第4話
「ようやく、婿入りの日程が決まったよ」
エレーナの治療と神々の晩餐があった翌日。エレーナの身体を治療した事に対する礼、と言う口実で呼び出された宏達は、謁見の後のお茶会でアヴィンにそんな事を聞かされる。
「そら、おめでとうございます」
「それで、もし良ければ、だけど、君達もファルダニアについて来てもらえるとありがたい」
アヴィンの申し出に、顔を見合わせる一同。いずれファルダニアには行く必要があったので、好都合なのは好都合だ。ただ、何故アヴィンの婿入りに随伴することになるのか、それが理解できない。
「プレセアがね、可能であれば、君達を連れて来て欲しい、と言っているんだ。可愛い義妹を助けてくれたのがどんな人材か、興味があるんだそうだよ」
宏達の困惑を察して、アヴィンが事情を説明する。どうやら、宏達の存在はかなりファルダニアの次期女王の興味を引いているらしい。
「無理なら無理でいいんだ。プレセアとしてはどうしてもと言いたいぐらいだろうけど、同じぐらい関係をこじらせたくないとも思っているだろうからね」
「まあ、同行自体はかまへんのですけど、日程はどないなってますん?」
「場所が場所だからね。明後日出航の前提で話が進んでいる」
「えらい急ですやん」
「正確に言うと、いつでも出航できるように準備をしていて、エレーナが治ったから切っ掛けとして丁度いい、と言う事で明後日出航で話がまとまったんだ。日程的にも急だから、断わってくれてもかまわないし、場合によっては一日二日後ろにずらしても問題ないよ。長い船旅になる都合上、元々十日やそこらの余裕は見てるしね」
あまりに急な日程に、どうしたものかと達也と真琴に視線を送る宏。春菜と澪はこういうとき、年長組や宏の判断に異を唱えたりはしない。
今回に限っては澪の意見を聞く必要があるのだが、そのあたりも含めてまずは達也と真琴の意見を聞くことにしたのだ。
「いい機会なのは確かね。ファルダニアには、一度は正規のルートで入国しないと自前の船で入国できないし」
「明後日でなきゃ、拒否する理由は全くないんだけどなあ……」
「そうなのよねえ。澪の誕生祝い、明後日にずらしちゃってるのよねえ……」
宏の視線を受け、全員が分かっている問題点をあえて口にする達也と真琴。アヴィンの厚意に甘えてずらしてもらってもいいのだが、自分達の都合であちらこちらの日程が大きく変わるのは少々申し訳ない。
澪の誕生日自体は、本来なら神の船が完成したあたりの時期だったのだが、大霊窟などで新しい食材が入るかもしれないからという理由で、本人が後ろにずらすよう主張したのだ。
結果として大霊窟や神域、ジズの遭遇以外にもハイエルフの集落などからも色々食材を仕入れており、更に宏と春菜、澪の三人は神々の晩餐スキルを得るに至っているため、一面においては澪の判断は大正解だったといえる。
ただ、二日続けてパーティ向けのご馳走は気分的にどうなのか、とこれまた澪本人が言いだし、それに誰も異を唱えなかったために一応二日ほどインターバルをおいたのだが、それが見事に裏目に出て、アヴィン殿下の申し出にかちあってしまったのが今回の難儀な点であろう。
「別に、明後日出航でいいと思う」
「澪?」
「考えようによっては、誕生日祝いに豪華客船でクルーズ」
「……ああ、なるほど」
澪の主張に、非常に納得してしまう真琴。言われてみればの世界ではあるが、婿入りする王子を乗せるファーレーン王家の専用船が貧弱なはずはなく、豪華客船でクルーズと言われればその通りなのだ。
その豪華客船には一隻で並の海賊船団を蹴散らすだけの戦闘能力が備わっているが、この世界の客船に戦闘能力が無い船は存在しない。高い戦闘能力とすばらしい乗り心地、その両方を兼ね備えて初めて豪華客船と名乗れるのだ。
「レラさんと新米達に留守番頼んで、パーティの間だけファム達も船に乗って貰って、終わったら転送石で戻る、でいいか」
「まあ、そこは殿下とか関係者の許可がないとできへんけどな」
澪の誕生祝いと殿下への同行、その両立に知恵をひねり出す宏達。その企画に、笑顔で頷く殿下。
「もちろん、問題ないよ。流石にパーティの食材その他は自分達で何とかしてもらう事になるだろうけど、そもそも君達の場合、たかが客船に積み込めるような質の食材なんて必要ないだろう?」
「質がどうっちゅうより、食わんと減らん食材が多すぎて他所から提供してもらう余地がほとんどあらへん、っちゅうんが正確なところですわ」
先日のジズの騒ぎを知っているだけに、宏の言い分に納得するしかないアヴィンが、苦笑しながら頷く。あれにリヴァイアサンの食材も同じぐらいの量あると言うのだから、他所から提供してもらう余地がないのは当然だろう。
「そんな訳で、レッサードラゴンの尻尾当たり、どないです?」
「料理できる人間がいないから、遠慮しておくよ」
