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第15話

「ふう、歌ったあ!」


「お疲れさん」


 やたらと満足げにテーブルに戻ってきた春菜が、大量のおひねりを袋に入れながら非常に満足そうに言う。宏がねぎらいながら差し出した飲み物を受け取り、一息で飲み干して幸せそうにため息をつく。その際にこっそり張り付いてきたラーちゃんについては、もはや日常の一部ゆえに特に何の感慨もないようだ。


 アイスダンジョンの神域でさまざまな作物をもらった二日後。一行はレイオットの予想通り、都市国家ベリルを訪れていた。


 神の船ならゆっくり飛んでも一日かからず到着する距離でありながら、なぜ二日もかかったのか。単純に、途中で発見した小規模なダンジョンを踏破していたからだ。


 できたばかりらしく誰にも知られていなかったそのダンジョンだが、それでもダンジョンはダンジョン。広さだけは一丁前だったこともあり、なんだかんだで半日ほど時間を食ってしまったのだ。


 しかも、所詮はできたてのダンジョン。ボスこそオーガでそれなりの強さだったが、七級ぐらいの冒険者なら時間がかかるだけで苦も無く踏破出来る程度の物でしかなく、実入りもそれ相応。むしろダンジョンの中より外の方が極少数ながら強いモンスターが居たこともあって、ここに適度な強さの冒険者を運んできて任せた方が良かったのではないか、と後悔したものである。


 もっとも、未発見だったのもそのごく少数存在する強いモンスターに由来するため、結局潜りに来るのは宏達のようにここを攻略してもうまみが少ない連中だったのは間違いなさそうなのだが。


 結局そこで費やした時間だけベリルへの到着が後ろにずれ、宏達が街に入ったのは翌日の夕方頃という微妙な時間帯になっていた。


 なのでこの日は細かい手続きを終えて宿を取っただけで、ベリルという交易の重要な経由地点で得られるであろうさまざまなものに関しては、一切手をつけていない。


 そのあたりの鬱憤があったのか、それとも最近は屋台の機会が減った以上に普通の歌を歌っていない事に気がついたからか、さっきまで春菜は宿の主人の許可を取り、全身全霊で普通の歌を歌い続けていたのである。


「とりあえず、これで今日の宿代と飲み代は問題ないよ」


「別に稼がなくてもどうとでもなるだろうに……」


「まあね。単に歌いたかっただけだし。ただ、現金は十分にあるんだけど、大して両替できなかったんだよね。一応クローネやドーマも使えるけど、ちょっと手持ちの小銭が微妙なんだ」


「ほう? そうなのか?」


「うん。最近あっちこっちで細かい支払いが多かったから、気がついたら千クローネ金貨がほとんどになってて」


「千クローネか。確かに釣り銭に困りそうだよな……」


 春菜の答えを聞いて、納得するように頷く達也。特にファルダニアではあちらこちらに出入りした際に税金関連で細かい支払いが多く、またウルスの工房でも仕入れ用に小銭がたくさん欲しいと要望があったため、小銭の大半が手元から消えていたのだ。


 工房も仕入れは毎日現金決済で金額はチロル単位が基本、せいぜい多くて一カ所で一回五十クローネ程度なのに、月末一括で取引している納品先も増えている昨今は、受け取るのは百クローネ小金貨や千クローネ金貨が多くなっている。故に小銭が足りなくなりがちで、いちいち両替する必要があって非常に手間だったとのこと。なので、宏達の路銀を適当に両替した結果、今度は路銀用の小銭が微妙な事になってしまったのである。


 庶民にはいっさい縁のない大口決済用の十万クローネ大金貨なども地味に工房の金庫に眠っているが、使い勝手が非常に悪いため眠ったままである。恐らく、どこかに町でも作ろうかという話にならない限り、この大金貨が支払いに使われる事は無いだろう。


 余談ながら、ベリルはファーレーンのクローネ、フォーレのドーマ、マルクトのイェール、ウォルディスのウェンという四つの通貨が使え、主要言語はマルクト語だ。


「工房で両替した時、もうちょっと手元に小銭置いておけばよかったかな」


「まあ、やっちまったもんはしょうがないさ」


 自身の見通しの甘さに苦笑する春菜に対し、それぐらいよくあることだと笑って流す達也。この場合問題なのは、小銭が足りない事よりも手持ちからの支払い機会が減る事なのだが、千クローネ金貨が使えないような支払いだとあまり関係ないので、もはや誰も気にしない。


「で、マルクトの前にわざわざここに寄ったって事は、やっぱり人形ダンジョンか?」


「まあ、確認は必要やな。人形ダンジョンも、隠しはあったんやろ?」


「あったわよ、なかなか極悪なのが」


 ゲーム時代のものに限られるが、このメンバーの中では一番ダンジョンに詳しい真琴が、達也と宏の言葉を受けて今回チャレンジする予定の人形ダンジョンについて答える。


「念のため、一応概要から説明した方がいい?」


「そうだな。武装の相性やらドロップする素材やらを考えると、多分、あそこにまともに入った事があるのは俺と真琴だけだろうしな」


「うん。私、結局一回も入った事がないから、ゴーレム系がメインってぐらいしか知らないよ。それ聞いて、レイピアじゃ相性悪いから触らないことにしたんだ」


「ボクと師匠に至っては、立地が微妙で近寄ったことすらないし」


「そもそも、漏れ聞こえてくる話やと、素材的にうちらが近寄る理由自体あらへんかったからなあ」


 達也の予想を肯定するような宏達の返事を聞き、一つ頷いて真琴が概要の説明に入る。


「まず、基礎知識からだけど、人形ダンジョンは名前の通り、人形系モンスターがメインのダンジョンよ。ちょっと変わってる所としては、ダンジョンって名前の通り入り口は普通の洞窟みたいになってるんだけど、洞窟に入るとすぐに洋館があって、そこがダンジョンの本体になってる事ね」


