第13話
「湯けむりに硫黄の匂い……」
「間違いなく、温泉だね、宏君」
「温泉やなあ」
共同浴場らしき建物から流れ出るお湯の匂いを嗅ぎ、はっきりとそう結論を出す二人。その妙なはしゃぎぶりを、苦笑しながら見守る年長者達。一行は湯治と言う事で、大霊峰の麓にあるファーレーン有数の温泉地・アドネにやって来ていた。移動は馬車でのんびりと、ではなく、レイオットの転移魔法で一発移動である。なお、そのレイオットは、一行を送り届けた後、さっさと帰ってしまっている。
「ここのお湯、源泉の温度によっては、アレができるな」
「うん、アレができるね」
「とりあえず、お前らがやたらはしゃいでるのは分かったから、少しは落ち着け」
達也にたしなめられ、ピタッと動きを止める二人。どうやら突っ込み待ちだったようだ。
「で、温泉卵でも作る気か?」
「そらもう、温泉来たら温泉卵は作らな」
「後、源泉の温度が高いんだったら、トウモロコシとか芋とか茹でようかな、と」
「相変わらず食う事には執念を発揮するなあ、お前らは……」
やたら息があっている二人を見ていると、突っ込みを入れるのが野暮な気がしなくもない。
「因みに本命は、温泉まんじゅうや」
「小豆が無いって話じゃなかったの?」
「それについては、ある解決策に気がついたの」
春菜の言葉に驚き、思わず彼女を凝視してしまう宏を除く日本人一同。その様子に満足したのか、胸を張ってズビシっ、と指を突き付け、青い瞳に自慢げな色を浮かべながら高らかに宣言する。
「小豆が無いなら、白餡を作ればいいじゃない!」
そうでなくてもでかい胸を強調するように突き出し、ドヤ顔でどこぞの処刑された王妃がのたまったような事を言い放つ春菜。きっちり固定されているため単に強調されているだけだが、そうでなければたゆん、と言う擬音がどういうものなのか、死ぬほど理解出来たであろう。その場にいる宏以外の視線が、思わずその胸元に集中する。
「因みに、うぐいす餡、っちゅう手もありやで」
宏が更に余計な注釈を入れる。どうやら、白餡やうぐいす餡の材料となる白インゲンや青エンドウは、豚肉同様類似品があるらしい。
「それって、解決策なのか?」
「どっちもマイナーなだけで、伝統的な餡子や。ぜんざいとか羊羹は解決策がまだ見つかってへんけど、鯛焼きとかはある程度何とかなるんちゃうか?」
「つうか、温泉まんじゅうって、単にまんじゅう蒸してるだけなんだから、温泉地でやらなくてもいいんじゃねえか?」
達也の言葉に、にやりと笑ってのける宏と春菜。相変わらず無茶苦茶距離を置いて会話をしているくせに、この手の事になると本気で息がぴったりである。
「温泉水が飲用に向いてるんやったら、それで蒸したろうと思うてな」
「待て待て待て。それをどうやって調べる気だ?」
「飲用に適してるかどうか見るためのチェッカーがあんねん。作ったんは大分前やけどな」
「温泉専用なのか?」
「いんや。本来の使い道は、普通の水源が手ぇ加えんでも飲めるかどうか見るためのもんや」
宏の言葉に、むしろエレーナやドーガが食いつく。清潔な印象があるウルスといえども、生水を飲んで腹を下したとかそういう話は枚挙にいとまがないし、騎士団に至っては背に腹は代えられず煮沸して飲んだ水に毒素が混ざっていたりと言う事故が、毎年それなりに起こっている。
魔道具や魔法で水を出せばいい、と言われそうだが、そんなに簡単に行く話ではない。常に魔力がある訳でもなければ、万人が水を出す魔法を使える訳でもなく、更に全ての世帯や部隊に水を作る魔道具が普及している訳でもない。特に騎士団など、そう言ったリソースは出来るだけ温存しなければならない状況は少なくないため、場合によっては現地調達はそれこそ生死に直結する。
「それは、どの程度の精度で分かるのかしら?」
「そのまま飲める、煮沸すれば飲める、ちゃんとした処理が必要、基本飲めん、ぐらいの感じやな」
「ちゃんとした処理、と言うやつの詳細は?」
「専門知識があれば分かるぐらいにはいけるで」
物凄い食いつきで質問攻めをするエレーナとドーガに、正直かつ正確に応えていく宏。そんな様子をきっちりスルーし、エアリスが春菜とはまた違った色合いの青い瞳をキラキラ輝かせながら、春菜の方にとことこと歩いていく。
「ハルナ様!」
「何?」
「温泉卵、と言うのはどのようなものなのでしょう!? 温泉まんじゅう、と言うのは美味しいのですか!?」
目に見えない尻尾をパタパタさせながら、未知の食べ物に対する期待を全身から溢れさせるエアリス。何と言うか、いろんな意味で将来が不安になる光景である。
「慌てなくても、ちゃんと用意するから」
「はい!」
満面の笑みを浮かべて、実に嬉しそうに返事を返すエアリス。そのあたりのやり取りを見守っていた澪が、事態の収拾のために言葉を発する。
「いい加減、宿、行こう?」
澪の実にもっともな突っ込みに、質問やら何やらの動きを止めてバツが悪そうに頷く一同。はしゃぐにしても、荷物ぐらいは置いてきてからでいいだろう。
「リーナもさ、こういう時はちゃんと意見を言った方がいいぞ」
一人話の輪に入れず、状況を傍観していたレイナに対して、苦笑がちに突っ込みを入れる達也。
「わ、私に今の空気に口をはさめと!?」
「いや、主や上役が暴走してる時は、冷静な部下がブレーキをかけねえと」
「私の方が冷静だと言う状況が珍しすぎて、そこまで考えが至らなかった……」
