第14話
「ファーレーンの方針が決まった」
宏達がスノーレディ達の言動に頭を抱えている同時刻。レイニーがリーファ王女のみをファーレーンで保護すべく、自称お兄様に対して話を持ちかけていた。
既にマルクトの上層部には話が通っており、後は現場サイドでの打ち合わせだけとなっている。残念ながら、マルクトの上層部はわざわざ現場サイドにそのあたりの話を通してはくれないようで、ちゃんとした説明はレイニーに丸投げになっている。
「方針、ねえ。王女ちゃんをウォルディスにさし出す、とか、後顧の憂いを断つために暗殺する、とかだったら、お兄ちゃんマルクトに逆らってでも邪魔するが?」
「大丈夫。それはない」
「じゃあ、ファーレーンで引き取ってくれる、とか?」
「リーファ王女だけ、ファーレーンで受け入れる。残りの二人は、マルクトの好きにすればいい」
レイニーの返答に、本日の仮面(なお、今日はクラウンマスク)の裏側ですっと目を細める自称お兄様。いくつか想定していた展開の一つではあるが、正直ファーレーンがその選択を取る可能性は低いと考えていた。
こう言っては何だが、ウォルディス一行は何処の国にとっても余計なリスクにしかなりえない存在だ。ウォルディスにさし出したところで攻撃を受ける口実になるだけで、かといって国内で命を落としたらそれはそれでやはり戦争の口実にされる。国内に入れること自体がリスクの塊なのだから、普通の判断ではマルクトに押し付けるのが最善となるだろう。
なのに、ファーレーンはそのリスクを受け入れるという。ファーレーンの現在のトップについて漏れ聞こえてくる話を総合して考えると、安っぽい情や倫理観だけで動くとは思えない。カタリナに対する対応だけ見ると情に甘い王家だと思われがちだが、自国の民でもない相手にまで生温い同情だけで動くほど愚かではない。
第一、カタリナに対する甘い対応が知られ、しかも法でガチガチに縛られていることが知れ渡っていてなお、他国に対して致命的な隙を見せなかった連中だ。核心的な利益も無しにリスクを犯すはずがない。
恐らく、その核心的な利益につながる部分が、リーファ王女だけを保護するという判断の根拠なのだろう。
「ファーレーンの方針は理解した。だが、腑に落ちない点が色々ある。王女ちゃんだけを保護する理由ぐらいは教えてもらえるか?」
「一番大きな理由は、いずれマルクトに来るのが確定しているアズマ工房に対して、連中を接触させたくないから」
「だったら、全員引き受ければいいんじゃないか?」
「ファーレーンが受け入れない理由、分かってるくせに」
色々と面倒なおまけを押し付け合おうとするレイニーとお兄様。タオ・ヨルジャは間違いなく自分の復讐のために余計なリスクを背負わせようとするだろうし、お付きの女性はもともと早くどこかに捨ててしまいたい人物なので、保護するデメリットしか存在しない。はっきり言って、どちらも国内にいるだけで、メリットなしに不要なリスクを背負い続ける羽目になるのだ。
もっとも、タオ・ヨルジャとお付きの女性をまとめてひとくくりにするのは、さすがにタオ・ヨルジャに失礼ではある。タオ・ヨルジャは実力も判断能力も十分にあり、自国内にさえいなければ色々と役に立つ人間なのだから。
「理由は分かってるが、保護するって決めたんだったら全部まとめて引き受けるぐらいでないと、流石に無責任だとお兄ちゃんは思うんだが」
「あの二人を一緒に保護する方が、王女に対して無責任。そもそも、あの二人と王女を一緒に置いておくのは、王女の教育に悪い」
「あ~……、そこを持ち出されると、お兄ちゃんは反論できないわ……」
双方の上司が聞いていれば「お前が言うな!」と全力で突っ込むだろう理由で、リーファ王女だけをファーレーンで保護することに現場サイドが合意する。猥褻物方向で子供の教育に悪いことこの上ない変態どもにまで、子供の教育に悪いと断言されてしまったタオ・ヨルジャとお付きの女性が哀れである。
お付きの女性に関してはあながち否定できないのも、哀れさを助長する要素だろう。
「で、どうやってファーレーンに運ぶつもりだ?」
「それについては、ちゃんと移動手段を用意してある」
ファーレーンの方針に異を唱えるのをやめたお兄様が、具体的な話に移る。そのお兄様の質問に、たこつぼのようなものを見せながら淡々と答えるレイニー。見せられたたこつぼに小さく首をかしげつつも、とりあえず移動手段はあるらしいと認識、話を進めることにするお兄様。
「いつ、王女ちゃんを連れ出す?」
「もう、準備は出来てる。タオ・ヨルジャが帰ってくる前に仕掛けたい」
「そっか。じゃあ、お兄ちゃんはおねーさんの注意をそらせばいいってか?」
「可能であれば、王女の傍から引きはがしてほしい」
「了解」
レイニーの要請に、何故か手をわきわきと動かしながら頷くお兄様。やはり、変態は変態なのであった。
「ようやくか」
スノーレディの双子と遭遇してから三十分後。あれこれ疲れる会話に付き合わされながら、ようやく彼女達が出てきた建物の前にたどり着いた一行に、何処からともなく歴戦の勇士じみた男前と称したくなる渋い声で一言呼びかけられる。
その声に反応し、辺りをあたふたと確認する宏達。遠目で見るより立派なその建物の周辺には、人らしい姿は一切ない。人らしいどころか、そもそも建物以外にこれといったものは何一つない。あるとすればせいぜい、ちょっと場違いな人間サイズの雪だるまが一つ。
