かせないといけない、というのは想定外の大珍事だろう。年齢からするとかなり達観していて落ち着いている春菜だが、こういう部分はやはりまだまだ未成年だと言う事が分かってほっとする半面、この状況で分かってもありがたくないという気持ちもある。
「まず、今回のこの状況は、どうやっても回避できなかった。これはいいな?」
「……うん」
「で、だ。状況や条件を考えれば、そもそも孤立しなかっただけマシだ。あいつは確かに凄まじくタフだが、まだまだ火力は足りねえ。ダメージは受けないにしても、単独だと数に押されて立ち往生しかねない。だから、攻撃役としてアルチェムが一緒なのは、考えようによっちゃ運が良かった」
「……そうかな?」
「弓が新しくなった分、単純な攻撃能力なら澪より上だからな。防御周りに難があるからトータルの戦闘能力じゃ俺らにはかなわんにしても、純粋に火力があるから澪と組ませるよりは条件がいい」
春菜が懸念している事に対しては、何の慰めにもなっていない要素で彼女をなだめようとしている達也。だが、アルチェムが持つ宏に対しては致命的な性質というやつは、この状況では誰と組んでいても致命的なのだ。宏にとって特に相性が悪いと言うだけで、二人一組でダンジョン内でエロトラブル発生、などという状況では、誰と一緒でも共倒れになってもおかしくないのである。
「最初から、そこはあまり心配してないんだけど……」
「もう一つの要素に関しちゃ、余程の偶然で運よく俺とあいつが組むことになったケース以外じゃ、誰と組んでも同じだよ。アルチェムが特にそう言うトラブルを起こしやすいってだけで、他の女が似たような事をやらかさないと言いきれる訳じゃねえ」
「なんか、すごくひどい事言われてる気がするんだけど……」
「実際のところ、ハンターツリーあたりに不意打ちされたら、お前でもあんまり人様にお見せ出来ない格好で捕まる可能性は、結構高いだろう?」
「……まあ、そうかな?」
他にも、宏にとっては格好の素材製作手段であるジャイアントスパイダーなんかも、下手に巣にかかってしまえばこれまた人様にお見せ出来ない格好で絡まってしまう可能性は十分にある。イソギンチャクタイプのモンスターやスライムあたりも、子供が手を出してはいけない漫画やゲームなんかでは定番だ。ファンタジーというやつは、そう言う方向で注意すべき生き物は結構種類が豊富なのである。
「そう言う訳だから、焦ってもしょうがねえ。むしろ、俺らがそう言う状況になったら、あいつらを助けに行くどころじゃなくなるんだからな」
達也に言い聞かせられ、不承不承という感じで頷く春菜。どうにも違和感がぬぐえない状況に、心底困ってしまう達也。どうやら当人達の自覚が皆無なだけで、春菜は予想以上に宏に入れ込んでいるらしい。エアリスといい春菜といい、その男の趣味はどうなのかと言いたくはなるが、蓼食う虫も好き好きだ。そこに文句を言っても無駄だし、そもそも妻帯者の自分が変に口を挟むと、ロリコンの称号に加えて浮気の疑いをかけられると言う二重に避けたい状況になりかねない。故に、男の趣味云々に関しては自分からは口出しする気はない。
が、自身の感情を制御できず、無謀な事をするなら話は別だ。思い付く限りのやり方で頭を冷やさせなければいけない。そうしないと、この場合春菜だけでなく達也も道連れにされてしまう。
「それにしても、なあ……」
「何?」
「澪あたりが暴走する可能性は想定してたが、まさかお前さんがここまで焦るとは思わなかったぞ」
「そりゃ、ずっと一緒にやってきたパートナーが危ないと思ったら、焦りもするよ」
「そう言う種類の焦り方に見えなかったから、想定外だったんだよ」
微妙にうんざりした顔で、この際だからついでに刺せる釘は刺しておこう、などと考える達也。春菜の事だから、一度納得すればある程度自身の感情をコントロールできるだろうし、無意識のうちに宏にとって致命的な事をやらかして、色々こじらせてしまうのも厄介だ。
「達也さんから見て、どういう風に見えてたの?」
