第7話
「モルドポートも、港はウルスとそんなに変わらないんだ」
「まあ、ファーレーンとファルダニアは兄弟国やし、でかい港の風情はそないに変わらんやろうなあ」
ファルダニアの玄関口、モルドポート。天候と海流に恵まれ、リジャール港を出港してから六日ほどの旅で、ついに一行はファルダニアの地に足を踏み入れていた。
流石にファーレーンから分かれただけあってか、ファルダニアの港町であるモルドポートの雰囲気は、ウルスやカルザスなどによく似ている。
無論、首都ではないモルドポートはウルスほどの規模は無い。だが、五つしかないファルダニアと他国を結ぶ港だけあって、その活気はウルスに勝るとも劣らないものである。
「ちょっと変わった匂い」
「これはファルダニアの伝統的な調味料、ヨーズの匂いだよ」
「へえ、そんなのがあるんですか」
「この大陸でしか採れない香草をすりつぶしたものに、いくつかの香辛料を混ぜて火を通したものなんだ。少し変わった甘味にほのかな酸味がある独特の風味と、この香りが主な特徴かな」
春菜が嗅ぎ分けた不思議な匂い。その正体をアヴィンが解説する。その説明を聞き、料理人としての好奇心がうずく春菜。
「そのヨーズって言う調味料、私達でも手に入りますか?」
「ファルダニアならどこでも買えるぐらいメジャーなものだから、大丈夫だよ」
アヴィンの言葉を聞き、どこかうきうきとした様子を見せる春菜。その土地で伝統的な調味料は各家庭で自作している場合もあり、メジャーであるが故に他所者だと手に入らないケースも多々ある。今回はどうやら流通にも乗っているようで、ありがたい事に他所者でも入手可能らしい。
「変わった甘味って、どんな感じなんだろう?」
「気にすると思って、買ってきた」
春菜の疑問に答えるべく、手近な食堂の店先で売られていたホタテっぽい貝柱の串焼きを人数分買ってくる澪。ちゃんとヨーズを使っている、というよりヨーズ以外で味付けをしていない事を確認している。
「殿下とエルもどうぞ」
「ありがたく御相伴にあずからせてもらうよ」
「ありがとうございます」
澪に手渡され、嬉しそうに串を受け取るアヴィンとエアリス。本来なら毒見が必要な立場の二人だが、澪が大丈夫だと判断し、既に串を受け取って食べている宏が何も言わないのだから大丈夫なのだろうと、本人も周囲もまるで気にしていない。
「……微妙、だな」
「あたしはありだと思うけど」
「好き好き、っちゅう感じやな。僕はまあ、出されて食えんほどやないけど、進んで食べようっちゅう気になるほどでもない、っちゅうとこやわ。田楽味噌なんかとおんなじで、あかん人にはとことんあかん気ぃすんで」
「私はこういうのも結構好き。澪ちゃんは?」
「ボクは苦手」
割と綺麗に別れた評価に、アヴィンが興味深そうな顔をする。
余談ながら、宏が食べ終わった串には、いつの間にか芋虫が這い寄ってタレを舐めていたりする。現状では動物性たんぱく質の類は抜け毛ぐらいしか口にせず、貝柱にも一切興味を示さない芋虫だが、基本植物だけで構成されているこの串焼きのタレは気になったらしい。
もっとも、到着して一分もたたないうちにまた宏の身体に戻っている所を見ると、それほど好みではないのは間違いなさそうだが。
「びっくりするほど好き嫌いが分かれているね」
「思ったより癖が強いから、食べて育ってる人以外には万人向けとは言い難いと思います」
「なるほど。私もエアリスも特にまずいとか苦手だとかは思わなかったから、そんなに癖が強いとは思っていなかったよ」
「あの、お兄様。まずいとも苦手だとも思わなかっただけで、私も少し癖が強いと思っていたのですが……」
エアリスにまでそう言われ、食べた人間全員の表情を確認するアヴィン。宏達はもちろん、ドーガすら癖が強いという言葉に同意するに至り、ずれているのは自分の味覚の方だと確信し少々落ち込む。
そんな様子に我関せずといった感じで、のたのたと宏の背中の定位置に移動し、よっこらせっとばかりにしがみついて動きを止める芋虫。
「まあ、殿下はこの国に骨をうずめる訳ですし、この国の料理や調味料に馴染めるのはいい事だと思いますよ」
そんなアヴィンの心境を察し、春菜がそんなフォローを入れる。実際問題、女王の婿になりに来たという事情を考えるなら、アヴィンがヨーズを癖が強いと思い、苦手だと感じる事の方がはるかに問題がある。好みの問題ゆえに何でもかんでも無条件で受け入れなければいけないとまでは誰も言わないだろうが、ヨーズのようにその国で口にしない日は無い調味料がダメ、となるとかなり厄介なことになる。
そもそもの話、元々ファーレーン人とファルダニア人は同じ人種で、国としての交易も盛んなので、食べているものもそれほど違いは無い。なので、日本人には癖が強いヨーズも、ファーレーン人だとそうは思わない人がいるのはおかしなことではない。ファーレーンからの随行員の中にも、アヴィンと同じくヨーズを癖の強い調味料だと感じていない人間が居るのが、その証拠であろう。
別に、アヴィンの味覚がおかしい訳ではないのである。
「あの、そろそろよろしいでしょうか?」
「ああ。待たせてすまないね」
そんな風に和気藹々と港の風情を楽しんでいた一行に、迎えと思わしき人物が恐る恐る声をかけてくる。宏達にファルダニアの港を感じてほしいというアヴィンの意向で、迎えに来た外交官に少し待ってもらっていたのだ。