宏が提供すると言いだした食材を、丁重に断るアヴィン。何処の国でも、抱えている料理人が調理できる限界はワイバーンから数ランク下、具体的にはヘルハウンドやボンバーベアぐらいまでである。
ヘルハウンドクラスのモンスターは、平均的な五級程度の冒険者が相応の装備をしていれば一対一で普通に倒せる強さだ。五級の冒険者は一流に片足を突っ込んだぐらいの力量なので、必然的にそのランクのモンスター肉はそれほど潤沢には流通しない。しかも、一対一なら普通に倒せる、なので、相手の方が一匹でも多ければ、追加されるのがファーラビットのような駆け出しでも余裕で倒せる強さのモンスターだったとしても、急に厳しくなる。
遭遇率が低い事や食べられる状態で倒せるとは限らないことも考えると、王宮ですら日常的に調理できる食材はこのランクが限界だ。各国の宮廷料理人がこのランクまでしか調理できないのも当然といえば当然だろう。
ワイバーンになると十年に一度討伐されればいい方で、当然誰もまともに調理できないから肉は捨てざるを得ない。ドラゴンに至っては、最弱種のレッサードラゴンやその子竜であるドラゴンパピーですら、ここ半世紀は討伐報告がない。ワイバーンと違って人里にちょっかいを出すドラゴンは今ではごくまれで、討伐依頼が出る事がないため仕留めた所で特に報酬もない。素材にしても基本的に調理も加工もできる人間がおらず、冒険者協会でも買い取りの類はしていない。ゆえに、ドラゴンを倒したという名声以外で得るものがなく、進んで誰も挑まないので討伐報告も無いのだ。
そんな訳で、レッサードラゴンの尻尾だけもらっても、正直どうにもならないのである。
「ほんならまあ、明後日ファルダニアに移動やっちゅうことで、戻ってそれなりの準備はしときますわ」
「急な話になって、すまないね」
「いえいえ。ファルダニアに行くかマルクトに行くか、どっちにするかっちゅう感じやったんで、渡りに船やった訳ですし」
とりあえずドラゴン肉に関しては横に置いて、さっくり話をまとめる宏。そのやり取りを聞いていたエアリスが、少しばかりもの言いたげにアヴィンを見つめる。
「エアリスも、澪の誕生日祝いに参加したいのかい?」
「はい。ですが、さすがに私まで割り込むのは……」
「それなら問題ないよ。私の結婚式に参列するファーレーン王家からの代表者という名目でなら、船に乗っていても不自然ではないしね」
「よろしいのですか?」
「連絡が後先になったけど、実は元からエアリスに来てもらう予定だったんだ。神殿としても王家としても、いろんな意味でちょうど良かったからね。ただ、ヒロシ達に声をかけるタイミングの問題で日程が確定しなくて、エアリスに話を通すのが遅れてしまったんだ」
肝心の本人に話を通すのが遅れた理由を、少しばかり申し訳なさそうに説明するアヴィン。本来なら日程がほぼ確定した昨晩の時点で、エアリスにはちゃんと話をする予定だったのだ。ただ、昨晩はエアリスが戻ってくるのが少々遅く、連絡が上手く行かずにこのタイミングまで本人に話を通せなかったのだ。
最近は外交関係でも結構忙しく働いていたエアリスだが、実はこの時のために前に倒せるものは全て前倒しで行った結果である。それゆえの忙しさだったのだが、関係者一同日程調整に追われ、当人にアヴィンの結婚式に参列するためのスケジュールだという説明が漏れていた事に最近になるまで誰も気がつかなかった、というあり得ない失態が発覚したのも昨日の晩だったあたり、ファーレーンもなかなか人材不足が深刻である。
もっとも、人材不足が深刻になったり、こう言った些細な、だが重要な連絡事項が漏れたりする最大の理由は、カタリナの乱とその後の大規模粛清による人手不足が残った人間全員にのしかかってきた結果である。現在、人事を担当する部署がフル回転で信用できそうな新人を毎日のように雇い入れては教育しているため、三年もすれば落ち着くはずだと、どうにかブラックな労働環境に折れずに踏みとどまっている。
給料も身分も苦労に見合ったもので踏みとどまれれば出世も約束され、トップである王家が率先して食事もそこそこに動き回っているからこそ成立している労働環境だが、王家の人間が揃って十一歳の娘の部屋に夜集まっては、食いっぱぐれた夕食をインスタントラーメンや試作品のレトルト食品などで補っている環境はよろしくなさすぎる、と言うのがファーレーン政府に所属している人間全員の一致した見解だろう。
「日程の調整だけはすんでいるんだ。了解を取るのが遅れて申し訳ないけど、そういう訳だから、私の結婚式に参列してほしい」
「もちろんですわ、お兄様」
アヴィンの申し出に、いろんな意味で嬉しそうに頷くエアリス。そうしてすべての話が決まり、予定通り二日後にファーレーンからファルダニアに向けて出発。澪の誕生日祝いとしてクルーズパーティを行って本人を満足させ、一週間ほど順調に旅程を消化しそろそろ中間地点であるリドーナ諸島に到着する、と言うあたりで、事件が起きた。
