邪神編 こぼれ話 その2
1.屋台にまつわるエトセトラ
アズマ工房が設立されてから一年と少し。彼らの行いは、西部諸国の庶民にひそかに、だが無視できないほど大きな影響を与えていた。
例えばここ、ウルス東地区の屋台村では、新たな流行が始まっていた。
「サルヌ鳥の甘辛焼き、一本五チロルだよ~!」
「独自のスパイス調合で生み出したムニエル、一切れ八チロルだ! どの魚も値段は均一だよ!」
「寒い日はうちの蒸し饅頭がお勧めだぜ! 肉と海鮮、どっちも十チロルだ!」
「アズマ工房直伝の唐揚げ、一個ニチロル! 串カツ一本十チロルだ!」
今、ウルスの屋台村では空前の新作料理ブームとなっている。
屋台村で起こっている流行は大きく分けて三つ。
一つ目は単なる塩コショウでしか味付けしていなかったり、凝ったところでザプレしかなかった焼き物に、味付けのバリエーションが大きく増えたこと。
特に目立つのが、醤油ダレの代わりに様々な果物の果汁で工夫し作り上げた、濃厚で複雑な味わいのタレをつけて焼いた各種肉類である。他にもハーブやスパイスの組み合わせを日夜研究し、日ごとに味を洗練させていく店もいくつも出てきている。
これにより、塩コショウとせいぜいちょっとハーブを使う程度で似たような味ばかりだった屋台の焼き物が、いろんな味を楽しめるようになっていた。
二つ目は、調理方法の多様化。焼き物と汁物ぐらいしかなかったメニューに、揚げ物、蒸し物、果ては炒め物まで増えていた。
揚げ物に関しては、アズマ工房もひそかに全面的に協力したこともあり、半年ほど前に露店商が手を出しやすい値段と性能の各種機材が出回り始め、ここ二カ月ほどで急激に店舗の数が増えたのだ。
蒸し物に関しても、原理自体はそれほど難しいものではないこともあり、機材が独自発生するのは実に早かった。結果として、味付けだけでなく調理方法も一気に多様化しているのだ。
そして三つめが、屋台一軒当たりのメニュー数の増加。今までの屋台はどこもせいぜい二種類か多くて三種類、大半は単一メニューしかなかったのが、今や九割以上が最低でも二種類、多いところでは五種類以上のメニューを用意するようになっていた。
さすがに春菜がやっていたように複数の調理法を駆使するような屋台はまだほとんどないが、それでもかつてに比べれば大幅に進化したと言えよう。
「おや、こっちの甘辛焼き、チーズがかかっているようだが新メニューかい?」
「おう! 甘辛いタレとチーズの相性が思った以上に良くてな。一本六チロルになるが、損はさせねえぜ!」
「なら、せっかくだからそいつをもらおうかね」
「あいよ、毎度!」
春菜からヒントをもらい、屋台村で一番最初に醤油を使わない照り焼き風味のたれを作り上げた屋台が、どんどん独自開発の新メニューを売り上げていく。
この屋台がある一角は、春菜が一番よく店を出していた区画だ。それだけに割と早い段階から新メニューの開発ノウハウを得ており、新作が一番早く、多く出る一帯となっている。
さらに、新メニューの共同開発や合同イベントなども盛んであり、屋台村の中でも特に集客力が強い区画となっている。
最近では、近隣の村からもわざわざここに食べにくる者が出てきており、名実ともにウルス一の屋台区画となった感がある。
もっとも、その一帯でも、不満の声が聞こえないわけではない。その最たるものが
「それにしても、カレーパン、またやってくれないかしらねえ」
である。
カレー粉がいまだ高級品である現在、カレーパンを作ろうとするととんでもない値段になる。そのため、カレー粉を材料原価で製造可能なアズマ工房以外、カレーパンを屋台で提供できる値段で作る集団は存在しない。
カレー粉自体のレシピは公表され、使う材料も安い物ばかりではあるが、それで何とかなるのであればカレー粉が高いままであるはずもない。
余程カレー粉が安くならない限り、アズマ工房が再び屋台を開くまで庶民がカレーパンを口にできる日は恐らく来ないであろう。
「俺らも食えるなら食いたいんだがなあ……」
「頑張って自作しようとした時期もあったんだが、どうやってもちゃんとしたカレー粉にならなくてなあ……」
「食えないようなものができる訳じゃねえんだがなあ……。本物を知ってると、あれをカレーとはとてもとても……」
