第14話
「そろそろ、僕らの治療で出来る事はなさそうやな」
問診や澪の触診の結果から、エレーナの状態をそう断じる宏。一週間の湯治を終えた宏達は、戻って一番最初にエレーナの診察を済ませたのだ。
「そう。と言う事は、ここでの生活ももう終わり、と言う事ね」
「そうなる」
微妙に名残惜しげにつぶやくエレーナに、同じく名残惜しげに頷く澪。短い間ながら、思えばこの口数が少なく感情表現が平淡な少女とも、実に仲良くなったものである。
「まあ、せや言うたかて、どうするか、っちゅうんはレイっちの判断待ちになるやろうけど」
「そうは言っても、それほど猶予は無いでしょうね。湯治を切り上げて帰って来るように指示を出した、と言う事は、私とエアリスを受け入れる準備が整っている、と言う事だし」
「せやろうなあ」
エレーナの言葉に同意する宏。エレーナが戻ると言う事は、すなわちエアリスも王宮に戻ると言う事でもある。
「そんで、僕らはどのぐらい付き合えばええん?」
「何とも言えないところね。最低でも、お父様に会ってもらうことにはなると思うけど……」
困った顔をしながらのエレーナの言葉に、思わず渋い顔をする宏と澪。単純に作法が分からないから面倒くさそうだ、と言うのもあるが、それ以上に
「今までの話聞いてると、ボク達が無事で済む保証が無い」
「否定できないのが、辛いところね」
と言う澪のコメントと、それに対するエレーナの返答が、彼らの立場のややこしさを物語っている。
「お父様とレイオット、それに大神官様が頑張ったのであれば、少なくとも表面上、あなた達を犯罪者扱いするものはいないでしょうね」
「ただ、エルと姉さんの話は問題にならんとしても、それ以外の事でどんな罪をでっち上げられるか、分かったもんやあらへんのがなあ……」
「王政でそれなりの特権が認められているとはいえ、貴族が思い付きで確たる証拠も無しに罪をでっち上げて、それを理由に重罪を科す、と言う事が出来るほど司法が腐っている訳でもないわ。ついでに言えば、公の場で根拠もない事で明確な侮辱、誹謗中傷の類をした場合でもなければ、不敬罪や名誉棄損を取られる事もない。それだけは保証するわ」
「裏を返せば、筋の通った証拠をでっち上げられてしまえば、犯罪者にされかねない」
「ああいう連中って、そう言う事だけは手慣れてそうやしなあ。それに、名誉棄損って、言いがかりに近い内容でも成立させられかねへんのが怖いところや」
王家を、と言うよりは宮廷や政府と言ったものを信用していない事が良く分かる宏と澪の言葉に、反論もできずにため息を漏らすしかないエレーナ。
「助けてもらっておきながら、この件では私は完全に無力なのが、歯がゆいところね……」
この気のいい恩人たちを、完全に無関係と言いきれる政治闘争に巻き込んで、しかもそれに対して自身は全く無力であると言う事実。なまじ頭が良くて義理堅いだけに、エレーナにとっては正直この現実はいろいろきつい。
「まあ、どっちにしても、多分私達は黒幕に完全にマークされてるだろうから、思い切って飛び込んで行って勝負するしかないんじゃないかな?」
自身の無力を嘆くエレーナに、丁度お茶を持ってきた春菜が気休めのような言葉をかける。因みに、入ってきたのは、宏の名誉棄損がどうこうという台詞ぐらいのタイミングである。
「マークはされとるやろうなあ、多分エルを助けた時点で」
「むしろ、ノーマークな方がおかしいよね」
こちらの素性が知れたのは割と最近だとしても、存在そのものは、それこそピアラノークをしばき倒した時点で察知されていてもおかしくない。相手がアクションを起こさなかったのは、単純にエアリス達の生死がはっきりせず、藪蛇になる事を恐れたからだろう。
実際、今回のケースのように、大きな幸運に恵まれて救助された場合を想定した罠も仕掛けてあったらしい事は、黒幕のトカゲのしっぽが話した内容からも察することができる。ただ、計算違いがあったとすれば、その方面では宏も春菜も規格外だったがゆえに、仕掛けた罠も一緒くたに解除されてしまった事だろう。
「とりあえず、一番問題なんは……」
「師匠、致命的に向いてないよね」
「と言うか正直、宏君は公のパーティとか絶対出て欲しくない。エルちゃんを助けた時みたいな事があったら嫌だよ」
「そこやねんなあ。そもそもそれ以前に女性恐怖症やなくても、人脈がどうとか、政治的駆け引きがどうとか、そう言うんに対しては僕は無力や」
女性恐怖症と言うどうにもならない事情を差し引いてなお、対人関係では微妙にヘタレな面がある宏。たとえ男性相手に限定したところで、下手に交渉の矢面に立たせれば、一体何を約束させられてどんな言質を取られるか、分かったものではない。
「そこは、私と達也さんが頑張るしかない、とは思ってるよ。真琴さん、結構ずばずば突っ込むから、そう言った取り繕っていろいろやらなきゃいけない場面は多分苦手だろうし、澪ちゃんはそもそも、性格とか話し方とか以前に、年齢的にどうしても厳しい場面があるし」
「ボク、多分おまけ扱いになるはず。だから、春姉の色香と達兄のイケメンオーラに期待」
「私、そういう方面は微妙に自信ないんだけど……」
身体つきだけを言うなら、確かに春菜は非常に男好きする肢体をしてはいるが、普段は驚くほどそう言う方面での色気は無い。余り肌色で攻めるような服装をしない事もあるが、それ以上に言動が食う事に流れがちな事が原因だろう。食べる量こそ人並だが、だからこそか、食事に関しては並々ならぬ情熱を傾ける。