自分の欠点を良く理解しているレイナの言葉に、苦笑が漏れる一同。なんだかんだで最初の時の事をいまだに気にしている彼女は、どうにも自分の意志では動かないように自制している雰囲気が強い。
「まあ、別に緊急時じゃないからいいんだが、リーナの方が冷静ってのもどうかと思うぞ」
「そうじゃのう。少々浮かれ過ぎたようじゃの」
「ま、まあとりあえず、宿に行こう、ね」
「せやな。ここで話しててもしゃあない」
「いや、お前らが言うなよ」
場を無理やりまとめようとした宏と春菜の言葉に、達也の突っ込みが深々と突き刺さるのであった。
「で、何だっていきなり湯治なんだ?」
「と言うか、結局昨日はどうなったのか、ちゃんと説明してもらえない?」
宿に入って一息つき、ある程度落ち着いたところで達也と真琴が切りだす。なお、この温泉街には王家の別荘もあるのだが、今回はあえてそこを使わずこの街一番の宿を取っている。もちろん部屋は一番高い、いわゆるロイヤルスイートで、不審者対策に宿全体を貸し切りだ。費用はすべて国、というより王家の支払いだ。どちらかと言うと湯治客が少ない時期だったこともあり、それほど無茶をせずとも貸し切れた、と言うのはどこぞの王子の談である。
実際のところ、彼らは誰一人として、唐突に湯治に来る羽目になった理由を知らない。何しろ、宏達がミッションを終えて帰ってきた翌朝、いきなり押しかけて来たレイオットが、
「今から姉上とエアリスを湯治に連れて行く。宿の手配はすでに終えているから、三十分で準備をしてくれ」
などと言いだし、あわただしく準備をして出てきたのだ。準備と言っても、ありったけの着替えやら何やらを一旦倉庫に詰め込むだけなのだが、それでも忘れ物は無いかとか、戸締り結界その他のチェックやらでぎりぎりになり、レイオットから説明を受ける暇が無かったのである。しかも当人はアドネにつくなり、宿のチケットを押し付けて早々に立ち去っている。冒頭の宏と春菜のボケは、むしろその状況でよくあれをやれるものだと感心するべき適応の速さであろう。
「湯治っちゅう話が出てきた理由は聞いてへんけど、昨日に関してはまあ、この国全部の地脈を浄化する、っちゅう仕事はちゃんと出来たで。何ぞ女神様らしいのが出てきとったけど、どう説明すればええか分からんから省くわ。当人が時期が来れば会える、みたいな事言うとったから、その時に本人に聞いたって」
「仕事全体で言えばまあ、成功だと思う。ただ、黒幕っぽいのは出てきたけど、少なくとも私達が撤退する時点では仕留められなかった」
あまりにもざっくりした説明だが、実際のところ他に説明しようもない。詳細を語ると長くなる上に、当事者のくせに宏達も良く分かっていない事が多すぎるからだ。
「まあ、感じから言うて、あれは黒幕でも何でもない、ただのトカゲのしっぽみたいな雰囲気やけど」
「ボクも師匠の意見に一票」
「あ~、かもしれないね。変身した割に、なんとなく三下臭が漂ってたし」
宏の言葉に同意する澪と春菜。特に春菜のコメントがひどい。
「そんなに雑魚っぽかったのか?」
「雑魚っぽかった。何というか、ゲームとか漫画とかの一番最初の中ボス、みたいな感じ? 一見大物そうに振舞ってるけど、大抵実態は単なるトカゲのしっぽ、みたいな相手」
春菜の言葉に、妙に納得する達也と真琴。実際、日本人がフルメンバーであれば、悪あがきをさせる事無く普通に仕留められていたであろうレベルである。おそらく、似たような背格好と顔立ちの人間を、黒幕の振りをさせて送り込んだだけだろう。
「で、おっちゃんらが持って帰ってきたケルベロス、うちらの仕事の絡み?」
「まあ、そんなところじゃな」
昨日は結局、宏が復活してすぐにケルベロスの解体作業をする羽目になり、結局こういう話をする暇は無かった。しかもケルベロスの素材は皮と骨以外は大したものが無く、この手の瘴気が強い生き物を仕留めた時に稀に起こる装備変化、要するにレア装備のドロップもしていなかったため、手間に比べるとあまり美味しくは無かったのだ。
「で、背後関係が分かりそうなネタはあったん?」
「召喚師が居ったので、おおよその予想はつくが、生存者も口封じされて死体すら残っておらぬ。確証は持てん、と言うところじゃな」
「さよか。しかし、ケルベロスを召喚するとか、なかなかいかついなあ」
「まあ、三頭呼ぶのに十人以上の人数を使っておるようじゃから、そこまで質が高い連中、と言う訳でも無かろう」
ケルベロスを召喚、と言うところで何かが引っ掛かっている様子の真琴と達也だが、そこは春菜ほどの記憶力を持たない二人。何に引っかかっているのかが出て来ず、結局この場で思い出す事は諦める。
「で、結局何で湯治なのか、ってのは分からないままなのね」
「まあ、大方の予想はつくがの」
何に引っかかりを覚えているのか、それを思い出す事を諦めた真琴の言葉に、思うところのあるドーガがあっさりとそんな事を言ってのける。
「因みにどんな?」
「どうせ、わしらの事を誘拐犯か何かに仕立て上げて処刑しようとする連中がおるのじゃろう。何しろ、アルフェミナ様が名前を暴露したらしいからのう。いくら顔を隠したところで、名前から辿れば、それほど時をおかずにあの場所が割れるはずじゃ」
ドーガの言葉に、思わずうんざりした顔を見せる一行。この分では、再びウルスに戻れるのかどうかも不安だ。
「まあ、今頃レイオットが頭の固い連中を論破しているところでしょうし、私達は休暇と言う事で、温泉を楽しめばいいわ」
