こぼれ話その1
1.初仕事
「色々あるんやなあ……」
「東君は、どれにする?」
「せやなあ……」
間に合わせの武器を作り、当座の方針も決めた翌日。朝一番に冒険者協会のウルス東口支部に来た宏と春菜は、掲示板に大量に張られた依頼を前に、仕事を選びかねていた。
張られている依頼書の内容は実に多岐にわたり、モンスター討伐から異変の調査、隊商の護衛募集など冒険者らしいものから、人足やウェイトレスの臨時募集、探しものに配達、ゴミ拾い、実験台や助手のような冒険者であることは余り関係なさそうな依頼まで、全く統一性はない。
「まずは仕分けしよっか」
「せやな。どういう基準で省いてく?」
「まず当然の話として、問答無用で要求ランクが高いものは無視」
そう言って、目立つ位置に張られた依頼の大半を没にする。
「次に、今日は初日だから、戦闘が発生する可能性が高いもの、外に出る必要がありそうなものも排除」
そう言った依頼がまとめて張られている掲示板を調べ、依頼を探す対象から外す。
「後は、不自然に依頼料が高いもの、依頼人の名前が無いもの、内容が不明瞭なものを外して、残ったものから出来そうな仕事を受ける、ってところかな。ただ、地理が分かってないからお届けものの類も当面は避けた方がいいはず」
「……ほな、僕はこれにしとくか」
「もう決めたの? ……って、また変な依頼を選ぶよね」
宏が選んだのは、道路及び公共の敷地のゴミ掃除。依頼は王室および冒険者協会。歩合制とはいえ依頼料はびっくりするほど安いが、少なくともリスクはほとんど無い事は断言できる。
「これやったら、知らん人と交渉せなあかんような事態にはならんと思てな」
「なるほどねえ。だったら私はこれでいいかな」
「ウェイトレスの臨時募集、か。二人揃って見事に冒険者がかすりもしてへんなあ」
「安全第一、だよ」
春菜の言葉に、苦笑しながら頷く宏。とりあえず、依頼票をはがして受付に行く。
「アンさん、これお願いします」
「分かりました。……また、安全第一と言う感じの仕事を選びましたね」
「右も左も分からないんだから、出来ると分かってるものにしないと」
冒険者になろうと言う人間とは思えない、実に堅実な台詞。その言葉に苦笑しながら詳しい説明を始めるアン。その隣では、自分達と同じ新米と思われる少年が、春菜が最初の段階で省いた不自然に依頼料が高い仕事を受けようとしていた。
「……あの仕事、大丈夫なんですか?」
「大丈夫、とは?」
「ざっと見た感じ、相場だと思われる金額に比べて、依頼料が不自然に高いんですけど……」
「……何とも言えませんね。冒険者協会も全ての依頼内容を精査している訳ではありませんので……」
冒険者協会といえども、万能と言う訳ではない。毎日持ち込まれる依頼の量が量だけに、どうしてもおかしな依頼の混入は避けられない。とは言え、あからさまに犯罪だ、と言うようなものはさすがに持ち込まれた段階ではねられるし、判断がつかない依頼も大体は受付を保留し、複数の人間で協議する事で大体は仕分けられる。
それらをくぐりぬけて混入された依頼に関しては、もう自己責任と言うしかない。中には言いがかりをつけるためだけに用意された依頼なんかもあるが、それに関しては協会サイドが責任を持って対処する事になっている。
今回、新人が受けた依頼がどういうものかは分からないが、なんとなく胡散臭かったために手を出すのを避けたのだ。
「そう言えば、他にもいくつか不自然な依頼があったけど……」
「ノーコメントです」
その言葉を聞き、碌でもない背景を嗅ぎつけた宏達は、あまり条件の良すぎる仕事は絶対触らないことを誓うのであった。
「……単なるごみ拾いの割には、遅かったですね」
「申し訳ない……」