「質問。洋館がある場所は、天井はやっぱり洞窟?」


「異界化する手前までは天井は洞窟ね。ダンジョンの範囲に入った瞬間、天井が消えて外の時間と同期することになるけど」


 洋館と聞いての春菜の質問に、来るだろうと思っていた真琴が解説する。その内容に、さすがダンジョンだと妙な関心をする未経験の学生組。


「で、話を戻すけど、洋館は地上四階、地下二階、覚えてるだけで客室だけでも百ぐらいの部屋があるかなり大きな建物でね、部屋ごと、フロアごとに二体一組のパペットとゴーレムが最低一組ずついるのよ」


「真琴姉、一部屋ごとの広さは?」


「一番狭くて、昨日の昼食べた食堂ぐらいね。探索だけでも相当時間がかかると思うわ」


 告げられた部屋の広さに、うへえ、という顔をする一同。昨日一行が昼食をとった食堂というのは、規模も値段もこの世界で一般的な食堂だ。席の配置は大体カウンター席に十人、丸テーブルのテーブル席が四席ぐらいである。テーブル一つを六人から七人で囲むと考えれば、大方の広さは分かるだろう。


 客室としてみるとかなり広いが、置かれる調度品の数や大きさを考えれば意外と丁度良く感じる広さかもしれない。


 それが約百室。考えるだけでもうんざりしてくるのも、当然であろう。


「二体一組って、パペットとゴーレムが一体ずつの組み合わせ?」


「あ、ちょっと言い方が悪かったわね。パペット二体で一組、ゴーレム二体で一組よ。それが一組ずつで、ようするに一部屋に最低四体いるって事になるわね」


「うわあ……」


 戦闘でネックになりそうな要素を確認した春菜が、真琴の答えを聞いて顔を引きつらせる。素材によって非常に幅が広いパペット系はともかく、ゴーレム系はレイピアでは基本ほとんどダメージが出ず、障害魔法も効きが悪いためどうにも苦手意識が強い。


 基本的に春菜が直接戦う事は無いのは分かっているのだが、この手の苦手意識はそうそう簡単にぬぐい去ることはできないものである。


「出てくるモンスターはノーマルの方がパペットがストローパペットからブロンズパペットまで、ゴーレムはウッドゴーレムからアイアンゴーレムまでが確認されてるわね。隠しダンジョンになると、ミスリルドールやアダマンタイトゴーレムあたりのランクまで出てくるわ」


「ミスリル以上のゴーレムとかミスリルドールとかは、魔法全般が効きにくいんだよなあ……」


「私、ほとんど出番なさそうな感じだよ……」


 隠しダンジョンまでは入った事がなかった達也が、出てくるモンスターの構成を聞いて嘆く。それに便乗するように春菜もため息交じりにぼやいてみせる。


「隠しダンジョンになると、実質師匠以外は火力として心もとない?」


「そこまでではないけど、少なくともアダマンタイトゴーレムあたりはあたしでも厳しいわね」


 澪の指摘に一部同意しつつ、だがまだまだ話していないネタが残っているため、戦闘面で一見不利な春菜と澪も探索以外で役に立たないとは口が裂けても言わない真琴。まだ話していない内容だが、ボスは宏と真琴だけでは千日手になりかねないし、物理攻撃では絶対倒せないモンスターや弓でしか倒せないモンスターも出現するのだ。


「ただ、カースドールってちょっと面倒なのが居るんだけど、こいつ浄化系でないと倒せないのよ。他にも、投げナイフか弓で的の中心を射抜かないと倒せない奴とか、人形系だけに妙なギミック持ってるモンスターもバリエーション豊かだから、隠しダンジョンはあたしと宏だけで戦闘を切り抜けられるほど甘くは無いわね」


「へえ、隠しにはそんなのもいるんだな」


「居るのよ。何より隠しのボスがスペクターロードだから、浄化系スキルなしで戦うのは非常に面倒なのよね」


「つまり、うちの面子であたるにはちょうどいいって事か」


「そうそう」


 モンスターの情報を全部聞き終え、なるほどと頷く達也。人形ダンジョンなのにボスがスペクターなのは、一見微妙でその実なんとなく整合性が取れている気がする所が趣深い。


「あと、館自体にもトラップとか妙なギミックが山ほどあるから、澪はものすごく忙しくなるわね」


「いざとなったら、師匠が漢探知」


「シーフとしてそれはあかんやろ……」


 仕事を振られて手抜き宣言をする澪に対し、宏から鋭い突っ込みが入る。確かに落とし穴以外ほぼ全てにおいて絶対的な解決方法とはなるが、そもそも罠にわざと引っ掛かるというやり方の時点でシーフとしては色々アウトだ。


「あ、そうそう。今回は三日ぐらいで一度探索切り上げたいんだけど、いいかな?」


「あ~、そういえば、そろそろファム達の誕生日パーティね」


 春菜に言われ、攻略モードからパーティ準備モードにガラっと意識が切り替わる一同。既にダンジョンの攻略に必要な情報共有は終わっているので、大した問題にならないと判断したようだ。