「そうだね。十中八九まだ黒幕を仕留めてないし、どうせこの後、明らかに向いてない宮廷がらみのごたごたに巻き込まれるんだし、せめてこれぐらいの役得は、十分堪能しなきゃ」
面倒事を弟に全て丸投げするエレーナの発言に、春菜が乗っかる。既に気分を切り替えたらしく、温泉卵、温泉卵、などと無駄に高いレベルで即興の歌を歌っている。
「ほな、ちょっと温泉の水質と温度を調べてくるわ」
「お願い。この部屋、一応キッチンもあるから、温泉卵のタレとか白餡とか作っておくね」
「了解や」
そう言って、やりたい事を決めてさっさと行動を開始する宏と春菜。一気に冒頭の話にループさせた事に、思わず呆れる年長者軍団。ここら辺のブレのなさは、正直感嘆に値するのではなかろうか。
もっとも、行動にブレが無い事の大半が、食事がらみに集中しているのはいかがなものか、と言われると何とも言えないところではある。
「毎度こういう時に思うんだけど……」
「何だ?」
「あの二人、一緒に行動するようになって、まだ二カ月経ってないのよね……?」
「……あ~」
真琴の言葉に、思わず声を上げる達也。正直、ずっと親友だったと言われた方がしっくりくるぐらい、あの二人の行動原理はよく似ている。
「さて、あいつ一人をうろうろさせて、変な女に絡まれちゃ目も当てられん。ちょっくらついて行ってくるわ」
「了解」
とりあえず財布だけ取り出すと、微妙に億劫そうに宏を追いかける達也。変な女に絡まれる以外にも、お人好しでヘタレな部分を突かれて、妙なものを売りつけられたり、妙な輩にカツアゲされたりと言った事に巻き込まれないとも限らない。事実、ウルスに来た当初、雑用中にそう言った女性が絡まないトラブルに巻き込まれ、まごまごしているところをよく先輩冒険者に助けられていた。
「あたし達は、そうね……。折角だから、このあたりをちょっと散策してくるわ。エル、澪、リーナ、それでいいわね?」
「はい!」
「問題ない」
エアリスと澪の返事を聞き、それじゃあ、と立ち上がる真琴。レイナはこういう時、特に口を挟む事はしない。
「折角来たのだし、私は温泉につかってくるわ」
「では、わしはハルナと一緒に留守番かのう?」
「だね」
こんな感じで、全員の行動が決まる。唐突に押しつけられた温泉街での休暇。なんだかんだと言って彼らは、それを思い思いの形で楽しむのであった。
『みんな、事件や!』
そんな言葉が日本人一行にもたらされたのは、春菜が温泉まんじゅうの生地を完成させたところであった。まだ真琴達は帰ってきておらず、部屋には風呂から戻ってきたエレーナとずっと待機中のドーガ、そして仕込みに専念していた春菜しかいない。なお、温泉卵に関しては既に宏から温泉の温度についての報告を受け、宿の支配人に断って卵をゆで始めている。
『事件って、どうしたの?』
『凄いもんを発見した! 可能な限り回収していくから、宿に集合や!』
宏が何に興奮しているのかが分からず、思わず怪訝な顔をしながらも、まあ待ち時間は暇だし、と言う事でとりあえずまんじゅうを蒸し始める。
「どうかしたのかの?」
「何か宏君が、すごいものを発見したとか何とか」
「ふむ。あ奴の凄いもの、と言うやつは、半々の確率で何とも言えぬものじゃからのう」
春菜の微妙な表情に、苦笑しながらそんな事を言ってのけるドーガ。話を聞くと無しに聞いていたエレーナも苦笑気味だ。
「ただいま」
「あ、お帰りなさい」
最初のまんじゅうが蒸し上がるかと言うあたりで、真琴達が帰ってきた。
「あいつ、なに興奮してんのかしら?」
「分からないけど、わざわざ集合をかけるぐらいだから、よっぽどのものなんだとは思う」
「てか、達也が一緒のはずだし、よっぽどのものじゃなきゃこんな連絡、入れないっしょ」
「だよね?」
などと微妙に気が抜ける会話をしながら、蒸し上がったまんじゅうを取り出す。一個試食して味を確かめた後、物凄くうずうずしてるエアリスのために、蒸籠から二つ目を取り出す。
「はい、エルちゃん。熱いから気をつけてね」
そんな注意事項を受け、息を吹きかけて冷ましながら上品にかじりつくエアリス。不思議な食感の皮を噛み破ると、口の中に白餡の上品な甘さが広がる。今まで口にした事のない不思議な甘みにうっとりしながら、残りを上品に食べきる。
「いつものことながら、エルちゃんは本当に美味しそうに食べるね」
「本当。食べ物のCMやらせたら、引っ張りだこになるんじゃない?」
エアリスの様子に苦笑しながら、自分の分にかぶりつく真琴。白餡と言うマイナーな代物を使ったものではあるが、久しぶりの和菓子は実に悪くない。澪も、目を細めながらふかしたてを堪能している。
「で、温泉卵の方は?」
「もう出来てるんじゃないかな?」
「そっか。じゃあ、後で試食?」
「かな?」
などと食べる話を続けながら、とりあえずドーガとエレーナ、レイナにも温泉まんじゅうを行きわたらせる。
「それにしても、あいつら遅いわね」
「何かトラブルでもあったのかな?」
招集をかけたくせに、その当人達が遅い。一体何をしているのかと訝しがりながら、エレーナ達の反応を確認しつつ更にまんじゅうを仕込む春菜と、その手つきを観察する真琴。正直な話、宿にいてもやる事が無いのだ。
「悪い、遅くなった!」
「ちょっと欲張りすぎて、思うたより遅なってしもた」
結局、宏と達也が戻ってきたのは、春菜が二個目を蒸すかどうか悩み始めたぐらいであった。