「それでは、王宮までご案内させていただきます。本来なら馬車でこの国を見ていただきたいところではありますが、日程が押してしまっていますので、申し訳ありませんが転移陣で一気に首都まで移動させていただきます事をご了承ください」
そう言って頭を下げ、一行を馬車に誘導する文官。三台ほどの馬車はそのまま寄り道なしで行政区画にある転移陣まで移動、あっという間に王都リュージェントに到着する。
モルドポートの港湾区からリュージェント城まで、一時間足らずの旅であった。
ここで、少しだけファルダニアという国について説明しておく。
何度か出てきたように、ファルダニアはファーレーンから分かれで出来た国である。ファーレーンの三代目国王オルソンの弟リュージェントが、継承権争いになる事を恐れ、父である二代目国王ランタートの許可を得て西の海を乗り越え、隣の大陸に作った国だ。
その時の歴史的経緯については色々あるが、長くなる上に直接関わってくる要素はほとんど無いため割愛する。ただ、一つだけ断言できる事は、その建国においてファーレーンは多大な支援を行いながらもその事を恩に着せることはせず、ファルダニア側も建国時に受けた支援、その恩義を忘れた事は無いという事実であろう。
その事実ゆえに、ファーレーンはファルダニアを常に対等の国として認め遇し、ファルダニアはファーレーンを大恩ある兄として一歩へりくだった態度で接し続けている。
ファーレーンとファルダニアの間にある海は、丁度太平洋と大西洋の中間ぐらいの広さがあり、無数の島々が浮かんでいる。その中でも特に大きなものがリジャール港があるリドーナ諸島で、天気が良ければ互いが辛うじて目視できるぐらいの距離で大小数千の島が点々とつながっている。その島々が大きな弧を描き、北と南でファルダニア大陸とつながっており、この島々とファルダニア大陸の間の海はリドーナ海と呼ばれている。
この海域は良港も多いが難所も多く、船にかなりの性能がなければ、リジャール港から直接最短距離でモルドポートまで航海するのは不可能。ウルス湾が面するローランディア海も、境界線であるローランディア諸島を超えたあたりに同じような難所が集中しており、普通の船では大きく迂回せざるを得ない。
結果として、王族や海軍、一部の大商人が持つ船でもなければ、ファーレーン-ファルダニア間は最短でも一ヶ月半はかかる事になるのである。
そんな天然の国境に守られているファルダニアだが、国としては海洋国家である事以外にこれといって特筆すべき点は無い。産業はほぼファーレーンと同じで、せいぜい作物の構成が違う程度。海には難所も多いが、陸に上がると大霊峰のような天然の要害は存在せず、せいぜい未開地に草原型のダンジョンがあるぐらいしか特徴と呼べるものは無い。
良くも悪くもファーレーンの弟分、それがファルダニアという国の現状であり、ファーレーン以外の国の認識でもある。
「ようこそ、ファルダニアへ」
宏達が控室代わりの応接間に通されたところで、ソファに腰掛けて待っていた身分が高そうな美女が、立ち上がって歓迎の言葉をかけてきた。
「このたびはおめでとうございます、お義姉様。お兄様の事、よろしくお願いします」
「ありがとう。こちらこそ、アヴィンに色々と頼らせてもらうわね」
声を掛けられて、真っ先にエアリスが挨拶をする。その言葉で、目の前の美女がファルダニアの次期女王・プレセアである事を察するアズマ工房一同。
どう対応すべきかとお互いに目線で相談しつつ、それとなくプレセアだと思わしき女性を観察。非公式の場ではあるが、いわゆるマナーの類がファーレーンと同じであれば、言葉づかいそのものは敬語として成立していなくても問題ない代わりに、宏達の側から声をかけるのは無礼にあたる。彼女の持つ雰囲気や歓迎の言葉、エアリスとの会話などから、余程礼を失した言動をしない限りはこの場でのそう言った細かい粗相など気にもしなかろうが、それでも一応注意しておく必要はある。
そんな状況でもマイペースさを崩さず、定位置でぼーっとしている芋虫が妙に頼もしい。
「あら、私とした事が、失礼な真似を。ファルダニア王国第一王女のプレセアです。久しぶりにエアリスと会ったのがうれしくてつい、本来の客人であるあなた方を無視するような形になってしまいました。申し訳ありません」
そんな宏達の間の空気を察したようで、アヴィンと一言あいさつを交わしたところで、謝罪とともにプレセアが名乗る。
「アズマ工房の工房主の東宏です。このたびはほんまにおめでとうございます」
「ありがとう。今回は大変でしたね。無理に呼びつけたようなものなのに、貴方とハルナ殿だけトラブルに巻き込まれる結果になったようで、本当に申し訳ありません。さっきの事といい、重ね重ねお詫び申し上げます……」
「そこも気にせんといてください。別にプレセア様が悪い訳やありませんし」
宏の返事に、一緒に巻き込まれた春菜も頷く。海に落とされたのはレーフィアの関係者の犯行だし、挨拶にしてもアヴィンやエアリスを優先するのは身分的にも立場的にも当然である。それを盾に長々と放置されたのならともかく、エアリスやアヴィンとの挨拶も一言二言で終わっている。待たされたと言うほどのものでもない。
はっきり言って、形式上の謝罪すら必要ないぐらいの事だが、プレセアは一連の事件を気にしているらしい。過剰といえるほど色々気にかけてくる。
「ああ、せやせや。結婚のお祝いに贈り物用意したんですけど、大丈夫ですか?」
「もちろん」