「プレゼント、どうしよ?」


「せやなあ……。採取用の鎌あたり、ええ奴にするかやけど……」


「確かにあの子たちだったら今一番喜ぶのはそれでしょうけど、誕生日プレゼントとしてどうなのよ?」


「やっぱ微妙か……。ええ機会やし、制服として揃いの霊布の服用意するとかどない?」


「それ自体はいいと思うけど、誕生日プレゼントとしてはちょっと違うと思うよ」


 誕生日プレゼントとして思いついたものを提案しては、真琴や春菜に却下される宏。かといって宝石類は喜ぶより先に恐縮するだろうし、アクセサリは基本邪魔になる。女性というのは基本光りものが好きではあるが、好きであることともらって喜ぶ事とはまた別問題なのだ。


「師匠、春姉」


「何?」


「何ぞ、アイデアあるん?」


「ん。ファムはともかく、テレスとノーラはどっちも婚期気にしてて出会いが無いって嘆いてたから、合コンとかセッティングすればいいかも」


 澪の生々しい提案に、棒でも飲んだような表情になる宏と春菜。特に春菜はエアリス達との雑談の結果、テレスやノーラが結婚するための様々なハードルを知ってしまっている。そのハードルを乗り越えて結婚に至れる相手を用意するのは、少なくとも春菜の交友関係ではかなり厳しい。


「それ、相手捕まるまでやるのか?」


「多分、そうなる?」


「実際にやる場合、一体何人用意すりゃいいんだ……?」


 アズマ工房の特殊性とテレスやノーラが相手に求めそうな条件を考え、頭を抱える達也。テレス達の結婚問題はいずれちゃんと考えねばならない事ではあるが、分析の結果が厳しいなんて言葉では言い表せないものになっているのは色々痛い。


 人間達が厳しい婚活事情に頭を抱えている間、ひそかにテーブルの上に移動して野菜の切れ端を食べるラーちゃん。今までと違ってここでは店の人に怒られないと知っているからか、割と堂々としている。


 このあたりではたまに特殊な芋虫を飼育している人間がいるため、他所のテーブルに移動しない限りは特に誰も文句を言わない。宿をとった時に隠し忘れていたラーちゃんを見て、宿の主人がそう言っていたのだから恐らく間違いないだろう。


「……このまま考えとっても埒あかんし、明日ダンジョン行く前にこの街適当にぶらついて、何ぞネタないか探してみよか」


「あ~、それいいかも」


「ん、師匠に賛成」


「そうね。ここってウルスに負けず劣らずいろんなものが集まってくるから、いいヒントがあるかもしれないわね」


「それとは別に、丁度いい節目だし、さっきヒロが言ってた制服は作っておいてもいいと思うぞ」


 結局、いいネタが思い付かずに宏の提案に乗っかる一同。こうして、ダンジョン攻略の前にちょっとしたミッションに入る一同であった。








「何か、不便な事はありませんか?」


 宏達がベリルに到着した翌朝。ウルスでは正午をいくつか過ぎた、昼食後の少しくつろいだ時間。誘いを受けて自身の部屋を訪れたリーファに対し、ハーブティを振舞いながらエレーナがそう問いかけた。


「不便、ですか?」


「ええ。こちらでは十分受け入れの準備をしていたつもりですが、やはりそれでも急な部分があった事は否めません。恐らく不足している事があると思うのですが……」


 エレーナに言われ、こちらに来てからの事を思い起こすリーファ。まだ何日もたっていないので、そもそも落ち着いたとすらいえない状況だ。故に、不便かどうかも分からない。


 ただ、ちゃんと侍女が侍女としての仕事をしてくれたり、周囲が形だけでなく本心から継承者として自身を遇してくれたりするのは、今までに無い経験で少し驚いてはいる。


 食事にしても常に誰かが傍についており、更に絶対にオクトガルが一体同席しているため、一服盛られる心配をせずに物を食べられるという非常に恵まれた環境を与えられている。


 あえて不自由な点があるとすれば、現状何処に何があるのかも何処に入っていいのかも分からず、下手にうろうろ出来ない事ぐらいだが、これは文句を言うほどの事ではない。少なくとも、リーファからすればそうだ。


「特に、不便な事は思いつきません」


「そうですか。ああ、でも、まだ来たばかりですから、落ち着いたとはとても言えませんものね。もう少ししなければ分からない問題もあるでしょうし、困ったことがあったらどんな些細なことでも側仕えにお申し付けください」


 リーファの回答に、優しく微笑みながら遠慮は無用とエレーナが釘を刺す。余りそこを遠慮されてしまうと、側仕えの者の仕事を奪うだけでなく、ファーレーンという国の沽券にも関わってくる。雰囲気などでそのあたりの事を言外ににおわせることも忘れない。


 どうやら、エレーナの言葉に隠された本音を嗅ぎとったらしく、素直に頷くリーファ。それを見て笑顔を維持しながら、内心で安堵のため息をつくエレーナ。


 かつてのエアリス同様やたら大人しく自己主張が少ないと聞かされていたため、ちょっと早いかと思いながらも念のために邪魔が入らない形で面会したのだが、どうやら正解だったらしい。恐らく自分が釘を刺さなければ、かつてのエアリス同様、一切自己主張せずに何でも自分でやろうとしていただろう。