雪だるまの形状を説明するなら、頭にアルミ製のバケツが乗っていて、黒の色紙で目と眉毛と口をはり、腕として箒と熊手を突き刺した、割と良くある雪だるまだ。残念ながら、ニンジンなどで鼻をつけてはいない。恐らくニンジンなど収穫できるような土地ではないだろうから、これは当然といえる。
この世界でアルミ製のバケツなんて初めて見た、と、微妙に状況に関係ない事を考えつつ、もう一度周囲を観察し直そうとした所で、雪だるまがずずいと動き出した。
「客人をここまで案内するだけだというのに、随分と手間がかかったな」
「色々と説明をしておりましたから」
「久しぶりに現れた国王以外の外界からの男だからといって、スノーレディの人口増加に協力させようなどとはしておらんだろうな?」
突如動きだして双子に詰め寄った雪だるまに虚を突かれた表情をしていたアズマ工房一行が、雪だるまの台詞に思わず視線をそらす。客人達の様子を見て色々悟ったらしい雪だるまが、器用に眉を吊り上げて双子に迫る。
「協力を迫ったのだな?」
「新神様の故郷のお約束に従っただけです」
「迫ったのだな?」
「お約束の冗談ですので、強要はしておりません」
「では、冗談に乗ってきたら、どうするつもりだった?」
「当然、子作りに協力していただきましたとも」
強調するように豊かな胸を張って言い切ったアクアの頭を、雪だるまが箒の方の腕を豪快にスイングしてしばく。パコーンと実にいい音を立てて後頭部に一撃入れられたアクアが、思わず雪にダイブして頭を押さえながら呻く。
アクアだけだと不公平だからか、箒の腕を振り抜いた勢いを殺さず、フローラの方も熊手の腕で後頭部をどついておく雪だるま。なかなかに容赦のない一撃だ。
「そういう誘導尋問じみた真似をするでない、はしたない!」
きりりとりりしい表情を浮かべ、フローラとアクアを一喝する雪だるま。雪だるまなのに、言っている事は実に正しい。
「見苦しい所をお見せした。申し訳ない」
「それはかまへんねんけど、人間に見えるスノーレディがこういう性格で、雪だるまの方が倫理的にまともなこと言うてるんはどうなんやろうなあ……」
「どうやら重ね重ねご迷惑をおかけしたようで、まことに申し訳ない」
「いやいや、こっちこそ突っ込みが甘あて……」
ぺこりと頭を下げる雪だるまに、同じように頭を下げる宏。宏が頭を下げながら言った内容がそもそも妥当かどうか、という点については非常に大きな問題があるが、この場にいる誰も、わざわざそんな細かい所に突っ込みを入れない。
「スノーレディも、全員がこうでもないのだが……」
「えっ? そうなん?」
「うむ。だが、外から来られた客人方からすれば、大した違いでもないだろうが、な……」
微妙に渋い顔をしている雪だるまの言葉に、詳細を確認するのが怖くなってくるアズマ工房一行。ここは、下手に触らない方が得策と見て、話題の転換を探る。
「あの、そういえば気になってたんだけど、かなり失礼な質問、いいかな?」
「何かな?」
「スノーレディは一応人間分類なのは分かったんだけど、あなた達も分類上は人間? 後、さっき宏君が雪だるまって呼んじゃったけど、それは問題ないの?」
「そういえば、我々についての説明がおろそかになっていたな、申し訳ない。我々はスノーマンという種族で、男しか存在せんが、一応分類上は人間になる。我々にとって雪だるまという呼称は侮辱でも何でもないので、大いにそう呼んでいただけたらありがたい。むしろ、立派な雪だるまと称していただけることこそ誉れなのでな」
春菜の失礼な質問に、やたら堂々と答える雪だるま。種族が違えば地雷となる要素も違うが、運よく地雷を避ける事は出来たらしい。
「そうそう、自己紹介すらまだであったな。我はスノーマンのフレディ、今後ともよろしく」
雪だるまの自己紹介に、微妙な顔をする澪。どうやら、何か彼女の中のネタに触れる物があったらしい。
「アズマ工房代表の東宏です。こちらこそよろしゅうに」
フレディに釣られて、ぺこぺこ頭を下げて挨拶を返す宏。これでスーツを着て名刺でも差し出していれば、何処からどう見ても背中がすすけ気味の平凡なサラリーマンだっただろう。少なくとも、新神様などと呼ばれるような威厳は欠片もない。
「さて、流石に少々余計な事に時間をかけ過ぎておる。お客人方も、いい加減寒かろう。神殿の中は、我らとお客人方、双方が快適に過ごせる空間となっておるので、安心して中でくつろいでいただけたらありがたい」
その後、宏に釣られるように春菜達が自己紹介を済ませ、一通りそれらが終わったところで雪だるまがそう持ちかける。そのありがたい申し出に頷き、案内されるままに神殿の中へ入って行く一同。
その後を慌てて双子が追いかけてくるが、既に主導権をフレディに預けているため、誰もそこは気にしない。
神殿の中は外から見るより更に広く、フレディの言葉通り快適な気温になっていた。
「ようこそいらっしゃった、宏殿。この神域の責任者として歓迎しよう」
レーフィアの神殿に続き、またしても不思議空間となっている神殿内部を興味深く観察していると、いつの間に現れたのか、やたらと威厳のある雪だるまが威厳のある声で宏達に挨拶をしてくる。
「はじめまして、アズマ工房代表の東宏です。ダイン様でよろしいか?」
「うむ。雪と氷をつかさどっている、ダインだ。役割その他が限定されておる故、アルフェミナやレーフィアと比べれば大した力は無いが、それでも一応は舞台装置のはしくれだ」
「正直、そのあたりは僕にはよう分からへんのですけど……」
「何、宏殿が気にするようなことではない。所詮、この世界のみ通じるルールよ」