日もどっぷりくれようかと言う頃合いになってようやく戻ってきた宏に、思わずジト目で冷たい言葉をかけてしまうアン。
「それで、何かトラブルでも?」
「チンピラに絡まれて、詰所で事情聴取されとりました」
何とも言えないかなり微妙な返事に、聞くともなしに聞いていた他の冒険者も思わず沈黙する。
「……一体何があって、そんな状況に?」
「ゴミ拾いしてたら、チンピラが五人ほど、場所代払えみたいな事言うて来て……」
「もしかして、払ったんですか?」
「流石に、言う通りに払ったら依頼料飛ぶどころか身ぐるみはがされかねへん金額やったんで……」
金額によっては払っていそうな宏の返事に、更に空気が微妙な事になる。
「で、乱闘にでもなりましたか?」
「そんな訳ありませんやん。一方的に袋叩きにされましたで」
心の中で思わず、おい! 冒険者! と突っ込みを入れたくなるアン。一方的に袋叩きにされたと言う割には怪我をした様子もないが、防具なしでバーサークベアを仕留められる人間がチンピラごときの攻撃で怪我をするはずもないので、そこは気にしない事にする。
「そもそも、なぜ反撃しなかったんですか?」
「あいつらの顔が怖かった、っちゅうんもあるんやけど……」
本気でこいつは何故冒険者をやろうとしているのか、疑問が止まらない言葉から言い訳をスタートさせる宏。内容は簡単で、反撃したら法的にまずい事になるかもしれないので、下手に殴り返せなかった、というものである。最初の場所代についても、法的な問題があるかもしれないので、金額によっては払っていたと言う事である。
明らかに言いがかりをつけてきたチンピラ相手にすら、まともに反撃できない臆病もの。宏の評価はあっという間に決まってしまった。正直、毒消しを作っていた時と同一人物なのか、それすら疑わしくなってしまう。
「でまあ、詰所でいろいろこってり絞られて、解放されてから一生懸命仕事しとったら今の時間やった、と」
「……向いてませんねえ」
「全くですわ」
とは言え、仕事の成果自体は十分だったらしい。終了票に書かれているゴミ拾い担当の職員のコメントを見る限りでは、必要以上に綺麗にしたらしいと言う様子がうかがえる。
「とりあえず、仕事自体は問題なく終了しているようなので、報酬を支払います」
そう言って用意されたのは、三クローネ。宿代にすらならない。物価の高いウルスでは、家賃込みでの一日の生活費、その最低ラインが大体これぐらいである。
「普通なら、あの依頼はお昼ごろに終わらせて、もう一つ別の仕事をする類のものなのですが……」
「そうやろうと思いますわ……」
カウンターの上に並べられた銀貨を回収し、ため息を漏らす宏。春菜の方は丸一日の拘束で五クローネと客からのチップ、プラス賄いでの食事付き。彼女の事だから、上手い事チップによる副収入を稼いでいる事であろう。
「ほんまやったら、もう一件回れるはずやったんやけどなあ……」
「因みに、どれをするつもりだったんですか?」
「草むしりですわ」
そろそろ夏の終わりにさしかかろうかと言うファーレーンでは、実に雑草の成長が早い。そのため、ある程度大きな規模の屋敷などでは、一日五クローネ程度で人を雇って庭の手入れをさせる事が多い。この季節、これと言っていい依頼が無いときは、ベテランから新米までお世話になる仕事の定番である。
もっとも、宏にとっては別の意味合いの方が強いのだが。
「また地味なものを選びますね……」
「たまに雑草の中に掘り出し物があったりするから、僕としてはこういう仕事の方がありがたいんやけど……」
一捻りした仕事選びの理由に、やはりこの男が腕のいい薬師である事を再確認するアン。この分だと、ゴミ拾いも額面通りに集めていた訳では無いのではなかろうか。
