第20話
20話かけて文化祭までしか終わらなかった件について。
一年目はあと4話で終わらせたいけど、どうなることやら……
「エプロン、届いたよ」
文化祭十日前。朝のホームルームが始まる前。大よそクラス全員が揃ったところで、段ボールをもって前に出た春菜がそう告げる。
「へえ、できたんだ?」
「どんな感じだ?」
春菜の一声に、ワラワラと生徒たちが集まってくる。好奇心と期待に満ちた視線を浴びながら、春菜は一番上のエプロンを取り出して広げて見せた。
「エプロンなんて、どこで買っても一緒とか思ってたけど、違うもんだなあ……」
「家庭科の授業で作れそうなぐらいシンプルなのに、なんかすごく格好いいわよねえ……」
春菜の手によって広げられたエプロンを見て、教室中に感嘆のざわめきが生まれる。新人研修も兼ねた習作とはいえ、さすがに一流ブランドだけあって、そのエプロンは実に見栄えが良かった。
コストダウンと実用性、双方の理由から余計な装飾は一切省かれたシンプルなデザインなのだが、機能美を追求した結果、シンプルさゆえにやたらとスタイリッシュなシルエットとなっていた。
もっとも、余計な装飾は一切ないが、あれば便利だろうとポケットは三つほど取り付けられている。一流ブランドの意地かはたまたクライアントへの配慮か、遠目にはどころか至近距離で見ても一見してポケットがあるとは思えないデザインだが、調理作業などの邪魔にならずかつ出し入れしやすい場所にしっかり取り付けられている。
はっきり言って、その気になればちょっとしたおしゃれ着に使えるぐらい、デザイン性に優れたエプロンだ。正直、普通にエプロンとしての用途に使うのが逆にためらわれる。
「……すげえ。いもやってどっちかっていうとダサい名前なのに、このロゴだとダサい感じが全然しねえ……」
「プロっていうか有名なブランドって、すごいわねえ、本気で……」
ついでに一緒にデザインしてくれた屋号のロゴも、昭和臭漂うわざとらしいまでにベタな名前が妙な力強さを醸し出し、料理人がこだわりぬいた芋料理を出す店的な格好良さを感じさせる。
このレベルになると、所詮文化祭の模擬店では中身の方がつり合いが取れなさそうなのが問題である。
「エプロンはサイズ以外は男女共通にしたんだって。で、セットで付けてもらった三角巾がこれとこれ。ねじり鉢巻き風のが男子、シックなバンダナって感じのが女子だって」
そう言って、一枚ずつ三角巾を取り出して広げて見せる春菜。これまた単品でファッションアイテムとして使えそうな三角巾に、歓声が上がる。
女子のものは言うに及ばず、男子の三角巾もねじり鉢巻き風と言うのはあくまでモチーフでなので、言葉から受ける印象とは裏腹に、これを身に着けて街を歩いても浮かない程度にはデザインに優れている。
はっきりいって、ねじり鉢巻きと言われなければそうとは思えない。なんとなく和のテイストが強めだという印象はあっても、直球でねじり鉢巻きに行きつくのは難しいデザインなのだ。
「これ、本当に一組約二百四十円税込みでいいの?」
「うん。多分言われそうだと思って確認取ったんだけど、服って基本的に、値段の大部分がデザイン料と技術料なんだって。生地に関しては今回そこそこの枚数作ってるし、輸入品を使えばかなり安く抑えられるから、そのレベルでも生地の原価だけだとこんなものらしいよ」
「へえ、そうなのね」
春菜の事情説明を聞き、安川がなるほどという表情を浮かべて納得してみせる。材料原価に関して嘘をついているわけではないが、他にも三角巾に使った生地が比較的使い道に乏しい死蔵品だったという事情もある。
ある意味においては体よく不良在庫の処分を手伝わされた形ではあるが、誰も不幸にはなっていないので黙っている春菜。別に知られたところで誰も気にしない、というよりむしろ訳アリの訳というやつが分かって安心しそうな内容だが、お祭りムードに水を差す可能性もないではない。
いらぬ裏話は黙っているに越したことはないのだ。
「あと、デザインした人って、木津川先輩なんだって」
「木津川先輩って、三月に卒業した、手芸部で伝説作ったあの?」
「うん。あの木津川先輩」
生地の話が終わったところで、むしろ暴露すべきだろうと思っていたもう一つの裏話を披露する春菜。春菜が出した名前に、クラス中が更にどよめく。
春菜が口にした木津川先輩というのは、春菜達の一年先輩で木津川恵梨香という女性である。三年間で作った衣装や小物が数々の伝説を生み出し、去年の卒業制作は卒業生の伝手という事で雪菜が寄こしたアイドル歌手を、持参したステージ衣装よりも素敵な衣装で飾り立てたというすさまじい功績を残したまごう事なき天才だ。
なお、それだけ華々しい活躍を見せた割に、当人は非常に地味で目立たない外見をしているのは、ある種のお約束かもしれない。
「……あれ? 木津川先輩の就職先って、確か……」
「……ちょっと待って、藤堂さん。そのエプロンの洗濯タグ見せて」
「はい」
春菜からエプロンを受け取った安川ともう一人の女子生徒が、洗濯タグのロゴマークを見て絶句する。
そこには、潮見が世界に誇る超一流ファッションブランド、エンジェルメロディのロゴが燦然と輝いていた。
「えっ? あれ? ちょっと待ってどうして?」
「ここの卒業生で有名なファッションブランドで私の関係者って、エンジェルメロディしかないと思うんだけど、気づいてなかったの?」
「……卒業生全員の進路なんて知らないし、藤堂さんの関係者だったらいくらでも一流ブランドがありそうだったから……」
「有名ブランドって言ってもいろいろだから、もっと手ごろなところのかと思ってたんだけど……」
春菜の切り返しに、思わずうなだれる安川達。潮見に住む、どころか日本中の女性たちのあこがれであるエンジェルメロディ。その初体験が、よもやコンビニのサンドイッチと大差ない値段のエプロンと三角巾という点に、いろいろと思うところがあるのだ。
ちなみに、思うところの一番は、いくら向こうから言い出したこととはいえ、仮にも世界中の富豪がこぞってフルオーダー品を発注する高級ブランドに、こんなしょぼい仕事をさせて申し訳ないというものだ。ついで、初体験はもっとちゃんとした服でやってみたかった、なのは、ある意味当然であろう。
「ちなみに、これ正規の値段だったらいくらぐらいするのかしら?」