 着替え程度ならかまわないが、お茶だのなんだのを全部自分で準備されてしまえば、それこそファーレーンという国の沽券にかかわる。宏達のようにそれが当然という出自ならまだしも、リーファは曲がりなりにも生まれも育ちも王族のれっきとした王位継承者だ。むしろ周囲のものを顎で使ってもらうぐらいでないと困る。


「それにしても、陛下もレイオット殿下もエアリス様も、お忙しいのですね」


「そうですね。先のごたごたによる影響が、まだまだ残っていますから」


「先のごたごたと言うと、カタリナ様の?」


「ええ。あれだけの醜聞ですから、ウォルディスまで届いていてもおかしくありませんが、やはり殿下もご存知でしたか」


「噂程度ですけど」


 今日の食事の時間に現れなかった王族の話から、ファーレーンの内部事情がちらっと漏れる。カタリナの乱はある意味において、リーファがウォルディスから逃げ出す必要ができた原因でもある。それゆえに噂程度とはいえある程度の情報は集めていたが、いまだに王族が落ち着いて食事もとれないほどの影響が残っている事に、リーファは驚きを抑えきれなかった。


「距離が遠かったので諦めたようですが、父も兄もあの反乱に乗じてファーレーンを攻め落とそうと考えていた節があります」


「そうでしょうね。恐らくモンスターの問題がなければ、ダールかフォーレが攻め込んできていたでしょうし。最初からある程度根回しはしていましたが、西部で人間の国家同士の戦争が不可能となっている理由がなければ、あの反乱でファーレーンは滅んでいたでしょうね」


 淡々と、だがあっさりと言ってのけるエレーナに、微妙にリーファの背筋に冷たいものが走る。エレーナは優しげな雰囲気の女性だが、リーファとは違う方向で同等以上に強烈な達観をしている感じがする。


 それ以上に、内乱に乗じて攻め込んだ程度で、このファーレーンという国を攻め滅ぼせる気がしない。たった二日ではあるが、それだけでもリーファがそう思うには十分であった。


 そのあたりをどう口にしていいか分からず口を閉ざしたリーファに付き合い、エレーナも特に話題を振らずにハーブティの香りを楽しむ。エアリスではないが、この新たな妹的存在ともっと仲良くなりたい。だが、焦って事を進めては碌なことにならないので、リーファの方から歩み寄ってくるのを待つことにする。


「……あの」


 しばし沈黙の後、一杯目のハーブティを飲み終えた所でおずおずと口を開くリーファ。あれこれ思考が脱線を繰り返し、話したい事をまとめるのに、気がつけばそれだけの時間がかかっていた。


「私みたいな何もできない小娘が、ただ死にたくないだけでファーレーンを巻き込んでしまって、本当に良かったのでしょうか……」


「何もできない、なんてことは無いでしょう? だって、殿下は生き延びてファーレーンに逃げ込めたではありませんか」


「それだって、タオ・ヨルジャを利用しただけ。私自身は何一つしていません」


「政治の世界で、リーファ殿下のお歳で何かできる人間なんて、そうはいません。エアリスだって、偶然に偶然を重ねて運よく生き延び、助けてくださった方々のお力添えでどうにか今の立場になっただけです。殿下と同じ歳の頃は、単に姫巫女という肩書だけで何もできなかった点は変わりません」


「でも、私はタオ・ヨルジャを使い捨てた。命の恩人なのに、結局最後まで本当の意味では気を許さずに、エアリス様から手を差しのべられた時に迷いもせずに切り捨てた。タオ・ヨルジャだけじゃなく、何人も何人も見捨てて切り捨てて使い潰して……」


 どうやら、ファーレーンに逃げ込みちゃんと王族として扱ってもらえたことにより、今まで考えないようにしてきたあれこれに対する自責の念がリーファを苛んでいるのだろう。逆にいえば、今まではそんな事を気にしている余裕などなかったとも言える。


 生き延びるためにいろんな人に犠牲を強いて今まで何とも思わなかったのに、今頃になってそれを気にするのは間違いなく偽善。それについて悩んで、ファーレーンを巻き込んでしまってよかったのだろうかなどと、悲劇のヒロインぶるにもほどがある。だが、それでもリーファが逃げ延びるために命を落とした人たちの事を悲しいと思い、申し訳ないと思う気持ちが抑えられない。


 そんな矛盾した感情に折り合いをつけることができず、その感情をどうすればいいか分からず、あまりに身勝手に思えて泣くことも助けを求めることもできない。そんな混乱しショート寸前まで追い込まれた心の悲鳴を、温度を感じさせない声でぽつぽつと漏らす。


 ずっと空のティーカップを持ったままであった事に気がつき、震える手でそっとテーブルに置こうとして上手く行かず、諦めてそのままにする。そんなリーファの様子が、エレーナの目には酷く印象的に映った。


「……そうですね。正直にいえば、殿下一人がそこまで背負う問題ではないと思うのですが、そんな甘い言葉が欲しい訳ではないのでしょう?」


 少し困ったように小さく首をかしげながら言うエレーナに、リーファが小さく頷く。勝手なことだとは思うが、優しくされればされるほど、リーファは自分を許せなくなりそうなのだ。いろんな苦難を乗り越えてきた人の優しさを受け入れられない自分がみじめで、なおのこと自分が嫌いになる。