高貴な方々に対する贈り物、という事で念のために確認した宏に、笑顔で問題ないことを告げるプレセア。これが下心満載の商人や職人が、ようもないのに結婚を口実に無理やり持ちこんだのであればアウトだが、宏達はファルダニアが直接招待した人間だ。招待客からの贈り物を受け取るのは、当然何の問題も無い。
「えっと、贈り物は誰に渡しとけばええんでしょうか?」
「後で宰相に預けていただければ問題ありません」
「了解です」
プレセアの指示に従い、この場では目録だけをお付きの人に預ける宏。その様子を眺めていたエアリスが、好奇心に負けて質問をする。
「ヒロシ様、お義姉様にはどのようなものを?」
「細々としたもんは色々あるんですけど、目玉は羽毛布団と枕、敷き毛布ですわ」
「羽毛布団にまくら、敷き毛布ですか。……もしかして?」
「羽毛はジズのを使うて、霊布でくるんだ布団と枕です。季節も気温も関係なく安眠が約束されとる上に、ベッドにあわせて大きさが自動的に変わり、どんなに汗とか吸収しても絶対汚れへんでダニとかも寄せ付けん優れもんです。敷きパッドはベヒモスの鬣からええ感じのんをより分けて、肌触りとクッション性、寝心地をとことん追求した、これまた最高の一品やと自負する敷き毛布ですわ。サイズとか汚れ、ダニなんかに関しても羽毛布団と同じです」
最高級品どころか伝説級の一品を献上され、表情の選択に困るプレセア。逆に、ある程度予想はしていたらしく、アヴィンとエアリスは苦笑するだけで済ませている。
なお、この布団、あり余る船上生活の時間でせっせとこしらえたものだ。材料はいくらでもあり、船に持ち込めないような器具が必要な作業も特になかったため、格好の時間つぶしになっていたのである。
「新生活やから、っちゅう事で最初はソファーとかも考えたんですけど、どんぐらい用意するべきか分からんかったんで、二組用意すれば確実に足る布団と枕のセットにさせてもらいました」
「……心づかいは非常にありがたくて、頂いたもの自体は非常にうれしいのですが、ものが凄すぎてどう反応すればいいのか……」
「気持ちはよく分かるよ。我々も、彼らと関わり始めた頃は色々と予想を超えるものを用意してもらって、どう反応すればいいか困ったものだから」
愛しい婚約者の心境を察し、苦笑交じりにそう口を開くアヴィン。ワイバーンの竜田揚げからこっち、一度たりとも予想の範疇に収まってくれた事がない宏の献上品には、驚き疲れるほど驚かされ続けてきた。そういうものだと割り切って慣れるまで、さほど時間がかからなかったのも当然であろう。
「最近では、アヴィンお兄様もレイオットお兄様も、割と驚かなくなってきましたよね」
「そりゃあね。まず間違いなくこちらの予想を上回ってくるんだから、慣れもするよ。それでも、半月前のジズに関してはかなり驚いたけどね」
「まるで山、でしたからね」
全長一キロの鳥。文字で書くとただそれだけだが、実際に地面に横たわっているのを見れば、その衝撃は計り知れない。エアリスの言葉通り、突然新たに中規模の山が空から降りてきたようなものなのだから、驚かない訳がないのだ。
腹の上は一番高い所で標高数百メートル。ウルスにあるどの建物よりも高い。そのため、東地区と北地区の東側だと大概の場所から鳥の腹が見えるという異常事態が起こっており、あの日はかなりの騒ぎになっていた。それでも、アズマ工房が絡んでいるという情報が広まった途端に騒ぎの質がパニックから野次馬に切り替わったあたり、ウルスでの彼らの立ち位置が良く分かる話である。
あの時宏達が言った、むしろウルス近郊でよかったのではないか、という言葉。それを住民自ら証明してしまったのであった。
「それはそれとして、もしかして、どこかから私達の寝具を調達していたりするのかい?」
「特に新しいものを注文した訳ではないのだけど、叔父上や世話になっている商人なんかから、かなり高級なものが献上されてはいるわね」
「複数、かい?」
「ええ。具体的には同じような組み合わせのものを五組ほど。まあ、こんな時に考えることなんて、基本的にみんな同じですものね」
少々面倒な話に、微妙に苦笑するアヴィン。正直な話、王族の結婚祝いに関しては、この手の贈り物がかぶるのはもはや宿命とも言える。それをいかに采配するかも実力の見せどころではあるが、今回に関しては王弟殿下からの贈り物と重なった上に、こちらの方が圧倒的にいいものなのが厄介なところだ。
宏からもらった寝具を使えば王族で目上の人物である叔父の顔を潰し、かといって伝説級の寝具を死蔵するのもそれはそれで反発を買う。どちらも腹心の誰かに下賜するなんてもってのほかで、では宏がくれたものを父である現王に譲ればというと、それはそれで恐らく王がいい顔をしない。
そのあたりの面倒事を察したらしい宏が、助け舟として王族にとって非常に重要な情報を口にする。
「面倒事の回避に役立つかどううかは分からんのんですけど、その布団には子宝祈願のエンチャントが施してありまして、子供が授かりやすくなるんですわ」
「……それは本当ですか?」
「はい。もう十分子宝授かった思ったら機能を切ることもできますんで、子供出来過ぎてっちゅうのんも避けられます。まあ、下世話な話すると、こんなエンチャントなくても、授かるときは授かるんですけどね」
