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フェアリーテイル・クロニクル ~空気読まない異世界ライフ~ 作者:埴輪星人

ファーレーン編後日談・こぼれ話

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後日談その1

「テレス・ファームです。今日からよろしくお願いします」

「ノーラ・モーラなのです。よろしくなのです」

 国王陛下が愚痴りに来た次の日。メリザに連れられ、アズマ工房に二人の女性が訪れた。テレスと名乗った方がエルフ、ノーラと名乗った方がウサギ型の獣人(と言っても、ほぼ人間と変わらない外見ではあるが)である。見目麗しい種族の女性である二人が、がっしりした体格の壮年男であるメリザと並ぶと、なかなかコメントし辛いビジュアルになる。

 テレスは金の髪に翠の瞳の典型的なエルフ美人で、背の高さは春菜はおろか宏よりも高い。横方向も実に華奢で、体型も古き良きエルフのイメージ通りと言う感じである。胸のふくらみは現時点での澪と互角ぐらい、真琴やレイナのように洗濯板だなんだと言われるほどではないが、背の高さを考えると貧乳と表現しても問題はないレベルだ。

 ノーラは桃色の髪にこぼれおちそうなほど大きな赤い瞳、そして最大の特徴が頭に生えているウサギの耳と言う、いわゆる萌え系美少女タイプの獣人である。ウサギのイメージ通り小柄だが、凹凸は貧相だとか貧乳だとか言われない程度のメリハリを持っている。獣人だが人間との違いは耳としっぽぐらいなもので、手の構造も全く人間と同じである。肉球と爪が邪魔で作業できない、などと言うありがちな問題が起こらなかった事は、宏としては喜んでいいのやら悪いのやら複雑な心境だ。

「先に聞いとくけど、自分ら故郷くにに帰るとかはないん?」

 日本人サイドの自己紹介が終わったところで、盗賊に捕まって奴隷にされかかっていた、と言う出自を考え、思いっきり距離を取りながら確認のために質問しておく宏。メリザがそこら辺を聞いていない訳はないが、一応念のためである。

「帰ってもいいんですが、一応目的があって出てきたのに今帰ると、何しに出てきたのかが分からないというか……」

「いや、別にええやん」

「正直にいいますと、そろそろ都会の暮らしに愛着がわいてきた感じでして……」

 テレスのどこか照れたような言葉に、要は田舎者が都会に染まった感じなのか、と当りをつける宏。エルフ族と言うのは閉鎖的、という設定は多くのファンタジーに存在するが、見方によってはそれは、いわゆる田舎者と言う側面も見えるのだ。

「街に出てきてるエルフは、あんまり故郷に帰りたがらないんだよな」

「そうなんですか?」

「ああ。聞いた感じでは、別段外に出た連中が戻っちゃいけない、みたいな決まりはないらしいんだが……」

 メリザの補足説明を聞いて、ますます「俺ぁこんな村いやだ!」と言って森を後にするイメージが強くなる宏。何というか、ファンタジーと言うものに喧嘩を売っている想像である。

「……まあ、ええわ。そんで、モーラさんの方は?」

「ノーラでいいのです。さんもいらないのです。モーラと言うのは種族名みたいなものなのです」

「……ノーラの方は?」

「モーラ族は、独り立ちすると実家と言うものが無くなるのです。ノーラの生まれは人間の街ではないので、多分故郷はどこかに移って、既に存在しないのです」

 ノーラの回答を聞き、妙なところで野生動物みたいだな、などと考える日本人達。因みに、モーラ族はよくありがちな女しか生まれない種族、と言う訳ではない。なので、ちゃんとモーラ族の男女だけで構成された集落、と言うのも存在する。

「モーラ族は強い種族ではないのです。なので、町以外で暮らすのは難しいのです。でも、街で暮らすには手に職が必要なのです。ノーラにはそう言った技量が無いのです」

「で、渡りに船とばかりにメリザさんに頼みこんだ、と」

「愛玩動物として生活するのは、いろいろとリスクが大きすぎるのです」

 売られた場合の用途をしっかり自覚しているあたり、外見とは違って結構したたかなのかもしれない。

「と言うことだ。何とか仕込めそうか?」

「やってみんと分かりませんわ」

「だろうなあ」

 とは言え、カレー粉をはじめとした調味料を量産するだけなら、正直それほど面倒なことではない。専用の道具を作って手順を教え込めば、この二人の能力がどうであろうと関係なく大量生産はできる。

 問題なのは、彼女達にどの程度の事を仕込む必要があるのか、だ。正直、宏はおろか澪のレベルに達するまでですら、五年やそこらでは不可能である。

「正直な話、単にカレー粉とか調味料を作るだけでええんやったら、僕が専用の設備作って作業手順教えて、難しいところは全自動で完成までやるようにすれば済むんですけど、それやと他の人間に作り方を広められへんから、作れる量がすぐ頭打ちになるんが問題ですねん」