「言っちまっていいのか?」
「遠慮なく言って」
「そうだな。手ごわい恋敵に男を取られそうになって、でもどうにもできなくて焦って空回りしてる女、って感じだったぞ。いや、むしろ自分のものだったはずの男を持ってかれた、っつうか、依存してる相手がどこかに行ってしまいそうな恐怖に怯えてる小娘、ってところか?」
「えっ?」
かなり予想外の事を言われ、思考が完全に停止する春菜。そんな状態でも飛んできたハエ型モンスターを反射的に切り捨てるあたり、なかなか人間離れした能力を持っている女だ。
「別に、それが悪いとは言わねえよ。恋愛結構、青春結構。ヒロはあんなだし、お前さんはもてそうな割にそっち方面は疎いみたいだから、むしろそういう話が出てきたのは大いに結構なことだ」
「……」
「が、惚れた腫れたで平常心をなくすと、恋でもそれ以外でも碌な事はねえ。あいつの事もあるからお前さんの恋は出来るだけ応援するが、その結果がどうであれ、俺達もヒロも、お前がいないといろいろまずい。無論、それはこの場にいない真琴や澪にも言える事だがな」
思考がまとまらないらしく、完全に沈黙してしまった春菜に対して淡々と説教というか演説というかを続ける達也。今までが今までだったために、自身がこういう事を言われるのは初めての春菜は、空回りする思考と感情をもてあましていた。大抵の事は理性的に処理してきた彼女にとって、経験した事のない状態である。
「結局、最後に結果を出せる奴は大抵、どんなに感情を高ぶらせてもどこかに平常心を維持してるもんだ。漫画とかでもよくある台詞だが、頭はクールに、ハートは熱く、ってな」
「達也さん、他人事だと思って簡単に言うよね」
「他人事だからな。第一、今までお前さんはそれが出来てたんだ。今回だけ出来ねえとは言わせねえぞ?」
気軽にあっさり春菜の苦情を退け、いつの間にか何処から這い出てきたアブラムシっぽいモンスターの群れを炎の壁を立てて全部焼き払う。奥の穴から更に出てこようとしている連中は、とりあえずファイアーボールを穴の中に叩き込んで爆発させて一気に追い立て、途切れたと思われるところでグランドナパームで全滅させる。延焼とかそういう問題について一切考えない荒いやり口だが、これでもダンジョンが燃える事はないという確信のもと行っていたりする。
「それで、だ。気がついてるか?」
「えっと、何が?」
「お前、本気で色々キてたんだな……」
「うっ……」
無理やり力技でとは言えど、どうにか頭を冷やすことに成功した春菜としては、達也が言わんとしている事は正直耳が痛くて仕方が無い。まだ心の中で焦りはくすぶっているが、そんな状態でもさっきまでの自分は流石にないと断言出来てしまうのだ。
「ちっと振り返ってみろ」
「ん」
達也に言われ、背後を確認する。答えは一目瞭然。
「道がふさがってる?」
「おう。どうも、さっきからちまちまと構造を変えて来てるらしい。マッピングは無意味だと思っていいだろうな」
「って事は、敵の強さはともかく、構造としてはかなり厄介なダンジョン?」
「そうなるな。ちょっと方針を考え直した方がいい」
達也の言葉に頷き、足を止める。どうやらこの区域のモンスターは先ほど焼き払ったのもので全てらしく、新たに何かが出現する様子はない。
「考え直すのはいいけど、どうする? 選択肢としては、このまま瘴気の濃い方に向かうか、あえて回り道をするか、ぐらいだけど」
「そうだな。と言っても、結局最終的には瘴気の濃い方に行く事にはなるとは思うが」
「じゃあ、このまま瘴気をたどっていく?」
「当座はそれでいいか。三つぐらい分岐を抜けたら、もう一度考えよう」
「了解」
達也の言葉に従って方針を決め、とりあえず次の三叉路まで進んで行く。二人が通り過ぎた後には、派手にやられ過ぎて素材の剥ぎ取りどころではない状態の死骸が大量に残されるのであった。
「さて、面倒なことになったけど、どう見る?」