子宝に恵まれない国王や女王というのは、いろんな意味で非常に面倒なことになる。特に女王の場合、面倒なだけでなく非常に屈辱的な思いをすることになるし、その配偶者も肩身が狭くなる。現実問題、ファルダニアは直系が高齢になってから授かったプレセアしかおらず、側室も子宝に恵まれなかったため、現王も王妃も側室も非常に肩身の狭い思いをしていた。
運よくファルダニアはダール同様女王でも問題のない国で、プレセアが次期女王にふさわしい品格と実力を持ち、留学先でアヴィンというこれ以上ない王配候補を捕まえて来てくれたから良かったが、そうでなければ三つの公爵家とまだ三十路半ばの王弟殿下との間で、洒落にならない種類の継承権争いが勃発していた可能性が高い。
実際、プレセアが生まれるまでの十五年ほどは、現王を廃して王弟殿下に王位を譲るべきだと言う意見が公然とささやかれていたし、プレセアが生まれてからも彼女が才覚を示すまでは王弟派がなかなかの発言力を持っていた。
幸いにして現状は王弟殿下が王位の継承を厭い、アヴィンとプレセアの結婚式が終わったらとっとと適当な嫁捕まえて臣下に下ると断言しているためいろいろと落ち着いているが、これで二人の間に子供ができなければ、再び同じ事の繰り返しになる可能性が高い。
そもそも王弟殿下とてお家騒動を嫌って独身を貫いているため、子供を授かるかどうかなど分かったものではないのだが、分裂をあおる人間はそういう所にはわざと目をつぶるのが常である。
そんな経緯があるので、ファルダニアにとって王家の子宝は非常に重要な要素となる。今回のケースなら、子宝が授かりやすくなる布団だというのは、王弟殿下の顔を潰さずに伝説級の寝具を使う格好の口実だろう。
「いろんな意味で、その機能は助かります」
「まず真っ先に私達に求められるのが、新たな直系の王族だからね」
布団につけられた機能について、とてもうれしそうに感謝を述べるプレセアとアヴィン。特にプレセアにとっては、ファルダニア王家として切実なだけでなく一人の女性としても愛する男との子供は欲しいため、授かる確率が上がるのであればそれこそ悪魔にだって魂を売る。
「あとは一級ポーション各種を二本ぐらいずつ、っちゅうところです。安産祈願のお守りとかは、妊娠が分かった時にでも」
「至れり尽くせりですね」
「アヴィン殿下にゃあれこれ世話になっとりますし、レイオット殿下からもできるだけ便宜図るよう言われましたし、こんぐらいは当たり前の範囲ですわ」
これを当たり前と言い切る宏に、思わず真意を確認するようにアヴィンに視線を向けるプレセア。プレセアの視線を受け、苦笑しながら小さく頷くアヴィン。それだけのやり取りで、これが宏の平常運転だと悟るプレセア。
そんな二人の仲睦まじい様子を、微笑ましそうに見守るファーレーンからの一行。春菜やエアリス、澪などごく一部は非常に羨ましそうにしつつ、ちょっと期待を込めてちらちらと宏の様子を確認しているのはここだけの話である。
謁見の準備が整うまで、そんな応接室の男女事情に、真琴がどんどん創作意欲とネタを蓄積していくのであった。
「なあ、ヒロ。ちょっといいか?」
「なんや?」
謁見もその後の晩餐会も終わり、与えられた客室でまったりしていた所で達也が口を開く。宏と達也がこの部屋で落ち着くまでの時間を示すように、晩酌の最初の一杯が空いている。
春菜達女性陣はまた別の部屋で、エアリスはエアリスで別枠で部屋が用意されており、ここには宏と達也しかいない。最初は全員個室、という話もあったのだが、立場上他に選択肢がないエアリスはともかく、宏達は落ち着かないからという理由で断っている。
ドーガ以外の随行員はひとまとめで一室だが、ドーガは護衛という名目上、エアリスの部屋の近くにもう一人の騎士とともに詰めている。
最初、アズマ工房一行は全員同じ部屋でもいいと申し出たのだが、それはそれで王宮側のメンツに関わると言う理由と、未婚の男女を最初から同じ部屋にひとまとめにするのは風紀面に問題が出ると言う理由で、今回は男女別に分かれているのである。
「気になったんだが、子宝祈願のエンチャントなんてもの、ゲームの時にはあったのか?」
「ある訳ないやん」
贈り物の件で気になっていた事を尋ねる達也に、ずばり一言で答える宏。
プレイヤーに少年法が適用される年齢の子供が多数含まれるフェアクロで、子作りができる仕様になんてするのは色々と危険すぎる。ゲームそのものに対する法的規制は無いが、ゲーム以外を対象にした法に引っかかる可能性が高い上に、業界の自主規制という名の事実上の共通仕様に反する。業界の自主規制にそむくと事実上ゲームで商売ができなくなるため、これを破る開発会社や運営会社はまず存在しない。
合意の上でなら可能なゲームもゼロではないが、そういうのは最低でも二十五歳以上の年齢制限がかかっているのが普通である。合意なしとなると普通に犯罪扱いになるため、プレイヤーキラーなどのアングラ系要素も推奨されているゲームですら、腕力と恐怖で強引に行為に及ぶ事ができる仕様にはなっていない。
そのあたりの問題から、プレイヤーだろうがNPCだろうが関係なく、人間に分類される種族には子供が生まれない仕様になっているフェアクロにおいて、子宝祈願なんてエンチャントが存在してもまったく意味がない。
余談ながら、馬や鷹などの人間に分類されない生き物なら、ちゃんと子供が生まれる。ただしこれは実際に交尾などをしている訳ではなく、調教系スキルや農業系スキルの交配機能を使ってウィンドウ上で指定することで勝手に生まれるので、あまり生き物を相手にしているイメージは無い。