「まあ、そうだよなあ。独占できるってのは最初のうちは美味しいが、長い目で見れば損だからなあ」

「かと言うて、三カ月やそこらで仕込めるんは、せいぜい春菜さんぐらいまでやしなあ……」

 現在の春菜の力量は、正規の材料なら八級のポーションなら大体失敗せずに作れるレベル。七級はまだまだ安定しているとは言い難いところで、精錬や紡織、木工などはほぼ手つかず、と言ったところである。

「何にしても、とりあえず最初の段階から仕込めるだけは仕込んでみますわ」

「おう、頼む。必要なものがあったら言ってくれ。いくらでも援助するからな」

「そらまた太っ腹な事で」

「新規事業のための初期投資って奴だ」

 そう言って、笑いながら工房を出ていくメリザ。それを見送ってから、とりあえず澪の方に顔を向ける宏。

「とりあえず、まずは近場で採れる薬の材料から教えたって」

「了解。二人とも、武器は?」

「私は弓が使えます」

「残念ながら、素手でチンピラを相手に隙を作るぐらいのことしかできないのです」

 いきなり物騒な話になり、戸惑いながら自身の戦闘能力を正直に申告する二人。

「だったら、間を見て協会で戦闘訓練。登録できそうなら、冒険者登録も」

「工房で働くのに、冒険者登録ですか?」

「素材によっては戦闘能力必須」

 テレスの質問に、表情を動かすことなく回答する澪。そもそも、普通に供給があるものを作れる程度でいいなら、自分達が仕込む必要自体が無い。

「何なら、私も付いていこうか? 最近素材集めも御無沙汰だったし」

「頼んでええか?」

「任せて」

 そんな感じで、とんとん拍子に話が進んで行く。

「で、御大将はどうするつもりなんだ?」

「とりあえず、協会行って二人の道具仕入れてくるわ」

「作らないのか?」

「道具作りも教えるから、最初からあんまりええ道具があるんもなあ……」

 宏の言葉に、妙に納得してしまう達也。確かに、自分達が作るものより質のいい道具なんぞあった日には、新しい道具を作ろうというモチベーションが湧かなくなってしまう。

「なら、俺もそっちに付き合うか。どうせ、スパイスとかも仕入れにゃならんのだろう?」

「じゃあ、あたしは適当に仕事探してくるわ」

「っちゅうことは、協会までは真琴さんも一緒やな」

「そうね」

「ほな、誰も居らんなるから戸締りしてこんと」

 こんな感じで、関係者が増えたアズマ工房の一日が始まった。







「それにしても、積極的に賛成しておいて今更だが、本当に大丈夫なのか?」

「今更それ言うか?」

「まあ、そうなんだが……」

 協会からの帰り道。微妙に心配そうな顔をしながら、宏をうかがう達也。正直なところ、指導がどうというより、これ以上女が増えて大丈夫なのか、と言う部分が心配でたまらない。だが、余り長い時間工房を放置するのも拙いのは事実だ。解決方法として職人を雇って仕事をしてもらいつつ、工房の維持管理もしてもらうのが一番なのも確かで、今回の話は性別さえ問題なければ願ってもない申し出なのは間違いない。

 なので、最初は積極的に賛成していた達也ではあるが、いざ面接をしてみると、宏の顔色がとにかく悪い。それこそ、びっくりするほど悪い。緊張もあってか相手方からの突っ込みは無かったが、多分彼女達も何かを察してはいるだろう。当分は春菜と澪の指導でどうにかできるにしても、その範囲を超えた時に大丈夫なのかがとことんまで不安である。

「兄貴、僕の恐怖症と今回の事は、基本分けて考えなあかんで」

「つってもなあ。どうせなら、陛下に頼んで男の弟子を用意してもらった方が良かったんじゃないか?」

「僕が上手い事距離取れば済む話やねんし、今更あの二人を追い出せる?」

「……無理だな」

「やろ?」

 確かに、今更の話だ。面接をする前なら断りようもあったが、面接して大体の人となりを確認した今では、それこそ努力ではどうにもならないほどこの仕事に向いていないというケース以外では、今更首にするのは義理人情や精神衛生上不可能である。

「それに、テレスさんにゃ聞きたい事もあるし」

「聞きたい事?」

「南の樹海に、エルフの集落と何ぞの神の神殿があるかどうかをな」

「ああ、なるほどな」

 宏が告げた確認事項に納得する達也。確かに、いろいろな意味でゲームとは違うこの世界、空振りを防ぐために本当に集落があるのかどうかを確認しておくのは、間違いなく重要な事だ。

「まあ何にしても、当面はひたすらカレー粉の調合と醤油とかポン酢の仕込みをやらすことになりそうや」

「それが先方の要望だからなあ」

 結局、自分達は食う話とは縁を切れない事を思い知る達也。そもそも、食が絡む需要は、有限ではあるが限りなく無限に近い。

「で、何を買い足すんだ?」

「スパイス類は当然として、大豆とか麦、柚子なんかも大量に、言うところやな」

「了解」

 なかなかの分量が必要そうだ。そう考えて別行動をしようとしたところで

「ぎゃん!」

 ばちっと言う派手な音とともに、達也の足元から人間のものとは思えない悲鳴が響く。声が聞こえた方に視線を向けると、薄汚れた格好の、男女の識別もつかない年頃の小さな子供が、右手を押さえてうずくまっていた。