宏が壁をぶち抜きにかかり、春菜が焦りに支配されていた頃、真琴と澪は最初に飛ばされた広場から動かず、腰を据えて話し合いを始めていた。
「個人的には、師匠より春姉が心配」
「その心は?」
「アルチェムとセットは、春姉にとって地雷」
予想外に冷静な澪の言葉に、思わず納得しつつ感心する真琴。温泉で宏と鉢合わせしたあたりから、春菜が地味にアルチェムを警戒していた事には気が付いていた。正確に言うなら、宏とアルチェムが一緒にいるときは、だろうか。春菜の立場なら、複数の意味で妥当な態度であろう。
「でもさ、あの二人の組み合わせって、春菜でなくても色々不安はあるわよ?」
「戦力的には問題ない。エロトラブルはむしろ、師匠のリハビリ」
「いやいやいやいや」
あまりにもえげつないと言うかひどい事を言い出す澪に、ノーカウントで突っ込みを入れる真琴。流石にあれは、宏のリハビリには少々刺激が強すぎるのではないか、という気がひしひしとする。
「真琴姉、いい加減多少の性的な要素を含む突発的な物理的接触ぐらい役得程度でスルーできるようにならないと、師匠のために良くない」
珍しく難しい単語が並んだ長文でえらい事を言いきる澪に、思わず頭を抱える真琴。暗殺者の時に大量に刺した釘が、ちっとも意味をなしていない感じだ。
「あのさ、澪」
「急ぐなって言うのは分かる。でも、今いる世界はファンタジー」
「だから?」
「スライム、ローパー、サキュバス」
「なるほど、言いたい事は分かったわ」
出てこないとは限らず、出て来てしまうと展開的に色々とまずい事になりそうなモンスターを列挙され、思わず深く納得してしまう真琴。特に一番最後のはヤバい。危険だ。場合によっては発禁になる可能性すらある。
「確かに定番ね、いろんな意味で」
「分かってくれたらいい」
「てか、澪。あんたその歳でその手のネタを平然と口にできるって、一体今までどんなものに手を出してきたのよ?」
真琴の厳しい突っ込みに、視線を明後日の方向に向けてタバコを吸う仕草をして誤魔化す澪。はっきりと断言しよう。いくらなんでも、中学一年生女子がその手のネタに詳しいと言うのは、いろんな意味で間違っている。しかも、澪の口調からは間違いなく、十八歳未満御断りの、いわゆる本番シーンがばっちりねっとり描写されている物に手を出していると断言できる。いくら向こうでは半身不随だったとはいえ、親御さんはこの娘に好き放題やらせ過ぎなのではないだろうか?
「これで通じる真琴姉も大概だと思う」
「あたしはもう成人してるからいいのよ。っていうかむしろ、うちのメンバーで通じないのって、春菜ぐらいなんじゃないの?」
地味にオタク率が高い日本人メンバー。もっとも、いくらVRMMOが市民権を得て、オタク扱いされないレベルの一般人が普通に触るようになったと言っても、ネットゲームに手を出している人間というのがそれほど低くない確率でオタク系の趣味を持っているのは彼らの世界でもそれほど変わらない。むしろ、ゲームや漫画などにそれほど興味が無い春菜が、サービス開始から続けている方が意外なのだ。
とは言え、確かに春菜はあまりオタク系のネタは通じないが、そう言うネタに嫌悪感を持っている訳ではない。下ネタや性的な話題に対しても、過度に食いつく事もなければ潔癖にはねのける事もなく、ほどほどの感じでスルーしている事が多い。ついでに言えば、男女関係なくそういう類の本やら写真やらを持っていたり、そっち方面に興味を持っている事に対してはそういうものだと流している、色々な面で実によくできた娘さんなのである。
「だったら、ボクだけ文句を言われる筋合いはない」
「高校二年ぐらいならある程度黙認もするけど、あんたこっちに飛ばされる直前ぐらいまで小学生だったでしょ?」
「性に対する好奇心に、年齢は関係ない」
「その代わり、一定の倫理観は必要だって分かって言ってるでしょ……」
何というか、いろんな意味で将来が心配な娘さんである。半身不随というのもそうだが、それ以上に奇跡的に障害がすべて快癒して社会復帰しても、碌な道を歩みそうにないところが。