こっちは交配そのものに失敗という概念がないため、恐ろしい事に交配機能を使うと百パーセント子供が生まれる。なので、こちらにも子供が授かりやすくなるエンチャントには意味がない。故に、優れた子供が生まれやすくなるエンチャントは存在している。
更に補足しておくと、調教系スキルは生産には含まれない。交配機能はあくまでおまけで、メインは動物やモンスターを自由に操る事なので、ある意味当然ではある。
「じゃあ、こっちの世界固有のものか?」
「多分そうやと思うで」
「お前が知らないだけって事は?」
「その可能性がないと断言はできんけど、根本的にゲームのフェアクロやと仕様の問題で存在価値あらへんから、リソース面から考えてもわざわざ余計なリスク背負ってまで実装したりせえへんやろ」
「まあ、そうだよな」
宏の説得力のある言葉に、同意せざるを得ない達也。公式に性交渉は不可能とアナウンスしてあり、どうやっても無理だと断言できる要素が色々あるのだから、誤解を招きそうな物をネタエンチャントとして実装したりはしないだろう。
因みに、セクハラは普通にできる。禁止設定されているのは故意による異性への性的接触だけ、エロトークなどのセクハラは通報制なので、キャラ作りの一環として洒落で済む範囲のセクハラをやっているプレイヤーはそこそこいる。
もっとも、性的接触のほうは少年法適用範囲の相手にやるとたとえ合意の上でも一発でアカウント消去かつ永久ログイン禁止なので、戦闘中に衝突した、罠に引っかかって態勢を崩した、などのラッキースケベ系の状況以外で性的な接触を行おうとするプレイヤーはほとんどいない。目の前の相手が未成年かどうか、見た目だけでは分からないので当然の自衛といえよう。
「で、それがどないしたん?」
「いや、やけに下世話な代物だから、ちょっとばかり気になってな」
「まあ、下世話なんは否定できんわなあ」
「そもそも、どこで仕入れてきたんだ?」
「大図書館の禁書庫や。神力付与がいるエンチャントやないけど、澪の手には余る程度の難易度はあるで」
「なるほどな」
大図書館の禁書庫という一言で、あっさり納得する達也。あそこに限っては、どんな魔法や技術が眠っていても不思議ではない。
「いろんなところで引く手あまたになりそうなエンチャントだが、他にはどうするつもりだ?」
「とりあえず、レイっちに献上する分とエレ姉さんに贈る分には仕込むつもりやけど、他は未定や。うちらのんには必要ないからつけへんのは確定やけど」
宏の返事に、小さく苦笑しながら次の一杯を飲み干す達也。確かに現状では必要なさそうだが、春菜あたりが押し切れれば、いずれ必要になりそうな気はする。
その際、産まれてくる子供がどんな子供なのかは、宏の現状を考えると怖い結論が出そうなのであえて目をそらしておく。
「まあ、布団の話は置いとくとして、日程が微妙やと思わん?」
「そうだなあ。明日はどうするんだ?」
「やっとくとして、神の船の船舶登録とせいぜい拠点にする物件探すぐらいやなあ」
「神の船、か。そういや、結局名前決めてないが、どうする?」
「他に作る訳やないんやし、別に神の船、でええとは思うんやけど……」
達也に言われ、しばし考え込む宏。
大気圏離脱可能で艦首に波動砲というと思いつく名前は一つだが、いろんな意味で危険な上にサイズが少々小さすぎる。
かといって、他に何かあるかと問われると、それはそれで思いつかないのが悩ましい。
「いま思いつかんから、明日にでも春菜さんらも交えて相談やな」
結局特に名前も思いつかず、この場では保留という事に。
「そうだな。あと、名前っていえば、そいつの名前はどうするんだ?」
「あ~、言われてみれば、そっちも考えてへんかったなあ……」
更に続けて達也に指摘され、もう一つ頭を抱える宏。
達也の示した先には、達也の抜け毛とつまみのナッツをかじっている名無しの芋虫がいた。
「なんとなくこうなりそう、っちゅう名前はあるんやけど、これも保留にしとくわ」
「了解」
結局、名前関係は全部先送りにする宏であった。
一方その頃、女子部屋では。
「結婚式、か~……」
「お兄様もお義姉様も、幸せそうです」
春菜達三人に部屋に遊びに来ていたエアリスも交え、ハーブティを飲みながら数日後に迫った結婚式について駄弁っていた。
「やっぱり、こっちの結婚式も花嫁さんは白いドレス?」
「国や地域によりますが、知る限りでは大陸西部はダールを除き、男女ともに白の正装が基本になります。ファルダニアは基本的な部分はファーレーンと同じですので、お兄様は白のジャケットにスラックス、お義姉様は白のドレスになります」
「結婚式には、神殿も関わるの?」
「そうですね。冠婚葬祭は基本的に、儀式の部分は神殿が担当します」
春菜の問いかけに、エアリスが笑顔で答える。舞台装置といえども神が実在し、宗教がほとんど政治に対して口を出さないこの世界でも、冠婚葬祭に関しては宗教が儀式の部分を担当するのは変わらないらしい。
「そういえば、エルちゃんも結婚式とかには関わっているの?」
「流石に全てではありませんが、王族や高位貴族の結婚式やお葬式は、私が儀式を担当します。姫巫女に復帰してからも、既に何度かは儀式を行っています。まだほとんど何も決まっていませんが、フェルノーク卿とエレーナお姉様の結婚式も、私が儀式を行う事になっているんですよ」
「へえ。っていうか、エレーナ様とユリウスさん、結婚するんだ」
