こぼれ話その2
1.エアリス、料理に挑戦する。
「あの、ハルナ様!」
「どうしたの?」
レイオットが顔を出した日の晩。そろそろ夕食の準備に入ろうか、という時間帯。なにやら思い詰めた顔をしたエアリスが、春菜に声をかけてきた。
「こんなお願いは厚かましいとは思うのですが……」
「厚かましいかどうかは、聞いてみないと分からないかな」
エアリスの態度を不思議に思いつつも、とりあえず話を聞く事にする。今までの傾向からすると、多分大したことは言ってこないとは思うのだが、どうにもエアリスは些細な事でもかなり遠慮がちに言ってくる。今回も、何やら非常に重大な決心が必要な事らしく、なかなか口を開かない。
「あの、私に、お料理を教えてください!」
「うん、いいよ」
ありったけの勇気を振り絞って言った言葉を、あっさり了承する春菜。余りにあっさりと了解を得られて、思わずぽかんとするエアリス。
「とりあえず、まずは包丁の使い方から練習しようか。お手伝いお願いね」
「ほ、本当にいいのですか?」
「うん。別に大したことじゃないし」
実際、料理を教えること自体は大したことではない。教わる側がよほどでなければ、卵焼きを焼くぐらいはすぐできるようになるのが普通である。
とはいえ、包丁の使い方を練習しないと、ほとんどの料理は作れない。食材を切らずに作れる料理など、卵焼きや目玉焼きなどの卵だけの料理か、パウンドケーキなどの乳製品と卵、小麦粉しか使わない料理、後は乾めんを利用した具の無いパスタぐらいなものである。
なので春菜は、とりあえずまずは基礎の基礎である食材の皮むきを仕込みつつ、とりあえず火加減とフライパンの扱い方の基本である卵焼きを作らせるところからスタートする予定だ。
「今日のメニューはジャガイモと大根、人参の煮物におろしハンバーグの予定だけど、もう一品増やしても大丈夫だから、それをちょっと作ってみようか」
「はい!」
嬉しそうに上気した顔で頷き、手を洗って厨房に入る。エアリスの奮闘が始まった。
「そうそう、慎重にね」
「はい」
春菜の手つきを見ながら、慎重に人参の皮をむいていくエアリス。春菜のように薄くは無理だが、皮より身の方がたくさん取れている、と言うほどでもない。不慣れゆえに慎重な割に危なっかしい手つきだが、基本的にそれほど不器用な訳ではない、と言うよりむしろ一般人と比べると器用でもの覚えがいい方なので、それほど何度も怪我をせずに出来るようになるだろう。ちなみにピーラーは誰も使わないから、ということで作っていない。
人参の次は、ややハードルの高いジャガイモの皮むきだ。順番としてはどうかと思わなくもないが、いきなりジャガイモよりは少しでもハードルの低い人参で練習してからの方がいいとの判断で、この手順になったのである。こっちはさすがに結構手こずるだろう、などと思いながら見ていると、案の定手元を狂わせて指先を浅く切る。
「痛っ!」
「マイナーヒール」
エアリスが指を切った瞬間、一番弱い回復魔法を最低出力で発動させて傷をふさぐ春菜。こう言うのは自然治癒に任せた方がいいのだが、どうにもエアリスの態度から内緒にしておきたいのではないかと察し、今回だけは特別に回復魔法で傷をふさぐことにしたのである。
決して、春菜が過保護ゆえにか弱いエアリスが指を切って痛がるのを直視していられなかった訳ではない。
「あ、ありがとうございます」
「内緒にしときたいんだよね?」
「は、はい」
「だから、今日は特別。次に手伝ってもらう時は、魔法で治療はしないからね」
「当然です。このぐらいの怪我で魔法を使うのは、さすがに……」
「だよね」
苦笑しながらのエアリスの言葉に、同じく苦笑しながら頷く春菜。とは言え、この時の春菜はまだ確信を持ってはいないが、本来のエアリスの立場なら、こういう些細な怪我でも回復魔法が即座に飛んでくるのがむしろ当然の立場だったりする。とりあえずそれ以降は大したトラブルもなく、煮物に使う材料の皮をむき適度な大きさに切るという作業が終わる。