これこそが神様、と言いたくなるほど威厳たっぷりに宏と会話を続けるダイン。正直、何故彼が主神や大神クラスではなく、役割を限定されているマイナーな神様をしているのかが謎でしょうがない。
そんな宏達の疑問を嗅ぎ取ってか、ダインがそのあたりの事情を説明し始める。
「あまり厳格な存在が舵取りをしても萎縮して碌な事がないからな。それに、それらしく振舞ってはおるが、保護しているスノーレディからしてああなのだから、主神クラスの役割など果たせんよ」
ダインの言葉に、巫女の二人に対して視線が集中する。その視線を受けて、やたら誇らしそうに胸を張る巫女二人。
「あと、スノーマンの姿なんは、何ぞ理由がありますん?」
「雪と氷の神なのだから、雪と氷の塊の姿を取るのがこの上なく妥当ではないか?」
「そういうもんなんや……」
やたら誇らしげな巫女二人をスルーして問いかけた宏に、ダインがものの道理を説いてのける。その道理に従うのであれば、海洋神であるレーフィアは最低でも人魚か半魚人の姿でなければだめではないかと思うのだが、そこをダインに対して突っ込んでも無意味そうなので、とりあえず黙っておくことにする。
「さて、せっかく来ていただいて何だが、伝授できるものがほとんど無い。私が伝授できる力は、大体レーフィアが伝授しておるからな」
「別に、力を求めて神様めぐりしとる訳やないんで、お気になさらんよう。そもそも、伝授してもらうための試練とか、今回受けとりませんし」
「試練に関しては、この神域に入ることそのものだから気にする必要はない。ただ、せっかく来ていただいたのにこれと言って渡せるものが無いのは、少々情けなくて落ち込む話でな……」
威厳を保ったままがっくりして見せる雪だるまに、宏達もかける言葉が見つからず黙ってしまう。しばらく沈黙した後、何か思いついたらしい宏が口を開く。
「そういえば、ここで暮らしとる人らは、どんなもん食べてますん?」
「……そうだな。酷寒の地でしか育たぬ野菜や果物に、雪麦という麦で食いつないでいる。後、これは食料ではないが、特殊な力を持つ氷の花を何種類か栽培しているな」
「ほな、その手のもん、がっつり貰いたいんですけど、ええですか?」
「そんなものでいいのか?」
「そういうのんこそ、ですわ」
ダインの話を聞いた宏が、こぶしを握り締めながら力いっぱい言い切る。権能の及ぶ範囲が狭く、物を作ることに対してどうしても疎くなってしまうダインは知らぬことではあるが、氷の花はソーマをはじめとしたいくつかの神の名を冠する消耗品の材料に必須なのだ。
宏からすれば、使うかどうかも分からないどうでもいい戦闘系スキルなんかより、まだ見ぬ食材や氷の花の方が何万倍も重要なのである。
「なるほどな。では、我が巫女とフレディに案内させよう。あと、それだけでは気がすまんのでな。気休めにしかならんが、自然環境で凍死や寒さが原因での病気などをしない程度の耐寒性は伝授しておこう」
「そら助かりますわ」
せめてもの気休めに、と申し出たダインに、心底ありがたそうに宏が応じる。寒さを感じなくなる訳ではないが、凍死しなくなるというのはかなり大きなアドバンテージだ。大霊窟で凍死しかかったアルチェムが聞けば、宏達だけずるいと言い切ること間違いなしだろう。
最近は、一歩間違えれば凍死しかねないほど寒い場所で活動する機会も多い。普段から気温調整のエンチャントで生存に問題ない環境を維持していると言っても、装備の破損などでその機能が失われる事がないとは言い切れない。そうなった時のことを考えれば、ダインが申し出てくれた耐寒性は非常にありがたい。
完全に寒さを感じなくなる訳ではないのだが、そこまで求めるのは贅沢に過ぎる。はっきり言って、もらえるだけでも十分だ。
「では、伝授するので楽にしていてくれ」
「はいな」
ダインに言われ、力を抜いてリラックスするアズマ工房一行。宏達の身体から余分な力が抜けた所で、ダインの目が一瞬光る。
「無事に伝授が終わった。これで、寒さに対してずいぶん強くなったはずだ」
何が起こったのか分からず不思議そうな顔をする一同に対し、何事もなかったかのように終わりを告げるダイン。今までと違って全く何の変化も感じられず、宏達は戸惑う事しかできない。
「では、フレディ。後は頼む」
「はっ」
宏達が戸惑っている間に、ダインが今まで黙って控えていたフレディに対してさっくり指示を出す。指示を受けたフレディが、見た目はどう見ても雪だるまなのにちゃんと背筋を伸ばしてかしこまったように見えるのが興味深い。
「では、畑に案内しよう。こちらだ」
フレディに声をかけられ、外に出てみれば分かるかと思考を切り替える宏達。すぐに分かる事にいつまでも戸惑っていると、時間がいくらあっても足りない。
「……真琴姉」
「……何よ」
「……雪だるまで今後ともよろしくなのに能天気じゃないのって、すっごい違和感」
「……あたしも、微妙にそこは違和感あるのよね」
ピシッと背筋を伸ばして宏達を案内するフレディの背中を見ながら、真琴と澪がそんな事をこそこそ囁き合う。地味に、さっきの威厳がある雪だるまが巫女姉妹に余計なネタを仕込んだ事は、完全に忘れ去られる。
結局、スノーレディがダインからネタを教わった真相が、単にダルジャンから回ってきた資料映像、その中のお笑い関係のものを一緒に見ていただけ、という事実は闇に葬り去られるのであった。
「お仕事開始~」
宏達がダインと話をしていたその頃。精神的な疲労から限界に達し、うとうととしていたリーファ王女の耳に、そんな能天気な声が聞こえてくる。
(……お仕事?)