カレーパンを望む客の言葉に、残り少ない在庫を調理しながら口々に無念を告げる屋台の店主たち。彼らもカレーパンがいろんな意味で恋しいのだ。
店主たちも、その客の声に無策でいるわけではない。同じものは無理にしても、雰囲気だけでも近づけようとカレーの代わりにビーフシチューやカスタードクリームなどをくるんで揚げたパンを作っており、それらもそれなり以上に市民権を得てはいる。だが、カテゴリーこそ同じだが、味の系統も雰囲気も全く別物であるそれらの揚げパンは、現状カレーパンほどのヒット商品にはなっていない。
頑張れば頑張るほど、カレーパンというものの偉大さを思い知る、そんな日々を送る店主たち。
「今はえらいさんたちの関連でハルナ達も忙しいようだが、情勢が落ち着いたらまた、何らかの形でカレーパンやってくれないものかね」
「あんなデカい鳥仕留められるようになってんだから、今更屋台なんざやる必要もないだろう。戻ってきてくれたらありがたいが、期待するだけ無駄だよ」
「だよなあ……」
春菜の屋台に対する情熱を甘く見た店主たちが、希望とあきらめの入り混じった表情でそんな会話をする。
この時から約半年後。何食わぬ顔でカレーパンとカレーまんを売りに来た春菜に驚かされ、さらにその後も新人研修的に継続して屋台を行うと聞かされるのはここだけの話である。
ダールの屋台にも、色々と変化が起こり始めていた。
「あんたのとこのジャッテ、前に比べてさっぱりした味付けになった気がするねえ」
「今時、ただ辛いだけのジャッテなんて流行らねえからな」
「俺は、もっとガツンと辛くて後を引く方が好みだな」
「だったら、向こうの店だな」
ダールの伝統食であるジャッテ。その味付けに、はっきり店ごとの特徴や傾向が出るようになってきたのだ。
ダールに限らない話だが、もともと屋台の料理は勘と経験だけで大雑把に味付けするため、悪い意味で味のブレが大きかった。特にジャッテの場合、作る方も食べる方も辛ければそれでいいという認識があり、基本的にはただただ辛いだけという深みも何もない味付けになりがちであった。
それが、ここ何か月かは随分と味付けが安定し、またどこも同じような味だったのが好みに応じて選べるぐらいには違いが出てきている。
春菜の屋台で出されたこだわりのジャッテに衝撃を受け、危機感を覚えた屋台の主たちが当の春菜からアドバイスを受けて今までのやり方を変え始めた、その成果が完全に定着したのだ。
今ではジャッテ以外の郷土料理にも波及し、さらには屋台だけでなく宿や酒場をはじめとした、ちゃんとした店を構える飲食関係全てがやり方を変えるに至っている。
無論、中にはあえて今までのやり方を維持し、値段を下げることで対応しているような店もある。それはそれで需要があり、結果として客の奪い合いではなく購買層の住み分けという形に落ち着いていた。
もっとも、ダールの場合は別の形で、アズマ工房の活動が屋台をはじめとした飲食店に影響を与えている。それは何かというと……。
「そういや最近、煮込みの店が増えたよな?」
「ん? ……ああ。最近、イグレオス神殿で水生成の魔道具売ってるだろ? あれ、ついに品切れ状態が解消して俺らでも買えるようになってな。おかげで、水の値段自体が下がってきてて、屋台で煮込みを出して利益が出るようになったんだよ」
「あ~、そういうことか」
アズマ工房による、ダールの水事情の改善であった。
この水事情の改善、水生成の魔道具以外にもこっそり頼まれて飲用可能になるまで水質改善をしたりなど、表に出ていない公共事業が結構ものを言っている。
これらの公共事業に関してはファム達の土木周りのテコ入れを目当てに受けたもので、一日二日で終わる範囲の作業ばかりだった。そのため、アズマ工房内部ではほぼ話題になっていない。
こういう工事はダール以外からもちょくちょく受けており、余程大規模なものでなければ話題に上がらなくなって久しい。日常の一部になった作業など、話題に上がらなくても当然であろう。
なお、この描写もされないような土木作業、ゲーム時代に宏がスキル鍛錬のためにやったことをそのままファム達にやらせるために受けている。なので大規模なものはスラム区の実験農園以来一度も受けておらず、内容も日本人の生活の知恵的なレベルの事をちょっと大きな規模でやった、というものが多い。