その上基本的に、春菜は男の視線を気にして行動する、と言う事をしない。もちろん、性的な意味での羞恥心はきっちり持ち合わせているため、そういう方向でだらしなく無防備な真似はしないが、男にもてようと言う意識が無いために、一般論で異性の印象が良くなりそうな、いわゆる同性の目から見て媚びているように映る行動を取らない。ここらへんも、レイオットが女性を感じないと言うほど色気に欠ける原因であろう。
「春菜はむしろ、まともな考えをしている令嬢とかを味方につける方向で頑張ればいいと思うわ。媚びた服装をした女の色香に惑わされるような連中は、この場合邪魔にしかならないでしょうし」
「あの、非常に難しい事を要求されてる気がするのは、気のせいかな?」
「あなたなら、難しくないわよ」
エレーナの太鼓判に、思わず苦笑する春菜。
「まあ、交渉事は達也さんに投げていいよね?」
「ある意味、達兄はそれが専門分野」
日本では技術系の営業をしていた達也は、クライアントの無茶振りを交渉によって可能な範囲に落とし込むのが本業である。無茶振りに対して、カウンターで無茶を飲ませる、などと言うのも日常茶飯事であり、むしろ今回のケースでは、知恵袋的な魔法使いとしてその存在感を示すのに、絶好のチャンスともいえる。
もっとも、本当ならこういう場で一番頑張るべき澪は、容姿的にも年齢的にも本人の性格的にも、タヌキを相手にするだけの能力は全くない。トレジャーハント専門のシーフと言う感じで、ヘタをすれば宏以上にカモられやすいかもしれない。
「何にしても、今後の日程次第だから、今細かいことを決めても仕方が無いわ」
「せやな。なるようにしかならん」
そんな話をしていると、来客を示すベルと同時に、馴染んだ二人分の気配が。
「噂をすれば、っちゅうところやな」
「これで、しばらくは今までみたいにのんきには無理、か……」
「むしろ、今までがのんきすぎ」
澪の突っ込みに、苦笑が漏れる宏と春菜。言われるまでも無く、自覚はあった。
「まあ、そろそろ事件も佳境やろうし、もうちょっとだけ気合入れて頑張ろうか」
「頑張ろう!」
覚悟を決めなおして、応接室の方へ降りていく一同。ファーレーンでの一番大きな物語は、終わりに向けて少しずつ加速し始めるのであった。
「痛い痛い痛い痛い!」
ウルス城の客人用フィッティングルームに、春菜の悲鳴が響く。
「肋骨が! 肋骨があ!!」
「淑女のたしなみです。我慢なさってくださいませ」
「む、無茶言わないで!」
背中を足蹴にされ、肋骨がみしみし言うほどコルセットで腰を絞り上げられ、息も絶え絶えに春菜が抗議の声を上げる。既に真琴の方は文句を言うのをあきらめ、死んだ魚の目になって遠くを見ている。その様子を人ごとのように見ている澪。なぜなら
「子供用のコルセットって、楽……」
澪は子供用の柔らかいコルセットで勘弁してもらっていたからである。
そもそも、まだまだ健康体と言えるほどの肉が付いていない澪は、普通のコルセットで絞り上げられるほど太い腰はしていない。身長に対して要求される腰の太さを下回っている上、身長そのものもまだまだ子供の平均に届いていないため、大人用のコルセットではサイズが合うものがもとから存在しない。全体的に見れば年相応には幼児体型を脱してはいるものの、日本人として見ても発育の悪さは否めず、コルセットで絞るよりむしろ、詰め物で凹凸を作る方が効果的な体をしている。
これが同じく凹凸に欠ける真琴の場合だと、健康的な腰のくびれはあるが理想とされている物よりはやや太く、盛装をするとなると絞った上で詰め物を、という発想になって来る。春菜に至っては、下手に容姿も体型も理想的なものだから、飾り付ける人間が無駄に張り切ってしまってこの惨状、と言うところだ。
なお、言うまでもない事だが、盛装において理想とされている腰の太さが細すぎるのであって、春菜も真琴も、世間一般の常識からすれば十分に細い方に入る。春菜など、コルセットもしない状態でこれ以上腰が細いと、むしろ見ている方が気色悪く感じ、これ以上太いと理想から外れるという、まさに奇跡的なバランスの肉体をしている。正直、わざわざ絞らなくても綺麗なシルエットを作る事が出来そうなものなのだが、そこはもう常識や美意識の違いと言うところで納得するしかないだろう。
「か、仮縫いなのに、こんなにしっかり締める必要、あるの……?」
「仮縫いだからこそ、です」
取りつく島もない衣装担当に、そろそろ本格的に涙目になってきている春菜。宏はともかく、春菜がここまで追い詰められている状況も珍しいのだが、二人とも地味に、それに対する感想をコメントする精神状態では無かったりする。なぜなら
「こんだけ腰絞り上げられた揚句の、このものすごい上げ底……」
「やっぱり、春姉のをもぐべきだったか……」
ドレスのラインを美しく盛りたてるため、胸にびっくりするほど詰め物を入れられているからだ。その様子は、まさに盛ると言う表現が正しいレベルである。
それでもまだ、軽く寄せて上げるだけで、背中やわき腹の肉を持って来なくても多少は谷間を作れなくは無い澪はマシな方で、真琴など胸元が開いたドレスは、最初から選択肢に入りすらしなかった。何しろ、背中やわき腹にすら持って来れる肉が無いので、ごまかしようが無い。
「それにしても、これだけ素晴らしいプロポーションをなさっているのに、露出を控える事を望まれるとは……」
「……何か問題でも?」
「いえ、女の見せ方を良く理解なさっているな、と思いまして」
「は?」