「で、なにを見つけたって言うのよ?」
「見つけたんは、こいつや」
真琴の問いに応え、宏が取り出して見せたもの。それは……
「もしかして、これ!」
「お米!?」
「そうや。それも、所謂ジャポニカ種の米や!」
宏の宣言に、日本人の女性陣が固まる。その言葉が本当であれば……。
「つまり、カレーライスが食べられるんだよね?」
「他にも牛丼とかオムライス、すしなんかもOKや」
「ご飯に味噌汁、煮物に焼き魚、なんてメニューも……」
「どんとこいや!」
宏の宣言に、日本人の間で歓声が上がる。その様子を、不思議そうに見守るファーレーン人の皆様。よく分からないなりに、どうやら日本人一同にとっては本気で大事件なのだと言う事は理解できる。
「それで、どれぐらいの量、あるの?」
「せやなあ。今さっき僕らが回収できた分量やと、とりあえず二升分ぐらい?」
「となると、あまり余裕は無いんだ……」
「一応、まだまだようさん生えとったから、収穫しよう思ったら、十分収穫できるけどな」
宏の言葉に、物凄い反応を見せる他一同。
「ただ、自生してた稲やから、品種改良もなんもしてへんし、味は期待したらあかんで」
「そこまで贅沢は言わないよ」
当たり前と言えば当たり前の宏の言葉に、真剣な顔で頷く春菜。
「そう言えば、昼はどういう予定になってるんだっけ?」
「殿下の言伝によると、欲しければ各自で、と言う事になっておるの。流石に急な貸し切りだった故、昼食の仕込みは間に合わなんだようじゃ」
「なら、厨房を借りて、カレーライス!」
春菜の力強い宣言に、歓声が沸き起こる。何故か日本人だけでなく、エアリスも一緒に喜んでいるところが不思議である。
「ほな、足らん食材の買い出しは頼むわ。僕は兄貴と一緒に、宿の作業場借りて脱穀と精米やっとくから」
「了解!」
宏の宣言に、明らかにテンションが上がり切った様子で返事を返し、状況についていけないファーレーン組年長者を置き去りにして出ていく日本人女性達。余りに目まぐるしい、しかも意味不明な展開に目を白黒させていたエレーナが、ようやくという感じで口を開く。
「結局、一体何がどうしたの?」
「要するに、うちら日本人のソウルフードである米が見つかったから、国民食であるカレーライスを何カ月かぶりに食える、っちゅう話やねん」
「……全然ついていけないわ……」
異国の、それも祖国の食事がかけらも存在しない、と言う状況に置かれた事が無いエレーナには、どうしてもピンとこない話である。それは当然、エアリスやレイナも同じ事ではあるが、正直なところ、割とそれ自体はどうでもいい。
「一ついいですか?」
エアリスが、何より重要な事を質問する。
「どうしたん、エル?」
「その料理は、美味しいのでしょうか?」
「ごっつ美味いで」
にこっと満面の笑みを浮かべて言いきる宏。その姿を見て、否応なくカレーライスへの期待が高まる。
「ほな、ちょっくら準備してくるわ」
やたらいい笑顔で宣言すると、米を入れた袋を後生大事に抱えて部屋を出ていく宏と達也。カレーライスに足りない材料をリストアップし始める春菜。好奇心に負けたのか、宏の後をついていくエアリス。この日、ついに日本食の再現における最大の壁、ジャポニカ米を手に入れることに成功したのであった。
アドネで一番の格式を誇る最高級ホテル、ホテル・ラグーナの厨房を、今までに嗅いだ事のない不思議な香りが支配する。
「無理言って厨房をお借りして、すみません」
「いいえ、それは構わないのですが……」
春菜の言葉に、首を左右に振る料理長。訪れる客の中には公爵のような高い地位の貴族もいるため、こういった申し出は実のところ珍しくない。ロイヤルスイートに宿泊するような客の場合、お抱えの料理人が作る何々という料理が食べたい、などと言う注文は日常茶飯事で、そのたびに随行員が厨房を借りるのは、ある意味当たり前の光景である。
故に、冒険者風のこの女性が厨房を借りて料理をする、と言う状況もそれ自体に問題は無い。厨房に入るときにちゃんと身なりを清潔にし、邪魔にならない隅っこの方の場所を選び、周囲の人間に配慮をしながら料理を始めているのだから、別段文句をつける必要も感じない。
問題なのは、一体何を作っているのかが分からない事である。持ち込みの大鍋で見た事もない白い何かを調理しながら、その一方で寸胴鍋で何かをぐつぐつ煮込んでいる。白い何かの方は、たまに細かく火加減を調整しているところを見ると、なかなかに繊細な作業が必要なのだろう。そちらの方からは、自分達が嗅いだ事のない、それゆえに形容しがたい匂いが出ている。不快、と言う訳ではないが、食べ物の匂いなのかと言われると自信が無い。
そして、寸胴鍋。その中には、先ほど軽く火を通した野菜と肉が入っており、スパイスをいくつも調合したものと思われる不思議な粉と小麦粉を使った、濃いブラウンの何とも言い難い感じのソースで煮込まれている。見た目は微妙にあれではあるが、複数のスパイスが入り混じった複雑な香りは、なんとなく食欲を増進させる。
この日は何やら強力な圧力がかかって、ホテル全体が完全な貸し切りとなっているため、現時点で厨房では料理をする必要はない。故に、まだ少女を卒業しきっていないこの女性冒険者が作る料理を、料理人全員で観察する時間が持てている。
「その料理は一体?」
「私の祖国の料理です。こっちの鍋で炊いている物にかけて食べるんですよ」