「引ったくりか……」

「まあ、珍しくはあらへんわな」

 とは言え、エンチャントによる防御がしっかりしている宏達を狙うスリや引ったくりなど、最初の一週間ほどを過ぎたあたりから全く見なくなっていた。彼らには彼らの横のつながりがあるのだろう。

「で、どうするんだ?」

「まあ、僕らの事知らんあたり、本職言う訳でもなさそうやし、ちょいと事情聴取か?」

「全く、物好きな」

「本音言うとやな、こういう王道とテンプレの境界線上にあるイベント無視して官憲につきだすん、なんか勿体ないなあ、思うて」

 呑気な事を言ってのける宏に呆れつつ、子供が逃げないように目立たない種類のバインドをかけて担ぎあげる。

「なんかすげえ悲鳴だったが、何かあったのか?」

「あ~、足元見てなくて、こいつを思いっきり蹴っ飛ばした。怪我してると拙いから、ちょっと連れて帰って手当てするわ」

「別に、わざわざそんなことしなくてもいいんじゃねえか?」

「やばい怪我でもしてたら、寝覚め悪いだろ?」

 しれっと言い訳を済ませ、何食わぬ顔で子供を拉致る二人。そんな二人を見送ったところで、声をかけた男は自分の仕事に戻り、市場はいつもの姿を取り戻すのであった。







「一つ聞いてもいいのでしょうか?」

「何?」

「親方は、女の人が怖いのです?」

 東門から外に出て、近場の草むらで等級外ポーションの材料を集めようとしたところで、ノーラからそんな質問が飛び出した。

「やっぱり分かっちゃうかあ……」

「あの顔色と距離の取り方を見て、それでも他の可能性を真っ先に考えるのは、いくらなんでも鈍すぎるのです」

 一刀両断で切り捨てるノーラに、思わず苦笑してしまう春菜と澪。

「師匠、故郷でいろいろあったらしいから」

「それで、よくお二人と一緒に行動できるのです」

「全部春姉の功績。ボク達はその距離の取り方を真似してるだけ」

 澪の回答を聞き、先ほどの工房でのやり取りやその立ち位置を思い出す二人。自分達相手とは違って互いにある程度以上の信頼関係がある事を感じさせる、実に自然な間合いの取り方。一応言葉に出して確認はしているが、ほとんどアイコンタクトだけで意思疎通を完了させている事が分からないほど、テレスもノーラも鈍くない。

「えっと、私からも質問」

「どうぞ」

「ハルナさんと親方はその、そういう関係なんですか?」

「違うよ」

 テレスの質問に、ズバッと即答する春菜。

「でも、傍から見ていて、あそこまで息があっているとそれ以外には見えないんですけど」

「それはね、私達がそういう関係じゃないから出来るんだよ。ちょっと長く触れあっただけで呼吸困難になるほど女の人が怖い宏君が、そう言う意識を持つのはまだまだ無理だと思う」

 苦笑と言うには苦みが勝ち、だが悲しそうなとか愁いを帯びたと称するには笑みの割合が大きい、そんな複雑な表情を浮かべて答える春菜。その、何とも言えぬ色気のある表情に、思わずドキリとする三人。

「親方の事情は理解したのです。では、ハルナさん自身はどうなのですか?」

「えっ?」

「ハルナさん自身は、親方の事をどう思っているのですか?」

「……親友兼、パートナー?」

 何とも自信なさげに回答を返す春菜。正直な話、これを恋愛感情と認めるのは何かが違う、いや、認めるのは何かがまずい気がし、だが単なる友情だと強弁するのも難しい、そんな曖昧な気持ち。運命共同体と言う観点では、達也や真琴、澪もそうだ。だが、彼らに対して抱く感情とも、明確に違う。そんな、どう定義していいか分からない、今まで経験したことのない感情にそれなりに戸惑っている様子がにじみ出ている。

 そもそも、春菜は恋愛感情がどういうものなのか、はっきり理解できていない。他人の恋愛相談に乗ったり、恋愛が絡む騒動で貧乏くじを押しつけられたりと、いわゆる恋バナやラブコメ的状況に関わる機会はチームの誰よりも多かったくせに、当の本人はお試しでの交際すら経験が無いという、信じられない身持ちのかたさでこの年まで生きてきた。なまじスペックが高すぎた事もあり、言うほど男子とまともに会話した事もない。

 告白してくるのはスペックに目がくらんだ相手を碌に見ないナンパ男か、自意識過剰の勘違い男かのどちらかのみ。春菜や周囲の人間のお眼鏡にかないそうな人間は、基本的に高嶺の花になど手を伸ばしたりはしない。結果として、藤堂春菜と言う女性を正面から見て、その人格をまっとうに評価してくれる身内以外のフリーの男など、今まで一度も遭遇した事が無いのだ。これは鈍い鈍くないと言うより、どちらかと言うと経験と環境の問題であろう。