「何にしても、さすがに情けのうて藤堂さんに合わす顔が……」
「何が情けないの?」
口を挟んできたのは、仕事上りの春菜であった。
「ほんまにごめん……」
「初日なんだから、失敗しても気にする必要はないと思うんだけど……」
「せやけど、結構な赤字やで……」
「ん~……」
今日の稼ぎの余りの少なさに、ひたすら頭を下げ続ける宏を、どうしたものかと思案する春菜。正直なところ、四クローネやそこらの赤字ぐらいは、それほど致命的な問題だとは思えない。むしろ、たかがチンピラごときに下手に反撃して、騒ぎが大きくなったり死人が出たりする方がよっぽど拙い。
それに、金銭的な稼ぎは三クローネしかないにしても、素材に出来るものをいろいろ回収してきていると言う事だから、実質的にはマイナスではない気がする。二人分の宿代と生活費程度ならば春菜一人で十分稼げるし、どうしても大金が欲しいのであれば、宏がなりふり構わずいろんなものを作れば済む話なのだ。
「とりあえず、今日は単なる慣らし運転なんだし、そもそも役割分担で言うなら、必要なお金を直接稼ぐのは、多分私の役目だと思うんだ」
「っちゅうても、流石にこれは、何ぼ何でもなあ……」
「東君は、むしろ私が仕事をしやすいように、道具とか薬とかを作ったり、そのための材料を集めたり、って言うのを頑張ってくれれば、お金の事は気にしなくていいよ」
一人でやりくりするなら確かに、宏の今日の結果は致命傷につながりかねない。だが、宏と春菜は、基本的に財布を共有する。ならば、二人いるという強みを生かして、家計全体での収支を黒くすればいいのだ。
「あとね。最初からそんな気はしてたんだけど、冒険者としてステップアップして、ってやり方だと、拠点持てるだけの収入は難しいと思う。足元見られてる、ってほどじゃないけど、全体的に冒険者の仕事って、拘束時間の割に金額が安いし」
「……せやなあ」
「だから、依頼と歌以外にも、別にお金を稼ぐ手段を考えた方がいいと思う。ただ、東君が薬とか装備作って売る、って言うのは無し。交渉の札として使う分にはともかく、直接流通に乗せるのは拙いと思うから」
「また、ハードル高いなあ……」
春菜の言葉に、思わず唸ってしまう宏。正直、大金を稼ぐのなら、七級のポーションあたりを百本単位で作ればすぐだ。だが、それをするのは余りに目立つ上に、冒険者協会には感謝されても、一般の薬師からは恨みを買いかねない。そういう意味で比較的マシそうなのが武器を作って納品することだが、それとて、誰の手に渡るか分からないのが怖い。冒険者協会といえども、責任を持てるのは直接売りつける相手までである。
「まあ、とりあえず、もうしばらくは今日みたいに安全第一で雑用中心に仕事して、ただでもしくは限界まで安値で材料として使えるものを集めるのを優先しようよ」
「せやな。何するにしても、まだこっちの事をほとんど知らんし」
宏が納得したのを見て、内心でほっとする春菜。実際のところ、今後の事を考えるならば、この国での生活は宏に頼る事が多くなるはずだ。たかが十クローネ未満の赤字ごときでぎくしゃくするのは余りに嬉しくない。
「そんで、藤堂さんの稼ぎはどんなもんやったん?」
「私? 歌のおひねりも合わせて五十ぐらい。歌ったのは三曲かな?」
「うわあ……」
確かに、それだけの収入があるのであれば、宏が少々赤字を出したところで痛くもかゆくもないだろう。結局その日、宏はずっとへこみっぱなしであった。
2.箸使い
奴隷商人から達也達を救出したその日の夜。真琴が自分の部屋に連れ帰ったレイナと、寝床が準備できていないため宿に泊まった達也と澪を除く四人は、例の狭い部屋でテーブルを囲み、宏の宣言通りおでんをつついていた。
「昨日から気になっていたのですが……」