何とも嬉しそうに微笑みながら、白い何かを炊いている鍋の火加減を確認しつつ、寸胴鍋の中身をかき回して煮え具合を確認する春菜。
「ん、ご飯の方はもう少し、って感じかな?」
鍋の様子を蓋を開けずに観察し、寸胴鍋をかき回す。寸胴鍋はともかく、白い何かを炊いている方の鍋は途中いろいろ怪しげな反応を示していたのだが、彼女は一切頓着せず火加減だけを確認していた。
「カレーはこんな感じ、っと」
人参や芋の煮え具合やら何やらを確認してコンロの火を落とし、もう一つの鍋を観察する。
「蒸らし終わったら、こっちも終わりかな」
どうやら、こちらの方も問題なく終わったようだ。火を落とすと生で食べられる類の野菜をいろいろ取り出して、手際よくカットして行く。
「生野菜サラダですか? でしたら、私達が」
「あ、そうですね。お願いしていいですか?」
「お任せください」
少女の手際に見とれていた料理長が、自分達の既知の、と言うより誰でもできる領域の料理を始めたところで、慌てて割り込む。このまま見ているだけ、と言うのはあまりにも芸が無い。
「そろそろ、いいかな?」
料理長が作るサラダの色どりや盛り付けを観察し、いたく感心していた春菜が大鍋の方に意識を戻す。鍋のふたを開けると、白い小さな粒が、つやつやと輝きながらささやかに自己主張をしていた。その鍋の中身を、蒸気をかきだすように、もしくは空気を混ぜるように料理長達が見た事もない形の器具でかき混ぜた後、ほんの少しだけ手にとって味見をする。
「ん~、甘みも粘り気もちょっと物足りない感じかな? まあ、自生種だからしょうがないか」
十分許容範囲、とひとり頷くと、借りた皿にそれを盛り付けようとする春菜。そこまで来て、いい加減気になっていた事を聞く事にする料理長。
「すみません。その白い穀物は、一体何ですか?」
「ああ、これはお米って言うんです。宏君が、この近くの沼地に自生してたって」
「沼地? ……もしかして……」
「何かご存知ですか?」
不思議そうな表情の春菜に一つ頷くと、簡単にその沼地の説明をする。とはいっても、大して難しい話ではない。ちゃんとした道が無い上に攻撃的なモンスターが多く、わざわざ地元の人間が立ち入らない場所だ、と言う程度の話だ。何しろこのアドネの街、北西には大きな湖があり、そこを水源とした河が近くを通って港町メリージュまでつながっているため、食糧にはほとんど困らないのである。しかもこの河、大きい割には危険な生き物がほとんどいない。
故に、何やら穀物が自生していた事ぐらいは皆知っているが、それがどんなものなのかと言う事は、わざわざ誰も調査していないのだ。
「食べるものが十分にあり、特産品にも事欠かず、広い耕作地も存在する以上、わざわざ危険な場所に自生している植物など、誰も調べようとは考えなかったのですよ」
「なるほど……」
実に納得いく話である。何というかファーレーンという国は、こういうノリで美味しいものを逃しているケースが非常に多そうだ。
「だったら、折角ですから試食してみます?」
「是非!」
力強く頷く料理長の様子に思わず噴き出しながら、全員で試食できる程度の量を皿に盛ってカレーをかけてやる。こういうところでは、米とルーは別々に、もしくは皿の半分を米、半分をルー、という形で盛るべきなのだろうが、ここはあえて一般家庭のように、米の上に直接とばどばかける。
ファーレーンに、カレーライスが爆誕した瞬間であった。
「うちの国では、本当は福神漬と言う物を添えるんですが、米があると思ってなかったので仕込んでないんですよね、残念ながら」
そんな注釈をしつつスプーンを添えて皿を渡すと、その不格好な料理をまじまじと観察し始める料理長。一通り観察を終え、程よく米とルーが絡んでいる場所にさじを入れ、一口食べる。
「……見た目に反して、実に洗練された味ですな……」
「この米と言うものの味が、ソースの辛さを程よく抑えて……」
「旨い……。いくらでも食べられそうだ……」
一流の料理人達が、大絶賛と言っていいほど褒めまくる。その様子に気を良くするより、むしろほっとした様子を見せる春菜。欧米人の舌だと米の味は分からない事が多いが、流石は一流の料理人とでもいうべきか。自生種ゆえの微かな甘みをしっかりとらえているようだ。そんな感じで品評会をしていると、そこに……
「皆さんだけ、ずるいですわ……」
恨みがましい視線と恨みがましい声が突き刺さる。見ると、エアリスが試食している料理人達を本当に恨みがましく見つめていた。
「まだかまだかと楽しみにしているのに、一向に準備ができたという連絡がこず、心配になって様子を見に来てみれば……」
「ご、ごめん、エルちゃん……」
「はしたないことは重々承知ですが、我慢していた身には、この香りはつらいのです……」
「ご、ごめん、すぐ持って行くから!」
エアリスの恨みのこもった言葉に思わずあわて、大忙しで準備を終わらせ部屋に運ぶ春菜。料理を運びこんだロイヤルスイートルームには……
「やっとかいな……」
「米炊くのに時間かかるのは分かってたが、いくらなんでも遅すぎだぞ……」
「春姉……、カレー……」
「期待させといてこの焦らし方は無いわよ……」
欠食児童達が待っていた。
「ほ、本当にごめん! すぐに用意するから!」
そう言って大いにあわてながら皿にライスを盛り、ルーをかけ、サラダを並べて支度を済ませる。
「一応温泉卵もあるけど、どう?」
「一杯目は、オーソドックスに行く!」