 宏が春菜というパートナーに出会えて、無事に共同生活を送ることができていることが奇跡であるなら、春菜が宏と本当の意味で出会えて、正面から互いの人間性を理解し尊重しあいながら、多少なりとも異性として意識するようになったこともまた、奇跡と言っていいのかもしれない。ただ、現状のままでは、どうあがいてもそこから発展する未来が見えないのが問題ではあるが。

「……なるほど。良く分かったのです」

「ハルナさんもミオさんも、大変です」

「えっ? 何が?」

「春姉、自分の事には鈍すぎ……」

「えっ? えっ?」

 本気で分かっていない様子の春菜に、思わずため息を漏らす澪。王宮入りした最初の夜会の頃までなら、今の言い訳でもみんな納得しただろう。だが、暗殺者騒動とバルドとの決戦を経た今、春菜の感情は微かに、だが明確に変化している。それなりに付き合いが深いメンバーで、その事を理解していないのは春菜本人と宏ぐらいだろう。

 なお、このケースで宏が鈍いというのは酷である。そもそも、あれに自身に対する恋愛感情を想定しろ、ということ自体が無茶振りもいいところだ。鈍い訳ではないから春菜の微妙な変化には気が付いているだろうが、それと恋愛感情に至る可能性を結びつけるには、少々どころではなく女性に対する不信感が大きすぎる。中学時代に経験したであろうあれこれを考えると、きっと正面から絶対に誤解の余地を与えない方法で本心から愛の告白をしたところで、よっぽど強烈なきっかけでもなければ信じないであろうことは誰にだって分かる。

「自分の事には、って事は、ミオさんも……?」

「呼び捨てでいい。因みに、ボクは否定するつもりはない。ただ、自信を持って恋してると言えるほど、自分の感情や直感を信用してる訳じゃない」

 澪のカミングアウトに、何とも言えない表情を浮かべる春菜。澪が宏に対して複雑な感情を持っている事は、言われるまでもなく気が付いていた。宏がへたれた事を言ったりやらかしたりしたときに、彼女が妙に宏に対してきつくあたり、その後宏が見ていない場所で慣れた人間にしか分からない表情で自己嫌悪に陥っているのも、澪の第二次性徴期にありがちな複雑な心を表している。

「で、二人から見た師匠は?」

「申し訳ないのですが、それほど素敵な人だとは思わないのです」

「優しくて誠実な人なんだろうな、とは思いますが……」

 率直な意見を聞かされ、苦笑するしかない春菜と澪。残念ながら、宏の良さは初対面ではなかなか分からない種類のものだ。物を作っているところを見せれば、余程職人と言うものを下に見ていない限りは一発で評価が変わる確信はあるのだが、先ほどの面接ぐらいでは伝わらないのが普通である。

「初対面だと、妥当な感想」

「私も、故郷にいるときはそんな感じだったし」

 春菜のカミングアウトを聞き、思わず驚きの表情を浮かべる二人。

「あの、皆さんは一緒に行動するようになってから、どれぐらい何ですか?」

「私と宏君で三カ月ぐらい? 全員でってなると、まだ二カ月ちょっと、ってところ」

 恐る恐る聞いてきたテレスに、春菜が更に爆弾を落とす。

「た、たった三カ月であれ、ですか?」

「事故でこっちに飛ばされてくるまでは、たまに挨拶する以外は全然接点なかったし」

 それが、たった三カ月で熟年夫婦と言わんばかりの息のあい方。女性恐怖症と言う性質上宏の方から歩み寄るとは思えないから、春菜が相当注意深く相方を観察し、距離を測り、呼吸を合わせたのだろう。最初は多分必要に駆られてなのだろうが、全く特別な感情を持たない相手に何カ月もそれを続けるのは異常だ。心が広い、なんていう説明で済ませられる範囲を超えている。

 少なくともテレスの常識ではそうなのだが、今現在自分達と話をしている彼女の人柄を考えると、余程でない限り、誰とでもそういう関係を維持できる人種なのかもしれない、と思う自分もいる。

「ヒューマン種と言うのは、時折信じられない人間が存在するものなのですね」

「春姉は、いろんな意味で超特殊だから」

 自分と春菜をヒューマン種でひとくくりにされてはたまらないと、ノーラの言葉にかぶせるように否定する澪。はっきり言って、こんな太古のギャルゲーに出てくる、やたらめったら大量にフラグを立てさせた揚句に、ワンミス即死と言う感じでゲームオーバーを量産する女と、単に種族が同じと言うだけで同類にされては困るのだ。

 ちなみに言うまでもないことだが、ヒューマン種と言うのはいわゆる普通の人間のことである。この呼び名を使うのはエルフをはじめとした異種族だけだが、それを言われてむっとするような人間もいない。「人間」と言う言葉は基本的に異種族を含めた人型の知的生命体全体を指すので、ある意味当然ではあろうが。

 まるで変人のように言われて、さすがにむっとした表情を浮かべる春菜。だが、その春菜が何かを言う前に、畳み込むように澪が次の言葉を発する。

「ちょっと駄弁りすぎた。そろそろお仕事」

「……そうだね。後々の事もあるから、山ほど集めないとね」

 文句を言う機会を潰されて、大きなため息とともに怒りを逃がす春菜。怒りと言ってもちょっと腹が立った程度で、少し意識をそらせばあっさり無かった事に出来る程度だ。この程度の暴言とも言えない言葉など、王宮で相手にした敵対貴族たちに比べれば、本来は笑って済ませられる程度のものである。