多少浮上した意識の片隅で、なんとなく首をかしげる。眠気のために全然回らない頭では、そもそも声の主に心当たりがない事にも気がつかない。囁くような声量であるため、そもそも本当に聞こえたのかどうかも確信が持てない。
こういう肝心な時に危機意識を維持できないのは致命的な事だが、リーファは残念ながら王女という肩書があるだけのただの九歳児。むしろこれまでよく危機意識や緊張感を維持できていたと賞賛すべきぐらいなのだ。
とうの昔に、限界など超えていたのである。
「リーファちゃん確保~」
結局眠気に抗いきれず、夢うつつのままのリーファの身体に、次々と何かが巻きつく。優しくソフトに巻きつかれたために、完全に全身を絡め取られているというのに、いまだにリーファの目は覚めない。
「輸送開始~」
「転移~」
なんだかんだで疲れ切っているリーファを起こさぬよう慎重に持ち上げ、そのまま転移する何か。それを部屋の片隅で見届けていた人物が、カードを取り出してどこかに通信を送る。
『こちらレイニー・ムーン。今、オクトガルが転移した』
『こちら大使館。現在確認中。……到着を確認』
『こちらレイニー。到着確認、了解。これより事後処理に移る』
『こちら大使館。事後処理了解。健闘を祈る』
一応一番難易度が高かったであろう王女の身柄確保を終え、一部始終を見届けていた人物ことレイニーが立ち上がる。
「ご苦労様。報酬」
「ありがとうなの~」
能天気な声の主ことオクトガルに、レイニーが報酬としてマルクト名物の山羊のチーズを渡す。後のフォローのために、一体だけ残っているのだ。
「変わった味~」
「気に入らなかった?」
「美味しいの~」
「そう、よかった」
「たこつぼ待機~」
貰ったチーズをあっという間に食べ終え、たこつぼに潜り込むオクトガル。相手に存在を知られていない方が色々便利だ、という点で意見が一致しているため、その挙動は非常にスムーズだ。
もっとも、便利の内容がレイニーとオクトガルとではあまり重なる部分がないのだが、求めている結果に関しては大体同じになるので、双方共にその齟齬に何となく気がついてはいるがまったく気にしていない。
そんなこんなをしているうちに、隣の部屋から男と女の口論が聞こえ、ノックもせずに扉が開け放たれる。
「もうこんなところにいるのは限界です! 殿下、今すぐここから出ますよ!!」
一体何があったのか、顔を真っ赤にして甲高い声でわめき散らしながら、お付きの女性が飛び込んでくる。
そのままリーファが寝ているはずのベッドまで駆け寄り、布団を引きはがそうとする。そこには、年端もいかない子供に対する配慮も、王族に対する敬意も一切込められてはいない。
そんな女性の様子をレイニーが呆れながら観察していると、ようやく昼寝しているはずのリーファが不在であることに気がついたようで、意味不明な事をわめきながらおたおたと周囲を見渡している。
ベッドの下だのクローゼットの中だのを探し回り、何故かゴミ箱をどけて、と、部屋の中にいないことが信じられない様子で右往左往し、別に気配を消している訳でも隠れている訳でもないレイニーに一切視線を向けず、まるで持っていたはずの小物が見つからないような探し方をし始めた女性。その様子に、付き合いきれないとばかりに色々なフォローを投げ捨てて、レイニーは隣の部屋に移動した。
「どんな様子だ?」
「錯乱してヒステリックにわめきながら、赤子でも潜りこめないような場所を探してる」
「なんだそりゃ?」
「正直、何であの人連れて逃げてるのか分からない」
隣で待機していた自称お兄様に、レイニーが呆れた様子を隠そうともせずに女性の様子を伝える。流石のお兄様もそこまで駄目駄目だったとは予想外らしく、錯乱するにもほどがある女性の行動に深々とため息をつく。
「あの姉ちゃんも色々溜まってる感じだったが、そこまでとはねえ……」
「溜まってるのは分かるけど、まったく我慢しようとしてないから文句聞く気になれない」
「まあ、そうなんだがね。人間、あんまりないがしろにされるとなあ」
「王女が我慢してるのに、たかがお付きが我が儘言える道理がない」
「か~、厳しいねえ。ま、お兄ちゃんもそこら辺は同感だ」
レイニーのとりつく島もない言葉に、お兄様も肩をすくめながら同意する。せめて主張する内容が王女の健康やら何やらに配慮したものであれば、少しは話を聞く気にもなるのだが、あくまで彼女がわめき散らすのは自身の欲求ばかり。
こんな人材を王女付きにしている時点で、ウォルディスの内部事情が知れようものである。
「何の騒ぎですかな?」
そこへ、例によって協力者たちと接触し、何やら打ち合わせなどを済ませてきたらしいタオ・ヨルジャが帰ってきた。女性がわめいている声が外にまで聞こえているらしく、その表情は非常に怖い。
「見ての通り、またヒスを起こしてる」
「まったく困ったもんだ」
「……原因は?」
「本人に聞いてくれ」
タオ・ヨルジャ相手に、手抜き全開の対応をする裏稼業組。そんな彼らの態度に微妙に引っかかりつつも、とりあえずタオ・ヨルジャは女性をなだめることを優先する事にし、部屋から出ていこうとする。
「あ、そうそう。王女ちゃん、ついさっきファーレーンに保護されたから」
「……なんですと?」
「お兄ちゃん、場所とか何も聞いてないから、知りたきゃそこのファーレーンの姉ちゃん問い詰めてくれや」
お兄様の言葉を聞き、タオ・ヨルジャがレイニーを鬼のような形相で睨みつける。常人なら下手をすればそれだけで気を失いそうなそれを平然と受け流し、レイニーは自然体のまま周囲の気配を探っていた。
「……マルクト、人員増やした?」
「何がだ?」
「さっきからの騒ぎで集まってた連中、こっちに近付く前にどんどん数が減ってくから」
「そりゃ、護衛の増員ぐらいはするさ。遅かれ早かれあの姉ちゃんがやらかすのは火を見るより明らかだったからな」
「よくあれで、ここまで無事に逃げて来れた」
「まったくだ」
怒りに燃えるタオ・ヨルジャを綺麗に無視し、現状確認を始めるレイニーとお兄様。その会話に色々突き刺さるものがあったらしいタオ・ヨルジャが、ぎりぎり怒りを飲み込んで深呼吸し、確認すべき事を確認するために口を開く。