「……なんかおるな」
「……そろそろ影が見えてくる」
後半日ほどで陸地が見えてくる。そんなタイミングで、宏と澪が船にとって脅威となりうる海洋生物の気配を感じ取ったのだ。
客船のサイズは全長約二百五十メートル。宏達が使う神の船より、かなり大型の船だ。そんな客船に対して脅威となる生き物だ。総じて巨大化しがちな海洋生物であることも考えるなら、かなりの大きさであろう。
そんな事を考えていると、船の下を巨大な影が覆い尽くす。不思議と瘴気の類は感じないが、今回に関してはあまり関係ない。
「……この船とおんなじぐらい、っちゅうとこか。幸い、リヴァイアサンよりはかなり小さいけど……」
「宏君。それ、全然慰めになってないからね」
現れた、恐らくモンスターであろう影に対応すべく、油断なく武器を構えながらそんな事を言いあう宏と春菜。数分後、大型客船が揺れるほどの波を立てながら、そいつが姿を現した。
「……いわゆる大王イカの類か?」
「……海洋モンスターとしては、お約束だよね」
現れた巨大イカに油断なく視線を向け、相手の出方を待ちながら宏と春菜が言葉を交わす。この手の海洋モンスターの場合、相手が明らかに戦闘態勢に入っている、もしくは発見されれば確実に戦闘になり、かつどうやっても発見されずに逃げきれないと分かっている相手以外は、自分達から手を出さないようにするのが基本である。
元々、海は相手のテリトリーだ。基本的に船の上から動けない時点で圧倒的に不利なのだから、わざわざ藪をつついて蛇を出す必要はない。下手に手を出して船が航行不能なダメージを受けた日には、乗組員全滅以外の未来はない。
更にいうまでも無い話だが、元からそういう種族であるか水中でも陸上と同じように動いて戦える装備でも持っていない限り、こちらから海に飛び込んで仕掛けるなど愚の骨頂である。常日頃から水中で暮らしている生き物に、ちゃんとした装備なしで陸をテリトリーとしている生き物が正面から戦って簡単に勝てる訳がないのは、この世界でも地球でも同じ事である。
そもそも、海洋系のモンスターの大半は、攻撃されない限り進んで船に攻撃したりはしない。船を沈没させて自分のテリトリーが汚染されてしまえば、たまったものではないからだ。故に、シーサーペントや海洋種のレッサードラゴンなど、アクティブモンスターはごく一部に限られる。
「……来る!」
大半の海洋系モンスターがそうであるように、ただたまたま遭遇したから様子見に来ただけである事を祈っていた春菜の願いもむなしく、巨大イカはその触腕を振り上げ、宏と春菜に向かって容赦なく伸ばしてくる。
最初の一手を春菜が飛びあがって回避し、二手目を宏が斧の柄で弾いて受け流す。その後も何故か宏と春菜だけを執拗に狙うイカの攻撃をどうにか防いでいると、澪に呼ばれた達也と真琴について一緒に甲板に上がってきたエアリスが二人に声をかける。良く見ると、その手にはいつの間にか、宏の背中にいたはずの芋虫が。
「ヒロシ様、ハルナ様! その方は……!」
エアリスが何かを言いかけるも、巨大イカが攻撃に使っていない足で船を大きく揺らしたために、言葉が中断する。三度目の触腕をかいくぐって避けたばかりの春菜が、巨大イカのその攻撃に完全にバランスを崩して転倒、もう一本の触腕に絡め取られてしまう。
「させるかい!」
そのまま春菜を拉致しようとしたイカの触腕を、宏がポールアックスで豪快に切り落とす。片方の触腕を切り落とされた事でパニックを起こしたか、巨大イカが残りの触腕を大きく振り回してなぎ払い、そのまま海に潜って立ち去る。
「ヒロシ様! ハルナ様!」
甲板にあったいくつかの荷物とともに、触腕になぎ払われて海に叩き落とされる宏と春菜。幸いにして、攻撃範囲にいたのは二人だけだったために後は軽度の物的損害だけで済んだが、仲間を回収不可能な形で海に叩き落とされた達也たちからすれば、幸いにしてなどとは口が裂けてもいえない。
「ヒロ! 春菜!」
「澪! 何処にいるか分からない!?」
「海面が荒れ過ぎてて目視では無理! しかも海流速くて、気配がどんどん遠ざかって……!」
突然の事に、にわかに騒がしくなる船内。錨を降ろして船を固定し、捜索のために筏を浮かべ、と、船員を総動員して二人の行方を捜す。この海域が恐ろしく海流が速い事は船乗りたちにとっては常識で、恐らくもう捜索できる範囲にはいない事は間違いないのだが、それでも重要な客である宏達を探さないと言う選択肢はない。
「……アルフェミナ様を通して、厳重抗議ですね」
珍しく怒りの表情を浮かべたエアリスが呟いた言葉。それは、甲板の慌ただしさにまぎれて誰にも聞かれることなくかき消される。