「自分で買ったこともカタログ見たこともないからよく知らないけど、多分百組以上作っても、平均を取ったら一組で五ケタの大台には普通に乗るんじゃないかな? 代理店とか通すと多分もっと値段上がると思うし」
「エプロンの値段とは思えないわね……」
蓉子の問いに対し、実に適当な答えを返す春菜。その答えを聞き、遠い目をする蓉子。
実際のところは、デザインをしたのが研修中の新人である木津川なので、ロゴのデザインがなければ春菜の想定の半額程度で、ロゴのデザイン料も含めれば春菜が考えているより何倍か高価だったりする。
参考までに、デザイナーがブランドトップの未来だった場合、ロゴのデザインがなくてももっとすごい値段になる。未来にデザインしてもらうとなると、そもそも金額以前にその気になってもらうこと自体に非常に苦労するのだが、そこは今回は関係ないのでおいておく。
どちらにせよ、たかが文化祭で使うエプロンの値段としては、常軌を逸した金額なのは間違いない。
「というか、春菜ちゃん。自分で買ったこともカタログ見たこともないって、どういうこと?」
「これは深雪もなんだけど、子供の頃からファッションモデル代わりの着せ替え人形にされてきたから、エンジェルメロディでわざわざ買おうと思ったことってないんだよね。私はさすがにカタログとかに写真乗っけるのは勘弁してもらってるけど、深雪はたまにお小遣い欲しさにカタログのモデルやってるみたい」
「ああ、うん。春菜ちゃんだったら普通にそうだよね」
「ねえ、美香。わざわざ聞かなくてもそれぐらい想像つくでしょ?」
「うん。そこに気が付かなかったあたし、頭悪いな、って今思ったよ」
春菜のそのあたりの事情を聴き、素直に自分の想像力とか推測能力とかそういったものが欠けていたことを認める美香。そもそも、今回のような内容を、個人的に直接春菜に申し出るような関係なのだ。わざわざ買わなくても着る機会などいくらでもあるだろう。
ちなみに余談ながら、春菜は高級ブランドと同じぐらい、下着の相場やデザインのバリエーションに疎い。下着類は未来が手ずから計測して作ったものをプレゼントしてくれるため、買う機会が一切ないのである。
他にもナンパその他の問題であまりがっつりお洒落をしづらい関係上、ファッショナブルなカジュアル系の服の値段には詳しくない。その系統は親のおさがりなどがいくらでもあるので、基本的に自分で買う服は無○良品やユ○クロなどの基本的に年代性別問わずの普段着系ブランドか、し○むらあたりの無難ながらもちょっとおしゃれだったり気の利いたものがあったりする店のものだ。
親をはじめとした周囲のおかげでファッションセンス自体は磨かれているものの、こういう面では何気に澪とあまり変わらないレベルで箱入りな春菜であった。
「まあ、とりあえず、エプロンの試着は昼休みか放課後かな。もうそろそろホームルームだし」
「そうね」
話が変な方に流れそうになったので、現在の時刻を口実に話題を切り上げる春菜。実際にそろそろ予鈴が鳴る時刻なので、安川達もその言葉に乗っかり自分の席に戻る。
結局、その日の放課後はエプロンの試着で大騒ぎになり、あまり準備は進まなくなるのであった。
そんなこんなで時は流れて文化祭前日。
「看板の位置は、こんなもんか?」
「もうちょい左の方が、バランスよさそうやな」
「ホースを借りてきた! 東、ガスを配管頼む!」
「おう。今行くからちょい待って!」
本日は授業は休み、丸一日準備という事で、朝からどこのクラス・部活も最後の仕上げにあわただしく動き回っていた。
「ガスの栓はここで、おでん鍋がここ。コンロをこことこことここに配置やから、ガスホースを足引っ掛けへんようにっちゅうと……」
山口から預かったガスホースを、配置図を見ながら慎重に這わせる宏。これをいい加減にやってしまうと、事故確率が跳ね上がって大変危険だ。
「多分、これで足引っ掛けたりとかは大丈夫やと思うけど、ちょい確認してや」
「おう。……大丈夫そうだな。後は壁紙でホース隠したら終わりか?」
「いんや。その前にちゃんと点火するかどうかと、ガス漏れが起こらんかどうかの確認がいるで」
学食からレンタルしたおでん鍋と学校の備品である卓上コンロの接続を再度確認し、栓を開いて点火する宏。ちゃんと配管ができているようで、特に問題なくガスに着火する。
「よっしゃ。これでOKやな」
着火を確認し、ガスが漏れたにおいなどがしないことも確かめた宏が、火を消しながらそう宣言する。その宣言を聞いたクラスメイト達が、後ろに丸めて置いてあった模造紙を手に取って次の作業に移る。
「じゃあ、壁紙だな」
「ようやく、東の力作の出番か」
そんなことを言い合いながら、とてつもなく正確なサイズで作られた、古くてよく言えば風情がある、悪く言えばぼろい料理屋を模した壁紙を現在クラスにいる人間総出で貼り付けていく。押しピンとセロハンテープで止めただけという非常にチープな固定方法が、かろうじて文化祭らしさを感じさせるが、そうでなければ安い模造紙にそれっぽく描かれただけとは到底思えない。
残念ながら、宏の描画能力はこの手の大道具的なものにしか発揮されないため、漫画やイラスト、普通の絵画を描いても大したものはできない。むしろ、そっち方面は春菜や澪の方が数段上で、更にその先に超えられない壁があって真琴がいる。
ちなみに、現在教室に残っているのは男子生徒の一部のみだ。春菜を含む残りの生徒は、総出で買い出しや調理実習室での仕込み作業を行っている。
「よし、こっちは終わりだ」
「後ろも終わったぞ」
「後は机と椅子の並べ替えだな」
壁紙の出来もあり、いろいろとシュールな感じになった教室をざっと確認した後、次の準備に移るクラス一同。とはいえ、最も手間がかかる壁紙の貼り付けは終わっており、後はスペースを見ながら残った机を四つ一組にして、テーブルクロスをかけるだけである。
大した作業でもないため、大まかな配置は十分もかからずに終わってしまう。
「こんなもんか?」
「だと思うけど、ちっと座ってみて、周りうろうろしてみて確認かな?」
そう言いながら、わざと雑に座って通れるかどうかを確認、微調整していく男子一同。
「こっちはこんなもんだろう」