「後は、あの屋台で出てた、あっさりしてるのにしっかりした味があったスープ。ああいうのを出せるようになれば安泰なんだが……」
「あれは無理だろう。相当レベルの高いモンスターを食材として使ってたらしいから、そもそも屋台に出てきてること自体がおかしい」
「だよなあ」
などと話しているうちに、広場の中央にハープを持った女性が立ち止まって一つ礼をする。
「今日はあの女か。見覚えはあるんだが、どこで見たか思い出せねえ」
「真夜中の太陽で歌ってる女だな。たまに店の宣伝もかねて、このあたりの酒場にも出張してきてる」
「そういえば言われてみれば、先月ぐらいに地竜の瞳亭で飲んでた時に、そういう自己紹介して歌ってた気がするな」
「真夜中の太陽にはいかないのか?」
「そんな金はねえよ。あそこ、そんな無茶苦茶高いって訳じゃねえけど、安くもねえんだからよ」
ハープの弾き語りを始めた女を見ながら、そんな話題で盛り上がる屋台の店主と客。安くはない、という店で歌っているだけあって、結構な腕前である。
春菜がダールの屋台区画に残していった、ある意味最大の置き土産。それが、この吟遊詩人や歌姫、大道芸人などのパフォーマンスである。
このパフォーマンス、今ではここの広場だけでなく、様々な場所で行われるようになっていた。
ファーレーンやフォーレでは当たり前のこの手のパフォーマンスだが、ダールは熱帯だけあって昼間は暑い。そのため、春菜が行うまでは、野外で毎日誰かが芸をするなんて風習はなかったのだ。
「……いい歌だが、ちっと物足りねえなあ……」
「まあ、そう言うなって。ハルナがすごすぎるだけで、あれでも普段はめったに聞けない歌なんだからよ」
「そりゃまあそうなんだが、なあ……」
「何にしても、そろそろ客が押し寄せてくるころだろうから、俺は退散するわ。好みとはちっとずれてたが、これはこれで美味かったぞ。後味さっぱりなジャッテが欲しくなったら、また食いに来るわ」
「おう、ありがとうな」
軽く手を挙げて立ち去った客を見送り、商売に励む屋台の主。その後もその日一日、大繁盛のまま店を終えるのであった。
そして、フォーレはスティレンの屋台。
「ボリュームたっぷり、ドワーフスープ! 一杯十五ドーマ!」
「自慢のマルゲリータ、一切れ十ドーマだ! 食ってかないと後悔するぞ!!」
「ダール名物のジャッテ、どれも一つ十ドーマ! 辛くて酒が進むぞ!」
こちらもまた、伝統料理の進化と外来料理の定着が進んでいた。
単に雑なごった煮だったドワーフスープは、ダシを取って旨味を深くするという技法が伝わったおかげで随分と旨くなった。
この技法が伝わるきっかけとなったのは、春菜がアズマ食堂のためにメニュー開発を行ったドワーフスープ。それを適当に差し入れした先で味付けの工夫を聞かれて馬鹿正直に答え、それが一気に広まった結果が屋台のスープの進化である。
春菜は他にもフォーレの伝統料理にいろいろ工夫を加えており、それらを食したゴウト王が自身の料理人に伝え、と、トップダウン型で広まった新たな工夫は数知れない。
だが、一番フォーレという国の恐ろしさを思い知らせるのは春菜の持ち込んだ外来料理の定着、それも特にピザであろう。
何が恐ろしいかと言って、ドワーフたちの全面的な協力のもと、人力で引けるピザ窯搭載の屋台が開発されていることだ。
これで、酒場に入らずともピザで一杯やれると、ドワーフたちも大満足だ。
だが、そんなフォーレの屋台、否、食文化全体において、実は一つ、とても重大な不満が蓄積していた。
「そろそろと思ってきてみれば、まだどこもモツ煮を完成させておらんのか!」
お忍びで来ていた老貴族が、屋台村の料理を見て回って、その不満を爆発させる。
「うちの屋敷の料理人ですら、まだ完成させておらんのです。無茶を言うものではありませんぞ」
「とはいうがな。料理で生計を立てておる者たちが、需要があって確実にもうかると分かっておるものを未だに完成させておらん、というのは不甲斐ないにもほどがないか!?」
「一度二度食ったことがあるだけのものを、手に入らない調味料の代用品を見つけて再現しろ、というのはさすがに簡単な話ではありますまい」