一時間後。宏が必死になって送った通信で無事こそ確認されるも、お互いの位置は完全に分からなくなっており、定期的な通信で生存報告だけが続くという生殺しのような状況が丸一日続くのであった。
食欲を刺激する香りに、春菜の意識が急激に浮上する。薄目を開けると、まず台所に立つ宏の姿が、その後、コテージの壁や天井が視界に入ってくる。どうやら、いつも使っている携帯用コテージ、その台所が見える位置に設置された簡易ベッドに寝かされていたようだ。
「起きたか、よかった。とりあえず、これ飲んどき、春菜さん。どっか痛いところとかあらへん?」
もう少し状況確認をと上体を起こしたところで、何やらスープのようなものを作っていた宏が様子を見に来る。恐らく、ごそごそ動いた音を聞きつけたのだろう。手には、スポーツドリンクもどきの入ったコップ。
「ちょっと寝過ぎた感じのだるさがあるだけで、身体の方は問題ないんだけど、あの後どうなったの?」
宏の顔を見た瞬間、自分がどういう経緯で気絶したのかを思い出す春菜。大体の事を思い出したため、差し出された飲み物を飲み干し、その後の事を宏に問う。
「せやな。とりあえず、海に落ちたんは僕と春菜さんだけや。今おるんはちょっとした大きさの島やけど、人がおるかどうかとかはこれから調査っちゅうとこや。船は無事やったし兄貴らとの連絡はついとる。流されたんは大体丸一日っちゅうとこやけど、ものっそい流れ速あて、何処まで流されたかよう分からんのよ」
「そっか。一日も流されてて、よく無事だったよね……」
「根性でガーディアンフィールド維持しとったからな。十五メートルぐらいの鮫に襲われた時は、さすがにどないしよか思ったで」
さらっと恐ろしい事を言う宏に、思わず顔を青くする春菜。今こうして話をしていると言う事はどうにかなったのだろうが、非常に危険だったのは間違いない。
「鮫って、どうしたの?」
「ガーディアンフィールドのおかげか、噛みついても牙が通らんかったみたいでな。丸のみにされんようにナイフでえらに一撃入れたら、慌ててどっか逃げたわ」
「そっか……」
下手をすれば、宏ともども魚の胃袋の中、と言う可能性もあった事を思い知り、しみじみと今無事である事の奇跡をかみしめてしまう。
「他にもマグロの群れに紛れ込んでもうてガンガン衝突しまくったりとか、クジラにプランクトンと一緒に飲み込まれそうになったりとか、たった二十四時間でようこんだけ、みたいなネタが山盛りやけど、全部何とかしたからな」
「うわあ……」
まだ終わっていなかった宏の報告を聞き、色々と申し訳ない気分になる春菜。何が申し訳ないと言って、気絶していて完全にお荷物状態だったのが申し訳ない。
たった二十四時間で、遭難系の海洋冒険小説でありそうなトラブルの大半を経験したことに関しては、春菜の振幅の激しい運命が原因だと言われても知った事ではないので、あえてそこについては無視することにする。
「でまあ、あんまり長い事目ぇ覚まさんもんやから、何ぞやばいかもと思って起きるん待っとったんよ」
「えっと、今居る場所に上陸してからどれぐらい経ってる?」
「二時間っちゅうとこやな。二十四時間以上意識不明やったから、一応寝とる間に脈と呼吸見たり、体温はかったり魔力循環見たりとか程度の、セクハラにならん範囲で診察はしたんやけどな。その範囲では特に何もあらへんのに目ぇ覚まさんから、色々心配したんやで」
「そっか。ごめんね」
「まあ、不可抗力やからしゃあないんやけどな。こんな時、せめて澪か真琴さんがおったらもうちょい細かい診察もできたんやけどなあ……」
細かい診察と聞いて、人間ドックなどの診察内容をいくつか思い出す春菜。確かに医師免許も持たない人間がやればセクハラ扱いされてもおかしくない行為もいくつかあるのだが、セクハラ問題の本質は信頼関係と思いやりの部分だ。宏が相手ならば、それこそセクハラ目的でも春菜は気にしないどころかどんどんやってくれて構わないと言い切れる。
が、それを言っても信用されないどころか全力で引かれるのは分かり切っているので、ここは宏が紳士であった事を再確認した事にしておく。
「まあ、そういう訳で地味に一睡もしてへんから、そのスープ飲んだらちょっと寝るわ。たらんかったら、適当になんか作って食っとって」
「ん、了解。ごめんね、役立たずで」
「気にせんでええで」
春菜の何度目かの謝罪を半ばスルーし、適当なマグカップに注いだスープをあおる宏。一杯では流石に足りないらしく、もう一杯注いで、今度は少しゆっくり味わって飲み始める。
「そういえば、流されてる間、私の身体ってどうなってたの?」
「とりあえず腰のあたりをロープで固定した上で、流木とかにぶつからんように頑張って抱え込んどったけど?」
「……えっ?」
「ぶっちゃけると、ほとんど正面から抱きしめとった感じや。必死やったから恐怖とか感じる暇なかったけど、今にして思えば怖い事しとったなあ……」
