第9話
「最近ずっと一人だが、ヒロシとは別れたのか?」
「チームは組んだまま。宏君はいろいろ作らなきゃいけなくなって、絶賛工房引きこもり中」
「そうか、そいつは残念だ。っと、カレーパンとアメリカンドッグ二つずつ。後、その新作の串カツも二本頼むわ」
「はーい。一クローネと二十チロルになります」
顔見知りの冒険者に近況報告をしつつ、揚げたてのカレーパンを手早く包んで、葉っぱで作った船に盛ったアメリカンドッグおよび串カツとセットで渡す。
「安い訳でもないのに、相変わらず良く売れてるなあ」
「今のところ、ここでしか売ってないからじゃないかな?」
少し客足が途絶えた隙に、セルフサービスでつけるソースとケチャップの残量を確認しながら、両隣の屋台の主と雑談をする。こういう近所づきあいは、商売をする上で欠かせないのである。それに、冒険者として重要な、情報と言うやつを手に入れやすくなる、という効果もある。
「そういや、お前さんの故郷って、他にどんなもんがあるんだ?」
「揚げ物に限定しないんだったら、ものすごくいろいろあるけど……。揚げ物だったら、簡単なところではこういう感じかな?」
そう言って手をアルコールで消毒し、朝市で仕入れてきたジャガイモを包丁やまな板と一緒に取り出すと、つまみやすい大きさのスティック状に切って、ざっと素揚げして塩をまぶす。それを適量盛って、両隣の店主に渡す春菜。
「……へえ、こいつは美味いな」
「一杯やりたくなる味だ」
「お酒のおつまみだったら、こんなのも」
雑談しながら手をアルコールで消毒し、先日風呂の改装中に真琴が依頼で仕留めてもって帰ってきたトロール鳥の腿肉を材料ボックスから取り出す。それをざっとぶつ切りにし、醤油をはじめとした調味料をもみこんで下味をつけ(いちいちビニールっぽい袋を消毒してから使うところが芸が細かい)、片栗粉をまぶす。それを油の温度を調整してからりと二度揚げして味見してもらう。
因みにトロール鳥とは、名前から想像がつく通りの、全長三メートルオーバーの大型の鳥である。トロールの名に恥じぬ生命力と回復力を持ち、大空を悠々と飛びまわる、生半可な冒険者では身を守るのが精いっぱい、と言うレベルの相手だ。馬ですら吊り上げる翼の力と、その重量を固定する足の力はかなりの物であり、その発達した腿肉と胸肉は火を通すと適度な柔らかさと歯ごたえを持つため、それなりに高級な食材として流通している。
「確かに、酒に合いそうだ」
「正式なコースとかじゃないなら、メインディッシュにもできるよ」
鶏肉の唐揚げなど揚げ物の初歩なのだが、そんなものでも珍しそうに食べる店主たち。本気で揚げ物と言う調理方法が珍しかったのだと言う事が、良く分かる光景である。
「そいつは売り物じゃないのか?」
交代勤務が終わった直後の兵士が、こそこそそんな事をやっていた春菜に目をつけ、物欲しそうな目で問いかけてくる。
「残念ながら、屋台で売り物にできるほど材料がなくて。トロール鳥二羽程度じゃ、半日も持たないでしょ?」
「そうかもな。しかし、残念だ」
「少し残ってるから、カレーパンと串カツのセットを買ってくれたら、おまけでつけるけど?」
「よし、買った」
春菜に乗せられて、カレーパン二個と串カツと言う高い買い物をやらかす兵士。九十チロルと言う、その気になれば一日分の食費を賄える金をポンと払い、嬉しそうに唐揚げをぱくつく。
「そう言えば、やっぱりまだまだ揚げ物って珍しいの?」
「少なくとも、屋台じゃまだまだだな」
「鍋は大分出回り出したんだが、やっぱりコンロがなあ」
「あたしも試してみたんだけど、うちのコンロじゃ火力が足りなくて、油の温度が上がらないのよねえ」
「ちゃんと中まで火が通らなかったり、ものすごく焦げたりで、なかなか上手くいかないしねえ……」
隣の屋台だけでなく、アメリカンドッグを十本も買って行った近所の職人や、野菜を中心に串カツを買いに来た女性も同意する。実際のところ、一般家庭用の魔力コンロでは、揚げ物に適した火力に調整するのが難しい上に消耗が大きく、業務用だと出回っている鍋では少々小さい。かといって、専用の物を用意するのは少々金がかかりすぎて二の足を踏むところだ。それ以上にノウハウが足りない事もあり、もともと揚げ物を扱っているような高級な店以外では一部チャレンジャーな店が試行錯誤をしながら揚げ料理に手を出し始めているぐらいで、まだまだ屋台レベルでは珍しい部類である。揚げ物でこれなら、蒸し料理も似たようなものだろう。もっとも、こちらはまだ、概念すら知られていないのだが。
実際、料理のときの計量自体が全体的にひどく大雑把な傾向があるファーレーンでは、まともな店はノウハウを秘匿しようとしがちなこともあって、新しい料理やその調理法はなかなか広まらない。そうやって囲い込むものだからレベルの高い店や料理人とそれ以外の格差がなかなか縮まらず、全体のレベルの底上げが進まないのだ。油が出回っている割に揚げ物を見ない理由も、案外こういうところにあるのかもしれない。
もっとも、積極的に広めようとしている春菜ですら、どの油がどんな揚げ方に向いているかとか、どれぐらいの大きさに切ってどれぐらいの温度でどれぐらいの時間揚げれば美味しくなるかとか、そういったことを面倒くさがってほとんど教えていないのだから、なかなか揚げ物の店が増えないと文句を言える筋合いではないのだが。
「カレー粉も、全然見ないよね。何人かにレシピは教えたんだけど……」
「材料自体は安いんだが、無茶苦茶手間がかかるから、売り物にすると目玉が飛び出る値段になりそうなんだってさ」
「そうなんだ?」
「うちの出入りの薬師はそう言ってたぞ。っと。カレーパン二十個と盛り合わせ二組、よろしく」
「は~い」