無茶なことを言う主を、お付きの者がそう言って宥めようとする。実際問題、スティレン在住の人間がちゃんとしたモツ煮を食った回数は、ゴウト王以外は多くて三回程度、大多数は二回だけである。
その二回というのも、どちらも突発的に起こった大宴会によるものである。一回目はアヴィンとプレシアの結婚式の日、二回目はオクトガル大空爆によりウォルディス戦役が終わった直後の事だ。
どちらもゴウト王がコネを使い倒して手に入れた大量の味噌や醤油、味醂を使い、ちゃんとした手順と味付け、材料で作ったモツ煮を振舞っている。
カレー粉同様、それらの調味料はウルスですら行き渡っているとは言い難い。そんなものを使った料理をそうそう気軽に作れるわけもなく、また、元の味付けの印象が強すぎて、まったく違う味付けという発想にもなっていない。
他の味付けに関しては、王宮の料理人がようやく伝統的な調味料で実験を始めたところである。
そもそもの話、フォーレでは骨や爪、牙以外の部位は、内臓も含めて全てソーセージに加工する文化だ。それだけに、モツだけを調理するノウハウがほとんどない。
根本的なノウハウがないも同然なのに、粗野なのに洗練されたモツ煮という料理まで一足飛びに進歩することなど、あり得るわけがないのだ。
「どうしても我慢できないのでしたら、陛下からアズマ工房に依頼してもらってはどうでしょうか?」
「それはそれで負けた気分になるのがな……」
「でしたら、もっと長い目で見るしかありませんぞ」
「ぬう……」
従者にそうたしなめられ、悔し気にうなる老貴族。腹立たし気にピザを買うと、やけ食いのように熱さをものともせず一気に頬張る。そんな主に苦笑しながら、主のためにソーセージのジャッテなどというフォーレ独特の料理と安酒を仕入れておく従者。
そんな従者の影の努力が実り、この老貴族は三杯ほどの安酒と五品ほどの屋台料理を平らげたところで機嫌を直して帰路につく。
「次に来る頃にはせめて、モツ料理が一品ぐらい出ていればいいんだがな」
「それすら厳しいとは思いますが、まあ、そのうち何か出てくるでしょう」
とりあえず不満はひっこめたものの、こだわりだけは捨てない老貴族。そんな主を淡々となだめる従者。
数カ月後、その何か、というのが屋台ではなく携行食として、それも新たな金属加工技術とともにアズマ工房から持ち込まれ、フォーレ全体の屋台がさらに違う方向に進化を始めることまでは、長い目で見ることを提案していた従者にも予想できなかったのであった。
2.アズマ工房のお見合いパーティ狂騒曲
「……ついに、この日が来てしまったのです……」
「……あまり後ろ向きなことは言いたくないけど、うまくいく気が全然しないのはどうしてかしら……」
宏達が日本に帰ってから約一月。ウォルディス戦役に絡むたくさんの事件、その影響で狂ったあれこれの帳尻合わせで延期に延期を重ねた、アズマ工房と各国の合コン。それがついに開催される運びとなった。
とはいえ、今回に関しては各国首脳部もあまり期待はしていない。
というのも、女性がテレスとノーラ、レラの三人なのに対し、男性の候補が各国から数人ずつ出される流れになってしまったため、男女のバランスをとるために、有力貴族の未婚女性も出席する流れとなってしまったからだ。
もはや合コンではなく、お見合いパーティと称したほうが実態に合っている、そんな規模になった今回のイベントに、テレスとノーラの不安は深まるばかりであった。
なお、テレスとノーラが不安を抱く最大の理由は、昨日アズマ工房を相次いで訪れた各国の王が、全員ひたすら頭を下げて本気の謝罪をして帰っていったことにある。
「とりあえず、今回あたしは蚊帳の外でよかった」
「ファムも明日は我が身なのです」
「わが身って言っても、あと十年ぐらい猶予あるから大丈夫じゃない?」
「十年なんて、あっという間よ?」
時の流れを甘く見ているファムに対し、テレスがそんな風に釘を刺してくる。
「それにしても、レラさんもお見合いするのに、やけに落ち着いてるのですね?」
「そりゃ、それで母さんが幸せになれるんだったら、あたしが反対することはないよ。それに……」
「それに?」