宏の回答を聞き、どういう状態だったかを想像して顔を真っ赤に染める春菜。想像するだけでときめきで心臓がどうにかなりそうだが、宏の女性恐怖症を考えればとんでもなく負担をかけていたのは間違いない。
「本当に、ごめん……」
「まあ、考えようによっちゃあ、春菜さんが気絶しとったから良かった、っちゅう感じやけどな。下手に二人とも意識あっても、いろいろ面倒なことになりかねんかったし」
「それでも、ごめん……」
色々な感情で飽和状態になりながら、ひたすら謝り続ける春菜。そんな春菜に苦笑しながら、三杯目のスープを飲み干して寝床に入る宏。正直、そろそろ限界だ。
「ほな、後の事は任すわ」
「うん……」
宏にかけられた言葉に頷き、心を落ち着けようと少しずつスープをちびちびと飲む春菜。
「私、本当に最低かも……」
さんざん負担をかけておきながら、わずかにとはいえ抱きしめられている間ずっと気絶していた事を残念だと思ってしまう自身に、どん底までへこむ春菜であった。
「それで、どうやって合流しよっか?」
「ウルスに飛んでから神の船で、っちゅうとこやねんけどな。ここ、微妙に異界化しとるんよ」
「え~……」
目を覚ました宏と食事を取りながら、これからどうするかを相談する春菜。最初に出てきた宏からの報告に、心底困った表情を浮かべる。異界化している以上転移魔法は使えず、また、わざわざコテージを使っている所を見ると、神の船を呼び出すには色々と支障がある土地なのだろう。それが分かってしまったために、困った表情を浮かべざるを得なかったのだ。
「モンスターとかの気配はあらへんから、多分瘴気が原因の異界化ちゃうとは思うんやけど、調べてみん事には分からんねん」
「と言うか、コテージから外に出てないから分かんないんだけど、今居る地形はどんな感じなの?」
「島の海岸線にある洞窟の中、っちゅう感じやな。流されてきたタイミングが満潮付近やったから、今おるあたりまでは潮上がってけえへんのは分かってんねんけど、丁度どん詰まりになっとるんが問題でなあ」
「つまり、外に出るためには海の中を移動しないとダメ、って事?」
「そういうこっちゃな。ついでに言うと、満潮のときでも潜地艇使えるほどの広さも深さもあらへんけど、干潮のときでも多分僕らが完全に水没するぐらいの深さはあると思うで」
どうあっても生身で海中を移動する必要がありそうな話に、少しばかり考え込む春菜。正直、短時間の水中移動ぐらいはどうとでもなる。だが、都合よく誘導されているような感じがして、なんとなく素直に海中を移動する気が起こらない。
どうにも、海の中に余計な罠が仕込んでありそうなのが気に食わないのだ。
「壁掘って上に登って行くとかは、無理そう?」
「地下水脈とか掘りあてたら終わりやから、やめといた方がええやろな」
「やっぱり、海の中を泳ぐのが一番確実?」
「多分なあ」
土木とかその類のジャンルの場合、春菜が思い付くような事は当然宏も思いついているようで、あっさり駄目出しされてしまう。
絶対それは避けるべきと断言するほどいやな感じがする訳ではないので、無理に他の方法をひねり出して試す必要はないのだが、自分でも可笑しいと思うぐらい気が進まない春菜。
だが、いつまでもこんな色々不安がある場所でうだうだやっていても仕方がない。諦めて素直に海に入る覚悟を決める。
「じゃあ、ご飯食べたら脱出だね」
「せやな」
一応念のためもう少しアイデアを出し合った結果、余計な小細工は無駄だと判断せざるを得なかったため、この場はさっさと食事を済ます宏と春菜。二人っきりである事を意識するには色々と状況が悪すぎるため、漂流中ずっと抱きしめられたと聞いた時以外は、すぐに色ボケ方面に思考を持って行きたがる春菜の恋心も鳴りをひそめている。
「ほな、覚悟決めよか」
「うん」
つみれ汁をメインに余り物を使って作った朝食を平らげ、コテージを収納して波打ち際に移動。思い切って海に入って行く。いかに水中適応のエンチャントが施されていようと、金属鎧で海の中を動き回るのは余りよろしくないので、とりあえず今回はワイバーンレザーアーマーを引っ張り出して着ている。
健在だった海流の速さのおかげで姿勢制御に苦労しながら、島の外周を漂流すること十分強。
「やっと砂浜に上がれたよね」
「ほんまになあ……」
ようやく浅瀬を見つけ、ヘヴィウェイトなどを駆使して海流から脱出し、どうにか砂浜から上陸した宏と春菜は、少々ぐったりしながら休憩していた。
「やっぱ、ブレストプレートでも良かったなあ……」
「うん。正直、泳げるかどうかとか関係ない感じだったよ……」
外からどんどん合流してくる、速い海流。それにより場所によっては激しく渦を巻き、ますます水中での姿勢の維持を難しくしていた。あの速さだと、正直動きやすさより重量の方が重要だったかもしれないと思う次元である。