「じゃあ、この葉っぱとこの草、後この草も集めて来て。葉っぱを切るときは出来るだけきれいに、草は根っこ全体を掘り返してね」

 そう言って、見本を見せる春菜。大したものではないとはいえ、浮かべていた怒りを綺麗に無かった事にした春菜に戸惑いつつ、見本に従って葉っぱや草を集めていく二人。しばらくは黙々と作業をしていたのだが、

「そう言えば、親方には、他に関係している女の人とか居ないんですか?」

 その単調さとだるさに五分もしないうちに音を上げ、テレスが再び恋バナを振る。

「居ない訳じゃないけど……」

「多分師匠が女性恐怖症じゃなくても、絶対手を出さない相手だとは思う」

 振られた恋バナに、作業の手を止めずに律儀に返事を返す二人。

「あ~、でもエルちゃんの場合、女性恐怖症じゃなかったら子犬的なアピールの仕方で押し切るかも」

「ありうる。ボクが自分の気持ちに自信が無くなるぐらい、一途に真っ直ぐに好き好きオーラ出してるぐらいだから」

「まあ、経緯を考えたらしょうがないんだけど、宏君も大変だよね」

「外見はともかく、年齢と立場が厄介すぎる」

 聞いては拙いのではないかと思う情報がポロポロと飛び出してくる。聞こえてくる情報の断片、そこから漂う危険な匂いに、テレスもノーラも深く突っ込んで聞いていいのかが判断できず、現実逃避的に草むしりに集中してしまう。

「エルちゃんが適齢期になるまでに向こうに帰れるかどうか、そこが割と勝負だと思うんだけど、どうかな?」

「同意」

 適齢期、という言葉で、相手が一般にまだ子供、少なくとも成人はしていない女の子だという事を、嫌でも理解してしまう新人達。もしかしなくても、この二人が雑談で語っている内容はやばいのではないのか。戦々恐々としながらも、恋バナの誘惑に負けてついついいろいろと質問してしまう。

 そんなこんなで、恋バナで大いに盛り上がりながら十分な物量の薬草を回収し、終わる頃にはすっかり意気投合している四人。いつぞやの春菜の言葉ではないが、恋バナと甘いものが嫌いな女の子は少ない、と言うことを証明してしまった形である。彼女達は知らない。王宮を出た時点ですでに、宏の女性関係にすさまじく危険(特に宏の精神衛生上)な伏兵が存在している事を。







「さて、獲物が安全な相手かどうかも嗅ぎ分けられねえ小僧が、わざわざ危険を冒してスリなんてしようとした理由を聞こうか」

「話す事なんて、何もない。とっとと官憲に突き出せよ」

 工房の食堂で、捕獲した子供に事情聴取をする達也。乱暴に扱ったためか、頑なな態度で達也の言葉を拒絶する子供。見た目や声の感じからすると、どれだけ上で想定しても、間違いなくエアリスより年下だ。

「まあ、なんとなく予想はつくけどなあ」

 微妙に青い顔をしながら、深く深くため息をついてつぶやく宏。そのつぶやきが予想外に大きく響き、達也と子供の視線を集める。

「予想はつくって、どういうことだよ?」

「こんな言い方したらあかんのやろうけど、びっくりするぐらい王道や」

「王道? もしかして!?」

「多分やけど、自分の身内にひどい病気の人がおるやろ?」

 宏の言葉に青ざめながらも、頑として答える気はないらしい子供。

「その反応が、すでに答えになってんで」

「だったらなんだよ!?」

「何、っちゅうてもなあ」

 言うべきかどうかに悩み、微妙に口ごもる宏。それを見た達也が、苦笑しながら結論を言い放つ。

「別に、その人を治してやる代わりにここで仕事しろ、でいいんじゃないか?」

「僕らだけで勝手に決めてしもて、ええんかなあ?」

「そんな、何十人も人を増やす訳じゃないから、問題ないだろうさ。それに、あの二人だけで賄い切れそうか?」

「向こうの物覚えにもよるけど、まあ無理やろうな。三人でも仕入れと工房の管理まで言うたら、多分手が回らんと思う」

 宏と達也の会話を聞いているうちに、もしかして自分は相当やばい相手に手を出したのではないかと、急に不安になる子供。実際聞きようによっては、何か非合法なものを作る打ち合わせをしていると勘違いしてもおかしくない言動である。

「で、その病気って奴、大丈夫なのか?」

「その人がどんなもんかは、診察してみんと分からへん。ただ、少なくとも空気感染とか飛沫感染、接触感染の類ではないと思う」

「その根拠は?」

「そこまで感染しやすいんやったら、もっと騒ぎになってなおかしい。栄養状態とか体力とかも影響する、っちゅうても、市場に出入りしてる人の関係者が全く発症せえへんとか、あり得へんやん」