「はい。お兄様の腹心中の腹心であるフェルノーク卿とお姉様なら、実績も立場も年齢も釣りあっていますし、お互いにある程度気心も知れた間柄ですので、少なくとも下手な相手と政略結婚をするよりはお姉様も幸せになれると思います。国としても、フェルノーク卿を遇するためにいい口実を得られますので、王族の結婚としてはかなり条件がいいものではないかな、と私は考えています」
「そこにユリウスさんの気持ちが入ってない所がちょっと気になるけど、まあ、ユリウスさんはエレーナ様を無下にするような人じゃないし、エレーナ様も自分の出自を鼻にかけて自分の旦那を部下のように扱ったりはしないだろうから、それなりに上手くはいくかな?」
春菜のコメントに、ニコニコ笑いながら頷くエアリス。実際、ユリウスの方も満更ではない事は、この情報を知っている関係者全員の間での常識である。王族や貴族の結婚なんてそんなものとはいえ、無理を押して婚約を決めた王家側もそのユリウスの態度に救われた思いなのはここだけの話だ。
「それにしても、結婚式、か~……」
「春姉、その台詞二回目」
「いくら羨ましいからって、人様の結婚式を語るのに、ため息交じりってのは感心しないわよ?」
「あ~、ごめん。でも、本当に羨ましいし、あこがれはあるから……」
春菜のどこかせつなさの混じったため息が、澪とエアリスにも伝染する。まだこちらの何処の国においても未成年の澪とエアリスはともかく、こちらではそろそろ嫁き遅れ手前、向こうの世界に戻っても結婚可能な年齢に近い春菜の場合、なかなか切実なものがある。
流石に高校を卒業してすぐに、などと先走った事を考えはしないが、逆に三十路に突入しても今の関係をずるずると続けていそうな気がして、微妙な焦りは感じる。
もっと正確に春菜の心情を表わすなら、あこがれはしても結婚なんて大それたことは考えないが、せめてもう少しカップル方向に仲を進展させたい、である。具体的には、最近の一番大きな野望は、いずれ膝枕で耳掃除をさせてもらえる仲になりたい、だ。
神域の島であれだけ色ボケ方面に暴走しておきながら、一番大きな野望をそのラインまで落ちつけているあたり、一時期に比べれば随分と自分の恋心をコントロールできるようになっていると言えよう。
「まあ、結婚なんてまだまだ先の話だとしても、やっぱり手をつないだり腕を組んだりができるようにはなりたいよ」
「小学生か、って言いたいけど、宏相手だものねえ……」
「うん。だから、今の目標はそこ。今一番大それた野望は、膝枕で耳掃除、かな?」
「そこまで行けば、間違いなく確実に恋人同士ね」
春菜の浮ついたところのない割と切実で地に足のついた目標と野望に、とことんまで本気になってしまった事を思い知らされる真琴。もはや、余程の事がない限りは、春菜の側から宏を見限ったり嫌いになったりはしないだろう。女性恐怖症なのに見た目やスペック面で物凄く女性的な春菜に言い寄られている宏に同情しつつも、どちらを応援するかといえばもちろん全力で春菜を応援するつもりである。
この手の恋愛に関しては、そのまま夫婦になった場合、一緒に暮らす事で出てくる価値観・生活習慣などの相違や、恋人時代には気にもならなかった欠点が目につくようになり、それが原因で破局を迎える事は珍しくない。見合いなど恋愛以外で結婚にこぎつけた場合でも条件は同じといえば同じだが、上げて落とす事になるからか、統計などでは恋愛結婚の方がその割合が高くなる傾向がある。
だが、春菜の場合は宏の価値観をよく知っており、一カ月だけとはいえ小さな部屋で共同生活も経験しているため、生活習慣や欠点なども大体知っている。それを知った上での現状なので、そのあたりの理由で破局を迎える可能性は限りなく低い。恋愛感情が一切なかった最初の共同生活ですら上手くやっているのだから、欠点すらも愛している今の春菜が上手くやれない理由がない。
可能性があるとすれば宏がくっついてから浮気でもしたケースぐらいだが、何度も繰り返せばともかく、一度ぐらいなら恐らくこってり絞って終わりにしそうな気がする。そもそも、たとえ女性恐怖症を完全に克服できたとしても、宏に浮気などする度胸は無いだろうが。
そこまでつらつらと考えて、それた思考を戻そうとする真琴。余計な事を考えていた時間は思ったほど長くなかったようで、話題は先ほどのものが継続しているようだ。
「ねえ、春姉」
「何?」
「春姉のその胸部装甲だと、膝枕した師匠の耳の穴とか見えないと思う」
「……多分、大丈夫だと思うんだけど……」
「分かんないから、念のためにもご?」
「澪ちゃん、いちいち人の胸をもごうとするのはよくないと思うんだ」
膝枕で耳掃除、というシチュエーションを想像し、春菜の体型でネックになりそうな部分をネタにいつもの話題に走る澪。そろそろ地味に谷間を作れるぐらいには育ってるくせに、相変わらず巨乳を見るともぎたくなるらしい。
「まあ、話を戻すとして、エルちゃんは王族とか上位貴族とかしか関わらないって言ってたけど、アルフェミナ神殿の本殿で式を挙げるのって、その範囲?」
「いえ、要職に就いておられる方の場合、爵位が低かったり平民であったりしても、本殿で式を挙げることもあります。ただ、権威の問題で、普通は伯爵家以上でないと本殿での結婚式は行いません。逆に、お葬式や追悼式典に関しては、ウルスの貴族は爵位に関係なく、アルフェミナ神殿本殿で行います。時々四家ぐらい重なる事があって、ちょっと大変です」