この近辺に居を構える商店の手代が、そんな情報を大量の注文と一緒にくれる。因みに盛り合わせは串カツ全種類とアメリカンドッグを全て二本ずつ盛ったもので、日によって値段が違う。今日はアメリカンドッグを含めて八種類。串カツの中には二十チロルの物もあるので、合計で二クローネをちょっと超える値段になる。
なお、盛り合わせの時は流石に船に盛りきれないため、基本的には十分油をきってから包んでいる。ケチャップやソースはセルフサービスのため、この場合は必然的に無しになる。まあ、きちっと味付けをしてあるので、そのまま食べても十分に美味いのだが。
「お待たせ。今日は豪勢なんだね?」
「大きい商売がまとまってな。本格的に動くのはこれからだが、前祝いって事で人気メニューを集めて回ってるんだ」
「そっか。じゃあ、ちょっとおまけして十一クローネ丁度にしておくね」
「ありがとう」
「ケチャップとソース、小瓶入りを各五十チロルで用意できるけど、どうする?」
「あると助かるな」
「了解」
注文を受け、小瓶に分けたとんかつソースとケチャップを渡す。最初の頃はこんなもので商売などしていなかったのだが、欲しいという客が少なからず居たために、今では聞かれれば普通に売るようにしている。値段が高く感じるが、ほとんど瓶代なので仕方がない。正直な話、占有して商売するつもりが全くない春菜達の場合、買って行った誰かがとっとと真似して広げてくれた方が、自分達が知らない料理が生まれるかもしれないと言う点で嬉しいぐらいだったりする。
そのまま両隣の店からもいろいろ買い取り、自分の店に帰っていく手代。それを見送った後、次の注文に備えるために在庫ボックスをあけて……
「うわ、在庫ピンチ!」
まだ半日経っていないと言うのに、いつの間にやらカレーパンの残りが少ない。考えてみれば、さっきフライドポテトと鳥の唐揚げを作った時間帯以外は、客と雑談しながらひっきりなしに十個単位でカレーパンを揚げていた気がする。
「今日は何でこんなにお客さん多いんだろう?」
「最近、営業時間が不安定だったからじゃないのか? 昨日だってやってなかったしな」
「それって、普通は客足が遠のく理由だよね?」
「ここでしか買えない代物だからなあ」
「全く、羨ましい限りだよ」
などと言いながらも、笑っている両隣の店主。実際のところ、カレーパンと相性のいい飲み物だとか、揚げ物の口直しにいい料理だとかを売っているので、相乗効果で結構いい売り上げをあげていたりする。むしろ、春菜にこけてもらうと売り上げが落ちる可能性があるのだ。
「ちょっと前は、丸一日やってもカレーパン二百とアメリカンドッグ二百、串カツ八十ぐらいが最高だったのに……」
「それだけ浸透してきた、って事だろうさ」
「しまったなあ。もっと仕込んでおけばよかったよ」
「因みに、あと何個残ってるんだ?」
「残り三十ってところかな。串カツは野牛のが残り十、蜘蛛の足肉が二十五で、後は四十ぐらいずつある感じ」
すでに、盛り合わせはきついと言う事である。昨日受けた(正確には、断ると言う選択肢が無かった)依頼の絡みで、出来るだけ売れ残りを出したくなかったとはいえ、少々仕込みの量を絞りすぎたかもしれない。そんな事を言っている端から、さらに客が十人ほど来て、カレーパンが三個と串カツが合計二十程度出ていく。
『どんなもん?』
仕込みをミスったか、などと後悔しているところに、宏から通信が入る。
『もう少しで在庫が無くなりそう。後一時間はかからないと思う』
『ほな、ちょっと作ってそっちに送ろうか?』
『送るって、どうやって? 誰かに持ってきてもらうんだったら、多分手遅れだよ?』
『その在庫ボックス、今共有機能を拡張したから』
また高度な機能を無駄に増やしたものである。因みに共有機能とは、複数の収納スペースをつなげて、中身を共有できるようにする機能である。この場合、多分屋台の在庫ボックスと工房の食糧庫あたりを繋いであるのだろう。本来ならスペースを共有させるものが全部揃っていないと追加できない機能のはずだが、最初の段階で別の物と共有してあったので、その別の物を拡張したのだと言う話である。宏の力量なら、共有先が複数あるようなものでも、手元に一つあれば十分らしい。
つないだ空間の数だけ容量が増えると言う事もあって、人によっては割と重宝しているエンチャントではあるが、触媒がかなり高価なのとNPCだと成功率が洒落にならないほど低い事がネックとなって、一般ユーザーには高嶺の花、と言う感じの代物になってしまっている。今回の場合、手伝えることがなくて手待ちだった真琴が、討伐依頼で狩ってきた獲物の内臓をこのエンチャントの触媒に加工出来たため、倉庫とパーティの鞄全てを共有化した事は知っていた。が、在庫ボックスを他の物と共有してあった事は、さすがに知らなかった。
言うまでもない事だが、こんなえげつないエンチャントは、当然一般には知られていない。ゲームと違って国家レベルでもほとんど知られていない様子で、鞄経由で食品や道具のやり取りをしている宏達を見て、ドーガがしきりに羨ましがっていた。なんでも、騎士団レベルでも、兵站に関しては普通に徒歩や馬で荷台を引いて持ち運ぶのが一般的で、容量拡張を限界まで利用しても、普通に手に入る鞄レベルでは長期戦に耐えられるだけの物資を運ぶのは困難なのだそうな。
『道理で入れた覚えのないものが入ってると思ったよ……』
『とりあえず、どんぐらい送り込めばええ?』
『そうだね。ん~、カレーパンだけ、三十個もあればいけるかな? あればあるだけ売れるとは思うけど、串カツとの兼ね合いからすると、そんなもんだと思うよ』
『了解や』
春菜の注文を受けて、カレーパンの仕込みに入る宏。今後の仕事のための道具作りはいいのだろうか、と思わなくもないが、声をかけてきたという事は、手が空いたのだろう。そんな事を考えながら、カレーパンを揚げ続けていると……