「まあ、そうだよな」

 宏の説得力のある言葉に、大いに納得する達也。仮にスラムの中だけで蔓延している類の病だとしても、スラムの住人が全く市場などに出入りしない訳ではないのだから、空気感染だの接触感染だのの病気なら外に広がらない訳が無い。いくらスラムの人間が市場に出入りすることにいい顔をしない人間が結構いるとは言っても、完全に閉め出しているわけではないのだ。

 そもそも、ウルスのスラムは、スラムと名がつくものの中では治安がいい。ギャンブルなどで身を持ち崩した連中ではなく、モンスターの大発生で村が滅んだとか災害で仕事を失ったとか、そういった難民に近い人達が住む、ある面最後のセーフティネットとして機能している区域だからというのが大きいだろう。最低限ではあるが国からの援助があり、兵士達も定期的に見回るため、そうそう犯罪の温床になることもない。

 もちろん、放蕩の限りを尽くして身を持ち崩したような連中がたむろする場所もある。が、そういう区域はまた別の場所にきっちり隔離され、それなりに国がにらみを利かせている。それに、先のバルドがらみのあれこれで、暗黒街の犯罪組織も大方駆除が終わっている。残っているのは、間違って迷い込んだ堅気に手を出すようなことはしない、いわゆる必要悪のレベルに収まっている、妙な言い方をすればある種の治安維持組織となっている連中だけである。

「この子の衛生とか栄養状態から言うて、食べモンが悪かった可能性が高い。どっちにしても、まずこの子自身を清潔にして、きっちり診断してちゃんとしたもん食わせるところから始めんと、向こうだけいくら治療してもいたちごっこになりかねん」

「そうだな。それに、俺も腹が減った。まずは飯にしようや」

「了解。食材仕入れられへんかったから、あり合わせになるけどかまへん?」

「おう」

 達也の返事を聞き、厨房に消える宏。最近の倉庫の中身を考えると、あり合わせは十中八九肉系になる。何しろ、ワイバーン以外のモンスター食材も、山ほど残っている。後はせいぜい、裏でこそこそ繁殖させたポメが台所に並ぶ位だろう。

「……何たくらんでるんだよ……?」

「店員の増強、じゃないか?」

「……はあ?」

「とりあえず、ここで仕事するんだったら、どこよりもうまい飯が食える事は保証するぞ?」

 モンスター食材の割合が非常に高くなる可能性がある事は伝えない。食えれば問題ないだろう、という地味にひどい理由なのはここだけの話だ。

「ただいま~」

「おう、お帰り」

 宏が厨房に消えてから三十分後。子供もこき使って風呂の準備を終えたあたりで、春菜達が帰ってきた。

「あれ? 誰か来てるの?」

「ちっと拾った」

「犬猫じゃないんだから……」

 達也の説明に、思わず呆れて突っ込む春菜。いきなり現れた大勢の女性に、警戒心も露わに部屋の端に隠れようとする子供。

「澪ちゃん」

「ん」

 春菜に声をかけられ、風呂場に移動する澪。それを見てやろうとしている事を察し、声をかける達也。

「風呂なら、さっき沸かしたぞ」

「そっか、ありがとう」

「まあ、そろそろ飯の準備が終わるだろうから、先に食ってからだな」

「作ってるのは、宏君?」

「他に居ないだろう?」

 達也の返事に、反論できずに苦笑する春菜。達也はそんなに料理が得意ではないし、真琴はゲームでも現実でも、調理実習以外で料理をした経験はない。故に、春菜も澪もいなければ、必然的に料理は宏の担当になる。しかも、春菜と宏の間にはもはやそれほどの技量の差はないが、宏と澪の間にはそう簡単には埋められない時間の壁が立ちふさがっている。

「親方は、料理もできるのですか?」

「料理も、って言うか、物を作る、加工する、って言うカテゴリーの作業は何でもできるよ」

「むしろ、何でもできるから師匠」

 ノーラの問いかけに、微妙に信じがたい返事を返す春菜と澪。

「で、その子は何? 多分女の子だと思うんだけど」

「女なのか?」

「ノーラにヒューマン種の子供の性別を聞かないでください」

「ごめんなさい、私にもちょっと」

 春菜の発言に対する達也の問いかけ、それに対して首を必死になって左右に振るノーラとテレス。話題にされた子供は、春菜の言葉に更に威嚇の態度を強くする。

「とは言え、考えてみれば思い当たる節はあるんだよなあ」

「と、言うと?」

「ヒロの顔色が、妙に悪かった」

「……親方の女性恐怖症って、そこまでなんですか?」

「分からんが、まあ、本人は無自覚かもしれないぞ」

 などと微妙に横道にそれた会話を続けていると、食欲をそそるしょうがと醤油の焼けた匂いが食堂に漂う。

「ご飯出来たで」

「おう。旨そうだが、メニューは?」

「ロックボアのロースしょうが焼きや。そのまま食べても、パンに挟んでも旨いで」

 そう言って、カートから山盛りもったパンとともにテーブルに配膳する。サラダとスープもばっちりだが、サラダはともかくスープの材料は聞かないほうがよさそうなオーラが漂っている。パンに挟むときの付け合わせを意識してか、レタスが何枚か用意してあるのが芸が細かい。