因みに、発育が良く年からすると背が高めのエアリスは、特に踏み台などを使わずとも、さほど苦労せずに調理器具が使える。もっとも、澪と春菜がどちらもある程度使いやすいように設計してあるのだから、澪より体格がいいエアリスにとって使いにくいキッチンである訳が無いのだが。
乾いた砂が水を吸収するように、と言う比喩そのままに高い学習能力を発揮したエアリスは、終わる頃には随分と包丁の扱いも様になりつつあった。もっとも、様になりつつあるだけで、やはり傍から見ていればまだまだ危なっかしいのは変わらないが。
「さて、大根も人参もジャガイモも切った事だし、こっちを火にかけてる間に挽き肉をこねようか。の前に玉ねぎのみじん切りかな」
煮物の味付けをざっと済ませ、じっくりことこと煮込みながら牛型モンスターとイノシシ型モンスターの合挽き肉を準備する。実のところ、宏にひき肉を使った料理を出すと一瞬微妙に身構えるのだが、その話をしたら癖みたいなものだと言われてしまったので、頻度を下げる以上の気は使わない事にしたのだ。
それ以外にもパン粉などの材料を用意し、玉ねぎの皮をはいでヘタを取り、みじん切りを始める。その手際に感心しながら、見よう見まねで玉ねぎの皮をはぎ、二つに切って割っていくと……。
「は、ハルナ様……」
「あ~、玉ねぎは目にしみるからねえ」
料理の時のお約束、とも言える現象に遭遇する。春菜などはもう慣れてしみるような切り方をしないので特に問題はないのだが、今日が初めての料理であるエアリスには少々ハードルが高いらしい。
「みじん切りはエルちゃんにはまだちょっと難しいから、半分に切ってそのまま置いといてくれればいいよ」
「はい、お言葉に甘えます」
そんな会話の間にも、玉ねぎの半身は見事にみじん切りに化ける。残りの半分も同じように手際よくみじん切りにし、ボウル二つに挽き肉をはじめとした他の材料とともに投入する。なお、煮物を火にかけてからここまで、三分もかかっていない。
「じゃあ、こねようか」
「はい!」
春菜の動作をまねて、ボウルの中身を延々こね続けるエアリス。無心にひたすらこね続ける彼女に妙に癒されながらも、タネの状態を確認してストップをかける。
「次は成型。こんな感じに整えて」
「はい!」
春菜が熟練の技であっさり形を作る。それをサンプルに慎重に丁寧に同じ形を作るエアリス。春菜が三つ作る間に一つできるかどうかのペースだが、一生懸命やっている姿に文句をつける気は起こらない。
「全部できたら、次は中の空気抜き。こんな風に左右の手でペッたんペッたんってするの」
「分かりました!」
春菜の指示に従い、おっかなびっくりという感じで、ハンバーグを左右の手の間で反復横とびさせる。これをやっておかないと膨張して形が崩れる、と言われてはしっかりやるしかない。かといって、あまり時間をかけてやりすぎるのもどうかと言うところだ。
「じゃあ、焼くのは私がやるから、エルちゃんはつけあわせのサラダ用意して。トマトとレタスね」
「はい」
手を洗って言われた通りに食糧庫からトマトとレタスを取り出し、記憶にある姿になるように準備していく。レタスは包丁を使わない、と言う言葉に従い、確かこんな感じとレタスをちぎって軽く水洗いする。トマトも全て水洗いを済ませ、慎重にヘタを落として、どんな形に切られていたかを思い出して六等分。サラダボウルを取り出して少しでも綺麗に見えるように盛り付ける。
「ハルナ様」
「ん、いい感じ。こっちももう少しで焼けるから、これ終わったら保存庫に入れて、卵焼きの練習しようか」
「はい!」
思ったよりは随分と戦力になったエアリスに、にっこりほほ笑みながらこの日最後の料理を指示する。なお、大根おろしはエアリスが卵焼きを焼いている最中に手早くおろしてしまう予定だ。
「まずは卵取り出して、ボウルに割る」
「……こうですか?」
「そうそう。一人一個ね」