「金を出せ!」
なかなかいかつい体格の歴戦の戦士風の男が、かなり大ぶりなナイフを突き付けながら脅してきた。身なりを見た感じ、食いつめ気味らしい。いきなりの事態に、周囲の人が悲鳴を上げ逃げ惑う。その様子に眉をひそめた春菜が、怯える様子も見せずに行動を起こす。
その動きは、周りで見ていた一般人はもちろん、当の男にも見切る事は出来なかった。微かに甲高い金属音が聞こえたと思ったら、すでにナイフは根元から切り落とされていた。見ると、いつの間にか抜き放たれていた春菜のレイピアが、切り落とされたナイフの刃先、その真ん中あたりを串刺しにしている。なぜわざわざそんな真似をしたのか、理由は単純。下手に切り飛ばして油の中に入ったり、周りの誰かに当たったりしたら大惨事だからである。
「ご注文は?」
地面にナイフの刃先を突き刺し、逆にレイピアの切っ先を突き付けながら、にっこりと微笑んで問いかける春菜。いくらか弱そうに見えても、大抵のフィールドボスには勝てる技量はあるのだ。強盗を成功させたいのであれば、せめて義賊アルヴァンとやりあえるぐらいの実力は必要である。
「……あ、アメリカンドッグを一つ……」
何か買えば見逃すと言うサインを理解し、なけなしの金でアメリカンドッグを買って這う這うの体で立ち去る男。その様子を見守っていた群衆が、春菜に向けてやんやの喝采を上げる。この事件から十五分で、追加も含めて全ての商品が売りきれるのであった。
「やばそうなのは居るか?」
ウルスから少々離れた森の中。澪、達也、真琴の採集チームは、付近に危険そうな生き物がいないかチェックしていた。レイオット王太子殿下に昨日押し付けられた、エレーナ王女殿下の治療。その仕事のために、解毒剤をはじめとしたさまざまな薬剤の材料が必要になった、と言う事で、達也と澪の訓練も兼ねて、材料調達に来たのだ。本当は現在採集訓練中の春菜も連れて来たかったのだが、今後屋台をできるかどうかが不透明な情勢になってきたこともあり、在庫一掃セールのために残らざるを得なかったのである。
因みに今回の場合、材料調達と言うのは、植物性原料だけではない。モンスターの臓物なども対象である。なので彼らは、そこそこ攻撃的な生き物もいる区域に来ている。採集中は割と無防備になるので、索敵はきっちりしておかねば危険だ。それゆえに、普段の依頼よりも慎重に索敵してるのである。もっとも、森の中と言ってもまだまだ踏み込んだばかり、と言う位置関係で、少し後ろを向けば街道すら見える範囲であり、現時点ではそこまで攻撃的な生き物もいなければ、持って帰ってありがたがられる素材も生えていない。
「ん。あっちに不確定名・大型のトカゲがいる」
達也の問いかけに対し、アバウトに空の方を指さしながら、なかなかにやばそうな事を言ってのける澪。
「あっちって、どこよ?」
「だから、あっち」
澪が指さした先を凝視するも、達也も真琴もそれらしき影は見つけられない。角度から言って空中に居るらしいが、見える範囲には鳥すら飛んでいない。
「距離は、どれぐらいなのよ?」
「多分、ざっと十五キロぐらい?」
人類の限界をあっさりぶち抜いた事を言う澪。視力強化スキルによって鍛えあげられた澪の目ならば、水平線の向こう側ですら見る事が出来る。
「おいおいおい。そんなもん、俺らに見分けがつく訳ねえよ」
「師匠なら、分かるかも」
「流石に、お前らみたいに感覚が高い訳じゃないからなあ……」
澪の無体な言葉に、呆れたように突っ込みを入れる達也。ゲームにおいては、感覚と言う能力値はほぼすべての行動に関わってくる割に、補正が入るスキルが生産全般か射撃系および盗賊系の一部と芸術系、後は察知・探知系ぐらいしかないと言う、狙って鍛えるのは非常に難しい能力値だった。生産系と芸術系以外は補正値も修練ボーナスも低めに設定されていることも、感覚を鍛えるのが難しい理由の一つである。
そのため、百五十が最初の壁である他の能力値と違い、感覚値は百を超えるのが非常に困難で、百五十の壁には届いてすらいない人間が大多数である。宏や澪のように三百なんて数値を鼻で笑う人間など廃人の間ですら伝説の生き物で、チーム内で三番目の春菜の能力値ですら、歌唱のエクストラが噛んでいる事もあって、真琴や達也ではどうあがいても勝負にならないレベルである。一応、製薬と錬金術が中級に達し、相応に採取と伐採も上がっている達也はまだしも、その手のスキルは触ってすらいない真琴はどうにもならない。
「しかし、空で大型のトカゲって、やばくないか?」
「具体的な形状は?」
「胴体がちょっとずんぐりしてて、前足が皮膜の翼になってる。足は結構太くておっきな鉤爪がついてて、尻尾に毒針らしいものがある。色は黒」
「ワイバーン、か?」
「そんな感じ」
澪の言葉に顔をしかめる達也。かなり遠出したとはいえ、一般的な冒険者が加速系アイテムを使って移動すれば、このあたりはまだウルスから日帰りで行き来できる範囲だ。こんなところにワイバーンなど、ゲームの時はイベントぐらいでしか出て来なかった。
「こっち、捕捉されてる」
「……そう言えば、連中の索敵レンジはかなり広かったな」
「しかも、肉食なのよね……」
そこまで言いあって、顔を見合わせる三人。
「……やっちゃう?」
「真琴、今の装備で、ワイバーンをやれるか?」
「余裕。そっちは?」
「武器だけはいいから、被弾さえしなければいけるだろうさ」
相談しているようで、単なる確認でしかない会話を終えたところで、澪が無言で弓を構える。射程延長と貫通強化のエンチャントを重ね掛けしてあるとはいえ、所詮は普通の木材で作ったただの弓だ。品質の問題で下手な大型クロスボウより威力は上だが、流石にどうあがいても十五キロも先の相手には届かない。が、こっちが応戦の構えを取った事は相手にも伝わったようで、このか弱い獲物に向かって、真正面から突っ込んでくる。