「ロックボアって、普通に調理しても硬くて食べられなかった気がするんですが……」

「それ以前に、あんなに獰猛で強力なモンスターの肉を、誰が調達してきたのかが非常に気になるのです」

 平常運転で告げられた食材に、戦々恐々とするテレスとノーラ。ロックボアはその名のとおり、岩のような皮膚を持つイノシシだ。あまりに皮膚が硬いため、単純な物理攻撃はほとんど効かない。魔法も属性によっては絶対的な抵抗力を見せ、そうでなくても恐ろしいまでの突進速度で突っ込んでくるため、魔法をはじめとした飛び道具は当てるだけでも一苦労、その上視界内の生き物は何にでも攻撃を仕掛けたがるやんちゃな性質をしたモンスターで、いうまでもなく食材として使うにもハードルが高い。そもそも普通のイノシシの倍は行かない程度のサイズしかないので、ワイバーンと違って肉が無事であること自体が少ない。

 とまあ、モンスターの中でも大概厄介な性質をしているロックボアだが、例に漏れずオキサイドサークルなら一発で仕留められるため、達也からすれば結構いいカモだったりする。ワイバーンと同じ日に仕留められており、取れる素材のうち毛皮はワイバーンの下位互換でしかないため、丁寧に処理を済ませた後にメリザに買い取ってもらっている。最初は鎧にでも加工するか、などと言っていたが、時間が無い上にとんでもないパニックを巻き起こしかねないので、そのまま引き取ってもらった。

「兄貴と真琴さんの手にかかれば、ロックボアごとき何ぼのもんでもないで。せやろ?」

「まあな」

 自慢するでもなく普通のテンションで言い放つと、いただきますをさっさと済ませてしょうが焼を一口食べる達也。しょうがとタレ、そしてロックボアの肉のワイルドな旨みが互いを引き立て合い、素晴らしいハーモニーを奏でる。名前や解体での苦労とは裏腹に、その肉は適度な歯ごたえと言うレベルで、硬すぎて食べられない、などと言う事は一切ない。確かにそのまま食べても旨いが、パンに挟むのもよさそうだ。もっとも、

「何でこれで米とみそ汁が無いんだ……」

 達也の日本人的感性の場合、真っ先に来るのはそれだったりするが。

「あんまりバクバク食えるほどの量は無いからなあ」

「でもよ、今日ぐらいはいいんじゃないか?」

「僕らは良くても、今日来たばっかりの子らに箸使え、言うんも厳しいやろ?」

「そうだけどさ……」

「ちゅうか、そう思ったから、パンに挟んで食べる前提で用意したんやけど」

 わざわざパンに挟むのに使うトングまで並べているところが、実に芸が細かい。見ると、即行でノーラが肉をトングでつかみ、レタスを敷いたパンに挟んでいる。

「で、勝手にメニュー決めて用意したけど、種族的にこれ食べたらあかん、っちゅうんがあったら言うて」

「特にありませんね。里にいた時はあまりお肉は食べませんでしたが、それは種族としての決まりと言うより、単純に供給量の問題でしたし」

「心配していただかなくても、モーラ族は雑食なのです」

 そう言って、用意された食事を嬉しそうに食べる二人。その様子を部屋の陰から見つめていた子供が、何とも切なそうに恨みがましい視線を向ける。

「……捕獲」

 その様子を微妙に気にしていた澪が、子供を強制的に捕まえる。余りにナチュラルな動きに、捕獲された本人も含めて、誰もまともに反応できない。

「な、何すんだよ!?」

「ご飯のときは、手を洗ってちゃんと椅子に座る」

「食わせてくれ、なんて言ってない!」

「いきさつはどうあれ、出されたものはちゃんと食べるのが礼儀。そもそも、スラムの子供に一服盛る理由ない」

 などとギャースカ言う子供の言葉を淡々とぶった切り、洗面所に連れ込んできっちり手を洗わせる澪。自分も子供を捕まえた事で汚れてしまった手を洗うと、今度は逃げないように手を繋いで連れて来て、無言の圧力で椅子に座らせる。

「澪、強えな」

「ちゃんと食べられる体なのに、わがまま言って食べないのは許さない」

 澪の言葉に気圧されて、恐る恐るしょうが焼を挟んだパンに口をつける。肉とパンがその小さな口に入った瞬間、驚いたように目を見開き、そのまま無心にがつがつと食べ始める。

「あの様子だったら、消化器系がやられてるとかそういう心配はなさそうだね」

「せやな。で、悪いんやけど、兄貴と春菜さんには、食べ終わった後にあの子と一緒にスラム行って、あの子の病気の関係者を連れて来て欲しいねん。澪らは先に風呂済ませて、調合作業の基礎練習や」