指示に従って卵を割り、箸で器用に混ざった殻を取り除いた後、指示に従って調味料を入れて泡だて器でかき混ぜる。そのまま箸で混ぜてもいいのだが、オムレツと作業工程を統一するために、あえて泡だて器での作業を教える春菜。十分混ぜ終わったところで宏特製の卵焼き用フライパンを火にかけ、さっと油をひいて熱する。十分にフライパンが温まったところで適量の溶き卵を流し込み、卵焼きを焼く手順を実演して見せる春菜。
「こんな感じで、火が通って半熟っぽくなったぐらいで巻いていくの。やってみて」
「はい!」
春菜の見本に従い、小ぶりなフライパン全体に溶き卵を行きわたらせる。表面が固まってきて、いい感じに半熟になったところで、慎重に生地を巻いていく。最初の分が終わったところで溶き卵を足し、ちょうどいい大きさになるまで繰り返す。途中、微妙に形が崩れた回もあったが、少々不格好と言うレベルでどうにか最初の一個が完成する。
「で、出来ました……」
「初めてでこれなら、上出来だよ」
「本当ですか?」
「ん。私も初めて料理した時は、ものすごく不格好なのを作ってたし」
そう言ってにっこり笑いながら、背中をポンとたたいて続きを促す。最初の三つほどはやや焦がしたり形を崩したりと不格好なものを量産していたが、それでも人数分作り終わる頃にはそれなりに見栄えのいい卵焼きを焼けるようになるエアリス。他の作業をやりながら、その様子を手も口も出さずに見守っていた春菜は、やけどなどせず無事に終わった事に、人知れず小さく安堵のため息を漏らす。
「終わりました!」
「よくできました、ご苦労様」
完成品を見て、そんな感じに褒める春菜。実際、今まで一切料理関係を触った事が無い十歳児が作ったものとしては、十分すぎるほどの出来だと言える。
「あ、そうそう。卵焼きの味付けなんだけど、私が教えた味にこだわらなくてもいいからね」
「えっ?」
「今回は教えやすかったから私の家で食べてる味付けにしたけど、極端な味付けをしなければどんな味でも間違いじゃないから。まあ、それは料理全般に言える事なんだけどね」
「そうなんですか?」
「うん。まあ、ちょっと複雑な料理は大体美味しく感じる味付けの範囲って決まってくるんだけど、卵焼きはシンプルだから味付けの幅も広いんだ。その分、人によってはものすごくこだわるから、喧嘩になる事もあるし。だから場合によってはほとんど味付けをせずに済ませて、醤油でもソースでもお好きにどうぞ、ってやることもあるよ」
エアリスにすらできるようなシンプルな料理に関する、実に奥が深い話に目を丸くする。因みに、春菜が教えた卵焼きの味付けは、いわゆる砂糖醤油をベースにした甘いタイプのものだ。卵焼きとみそ汁に関しては、世帯が百あれば百の味付けがあると言われるほど家庭によって味付けが違うものだが、春菜の家では卵焼きと出汁巻きは別のものとして扱われているからか、卵焼きの味付けはほんのりと甘い。
これに関してはどれが正しいとかどれが王道だとか言えるものではないため、少なくとも春菜は醤油の味がメインの物や塩気がきいている卵焼きが出て来ても、それを否定する気は一切ない。だが、人によっては甘い卵焼きは認めない、とか、醤油の味しかしない卵焼きは違う、とか、やたらとこだわり、場合によっては喧嘩に発展することもある難しいものである。
「まあ、結局のところは味見をしっかりやって、調味料をいきなりたくさん入れずにちょっとずつ足していけば、大抵おかしな味にはならないから。手順を守って味見をちゃんとして調整すれば、基本的にちゃんとしたものが出来るよ」
「そうなんですか?」
「うん。だから、妙な創作料理はまず一般的な料理を全部レシピ見なくても作れるようになって、調理方法ごとの特徴とか仕組みをきっちり覚えてから、ね」
「はい!」