「こっちはもう少しスペース取ったほうがいいかもなあ。通れなくはないが、場合によっちゃあお客さんの体に腕とか当たりそうだ」
「じゃあ、これぐらいか?」
「そうなると、今度はこっち側をちょっといじらないとなあ……」
メジャーで測って配置した割に、微妙な不具合が続出するテーブル。それをちまちまと修正して、納得がいく状態に仕上げる。
「もう一組、いけなくもなさそうだが……」
「ゴミ箱の配置とテイクアウトの人ら考えたら、やめといた方がええやろう」
「……そうだな」
山口の意見を、宏が即座に否定する。宏に否定され、山口も意見を取り下げる。
「裁断機借りてきたけど、新聞紙はどれぐらいに切ればいい?」
「芋の大きさから言うと、四分の一ぐらいに切ればええと思うで。持てるようにすればええから、全部包む必要はあらへんし」
「なるほど。とりあえず、半分に切った奴と四分の一に切った奴で試してみようぜ」
「せやな」
テーブルの配置について相談している間に、裁断機貸し出しの順番待ちをしていた生徒が戻ってきて、焼き芋を包む新聞やチラシの大きさをどうするか確認してくる。その間にも、手が空いた他のクラスメイトが教室の中を見渡して、次にすべきことを口にする。
「余った椅子とかはどうすればいいんだ?」
「文化祭で使わない教室に運べばいい。一番近いのは一組だな」
手が空いた男子の質問に、文化祭実行委員の春田がそう答える。
「そうか。全部一組でいいのか?」
「いや、四つほどは作業スペースに置いといて、荷物その他の仮置き場につかうわ」
「了解。後、そろそろ焼き芋機と蒸籠は置いちまっていいんじゃないか?」
「せやな。一組に預けとったはずやから、受け取ってくるわ」
「なら、ついでに俺らも運ぶの手伝うぞ」
「頼むわ」
そう言って、椅子をいくつか手にして一組へと移動する宏達。安全のために二人がかりで焼き芋製造機を運び、他の男子が万能蒸し器やサツマイモ、ジャガイモなど練習用という事で預けてあったものを抱えてついてくる。
「東、ごみ箱はこの辺で大丈夫そうか?」
「せやな、そのあたりやろ」
宏達が焼き芋製造機などを運んでくる間も、山口の指揮のもと細かい作業は進んでいたらしい。仮配置されたごみ箱を指しながら、山口が確認を取ってくる。
「そーいや、ごみの分別ってどうなるんだっけ?」
「うちの場合は金属ゴミや普通のプラゴミは出ないから、基本一律生ごみ燃えるゴミ扱いでよかったはずだぞ」
「ごみは食堂のゴミ捨て場でいいのか?」
「ああ。そこに集めてぶち込めばいい」
ゴミ箱の話題が出たところで、できる作業が終わって待機していた男子がゴミの処理について確認する。それに対して、山口が分かっている範囲で答える。
学食も飲食業者なので、例の生ごみ処理装置は普通に導入されている。なので、潮見高校で発生する生ごみや包装資材の大部分は、学食の生ごみ処理装置で処分される。
今回、宏達のクラスでは金属ゴミは出てこない。商品を提供する際に使う皿やお椀は紙製、割り箸は生分解性プラスチックが使われている生ごみ処理装置で処理可能な品物である。バターを直接包んでいるアルミホイルも、最近ではアルミを使わず同じ効果を得られる製品が主になっており、これも生ごみ処理装置に入れても普通に処理してくれる。
そういう事情故、細かい事は考えずにまとめて生ゴミ扱いで処理しても、普通に問題なく処理できるのだ。
このように、宏達の日本ではここ数年で可燃ごみの大部分が生ごみ処理装置で処理できるようになっており、ごみの分別回収に関しては年々簡素化が進んでいる。一般人が意識しないところでリサイクル技術も高度化していることを考えると、そう遠くない将来、ポイ捨て以外でゴミが問題になることはなくなりそうである。
このあたりの事情には関係者の一部が自分のゼミ出身であること以外に天音が噛んでいないあたり、日本の一般人の技術力や開発能力もなかなか捨てたものではないようだ。
「ただいま~」
「芋煮とおでん、用意してきたわよ」
そんな話をしている間に、宏が機材の設置をすべて終えたタイミングで、春菜達調理実習室組が戻ってくる。おでんのダシが入った容器や芋煮の入った寸胴鍋、おでんの具材を種類ごとに分けておさめたタッパーなど、彼女たちが持っている荷物はなかなかの分量となっている。
「ほな、おでんはダシこん中に流し込んだら具材を種類ごとに入れたって。豚汁は各コンロの上に配置な」
「了解。買い出し部隊が帰ってきたら試食もかねて腹ごしらえして、後は放送で告知してもらって練習かな?」
「せやな。そっちは僕は参加せえへんから、畑から食材回収してこなあかん、っちゅうんがあったら言うて」
宏の申し出に、しばし考え込む春菜。三十秒ほど頭の中でカウントし、明日の仕込みが怪しくなりそうなものを導き出す。
「感じから言って、ゴボウと大根とスジ肉とタマゴが怪しいと思うんだ。でも、卵とスジ肉は、この時間だとちょっと厳しいかな?」
「了解。卵は多分、何とかなると思うわ。ついでに、ジャガイモとサツマイモも追加で持ってこよか?」
「あ、そうだね。晩御飯に野菜カレー作ろうかと思ってるから、余裕がありそうだったら大型の炊飯器とか借りてきてくれたら助かるよ」
「ほな、その材料もやな。大体どんぐらいあったら足りそう?」
「ん~、そうだね……」
春菜がピックアップした食材を、パソコンでメモる宏。ついでに安永氏に、卵とスジ肉が確保できないか打診しておく。
なぜ安永氏なのかというと、今回肉類や卵に関しては、安永氏を通してその親戚の畜産農家からタイムラグのある物々交換や卸値での調達をしているからである。
タイムラグのある物々交換、その主な対象はスイカで、売り場に並べきれなかった大量のスイカを安永一族にただで渡したところ、今回の文化祭の練習に使う食材は無償で、本番で使う物は卸値で提供してくれることとなったのだ。
とはいえ、さすがに出荷作業が終わった後では厳しいので、卵はまだしもスジ肉となると、そろそろ微妙に怪しい時間になっている。
「量が量やから軽トラ使うことになりそうやけど、この場合いつきさん頼らんとまずいやろうなあ……」
「さすがに、宏君が学校まで運転してくるのは駄目だと思うよ」
「やんなあ……」
普通にキロ単位、ものによっては箱単位で要求される食材の量に、宏も春菜も生身での運搬をサクッとあきらめる。