しかも、外から合流してくる流れのため、それなりの規模の船か空を飛ぶかのどちらかでなければ、島の周辺から脱出するのは不可能そうで、普通の人間の場合は生身で漂着したが最後、まず間違いなく自力での脱出は無理だろう。はぐれないようにお互いをロープで固定したのは正解だったと、内心で準備の良さを自画自賛したくなるほどこの近辺の海流は酷い。
「で、どうする?」
「現状、脱出手段としては潜地艇と神の船が使えそうな感じではあるけど、ここまでの感じから素直にその手の脱出手段を使わせてくれるかやなあ……」
「そうだよね」
などと言いながら、それらを取り出そうとする宏。宏の方がダメだったときのために、一応飛行魔法で状況確認をする春菜。結果は……
「やっぱキャンセルされおるか」
「フライトもある程度の高さまでしか上がれなかったし、島の範囲外に出ようとすると壁みたいなものにぶつかったよ」
ある意味予想通り、脱出手段として使えそうなものは、どれも普通に妨害される。逆に、コテージの方は普通に展開できたところを見ると、移動関係だけキャンセルがかかるらしい。
「こうなると、ここの材料で船作って脱出、っちゅうんもできるかどうか怪しいなあ」
明らかに出ていこうとするのを阻んでいる島の環境に、割と速い段階で匙を投げる宏。春菜もその判断に同意する。
「ここ、どちらかって言うと神域とか大霊窟とかに近い空気だから、多分神様か守護者に相当する存在がいるよね?」
「多分な」
「だったら、そっちと話をしてからじゃないと駄目かも」
「せやな。まずは島の探索からやな」
脱出できないと分かった時点で、さっくり探索に切り替える二人。砂浜から平原になっている所まで移動し、まずは大雑把な方針を決める事にする。
「とりあえず、場合によっちゃあ二手に分かれる必要とかも出るやろから、一応ここベースキャンプにしとこか」
「そうだね。この島、かなり大きいみたいだし、基準点はないとややこしそう」
「ポイント見つける程度やったらともかく、詳細な探索っちゅうと一日二日で終わる気全然せえへんしな」
そう言いながら、さくさく仮拠点を設置する宏と春菜。仮拠点と言ってもせいぜい休憩しやすいようにちょっとした屋根をつけてテーブルを配置した程度だが、ロケーションの魔法の目標にするだけなら、これで十分だ。
仮拠点の設置後、達也達に連絡を入れてから周囲をもう一度見渡し、二人で次の行動をすり合わせする。
「で、まずは外周をぐるっと回って島の広さと形、地形なんかの確認やな」
「そうだね。さっき飛んだ時に見えた景色とか流されてた時の速さとかから考えて、半日ぐらいで一周できるんじゃないかな?」
「多分そんなもんやろな。っちゅうか、そんなもんやと思いたい」
と言っても、選択肢などあってないようなものなので、意見がまとまるのも早いのだが。
「春菜さん上から見た時、何ぞ目につくようなもんとかあった?」
「空からだとよく分からなかったよ。多分、地上からでないと分からない感じにカモフラージュされてると思う」
「やろうなあ」
可能な限り短時間で調査を進めるため、使い捨ての「行軍」というアイテム、それも四級の高性能なものを惜しげもなく使って歩く速度を上げながら、現時点で確認できることをもう一度話し合う宏達。その間も周囲の観察は怠らない。
そんな風に周囲を観察しながら、時速十五キロ強と歩行者とは思えない速度で、微妙に登り傾斜がついた草地を歩く事一時間半。明らかに何者かが島の中心部に向かって移動したと分かる痕跡を発見する。
「どう思う?」
「とりあえず、何ぞ生きもんがおるっちゅうんは確定やな」
「そうだね。今まで、気配はあっても視界に入りそうな場所にはいなかったし、痕跡も無かったしね」
「せやねんな。で、問題なんが、素直にこの先に行ってしもてええんかどうかや」
「まだ、外周の確認も終わってないしね」
魔法でコップに出した水を飲みながら、調査を開始してから初めての動物の痕跡について相談する宏と春菜。まだ島を一周し終わっていないこともあり、この微妙なタイミングでの発見は色々と悩ましいものがあるのだ。
「外周全体で言うたら五分の三ぐらいっちゅうとこやな。真円やないから厳密にはちゃうけど、ベースキャンプから見た角度で言うたら、二百度から二百二十度の間ぐらいか」
「微妙な距離だよね。しかも、向こうに崖みたいなところがあるから、場合によっては外周沿いに進めなくなるかもしれない感じだし」
「まあ、フォーリングコントロールで何とかできる程度の高さやけどな。ただ、反時計回りやと、あの崖登るんがネックになっとったんは間違いないな」
「だよね。多分、このあたりが外周部で一番高いところだと思うし」
これまでの観察で分かった事や、現時点で確定している事を二人で口に出してまとめる。こういう事はちゃんと声に出して確認しあわないと、思わぬ認識のずれが出て来て危険なのだ。