 そんなリーファの気持ちが痛いほど分かるエレーナは、自分の欲求に素直に従う事にした。手にしていたお茶をテーブルにそっと戻し、席を立ってリーファの隣に歩み寄る。驚いて呆然とするリーファに目線を合わせると、そのまま問答無用で優しく抱きしめる。


「殿下のために命を落とした人を悲しいと思うのであれば、その人たちに申し訳ないと思うのであれば、今からでも己を磨いて立派な人間になりなさい。誰の目にも、殿下のために命を捨てた人間が無駄死にではなかったと証明して見せなさい。故人に、あなたを守るために散って行った事を誇らせなさい。彼らが英雄として歴史に名を刻まれるような、朽ちることない業績を残しなさい。そして、年老いて天寿を全うするまで生き抜きなさい」


 リーファを優しく抱きしめ、なだめるように優しく背中をぽんぽんと叩きながら、かなり無茶な事を言ってのけるエレーナ。リーファを弾劾する事は簡単だが、そこに大した意味は無い。多少リーファの気が晴れるだけだ。


 恐らく遺族の中にはこの年端もいかない少女を徹底的に責めたい人間もいるだろうが、その代理をエレーナが務める理由もない。冷たいようだが、エレーナには見ず知らずの人間のために悪役になる気も、そっち方面でリーファの自己満足につきやってやる気もない。


 結局、死んだ人間に対して、生きている人間が何をしたところで自己満足だ。ならばせめて、彼らの名誉が少しでも守られるように頑張る事が建設的であろう。多少とはいえ年長者であるエレーナとしては、罪悪感に潰れるぐらいなら少しでも建設的な方に気持ちを向けてほしい。


 そのためには、飴だろうが鞭だろうがいくらでも用意するのが、もうじき嫁いでいく己の役割だと考えている。もっとも、決めたのは今だが。


「それと、たとえ今さらだと思っても、亡くなった彼らの事で涙を流す事は、偽善でも侮辱でもありません。これから簡単に泣くことが許されなくなるのですから、今は彼らのために泣いていいのです」


 そっと言い添えられた言葉と抱きしめられて伝わってくる体温、そして優しく背中をさする手に、ついにリーファの涙腺が決壊する。手からティーカップが滑り落ち、小さく音を立てて絨毯に受け止められる。無意識のうちに、エレーナの背に手を回してギュッとしがみつく。


 はらはらと落ちる涙とは裏腹に、リーファは結局、声を上げて泣く事は無かった。


「申し訳、ありません」


「泣くように言ったのは私ですので、殿下が気になさることではありません」


 どれほどの時間が経っただろうか。ようやく泣きやんだリーファが手を離し、申し訳なさそうに謝罪する。それを笑顔でなだめ、再び席に戻るエレーナ。まずは第一段階である、涙を流させて少しでも前を向かせる事には一定の結果を出せたようだ、と、内心で安堵のため息をつく。


「その、泣いたことも、なのですが、ティーカップが……」


「ああ、それも大丈夫です。私は一年ほど体が不自由でしたので、落としても壊れないように、この部屋で使う割れ物には全て自己修復がかかっていますから」


「……えっ?」


 エレーナから言われた意外な言葉に、リーファが目を丸くして絶句する。その子供らしい表情に、悪戯が大成功したと実に嬉しそうにエレーナが微笑む。


「……エレーナ様には、かないません。まるで、何もかもお見通しのようです」


「なにもかも、とは言いませんが、これでも殿下より十以上も年上なのですから」


 リーファの正直な感想に、やたら自慢げに胸を張って見せるエレーナ。恐らく空気を軽くするためにわざとなのだろうが、そんな小さな心遣い一つとっても、リーファにかなわないと思わせるに十分である。


 泣いて多少心に余裕ができたからか、そのやり取りで恐ろしい事実に気がつく。


 そう、リーファはファーレーンにいるというのに、今の今までずっとウォルディス語で話をしていたのだ。


「あの……、恥ずかしながら今頃気がついたのですが……」


「何か不自由な事でも?」


「いえ、そうではなく。よく考えれば、私はずっとウォルディス語で話をしていたのですが……」


「ウォルディスの方で、しかも余裕のない状況だったので当然です。そこも不自由をさせないようにウォルディス語ができる侍女を用意しましたし、殿下のおられる一画を警備するものも、全員日常会話ぐらいはできる者で固めております」


「エアリス様に助けていただいた時も、ウォルディス語だったのですが……」


「ファーレーンの王族は、ファーレーン語がしっかり話せるようになった時点で、主要国家の言葉を全て叩き込まれます。エアリスがそういう面でも相当早熟なのは事実ですけどね」


 エレーナの言葉を聞き、リーファはますますかなわないという思いを強くするのであった。








「いつの間にやら、こんなとこまでアズマ工房のカレー粉が出回っとんねんなあ」


「気候とか土地柄とか考えたらこっちの方が本場っぽいのに、アズマ工房のしか売ってないんだ」


「しかも、えらい値段やで」


 ベリルのマーケットをぶらぶら冷やかしていた宏達が、ファーレーンからの高級品を扱う店を見て目を丸くする。


 そこに並んでいたカレー粉には、ウルスの中央市場で買う値段の十倍の値がついていた。


「仕入れ値とか輸送費考えたら、ウルスで買うより高いのは当然だがなあ……」


「こんな値段で、買う人おるんかいな……」


 そんな風にひそひそと話をしていると、目の前でピシッとした身なりの使用人らしい男性が、店に出ている分を根こそぎかき集めて購入していく。どうやら、このあたりでも金持ちの需要は既につかんでいるらしい。