妙なところで妙な感心をされ、思わず目が点になる春菜。別段女の見せ方にこだわって露出を減らした訳ではなく、単に宏に不要なプレッシャーを与えてまで、わざわざ無関係な連中の助平な視線を満足させてやる必要を感じなかっただけにすぎないのだが、どうやら衣装係達は別の方向に解釈をしたようだ。
「最近の風潮では、鑑賞に耐えるだけの肉体を持つお嬢様方は、下品にならないぎりぎりを狙って限界まで肌を晒そうとする方が多いのです」
「また、それを声が大きい殿方の一部がもてはやしてしまわれたものですから、勘違いなされた方々が回を重ねるごとに大胆になって行きまして……」
「あえて隠す方が、かえって色っぽく見える事もあると言う事を、いい加減わきまえていただきたかったところでしたので、ハルナ様の申し出は非常に嬉しかったのです」
「ですから、ここは私達の総力を上げて、隠すことによる美しさ、清楚で上品な、手を出すことをためらわせる色香、そこから来る強烈なエロスと言うものを、殿方にもお嬢様方にも教えて差し上げたいのです」
何やら強烈な使命感を持っているらしい衣装係達に、全力で引く三人。流石に直接矛先が向く春菜には、同情を禁じ得なくなってくる。
「他人事のような顔をなさっておられますが、お二人にも頑張っていただきたい事はあるのですよ?」
「は?」
「な、何を?」
「今回は時間が無いので見送りますが、お二人とも素材は非常によろしいのですから、それぞれの魅力を最大限に盛りたてませんと」
何とも危険な色を目に浮かべ、怪しげな笑みとともに言い切る衣装係のリーダー。正直言って、怖い。
「マコト様の、スレンダーで健康的な肉体は、胸が無い事が必ずしも欠点ではない、と言う事を証明するのにまたとないほどの素材。ハルナ様のような凹凸に恵まれなかったお嬢様方の希望の星となっていただくよう、全身全霊を持って飾り立てとうございます」
「希望の星になんてなりたくないから却下!」
「ミオ様の未成熟で、今にも壊れてしまいそうな繊細な魅力は、今だけしか持てない類のものです。それを最大限に引き出して、無暗に背伸びをしておられるデビュッタント前のお嬢様方に、その時だけしか持ち得ない魅力がどれほど強力な武器となるのか、一度はっきりと見せつけるべきだと常々思っていましたの」
「そ、それ、変態とか特殊な趣味の男とか寄って来そうで嫌……」
真琴と澪の拒絶を華麗にスルーして、衣装係たちは明日の会食と夜会のための衣装を仮縫いしていく。時間が足りない、と言うのは本当らしく、一番の腕の見せ所とでもいうべき夜会の衣装に関しては、露出を控えめにと言う注文を聞いた以外は、極めてオーソドックスなデザインのドレスをさっくり縫い上げる。せいぜい春菜のドレスが、一般的なものより全体的なボリュームが少なめなぐらいである。
「細部の微調整は、明日着替える時に一緒に、と言う事になります。ですので、今日はこれで終わりにさせていただきます」
「やっと終わった……」
「肋骨が、肋骨が……」
解放されると分かって、安堵と怨嗟の声が漏れる真琴と春菜。ようやくコルセットをほどいてもらって人心地ついたところで、重要な問題に気がつく。
「あ、そうだ」
「どうしましたか?」
「明日着替えた後、エンチャントをかける余裕って、あります?」
「夜会の時間までには十分な余裕を持って準備させてはいただきますが、エンチャントの所要時間が分かりませんので、そこは何とも申し上げられません」
「そうですか……」
春菜が何を気にしているのかに思い至り、申し訳ございません、と一つ頭を下げる衣装係一同。実際のところ、彼女達の微妙な立場を考えると、気休めとはいえエンチャントの一つや二つはかけたいところであろう。だが、それを許される時間があるかどうか、と言うのは専門外の彼女達には分からない。何しろ、大した効果が無いエンチャントでも、意外と付与にかかる時間は長いのである。
とりあえず、どれぐらいの時間が空きそうなのかを確認し、後で宏にどうにかならないかを聞いてみる事にして、衣装係の皆さんには引き上げてもらう事にする。正直、生地と型紙だけ用意してもらって、宏に高速で縫ってもらった方が早くていいものが出来そうではあるが、今回はそうもいかないのが辛いところである。
「春姉」
「何?」
「最悪、ボクが簡易エンチャントかける」
「お願い」
衣装係の女性達が出て行ったところで、澪がそう申し出る。持続時間の短い簡易エンチャントだが、それでも夜会の間ぐらいは持つ。問題となるのは不意打ちの一撃、及び状態異常。回復アイテムの類を隠し持つにしても限度がある以上、事前に特に厄介なものだけでも潰してしまいたい。最悪、一回だけでいいから即死を防げて、混乱、毒、バインドの三つだけでも無効化できれば、どうにもできないまま畳み込まれる危険だけは避けられる。
「それにしても、本当に面倒なことになったわよね」
「多分、いずれ避けて通れない道だったんだとは思うけど、何というか、いろいろ準備が足りていない気分」
「あたしもそれは思うけど、万全な準備なんて絶対出来ない、って考えれば、今のラインでも上々なんじゃない?」
手早く服を身にまといながら、あれこれぼやきあう真琴と春菜。いつもの馴染んだ格好になったところで小さく吐息を漏らすと、指示されている合流予定の部屋へ向かおうと案内も呼ばずに外へ。
「で、ボク達が借りる部屋って、どっちだっけ?」
「あたしに聞かないでよ」
「ちょっと待って、今思い出してるから」