「てか東、免許取ってるんだ」
「あったら便利か、思って、夏休み入って直ぐにな。ちなみに、誕生日は七月二十七日な」
「ああ、なるほど。俺は誕生日まだだし、入試もあるから春休みに取るつもりなんだよな」
「実は黙ってたけど、あたしも親に言われて夏休みに合宿行って免許取ってきた。ただ、取っただけで一回も運転してないけど」
軽トラを運転、という話から、運転免許の話題が出てくる。そのまま、受験生だというのにもう免許を持っている、逆に誕生日は来たがまだとっていない、などで盛り上がっているところへ、買い出し部隊が戻ってくる。
「ただいま~」
「喜べ! 白飯を安く調達してきたぞ!」
「おにぎりもあるよ~」
そう言いながら、やや遅めの昼食として調達してきた白飯やおにぎりを全員に配っていく買い出し部隊。豚汁とおでんの匂いでそろそろ辛抱たまらなくなっていたクラス一同が、歓声を上げながら受け取っていく。
炊飯器を使わせてもらう余裕がなかったことと、宏と春菜が格安でいろんなものを調達してくれたために予算に余裕があったことから、買い出し部隊は急遽白いご飯やおにぎりを追加で調達してきたのだ。
「ほな、おでんと芋煮配ったら試食やな」
「おう、手早く頼む!」
「おでん、こんにゃくとちくわは外せないぜ!」
「馬鹿野郎! まずは大根、それに厚揚げとスジ肉だろうが!」
「そういや、藤堂さんちのおでんってちくわぶはないのね?」
「あ~、うん。うちの味付けとかダシの取り方、関西のが基本だから」
などとわいわい言いながら、ある程度リクエストに応じつつおでんと芋煮を配っていく。全員に行き渡ったところで、最低限の礼儀というか行儀としていただきますを唱和し、思い思いの場所に腰を下ろして試食を始める。
ちなみに、内容的にトレイがなければ運べない、という問題は、今回は文化祭全体で天音の新発明である空間投影式トレイを試験運用するために、わざわざ宏達がアイデアを出すまでもなく解決している。
名前から想像がつくだろうが、空間投影式トレイとは、空中に投影したトレイの上に物を載せて運搬する、という、空間投影式のディスプレイやキーボードを発展させた新技術だ。
ここで試験運用をしようとしていることからも分かるように、システムとしては安定していて既に実用段階にあり、あとはコストをはじめとしたよくある問題と、運用ノウハウの蓄積だけで商品化できるところまで来ている。
海南大学ではすでにデータ取りのために学食に導入されており、学園祭で一度目の大規模運営テストも特にトラブルなしで終えている。なので、今度は開発者の目が届かない所でも問題なく稼働できるか、というテストを母校である潮見高校で行うことになったのだ。
潮見高校が、公立高校とは思えないほどこういうことに協力的だからこそ実現したと言える。
「……椅子、向こうに片したんは早かったかもしれんなあ」
「そうだな」
作業前にきっちりと徹底的に掃除をし、更に敷物を敷いているとはいえ、床に直接腰を下ろしているクラスメイト一同を見て、失敗したという顔で宏と山口がいう。
その間にも、食事に箸をつけたクラスメイト達はその味の虜になり、一切無駄口をたたかずにどんどんと芋煮を食らい尽くしおでんを平らげていく。
「こらヤバいな。先準備しとくか」
クラスメイトの食事スピードを見た宏が、自身の食事をいったん中断して焼き芋製造機と万能蒸し器を起動し、芋をどんどん投入していく。その挙動を見て、おでんや芋煮を勝手にお代わりしていたクラスメイト達が、しまったとばかりに追加の手を止める。
「そうだった。焼き芋とじゃがバター、忘れてた」
「全員食い終わってちょっとしたぐらいに出来上がりやから、あんま食うたら後で腹はちきれそうになって後悔すんで」
「今まさに、ミスを痛感してるさ……」
思わずおでんのおかわり三周目に突入してしまった男子が、本気で悔いるような表情を浮かべながら宏に答える。その視線は焼き芋製造機に向けられており、彼の内心での葛藤がよく表れている。
「にしても、うめえなあ……」
「これ、五品で三百円だっけか?」
「そうそう。お釣りを計算しやすくするために、他のメニューと合わせて百円刻みにして、一品単位での販売は無しにしてあるんだ。って言っても、多分最後は具材が五の倍数にはならないと思うけど」
「だろうなあ」
値段についての春菜の言葉に、納得するように頷く男子生徒二人。釣り銭の計算もそうだが、五の倍数にならないというのも大体予想がつく。
「っちゅうか、春菜さん的には今回のメニュー編成やと、おでんはおでんだけに絞って一個いくらで売りたかった感じちゃうん?」
「そうだね。足すとしても、せいぜい豚汁だけかな? 炭火のコンロを出していいんだったら、焼き鳥かなにかもやりたいところだけど」
「まあ、個人的には、豚汁やるんやったらおにぎりかなんかも欲しい所やけど」
「おでんはともかく、豚汁はお米が欲しいよね」
春菜の嗜好ぐらいはお見通し、と言わんばかりの宏の突っ込みに、にっこり笑いながら肯定する春菜。その仲睦まじい様子に、来た来たとばかりにクラス中から生温かい視線が向けられる。
「それはそうと、おでんはともかくっちゅうんはどういう意味なん?」
「おでんって、人、というか家庭によってはおかずとして認識してない事もあるんだよね。うちなんかは基本的に、ケーキとかみたいな完膚なきまでにお菓子、ってもの以外はご飯のおかずにしちゃうけど」
「そうなんや」
「うん。似たようなものとしてはお好み焼きなんかもそうかな? まあ、お好み焼きをおかずにご飯食べるのって、基本的には関西の文化らしいんだけど」
「関西、っちゅうか、ほぼ大阪やろうな。あと、大阪の人間でも、みんながみんなお好み焼きでご飯食う訳やないで」
「うん、知ってる。というか、宏君も基本的には、お好み焼きはおかずじゃない感じだよね」
「うちの場合は、どっちかっちゅうとその日の気分やな」
屋台のメニューからおでんの話題に移り、更にお好み焼きの食べ方にまで話を飛躍させる宏と春菜。その間にしれっと宏のお好み焼きの食べ方が春菜の口から出ているが、もはやこれぐらいでは外野はどよめきもしない。
「で、今思ってんけど、おでんに焼き鳥って飲み屋のメニューちゃうん?」
「そうだね。モツ煮もあれば完璧だよね」