「てか、前々から思ってたけど、あんた絶対、あたし達をギャルゲ的分類で評価してるでしょ?」
「……」
真琴の指摘に対し、またも明後日の方向を向いてタバコを吸う仕草で誤魔化そうとする澪。この時点ですでに駄目駄目である。
「大方、春菜の事もサービス担当だとか実は恋愛的にはかませ系だとかそう言う評価してるんじゃないの?」
「サービス担当はアルチェムで、かませ系は現在未登場」
「やっぱり分類してるんじゃない」
「……」
語るに落ちた澪に、厳しい突っ込みを入れる真琴。とことんまで話題が逸れている事には気が付いているが、ここでうやむやにすると今後に響きそうだと考え、あえて逸れたまま限界いっぱい追及を進めることにしたらしい。なお、語るに落ちた澪は明後日の方向を向きながら鳴らない口笛を吹き、それでも誤魔化せそうにないと知ると、怪しげな太極拳的動きをして別の突っ込みを誘おうと奮闘している。
澪が突っ込み待ちでやっている動作はおそらく、十二の切なさをテーマにしている割には前日譚の小説はともかくゲーム本編は何が切ないのかいまいち微妙だった某ギャルゲーの、いろんな意味で伝説となっているオープニングのダンスと表現していいのかどうか不明な挙動であろう。正直なところ、彼らの時代では既にプラットホームとなったゲーム機自体が博物館以外に現存していないようなゲームのネタを持ってくるとか、年齢詐称でなければ一体何をどうすればこんなディープな世界に首を突っ込む事になったのか小一時間ほど問い詰めたいところである。
とりあえず一つだけ言うならば、多分日本人チームで一番の駄目人間は、最年少であるはずの澪で間違いないだろう。
「で、気が済んだ?」
「因みに、春姉は太古のギャルゲーのパッケージヒロインによくあった、セーブロードができるタイミングが一日とか一週間とかの周期のくせに、毎日五本以上のランダムイベントを発生させた上でこれまたランダム発生の必須イベントを全部消化しなきゃいけなくて、そのくせ他人のどんな雑魚いイベントでも一回発生したらゲームオーバー一直線って言うトラウマ量産型メインヒロイン」
「非常に納得できるのがなんか悔しいけど、開き直ってネタに走っても誤魔化されないわよ」
「理解出来る真琴姉も同類。というか、年齢詐称疑惑?」
「あたしはあんたほど詳しくないわよ。単に、所属してたギルドの最年長がちょうどそれぐらいの年代だったから、なんとなく話を聞いて覚えてただけ。って言うか、その疑惑はブーメランだからね」
突っ込みの矛先をどうにかそらせたと内心ほっとしている澪。だが、真琴の追及はこんなことでは止まらない。
「とりあえず言っておくけど、人間そんな簡単にギャルゲー的分類でくくれはしないし、あんたみたいな歳のガキンチョが十八歳未満禁止の作品に手を出すのは、あんたの親が許してもあたしが許さないからね」
「もう手遅れ」
「向こうに戻った時は、覚悟しなさい」
「話題作ぐらいは触りたい」
「どうせ大抵は少し待てば全年齢版が発売されるんだから、それまで我慢すればいいじゃない」
「どうやっても全年齢は無理な作品も……」
「そう言うのを触るな、っつってんの!」
駄目だこのちびっこ、早く何とかしないと。実際には人の事などこれっぽちも言えない真琴が、自分の事を棚にあげてそんな事を心に決める。とは言え、実際には双方ともに既に手遅れくさいのが、この業界の業の深いところであろう。
「というか、真琴姉。そう言う話はまた後で」
「誤魔化す気満々なのが分かってるのに、追及できる状況じゃないのが悔しいわね」
苦し紛れの澪の話題転換に、苦々しい顔で頷くしかない真琴。流石に、ダンジョンの中でわざわざ腰を据えてやるような話ではない。
「それで、真琴姉。この後の行動指針はどうするの?」
「その前に、まず戦力と状況の把握ね」
ダンジョン攻略に関しては、自分よりはるかにベテランである真琴に判断を全て丸投げする澪。
「一応確認しておくけど、あんたの探知範囲に他の人間はいないのよね?」