「で、どないするか、やな。フライトはすぐにキャンセルされる、っちゅう感じやないんやっけ?」
「うん。多分、島の外周にそって飛ぶ分には大丈夫だと思う」
「ほな、まずは地図埋めてから飛んで戻ってこよか。観察せなあかんから歩いたけど、フライトやったら一応ワンボックスより速度出せるから五分ぐらいで戻ってこれるはずやし」
「そうだね。他にも怪しい場所があるかもしれないし」
結局、今回は初志貫徹することにする宏と春菜。そのままフォーリングコントロールで二十メートルほどの高さの崖を飛びおり、半ば岩場となった地面を歩き、更に一時間半をかけてベースキャンプに戻ってくる。
「大体外周は五十キロぐらいやな。直径は十六キロぐらいか」
土木関係のエクストラスキル・神の道の能力を使い、大体の広さや移動距離を割り出す宏。ずっと足場の悪い場所を歩いてきたにもかかわらず、時速十五キロ以上の速さを維持し続けたらしい。使い捨てのドーピングアイテムの力を借りたとはいえ、宏達が元より相当な健脚でなければ、これだけのスピードで悪路を踏破することなどできない。
なんだかんだと言っても、素材のために訳の分からない難所に踏み入ってきた経験が多いだけに、宏も春菜も並の冒険者など鼻で笑えるぐらいには健脚である。
もっとも、そうでない人間が南部大森林を踏破してオルテム村にたどりついたり、大霊峰の山頂付近を突破して大霊窟に入ったりなどできないのだから、当然の話ではあるが。
「気になる所っちゅうたら、川と例の獣道ぐらいやな」
「うん。ただ、なんとなくだけどどっちをたどっても同じ場所に出そうな気はするよね」
「せやな。後は、どっちが歩きやすいかぐらいやな」
「それと、川の方がここから近くて移動しやすい事かな?」
昼食の海鮮焼きそばを食べながら、最初に見つけた獣道と岩場を突破する途中で発見した川、どちらをたどって島の中心部に侵入するかを相談する。ベースから近いのは川だが、歩きやすそうなのは獣道の方。恐らくどちらを歩いても変なトラブルには巻き込まれようが、対応しやすいのは水に落ちる事を怖がらずに済む獣道だろう。
ただ、この島は外周部とベースキャンプ以外、どこもかしこも緑豊かな森で覆われている。川沿いに中心に向かって登って行く方が、変わった素材が手に入りやすい可能性がある。他の冒険者ならともかく、宏達にとってはこのメリットは無視できない。
「どうせ飛んでいくんやったらそないに差はあらへんし、今回は探索優先で獣道やな」
「私はどっちでもいいけど、それでいいの?」
「兄貴らに心配かけとるし、アヴィン殿下も待たせてもうとるし、素材集めに耽っとる場合やないやん」
珍しく素材を諦める事を宣言する宏に、目を丸くする春菜。状況が状況だけに、少々素材集めに時間を割いたところで誤差の範囲になりそうだが、今回は常識と良識に従って、この島からの脱出を最優先にするようだ。
だが、口ではこう言っても、珍しいものや重要なものを見つけてしまうと状況に関係なく採取せずにはいられないのが、ネトゲの生産系高レベルプレイヤーの業である。今回も恐らく、途中で探索を止めてしまう事になるだろうとなんとなく悟っている春菜。
仮に宏が当初の目的を忘れて採取に走ってしまっても、そこから何か糸口がつかめるかもしれないしなどと考えて容認するつもりであるあたり、春菜も男をダメにする素質十分と言えそうである。
「じゃあ、そういう事で」
「探索再開やな」
焼きそばを平らげ、割と元気よく空を舞う宏と春菜。急なトラブルに見舞われながらも、なんだかんだでへこたれずに逞しく未来を切り開く二人であった。
一方その頃、ファルダニアでは。
『そういう訳で、場合によっては二週間ぐらい遅れることになりそうなんだ』
『そう……』
近い未来に夫となる愛しい男からの連絡に、安堵に微妙に落胆の色が混ざったため息をつくプレセア。安堵はトラブルに見舞われた人間全員がとりあえず無事であった事、落胆は結果としてアヴィンの到着が遅れ、結婚前にいちゃつける時間が大幅に削られそうな事に対してである。
海に叩き落とされた宏達が無事で、元気に島からの脱出手段を探していると聞いたからこそ、いちゃつける時間が削られることに落胆していられるので、そういう意味では宏達の逞しさには大層感謝している。
航海で犠牲者が出る事には慣れているプレセアとて、夫となる男や義理の妹の恩人が、結婚式に参列するための航海で起こった事故でなくなった日には、とてもではないが素直に結婚を喜んだり、祝いの言葉を受け入れたりは出来なかっただろう。プレセアが悪い訳では無くても、申し訳なくて祝賀ムードに浸れなかったのは間違いない。
それに、ようやく明るい笑顔を見せ、人に甘える事を覚えたエアリスの顔が曇るのを見て、自分が冷静でいられる自信がない。お互い表面上は平気なそぶりを見せるだろうし、エアリスの事だからプレセアやアヴィンを恨む事はないだろうが、それゆえに罪悪感を解消する手段がまったくない。