「二人の相手にも言えることだけどさ、あたしやライムや母さんを蔑ろにするような男が、ここでうまくやっていけるわけないじゃん。そもそも、あたしとライムにはいっぱいお父さんもお母さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんもいるんだから、母さんが結婚しても寂しくはないし」
「ん~。実際にそうなってしまうと、そんな簡単に割り切れるとはノーラにはとても思えないのですが……」
「そうかな?」
ノーラの指摘に首をかしげるファムに対し、テレスが静かにうなずいて見せる。今が平穏で幸せだからそう思わないだけで、実際に環境が変わればまず間違いなくファムも面白くない思いをするだろう。
しかも現状、それをケアしてくれるであろう宏達がいない。
どうせ今回は不発に終わるとほぼ確信しているが、絶対と言えることでもない。
なので、割り切りすぎなファムに関して、テレスもノーラも不安でしょうがないところはある。
「前にライムがいったと思うんだけど、あたしたちの今のお父さんでお兄ちゃんは、親方とタツヤさんなんだ。その二人と、あとハルナさんとかマコト姉さんとかがいてくれたら、それで寂しくない」
「ミオさんの名前が挙がっていないのですが、どうなのです?」
「ミオさんは、ちょっと方向性とかそういう部分が別枠、って感じかな? 居てほしいかって聞かれたらすごく居てほしいけど」
「まあ、先輩とか師匠とか身内とかではあっても、保護者枠ではないのはわかるかな」
ファムの言い分を理解し、苦笑しながら同意するテレス。ノーラも異論はないらしく、テレスと同じように苦笑しながらうなずいている。
「それにしても、二人ともその服で行くんだ」
「そりゃ、ノーラ達の正装はこの工房の制服なのです。これ以外を着る理由がないのです」
「まあ、そもそも他の服もほとんど持ってないから、これ以外の選択肢がほとんどない、っていうのもあるけどね」
ファムの素朴な疑問に対し、やたら誇り高い建前を言い切るノーラと女子力の低さを感じさせる切実な事情を口にするテレス。
実際問題、最近はファム達の服は糸を紡いで布を織るところから自作していることもあり、それほどの数は持っていない。さらに言えば、作る服はいずれも下町で浮かないことと生活がしやすい事を最上位に置いた普段着用の物ばかりであり、正式な社交の場に着て行けるようなものではない。
その観点でいえば、アズマ工房の制服も社交に使えるような服ではないのだが、こっちは使っている素材が霊布だ。さらに、作業に影響が出ないようシルエット自体はシンプルになっているが、その分刺しゅうや染色などには凝っており、作業服という表現が疑わしいぐらいには美麗な服となっている。
宏達が悪ノリして決めた階級制度。その上から四番目ぐらいのランクに与える衣装だけあって、そんじょそこらの正装などよりはるかに品がよい服だ。おそらく他にドレスなどを持っていても、これ以外の選択肢はなかったであろう。
余談ながら、最上位は自動的に宏達五人となるうえ、その装備はすべて神器だ。なので、アズマ工房の階級制度においては、実質的な最上位は上から二番目ということになる。また、管理人の服は固定でまた別に用意している。こちらも普通に霊布製の服で、素材の時点ですでに高級感あふれる、やたら防御力の高い服となっている。
なお、ファム達が上から四番目ぐらいの衣装になっている理由は非常に簡単で、所詮まだ製作物が五級に手が届いていない集団だからである。本来ならもっと低い服を与えたいところだが、対外的なものやら防衛的なものやら、あと工房に対する貢献度的なものも踏まえて、とりあえず特例として四番目ぐらいにしているのだ。
当人たちもそれぐらいは理解しており、アズマ工房の名前に泥を塗らぬよう、また、一刻も早く与えられた服に釣り合うよう、常に知識と技術の研鑽を忘れていない。宏達がそこまで工房の名声にこだわっていないことは知っているが、それとこれとは別問題らしい。
「とりあえず、いい人が見つかることを祈ってるよ」
「いくら同僚とはいえ、子供に上から目線で祈られるとか、なかなか切ないのです……」
「多分駄目なのが分かっているのが、さらに切ないよね……」
ファムの言葉に微妙にうなだれつつ、髪型だけ手早く整えるノーラとテレス。気合を入れたら負けのような気がして、メイクは一切しない。