特徴に乏しい廊下を見て自分達の現在位置が分からなくなり、いろいろおたおたする羽目になる女性陣。実際に通った訳ではないため、春菜の記憶力もそこまで当てにはならない。結局、道自体は覚えていた春菜のおかげで、微妙に迷いそうになりながらもどうにか遭難せずに、自力で部屋にたどり着けたのであった。
「なんか、宏がすすけてる気がするんだけど?」
「まあ、なんつうか、いろいろあったんだ」
「そっちは、女の人居なかったよね?」
「まあ、その、なんだ……」
微妙に言いづらそうにしている達也に首をかしげつつ、ありそうなネタを考える女の子たち。しばし考えて
「衣装がらみで、何かあったの?」
「……どうせ明日になったら分かるから正直に言うけど、似合う服があらへんかってん」
かなりへこんでいる宏の言葉に、部屋が完全に静まり返る。
「いや、似合ってなかった訳じゃないぞ?」
「いつもの事やとはいえ、高い服でさえ何着てもダサぁてキショいんは、正直かなりへこむで……」
「そ、そうかな……?」
などと言いつつも、脳内で宏に向こうおよびこちらの世界での高級な服、と言うやつを着せてみる春菜。いろいろ着せ替え人形にした後、出てきた結論は……
「……とりあえず、今の時点では難しい、って言うのは分かったよ」
「素直に、何着てもダサい、っちゅうてくれた方がありがたいで、それ……」
「ん~、そうじゃなくて、どう言ったらいいのかな?」
この二カ月ほどのつきあいで、宏の場合は容姿や体つきより、雰囲気の問題が大きい事には気が付いている春菜。元々ファッション誌に出ているような、カジュアルで移り変わりの激しい服装が、美形でも不細工でもない方向でやや濃い目の日本人的顔立ちをしている宏には、それほど合わないこと自体は異論は無い。だが逆に言えば、かっちりとした仕立てがいい高級な感じの、いわゆるブランド物の無難なタイプの服ならば、洋の東西に関係なくそれなりに様にはなると春菜は踏んでいる。
では、何が問題かと言うと
「宏君の場合、多分それなりにかっちりした服装で無いと駄目だとは思うんだけど……」
「だけど?」
「そう言う服って、私たちぐらいの年代だと、余程頻繁に着て体になじませないと、どうしても貫禄が足りないっていうか、ね」
「なるほど、言われてようやく、さっきの違和感が分かった」
確かに宏の場合、中身がいくら凄腕の職人だと言ったところで、表にはそう言ったオーラは出ていない。地道な努力で鍛えあげたとは言えど、凄腕なのはあくまでゲームの中での話であって、現実にはそこまで経験を積んでいる訳ではない。もっとも、ある意味では借り物の能力なのだから、実力に雰囲気があっていないのは仕方が無いところではある。そこに加え、過去の事もあってか一般的な同年代ほど闊達な雰囲気も無く、専門分野以外では何をするにも自信なさげなマイナス思考がにじみ出ている印象がある宏は、現時点ではオーダーメイドのスーツを、当然と言う態度で着こなせるような人間ではないのだ。
そもそも、貫録と言う点に関しては、ある程度年を重ね、社会で叩かれながらも踏みとどまって多少なりとも成果を出し続ける事で得られる側面もある。スポーツで大活躍しているだとか、芸能界で大ブレイクしたとか言ったタイプが、もしくは生まれながらの金持ちでそう言う服装をするのが普通という人種でもなければ、十七や八で高級ブランドを着こなせる人間はそういない。
かといって、この年代に多いカジュアルな服をルーズに着こなす、と言う方向性では、宏の場合はおしゃれという印象よりもだらしなくて不潔な印象の方が先に立ち、逆に普通の服を無難に着ると、ものすごくダサくて格好悪くなる。本来似合う服装は、もっと経験を積んで自信と風格を持ってはじめて様になる。この辺のミスマッチが、宏が現時点で、何を着てもダサいという印象につながっているのだろう。
他に問題が無い服装を挙げるなら、後はジャージか作業服ぐらいだろう。作業服の場合、ダサい事が必ずしもマイナス評価にはつながらない。そもそも、お洒落かどうかが評価項目に入っていないし、ベテランの職人など、普通に見ればダサいが、そのダサさが格好良さにつながっている、などと言うことも珍しくない。きっと宏の場合も、作業服ならそういう方向で馬鹿にされる事は無いだろう。今回の問題の解決には、全く役には立たないのだが。
「とりあえず、絶対何かトラウマあるだろうから、夜会の類は基本不参加、参加する場合でも出来るだけ早めに引っ込んでもいいように、陛下や殿下に交渉しないと、ね」
「そうだな。こんなくだらない事で、くだらない連中にヒロを使い物にならなくされちゃあたまらん」
「外見と雰囲気だけで、それこそ生存権すら認めない人って、どこにでもいるもんね」
特に年頃の女の子には、と小さくつぶやいた春菜の言葉は、聞いた訳でもないのに宏のトラウマを的確に把握していると言っていい。何しろ、実際のところはどうなの、と聞きかけた真琴が、宏のどんよりした反応で全てを察したほどなのだから、女性がらみはとことんいろいろ抱えているらしい。
多分にこちらに来た事によるパラメーター補正が利いているのだろうとは思うが、それを考えても距離を置くだけでよく普通に女性と接する事が出来るものだと、心底感心せざるを得ない真琴。自分や澪、エアリスはおろか、最も距離が近いであろう春菜の事でさえ、多分本質的な部分では完全に信頼したりはしていないのだろうが、それでもちょっと注意するだけで共同生活を送れるのだから、なんだかんだいって宏も、春菜とは違う意味で出来た人間だとは思う。