「いない」
「となると、最低でもキロメートルオーダーで離されてる訳ね」
高い感覚値と各種探知系スキルに裏打ちされた澪の探知範囲は、実に人間をやめた領域にいる。雑多な気配が入り混じるダンジョン内であっても、一キロ前後の範囲は特に魔法などを使わなくても精密探知が可能である。その澪が言うのだから、最低でも一キロ以上の距離を置いて分散させられたのは間違いないだろう。
「あと、あんたは回復系の魔法、使える?」
「辛うじてマイナーヒールだけ。師匠や達兄、春姉みたいに魔法攻撃力高くないから、はっきり言って気休め」
「具体的には?」
「最大回復量でなら、六級ポーションの平均回復量とどうにか勝負できるぐらい」
「それはドロップ品基準? それとも宏特製の奴で?」
「その中間ぐらい」
今の真琴や澪の能力で考えるなら、確かに気休めレベルではある。だが、ポーションは在庫に限界があり、中毒というリスクも存在する。第一、戦闘中にポーションを取り出して飲んだり浴びたりするのは、ペアでダンジョン攻略をするという状況ではかなり難しい。六級ポーションにやや劣るレベルとはいえ、出が速くクールタイムも短いマイナーヒールが使えると言うのは大きい。
「因みに、回数的にはどれぐらい使える?」
「一分間の魔力回復量で三十回ぐらい。回復を考えずに魔力を使いきるまで、だったら一万回の大台は超える」
フェアリーテイル・クロニクルの消費・回復は、基本的に全て固定値である。ものによっては一定範囲でランダムな数値が乗る事もあるが、各種リソースの最大値とは一切関係が無い。そして、いろいろな能力値で補正を受けた澪の回復力が1%に大きく満たない事を考えると、各種初級生産スキルの熟練度初期値でスキル行使六秒で1%、中級に上がる直前でも二分で1%と言うスタミナ消費はかなりひどい仕様である。
「それなら、気休めよりはマシって考えていいわね」
「あまりあてにされても困る」
「分かってるわよ。次に攻撃能力だけど、新しいスキルとかは取ってないわよね?」
「ん」
「なら、確認する事は特にないわね。武器も特に変えてないし」
「師匠ならともかく、普通はあんな短時間でハンターツリーを弓に加工とか無理」
ここら辺が初期組でかつマゾプレイを乗り越えて大きく育った連中と、中途組で他のスキルにも結構浮気している人間との超えられない壁であろう。澪はある種の特例で他の人間よりプレイ時間は長いが、それでも限界はある。
「となると、迂闊に瘴気が濃いところに突入するのも考えものね」
「他の組と比べると、HP以外のリソースが足りない」
「まあ、そこはあたしの経験と手札の枚数でカバーするしかないっしょ。それに、他の面子と違って、こっちにはシーフ系のスキルが充実してるって言うのも強みね」
「このタイプのダンジョンはほとんど潜った事が無い。あまり当てにしないで」
「それでも、中級以上を持ってるかどうかは大違いよ」
真琴の台詞に、今一つピンとこない様子の澪。誰しも、自分の事となると分からない物なのだろう。
実際のところ、真琴の言葉には何一つ嘘はない。シーフ系のスキルも生産スキル同様、初級と中級以上ではその有用度が極端に違う。初級で対応できる罠の大半は、素人が十フィート棒などを駆使すれば回避できたり解除できたりするものなのに対し、中級以上はそもそもその程度では誤作動させることすらできない物ばかりである。上級スキルともなると、魔法やら特定のモンスターやらが噛んだ嫌がらせのような罠ですら普通に発見・解除・設置出来るのだから、その有用性は計り知れない。
ただし、シーフ系のスキルは習得条件が面倒くさい上、システムアシストがあっても上手く出来ない人はとことん出来ないという性質上、生産スキルほどではないが結構な数の挫折者を生み出している。因みに真琴は初級の折り返しぐらいで止まっているが、これは挫折したからというより、このあたりで役割分担が決まり、彼女が罠を触る機会が激減したためである。