「炭火コンロの許可下りへんのが確実でよかったわ。そのメニューを高校の文化祭でやるとか、チャレンジャーにもほどがあんで」
「や、いくら私でも、さすがに文化祭ではやらないよ?」
「文化祭の模擬店のために、おでんのダシを一カ月前から仕込もうとする女が言うても、全然説得力あらへんで」
「うっ」
全く緊張感も遠慮も感じさせない気安いやり取りをする宏と春菜を、これが見たかったんだとばかりにほのぼのとした表情で見守るクラスメイト一同。
相変わらず春菜から宏への好き好きオーラがダダ漏れな割に甘さは皆無だが、その分お互いに対する信頼がほのぼのとした温かさを振りまいている。
正直、これでまだ春菜の片思いだというのは詐欺くさいにもほどがあるが、ある意味においてカップルの理想像と言えなくもない。
「っと、そろそろお芋焼けたんじゃないかな?」
「せやな。じゃあ、それ食ったらちょっと行ってくるわ」
「うん。あ、そうだ。晩御飯はここで食べるんだよね?」
「そのつもりやで」
焼き芋の最初の一個を取り出し、割って焼け具合を確認しながら春菜の問いに答える宏。そのまま、芋の出来具合を確認するように、味わいながら平らげる。
そのまま、次にじゃがバターの方もじっくり味見しながら平らげ、一つ頷くと周囲に宣言する。
「うし、ええ出来や。ほな、各自扱いの練習もかねて、勝手に取って勝手に食うてや」
宏のその宣言を受け、食事を終えて待機していた生徒、それも主に女子一同が歓声を上げながら、焼き芋製造機に群がる。そのままきゃあきゃあ言いながら、どんどん焼き芋を取り出しては周囲に渡し、次の芋を補充していく。
「……こら、芋どんだけあっても足らん感じやなあ……」
「だよね~……」
「まあ、保存きくし、予定の倍持ってきとけば足るやろう。ちょっと余らせてもうた、っちゅうぐらいやったら、最悪後夜祭か片づけの日に焼いて振舞えば食い尽くせるやろし」
「場合によっては、学食の厨房か調理実習室借りて、スイートポテトか大学芋でも作るよ」
「せやな。ほなまあ、行ってくるわ」
「いってらっしゃい」
芋に夢中になっているクラスメイト達を放置し、さっさと追加の食材を調達しに行く宏。それに気が付いた女子生徒が一人、慌てて春菜のもとに駆け寄ってくる。
「あ、東は行っちゃったんだ」
「うん。どうしたの?」
「実は、肉無しのカレーって聞いてたから、こっそりカンパ集めてお肉代を捻出してたのよ。東と藤堂には食材も料理もものすごく奢ってもらってるから、これぐらいはしたいよねって話になってさ。で、みんな千円以上出してくれてるから、これだけあればカレー用のお肉ぐらいは買えるかなって思ったんだけど……」
「大丈夫だとは思うけど、私達の場合、カレーっていうと基本的に牛肉だから、量は少なめになるよ?」
「いいのいいの。お肉が入ってるってだけでもテンションが違うから!」
「ん~、じゃあ、ある程度提供の練習にめどがついたら、貰ったお金で買えるだけ買ってくるよ」
「お願い。余ったお金は、二人の経費って事で折半しちゃっていいから」
「了解。じゃあ、ちょっと空の鍋を調理実習室に返してくるついでに、放送室に行って案内の放送入れてもらうよ」
そう言って、カンパで集めたお金約四万円を春菜に渡す女子生徒。それを受け取って立ち上がり、すでに空になっている一つ目の芋煮の寸胴鍋を回収して教室を出ていく春菜。
その後、提供の練習もかねて振舞った料理が好評すぎて本番用の食材の半分以上を食いつぶす羽目になったり、宏が調達してきた食材や機材が予想以上で春菜の目の輝きがすごい事になったり、先週に宏がでっち上げたふかし芋カッターの便利さのおかげで、じゃがバターの供給がものすごくスムーズになっていたりと、祭りの準備はいろんな意味で思い出に残る形で進んでいく。
なお、生徒たちの間では、それ以外にも宏がでっち上げた便利グッズの便利さのほうが空間投影式トレイよりも話題になっている。天音が常識を超えた何かを用意して一般人を驚かせるのは当たり前のことだが、普通の高校生であるはずの宏が長年改良され定着している便利器具あれこれよりさらに便利で使い勝手がいいものを作るのは、単に驚きという言葉だけでは表現できない事柄なのだから当然であろう。
そんなこんなで時間は進んで夕食の準備。
「……なあ、春菜さん」
「……何かな?」
「なんでうちら、学校におる全員の分をおさんどんしとるんやろうなあ?」
「……まあ、予算回してもらったし、いいんじゃないかな?」
カレーの香りが充満する学食の厨房で大量の大鍋の面倒を見ながら、宏と春菜が遠い目をしていた。
「……というかね、宏君」
「……なんや?」
「実は私、今朝の時点でなんとなくこうなるんじゃないかな、って気がしてたんだよね……」
「奇遇やな。実は僕もな、そんな気がしとったんや……」
「うん、知ってた」
お互いに現状についてそんな告白をする宏と春菜。少なくとも、宏がこの事態を予想していたのは、材料になるスパイスを缶単位で調達してきた、どころか牛肉すら安永氏経由で確保してきたことからも容易に想像がつく。
「とりあえず、米を学食からも提供してもらえたんは助かるわ。さすがに教師入れてウン百人っちゅうと、そんな量の米は調達してきてへんし」
「カレーだとお米沢山食べるから、多分百キロじゃ足りないんだよね」
「せやねん。クラス分に余裕見て三十キロほどしか調達してきてへんから、全然足らんで」
「まあ、今はそれ以上に鍋とコンロが足りてないけど」
「調理実習室に宿直室までカレー煮込むんに借りとるからなあ」
「なんかこう、向こうでの炊き出しを思い出すよね」
「機材的には、今の方が不自由しとるけどな」
などと言いながら、いい感じに煮込み終わったカレーを次々とコンロから降ろしていく宏と春菜。そのまま、余った鍋を探し出して、更に新たなカレーを仕込み始める。
鍋一杯でせいぜい一クラス分、運動部の胃袋を考えればどう考えても足りないとあって、現在調理設備がある場所を全部夕食準備のために占拠した上で、料理ができる人間が総出で宏と春菜が仕込んだカレーを煮込み、米を炊いている。
そんな環境故に学校中にカレーの香りが漂い始め、出来上がったカレーと炊きあがった米の匂いに誘われ、徐々に生徒たちが夕食のために学食へと集まってくる。
「……なんぞ、戦争の気配やな」