こうして、エアリスの初めての料理は、初めての割に十分に美味しいとの評判のまま無事に終わり、王宮に戻った後もわがままを言って神殿や工房の厨房に足を運んでは、料理人に指導を受けてめきめきと実力をつけることになる。その結果、最終的には姫巫女と言うやんごとない立場の姫君に圧倒的な料理の腕を見せつけられ、真琴やレイナをはじめとした料理を触っていない女性陣が大いにへこんだのはここだけの話である。
2.レイナ、頑張る
アズマ工房の居候、レイナ・ノーストンの朝は早い。夏場でも日が昇る前に起き出し、まずはトイレと風呂の掃除を行う。朝風呂を浴びる住人も何人かいるので、掃除を終えた後に湯を張って沸かしておく。それが終わったところで日課となっている素振り千回を済ませ、全員が起きたところでゴミや汚物を回収し、廃棄する。風呂で汗を流すのはその後、朝風呂に入る人間が全員上がってからだ。
「おはようさん。今日も精が出るなあ」
「……おはよう」
気さくに声をかけてくる宏に対し、気まずい思いを根性をフルに動員して隠し、出来るだけ普通に挨拶を返す。自業自得としか言いようのない理由で気まずいからと言って、挨拶も返さないのは言語道断に過ぎる。
「すぐ朝ごはんできるから、風呂入るんやったら早いとこな」
「分かった」
愛想良く愛想良く、などと暗示のように自分に言い聞かせるレイナだが、そもそも生まれてこのかた、愛想だの愛嬌だのとはあまり縁が無い人生を送ってきている。本人の思いや努力とは裏腹に、どうにも硬い表情でぶっきらぼうな言い方になってしまう。そんな内心を知ってか知らずか、特にレイナの態度を気にするでもなく食堂の方に向かう宏。
「……またやってしまった……」
「何を?」
「ヒロシ相手に、また感じの悪い対応をしてしまった……」
朝からがっくりと落ち込んでいるレイナを見て、思わず苦笑する真琴。感じが悪いも何も、そもそもレイナに愛想の良さを求めている人間などどこにもいない。
「正直、あたしはあんたが愛想よく愛嬌をふりまいてる方が異常だと思うけど?」
「……そこまで言うか?」
「だって、あんたドルおじさんだろうがユリウス隊長だろうが、一貫して愛想なくむっつりした顔で対応してるじゃない」
「……私は、そんなに態度が悪いか?」
「軍の内部で言うなら、別にそこまで問題になるほどじゃないとは思うけどね」
真琴の言い分を素直に解釈するなら、日常生活と言う観点では言語道断、と言う事になる。その事を即座に察し、更にへこむレイナ。
「ま、何にしても、誰もあんたに感じの良さとか求めてないから、諦めて普通にしてなさい」
「そ、それでは反省が伝わらないではないか!」
「感じいい対応をすれば、反省が伝わるとは思えんがね」
レイナの叫びを聞きつけて、日課の朝の散歩を終えた達也が厳しい指摘をぶつけてくる。突然現れた達也に、思わず身構えるレイナ。宏ほど根っこの部分は深刻ではないどころか、彼と違い物理的な接触があっても特に問題はない程度の軽いものではあるが、やはり問題を起こす程度には彼女の男性不信も根深いのである。
「……それでは、どうすればいいのだ?」
「どうするも何も、へこんで見せようが愛想良くしようが、それこそ真摯に誠実に相手のための努力をしたところで、それで反省してると相手が受け取るとは限らねえんだし、考えるだけ無駄だよ」
「そ、そんな……」
「どう転んでも一緒なんだから、どうにもならねえ事で努力するのはあきらめて、真摯に誠実に行動するしかねえよ。さしあたっては、今やってるみたいに誰かがやらなきゃいけない、だが大概の人間は嫌がる仕事を率先してやるぐらいしかないんじゃねえか?」
大学を出て結果がすべての社会人になってから五年、些細なミスですらリカバリー不能になりがちな営業に配置転換されて三年目の達也が、社会の厳しい現実と言うやつを突きつける。やってしまった事はどんな事も取りかえしなどつかないのだから、失われた信頼は腐らずに地道に誠実に長い期間をかけて一から積み上げ直すしかないのだ。
「それで、償いになるのか?」
「根本的に、他に今お前さんに出来る事は無いだろう?」