「で、このダンジョンについて、何か気がついた事はある?」
「壁がうねうね動いてる」
「本当?」
「ん」
真琴に聞かれて、十フィート棒で壁を叩いて見せる澪。叩かれてうねうね動く壁を見て、思わず顔をしかめる真琴。
「これはまた、面倒ね」
「うん、面倒」
「この壁、襲ってこないでしょうね?」
「そこは不明。ただ、襲ってくるんだったら今ので攻撃がきそう」
澪の言葉に頷く真琴。このパターンだと、襲ってくるのは多分、トラップとしてだろう。
「とりあえず、あたし達はリソースに不安があるし、瘴気の濃い方にまっすぐ突っ込んで行くのは避けた方がいいわね」
「遠回り、する?」
「する」
「じゃあ、こっち」
澪に先導され、瘴気がやや薄い方へと移動を開始する。流石に宏のように、壁をぶち抜いて一直線に移動する、という発想はないらしい。すぐに通路をふさがれて戻れなくなるが、最初から予想していたので大して慌てる事はない。
「さて、なにが出るやら」
「エロトラップだけは勘弁」
真琴の言葉に余計なコメントを添える澪。なんだかんだと言って、精神的には結構余裕がある二人であった。
一方その頃のファーレーン首都・ウルス。
「……ハニーに会いたい……」
ウルス城の片隅にある殺風景な小さな部屋。そこの主である微妙に表情に乏しい少女が、入って来たレイオットに対してそんな事を口走る。彼女はかつて宏に襲撃をかけ、アルチェムもかくやというエロトラブルにより撃退され、あっさり寝返った暗殺者の少女である。
「そうだな。そろそろ問題は無いか」
レイオットの顔を見るたびに同じ事を言う少女を見て、少し思案したうえで結論を出す。これまではいろいろ問題があって外に出せなかったが、前にレイナと組ませてカルザスに行く宏を確認させた時に特に問題が無かった事を考えれば、そろそろ野に放っても大丈夫そうである。
そもそも、広大なウルス城のこんな辺鄙な忘れ去られた場所に彼女を押しこめているのも、当初の状態ではいろんな意味で外に出すのに問題があったからで、決して彼女を飼っている事がばれてはいけないから、などではない。世間一般の常識どころか、人間が生活する上で決して破ってはいけない種類のルールすら理解しておらず、そもそも意思疎通にすらいろいろ問題を抱えていればそれも仕方があるまい。
それでも当初の予想と違い、基本的には実に従順で協力的で、定期的に食事とは違う意味での餌を与えておけばまず裏切る様子が無かったため、こっそり処分すると言う面倒な作業をする必要が無かった事は嬉しい誤算だったのは確かだ。その餌というのが、宏の使用済みのタオルだの食べ終えた魚の骨だのといった性癖的に理解不能なものだったのは、流石のレイオットといえども全力で引いたのは確かではあるが。
「いいの?」
「条件付きだがな」
どんなに表情が豊かな人間でも、彼女の目ほどに感情を表現出来はすまい。それほど目だけでダイレクトに感情をあらわにする彼女に、絶対に譲る事が出来ない条件を突きつけるレイオット。
「条件?」
「まず、許可なく直接的な接触をはかることは許さん」
「!?」
少女の顔に、絶望が浮かぶ。持ち上げられて即座に叩き落とされたようなものなのだから、しょうがないと言えばしょうがないかもしれない。
「何故……?」
「当たり前だろう。そもそも、お前が奴らに警戒されないとでも思ったのか?」
「思ってた」
少女の回答に、深々とため息をつく。とりあえず普通に街を歩いてもさほど浮く事は無くなったといっても、やはりまだまだそう言った感情的な部分については未成熟だ。正直、ファムやライムの方がはるかにそのあたりについてはよく分かっている。
「お前、自分があいつを殺そうとした事を忘れたのか?」
「……覚えてない」
「都合のいい頭だな……」