「そうだね。次が煮込み終わるまで持つといいんだけどね……」
「むしろ、米がやばいかもな……」
そんな宏と春菜の心配は的中し、神々の晩餐スキルによる増量効果があってなお提供が追い付かず、更に若干残ったカレーの処遇に絡む血で血を洗う戦争(注:イメージによる誇張表現)を引き起こして、宏にとっての文化祭は終わりを告げるのであった。
そして翌日、文化祭一日目。
「……予想はしてたが、また恐ろしい集客力だな」
「……ん。ものすごい勢いで客捌いてるのに、列が全然減ってない」
折角だからと様子を見に来た達也たちが、宏と春菜のクラスの店「いもや」の盛況ぶりに顔を引きつらせていた。
「まあ、文句言っててもしょうがないし、諦めて並びましょ」
「ん。どうせ春姉が絡んだ時点でこうなるのは分かってたんだし、文句言ってもしょうがない」
「だな」
真琴に促され、澪と達也が大人しく行列の最後尾に並ぶ。
「エルさまも、よろしいですか~?」
「気になさらなくても大丈夫ですよ。こちらではただの子供なのですから、こちらのルールに従います。それに、並んで待つぐらいの事で文句を言うほど、道理をわきまえていないわけではないつもりですし」
文化祭の模擬店とは思えない行列に、やや不安になった詩織がエアリスに問う。その問いにきらきらとした笑顔を浮かべて、エアリスが妙に嬉しそうにそう答える。
「エル、なんだかあんた、妙に嬉しそうねえ……」
「はい。実は今まで、こういった行列に並んだことがございませんで……」
「いやいやいや。あんたの立場だったら、それが普通だからね?」
「公式の立場で行動するときは、それが普通なのは分かっております。ですが、さすがにファムさんたちと一緒にウルス東地区の屋台村などに行ったときすら、ちゃんとヒロシ様の魔道具で変装していたにも関わらず、皆様が列を譲ってくださるので……」
「あ~……」
エアリスの答えに、何やらいろいろ納得した様子を見せる真琴。エアリスは妙にそういう雑な扱いを喜ぶが、普通の貴族はそうでもない。なので、向こうでは貴族には道や順番を譲るのは、割と当たり前の処世術である。
ダールで屋台をやっていた時、変装してやってきた女王がそういう扱いを受けなかったのは、ひとえにアルヴァンとしての経験によるところが大きい。はっきり言って、生まれてからずっとお姫さまと巫女だけをやっていたエアリスでは、どうやっても同じことは不可能だ。
なので、注目は集めても誰もそういう発想をしない日本でもなければ、エアリスが行列に並んで待つという事はできないだろう。
「それにしても、これやったの宏でしょうけど、ちょっとやりすぎじゃない?」
「文化祭の模擬店、って外見ではないな」
「専門の業者が作りました、って言っても通じるよね~」
大人しく最後尾に並びつつ、やたら気合が入った店の看板や壁紙その他に、そう突っ込みを入れる年長組。よく見ればちゃんとセロハンテープなどで固定しているのが分かるが、それに気が付かなければ実際にそういう素材で壁を作っている、それも相当年月を重ねた店のようにしか見えない。
はっきり言って、あまりに本格的すぎて、前後の教室と比べて思いっきり浮いている。
「でもこれ、多分師匠は限界まで手を抜いてるはず。前に畑で、そのあたりの事でぼやいてた」
「そうですね。確かに素晴らしい出来ではありますが、ヒロシ様が本気を出したにしてはちょっと……」
「本気どころか多分、普通に仕事するぐらいの感覚でやっても、もっとガチな感じになる」
このあたりの裏話を知らない年長組に対し、澪が日頃の無表情のままやや労しそうにそう告げる。ただ紙を張っているだけだとわざと見せているにしても中途半端すぎる、という部分で違和感を覚えていたエアリスも、澪の言葉に同意する。
「……言われてみれば、そうね」
「つまるところ、ヒロにやらせたら、どうしても最低限でこれぐらいにはなっちまう、っつう訳か」
「難儀な話ねえ……」
宏の思わぬ苦労を知り、あ~、という感じの表情を浮かべる真琴と達也。日本に戻ってきてから、日本で手に入る資材で本格的に物を作ったのはこれが初めてなので、宏が神になってしまった影響がどの程度のものなのかピンと来ていなかったのだ。
「……で、さっきから思ってたんだけど、ボクたち、視線を超集めてる」
店の外観について全員が納得したところで、この点について無視するにも限界を超えた澪が、思わずぼやくように話題に挙げてしまう。
「そりゃまあ、これだけ目立つ集団だもの。しょうがないわよ」
「やっぱり、達兄と詩織姉とエルが揃うと、目立つなんて言葉では表現できない」
「その台詞、あたしからすればどの口が言うのかって感じだけどね」
流石に堂々とカメラを向けるほどぶしつけな人間はいないものの、それでも有名人が来たのと変わらぬぐらいの視線を集めている現状について、思わず漫才じみた会話をしてしまう真琴と澪。
容姿だけで言うなら、この場にいる五人のうち四人が平均をはるかにぶっちぎった美貌を誇っている。これで注目を集めないわけがない。
最大の問題は、見た目の印象と中身の一致度合いが結構低い集団だ、という事だろう。少なくとも、神秘的な和風美少女に見える澪と聖女然としたエアリスは、どちらも相当残念な部分を隠すつもりもないのが実態だ。
そういう面では一番ギャップが少ない詩織ですら、恐らくその妙にポンコツな本性をフルオープンにすれば、色々と幻想を打ち砕くことになるのは間違いない。
このあたりの外見詐欺は今に始まったことではないが、こうやって集団になるとお互いがお互いを増幅することもあり、詐欺度合いも実態との落差もなかなかひどいことになっている。
さらにここに春菜が加わることを考えると、世の中の奥の深さをいろいろと噛みしめる事になりそうである。
なお、今回一番哀れなのは、まるでイケメンがハーレムを形成しているようにしか見えない達也、ではなく、美男美女の集団にポツンと普通の容姿で混ざる羽目になり、逆の意味で無駄に目立ってしまっている真琴であろう。
せめてジノあたりの特別に美形というわけではない男が一人か二人いれば、もう少し居心地の悪さもマシになるのに、と真琴が内心で思ってしまうのも無理はなかろう。
「……並ぶ前にも思ってたんだけど、列が進むの、結構早いわよね」