「残り十キロ、九、八、七……」
「素材を考えると、あんまり派手に焼いたりしない方がいいんだよな?」
「となると、あたしが頭を落とすのが一番手っ取り早いわね」
真琴の言葉に、一つ頷く達也と澪。スライムなどのような原始生物の類でもない限り、頭を落として死なない相手はそういない。ワイバーンもその例に漏れず、流石に頭を落とされたり心臓を潰されたりすれば、確実に死ぬ。
「残り一キロ、攻撃する」
既に真琴と達也にも姿が見えるワイバーンを睨みつけ、その宣言とともに、連続で二発、矢を放つ澪。放たれた矢は、見事にワイバーンの翼の付け根を撃ち貫き、突き刺さる。翼の自由が利かなくなり、バランスを崩して地面に墜落するワイバーン。だが、それまでの速度が速かった事もあり、墜落地点は澪達から数十メートル離れた平地部分だ。その気になれば、お互いに攻撃が可能な範囲である。
「オキサイドサークル!」
堕ちたワイバーンに対し、割とマイナーな特殊攻撃魔法を発動させる達也。この魔法、相手を閉鎖空間に閉じ込めた上で、大量の酸素を発生させて酸化および酸素中毒を起こす、もしくは、酸素を全て奪い取って窒息死させると言う技である。今回は窒息死させる方を選んだが、流石にタフなワイバーンは、このぐらいでは死ぬどころか気絶もしない。人間ならば割と早い段階で脳を破壊できる魔法だが、体の構造の違いもあって、すぐに致命傷、と言う訳にはいかないようだ。
オキサイドサークルの閉鎖空間に阻まれ、のたうつ事も出来ないワイバーン。その哀れな犠牲者の頭を、三カ月愛用している大剣で一刀のもとに切り捨てる真琴。ドラゴンほどではないにせよ、ワイバーンの皮は非常に硬い。それを特に気合を入れるでもなしに切り落とす真琴は、間違いなく相当な力量の持ち主だろう。動けない相手を切っただけ、という条件ゆえに活躍はしていないが、元々魔法使いと弓兵がいて、単独の相手に奇襲が成功したのであれば、前衛の出番など無いのが普通である。
「また、変な魔法を覚えてるわね」
「生き物相手に素材集めの狩りするときに、物凄く重宝するんだよ。なにせ、普通の攻撃魔法と比べて、倍は素材が取れる。その上、皮とかは品質がいい奴が取りやすい。内臓狙いの時は、相手によっては別の魔法の方がいい事もあるがね」
「試したの?」
「まあ、な。こいつやヒロを手伝う事が多かったから、出来るだけ少ない回数で多く集めるにはどうすればいいかって、いろいろ試したもんだ」
「なるほどね。確かにあたしが達也の立場だったら、絶対同じ事するわ」
うんうんうなずいて納得する真琴。そんな彼らの様子に頓着せず、ワイバーンの亡骸を観察する澪。
「どうした?」
「このクラスの獲物だと、適当にブロックごとに分けて、師匠に解体してもらった方がいいかな、って」
「そうなのか?」
澪の言葉に首をかしげる達也と真琴。宏の言葉が正しいのであれば、素材として剥ぎ取るだけなら、澪でもほとんどの物は回収できるはずなのだ。
「うん。剥ぎ取った段階でエンチャント処理した方がいい、なんてものもあるし」
「具体的には?」
「ワイバーンの場合、皮なんかがそう。あと、尻尾の毒針は上手くすれば毒薬にも解毒剤にも使えるけど、これも解体して取り出すときに、ちょっとした処理が必要」
流石に、単独撃破を目指すならレベル三百以上が目安のモンスター。いろいろ気を使う素材があるようだ。なお、言うまでもないことながら、あくまで目安が三百、と言うだけで、能力値と所有スキル、プレイヤー本人の技量である程度どうとでもなる。実際、春菜はレベル百三十五のときにイベントで絡まれて、非常にきわどい勝負ながら単独で始末するのに成功している。相手の防御力を抜けるだけの最低限の攻撃力と、即死しないだけのタフさ、そしてちゃんとした対応能力があれば、たいていの相手は意外と何とかなるのが、フェアリーテイル・クロニクルと言うゲームである。もっとも、ちゃんとした対応能力というのがかなりハードルが高いのだが。
「別に、ボクがやってもいいんだけど、皮にかけるエンチャント処理とか、ボクと師匠じゃ効果に三割以上差が出る」
「だったら、とっととブロックに分けて回収しちゃいましょう。入るわよね?」
「問題ない、って言うか、出る前にあいつが共有化とかいろいろかけてたぞ」
「了解。本当に、細かいところで凝った事をする奴だわ」
そう言って、翼、右足、左足、などという具合にざっくりブロック分けして鞄に詰め込む。入れた時点で血の流れなども止まるのが便利だ。口の大きさより入れたパーツのサイズの方がはるかに大きいが、魔法の鞄にそこら辺を突っ込むのは無粋と言うものだろう。
実際のところ、今回の共有化が無ければ、下手をすればワイバーンの素材だけで鞄が満タンになりかねなかった。いかに容量拡張によって見た目の数倍は容積があると言っても、今回のワイバーンは長手方向だと十メートルを超えているのだ。しかも、全てのパーツがここら一帯では貴重な素材なので、捨てると言う選択肢も難しい。共有化によって、全員の鞄の容量+倉庫および在庫ボックスの容量となっているからいいが、そうでなければ最悪、皮だけ剥いで終わりと言う事になっていたかもしれない。
職人として、こういう役に立つ作業だけをやってくれればいいのだが、関西人の血がうずくのか、先日の鯛焼きプレートやまぜるんば、各種調味料のような趣味全開の方向に全精力を注ぎ込み、明後日の方向に努力を重ねる事も少なくないのが、東宏の困ったところである。
『師匠、師匠』
ブロック分けを終え、鞄に突っ込んだところで、カードのパーティチャットモードで澪が宏に連絡を取る。パーティチャットなので、この場に居る全員が宏との会話を聞くことができる。