「お代り前提なんだ……」
欠食児童はとどまるところを知らないらしい。達也の力強い言葉に、思わず遠い目をする春菜。
「ま、まあ。折角なのだし、冷める前に早速いただきましょう」
宏達の様子にどん引きしていたエレーナが、とりあえず軌道修正する。エアリスのように直接乗り込んでくほどではないにせよ、彼女もいい加減空腹なのだ。
「それでは、今日の糧に感謝して、いただきます」
春菜の掛け声に合わせて日本人組がいただきますをし、それに遅れてファーレーン組が食前の祈りを終わらせる。別に申し合わせた訳でもなかろうが、ほぼ全員がほぼ同時にカレーにスプーンを入れ、口に運ぶ。
「ん~! これこれ!」
「うめえ……」
真琴にとっては三カ月ぶり、達也にしても二週間ぶりぐらいの米。カレーライスを最後に食べてから、という話になると、達也ですら一カ月ほど前になる。たかがその程度、と言われそうだが、達也も真琴も日本にいたころは、基本三食とも米を食べるライフスタイルだった。しかも、海外赴任などの場合、人によっては一週間たたずに米の無い生活に耐えられなくなる、と言う事を考えれば、達也の反応は決して大げさではない。
「見た目とは裏腹の、とても洗練された料理ね、これ」
「スパイスの辛さが食欲を増進させて、いくらでも食べられそうです」
一方のファーレーン組は、カレーパンとは違う食べ方をするこの料理に、すっかり魅了されていた。そうでなくても、カレーと言うのは、日本で花開いたと称されるほど大きく魔改造された料理である。昔のコマーシャルではないが、インド人もびっくりさせ、海外からのお客様が普通に称賛する、今や発祥の国を差し置いて日本を代表する代物だ。それを、最高峰の料理人である春菜が思い入れの限りを投入して、自身でも最高だと思う出来に仕上げたのだから、不味かろう訳が無い。とは言え、舌が肥えているであろうエレーナやエアリスだけでなく、濃い味付けが好きなレイナも美味そうに食べているところを見ると、案外ファーレーン人は米の味が分かるのかもしれない。
「……どうしたの、レイナさん?」
「あ、いや、その……」
米粒一つ残さず、ほんの少しソースが皿にこびりついている、と言うレベルまで食べ尽くしたレイナが、何とも言い難そうな態度で皿を見つめていた。様子から言って、カレーが気に食わないのではなく、何かを遠慮している感じである。
「お代りなら、遠慮せんと言うたらええで?」
「……いいのか?」
おずおずと問いかけるレイナに、にっこり笑って皿を受け取る春菜。それを見て、微妙に羨ましそうな顔をするエアリス。もっと食べたいが、そろそろ満腹なのである。
「他の人の分は、大丈夫か?」
「ん。一応一人二杯ぐらいの前提で作ってるから」
「ならば、わしもいただいて構わんか? 昨日年甲斐も無く暴れたからか、どうにも腹が減りがちでのう」
「はーい」
大好評のカレーライスに、嬉しそうににこにこ微笑む春菜。そんな彼女自身は、特にお代りはしていない。もっともその分、達也と真琴、特に真琴が大量に食べてしまうのだが。
「あ~、美味かった……」
「これで、後半年は戦える……」
久しぶりの米、夢にまで見たカレーライス。それを十分堪能した達也と澪が、心の底からうっとりと呟く。日ごろはやや食が細い澪も、今日は二杯も食べている。
「で、あとどれだけ米が確保できるの?」
ようやくいろんな意味で落ち着いた真琴が、一番重要な事を聞いてくる。
「ん~、まあ、良くて一俵とかそれぐらいやなあ、群生地の広さから言うて」
「それ、具体的にはどれぐらい?」
「六十キロぐらい。毎日三食食べるんやったら、最近の食う量から逆算した感じでは、五人やったらともかく九人で一カ月は絶対もたんぐらいか?」
「少ないわね……」
宏の言葉に、思わずがっくりくる真琴。もしかしたら、夢の米飯生活に戻れるかもという期待が大きかったのだ。
「まあ、この数字は、今後の事を考えての話やけど」
「今後の事? どういう意味?」
「来年を考えんと採り尽くすんやったら、もっといけるんちゃうかな?」
宏の悩ましい言葉に、思わず唸る真琴。
「そう言えば、宏君。その群生地ってどんな感じなの?」
「結構広いで。沼や、言うとったけど、今は水が枯れてるから普通に歩ける感じ。地元の人に聞いた話やと、毎年この時期から春先ぐらいまで自然と水が枯れて、大体田植えぐらいの気候の頃に自然と水が張るんやと」
「もしかして、結構理想的な感じ?」
「そうやな。自然と土と水が循環するから、連作障害も出えへんし。それにこの辺って、日本の米どころに年間通しての気候とか天候が似とるみたいやし」
おそらく、そのあたりの環境が似ているから、原種に近いものが自生していたのだろう。二人の話を聞いていたエレーナが口を開く。
「それならば実験として、種子を集めて栽培してみるのも、悪くは無いわね」
「お兄様を抱きこめば、出来ない事ではありませんわ」
「そうね。こんな美味しい料理が、一部の材料が自生してる分しかないから貴重品、などと言うのはもったいないわ」
やけにやる気の王家姉妹。それを見てにやりとしてしまう宏。こうしてファーレーンは、稲作文化に向けて一歩踏み出すことになった。この時点では全員、十年で栽培方法の基礎を確立できれば御の字だ、と考えていたのだが、この後意外なところで意外な存在からその手のノウハウが供給され、結局米が主要作物になるまでに十年かからなかったのだが、流石にそこまで先を見通す事は誰も出来ないのであった。