 カレー粉だけでなく、マヨネーズや各種ソース類も根こそぎ購入して使用人らしい男性は店を出た。


「売れるんやなあ……」


「すげえなあ……」


 全部合わせればそれこそ千クローネ金貨で支払いをするような値段になる調味料を、ためらうどころか値段交渉する様子すら見せずに買い占める様に、宏も達也も唖然とするしかない。


「カレー粉って、スパイス混ぜまくってればそのうち開発されるんじゃないかってイメージが強いんだけど、そうでもないのかしら?」


「そらまあ、実際にインドでカレーが自然発生しとんねんから、根気があればそのうち作れるわな。組み合わせも調合比での変化も膨大やから、ある程度配合知ってんと物凄い時間かかりおるやろうけど」


 真琴の素朴な疑問に、宏がネックになる要素を説明する。インドで食されている、日本でインドカリーと呼ばれている料理がどういう経緯で発生したかはともかく、何世紀もかけて洗練されていった事は間違いない。最終的にイギリスを経由して日本に渡ってくる間に配合も含めたあれこれが更に磨き上げられたのも事実だが、それも生まれ故郷で長い歴史をかけて育った下地があってこそだろう。


 宏達が持ち込んだカレー粉は、言ってしまえばその積み重ねをショートカットしたものである。計量がらみの技術が全体的に未熟なこの世界で、現代レベルのカレー粉が存在しないのはむしろ当然なのだ。


 何でもかんでも技術的なものは囲いこまれ隠蔽される傾向があり、場合によっては紙などへの記録も残さないことも珍しくない事を考えると、宏達が持ち込んでいなければ、原型レベルのカレー粉が自然発生して一般に広まるまであと何世紀かかかっても不思議ではない所である。


「……ねえ、師匠」


「なんや?」


「ウルスからここまで運ぶのって、何日かかる?」


「せやなあ……」


 澪に問われて、一般的な船や馬車を使った運搬速度をざっと計算する。ウルスからダールを経由してベリルから南西に伸びる街道の終着点にあるディパル港に到着するのが、約二カ月。そこから隊商を組んで一カ月ぐらい、普通なら計三カ月ほどかかる所だ。


 余談ながら、マルクトの首都であるアラファトの港までは、そこから二週間ほどの航海となる。ファーレーンの南端とダールの北端の間にある海峡を抜けることでショートカットできるのでこの程度の日数で済んでいるが、仮にダール大陸を迂回した場合は、後二カ月は余分にかかるだろう。


「この世界の海運は案外速度でおるから、陸運も含めて三カ月ぐらいやな」


「だとしたら、まだまだカレー粉高いまま?」


「いや、多分こっちやとうちらが直接乗り出してこん限りは、値段下がらんやろ」


 澪の言いたい事を察し、宏が身も蓋もない結論を告げる。


 ウルスではアズマ工房以外もようやくカレー粉の量産体制が整い、品質を問わなければ手頃な値段で手に入るようになりつつある。恐らく、次の春には競争が始まって一気に値段が下がるだろう。だが、運搬に三カ月もかかるこのベリルでは、ウルスの値段も現在の状況もほとんど影響しない事は目に見えている。


 しかも、量産体制が整ったと言っても、実用に耐えるだけのものが作られだしたというだけ。味にこだわる貴族や高級店などはやはりアズマ工房のものを求めるうえ、そっちの需要も右肩上がりに増えている事を考えると、アズマ工房の物はあと数年は値段が高止まりしたままになるだろう。


 奪い合いの結果値段が高止まりしているものを仕入れて運ぶのだから、量は稼げず値段交渉の余地も無くなる。ここが高級品の店で扱うのがアズマ工房のものである限り、値段が下がる事はまずあり得ないのだ。


「なんかこう、げんなりするもん見てもうたなあ……」


「そうだね……」


 一番の高級品で一番の目玉商品が自分達の製品だった。しかも売られている値段が暴利もいい所、という事実に色々げんなりするものを感じつつ、当然ながら特に買うものもないのでとっとと店を出る一行。のぞくだけで買わない人間など珍しくもないからか、店員も意外と愛想良く送り出す。


「まあ、気ぃ取り直してもうちょい見てまわろか」


「そうだね。マルクト方面からのだと、面白いものとかあるんじゃないかな」


 宏に同意し、とりあえずあまり接点がなかった東側の国からの商品を見て回ることを提案する春菜。西側の商品や文化は、割と知っているものが多いのだ。


「面白いものがあったところで、見て回るだけで買いはしねえんだけどな」


「それは言わないお約束よ」


 言ってはいけない事を言ってのける達也に、真琴が突っ込みを入れて釘をさす。今の彼らには荷物管理の問題で、消えもの以外に金を出すような余裕は一切ない。だが、そんな身も蓋もない事実をわざわざ市場のど真ん中で口にする必要もない。


「師匠、春姉、向こうがちょっと気になる」


「ん? ああ、装飾品とか小物の店か」


「マルクトのものなんだ。ちょっと面白そうかも」


 澪に示され、新たな店を冷やかす一行。ダールとは違った形で東西の文化が融合したベリルマーケットを、昼前までかけて心行くまで冷やかすのであった。







「アルチェム、今日も庭いじり?」


「うん。もうちょっと手を入れないとダメみたいだから」


「そう。って、あら、ジュディスさんも?」


「おじゃまします」


 昼下がりの工房。自己修復のエンチャントの効果もむなしく、とうとう使い潰してしまったナイフを新しく打とうと鍛冶場へ向かっていたテレスは、アルチェムとジュディスという珍しい組み合わせの来客と遭遇した。