そうやって明らかに手を抜いた準備を終え、現実逃避するように業務に没頭するレラを捕まえてさっさと会場へ向かうテレス達であった。
「……やっぱり、予想通りだったのです……」
「……どういう基準で選ばれたのかしらね……」
早くも混沌としてきたお見合いパーティに、思わずテレスとノーラが同時にため息をついてしまう。既に会場の隅に置かれた椅子に腰を据えてしまった二人の手には、ペンと紙がしっかり握られていた。
「……それで、聞くまでもないけど、どう?」
「……テレスこそ、どうなのです?」
牽制しあうように、お互いの思っていることを相手に言わせようとするテレスとノーラ。その間も、紙に何かメモる手は止めない。
「……一番マシなのが、フォーレの人たち。ついでファーレーンかしら」
「……ローレンとファルダニアは、微妙なところなのです」
「……ダールは論外、ね」
とりあえず一通りメモを終えたところで、腹の探り合いのようなことをやめて、参加した男性についてざっくりした評価を口にするテレスとノーラ。その表情は、実にうんざりしたものであった。
なおこの評価、容姿や身分、実績などではなく、態度と言動に関してのものだ。どうせ社交の場になど出るつもりはなく、そのことについて各国の王から言質をしっかりとってある彼女たちにとって、旦那の容姿や身分、財産などは基本的に何の価値もない。また、実績は男の収入とか出世の可能性という面では意味があろうが、配偶者が出世しようがしまいがあまり影響がないテレスやノーラには無意味な項目だ。
必然的に、選ぶ際には性格を重視することになるのだが、その判断基準となる態度や言動が、全般的にどうにも思わしくないのだ。
「今回、規模が大きすぎて、女性サイドにもろくでもないのが混ざっているのです。おかげでファーレーンやローレンの男たちが、やたらと態度にとげが出てしまって判断できないのです」
「フォーレの人たちも、早々に見切りつけて飲み食いに専念しちゃってる感じだものね」
「何にしてもとりあえず、レラさんを侮辱したダールの連中には、男女関係なくとっとと退場してもらうのです」
そんなことをこそこそ話し合い、またしても違う集団に詰め寄られて困ったように対応しているレラを救出するために立ち上がるテレスとノーラ。今回は男女入り混じった集団である。
二人がレラのもとにたどり着く前に、一組の男女が凛とした態度でレラに群がっていた連中を追い払っていた。
「……出遅れたのです」
「……なんだか、このパーティが始まってから、初めてまともな言葉を聞いた気がする……」
レラを救出したファーレーン人男女の台詞、その一部分を耳にして思わずそんなことをつぶやくノーラとテレス。早くも成立したカップルなのか、実に仲がよさそうである。
「アズマ工房の方ですよね?」
「本日は、何重もの意味で申し訳ありません」
レラを安全圏まで連れ出そうとしたらしい男女が、テレスとノーラに気が付いて傍まで歩み寄り、実に申し訳なさそうにそう頭を下げてくる。
その言葉の意味を理解できずに、きょとんとしてしまうテレスとノーラ。レラを救出してもらった以上、二人にとっては謝られるようなことは何もない。
「今回、余計な人員が増えたのは私たちの、もっと正確に言えば、私たちの父を筆頭に、同じ立場にある家の家長が陛下にお願いした結果でして……」
男女のうち男の方が、どこまでも申し訳なさそうにそう告げる。名も知らぬ相手から唐突にそんなことを言われ、さらに深々と頭を下げられたのだ。テレスとノーラが反応に困るのも当然であろう。
「はあ……」
「というか、お二人はどういう立場でどんな関係なのです? ここで知り合ったにしては親密そうなのですが?」
「あ、申し訳ありません。名前も告げずにこのようなことをいきなり申し上げてしまって……」
「私はファリン、子爵の身分をいただいているマクレスター家の長女です。こちらは兄のジョナサンです」
「ご兄妹でしたか。道理で仲がいいのですね」
「はい。兄にはよく面倒を見てもらっております」
そう言って、淑女の礼を取るファリン。その横で、ジョナサンも騎士の礼を取っている。