「殿下を保護したのは、いつ頃のことですかな?」
「まだ三十分は経ってない」
「その時、あの者は何をしておったのですかな?」
「大分お疲れだったから、お兄ちゃんがマッサージしてたんだ。途中までは大人しかったんだが、急に怒り出してさ」
「……なぜ怒りだしたのかは大体予想がつきます故ここでは触れませんが、いかにあの者が節穴であっても、それだけの短時間で確実に保護できたと断言できる手段で殿下を運び出して、全く気付かれずにすませられたとは信じられませんな。
転移魔法で運び出すにしても、この区画は某達が逃げ込んだ時点で、転移防御をかけたはず。完全に防げるようなものではございませんが、それでも転移の痕跡は残るものです。転移防御の範囲外までは、子供一人かついで三十分では不可能。一体どのような手段を使って、この短時間で保護したと断言できる場所に殿下を運んだのですかな?」
「そのあたりは企業秘密。わたしの口から説明する権限は与えられていない」
予想通り、詳しい事は一切話すつもりがないらしいレイニーに、飲み込んだはずの怒りと苛立ちが再燃する。その苛立ちを抑えきれず、声を荒げて詰め寄ってしまう。
「某に黙って殿下を連れ去ったその目的、いい加減に白状しろレイニー・ムーン!」
「あ~、やっぱりあんた、レイニー・ムーンだったんだ」
「いつ確認してくるかと思ったら、案外遅かった」
「いやまあ、そりゃお互いさまなんだが」
「別に密偵とか工作員とか暗殺者の素性なんて、任務を遂行出来ればどうでもいい」
「まあ、確かにそうなんだがね」
詰め寄ってくるタオ・ヨルジャを無視するような形で、レイニーとお兄様が余計な雑談を続ける。別に挑発する意図もなければタオ・ヨルジャをないがしろにしようと考えていた訳でもないのだが、結果として見事な挑発となり、タオ・ヨルジャの神経を逆なでする。
余談ながら、レイニーの側もちゃんとお兄様の素性やら何やらは全て把握している。ただし、関わりを持つのがこの任務の間だけなので、大した興味もなければ深入りする気もないと、警戒はしても確認を取りはしなかったのだ。
正直、男は上司としてのレイオットと愛しのハニーである宏以外、すべて平等にどうでもいい。
「話を戻すと、目的は単純明快。あなた達から王女を引き離して、単独で保護したかった。理由も単純明快。あなた達と一緒にいると、王女の教育に悪い」
「本当、お兄ちゃんとしても、一刻も早く引き離した方がいいっていうのは賛成だったんだよね~。教育的な理由で」
「貴様ら、どの口でそれを言うか!!」
再び口を開くより先に、レイニーとお兄様がリーファ王女を単独でファーレーンに避難させた理由を告げる。その理由を聞き、タオ・ヨルジャの怒りが大爆発する。
そもそも、リーファだけでも保護してほしいと言ったのはタオ・ヨルジャ自身なので、ここで怒りを爆発させるのはおかしい。レイニーがレイオットのもっとも重要な手駒なのは裏がとれている以上、間違いなくリーファはレイオットのもとで保護される。
だが、ひそかに持っていた目論見を完全に潰されたことで、今のタオ・ヨルジャは完全に頭に血が上っており、自身の言動の矛盾には一切が気付いていなかった。
「何にしても、これ以上あなた達にウォルディスの第二王位継承者をいいように利用させるつもりはない。これは、ファーレーンとマルクト、両国の総意」
「悪いが、あんた達は自分で何とかしてくれや」
そう最後通告を突き付け、その場から立ち去ろうとする裏稼業組。これ以上、個人的な復讐劇に付き合わされると、いつ国ごと巻き込まれるか分かったものではない。
「待て!!」
「今頃帰ってきたのですか、タオ・ヨルジャ!!」
立ち去るレイニーとお兄様を制止しようとし、お付きの女性の乱入で機会を逸するタオ・ヨルジャ。その間にさっさと離れていくレイニー達を見て、歯噛みする。
「あなたの要望で一時保護したのに、見捨てていいの?」
「お兄ちゃんはどんな女性でも愛しているが、誰でも救える訳じゃないんだよ、これが」
「無責任な男の言い分」
「さすがに、人の言う事に耳を貸さずにヒステリーを起こし続ける女は、お兄ちゃんの愛を持ってしてもどうにもならないんだよ、これが」
心の底から無念そうに言うお兄様に、そういうものかと何故か納得するレイニー。言ってることもやってることも間違いなく変態なのに、行動原理に一切性欲が絡んでいない事だけはどう言う訳か納得できてしまう辺り、なかなか特殊な変態である。
その特殊性ゆえに、レイニーにはお兄様が本当に断腸の思いで女性を見捨てざるを得なかったのが分かってしまうのだが、恐らくこの見解について共有できる相手はそれほどいないだろう。
「さて、依頼人に報告、だな」
「こっちも、王女について確認」
「なら、ここでお別れだな」
「もう二度と会わない事を祈ってる」
「だな。仮に次に会う必要があっても、できれば敵対せずに済ませたいな」
その職務の性質上、彼らが偶然といえども顔をあわせるという状況は好ましいものではない。故に、好悪の感情とは無関係に、二度と会う必要がない事を祈らざるを得ない。
そんな密偵同士のお約束とも言える別れのあいさつを交わし、それぞれの職務のために違う道を歩むレイニーとお兄様であった。
一方、オクトガルがリーファを拉致した時間帯のファーレーン大使館。
「確保~」
「捕獲~」
「拉致監禁~」
「身代金~」
「遺体遺棄~」
「洒落になってない上に国際問題になりそうな連想ゲームは慎んでいただきたい」
状況的に何処までも洒落になっていない連想ゲームを伴い転移してきたオクトガルに、ファーレーン大使館に駐在している大使が渋い顔で苦情を言う。
そんな会話を夢うつつのまま聞き流していたリーファは、自身の身体が優しく何かの上に横たえられた事に気がつく。柔らかい感触から、少なくとも何か敷物は敷かれているだろう。そのまま熟睡したくなる誘惑に負けそうになりつつ、流石にそろそろ自身が特殊な状況に置かれている事を悟り、どうにかこうにか眠気に逆らって身を起こそうとする。