串に刺さった大根やこんにゃく、竹輪をかじってダシの味を堪能していたエアリスが、宏達の手元を見て口を開く。
「何?」
「お二人の国では、食事のときはその二本の棒を使うのが普通なのでしょうか?」
「ああ、お箸の事?」
「大概のモンは、これで食べるなあ」
そう言いながら、これでもかと言うぐらい味のしみた大根を割り、器用につまんで見せる宏。地味にものすごく綺麗な箸の使い方をしている。
「汁物は、お椀に直接口をつける事が多いかな?」
宏の言葉に捕捉しつつ、これまた綺麗な箸使いで厚揚げを一口サイズに切り分け、つまんで口に運ぶ春菜。
「器用なもんじゃな」
「うちの国の場合、上手い下手はあっても、おでんぐらいは普通に箸でつまんで食べるで」
「煮豆とかあたりになると、かなり微妙な人も増えてくるけどね」
ひょいひょいと器用につまんでは、がっついて見えない程度のペースで落ち着いて食事を続ける二人。その魔法のような箸捌きを見ていると、串に刺してもらったおでんをかじっている自分達が、物凄く不格好な食べ方をしているのでは? などと思ってしまう。
実際にはスジ肉などは二人とも串で持って食べているし、串カツのように箸を使わない物も多いのだが、二人の、特に春菜の上品で綺麗な所作での食事の仕方を見ていると、どうにも自分達は不細工な食べ方をしているのではないか、などと思ってしまうエアリスとドーガ。
「……もしかして、箸の使い方を覚えたい?」
「よろしければ、是非!」
「わしにも、教えてもらえんかのう?」
エアリスとドーガの視線の意味を察し、確認を取った春菜の言葉に食いついてくる二人。その様子を苦笑しながら、大根と竹輪を自分の皿に追加する宏。昆布ダシは好きでも昆布の煮しめはそれほど好きではないため、最初に割り振られた分以外はスルーしている。
「だったら、明日の午前中に、リーナさんも含めてまとめて教えてあげる」
「つまり、それまでに箸を作っとけ、っちゅう事やな?」
「頼んでいい?」
「香月さんとか溝口さんも一緒に行動するんやったら、どっちにしても新しいマイ箸を作らんとあかんから、二膳三膳増えたところで変わらんで」
「そっか。じゃあ、お願い」
「了解や」
そう言って、スジ肉と厚揚げの最後の一つに手を伸ばしたところで、エアリスがわずかに反応する。それを見て何かを察した宏が、標的をウィンナーとこんにゃくに変える。その宏の態度に思わず恐縮してしまうエアリスのために、厚揚げを串に刺してやる春菜。
「も、申し訳ありません……」
「子供はこれぐらいのわがままは言わないと、ね」
そう言って穏やかに微笑む春菜を見て、こんな女性になれたら兄や姉にかかる負担ももっと減るのだろうか、などと考えてしまうエアリス。後半年もしたら自分も姉になるのだから、もっとしっかりしなくてはならない。そう心の中で自身に言い聞かせる。
もっとも、この時の彼女の決意とは裏腹に、これから先日本人達とエアリス自身の食い意地によって、むしろどんどんと子供っぽくなっていってしまう事を彼女は知らない。
「それで、これですか……」
「まあ、いいんじゃない? リーナはともかく、エルとおじさんは基本あいつらと一緒に寝泊まりするんだし」
「それ以前に、俺達と同じ飯を食うんだったら、箸を使えるに越した事はないからなあ」
正体不明の二本の棒を渡され、目の前にたくさん盛られたファーレーン特産のリング豆を見てため息をつくレイナ。別にこれからやる事を馬鹿にしているとかではなく、自分にこんな細かい作業ができるとは思えないと言う種類のため息である。