「まあ、中で座って食べる訳じゃないようだし、汁物と焼き芋のテイクアウトっつったら、数にもよるがこれぐらいのペースが普通なんだろう」
「そうかもね」
そろそろ教室に入れそうだ、というところで、意外な進行の速さに真琴と達也の口からそんなコメントが飛び出す。その間にもトレイの上にフルセットを乗せた客が出ていき、食べられる場所がないかを探し回っている。
「ねえ、タッちゃん。パンフに書いてあった空間投影式トレイって、あれの事かなあ?」
「みたいだな。つうか、本当に非実体の投影物なのに、上に物を乗せても落ちないんだな」
「技術の進歩って、すごいよね~」
「だなあ……」
半透明のあからさまに何か空間に投影しています、という風情の板の上に芋煮だのおでんだのが入った紙のお椀が並び、それが問題なく運搬されている様に、思わず目を丸くしながらそんな話をする香月夫妻。
今までも投影されたトレイでものを運んでいる人間は居たのだが、人混みの中だったのと店の外観などに意識が行っていたのとで、視界に入っていなかったのだ。
「この調子で何でも投影できるようになっちまうと、いろんな産業に大打撃を与えることになりそうなんだが……」
「ん~……。綾瀬教授がそんなに迂闊だとは思えないから、何かしら応用面で欠点があるとは思うよ~?」
「まあ、そうなんだろうけど、ちょっと不安がなあ……」
さすがに、あまりにインパクトが大きすぎる空間投影式トレイに、そんな不安がぬぐえない達也。
現実には詩織の言葉通り、空間投影式トレイはその原理上、トレイと皿やコップ、あとはせいぜい食券ぐらいにしか応用できない上、どれほど技術を発展させても、必要な出力と演算能力の都合で家庭用のパソコンでは使えない。
コストダウンするにしてもすでに限界が見えているらしく、一番安くなるところまでコストダウンできたとしてもファーストフードやフードコート、社員食堂や野外イベントなど以外ではあまりメリットがなさそうだ、というのが実際のところらしい。
天音本人に言わせれば、ラインなどに応用するにしても、原理の問題で正攻法だとあと三世紀はかかる程度には応用しづらいとのことである。
「……こりゃまた……」
「カウンターにしてるのがよく見ると学校の机って分かるようにしてなきゃ、普通の店にしか見えないわよね……」
「師匠、壁紙とか頑張りすぎ……」
そうこうしているうちにさらに列が進み、ついに教室の中に入った一同。店の内装に目を丸くした後、思わず乾いた声で宏のやりすぎにうめく達也、真琴、澪の三人。
達也たちがうめくのも当然で、床に敷かれたブルーシートとイートインスペースに使われている椅子、カウンター代わりに使っている机などそこかしこにわざとらしく学校を主張する備品がなければ、ここが学校の教室だとはすぐに分からないほどしっかりした内装をしているのである。
また、従業員役の生徒たちもしっかりしたデザインのエプロンと三角巾、というよりバンダナをそろえて身にまとっており、それがより一層ちゃんとした飲食店っぽさを助長していた。
「……なんだか不思議なオブジェのようなものがあるのですが、あれは何でしょうか?」
そんな達也たちを尻目に、そもそも普通の文化祭や学園祭を知らないエアリスが興味深そうに教室内を見渡した後、カウンターの後ろで稼働中の焼き芋製造機に目を向けてそんな疑問を口にする。
エアリスの位置からは焼き芋を取り出すところも客に芋を提供しているところも見えないため、焼き芋製造機はただのオブジェにしか見えないのだ。
「あれは天音おばさんが作った焼き芋製造機なんだ」
「あっ、ハルナ様」
「こんにちは、エルちゃん。達也さん達もいらっしゃい」
エアリスの疑問に答えるように、注文を取りに来た春菜が声をかける。金銭のやり取りを一緒にやるとややこしい事になるため、会計係は独立して動いているようだ。
「で、メニューは焼き芋とじゃがバター、芋煮、おでんで、おでんが一人前三百円、それ以外が百円なんだけど、全種類を人数分でいいのかな?」
「おう。で、春菜。高校の文化祭だって分かってて、あえて聞くんだが……」
「何?」
「アルコールメニューはどこだ?」
「あはは」
突っ込みも兼ねた達也の問いに、思わず明るい笑い声をあげる春菜。超絶的な美少女が浮かべるはつらつとした笑顔に、並んで待っていた他の客や偵察に来た他のクラスの生徒などの注目が集まる。
「それ、他のお客さんにも聞かれたんだよね。さすがに高校だから無理だけど、大学の学祭だったら缶ビールぐらいは出せるのかな?」
「かなって俺に聞かれてもなあ……」
「多分、学校によるんじゃないかしら?」
代表で達也から商品代金を受け取り、空間投影式トレイの応用である食券を渡しながら、そんな微妙にポイントがずれている気がしなくもない会話を続ける春菜と年長組。代金も受け取り、会話も区切りがついたので話を切り上げ、春菜がカウンターの裏へ戻っていく。
ちなみに、最初は食券なんてシステムはなかったが、春菜はともかく他の生徒が混乱して注文を間違えそうになったり過剰に渡しそうになったりと問題が多発し、更に現金の管理にも不具合が出てきそうだったので、急遽空間投影式トレイの設定をいじって導入したのだ。
「せっかく来てもらって申し訳ないんだけど、こういう感じだから売り切れにでもならない限りはちょっと抜けられそうにないんだ。一緒に回れたらよかったんだけど……」
「まっ、商売が繁盛してるのはいいことだし、気にすんな」
カウンターに戻り、現金を戻して何やらチェックを入れながら、本当に申し訳なさそうに達也たちにそう告げる春菜。クラスメイト達も同じように申し訳なさそうにしながらも、作業の手は一切止めない。
食券を空間投影式トレイの応用品にしている割に商品購入は現金オンリーで売り上げ管理も手書き帳面だが、これに関しては電子決済だと手数料や完全に無関係な外部のシステムが噛んでややこしい事になるためである。
「しかし、えらく繁盛してるなあ……」
「今日は結構寒いですし、焼き芋と春菜の宣伝効果はすごいですから……」
「あ~……」
さらに列が進み、自分たちの番が回って来たところで、おでん係の蓉子とそんな雑談をする達也。その隣では、美香がせっせと芋煮を器に注いでいる。
「エアリス様も、せっかく来ていただいたのに申し訳ありません」