「無理に起きる必要はありませんよ」
そんなリーファに、優しげな女性の声が聞こえてくる。声の感じから、恐らくリーファとさほど変わらない歳の少女であろうが、今までの自身の環境を考えると、近くには絶対に存在し得ない種類の人間だ。話し方に品があるので、恐らく上流階級の人間であろう。ある意味では、リーファにとって最も警戒すべきタイプの存在だ。
逃亡中はタオ・ヨルジャとお付きの女性が片っ端から追っ払っていたので、こんな風に直接声をかけられるような距離に自分と同年代の子供が近付いた事は一度もない。マルクトとファーレーンから護衛を兼ねた密偵が送り込まれた現時点でも、恐らくそのあたりの対応は一切変わらないはず。
眠気故に回らない頭でそこまで考え、その意味に気がついて一瞬で眠気が吹き飛ぶ。身を起こせずに敷物に身体を預け、今まさに熟睡しようとしていた体勢から一気に跳ね起きる。
「ここはどこ!?」
「ここは、ファーレーンの大使館です」
「ファーレーンの大使館? 来たのは私だけ?」
「はい。残りのお二人は、ファーレーンで受け入れるには色々と問題がありまして、申し訳ありませんがリーファ様だけをお連れする事になりました」
周りをせわしなく見まわし状況を把握しようとするリーファの質問に、先ほどの少女の声が優しく答える。一通り身の回りを確認し、知った顔が一つもない事を把握したところで、声の主に視線を向ける。
自分が寝かされているベッドのそばにいる少女を観察し、リーファは絶句した。
リーファの世話をするためにそばにいてくれたと思われる少女は、美しい銀の髪に深い青色の瞳の、まだまだあどけないながらも実に美しい容姿をしていた。声から予想したように、やはり歳の頃はリーファより少し上ぐらい。同年代より発育がいいが、それでも三つも四つも歳を間違えるほどでもない。
気品あふれる立ち居振る舞いに慈愛に満ちた笑顔、一言一言に気遣いが感じられるその言葉。ファーレーンの関係者でそれらの特徴に一致する人物など、現時点では一人しかいない。
「もしかして、エアリス王女?」
「はい。アルフェミナ様の姫巫女をさせていただいております、エアリスです。兄の要請を受けリーファ様をお迎えにあがりました」
自分を迎えに来たとんでもない人物に、再びリーファが絶句する。今やエアリスは、権威だけで言えばほとんどの王家と並び立とうとする位置に来ている。色々理由はあるが、やはり決定打となったのはローレン王の自害を食いとめた事であろう。
本人は無自覚だが、あの一件でエアリスは、他国の王すら翻意させることができる存在だと証明してしまったのだ。それまでの大小さまざまな功績もあり、すでにアズマ工房と並んでその影響力は国境を超えるものとなっている。
そんな人物がわざわざ迎えに来る。迎えに来たエアリス自身がどう思っているかはともかく、政治的な面では色々と予想を超えた進展をみせている可能性が高い。
「あの、私……」
「色々と思う事はあるかと存じますが、今は難しい事は考えないでください。政治的な価値とは関係なく、ファーレーン王室はリーファ様を保護させていただくことに決めたのです」
「でも、私を受け入れても、ファーレーンにメリットは……」
「そういう事は、全て父と兄が考える事です。今はリーファ様は、ただご自身の身の安全だけをお考えください。その結果生じた問題については、全てファーレーンが引き受ける覚悟ですし、その事についてリーファ様に何かを求める事はありません」
「払える対価もないのに、そこまで厚意に甘えるのは……」
「リーファ様がファーレーンにいらしてくださる。それが、最大の対価です」
なおも尻込みするリーファに対して、エアリスがきっぱり言い切る。実のところ、ウォルディスの第二王位継承者という肩書は、現状においてはリーファ自身が思っているより価値がある。
それに、たとえその肩書に価値がなかろうと、リーファという幼く力のない少女をウォルディスのようないわくつきの大国から保護するのは、それだけでファーレーンという国の名声を高め、国際的な発言力を向上させる。それ以上に、日頃黒い話も多い国家中枢からすれば、たまにはリスクを取ってこういう人道的な判断をするのは、精神衛生の面でかなり重要だ。
どう転んでも最終的にウォルディスと事を構える結果になりつつある現状、リーファを保護することで被るであろう不利益は、既に不利益ではなくなっているのだ。
もっとも、レイニーがリーファの人品自体には問題ないと判断した時点で、ファーレーンにとって最大の利益は、エアリスに同性でまともな感性をした歳の近い王族の友人ができるかもしれない事だったりするのは、あまり表に出せないここだけの秘密だが。
「国がどうとかそういう事に関係なく、私はリーファ様がファーレーンにいらしてくださると、とてもうれしいです」
「えっ?」
「いらして、くださいますか?」
「……はい」
エアリスのストレートの剛速球に、思わず顔を赤くして頷くリーファ。恐らく、エアリスに真正面からそう口説かれて、首を縦に振らない人間はそうはいない。
更に恐ろしい事に、リーファが陥落した瞬間、エアリスの表情が花がほころぶような笑顔に劇的に変化したのだ。その笑顔を直視してしまったのだからたまらない。その実に無邪気で嬉しそうな笑顔に、荒んでいたリーファの心が完全に持っていかれてしまった。
それまでも基本的には微笑みを浮かべ続けていたエアリスだが、その表情はあくまで相手に余計な警戒心を与えないようにするための外交用のものだったらしい。それができるぐらいには、目の前の聖女が経験豊富でしたたかな人物であると分かっているのだが、そんな事に関係なく、リーファはその笑顔だけでエアリスの事が好きになってしまっていた。
「では、せかすようで申し訳ありませんが、早速ウルスへ行きましょう。オクトガルの皆さんも、アルフェミナ神殿でおそばを用意しますので、もう少しお待ちくださいな」
「おそば~」
「たぬき? たぬき?」
「山かけラブ~」