そんなレイナにいい加減な事を言ってのける真琴と達也。懸案事項であった宏に対する態度に関しては、こちらについた時点ですでに本人が不在だったため、とりあえず先延ばしすることにしたのだ。澪に至っては、元々積極的に発言する性格でもないため、完全に沈黙を守っている。
一昨日あったらしい出来事は聞いてはいるが、被害者サイドが蒸し返す気が無い以上は、特に口を挟む気はないらしい。そもそもその場にいなかった彼らの場合、宏がどれほど猛烈な反応を示したのかを知らないのだから、問題のややこしさに対して実感がわく訳が無い。
なお、当の宏はメリザと昨日の事で話し合いをするために出ており、この場には不在である。
「とりあえず、どういう風に持つかを見せるから、まずは動かし方の練習から、かな?」
そう言って、ゆっくり箸の持ち方を繰り返しやってみせる春菜。それを真似て箸を持ってみる三人。それぞれの持ち方を軽く修正した後、動かし方を説明しながらゆっくり動かして見せる。
「簡単なような、難しいような、何とも言えん感覚じゃの」
「ペンの持ち方と動かし方に似ていますね」
「近いと言えば近いかな?」
そんな会話をしながらも、しばらく何もないところで箸を開閉させる四人。それなりに動かし方に慣れてきたと判断したところで、目の前で山盛りの豆をひょいひょいとつまんで皿に移して見せる春菜。
「練習の基本はこれ。ただひたすら豆をつまんで移す。手が疲れない範囲でやってみて」
あまりに春菜が簡単にやってみせるため、それでいいの? と言う顔をしてしまう三人。だが……。
「くっ! 逃げられたか!」
「もうちょっと、もうちょっと……。あっ!?」
「ぬう、やってみると難しいものじゃのう……」
つまもうとしては逃げられ、持ち上げては滑り落ち、なかなか最初の一つが移せない。
「そうそう、その調子……、ああ!」
「別に襲われる訳じゃないんだから、落ち着いてやればいいぞ」
「おじさん、力入りすぎ」
外野の日本人が、好き放題言いながら応援する。その様子を苦笑しながら見守り、時折三人にアドバイスをする春菜。そんなこんなを一分二分続けたあたりで……。
「あっ!」
「おっ!」
とうとう、エアリスが最初の一つを移すことに成功する。それも、すくい上げるようなつかみ方ではなく、少々不格好ながらもしっかり箸の先でつまみあげて、だ。
「出来ました!」
「凄い凄い!」
心の底から嬉しそうに言うエアリスに、惜しみない称賛を贈る一同。その言葉に気を良くしてか、次の豆を機嫌よくつまむエアリス。どうやら二つ目で完全にコツをつかんだらしく、移し替えるスピードがどんどん速くなり、それに比例して箸の使い方も綺麗になっていく。
「子供ってのは、物覚えが早いもんだなあ……」
エアリスの上達の速さに、しみじみとした口調で感嘆の声を上げる達也。その内容のおっさんくささに苦笑するしかない真琴と澪。
「それだけ使えれば、基本は問題ないかな」
「大丈夫だと思う」
春菜の言葉に澪が賛成する。豆をつまむのは、あくまでも箸の使い方の初歩。応用と言うほど大げさなものではないにしても、単に豆がつまめればいい、というものではない。
「じゃあ、ちょうどいいからお昼の魚で、次の使い方を説明するね」
「魚って、どんなのだ?」
「心配しなくても、普通の魚。今朝東君が秋刀魚みたいな魚を仕入れて来てたから、それを焼いて大根おろしとポン酢で食べようかな、って」
「……米が欲しくなるんだが、あるのか?」
「残念ながら、パン」
春菜の言葉に、思わずがっくり来る達也。流石に昨日の今日なので米欠乏症になっている訳ではないが、流石に焼き魚をおろしポン酢で食べるとなると、相棒は米とみそ汁を希望したくなる。
「因みに、みそ汁は出来るよ?」
「それって、かえって米の不在がきついと思うんだけど……」