 アルチェムはここ数日、毎日工房を訪れては中庭を、もっと正確に言うなら宏が無造作に接ぎ木していった謎の木を手入れしている。特に問題なく育っていたので気にしていなかったが、どうやら本来はそれなりの手入れが必要らしい。


 そもそもあの木が何の木なのかが分からないテレスには、アルチェムの作業には手出しできない。なので完全にまかせっきりにしてあったのだが、ジュディスが居るというのが微妙に引っかかる。


「うがちすぎかもしれないけど、ジュディスさんもいるって事は、もしかしてあの木の世話って、巫女の領分?」


「そんなところ」


 偶然一緒だった可能性も考慮しながらのテレスの確認に、アルチェムがあっさり頷く。いろんな意味で今さらではあるが、巫女が何やら作業するに至ってしまったあたり、そろそろのっぴきならない事になりつつある気がしてならない。


「なんだか大がかりなことになってるみたいだけど、あの木って何の木?」


 テレスの何気ない質問に、微妙に困った表情を浮かべるアルチェムと驚きを隠せないジュディス。そんな二人の反応に、質問したテレスが思わずたじろぐ。


「えっと、聞いちゃいけない事だった?」


「そんな事はありませんが、テレスさんはエルフなのに本当に分からないんですか?」


「あ~、ジュディスさん、ジュディスさん。エルフだからって、ありとあらゆる樹木の存在に通じてる訳じゃないんですよ」


「ですが、エルフなら普通、分かるものなのでは……」


「世界樹なんて、ハイランドエルフの一部しか直接見た事無いんですよ。私だって、この時点で巫女やってなかったら、おそらく一生見る機会は無かったでしょうし」


 アルチェムとジュディスの会話に、思わずテレスが持っていた触媒を取り落とす。妙な力場が発生していたからただの木ではないと思っていたが、よもや世界樹なんて物騒な物が中庭に、それも明らかに手を抜いた感じで植えられていたなんて予想もしていなかったのだ。


 一般的なイメージのエルフなら、その妙な力場の時点で気がつかないのか、という意見はこの際全力で無視する。


「そ、そ、そんなとんでもないものだったの!?」


「うん。私も大霊峰の神域で正体を教わってから、もう一度確認してちょっとめまいがした」


「そうなんですか?」


「はい。あんまりにも無造作に植えられてて、しかもそれで特に問題がなかったからちょっとくらっと」


「無造作にって……」


「まあ、見れば分かります」


 テレスとアルチェムの様子を見て不思議そうにするジュディスに、色々諦めが混ざった感じでアルチェムが答える。巫女組がそんな会話を続けている間いろいろ葛藤していたテレスが、唐突に何か悟りを開いたようなすっきりした表情になり、落とした触媒を拾い集める。


「あ、姉さん立ち直った?」


「良く考えたら、今更のような気が、ね」


「うん。もう定着してるから今更気にしても無駄だと思う」


 思ったよりあっさり立ち直ったテレスに、アルチェムも妙にさばさばした態度を見せる。


「じゃあ、中庭で作業してるから」


「了解。私は鍛冶場に居るから。ファムとノーラは今納品に行ってるから、何かあったら鍛冶場にきて」


「は~い」


「後、中庭には今ライムが居るから、邪魔だったらジノ達の手伝いに回らせて」


「分かった」


 あっさり立ち直ったテレスと事務的な打ち合わせをし、さっさと中庭に移動するアルチェム。そんなエルフ達の様子にジュディスはちょっと釈然としないものを感じながらも、ダールの工房で世話になっていた頃は最終的にこんな感じだったとなんとなく懐かしく感じる。


 その中庭では、いつの間にか二本に増えている上に若木サイズになったソルマイセンと、一体何に接ぎ木したのか妙にしっかり定着している世界樹に、ライムがせっせと肥料を撒いていた。


「あ、アルチェムちゃんだ。いらっしゃい!」


「きゅっ!」


 肥料をまく手を止め、ひよひよとともに元気よく挨拶するライム。その手にはバケツと柄杓がしっかり握られている。


「こんにちは、ライム。肥料あげてくれてたの?」


「うん! ドラゴン骨粉と三種混合肥料!」


「おお~、ありがとう」


 今日そろそろ撒く必要があると思っていた肥料は、既にライムがやっていてくれたらしい。


 なお、三種混合肥料というのは、ベヒモス、リヴァイアサン、ジズという三種の神の食材モンスターの肉を肥料にし、一定割合で混ぜたものだ。その過剰すぎる栄養素と生育加速能力は、下手な作物に使うとあっという間にお化けサイズになってしまう非常に危険なものである。


 当初は途中からでも米作りに使おうかと言っていたのだが、実験ではたった一滴で植木鉢に植えていたトマトが大木と見間違わんばかりのサイズに成長し、人間の頭ぐらいある実をつけたために使用を断念したいわくつきの肥料だ。