とは言え、この状況は、最初に共同生活を送ることになった相手が、春菜だったからこその奇跡だろう。普通ならどれほど文句が出るか分からない宏の態度を、そういう事情だからと笑って受け流して、注意深く距離を取って普通に接する事が出来る女性など、そうはおるまい。少なくとも、自分や澪では、春菜と言うクッションが無ければ三日と経たずに破綻させている事請け合いである。他の女性陣では、辛うじてエレーナとエアリスがどうにかできそうだが、どちらも立場が立場だ。実際に共同生活となると、取り巻きと言うかお付きの人がやらかしそうなので、結局破局までの時間が早いか遅いかの違いに過ぎない。
「とりあえず、まずは目先の回避不能なシーンをどうにか乗り切るところからスタートだな」
「明日だけは、どうにもできない」
「せやろうなあ。まあ、覚悟決めて根性入れれば、一日ぐらいやったらどうにかなるやろう」
流石にどう頑張ったところで、明日の謁見とその後の昼食会、及び夜会から逃げるのは難しい。謁見の時にいちゃもんをつけてくる女と言うのは居なかろうし、昼食会は王族のみの参加。昼食会でのカタリナの言動にだけ注意すれば、この二つはどうとでもなるだろう。故に問題は夜会。
「どんなに最短で切り上げても、挨拶とかの時間を除いて三十分は抜けられないだろうな」
「その間、誰がフォローに回るか、だけど……」
「俺だと、かえってマイナスかもしれない。春菜か澪が横にいれば、少しはましなんじゃないか?」
「そうね。この場合、対応能力を考えるなら、春菜が横にいる方がいいと思うわ。春菜の方も、中途半端なチャラチャラした男が寄って来るの、面倒でしょう?」
「それか、おじさんに一緒にいてもらうか」
着々と、最も対策が必要な事柄に対して計画を練っていく一同。結局、宏と春菜、澪の三人はずっと固まって行動すべし、と言う結論に落ち着く。
「それにしても、今日この後はどうすればいいか、あんた達は聞いてる?」
打ち合わせがひと段落したところで、真琴が今日これからの事を持ち出す。
「聞いてないけど、基本的に、この部屋で大人しくしてるべきじゃないかな?」
「せやなあ。そもそも、ここに限らず城なんてもんは、基本的に部外者が案内も無しに迂闊にふらふら歩きまわれるような構造にはなってへんし、入ったらまずい場所に迷い込みでもしたら、目も当てられへん」
「それに、あの殿下の事だ。本来なら話し合いが終わって手持無沙汰になるほど、俺達を放置するつもりは無かったんじゃないか?」
達也の言葉に、ありそうだと頷く一同。基本的にこの件に関しては、レイオットは必要最低限か、それを割るぐらいの説明しかしない。今までの経緯から察するに、宏達のアドリブ能力を当てにして、出来るだけ外に出る情報を絞っているのだろう。知らない、と言う事は、時に最高の防衛策になりえるのだ。
「まあ、そんな長い事、何の音沙汰も無し、言うことにはならんやろうし、暇やったら七並べか神経衰弱でも……」
宏の言葉が終わるか終らないかと言うタイミングで、部屋がノックされる。
「はい、どうぞ」
「失礼する」
噂をすればなんとやら。現れたのは、レイオットであった。後ろには、いつものようにユリウスが控えている。宏や澪の耳には足音が三人分聞こえたのだが、見た感じ、居るのは二人だけである。
「すまんな、待たせた」
「何の何の。丁度話し合いが終わったところやし」
「いろいろと面倒をかける」
「いくら非公式や、っちゅうても、王太子殿下があんまり頭下げるもんやあらへんよ」
「だが、たとえ王だろうが王太子だろうが、頭を下げるべき時は下げねばならぬ。特に、我らは貴方達に、二人も家族の命を救われたのだからな」
突然、姿が見えない三人目の声が聞こえる。
「レイっち、昨日姿隠しとステルスマントわざわざ持って帰ったんって……」
「まあ、そういうことだ」
レイオットの言葉と同時に、やたら威厳たっぷりの、がっしりした体格の中年男性が姿を現す。顔の造形や髪の色を見るまでもなく、一目見てレイオットと親子だと分かるその男性は、まごう事なきファーレーンの現国王である。
「初めてお目にかかる。余がファーレーンの国王にして、レイオットとエレーナ、そしてエアリスの父親、レグナスだ」
予想外の登場をしてのけた国王レグナスに、日本人達は反応を決める事が出来ずに、ただ呆然とするのであった。
「あの、陛下……、どのような御用件で……?」
いきなり現れた国王に、恐る恐る声をかける達也。
「そう硬くなる必要はない。単に親として、礼を言いに来ただけだからな」
「それは、明日の謁見でやるのでは?」
「あんな偉そうな場で偉そうな態度を取って、誠意など伝わるものか」
「いや、国王やねんから、偉そうでもええですやん……」
達也の疑問への返答で、この人、本当に大丈夫なのか、と言いたくなるような事を言ってのけるレグナスに、突っ込んでいいのかどうか悩む日本人達。
「とりあえず、こういった非公式の場では無礼講ゆえ、人としての最低限の礼儀さえ守れば、いつも通りでも問題ない」
「そう言われましても……」
「宏殿、だったか? 貴殿は息子を、レイっちなどと呼んでいるではないか。今更国王なんぞにかしこまる必要は無いぞ」
「まあ、そらそうですけど……」
確かに、王太子殿下相手にレイっちなどと馴れ馴れしくしているのだから、たとえ国王相手といえども、今更と言えば今更ではある。
「それにしても、正直なところ、恩人を面倒事に巻き込んでしまった事、大変申し訳なくは思っているのだが……」
「まあ、そんなんはエルを拾った時点で、とうの昔に覚悟は済んどるんで、気にしてもらう必要は全くあらへんけど……」