春菜のとぼけた言葉に、思わず力のない声で突っ込みを入れてしまう真琴。こちらに飛ばされてから三カ月、久しぶりの和食に米が無いのは悲しい。それも、焼き魚におろしポン酢と言う米とビールが相棒と言いたくなるようなメニューなのが更に悲しい。
「押し麦の麦飯にする?」
「……保留で」
食べた事のない麦飯では、どうにも判断ができない。結局、昼は焼き魚に大根の葉っぱの炒め物をメインに、オニオンコンソメスープとコッペパンと言う何とも言い難いメニューになるのであった。
3.歌姫と基礎化粧品
「ハルナちゃんの肌、びっくりするぐらい綺麗なんだけど、一体どんな手入れをしているのかしら?」
風呂上りに春菜の肌をまじまじと観察し、心底うらやましそうにため息をつくミューゼル。肌年齢と言うやつは女性にとって、永遠の課題の一つだ。それがたとえミューゼルのように、今年の収穫祭の時に結婚する事が決まっている女でも同じである。それを気にしなくなるのは、子育てや世間に振り回され、女と言う性に疲れ果ててからであり、ミューゼルにとってはまだまだ先の話だ。
工房の風呂が改装中のため、春菜達は近場の公衆浴場に来ていた。真琴はまだ冒険者として仕事中で、澪は工房内のこまごまとした作業を続けていたため、後から別々に入りに来る事になっている。ミューゼルは今日は早番だったので、まだ日が落ち切っていないこの時間にここにいる。
実のところ、ミューゼルの住んでいる部屋は浴室付きのちょっとお高い1LDKなのだが、今日の買取査定は非常に汚れる仕事で、正直汗と汚れを落として着替えてからでないと、部屋に上がるのは嫌だったのだ。彼女に限らず冒険者協会の職員は汚れ仕事になる事が多いため、私物入れのロッカーには常に何着かの着替えとお風呂セットが収められている。
「リーナちゃんやエルちゃんも、そう思うでしょ?」
「……私には、一生縁のない話だ」
「リーナちゃん、諦めたらそこで終わりよ!」
どうにもどんよりした表情で、世界の終わりと言う感じで悔し紛れの一言を吐き捨てるレイナ。色々あって彼女には頭が上がらないため、どれほど羨ましく思っても、下手に悪態をついたりすること自体はばかられる。それゆえ、今言える限界のコメントをするしかない。そんなレイナを本気で励ますミューゼル。
「……私も、大人になったらあんな風になれるのでしょうか?」
丁寧に水気をぬぐい、生活魔法でしっかりと髪を乾かしている春菜を見て、憧れと悩みの入り混じった声でつぶやくエアリス。そんな彼女を見て、思わず親指を立てて頷き、絶対大丈夫と言いたくなって自重するミューゼル。正直言って、余程の事が無い限りエアリスが美人に育たないと言う事はないだろう。性格が違いすぎるので、春菜のようにと言うのは難しそうだが。
「それでハルナちゃん、どんな肌の手入れしてるの?」
「手入れって言うか、普通に化粧水と乳液でケアしてるだけだよ?」
「嘘!? それだけでこんなに、なんて……」
春菜の答えに衝撃を受け、これが若さ? などと虚ろな目でつぶやくミューゼル。だが、ミューゼルも若さと言う点ではそれほど負けている訳ではない。確かにウルスでの結婚適齢期をはみだしかかってはいるが、それでもまだ日本では大学も出ていない年なのだ。
「あの、ハルナ様……」
「何?」
「ハルナ様の化粧水と乳液は、どのようなものをお使いなのでしょう?」
「ん? ああ。特注品、って言う事になるのかな?」
春菜の言葉に、思わず顔を上げて詰め寄ろうとするミューゼル。そのミューゼルを間一髪で制したレイナが、恐る恐ると言った感じで口を開く。
「もしかしなくても、特注と言うのは……」
「ん。宏君だよ」
あっさり言いきった春菜に、それを言ってしまっていいのか? と言う表情を浮かべるレイナ。それを見た春菜が苦笑し、一つ頷く。