「さて、折角だから、お風呂行こうか」
食後のまったりした時間を過ごし、ようやくお腹の方が落ち着いてきたのを確認して、春菜が澪達を誘う。なお、宏と達也は、再び米探しの旅に出ている。今度はドーガも一緒である。
「そうね。折角来たのに、まだ一回も温泉に入って無いものね」
「温泉に来たら、ふやけるまで入るのがマナー」
真琴と澪も、異存は無いらしい。それならば、と、残っている全員で大浴場に繰り出す事に。
「こういう高級ホテルでも、大浴場はあるんだ」
「ファーレーンの入浴習慣は、基本的に大衆浴場が支えているからな」
「大浴場に温泉とか、変なところで日本に似てる」
「あ、澪ちゃんもそう思うんだ」
綺麗な水が豊富にあるからとはいえ、ファーレーンの入浴文化は実に日本に似ている。違いがあるとすれば、まだまだ一般家庭に風呂が常備されるまでには至っていない事ぐらいか。
「……ん?」
「どうした、春菜?」
「なんというか、妙なものが歩いてたんだけど……」
そう言いながら、見間違いの可能性を考え、その妙なものが消えた後を追いかけ、曲がり角の先を確認すると……
「変なのがいる……」
「変なのがいるわね……」
その先には、頭上にほうれん草のような葉っぱが生え、モアイに良く似た濃い顔が張りついたカブのような胴体に直接手足がひっついた生き物が、肩? にタオルをかけてスキップしながら大浴場の方に向かっていた。余りに珍妙なその姿に、思わず声を揃えて呟く澪と真琴。
「も、申し訳ありません!」
余りに怪しげなそれをまじまじと観察していると、宿の女性従業員が大慌てでそいつを捕獲する。先ほど、厨房の方に出入りしていた女性だ。女性に葉っぱをつかまれてじたばたもがいているそれは、何とも言えず不気味である。
「あ、あの……」
「申し訳ありません! 侵入を許してしまいました!」
「その事は別にいいんですけど、それ、何ですか?」
「これはポメと言う野菜です」
「野菜!?」
予想外の返事に驚いた春菜が、思わず目を見開いて絶叫する。見た目にそぐわぬ可愛らしい名前にも驚くが、そもそも野菜だと言う事も驚きである。
「このあたりの特産野菜ですが、味では無く生態の方で少々癖が強くて……」
「癖が強いって、たとえば?」
「この野菜、温泉につかる事で数が増えます」
「は?」
いきなり予想外にもほどがある言葉を聞かされ、目が点になる一同。
「あの、本当に?」
「はい。丁度繁殖、と言っていいのかどうかは分かりませんが、そういう時期なので、なんでしたらご覧になられますか?」
「あ、見てみたいかも」
「あたしも興味ある」
春菜と真琴の言葉に、エレーナ達も同意する。こういう珍しいものを見るのも、旅行の醍醐味である。
「それでは、こちらにどうぞ」
うおー、うおー、と鳴きながらもがくそれを無視して、繁殖? 場所の温泉へ案内する従業員。毎年の事だからか、慣れたものである。
「当ホテルの場合、ここが繁殖場所になりますね」
そう言って見せられたのは、かけ流しで適当にためられた、割と広い野外の風呂であった。もっとも、縁を整備したりはしていないので、風呂と言うよりは水たまりと言った方が近いかもしれないが。
「うわあ……」
「たくさん浮いてる……」
風呂の中には、数えるのも面倒な数のポメが、いかつい顔をうっとりとほころばせながらぷかぷか浮いている。微妙に引きながら観察している春菜達に頓着せず、ぶら下げていたポメを投げ入れる従業員。空中でじたばたもがいていたポメが、着水と同時にその表情をうっとりとほころばせるところは、何とも形容しがたい空気を発している。その様子をじっと観察していると……
「あっ……」
唐突に、ぽこんと言う擬音をつけたくなるような感じで、アーモンドチョコぐらいのサイズのポメが浮かんでくる。実際には株分けという解釈が正しいのだろうが、見た目の印象では、温泉で繁殖しているとしか表現できない。
「……それで、これ、どうやって食べるの?」
「それはですね……」
澪の好奇心半分、疑惑半分の問いかけに、従業員が行動する事で答える。まずは適当に大人のポメを網ですくって回収。ついでに生まれたばかりの子供(手足はまだ生えていないが、生意気にも頭の葉っぱとモアイ顔は存在する)も、それなりの量をすくって別の場所に分ける。
大量によけられた子ポメが、キイキイと甲高い声で鳴いているが、やはり従業員は一切頓着する様子もない。もはや慣れたものなのか、温泉から拉致ってぶら下げたポメの抗議の鳴き声も、何も聞こえないとばかりにスルーしている。
「まずはこの葉っぱを落として……」
取り出したナイフを目の上あたりに当て、ヘタを取る要領でスパッと葉っぱを切り落とす。物凄くジタバタ暴れて抵抗するポメだが、慣れているからか全く手こずる様子は見せない。ヘタを切り落としたところで、ポメの抵抗が完全にやむ。
「手足を落として……」
そのまま流れるような手際で、動かなくなったポメの手足を落とし、顔面だけの状態にする。
「後は適度な大きさに切って、煮るなり焼くなり、と言ったところですね。すりおろしてスープの隠し味にすることもあります」
「先に葉っぱを落とす理由は?」
暴れるポメを見て、誰もが思うであろう素朴な疑問について尋ねる春菜。その質問の答えは、とんでもないものであった。
「そうしないと、爆発するからです」
「本当にそれ、野菜なんですか……?」