よくよく見ると、二人ともあまり質のいい服は着ていない。もとより厄介ごとを避けるため、今回はそれほど爵位の高い貴族は出席していない。その中で子爵と言えば、ほぼ最上位に来る。これ以上となると、訳アリの伯爵家が一家参加しているだけである。
なのに、低いとは言えない子爵家の子女が、粗末とまでは言わないがそこらの騎士でも背伸びすれば買えるような安物を身にまとっている。そのことに気が付き、さりげなく参加者の着ているものを観察すると、とりあえずまともだと分類した人間は件の伯爵家を除き、例外なく服装が質素であった。
むしろこの会場にいる人間で、アズマ工房組が着ているものよりいいものを身に着けているものなど一人もいないのだが、そこは気にしないことにするテレスとノーラ。気にしたらろくなことにならない。
「あの、なんとなく分かってしまったのですが、お二人が原因で、というのはどういうことなのです?」
「はい。おそらく服装から察していただけるとは思いますが、我がマクレスター家は、子爵と言ってもそれほど力がある家ではありません。そのため、発言力の強い家からの要請には逆らえず、あまり好ましいとは言えない家に婚約者がいたのですが……」
ジョナサンの言葉で、全てを察してしまうテレスとノーラ。レラの方は囲まれているうちにそのあたりの事情をほぼ理解していたらしく、特に驚いた様子は見せない。
「もしかして、カタリナの乱で婚約者がいなくなった?」
「はい。力がなくいいように使われていたとはいえ、陛下に弓引くような真似は矜持が許さず、反乱には一切加担しておりませんでした。なので、我が家は特にお咎めなしで済んだのですが……」
「婚約者とその家が反乱に加担していたとなれば、やはりいい目では見られませんか……」
「ええ。今となっては、私たちと婚約しようなどという家はどこにもなく、私もファリンも諦めていたのですが……」
テレスの確認の言葉に、本当に恥ずかしそうに申し訳なさそうに答えを告げるジョナサン。それを聞き、思わずため息をつくテレスとノーラ。
「ジョナサン様、ファリン様。もうこれ以上、頭を下げるのはおやめになってください」
「……ですが」
「その件は、お二人が悪いわけではありません。それに、私が二人の子持ちの後家で、たまたま運よくアズマ工房に拾われただけの下層民であるのは事実です。陛下に命じられこのような場に来ていますが、場違いなのは確かなのです」
「ですが、いくら成り行きとはいえ、ヒロシ様があなたを大事になさっているのは事実です。それを侮辱するのは、祖国に対する裏切りでもあります。また、私たち個人としても、貴女を侮辱した連中よりも、アズマ工房の皆様の方が人柄も態度も比較するのもおこがましいほど品性を感じさせるものだと思っております」
やたら熱意あふれるジョナサンの言葉に押され、思わず三歩ほど下がってしまうレラ。その様子を、思わず苦笑しながら見守るテレスとノーラ。とりあえず、そろそろ移動しようと周囲に目を向け、自分たちが囲まれている事に気が付く。
避難場所まで移動せずにそんなことをしていたからか、どうやら問題児たちに再びロックオンされてしまったようだ。
「おやおや。貧乏子爵は庶民にもすり寄らねばいけないのですねえ」
「貧民窟の女なんぞに頭を下げるとか、貴族の誇りをどこに置いてきたのやら……」
ファルダニアの子爵令嬢の言葉に、ダールの有力部族の一人が本心から嘆かわしそうに乗っかってくる。それを皮切りに、上流階級とは思えない品性の感じられない罵詈雑言の嵐が吹き荒れそうになり……。
「お黙りなさい!」
今まであいさつ以外では動こうとしなかった伯爵令嬢が、ついに我慢の限界を超えたとばかりにその場を一喝する。
「先ほどから黙って聞いていれば、愚にもつかぬことをごちゃごちゃと……」
そのまま、あまりに見苦しい問題貴族たちと、我関せずを決め込んだ面倒くさがりの一団、双方に対して説教を開始する伯爵令嬢。その途中で、テレス達三人にそっと目配せをして退避させることも忘れない。
その後、その日のお見合いパーティはロゼスター伯爵家令嬢ティーナの説教で終わりをつげ、翌日に再び各国王家がテレス達に陳謝に来る羽目になるのであった。
なお、なんだかんだ言ってレラ、テレス、ノーラの三人とティーナ、ファリンの二人はこの後も仲良く友達付き合いを続けることになるのはここだけの話である。