「だが、それでも、貴殿が一番苦手としている催し物に参加を強制せねばならぬのは、王としても親としても痛恨の極みだ」
威厳たっぷりのまま、実に申し訳なさそうに言ってのける国王陛下に、言われた方が思わずあわててしまう。
「全く、くだらない事だとは思うのだが、伝統的に多大な功績があった一般人をねぎらうのに、どうしても謁見、昼食会、夜会の三つをセットでこなす必要がある。正直なところ、それが功績に報いることになるなどとは到底思えぬのだがな」
「特に夜会については、私も常々疑問に思っていたところだ。あれは、のし上がってきそうな一般人を、笑い物にしていたぶるためにわざわざ催すのではないのか、とな」
国のトップの、さんざんともいえるような評価。彼らが社交界と言うものをどう思っているのか、よく分かる言動である。
「あの、それで、御用件はそれだけですか?」
このまま放置しておくと、どんどん碌でもない愚痴を聞かされそうだと判断した春菜が、とりあえず割り込んで質問をぶつける。
「いや、心配しなくとも、ちゃんと本題は別にある」
「貴公らに、夜会における注意事項を伝えておこうと思ってな」
国王と王太子殿下が、わざわざ小細工をしてまで伝えに来る注意事項。何ともまあ、碌でもなさそうな話だ。
「まず、達也殿と宏殿は、基本的には我らの側の人間が不在の場所では、決して女どもと話をしてはならぬ」
「話をしたら、それだけで即座に相手が妊娠すると思え。特に達也は要注意だ」
あり得ない事を聞かされ、反応に困る達也。言いたい事を理解し、顔が土気色になる宏。
「そ、そこまでなんですか?」
宏と同様、即座に言っている意味を理解した春菜が、本気で引いた顔で確認をとる。
「うむ。レイオットも、何人空気感染で出来た子供を認知しろと迫られた事か」
「こちらが会話を拒めない立場だった事をいい事に、奴らは好き放題やらかしてくれたからな」
「それ、放置しとるん?」
「する訳が無かろう?」
凄絶な笑みを浮かべながら、物騒な事を言ってのけるレイオット。正直なところ、そんな調べれば一発で分かる事で嘘をついて、無事で済むと思っていたのかという点が非常に疑問である。
「因みに、言うまでもなく兄上やマークも、似たような経験をしている。私ほどの数ではないがな」
「王子ともあろう者が、その程度の性教育も受けていない訳が無かろうに、本当に質が落ちたものよ」
王族二人の言葉に、思わずうわあとうめいて絶句する一同。社交界のレベルの低さと性質の悪さに、コメントしようがない。今の代の王家は血族間のつながりが強く、レイオットやエアリスの派閥に入れなければ権威や権益の拡大が難しい事に焦ったのだろうが、もう少し頭を使えとは言いたいところである。
「とりあえず、宏殿に関しては、折を見て余が会場の外へ連れ出そう」
「エルンストとユリウスもつけておくから、開始から一時間程度、どうにかしのいで欲しい」
「了解や」
「その後は、宏殿は余がいろいろ仕事を頼んだ事にして、夜会への出席を出来るだけ潰す事にしよう」
「だが、私と父上、それに姉上とエアリス、兄上にマークの分までいろいろ雑用を頼んだ事にしても、さすがにすべての夜会を欠席できるとは思えん。申し訳ないが、多少は覚悟を決めておいてほしい」
「それも分かっとるよ」
正直なところ、王家サイドとしても、宏を余り夜会などに出したくは無い。これが、達也や春菜のようにほどほどに人間関係の対応能力があるのならいいが、宏は女性恐怖症ゆえか、初対面の相手、特に女性に対しては、場合によっては失礼だと言われても否定できない態度をとる事がある。どっちが失礼なのか分からないような連中の方が多いので、その事自体は別にかまわないとは思うのだが、それを問題視して処刑を迫ってきたり、王家の権威を引きずり降ろそうとしたりする野心家も少なくないのが、頭が痛い話である。
実際のところ、そう言う事を言い出す連中と宏とでは、圧倒的に宏の方が重要なのだが、それが分かる人間はそもそも、カタリナの事以外には特に問題を抱えている訳ではない今の王家に刃向かうような真似はしない。第一、四級ポーションを作る事が出来る、と言うそれだけでも、大半の貴族を切ってでも抱え込む価値があるのだが、彼らのどれぐらいが気が付いているのだろうか。
「そう言えば、結局神殿に侵入した時のあのトカゲのしっぽ、あの絡みはどないなったん?」
「残念ながら、実行犯の確保には失敗した。流石に自爆されてしまっては、どうにもならん」
「親玉の方は?」
「そちらも残念ながら、な。そもそも、あの実行犯をバルドだと断定したのも、少しでも目をそらすとどんな人間だったかを忘れるほど特徴が薄い顔をしている、というだけの理由だ。その当人が、事態が完全に終わるまでカタリナ姉上とともにマークを相手に茶を飲んでいた以上、無関係ではないだろうと詰め寄ったところで一蹴されるだけだ」
予想通りとはいえ、本気でトカゲのしっぽだったらしい。宏にキャンセルされる程度とはいえ、大魔法を普通に発動できる人間を尻尾として使い捨てるあたり、相手の方が実戦的な人材は充実しているのかもしれない。
「それで、結局エレ姉さんの関係って、どの程度けりついとるん?」
「実行犯と思わしきものは、すでに投獄してある。もっとも、そこから背後をたどるのは、少々難しそうではあるが」
「そらまた何で?」
「簡単な話だ。実行犯の半分は、そもそも自身が毒物を扱っていた事すら知らなかったようでな。彼らに毒物を渡したと思われる人間も探ってはいるが、これまた当人は自身が毒物の運び屋にされた事すら知らないか、既に足取りが途絶えているかのどちらか。正直、大半の者に関しては、どの程度の処分をすべきかもすぐには決めかねる状況だ」