「へえ。って事は、あたし達の誰かがこっちで結婚する場合、ウルスだったら城下町の分殿でって事になる訳ね」
「あ、皆様の場合は立場が特殊ですので、恐らく本殿を使う事になるかと思います。特にヒロシ様の場合、アルフェミナ様が事実上神になっていると認定されましたので、ウルスで式を挙げるなら間違いなく本殿になります」
「師匠は分かるとして、ボク達でも?」
「ええ。恐らくテレスさん、ノーラさん、ファムさん、ライムさんまでは本殿で、という事になるかと思います」
エアリスの回答を聞いて、思わずテレスやノーラに対して心の中で十字を切る春菜と真琴。常々いい男がいないと嘆いている彼女達にとって、式を挙げる場所がウルスの本殿というのは追い打ち以外の何物でもない。
ウルスの本殿で式を挙げると言う事は、招待客をかき集めて派手婚をする必要があると言う事で、相手に要求されるスペックが更に上乗せされてしまうのだ。
そんないい男がホイホイ居たら、エレーナの結婚相手の選定にファーレーン王家があれほど頭を抱える訳がない。
「結婚式といえば、さ。やっぱり庶民もこんな風に人集めて派手に式を挙げるわけ?」
「いえ。役所に届け出を出し、新郎新婦の二人だけで儀式を行うのが一般的です。後は折を見て祝宴を行って、場合によっては三日ほど仕事をお休みして遊びに行く、という流れが普通です。儀式の段階から多数の招待客を招くのは、それこそ本殿で式を挙げるような方だけです。地方の村だと、儀式がそのまま祝宴というケースもあれば、そもそも儀式も何もせず、届け出だけで終わりというケースもあります」
真琴の問いかけに、エアリスが一般的な結婚事情を説明する。何故エアリスがこのあたりの事情を知っているかといえば、視察の時に結婚式を行っているケースも結構あり、その時に色々と教えてもらっているからだ。
「やっぱり、庶民は地味婚ってのが本来の姿よね。背伸びして立派な結婚式なんて、正直お金の無駄にしか思えないわ」
「真琴さん、何かあったの?」
「まだ引きこもる前の話だけどね、従姉がかなり派手な結婚式やって、お金足りないからって親戚中に泣きつきに来たのよ。旦那ともその事でずっと喧嘩してたし、後に残らない結婚式なんかで見栄張ってお金使うような家でもないのにって周りからも白い目で見られてたわねえ」
「こちらでも、そういう方はいますね。儀式はせいぜい実費程度の寄付しかいただいておりませんが、それでも人を集めるとなると、どうしてもお金はかかります。それに、儀式だけ見せてそれでおしまい、となると、むしろ呼ばないよりも評判を落としますので、当然祝宴も人が増えますし」
困ったものだ、という感じでため息をつくエアリス。その様子に、微妙な沈黙が発生する。
「エル、妙に庶民の事情に詳しい」
「というか、何でそんなことまで知ってるのよ?」
「視察の時やファムさん達と遊びに出た時に、三度ほどそういう事例に遭遇しまして……」
澪と真琴の突っ込みに、再びため息をついて事情を説明する。とはいっても、単に神殿に駆け込んできたり、その事で大喧嘩している所に遭遇して、仲裁や後始末に奔走させられたという、それだけの話ではある。
姫巫女としてその時の経験は無駄にはなっていないし、もめごとの解決に奔走すること自体に否は無いが、神殿の時はまだしもファム達と一緒の時の事例に関しては、子供にそういう後始末をさせるのは結婚をした大人としてどうなのか、と思ってしまったのはしょうがない事であろう。
「世界が違っても、駄目な大人ってのは居るもんね~……」
「師匠も達兄も、そういう部分はちゃんとしてるから助かる……」
「どう言う訳か、男女関係なくそういう人ってもてる傾向があるよね……」
エアリスの説明を聞き、呆れた様子でコメントする日本人一同。そのコメントに苦笑をにじませるエアリス。金がない人間ほど見栄を張りたがるのは、何処の国でも同じらしい。
「そういえば、さっきあたし達がって言ってたけど、真琴さんはそういう当てとかあるの?」
「ある訳ないでしょ? そもそも、あたしは前に色々懲りて、恋愛とかは考えないようにしてるのよ」
「真琴姉、もしかして腐女子的失敗?」
「そういう事。それで自滅してんのにまだ身内で掛け算とかしちゃう自分の性根を知ってるから、あたしは男と付き合うのはやめることにしたのよ」
失敗に懲りて、ある種男前といえる覚悟を決めている真琴に、掛けるべき言葉が見つからずに沈黙する春菜と澪。掛け算とか腐女子とか、そのあたりの言葉の意味を理解できないエアリスだけが、きょとんとした顔をしている。
「あたしの事より、個人的にはレラさんの事が気になるわねえ」
「まだまだ再婚とかできそうな年なのに、テレスさん達以上に浮いた話を聞かないよね」
「むしろ、真琴姉と同じ種類の達観を感じる」
「相手がいない、というのもあるとは思いますが、それ以上にどうも、ご自身の立場やファムさんとライムさんの事を考えて、遠慮している雰囲気はあります」
「まあ、私としてはそれ以上に、夜に同じ部屋で寝ている事以外に、あんまりファムちゃん達と親子らしい事をしてないのが気になるといえば気になるけど」
掛ける言葉が見つからない真琴の話をサクッと終わらせ、矛先をこの場に居ないレラに向ける一同。この日はエアリスの就寝時間まで、ずっと恋バナや工房職員の人間関係で盛り上がる女性陣であった。
一方その頃。
「まだ捕捉できないのですか?」