『なんや?』
『ワイバーン仕留めた。解体して』
『別にええけど、またごっついのんがおったんやな』
『うん。ちょっと瘴気が濃い気がする』
気になった事を報告すると、何やら考え込んでいる種類の沈黙が。しばし、宏が行っているであろう何かの作業の音だけが聞こえ、その後に困ったような口調で宏が返事を返す。
『何ぞ、碌な事になってへん雰囲気やから、注意してや。どうにも、やな感じがするし』
『分かってる。無理しない範囲で帰るから』
『了解。場合によっては、解体は全部こっちに振ってくれてもええから』
『師匠、そんなに手が空いてるの?』
『アクセは丁度終わったところや。今は、春菜さんのためにカレーパン仕込んどる』
その言葉に、屋台の方が相当順調らしいと察する一同。まあ、春菜が全力で売り子をするのだから、当然と言えば当然なのだろうが。
『とりあえず、カレーパンの仕込み終わったら解体作業に移るわ。ワイバーン肉の食べ方は、春菜さんと相談かなあ』
『真っ先に食べる方を考えるのかよ……』
『ええやん。食べる事は体の基本やで』
達也の突っ込みに、しれっと返す宏。とはいえ、尻尾の先端だけとはいえ、一応毒を持つ生き物だ。トカゲの親玉と言う事を考えなくても、あまり食欲がわく相手ではない。
『とりあえず、いつレイっちが患者を連れて戻ってくるか分からへんから、適当なところで切り上げて帰ってきてな』
『分かってるって。まあ、とりあえず二時間ぐらいは粘るから、そのつもりでいてくれ』
『了解』
達也の言葉を了承し、通信を切る宏。既に澪は材料採取と言う名の草むしりに入っている。周囲の警戒を真琴に任せ、自分も材料集めを手伝う事にする達也。宏や澪ほどの腕はないが、一応これでも採集と伐採は中級の半ばぐらいには達している。
二時間後、達也達は結構な量のモンスターを仕留め、十分すぎる量の材料を確保して帰還するのであった。
扉をノックする音にエレーナが身を起こそうとするより早く、侍女が反応する。
「どなたでしょうか?」
「レイオットだ。姉上とお話がしたいのだが、いいだろうか?」
王太子の言葉に自分をうかがう侍女に対し、一つ頷いて見せるエレーナ。
「どうぞ、お入りください」
「失礼する」
部屋の主であるエレーナに一つ会釈をし、優雅な所作で部屋に入って来るレイオット。後ろには、いつものようにユリウスが従っている。弟の様子から、自分に関わる、何か重要な話があるのだと察するエレーナ。
「すぐにお茶を用意いたします」
「いや、必要ない。それより姉上、人払いをお願いしたい」
「分かりました」
お茶を用意しようとしていた侍女に目配せをして下がらせると、全身の痛みと倦怠感を押して姿勢を正すエレーナ。朝からずっと熱が下がらず、薬湯や重湯ですら飲み込めずに吐き戻している。正直、体力的にはつらいどころの騒ぎではないのだが、そうと知っているレイオットが、多忙の身を押してわざわざ会いに来たのだ。大事な話なのは間違いない。
「それで、話と言うのは?」
「準備が必要ゆえ、少し待っていただきたい。ユリウス」
「はっ」
そう言って、二人で懐から何やら取り出し、ごちゃごちゃといじり始める。次の瞬間、部屋の中を魔力が満たし、外部と完全に隔離される。
「隔離結界とは、また大層なものを張るのね」
「どこに目と耳があるか、分からないからな」
「しかも、これほどの魔力を使うものは、見た事もないわ。ドラゴンにでも、喧嘩を売るつもり?」
「作った男に言わせれば、これでも手を抜いたそうだが」
レイオットの言葉に、絶句するしかないエレーナ。
「……本当に?」
「私たちの話を聞いてすぐ、目の前で加工を始めたからな。三十分程度で作り上げたのだから、手を抜いたと言うのはあながち嘘でもないだろう」
「その人、一体何者なのかしら?」
「ニホン人、だそうだ。エルンストの子飼いのマコトと言う冒険者と同郷だと言っていたから、知られざる大陸からの客人だと考えて間違いないな」
レイオットの解説を聞いて納得する。それなら、これほどの物を作りだしてもおかしくないだろう。
「それで、だ。姉上」
「何かしら?」
「その男なら、あなたの体を治せる可能性がある。ただし、奴をここに連れてくるのは、現状では難しい」
「それは、どうして?」
「簡単だ。ここでは、治療が妨害されかねん、と言い張っている。しかも、残念ながらそれを否定できない」
レイオットの言葉に、渋い顔をしてしまうエレーナ。心当たりが、ありすぎるほどある。特に、カタリナのそばにいる男が。
「それで、私はどうすればいいの?」
「姉上に求められている事は、大したことではない。物置のような粗末な部屋に文句を言わない。体調以外の理由で、出されたものを残さない。治療経過が思わしくなくても、文句を言わない。態度が無礼でも罪に問わない」
「部屋についてはともかく、それ以外は当たり前と言えば当たり前の話ね」
「我々も釘を刺された。手遅れでも文句を言うな、とな」
考えたくない可能性についても、既に釘を刺されていたらしい。
「それで、結論は?」
「姉上が納得するのであれば、その男に全てを任せるつもりだ。父上も宰相も、既に納得している」
「魔道具作りが得意なのは分かったけど、それで治療など、できるのかしら?」
「これを目の前で作ってみせられては、納得するしか無かろうさ」
そう言って、姉に何かを渡すレイオット。受け取ったそれを見て、怪訝な顔をするエレーナ。
「小瓶? たかが瓶に、随分と強い魔力を込めてあるわね。中身は薬のようだけど……」
「四級のヒーリングポーションだ」
「!?」
とんでもない事を、あっさりと言ってのけるレイオット。その言葉に、思わず瓶を取り落としそうになる。
「ほ、本物なの……?」