「そもそも、ミューゼルさんは宏君が薬とか作れること知ってるし」
春菜の回答に、何とも言えない表情になってしまうレイナ。いくらなんでも、そんな重要な情報を握られるのは、不用心に過ぎないかと思ってしまう。
「冒険者協会は、そういう情報は漏らしません」
レイナの疑惑に満ちた視線に対し、営業モードになって言い切るミューゼル。実際、一般に出回っている宏の情報など、ちょっとした薬や道具なら作れる冒険者、と言うレベルである。協会やレイナ達が握っているような、六級以上を製造可能だと言う情報は、今のところどこにも漏れていない。
「で、頼んだら私の分も作ってもらえるかな!?」
「依頼として処理してくれれば大丈夫だとは思うけど……」
「けど?」
「あれって、結構時間かかるんだ」
「……そうなの?」
「うん。私の時も、これで完成、ってとこまで十日ぐらいかかったし」
意外と長くかかる事に驚いていると、春菜がその理由を解説してくれる。
「とことんまで体質とかに合わせるから、まずは有効成分のどれが肌にあって、どれが肌にダメージを出すかを調べるところからスタートしてね。各成分がどのぐらいの分量まで大丈夫か、どういう比率だとダメージが出るか、って言うのを大雑把に見切るのに大体二時間ぐらいかけるの」
「それだけだったら、十日もかからないんじゃないの?」
「つけてどうなのかって言うのを、三日ぐらい使ってみて確認して、問題ありだったら成分調整して、で、私の場合三回やって確定。ただ、探り当てるまで時間がかかる事もあるみたいだから、上手くいくまで一カ月ぐらいかかる可能性もあるんだよね」
「それは、長いなあ……」
「長期間の影響って言うのは、やっぱり使ってみないと分からないところも多いから」
春菜の言葉に納得するとともに、なんとなくがっくりした様子を見せるミューゼル。
「そんなに手間がかかるんだったら、今バタバタしてるみたいだし無理よね?」
「ちょっと厳しいと思う。私たちみたいに同居してればともかく、ね」
流石にそこで、完成するまで同居させてと言いだすほど、非常識な性格はしていないミューゼル。とりあえず宏達の事情が落ち着くまでは待つ事にする。が、そう言う自重を必要としない立場の女が、この場に二人ほど。
「……ハルナ様……」
「エルちゃん達の分は、頼めばやってくれるんじゃないかな?」
春菜の安請け合いに、本当に? と言う表情を向けるエアリス。
「とりあえず、早く帰ってお願いしてみよっか」
「いいなあ~、同居いいなあ~」
「ミューゼルさんは、あきらめてください」
「ちぇっ」
などと軽口をたたきながら去っていくミューゼル。
「心配しなくても、リーナさんの分も用意してもらうから」
「いや、私はそれが許される立場では……」
「いいからいいから」
どうにも薬が効きすぎた感じで、してもらえることすべてを遠慮しようとするレイナ。余り遠慮しすぎるのも失礼になる、と言う事は当人も分かってはいるのだが、あれだけの事をしておいて厚かましいのではないか、と言う考えがどうしても先立ってしまうのだ。
「さっさと帰って、まずは肌荒れチェックから」
そう言って、なおも腰が引けた感じで遠慮しようとするレイナを引きずって、どことなく上機嫌で帰路につく春菜。正直、レイナがやらかした事に対してはまだしっくりこない感情はあるが、それとおしゃれ周りは別問題だ。
「本当にいいのだろうか……」
どうにもこうにも申し訳なさが先立つレイナ。とりあえず、明日の午前中はトイレ掃除と汚物処理を徹底的にやろうと心に決めるのであった。
後付けも含めた空白部分の話。
まだまだ空白部分があるので、
何か思いついたり書き足す必要が出たりしたら
このカテゴリーの話はあとから増えるかもしれません。