「カレー南蛮がいいの~」
そばと聞き、それまで空気を読んで大人しくしていたオクトガルが突然騒ぎだす。今まで存在に気がつかなかった謎生物たちにびっくりして、思わずリーファが目を丸くしていると、
「オクトガルの皆さんについては、ウルスで食事を用意した時に紹介させていただきます」
「それはいいのですけど……」
「転移魔法を使いますので、ウルスまではすぐです。身支度をしていただくために一度アルフェミナ神殿に飛びますが、神殿とウルス城はつながっていますのでご安心ください」
「えっと、ここから転移魔法で跳べるのですか?」
「ファーレーン王家の血統魔法ですから。それでは行きます」
その言葉に、リーファはファーレーン王家が時空神アルフェミナの加護を色濃く受け継いでいる事を思い出す。直接の攻撃力は低いファーレーン王家の血統魔法だが、トータルでは単なる攻撃特化の王家よりはるかに厄介で戦闘能力が高い。
もはや敵に回す事が確定したファーレーン王家の情報を思い出し、ウォルディスで権力争いをしている連中はその事をどう意識しているのかとふと思ってしまうリーファ。もっとも、次の瞬間にはもはやどうでもいい事だと思いなおすのだが。
そんな風に意識がそれている間に周囲の光景が一変し、荘厳な雰囲気をたたえる広間に化ける。
「リーファ様は、食事はどうなさいますか?」
「えっと……」
エアリスに問いかけられ、少し考えて返事をしようと口を開き、声に出そうとして言葉が出ずおずおずと頷く。よくよく考えてみれば、最後に食事を取ってから随分時間がたっている。時差のおかげでウルスではそろそろ夕食らしく、この広間にもかすかに料理の香りが漂ってくる。
「では、大したものではございませんが、食事を用意させていただきます」
割と素直に頷いたリーファを見て、どことなく嬉しそうに微笑みながら控えていた神官に指示を出す。
「それでは、こちらへどうぞ」
エアリスに案内され、来賓用の居室へ通されるリーファ。神殿ゆえにそこまで華美でも立派でもない部屋だが、身支度を整えるまでのつなぎとしてみれば、十分どころか過剰と言っても言い過ぎではない部屋である。
「今、食事と着替え、それからお風呂の用意を指示していますので、もう少々お待ちください」
「はい」
「……あまり、硬くならなくても大丈夫ですよ」
「……えっ?」
「今は公式の場ではありませんし、本来身分的な話をするのであれば、私は王位継承者であるリーファ様より下の立場になります。ですので、そんなに堅苦しくかしこまらず、普段通りの言葉遣いで問題ありませんよ」
「えっと……」
ニコニコと微笑みながらそんな事を言い出すエアリスに、本日何度目かの戸惑いの声を漏らすリーファ。厳密にいえば確かにエアリスの言う通りなのだが、現実を考えるならリーファがエアリス相手に気安い口をきける訳がない。そう口にしようとして、悲しそうに微笑むエアリスを直視して口をつぐむ。
「ど、努力はしてみ……ます」
「はい」
タオ・ヨルジャ相手にしていたのと同じ口調で話そうとして結局敬語になるリーファに、エアリスが小さく苦笑する。
「おそば~」
「山かけ~」
「たぬき~」
「月見~」
「カレー南蛮~」
仲良くなろうと微妙に不器用な事を続けている少女二人の周りを、厨房でそばをもらってきたオクトガル達が見せびらかすように飛びまわる。その手に持っているどんぶりから漂ってくる不思議な香りに、リーファのお腹が小さく鳴る。
「もうすぐ届くと思いますので、少しだけ我慢してください」
「……うん」
お腹の音が漏れたことに顔を赤くし、自然とエアリス相手に気安い返事をするリーファ。気がつけば、ほんの少し仲良くなっている少女達であった。
「ここが、氷の花を育てている畑だ」
「……すごい」
フレディに案内された先には、色々な種類の花が所せましと植えられていた。全て透き通った氷でできており、なかなか見ごたえのある景色が広がっている。
「この花は、平均気温が氷点下十五度以下でかつ神域で、常に雪が存在する環境でしか育たぬ。大霊窟の先は世界樹の力によって普通の作物に適した気温になっているから、事実上ここでしか育たないという事になるな」
「これ、全部もらってってええか?」
「ああ。種はいくらでもあるし、環境さえ整えば一週間で育つからな。我らにとってはただの花だが、お客人には価値があるのだろう?」
「凄い重要な物資や」
フレディの問いかけにそう答え、咲いている花を根こそぎ回収し始める宏。物がものだけに、通常なら保管にもあれこれ気を使う必要があるのだが、こんなときにも腐敗防止の倉庫はその威力を発揮する。たとえ氷だろうが雪だろうが、腐敗防止の倉庫に突っ込んでおけば溶けることなく保管できるのだ。
「そういえば、種類によって何か違いがあるの?」
宏を手伝って花を収穫していた春菜が、ふと思った疑問を口にする。全部氷なのでさほど違和感はないが、ひまわりにタンポポに百合にバラ、パンジーと、咲いている花は種類も季節もばらばらである。何か意味があるのではと考えるのは、むしろ当然だろう。
「ちょっとずつ用途はちゃうけど、種がちゃうんかどうかまでは知らん」
「一応、種類ごとに種は違う。もっとも、たまに違う種類の花が咲く事はあるが、我らにとってはクレスターに卸す値段が時期によって若干違う程度故、特に気にはしておらん」
「さよか。っちゅうことは、品種改良とかもやってへん訳か」
「それほど派手に需要があるものでもないからな」
「まあ、せやろうなあ」
フレディの補足説明に納得した宏が、パンジーの中に混ざった百合を見てなるほどと頷く。種が混ざっている可能性もあるが、大して問題になっている訳でもなさそうなので追及するのはやめておく。
種で増える種類ではない花が混ざっていることについては、そもそも見た目が似ているだけの違う植物なので突っ込むのは無粋であろう。見た目は百合だが、球根から育っている保証は無いのだから。
「そうそう。雪麦ってどんなの?」
「見た目は普通の麦だが、火を通さずとも食えるのが特徴だな。すりつぶして雪に混ぜて生地を成型、一時間ほど乾燥させると固まって食えるようになる」