ことごとく痛いところを突かれて、思わず押し黙ってしまうレイナ。正直、全く反論の余地が無い。
なお、この場合問題は、役に立っていないぐらいならまだしも、かえって迷惑になっていては元も子もない、という点だろう。宏も春菜も、やってもらった事に対しては、よほどでなければ文句は言わないタイプだ。なので、役に立っているのかそれとも迷惑なのか、その判断がつきにくい。しかも、表面上はもはや全く気にしたそぶりを見せないのだから、レイナでは判断が難しいのも仕方が無いだろう。
「ま、心配しなくても、お前さんは頑張ってるよ」
「そうそう。と言う訳で、あたし達がいない間の工房の守りと、こまごまとした力仕事をよろしくね」
そんな感じで、温泉旅行当日。役に立っている手ごたえを一度も感じないうちに、流されるままに旅行に連れて来られるレイナ。正直なところあまりに急に決まった上、準備らしい準備もまともにさせてもらえないまま目的地に連れて来られてしまったため、楽しみよりも戸惑いの方が大きい。もっとも、割合に関してはさまざまだが、他のメンバーもそれなりに戸惑いの感情は持っているようだが。
「……のどかだな」
周囲の景色を見て、ぽつりとつぶやくレイナ。農村と宿場町のあいの子のような、なんとなくのんびりした風情の景色を見ていると、どうにも今の自分は場違いなのではないか、と感じてしまう。今歩いている小川沿いの道はアドネのメインストリートらしく、老若男女さまざまな人間が歩いている。
ファーレーンは意外と交通が発達している事もあり、観光と言うのは中世ヨーロッパほどは珍しくない。ファーレーン有数の温泉地だという事もあって、この日のアドネも旅行客は中々の人数がいるらしい。道に沿って並んでいる大小さまざまな店を冷やかす、他の村や街から来た湯治客だと思われる人間もそれなりに多い。
「リーナさんは、こういう景色嫌い?」
「いや。ただ、いかにエル様の護衛とはいえ、こんな風にのんびり羽を伸ばすことが許されるのか、と思って……」
「四六時中肩肘張っててもしょうがないんだし、これも職務だってことにしときゃいいじゃないの」
真琴の言葉に曖昧な表情を見せ、目をきらきらと輝かせながらあたりを見渡すエアリスに視線を移す。ここのところずっと地味に気を張っていたエアリス。彼女のこの表情を見る事が出来るだけでも、まあいいかという気分にならなくもない。
「真琴さん! 澪さん! リーナ! 変なものがあります!」
土産物の類を扱っているらしい店の軒先を指さし、エアリスがはしゃいだ声を上げる。そこに鎮座しているのは……
「……何これ?」
「……魚?」
木彫りの、マッシブな腕がはえた魚であった。腕と足が生えたもの、もしくは足だけが生えたものと言うのはよく見るのだが、腕だけと言うのは少々珍しい。
「嬢ちゃん達は知らないのか?」
「知らないっていうか、見た事もないけど?」
「そうか。こいつはそこの小川の上流の方で釣れる、ウデヤマメって魚の置きモンだ。腕の部分の肉汁がいけるぞ」
「不気味だが、食べるのか……?」
「おう!」
嘘か本当か分からない言葉を聞き、何とも言えない顔をしてしまう一行。なお、翌日に全員でアドネグルメツアーをやった時にばっちり存在を発見し、レイナが毒見役として犠牲になるのはここだけの話である。
「……造形は覚えた。今度作る」
「作るの?」
「作る」
しげしげと穴があくほど見つめていた澪が、とんでもない事を言い出す。その言葉にぎょっとし、思わず確認を重ねる真琴。
「作るのはいいが、作った後どうするのだ?」
「当然、プレゼントフォーユー」
「わ、私にか?」
「拒否権はない」
実に嬉しくないプレゼント宣言に、思わず目を白黒させるレイナ。
「大丈夫。ちょっとはかわいい造形にアレンジする」
「それはそれで不気味そうね……」
マッシブな腕が生えた可愛らしい魚など、普通の魚に腕だけが生えているより更に不気味そうで引く。