予想の斜め上を突っ走る返事に、ボケのはずの春菜が突っ込みに回らざるを得ない。そんな異常事態に、コメントできずに黙ってしまう元祖突っ込み役の真琴。
「因みに、ヘタを落とす前に手足を落としたり、縦に切ると爆発します。後、ヘタの取り方が甘いと、やっぱり爆発します」
「ぶ、物騒な……」
「毎年、それで一人か二人は怪我人がでるんですよね」
自爆して怪我人が出るとか、一体どんな野菜だと小一時間ほど問い詰めたい。
「でも、味は気になる」
「そうだね。ただ、まだそんなにお腹すいてないから、味見もちょっとつらいかな……」
「本日の夕食に出ますので、ご安心ください」
「安心していいのかしら、それ?」
とうとう炸裂した真琴の突っ込みに、一同苦笑を禁じ得ない。問題なのは、従業員がぼけている訳ではない事だろう。ちなみに、葉っぱの部分はアクとえぐみの無いホウレンソウ、顔面部分は苦みが少ない大根、と言った味わいで、割と普通に食べやすくて美味しかったりする。
「あ、あとですね。注意が必要なポイントといたしまして……」
どんなメニューに使われるかを説明したあと、何かを思い出したらしい従業員が、何を思ったかヘタを温泉につける。すると、何ということか。温泉につかったポメのヘタは見る見るうちに大きくなり、三十秒程度で先ほどと全く区別がつかないところまで再生したポメが、ぷかりと温泉に浮かび上がったではないか。
「ヘタを温泉につけると、すぐに復活します」
「うわあ……」
まるでプラナリアか何かのような再生能力に、全身全霊を持って引く一同。
「本当にこれ、食べられるんですか?」
「唾液がつくと、再生しなくなるようです」
「あ~、なるほど……」
「因みに、過去にそれなら爆発しないんじゃないか、と、生で丸かじりをしようとした愚か者がおりまして……」
「聞きたくない聞きたくない!」
物騒な名物に関する物騒なエピソードに耳をふさぎ、大慌てで全力拒否を行う春菜。
「それはそれとして、あちらに取り分けている小さいのは何かしら?」
「野菜は野菜なので、ある程度間引かないと育ちが悪くなって、味が落ちるんですよ」
エレーナの質問に、えらく地に足がついた回答が返ってくる。そう言うところはやはり野菜なのかと思うと、正直妙な気分だ。
「と言う事は、あれは廃棄品?」
「はい。適当に攻撃魔法を叩き込んで、破裂させて処理します。小さいうちは、いいところちょっとぶつけた程度の衝撃しか起こりませんし」
なかなかに過激な処分方法だ。
「ん~……」
「どうかしたの、ハルナ?」
「ちょっともったいないかな、って……」
「あの小さい方が?」
エレーナに問われて素直に頷く。あれだけ引いていたのに、既に食べ物としてロックオンしているあたり、一流の料理人は違う。
「勿体ない、と言うが、それなりに危険物だぞ?」
「でも、大した衝撃は無い、って言ってたし」
そう言って、じっと観察する。
「触ってみても?」
「どうぞ」
従業員の許可を取り、間引かれた子ポメを手に取る。それをもう一度しげしげと観察し、何かを思いついたように顔を上げる。
「厨房、借りてもいいですか?」
「ええ、もちろんです」
どうやら、子ポメの利用法を思いついたらしい。ポシェットから籠のようなものを取り出し、適当に子ポメを盛る。
「ちょっと実験してくる」
「行ってらっしゃい」
「好きにしてくれればいいが、出来ればこちらを巻き込まないでいただきたい」
「リーナさんにはまだ罰ゲームが残ってるから、試食と言う名の実験台には強制参加」
「……断れない自分の立場が恨めしい……」
そんな緩い会話をしながら、春菜と別れて部屋に戻る一行。折角だから、適当にゲームでもして遊んで、ペナルティとして彼女が作って来るであろう何かを試食させようと言う腹積もりだ。
そんなこんなで一時間後、春菜が持ち込んだものは……
「何ともまあ、これまた不気味な……」
「この顔、この色は怖い……」
きっちりヘタを取られ、赤紫色に染まって苦悶の表情を浮かべる子ポメの瓶漬けであった。
「因みに、この色は何?」
「山ブドウ」
「それだけを聞くと美味しそうなのだけど、見た目が見事に裏切っているわね」
エレーナの感想に、作った当の本人が苦笑する。
「と言う訳で、罰ゲームは誰?」
「私です!」
「それと、私だな」
元気よく手を上げるエアリスと、どんよりした表情のレイナ。どうにもエアリスの場合、罰ゲーム自体も楽しいようだ。
「じゃあ、せいので噛んで」
一つずつ瓶の中からつまみだし、春菜の号令に従って口の中に入れる。カリッと香ばしい音と同時に……
「っ!?」
レイナの口の中で破裂する。
「あ~、やっぱりちゃんとヘタが取れてない奴があったか……」
「でも、食べやすくて甘酸っぱくて美味しいですわ」
当りをひいたエアリスが、満面の笑みで答え、次の一つに手を伸ばす。
「まあ、試食はちゃんとしたから、味は大丈夫なんだけどね」
「パーティの余興などで、度胸試しに使うのもいいかもしれないわね。もちろん、わざとヘタをちゃんと取っていない物を混ぜて」
物騒な事を言うエレーナを、割と引いた目で見る真琴と澪。きっちりオチ要員になってしまったレイナは、口の中のダメージに蹲って呻くのであった。
このタイミングで、17000文字ほどかけて
ただ単に温泉まんじゅうとカレーと謎の野菜を食うだけの話を入れる。
それがフェアクロクオリティ。
しかも、温泉に来てるのに入浴シーンの気配すらないところがすばらしい。