レイオットの報告を聞いて、難儀なことになったとうならざるを得ない一同。
「それって、人を入れ替えても、再発防止にはならない?」
報告内容から確定で言える、一番厄介な問題をズバリ指摘してのける春菜。ほとんどがいつも通り仕事をしていただけ、となると、それこそ全てを解毒するぐらいで無いと、防ぎようが無い。
「そう言う事になるな。まあ、宏のおかげで、指摘されたもののうち、注意すべきを茶葉と食事に絞る事が出来たから、以前よりははるかにましだろう。最悪、食うふりをしてお前達にこっそり何かを作ってもらう、と言う手立てもあるしな」
「王族がそれでいいの……?」
「流石にそれはどうかと私も思うな……」
余りにアバウトな事を言い出すレイオットに、頭を抱える真琴。何ともコメントしがたい台詞に、当たり前の言葉しか出てこない春菜。もはや、王族相手に対する緊張感や遠慮など、どこにも無くなっている。まあ、元々これまでの経緯から、こういう非公式の場では、レイオット相手に対する遠慮などかけらも残ってはいないのだが。
「せやけど、それやったらうってつけのモンがあったりするねんな、地味に」
「うってつけって?」
「これやけど?」
そう言って、宏が荷物から取り出したものは……
「インスタントラーメンだと!?」
「カップめんじゃない!」
「ねえ、宏君。某メーカーの味噌とか、これどういう基準……?」
「パッケージまで完璧に再現してあるあたり、さすが師匠……」
そう、インスタントラーメン各種であった。澪のコメントの通り、ご丁寧にパッケージまで完璧に再現されている。種類こそカップめん二種類に袋ラーメン二種類と少ないが、確かに後でこっそり食べるにはうってつけのものと言えば言える。
「と言うか、いつの間にこれを完成させてたの?」
「春菜さんが屋台やってる間に、こつこつとな。たまごのっけるポケットとか記憶にあるスープの味とか、なかなか再現できへんで苦労したで」
「いつもながら、何でこういう方向にばかり努力を惜しまないのよ……」
宏のあまりの努力の方向音痴ぶりに、もはや脱力するしかない真琴。だが、そんなコメントをしながらも、手に取ったカップめんは離さない。
「これは、どういったものなのかな?」
「この味噌ラーメン、言うやつ以外は、基本お湯注いで一分とか三分で食べられる麺や」
「ほう? 美味いのか?」
「凄く美味しい、って類のものじゃないけど、好きな人はものすごく好きな感じ、かな? 私はここにあるのは、大体どれもそれなりには好き」
「春菜さんも、インスタントラーメンとか食べるんやな。家が超セレブで料理にこだわりありの人やから、こんなん見向きもせんと思っとった」
宏の言葉に苦笑する春菜。確かに母親がミリオン連発の世界的歌手であり、父親も人気俳優の彼女の家は、超がつくほどのセレブである事は否定の余地は無い。また、日ごろの食事に関しても、父方の曽祖父が京都の一流料亭で料理長を務めていたような人で、その影響で父が料理にものすごくこだわる人物なのも事実である。母親だって、よく食べるからか物凄く料理が上手いし、その影響で自身も妹も普通に料理ぐらいは仕込まれている。が、両親ともに不在の時に、毎回毎回二人分のご飯を馬鹿正直に作っていた訳ではない。どうしても面倒な時には、袋ラーメンに野菜を入れる程度のアレンジで済ませたり、場合によってはカップめんで済ませたりしたことも普通にある。
「まあ、栄養バランス的にはあまり体に良くない類のものだから、そんな頻度では食べてなかったのも確かだけど」
「ふむ。体に良くない、と言う割には、他の者たちの食い付きがいいのだが?」
「人間、体に良くない物ほど美味しく感じる、って所かな?」
食い入るように眺めて離さない三人を見て、苦笑しながらレイオットの問いかけに応える春菜。実際のところ、栄養バランス的には確かにお勧めしがたいものではあるが、食べ続けたからと言ってそれ自体が病気の原因になるほど体に悪いものでもない。そもそも、インスタントラーメンの開発者は、開発を始めてから死ぬまで、毎日一食はインスタントラーメンを食べていたにもかかわらず九十六歳で大往生したのだから、そこまで致命的に健康に悪いと言いきれるものでもない。
「で、僕らも昼がまだやし、ちょっと試食してみる?」
「出来るのか?」
「カップに入った奴はお湯注ぐだけやし、味噌ラーメンやない方の袋はどんぶりとお湯だけあればいけるで」
「どんぶりと言うのは?」
「こういう器やな」
宏が荷物から取り出したどんぶりを、しげしげと眺める国王。こういったボウルのような食器に盛り付ける料理は、ファーレーンにはほとんど存在しない。因みにレイオットの方は工房でそばを食べた事があるため、どんぶりの存在は知っている。
「では、湯を用意すれば問題ないのだな?」
「それも、なんやったらこっちで用意するで」
すっかり話が食べる方に向かってしまっている一同。その様子に苦笑しながら、インスタントラーメンに対して一番冷静であった春菜が突っ込みを入れる。
「試食するのはいいけど、打ち合わせの類は終わり?」
「あ、せやな。確認しときたい事があってん」
「確認したい事?」
「明日の昼食会と夜会の前って、薬を持ち込んで飲んだりできる?」
薬、という言葉に怪訝な表情を浮かべるレイオット。微妙に言いたい事を察したか、少し考え込む国王。
「薬、とは具体的には?」