「ああ。宮廷魔導師と薬師に確認を取らせた。間違いなく四級ポーションだ。もっとも、材料の都合で、五本程度しか作れなかったそうだがな」
弟の言葉を聞き、手元のポーションをまじまじと観察する。確かに瓶からして、たかがポーションに使うものとは思えないほど強力な魔力が漏れている。蓋に手を当ててレイオットをうかがい、頷いたのを確認してほんの少し開封する。流石に伝説手前となっている四級ポーション、とでも言えばいいか。わずかに開封した隙間から洩れたにおい、それだけで毒素に痛めつけられた体が楽になった気がする。
事実、この四級ポーションが本物かどうかを確認した時、訓練で受けた軽い怪我が、においをかいだだけで治癒したケースがあった。二週間前に秘密裏に行われた大規模討伐、その時に瀕死の重傷を負った騎士が、後遺症こそ残れどその一本で復帰できるレベルまで回復したのだから、とんでもないポーションである。こんなものを、何でもないように目の前で駄弁りながら作ってのけるような薬剤師は、少なくともこの国と隣国二国にはいない。
因みに、このポーションの材料、ピアラノークのはらわたを処理したものが使われている。他の材料は、二度目に糸を回収しに行った時に、ついでにあれこれ植物系材料をかき集めてきたものだ。実のところ、五本程度しか作れなかったのは、薬の材料ではなく、瓶の材料の都合だったりするのだが、流石にそんな裏事情は、レイオット殿下は知らない。
「これを作れる男が言うのだから、彼にどうにもできないのであれば、誰にもどうにもできないだろう」
「そう……」
レイオットの説明は、納得するしかないものである。どこからか持ってきたものならば、騙されている可能性も指摘できるのだが、目の前で作った、と言うのであれば誤魔化しようがない。ちゃんと効果が出ている以上、騙すために適当に作った偽物だと言う線も消えている。だが、本物を作れるからこそ、危険なのではないのか、と言う疑問がなくもない。
「その男たちが信用できないのであれば、もう一つ補足説明をしよう」
「まだ、何かあるの?」
「その男には、エアリスが随分懐いていてな。エルンストもそれなり以上には信頼しているようだから、人柄には問題ないと判断している。もっとも、油断すると趣味に走って妙なものを作りがちではあるようだが」
「妙なもの、って?」
「私が見たのは調理器具だったが、正体不明の菓子だとか妙な調味料だとか、主に食の方面で暴走しがちだそうだ」
それを聞いて、出されたものはちゃんと食べろと言う約束を、早まったかもしれない、と思ってしまうエレーナ。だが、レイオットがこの話を持ち出した、と言う事は、もはや選択肢は無いのだろう。
「……分かったわ。いくつか不安要素があるようだけど、きっと、他に選択肢は残されていない。その方に、お願いして頂戴」
「ああ。これからそのための手続きを済ませてくる。一時間後に迎えに来るから、それまでに準備を済ませてくれ。後、万全を期すために、侍女を連れていく事は出来ない。ある程度、自分の事は自分でする事になるだろうから、済まないがそのつもりでお願いしたい」
「命が助かるのであれば、それぐらいの覚悟は決めるわ」
エレーナの言葉に頷くと、魔道具を解除して部屋を後にするレイオット。一礼したユリウスがエレーナのために侍女を呼び、レイオットの後を追いかける。
「療養のためにここを離れることになったから、身の回りの物を用意して頂戴」
「分かりました。随行員は、どうなさいますか?」
「向こうが用意してくれるそうだから、必要ないわ」
疲労でぐったりとしながらのエレーナの言葉に、顔色を変える侍女。
「それは認められません!」
「お父様と王太子殿下が決定なされた事よ。あなたも、心当たりがあるのでしょう?」
「……ですが……」
「決定事項よ。納得しなさい。出発は一時間後だそうだから、急いで」
「せめて私だけでも!」
言い募る侍女に首を横に振り、準備を急かす。迎えに来たレイオットに命をかけて食い下がった侍女だが、結局その言葉が受け入れられる事は無く、感情面で小さくないしこりを残したまま、エレーナは治療に向かうのであった。
「……何をしているのだ?」
エレーナを御姫様だっこで抱えたレイオットが工房の敷地に入った時、宏は何やら大型のモンスターを解体していた。ぶら下がっている皮を見るに、おそらく黒い爬虫類なのだろう。
「あ、レイっち。早かったやん」
声をかけたレイオットの方を見ず、やりかけの作業を続行しながら返事を返す宏。どうやら、途中で手を止めるのはまずい工程だったらしい。
「……お前たちぐらいだろうな。許可をもらったからと言って、我々にそこまで気安く接するのは」
「ええやん。ここにおる間は肩書なんざ無しって事で」
レイオットをレイっちなどと妙な呼び方をする男に、彼の腕の中でエレーナが目を白黒させる。王族相手にそう言う呼び方をするだけでなく、振りかえって人の顔を見たとたんにびくっとしてそそくさとあからさまに距離をとるなど、実に失礼な男だ。確かに今のエレーナはやせ衰えてぼろぼろで、正直正視に堪えない姿をしている自覚はあるが、それでも初対面の相手にとるべき態度ではない。ないのだが、王族と知っていてそれをやると言う度胸は、ある意味好ましいと言えば好ましいのかもしれない、と、あまり回らない頭で妙な事を考えるエレーナ。
「それで、なにをしていたのだ?」
「ん? ああ。真琴さんらがワイバーンを仕留めたから、ばらして処理しとってん。もうじき食材仕入れて春菜さんが戻ってくるから、ブロック肉の毒抜きをな。まあ、いうても熟成の問題とかもあるから、今日すぐにっちゅうわけにはいかんけど」
「……ワイバーン、だと? それも、よりにもよって、黒? どこで出てきた、と言っていた?」
「大霊峰の麓あたりらしいわ。何ぞ、ちょっと瘴気が強なってる気がする、言うとったで」