「へえ。見せてもらっていい?」
「そう言うだろうと思って、フローラとアクアに取りに走らせている」
春菜の要求を先読みしていたらしく、フレディは既に雪麦をはじめとしたさまざまな特産品を取りに走らせていたらしい。春菜にそう答えてすぐに、双子の巫女が色々入った籠を背負い、風呂敷包みを手に戻ってくる。
「色々用意してきました」
「まずは、雪麦の饅頭です」
そう言って手渡された饅頭を手に取り、しげしげと観察する春菜。割ってみると、シャリシャリとした感触のひき肉のようなものが入っていた。
「これ、何?」
「氷食い鳥の胸肉をひき肉にしたものです。火を通さずに食べられる、わたくし達にとって貴重なタンパク源です」
「あ~、料理に火を使ったりできないから、生で食べられるお肉じゃないとダメなんだ……」
「まったく火を使えない訳ではありませんが、せいぜい一品焼き物を作るのが限界で、それすらも火を通した後に完全に冷やさねば食すことが難しいですね」
フローラの説明に納得し、まんじゅうをかじってみる春菜。ひんやりシャリシャリとした不思議な食感と、思った以上にしっかりとした味がする鳥のひき肉とが良くマッチしており、なかなかうまい。
難を言うならば、一般的な人間種族がこの気温のもと食べるには、いろんな意味でつらい料理であることだろうか。
「他にも氷菜とか吹雪芋とか、この土地で手に入る食材を一通り用意いたしました」
そう言いながら、収穫作業を中断した宏達にどんどんと食材を手渡していくアクア。渡された食材をしげしげと確認し、少しちぎって味見などをしてみる宏達。
「どれもこれも凍っとる以外は、基本見た目通りの味やな」
「火を通さずに食えるってのはありがたいが、身体が冷えるのが難点か」
「料理するにもいろいろ気を使いそう」
宏の感想に、達也と澪も便乗して思う所を述べる。凍っている事が特徴であるなら、調理の基本である加熱を行う際にはかなりの工夫が必要そうだ。
「このイチゴっぽいの、かじったら炭酸みたいにシュワっときたわよ」
「えっ? 本当?」
「ホントホント。試してみなさい」
真琴の言葉に好奇心をそそられ、まだ試していなかったイチゴっぽい果物をかじってみる春菜。確かに、かじった瞬間に炭酸のような刺激が口の中に広がる。
「これ美味しいし、面白い!」
「なる品種とならない品種があるみたいね。さすが神域の食材って感じかしら」
「これだと、下手に手を入れないでこのまま食べる方がいいよね」
などと、すっかりイチゴもどきの味に嵌ってしまった春菜と真琴につられ、試してみようと手にとったところで、宏と達也の動きが止まる。
「ん? どうしたのよ?」
「いや、いつの間にか視線に囲まれてる事に気がついてな」
「言われてみれば……」
達也に言われ、いつの間にか自分達が囲まれている事に気がつく真琴。春菜と澪も怪訝な顔をして周囲を見渡す。
そんな一同の行動に自分達のことがばれたと判断したらしい。隠れていたスノーレディがあちらこちらから姿を現す。その数、ざっと五十人強。
「また、一杯来たわね……」
「すまんな。種族的に男と聞くと確認せん訳にはいかん連中でな……」
「スノーマンはいいわけ?」
「我らは交配できる時期も交配できる条件も決まっているからな。一応スノーレディ以外となら相手の種族に関係なく交配できるが、残念ながらいつでもという訳ではない」
「へえ。スノーレディとセットになってるから、似たようなものかと思ってたわ」
「恐らく、足して二で割れば丁度いいのだろうな」
真琴の失礼な感想に、特に怒るでもなくさらっと微妙な事を言いだすフレディ。この雪だるま、まじめ一辺倒という訳ではないらしい。
そんな感じで微妙に能天気な話をしていた真琴とフレディの前で、状況が新たな展開に移る。互いにけん制し合っていたスノーレディの集団の中から、一人のやや幼さが残る人物が前に歩み出てきたのだ。
大人しそうな容姿と雰囲気を持つその少女の意外に大胆な行動に、おもわず息をのんで見守ってしまう春菜達女性陣。そんな視線にビビりながらも足を止めることなく、おっかなびっくりという感じで達也の前まで移動する。
「あの……」
「大体予想はできるが、用件は?」
「余りご迷惑をかけたくないので、これに子種を入れていただくという形で妥協していただけないでしょうか?」
そう言って、妖艶な雰囲気と大人しそうな雰囲気を両立させている少女が差し出したのは、一本の試験管。
「結局子種を要求するのかよ!」
「外界では、本番まで至らなければ浮気ではないと聞き及んだので、心に決めた方が居てもこれならばと思ったのですが……」
「そういう問題じゃねえ!!」
かなりピントのずれた要求に、思わず本気で絶叫する達也。それをきっかけに、スノーレディの間で侃侃諤諤の議論が巻き起こる。
「試験管なんて失礼にもほどがあります!」
「そうよ! 一方的に子種を要求するのですから、身体を差し出して楽しんでいただくのが当然の礼儀でしょうが!」
「心の通わぬ体だけの行為に耽るぐらいなら、子種だけいただく方がまだ失礼ではないでしょうに!」
「そもそも、わたくし達に行為を通じて子種を提供したせいで、いくつの家庭が壊れたと思っているのですか!?」
「大体、好きあっている訳でもない男に抱かれるなど、いくら子供が欲しくても許容できるものではございませんわ!」
聞けばどっちもどっちの失礼さ加減を伴った議論を、男の前で堂々と始めるスノーレディ達。会話を聞けば聞くほど、少なくともファムとライムを連れてくるのはまずそうな気がしてくるあたりが救えない。
年長者の立場からすれば、本来なら澪も遠慮してほしい所ではあるが、正直ここに来る前から既に色々手遅れなので考えないことにしている。恐らく、その事を責められる人間はいまい。
「いい加減にせんか!!」
「本当に、この人たちもうやだ……」
余りに赤裸々で身も蓋もない議論に切れたフレディが、大音量で雷を落とす。その雷をバックに、アクア達と出会った時と同じ感想を心の底から吐き出す春菜であった。