「申し訳ありません。近海のイカの群れに紛れ込まれてしまって、完全に見失いました……」
いらだちを通り過ぎ、いっそ気遣わしい様子を見せ始めたアルフェミナに、実に申し訳なさそうに謝罪するレーフィア。他の神はともかく、自身の巫女が直接の被害者になっているアルフェミナには流石に強く出られないようで、何を言われても一方的に謝罪を続けている。
回遊魚に交じったりタコに変身したり、果てはプランクトンサイズまで小型化してクジラの胃袋の中に避難したりとあの手この手で回収されないよう逃げ回っているイカを、ついにレーフィアが見失ってしまったのだ。
予定ではとっとと捕まえて、神域に滞在していた宏と春菜に土下座した上でどう処理するか聞くつもりだったのに、結局間に合わなかったために更に不義理を重ねる羽目になって、どうしても表情が渋くなるレーフィア。謝罪した後に同じことをされてはたまらないと、先にイカの捕獲を優先したのが見事に裏目に出た形である。
そんなレーフィアの失態を、無責任に野次を飛ばして妨害していた周囲の神々が、アルフェミナの言葉に便乗して攻撃に移る。
「海はお主のフィールドじゃろうに、こうも簡単に見失うとは情けないのう」
「そういう貴方だって、大惨事を起こした書物の行方を、自身の庭であるはずの大図書館で普通に見失っているではないですか」
アルフェミナに便乗して攻撃の先陣を切ったダルジャンに、開き直った回答をぶつけるレーフィア。正直、お互い脛に傷がある身の上なのだから、被害を受けていない神に面白半分で攻撃されるいわれはない。
「私とて、森の中でオクトガルを見失う事がある身の上だから、レーフィアがリンクを断った自身の巫女を見失った事を責めるつもりはない。故にこれは純粋な疑問なのだが、所詮イカなのだから、ああいう事をする可能性は予測できなかったのか?」
「今までは、普通に問題なく巫女としての職務を果たしていたのです。何度か人類に対してメッセンジャーもさせていましたし、それで問題を起こしたことも無かったので、今回も大丈夫だと思ったのですが……」
「瘴気が頭に回った……、というのはないか。そこまでならば、アルフェミナが抗議をぶつける前に異変に気が付いているだろうからな」
「ええ。まったく普通だったので、アルフェミナが抗議してくるまで、そんなモンスターと変わらない真似をしているとは思いもしませんでした……」
そう告げて、実に色っぽくため息をつくレーフィア。美貌という観点ではアルフェミナに及ばないが、色気で言うなら三女神はおろか、この世界の全ての女神の中でもトップに来るだろう。言動や雰囲気が落ち着いているからこそ、その色気が強調されている部分もある。レーフィアの色気は、男に媚びたりエロスに頼ればいいというものではない事を示す典型例であろう。
余談ながら、エアリスの成長後とほぼ同じ外見をしているアルフェミナだが、実の所アルフェミナがエアリスの姿を借りているのではなく、エアリスがアルフェミナの姿に似ているのである。ただし、外見がそこまで似ている事と、歴代どころか歴史上存在したすべての神の巫女を圧倒する資質の強さを持つ事に、明確な因果関係はないらしいのだが。
「何にしても、せめてプレセア殿の結婚式に水を差す訳にはいきません。沿岸部で網を張って、漁師が水揚げして仕留めたもの以外のイカが侵入できないようにしておきます」
「必要なら手を貸しますが」
「そうでなくとも忙しいアルフェミナの手を、これ以上煩わさせる訳にはいきません。結婚式まで三日ほどなのですから、それぐらいの期間は何とかしてみます。ただ、確実に網を張れるのはそれが限界、それ以上となると、滞っている仕事の処理を優先せざるを得ないのが頭が痛いところですが……」
「そうですね。その後はいっそ、常時の観測は宏殿の周囲に絞った方が確実かもしれません」
アルフェミナの提案に、怪訝な顔をするレーフィア。その様子を見て、真意を説明する。
「そのぐらいからほぼ神になっているからか、どうにも先代のエルザの巫女を看取った頃から、宏殿は巫女を誘引する性質を発揮しています。もしかしたら、行動がおかしくなったのもその性質にあてられたからかもしれません」
「なるほど。だったら、あの馬鹿イカが何か行動を起こす可能性が……」
「ええ。ですので、どうしても手が足りないようでしたら、宏殿の周りを警戒しておいた方がいいでしょう」
「では、そうします。アルフェミナ、情報をありがとうございます」
「私も他人事ではありませんからね。あのイカには、ちゃんとした制裁をしておかなければいけません」
巫女の勝手な行動によって、他の神の巫女や無関係な人間の命をたくさん奪いそうになった。その事についてちゃんとした処分を下しておかなければ、ルール的にも風紀的にも色々問題がありすぎる。
「では、オクトガルにも協力させよう」
「ありがとうございます、アランウェン」
「何。もしかしたら、アルチェムがお前に迷惑をかけるかもしれないからな」
「今回のイカのようなケースでなければ、いくらでも迷惑をかけていただいて結構ですよ」
「なら、儂のところも」
「あのですね、ダルジャン。一方的に攻撃しておいて、それは厚かましすぎるのではないですか?」
「何、それが貴様の宿命よ」
などと騒がしくしながらも、じわじわとイカに対する包囲網を構築しつつ、便乗して騒ぎたてる無関係な神々に切れて威嚇しまくるレーフィアであった。
レーフィア様も、いろいろ大変なのです。