再び深々とため息をつくレイオットに、無表情のまま内心慌てる少女。彼女のために言うならば、別段嘘をついている訳ではない。あの日捕縛されて暗殺者ギルドを裏切り、情報を洗いざらい吐いて更に襲撃まで協力した後、そのご褒美として色々口では言えない事をしてもらったあたりで、そもそもなぜ捕まったのかとか、それ以前に何故王宮に襲撃をかけたのかだとか、そういった情報がきれいさっぱり飛んでいってしまったのだ。ヒロシの事がきっちり記憶に残っていたのは、それだけ刺激が強かったからか執着が強かったからなのか、そこは実に興味深いポイントであろう。
これについては実は、仮に捕まった時に暗殺者ギルドが足がつかないように仕込んであった仕掛けが、色々な要素が複雑に絡み合ってかなりタイミングがずれて発動したのが原因なのだが、仕掛けられた当人は当然そんな事は一緒に忘れ去っている。更に言えば、そんな内実に詳しい人間が王宮サイドにいるはずもなく、検査や尋問で発見出来るような仕掛けでもないため、誰一人として気が付いていない。
今確認を取れば、暗殺者ギルドについて自分がそこに所属していた事以外一切合財きれいさっぱり忘れてしまっている事が分かるだろうが、既に壊滅している上に当人は元々所在地関係以外は大した情報を持っていなかったため、もう一度蒸し返される事もなく今に至る。
当然そういう仕組みなので、一度記憶を消してしまえば仕掛けそのものが無くなってしまう。そういう意味では、彼女はいろんな意味でようやく人間としてスタートラインに立てたと言っていいだろう。スタートラインに立てた理由やその結果の状況については、子供の教育に悪すぎて正直あまり口にしたくは無い部分があるが。
「何にせよ、お前は元々ヒロシ、と言うよりはヒロシがガードしていたハルナとエアリスを殺すために、この城に侵入した暗殺者だ。ヒロシに撃退されて今に至る訳だが、そういう経緯を持っている人間を、そう簡単にあっさり信用するほどあいつらもお人よしではない」
「そんな……」
レイオットの言葉に、絶望したような表情になる少女。元々の表情の変化が澪よりはるかに少ないため、かえってその絶望度合いが大きく伝わってくる。
「心配せずとも、ちゃんと接触する機会を用意してやる」
「本当に?」
「ああ。というか、お前に与える役割を考えれば、いつまでも接触せずにというのは無理だろう?」
「役割?」
「後で説明する」
レイオットの言葉に、素直に頷く少女。疑問を持ってはいるが、話を聞いてからで十分だと判断しているらしい。こういう判断ができるのに、感情というものに関しての理解がほとんど無いあたりは、キリングドールという出自が関わるいびつさであろう。
「二つ目の条件は、余程の非常事態を除き、こちらの指令を最優先させる事」
「ハニーの命よりも?」
「状況によるな。奴らが自力でどうにもできず、かつお前が命令違反をすればどうにかなる範囲であれば、多少は目をつぶってもいい」
「分かった」
「もっとも、お前にそこまでの判断能力があるとは思えないが、な」
「ハニーとその仲間の命以外で、命令違反をする必要を感じない」
「だといいがな」
人としては明らかに駄目だろうという言葉をきっぱり言い切る少女に、軽く肩をすくめて答えるレイオット。そもそも、レイオットにとっては彼女は単なるおもちゃと大差ない。思ったより使い出があり、かついろんな意味で面白い事になりそうだから処刑をせずに色々教育しているだけで、何か問題が起こればとっとと切り捨てる事に全くためらいは無い。自分より宏を優先させる程度なら黙認してもいいが、致命的な裏切りをしてファーレーンに被害をもたらした場合、誰がどれほど懇願しようと即座に殺すつもりだ。
「まあいい。三つ目の条件は、何があっても我々とのつながりは口にしない事。宏をはじめとして幾人かにははじめから知らせてはおくが、お前からは絶対に口にするな」
「当然のこと」
「色に溺れてあっさり口を割った女の言葉など信用できんが、まあいいだろう」
「大丈夫。ハニーに触ってもらう以上に気持ちいい事なんて無いから」
「それが不安だと言っているんだがな……」
どうにも何処までも不安がぬぐえない台詞を聞き、思わずぼやくレイオット。確かにこのおもちゃは面白いのだが、同じぐらいいろいろと不安要素がある。