「了解」

 食後の事を簡単に打ち合わせして、昼食に専念する日本人達。やっぱり米が欲しい、などと思いながらも、全員定食換算で二人前近くの分量を食べたのはここだけの話である。







「連れてきたよ」

「ご苦労さん」

 春菜達が痩せ衰えた女性と、ひったくりをしようとした子供よりさらに幼い子供を連れて戻ってきたのは、出て行ってから三十分少々経ってからであった。まだ、澪達三人は風呂からあがっていない。

「ほな、ざっと診察するから、春菜さん手伝って。それが終わったら、ちびっこを風呂に投入や」

「は~い」

 宏の指示に従い、診察のための準備をする春菜。なお、ひったくりをしようとした子供を説得した言葉は、

「ちゃんと連れて来て診察受けさせたら、その人らにもご飯出すで」

 という一言であった。やはり、旨い食事と言うのは強い。

「で、どんな感じ?」

 手際よく二人の診察を進めていき、結果が出そろったあたりで春菜が聞く。

「大体予想通りやな。お姉さんかお母さんかは知らへんけど、年上の人の方は寄生虫と魔導物質中毒や」

「……中毒?」

「多分こっちの世界にしかない種類の物質やと思うんやけど、メラネイトって言う魔力伝導体があってな。それが特定の元素と結合すると、人体に有害な物質になんねん」

「……ちなみに、その元素って何?」

「窒素や。ただ、窒素って割と安定しとる元素やから、そのまま放置したぐらいでは結合せえへん。植物が土壌から取り込んだ時に、栄養素をあれこれする過程で結合しおるねん。瘴気を吸収したメラネイトは、植物の必須栄養素と区別つかんなるし」

 宏の説明を聞き、大方の原因を察する春菜。ここ最近の騒ぎで土壌が汚染されたあたりの雑草を食べて、中毒を起こしたのだろう。寄生虫に至っては、ありそうな原因には事欠かない。

「治療はできるの?」

「問題あらへん。ただ、体力が相当落ちとるから、まずは虫を殺して栄養を横取りされへんようにするところからやな」

「なるほど。で、もう一人の方は?」

「こっちは窒化メラネイト中毒が原因の栄養失調。寄生虫は陰性やけど、念のために弱めの虫下しはやっといた方がええやろう」

 テキパキと段取りを進めながらの宏の説明に、一つ腑に落ちない点に気がつく春菜。

「中毒の原因がそれだったら、どうしてファムちゃんだけ無事なの?」

「ファム?」

「あの子の名前」

「そういや、名前聞いてなかったな」

「忘れとったわ」

 ファムを拾った直後は向こうの不信感で意思疎通そのものに苦労していたし、その後は展開が早くてそんな暇はなかった。そのため、この段階に至るまでちびっこの名前を知らなかった。女性ともう一人の子供にしても、あまりにも状態が悪すぎるので、名前よりも必要な情報の聞きとりを優先したため、名前はまだ聞いていない。

「まあ、話を戻して、や。体質とか体重、食べた量とかでも、この種の中毒のなりやすさはちゃうしな。臭いからすると発症までは行ってへんだけで、やばいところにはきとる感じやで」

 宏の言葉に、顔をしかめながら頷く春菜。王道だなんだと言っていたが、実際のところは多分、その臭いのやばさが今回の行動の理由だろう。それも多分、子供を見捨てられなかったみたいな偽善チックな理由ではなく、感染症だったら春菜達やエアリスなどにも被害が及ぶ可能性があるからというのが本音だろう。そうでなければ、子供といえども自分の持ち物を盗もうとした女を助ける理由が無い。

「とりあえず、栄養剤と虫下し入れた点滴用意するから、一発打ったって」

「了解」

 あれやこれやを手際よく混ぜ、魔力を通して変質させたものを点滴用の袋に詰めて、後の作業を春菜に任せる。その様子を物陰からこっそり見ていて、宏の真剣な表情に息をのむファム。

「ああいう時は、結構格好いいでしょ?」

「えっ?」

 素晴らしい手際で点滴を打ち終わった春菜が、こっそりファムに囁く。

「確かに、診察してる時と調合してる時は素敵だったのです」

「いつもあのままなら、さぞもてるでしょうね」

「テレスさん、それは違うのです。普段どう見てもヘタレな男性が、有事にはものすごく有能で格好いいというギャップが魅力的なのですよ」

「ああ! なるほど!」

 いつの間にか様子を観察していたテレスとノーラのなかなかに容赦のないコメントに、何とも言い難い表情になる春菜とファム。なお、彼女の母親と妹は、宏の卓越した技能と非常識なレベルの材料を惜しみなく使った治療により、一週間で病気になる前よりも健康になり、更に工房の管理と引き換えに衣食住を保証するという太っ腹な申し出に家族一同感謝を通り越して忠誠すら誓いそうになるのだが、それを成した当人はその事を知らない。

 因みにこの後、土壌汚染が引き金でパニックになっては拙いからと、国王やレイオットを巻き込んでスラム地区の土壌改良を行う事になる。その過程で人が住まなくなった地区を何カ所か譲り受けて農園にし、春菜をはじめとした工房の職人たちからスラムの住人のうち比較的まともな性格をした人間まで、たくさんの人たちの農業技能育成に使い倒したのはここだけの話である。
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