 使うなら何らかの手段で思いっきり希釈し、慎重に土作りの段階で混ぜてやらねば大惨事になる肥料だが、今回に限っては相手が世界樹とソルマイセンという特殊植物。そもそも既に同じぐらい危険なドラゴン骨粉を撒いている時点で色々手遅れなのもあって、根元に豪快にぶっかけても誰も気にしない。


「じゃあ、ジュディスさん。ライムが残りをまいたら、儀式しちゃいましょう」


「あ、そうですね」


 ドラゴン骨粉という物騒な単語に気を引かれていたジュディスが、アルチェムに言われてすべき事を思い出す。その間にライムが残りの肥料を撒き終え、二人の元へ戻ってくる。


「じゃあ、やっちゃいましょうか」


「はい、やっちゃいましょう」


 悪戯でもするような笑顔を浮かべるアルチェムに苦笑しつつ、ジュディスも悪乗りして同じような口調で返事を返す。そのまま最初の打ち合わせ通りの位置に立ち、巫女の力を解放しながら祝詞を謳いあげる。


 二人の少女のみずみずしい声が唱和し、空に吸い込まれていく。徐々に巫女達の身体が光に包まれ、その光に呼応するように二本のソルマイセンが、そして世界樹が光を放つ。その清浄な光が中庭を包みこみ、祝詞の終わりにあわせて木々と庭の大地にしみ込むように吸いこまれていく。


 光が消えた後には、若干サイズを増した世界樹とソルマイセンの姿があった。


「これで、今日のお務めはおしまいです」


「お疲れさまでした」


「ライムもお手伝い、ありがとうね」


「うん!」


 無事に今日の世話が終わったところで、すがすがしい労働の喜びに笑顔を見せる少女達。折角なので、庭で日向ぼっこをしながら話をする事に。


「オルテム村もウルスも、今日はいい陽気ですね」


「最近は朝晩がめっきり冷え込むようになりましたけど、天気が良ければ日中はぽかぽかして気持ちいいですよね」


「ジュディスさんはダールの人ですけど、最近の朝晩の冷え込みは大丈夫ですか?」


「正直、ちょっと辛いです。ダールだと寒い時期でも割とこれぐらいの気温になるので」


 スカッと秋晴れの青空を見上げながら、そんなどことなく年寄りじみた話を始める巫女達。そんな二人に寄りかかり、ひよひよを抱っこしながらうとうととするライム。ぽかぽかと当たるお日様が、眠気を誘うらしい。


「そういえば、エアリス様に教えていただいたんですけど、来週ぐらいにテレス姉さん達の誕生日パーティをするそうです。何やらいい企画が思い付いたとかで、ヒロシさん達が妙に張りきっていたらしいです」


「そうですか。だったら、私達も何かプレゼントを用意しておいた方がいいですね」


「そうですね。と言っても、最近は姉さん達もあまりヒロシさんと考え方が変わらないので、ここからだとちょっと取りに行くのが大変な素材、あたりを用意しておくのがいいかもしれませんね」


「あ~、そうかもしれませんね。私で集められるでしょうか……」


「物によっては、巫女の資質でえいや、で結構何とかなりますよ」


 酷くアバウトな事を言い出すアルチェムに、それでいいのかと顔を引きつらせるジュディス。巫女の資質にそんな使い方があったことも意外ではあるが、それ以上にアルチェムがそんな使い方をしていることに驚きだ。


「んにゅ~」


 アルチェムの意外な一面に驚いていると、すっかり熟睡モードに入ったライムが寝返りを打ってアルチェムの胸に頭を押し付け始める。それ自体は子供の、それも同性が寝ぼけてやっている事なので特に問題は無いが、今日のアルチェムの服装は儀式の都合で、着物のように前で合わせて帯で締める構造の服を着ている。


 おかげで、頭をぐりぐり押し付けているうちに、どんどん合わせの内側に潜り込んで行ってしまうのだ。気がつけば帯は完全に緩み、服はいつフルオープンになってもおかしくない状況になっていた。一応内側に一枚着ているが、あまり慰めにはなりそうもない。


「えっと、あの、ライム?」


「んにゅ~」


 困った顔でライムを起こそうとするアルチェムだが、相手もなかなか手ごわい。完全に寝ぼけているらしく、柔らかくてぽかぽかな新天地に向かってどんどん突き進んで行く。


「きゅっ」


 一緒に寝ぼけて転げ落ちたひよひよが、微妙な状況に止めを刺すべく思いっきり足で胸元をつかむ。結果、重量バランスが崩れて前につんのめり、アルチェムが頭から地面に突っ込みそうになる。


「危ない!」


 とっさにアルチェムを支えるジュディス。ライムを落とすまいと全力で踏みとどまるアルチェム。ジュディスが掴んだ場所が悪かったこともあり、一連の騒動で内着も微妙に着崩れる。


「ライム起きて、ライム!」


「にゅう~」


 この期に及んでまだ熟睡しているライムを、アルチェムが必死になって起こそうとする。徐々にずれていく内着と姿勢の悪さに力が入らなくなっていくジュディスの姿に、危機感は募る一方だ。


「アルチェムさん、前に移動しますので、少しだけ耐えてください!」


「は、はい!」


 そんな感じで大騒ぎしながら体勢を立て直し、どうにか安全な体勢になったところで


「何騒いでるだ?」


 上半身の見えてはいけない頂がほぼ見えかかっている姿を、ばっちりフォレダンに目撃されてしまう。ちゃんと巫女の仕事をしライムのピンチも救ったというのに、色々散々なアルチェムであった。

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