「最後の一つは簡単だ。知り得た情報は全て、こちらに逐一報告しろ」
とりあえず、少女の戯言を華麗にスルーして、最後の条件を指定する。
「ハニーはどんなプレイが好みかとか、メンバーの女が何処が一番感じるかとかも?」
「それを調べてどうするつもりなのかが気になるが、お前に情報の取捨選択をさせるとろくなことにならんだろうからな。その手の情報も全てよこせ」
「分かった。それで、私の役割は?」
「ダールに行って裏社会と接触、彼の国の最新の状況を調べられるだけ調べろ」
与えられた指示を聞き、再びショックを受けた表情を浮かべる少女。
「……エルフの村じゃ、無い……?」
「今からお前を送り込んだところで、行き違いになるだけだろうが。第一、お前は南部大森林地帯でエルフの村へ行く道を見つけられるほど、森林での行動は得意じゃないだろう?」
「現地で頑張る」
「今から頑張っても手遅れだ。第一、森の中など、連中の一番得意なフィールドだ。お前が加わったところで、足手まといにこそなれど、奴らに貢献できる事など無い」
きつい事を言われて、しおしおとしょげかえる少女。事実なので反論の余地が無いのが厳しい。
「だから、お前は奴らの弱い部分をフォローする必要がある。連中、裏社会に対しては伝手もなければ対応能力も低いからな。そう言う部分を補佐できるように、次の目的地であるダールに先行して行ってこい」
「……そう言う事なら」
「まあ、待て」
レイオットの言葉に納得の色を浮かべ、今すぐにでも出て行こうとする少女。先走る少女を呼び止めるレイオット。こんな様子で裏社会と接触などして大丈夫なのかと一見不安になるが、彼女を再教育した情報部の人間から聞くところによると、裏社会に接触するときは見事に冷徹な人間に切り替わると言う。元暗殺者というのは伊達ではないらしい。
「最低限の装備と路銀を用意してある。エルンストから受け取っておけ」
「了解」
「あと、いつまでも名無しでは行動に支障が出る。名前をやるから、次からはそれを名乗っておけ」
「ハニーにつけて欲しい」
「贅沢を言うな、といいたいところだが、喜べ。この名前は、ヒロシにつけさせたものだ」
レイオットの言葉に、一瞬キョトンとした表情を浮かべる少女。因みに、レイオットの言った事は嘘ではない。今回彼女につける名は、諜報部に新しく入った女の隊員につけるコードネーム、参考にするから何か候補が無いかと雑談で振って聞きだしたものである。
「本当に?」
「本当だ。どうせお前がごねるだろうと思って、前もってそれとなく聞いておいた」
レイオットの言葉に喜色満面になり、早く早くと目で催促する少女。
「レイニー・ムーン。それがお前の新たな名前だ」
「レイニー・ムーン……」
「これで話は終わりだ。準備をして出発しろ」
レイオットに言われて一つ頷くと、無駄に綺麗な体捌きで部屋から出て行く。沁みついた癖は拭い難いらしく、どんなに素人っぽく振舞おうとしても、挙動に一定以上の実力が滲み出てしまう。
「さて、これで打てる布石は打った。奴らに関しては、後は高見の見物というところか」
どう転んだところで平穏無事には済まないであろう日本人達の旅路。それを少しでもサポートできれば、との考えを打算より優先させて彼女を教育し直したレイオット。無論、ファーレーンの利益に関してもそれなり以上に確保できるようには動いているが、ある面では心友と呼んでもいい宏に関しては、家族と同じぐらいには気にかけている。そうでなければ、いかにファーレーンの利益につながると言っても、こんなリスキーな真似はしない。
「本来なら、もっとちゃんとした駒を動かすべきだが、そこまで手が空いていない。あれでナニな女だが、悪く思うなよ、ヒロシ」
レイニーが出て行った部屋を施錠し、そんな事を呟く。ほぼ同じタイミングで寄り道して採取中だった宏が、悪寒を感じて周囲をきょろきょろと見回したのは偶然の一致だと言う事にしておこう。