「とりあえず、次行ってみようか」
「はいっ!」
微妙なものが大量に売られている土産物屋を後にし、更にあれこれ冷やかして回る四人。リラックスし聞いているように見える三人と違ってどうにも肩に力が入ったままのレイナに、ついにエアリスからの注意が飛ぶ。
「リーナ」
「は、はい!」
「同行者に気を使わせる護衛は、護衛失格ですよ?」
「も、申し訳ありません……」
エアリスにまで窘められ、肩を落とすレイナ。まだ十歳の主に厳しい指摘をされ、どうにも居心地が悪い。
「あの事を気にするな、とは言いません。言いませんが、それでヒロシ様やハルナ様に気を使わせるようでは本末転倒です」
「分かっています。分かってはいるのですが……」
気を張っていないと、また失礼な事をやらかしかねない。今のレイナにとっては、男よりも自分の方が信用ならないのだ。
「そう言う真面目なところがあんたの長所だとは思うけど、物事には限度ってものがあってね」
「師匠も春姉も、もう何も気にしてない」
「反省するのはいいけど、卑屈になってるのは感心しないわよ」
真琴と澪にまで集中攻撃され、肩を落とすレイナ。その様子を表現するなら、ナメクジに塩と言うところか。
「もっと胸を張る」
「バカンスぐらいはちゃんと楽しむ」
俯いてしまったレイナの背中を叩き、必要だと考えている要求を突きつける二人。その言葉を受けて、ようやく下向きの視線を持ち上げるレイナ。
「ちょっとはマシな顔になったし、折角だから軽くお茶ぐらいはしていこうか」
「もちろん、リーナ姉のおごり」
「……分かった。何処がいい?」
親友と妹的存在の気遣いに感謝し、快くお茶をおごる事にするレイナ。空き時間に偽名で冒険者活動をしているので、それぐらいの手持ちは十分に持っている。
「あそこなんか、素敵だと思います」
「ん、いい感じ」
話がまとまったところでエアリスが指定した茶店は、なかなかいい雰囲気だった。出されたお茶を飲み、一息ついたところで宏から緊急招集がかかる。
「何かしら?」
「さあ?」
「ヒロシが何かを見つけた、と言う事は、半々の確率で本人以外は凄さが理解できないか、本当にとんでもなく凄いかなのだが……」
「達也が連絡入れるのを止めなかった、と言う事は、とんでもなく凄い方かもしれないわね」
そう言って、半分ほどに減っていたお茶を飲み干す真琴。エアリスと半分こにした茶菓子を全て平らげる澪。
「願わくは、召集に足るだけのものを持って帰ってきて欲しいものね」
「ヒロシ様とタツヤ様ですから、大丈夫だと思います」
「だといいけど」
全幅の信頼を置くエアリスの言葉に苦笑すると、さっさと立ち上がって店を出ていく。ファーレーンの飲食店は余程高級な店でもなければ、大抵注文したものと引き換えに支払いを済ませる形式だ。この茶店も例に漏れず、お茶とサービスの茶菓子が運ばれてきた段階で、すでに支払いは済んでいる。
「急ぐか?」
「慌てて帰る必要はないんじゃない? 何処まで行ったかは知らないけど、多分あいつらも出先だろうし」
「ですが、あまりのんびり帰るのもよろしくなさそうです」
「普通の速さで、より道なしで戻ればOK」
澪の言葉に苦笑して頷くと、本当にごく普通の速さで宿に向かう真琴。この後数か月ぶりのカレーライスに舌鼓を打ち、ポメと言う怪しげな野菜にカルチャーショックを受け、子ポメの山ブドウ漬けなる面妖なビジュアルのものを食べる羽目になるのだが、この時の彼女達は知る由もない。
なお、子ポメの山ブドウ漬けが口の中で破裂することになったレイナは、その後の温泉で春菜から
「これまでの事は、私に対してはさっきので手打ちで」
という宣言を受け、翌日に周囲の提案を受けて宏が用意した罰ゲームをこなす事で、ようやく和解が成立することになったのだが、罰ゲームの内容は彼女の名誉のために伏せておく。
調子悪いときに涌いた頭で思いついた話。
料理のシーンが冗長な気がするけど気にしない方針で。