「毒の予防用に、万能薬をちょっとな。配合をいじれば、六時間は大概の毒物をチャラに出来んねん。まあ、言うても手持ちの材料やと、せいぜい四級で治せる範囲までやねんけど」
「……それは、我々の分も用意できるのか?」
「薬作るための道具と場所を貸してもらえれば、それぐらいの余裕はあるで」
「分かった。この後すぐに手配しよう」
「おおきに」
懸念事項その一を確認し終えた宏が、ポットと水を取り出しながら礼を言う。そのまま、お湯を沸かす作業に入りながら、続いての懸念事項を質問する。
「もう一つは、女性陣にとっての厄介事やねんけど、ダンスとかの類って、どうなん?」
「明日はエレーナの体調を理由に、ダンス自体は行わない予定になっている。だが、いつまでも全くなし、と言う訳にもいかんのも確かだな」
「なるほど。後、根っこは同じ問題やねんけど、春菜さんらは、得物があるだけでドレスのまま戦闘とかできそう?」
宏の指摘に、はっとした顔をして考え込み、口々に問題を指摘する。
「コルセットの感じから言うと、ちょっと厳しいかも」
「裾の長さも厄介なところね。大立ち回りするとなると、絶対に踏んづける自信があるわ」
「そもそも、ドレスで弓を引くのは無理」
返ってきた返事は、どれもなかなか厳しいものであった。
「やとしたら、明日はともかく、それ以降は下着は澪が、ドレスは僕が作った方がよさそうやな」
「そうだな。流石に今日来て明日で大立ち回りになるような事態は無かろうが、そう言った備えは重要だ。だが、そこまで動きやすいドレスなど、本当に作れるのか?」
「まあ、ポイントを押さえれば大分変わるで。それに最悪、ある程度はエンチャントで誤魔化せるし」
「エンチャントと言うやつは、本当に万能だな」
「出来ん事も、結構あるけどな」
衣服や鎧にかかるエンチャントは、武器のそれに比べると種類が多い。そのほとんどが重箱の隅をつついたような数値には影響しない、だが現実には単純な防御力向上など目ではないほど重要なものである。特に金属鎧の通気性確保と内部気温制御は、ゲームの時はほぼネタエンチャント扱いだったが、実際にあれを着るとなると無しではやってられない類のものである。鎧全般や裾の長い服、装飾が多い服などにかける行動阻害軽減も、あるとないとではペナルティの大きさが大違いで、上位のものになるとフルプレートでも泳げるほどの効果がある。ゲーム中ではあまり重要視されなかったが、弓手用の胸部保護エンチャントなども、こちらに来てから活躍しているエンチャントだ。
ゲームの頃は、使えるエンチャントが増えるたびに開発の余計なこだわりに呆れたものだが(何しろ、大半が使い物にならない)、いざゲームが現実になると、むしろ良くこれだけ用意してくれたものだと感謝したくなってくるのだから、現金な話である。もっとも、中には電波を受信するとか、ローグライクゲームのアイテム情報か、と言いたくなるような正体不明のエンチャントも相当数混ざっているのだが。
「まあ、ドレスについては、それでいこ。生地と糸は頼むで」
「手配しよう。他には?」
「すぐにどうこう、言うんは思いつかんな。あ、そうや」
「何だ?」
「こういう変わり種を食べる時、エル呼んどかんと拗ねへんか?」
宏の指摘に苦笑し、何ぞ道具を使って連絡をとるレイオット。どうやら基本は待ち時間だったらしく、呼ばれてからさほど時間をかけずに部屋に到着するエアリス。
「今日はどのようなものを食べさせていただけるのでしょうか!?」
「凄い食いつきやなあ、相変わらず」
エアリスのその態度に、思わず失笑が漏れる一同。その様子に微妙にむくれながらも、宏と春菜が用意する謎の食べ物から目が離せないエアリス。
「本当は、お野菜とか入れた方がいいんだけど……」
「まあ、今日はオーソドックスにいこか」
とりあえず食べ比べるだろう、と言う事で、ある程度取り分けられるように小鉢を人数分用意し、カップめん二種を二つずつと、たまご受けに生卵を落とした元祖鳥ガラの袋ラーメン三杯にお湯を注ぐ。袋の味噌ラーメンは煮込んだ方が美味しい、と言うよりお湯を注ぐだけ、と言う作り方を想定していないので、今回は見送る事に。
「うわあ、来るなあ、これは……」
「ああ、駄目……。これは抵抗できない……」
作っている過程を見て、どうにも辛抱できなくなってくる達也と真琴。澪も、どことなくそわそわしている。
「とりあえず、適当に取り分けて食べてね」
そう言って、見本を見せるように元祖鳥ガラのラーメンを自分の小鉢に取ってみせる春菜。見ると、すでに真琴がカップめんの醤油味の方をかき混ぜて、自分が食べたいだけの量を小鉢に引っ張り出していた。達也はシーフードの方らしい。
「そう言えば、カレーヌードルが無いのはどうして?」
「こっちに回すスパイスを、全部カレーパンに回しとったからな」
そう言って、元祖鳥ガララーメンをすすって幸せそうな吐息を漏らす宏。肝心の王族たちの反応はと言うと……
「これだけ簡単に調理出来て、この味か……」
「宏、ぜひとも製法を広めてくれ。これは、軍や冒険者にとって革命となる食べ物だ」
「素朴な味で、美味しいですわ」
日本の食事としては最底辺に近い、指折りに安っぽい食事に目の色を変えていた。
「一朝一夕でどうにかなるかは分からんから、とりあえずそのうちこれ専用の鞄かなんか用意して共有化して、自分らが食べそうな分だけ作って補充しとくわ……」
宏のその提案に、目を輝かせて頷くエアリス。日本が誇るインスタント食品は、ファーレーンの王族を虜にしてしまうのであった。