ろくでもない情報に、表情が凍りつく二人。その様子に頓着せず、話を進める宏。
「で、そのお姉さんが、第二王女殿下?」
「……ああ。エレーナ姉上だ」
「んじゃまあ、一応部屋は用意してあるから、粗末で悪いんやけど、そこに連れてってくれへんかな?」
「分かった」
宏に案内され、粗末と言うよりは質素、と言う感じの部屋に入る。広くは無いが、少なくとも人一人を介護するには十分なスペースがあるその部屋は、質のいい家具がセンス良く配置され、狭いなりにとても居心地がよさそうだ。窓際に置かれた一輪ざしの可憐な花が、エレーナを快く迎え入れてくれる。
「ほな、もうじき澪が帰ってくるから、きちっとした診察はそれからやな」
「今からやらないのか?」
「……僕に女体に触れと? それ、どんな拷問やねん」
宏の言葉に、先ほどの態度も含めて何かピンと来るものがあったらしい。エレーナが恐る恐る質問する。
「初対面でぶしつけだとは思うのだけど、あなたもしかして……」
「正直、一生関わりあいになりたない程度には、女の人が怖いけど何か?」
「……面倒をかけて、申し訳ないわね」
「ええよ、ええよ。困った時は、お互い様や。そう言えば、一応自己紹介しとこか。僕は東宏。このチームの製造責任者や。必要なもんがあったら、下着以外は大概作れるから、何でも気軽に言うてや」
今更と言えば今更のような自己紹介に、軽く会釈を返すエレーナ。
「そう言えば、その件に関してエルンストが、と言うよりはレイナがひどい粗相をやらかしたそうだが……」
「終わった話やから、気にせんでもええで。今のところ、またやらかす様子もないし」
「だが……」
「今、人が足りてへんねんやろ? それに、どうもああいうガチガチなタイプは、自分でもやらかした思ってる事を責められもせんと、やらかした相手に優しいされるとそっちの方が堪えるみたいでな。食事ん時は雰囲気悪うせんように強がって平気そうにしとるけど、空き時間はものっそい居心地悪そうやし、十分罰になっとると思うで」
現状のレイナは自分で自分の事を全く信用していない様子で、何かやる事、出来る事は無いかを聞くときと、言わなければいけない事、確認する必要がある事があるとき以外は、滅多に宏に話しかけない。逆に、宏に言われた事は、どんな無体な要求でも文句ひとつ言わずに黙々とこなしている。トイレ掃除だとか汚物の処理だとか、人が嫌がりそうな事に至っては進んでこなす徹底ぶりだ。
これが他の人間なら、反省しているふりを疑われても仕方が無いのだが、レイナの場合そういう駆け引きは宏以上に向いていない。ゆえに、例の件から二日三日は納得いかない、と言う感じが残っていた春菜も、今や進んで有耶無耶にしようとする方に回っている。
良くも悪くも感情がストレートに行動に直結しやすいのが、レイナ・ノーストンという少女なのだ。
「どっちにしても、反省が足らん思うたら、おっちゃんが焼き入れるやろうから、そこら辺に関しては僕は口はさむ気はあらへんし」
「そうか。なら、エルンストの方には後で間を見て、私から釘を刺しておこう」
「そこら辺は好きにしたって」
そっけなく話を切り上げると、何やら道具を用意しながら考え込む宏。少し考えた上で、今からすべき事を口に出す。申し訳ないと思いつつも、終わった事にしたがっている宏の態度に甘える事にし、とりあえず治療のための指示を聞く態勢になる二人。
「まあ、触診とかちゃんとした診察は後回しにするとして、とりあえず問診だけ済まそうか。あ、そうや、レイっち」
「何だ?」
「毒素を調べるために、お姉さんから血をもらいたいんやけど、自分出来へん? 終わったら、治療用に等級外ポーションを飲んでもらえばええし」
「……やってみよう。指示をよこせ」
「はいな」
採血、などと言う作業は初めてだが、血管がどこにあるかぐらいは知っている。宏の指示に従って姉の血管に針を刺し、多少の血を抜いて渡す。受け取った血に、ポシェットから取り出した何かを浸しながら、問診を続けていく宏。
「大体は、エルに聞いとった通りやな」
「エル?」
「エアリス姫様の偽名。匿っとんねんから、素直に呼ぶ訳にはいかんやろ?」
宏の説得力のある言葉に、思わず納得するエレーナ。
「それにしても、レイオットにしろエアリスにしろ、そんな珍妙な呼び名を許すのだから、随分と仲良くなったものね」
「エルはまあ、成り行きとはいえ命の恩人やからなあ。レイっちに関しては、ある意味同類やから、ってところでどない?」
「同類か、なるほどね」
「ああ。同類だ」
宏の言葉ににやりと返すレイオットと、思わず苦笑するしかないエレーナ。宏には悪いが、レイオットが彼の同類のまま、と言うのは王家の血筋を存続させる、という観点では実にまずい。が、宏のように関わりあいになりたくないほど怖い、と言う訳ではないが、レイオットの身内以外の女性に対する不信感と憎悪は相当なものである。
「それにしても、僕みたいになし崩しで共同生活する羽目になった訳でもないのに、春菜さんとか澪に対しては、えらくあたりが柔らかいやん。エルが驚いとったで」
「ミオはいろいろな意味で子供だからな。女として扱う方がどうかしている」
「春菜さんは?」
「彼女ほど女性らしい人物は確かにそうはいないが、ある面においてはあれほど女を感じない人物も珍しいぞ。どうにも、警戒しようにも毒気を抜かれる」
春菜は、女性特有のどろどろした感情を驚くほど感じさせない。急に打算的になったり、妙なところで現実的だったり、女性に多い心の動きがない訳ではないが、少なくとも権力に群がって来る女が持ち合わせているような、そんな黒さ、汚さは一切ない。多分にそれは、春菜が実際は誇り高い人物である事が大きいのかもしれない。