「お仕事で手を取られていることに不満などありませんから、あまり気にしないでください」
「でも、東君も春菜ちゃんもいないのは、さすがに申し訳なくて……」
達也の後ろに並んでいたエアリスに芋煮を渡しながら、美香が珍しい客人を接待できないことを謝罪する。本当に申し訳なさそうにしている美香に、エアリスが聖女然とした笑顔で許しの言葉を告げる。
「まあ、心配しなくても、この後あたし達だけで文化祭堪能したら宏と春菜の畑に襲撃かけるから、宏とエルが顔をあわせないって事だけはないわよ」
「畑……。ああ、そういえば、明日の分を用意しておいてくれるって言ってましたね」
「この人出は宏君にはきついから、運搬はいつきさんの仕事だって言ってたけどね~」
「ボクたちも、選別と積み込みぐらいは手伝う予定」
「それはそれでどうなのかと思わなくもないんですが……」
後に続きながら、次々とこの後の予定や背景事情を告げてくる真琴、詩織、澪の三人に、微妙に呆れているところを隠さぬままおでんを提供する蓉子。
更に会話を続けようにも後ろがつかえているため、やや名残惜しいながらも蓉子と美香の前を通り過ぎ、流れ作業でじゃがバターを準備している生徒からバター盛り立てほやほやのものを受け取って、最後に焼き芋製造機の前に到着する。
空間投影式トレイや焼き芋製造機に目を奪われがちだが、ひそかに宏が作ったふかし芋カッターによる作業も結構注目を集めている。
どんな形状のジャガイモでも関係なく、また、どんなに雑にジャガイモをセットしても関係なく、セットして軽く上蓋を押し込むだけできれいに十字の切れ目が入る、自作しました感が割とにじみ出ているその器具は、その筋の人が結構注目しているのだ。
むしろ、明らかに高額な設備投資費用が掛かる空間投影式トレイなんぞより、仮に市販されてもせいぜい数万程度で手軽に手に入りそうなふかし芋カッターのほうが、料理関係をやっている人たちからの注目度は高い。
「エアリス様、どうぞ」
「ありがとうございます、ヤマグチ様」
「トレイですが、手を離しても空中に浮いていますので、芋を味わう時には安心して両手をお使いください」
「心遣い、感謝します」
この時間帯の焼き芋担当をしていたクラス委員の山口が、最敬礼に近い態度で恭しく焼き芋をエアリスのトレイに乗せる。それを笑顔で受け取り、列から離れて視線だけで周囲を見回すエアリス。何やら期待と不安の入り混じった視線が多数注がれているのを感じ取り、更に放送部と書かれた腕章をしている生徒から中継用カメラを向けられていることから、己が求められている役割を悟る。
ちなみに、エアリスは資料写真や資料映像を撮影する事が多い真琴から説明を受けているため、カメラについてどういうものかちゃんと理解している。パンフレットにも書いてあった事で、拒否すれば撮影はやめてもらえることも知っているのだが、食事風景などを見られるのも仕事の一環であるエアリスは特に気にせず、周囲の期待に応えることにしたのだ。
列の邪魔にならぬ位置に移動して、山口の言葉を信じてトレイから手を離す。本当に空中に浮いているのを見て目を丸くした後、出来立てアツアツの焼き芋にそっと手を伸ばす。
予想通り、素手で持っていると普通に火傷しそうなほど熱い芋を軽く持て余しつつ、作法に乗っ取り二つに割って片方の皮を丁寧にむく。口をつけるのにちょうどいいぐらいに皮をむいたところで、口の中を火傷せぬよう上品に小さく一口かじる。
小さめの一口故に、口の中に入って直ぐ適温まで冷めた焼き芋を、舌でつぶしてじっくり味わって飲み込むエアリス。その表情が、徐々に花が開くように笑顔へと変わっていく。
「とても、とてもおいしいです」
「私と宏君が頑張って育てた自家製だから、気に入ってもらえてよかったよ」
他の客から注文を受けていた春菜が、エアリスの感想に嬉しそうにそう答える。それを聞いて、何やらひどく納得した様子を見せるエアリスと、美少女がサツマイモを育てて文化祭で売っている、という事実にざわめくギャラリー。
「今回のメニューで使われている野菜、全部うちの畑でとれたものだから、あとで感想教えてね」
「はい。せっかくですので、このじゃがバターもこちらでいただいていきます」
「うん」
それだけ会話を交わすと、慌ただしくカウンターの向こうに戻って受け取ったお金の処理を済ませる。その後、各料理の中身を確認して、調理実習室に連絡を入れる。
『そろそろ芋煮、鍋一つ目が終わりで二つ目が半分。注文から換算すると、おでんも追加投入が必要。ジャガイモとサツマイモは昼まで持たないかも』
『芋煮、追加一杯目は完成してるから、今からそっちに運搬します。おでんはもうちょっと煮たりないから、空鍋回収してからそっちに持って行ってもらいます。芋はおでん種と一緒に運搬で』
『了解』
早くも供給が破綻しそうな気配を見せている春菜のクラスの模擬店に、やっぱりかという感じの苦笑を浮かべながらエアリスがじゃがバターを食べるのを待つ達也達。自分たちの分は、こっそりばれないようにステイシスフィールドの魔法で状態保持をしているため、少々待っていても味が落ちることはない。
「……こちらも、とてもおいしいです。蒸したジャガイモとバター醤油の相性は、見事としか言えません」
「だろうなあ。あっ、食べ終わったのなら、ごみはそこに捨てておけよ。細かい破片ぐらいは仕方ないにせよ、あとで掃除するのはヒロや春菜なんだしな」
「分かっていますわ」
達也に注意され、満足げに食べ終わったじゃがバターの紙皿と食べかけの焼き芋の皮をごみ箱に捨てていくエアリス。そのまま、ここで立ち食いを続けるのは邪魔だろうという事で、ゆったりとした態度で堂々と店を出ていく。
この時の一連の流れが放送部の手により文化祭の様子のワンカットという形でリアルタイムで放送され、更に文化祭開催中は何度も宣伝的にリピートで流された結果、春菜達のクラスは二日間にわたってオーバーヒートするまで働く羽目になるのであった。
宏が開き直って自由にモノ作るのは、大学入るまで待ってください。
やっぱり高校と大学では設備や環境的にできること、できるとごまかせることは大きく違うというか……。
現実でも大学だと学生がとんでもないものを作って見せたりとか結構よくあるけど、高校だとそこまで行くことってほとんどない感じですし。