何もないのが最善なのは間違いないが、少なくとも最悪ではなかった事は素直に神に感謝してもいいはずだ。海難事故がそういうものであることを、海洋国家の次期女王であるプレセアはよく理解していた。
『それで、あなたの船は本当に大丈夫なの?』
『念のために検査はしているけど、手すりが一部破損したのと甲板に置いてあった積荷がいくつか海に落ちたぐらいで、それほど被害は出ていないらしい』
『本当に?』
『少なくとも、リジャール港に到着するまでの一日は、特に問題が出ていなかったね』
『そう……。でも、少し心配ね。なんだったら、こちらから迎えの船を出すけど……』
『検査の結果次第だね。もし手すり以外の修理が必要そうだったら、その時はお願いするよ』
『分かったわ』
アヴィンの言葉に頷き、とりあえずこの場では船についての話を終わりにするプレセア。もっとも、アヴィンの返事を聞いてからでは遅れてしまうため、事故の第一報があった時点で既に、リジャール港へ向けて迎えの船は出している。もし必要がなかったとしても、その時は適当な港で補給した後に引き返させれば済む話だし、そうなったときのために若干、商用の積荷もつんであるので無駄金を使う事にはならない。
本音を言えばプレセア自身が迎えに行きたいところなのだが、この状況下で彼女が動くのは非常にまずい。なので、泣く泣く船だけを送り出したのだ。
『それにしても、無事であることだけが分かっていて流された場所が分からないのは難儀な状況ね』
『まったくだよ。救助に行こうにも、そもそも流された方向も分からないのが厳しいよ』
『海図を見せてもらったけど、巨大イカと遭遇した海域は潮の流れが複雑な上に海流が速いから、生身で海に落ちたらまず救助は不可能なの。今でこそ船も航海技術も発達したから海難事故はほぼなくなっているけど、昔はよくそのあたりで船が遭難したものよ』
『そのうちいくつかは、あのイカが絡んでいそうだけどね』
『それは何とも言えないわね。ただ、原因がどうであれ迂闊にこちらから行動は起こせないから、ヒロシ殿とハルナ殿には申し訳ないけど、どうにか自力で合流してもらう、もしくは合流可能な場所まで行ってもらうしかないわ』
迂闊に救助しに行こうとすれば、ミイラ取りがミイラになる。過去の経験や歴史からそれが分かっているだけに、歯がゆさを押し殺す事には慣れているプレセア。だが、ただ手をこまねいて見ているほど、この次期女王は諦めがよろしい女性ではない。
『とりあえず、海流の流れから一日で流されそうな場所は大体割り出してあるから、そこから近い場所にある島や港には捜索隊を出してもらえるよう手配しておいたわ。島から出られないという話だから、近付けない島とか誰も帰ってこない島とかがあるなら、そこも教えてもらうように頼んであるから、私達は情報待ちね』
『手間をかけるね』
『私にも責任のある事だし、個人的にもこれぐらいの事はしないと気が済まないもの』
『それでも、助かるよ』
『経緯を考えると感謝してもらうようなことではないどころか当たり前のことをしたにすぎないのだけど、その言葉はありがたく受け取っておくわ。それじゃあ、今後の事について会議が必要だから、ここで切るわね』
愛しい男に感謝の言葉を言われ、内心でのぼせあがりそうになるプレセア。そんなうぶな乙女のような反応を鋼の意思でねじ伏せ、通信を切り上げる。そして、凛とした声で関係者を招集し、日程の変更をはじめとした各種対応を始める。幸いにして、他国からの参列者のために、日程はかなり余裕を持って設定してあるため、恐らくそれほど影響が出る事はないだろう。
日程は参列するであろう国のうち最も遠方のマルクトにあわせて設定してあるため、宏とアヴィンの合流に一週間、そこからの航海に一週間と見ても十分に間に合う。それ以上遅れが出たとしても、せいぜい二日か三日後ろにずらせばどうにかなるだろう。
もう一つ幸いな事に、今回は婿入りであるため、支度に時間がかかる女性の方が既に現地にいる。結婚衣装やアクセサリなど、準備しなければいけないものの大半は待っている間にどんどん前倒しで進める事ができるし、旅の途中とは違うため、比較的体調や体型の維持もやりやすい。
「式までの間、ヒロシ殿達には存分にこの国を巡って貰いたかったのだけど、今回は厳しそうね……」
会議が始まるまでにざっと今後の日程を頭の中で計算し、申し訳なさにため息が漏れるプレセア。後に事の顛末を聞き、宏達が無事だった事に対する神への感謝を取り消すべきか否か真剣に悩む事になるのだが、今は巨大イカによって引き起こされたトラブルの解決に右往左往するしかない次期女王であった。
澪の誕生日パーティのシーンは、こぼれ話でやります。