「何にしても、ハルナやマコトは、尊敬に値する人物だ。いくら女性と言うものを憎んでいると言っても、女性だからと言うだけでそういう人物を遠ざけるほど愚かでは無いつもりだぞ」
「なるほどなあ。っと、そろそろええかな」
何やら納得したところで、先ほど血に浸したあれこれを取り出し、真剣な顔で確認する。
「予想通り、やな」
「では?」
「間違いなく、毒や。予想通りとはいえ、エミルラッドとは手の込んだ真似をしよる」
「エミルラッド、とは?」
聞いた事のない名を告げる宏に、真剣な顔で続きを促すレイオット。
「無味無臭、無色透明の猛毒や。銀みたいな毒に反応しやすい金属にも影響を与えへん、生き物を殺すためだけの毒物やな。ただ、普通に致死量を混ぜ込むと、飲みもんやろうが食べもんやろうが分離して一目瞭然になるし、そんなもん口に入れたら、飲み込む前に拒絶反応で吐いてまうから、いろいろ工夫がいってな」
「具体的には?」
「そうやな。一番確実なんは、毎回食後のティーポットに水滴一滴たらして、大体一カ月言うところやな」
「その程度の分量を茶葉に混ぜ込めばいい、ということか?」
「そんなとこや。ついでに言うと、それぐらいやったら、毒見の人には引っ掛からへんし」
などと言ってはいるが、宏個人は食事への混入ではない、もしくは、それだけで中毒にしたのではない、と思っている。
「ただ、それやと姫様を中毒にするんは確実にできても、他の人間を巻き込まんと済ますんは厳しいから、別の方法も考えた方がええやろうな」
「具体的には?」
「接触でも体内に取り込むから、姫様しか使わへん道具に塗ったくられとった可能性もある。他にも、姫様の化粧品、香水なんかにも微量ずつ混ぜ込んであった、っちゅう線も疑わしい」
「つまりは?」
「首謀者が余程でもない限り、結構な数の協力者がおるはずや」
考えたくなかった事実を突き付けられ、渋い顔で沈黙する二人。
「まあ、間一髪、言うレベルやけど、治療自体は出来る範囲や。ただ、なあ」
「ただ?」
「ちょっと症状が進みすぎとるから、多分結構な後遺症が残るわ。それに、こいつを直接解毒する、となると、材料が難儀やねん」
「何が必要なのだ?」
厄介な事を言い出す宏に、眉をひそめながら問いかけるレイオット。
「ソルマイセンっちゅう果物や。高地やと割といつでも生ってるんやけど、物凄く足の早い実でな。収穫してから腐り始めるまで遅くても一日かからへんぐらい、完全に腐り切るまでに二日かからへんような厄介な実や。しかも食用としては微妙な味で、薬用につかうにはかなり面倒な処理が必要なうえに、収穫するんにも扱うんにも相当な腕がいるねん。せやから、基本的に需要の無い果物やから、いくらウルスが世界一の物流拠点や、いうても、流石にこんな珍妙なもんは出回って無いやろうなあ、って」
「割といつでも生っている、のだな?」
「花が割といつでも咲いとるからな」
宏の説明を聞き、即座に行動を決めるレイオット。
「ならば、採りに行かせよう。特徴を教えろ」
「それやったら、今日の採集チームに行ってきてもろた方が早いやろ。まあ、特徴は教えるから、念のために市場に出てないか探してくれへん?」
「分かった。済まないが、姉上の事を頼んだ」
「引き受けた以上は、ちゃんとやるから安心し」
宏の言葉に一つ頷くと、ざっとソルマイセンの特徴を聞いて転移術で帰還するレイオット。その姿を見送った後、宏の方を向くエレーナ。
「後遺症って、どんなものが?」
「虚弱体質やな。多分、何の手当ても無しやったら、前みたいに健康な生活は出来へんなると思う」
「何の手当ても無しなら、と言う事は、何か方法はあるのね?」
「まあ、そのためにいろいろ作っといたから」
エレーナの問いに応え、再びポシェットから何かを取り出す。
「こっちがスタミナ増強の指輪、これが生命力強化のイヤリング。他にも耐久力向上とかあれこれ用意しといたから、これとスタミナポーションで、今の状態でも歩くぐらいの事は出来るようになるはずやし、多分、ある程度は食べて消化してくれるはずやで」
「……また、ずいぶんと強力な術が付与されているようだけど、あなた一体何者?」
「単なる職人や」
宏の言葉に納得できない様子のエレーナ。そんな彼女を見て苦笑しつつ、入れ違いで外出から戻って幻術を解いていたエアリスを呼ぶ。
「お姉様、そのお姿は……」
宏に呼ばれてエレーナの見舞いのため部屋に入ったエアリスは、変わり果てた姉の姿に絶句する。
「正直、油断していたわ。現状、あなたの予備でしかない私が、まさか一服盛られるなんて、ね」
「申し訳ありません……」
「エアリス、私の可愛い妹。どうしてあなたが謝るの?」
エアリスを招き寄せ、その頭を抱え込んで優しく撫でる。とは言え、彼女に責任がないことは明白ではあるが、エアリスが全く無関係ではないだろう、と言うのもまた、間違いない事実ではある。
「とりあえず、まずはお姉さんの体を、日常生活ができる程度まで回復させるところからスタートやな。そこから先、エルをどないして責任を追及されへん形で安全に元居ったところに帰らせるか、っちゅうのが課題、ってとこかいな?」
「そうね。まあ、そのあたりは、お父様や王太子殿下に任せましょう。所詮、私は権限のない予備だから、ね」
何ともマイナスの印象を受ける言葉を、あっけらかんと言ってのけるエレーナ。なんだかんだと言って、ここで治療を受けること自体には、全く文句が無い様子である。
「さて、春菜さんが帰ってきたみたいやし、晩御飯の準備に入ろうか」
そう言って、エアリスを看病のためにその場に残し、台所の方へ降りていく宏。その日、エレーナに出された夕食は、醤油と煮干しのダシをベースに野菜のエキスを煮出した具の無いスープで、滋養たっぷりの優しい味が弱っていた胃にゆっくりと沁みこんで彼女を癒すのであった。