聖女の楯と魔王の剣
頭を本の角で打ち抜き、ふたつの記憶を持ちえてしまった上、聖女とまさかの魔王を兼任することになったオレの、のた打ち回るかもしれないお話
リスティ・ガナル・R・デニスターゼは誰も居ないことを確かめた図書館で頭を抱えていた。
17年生きてきたそのすべてを走馬灯の如く見せ付けられ、今現在の価値観と、かつて持っていた価値観の余りにも違う、例えるならば断崖絶壁を越えて深海に向かって伸びる海溝を足したところで間に合わないその差に、どうしたものかと試行錯誤していたのだ。
簡単に一言で済ませるならば、記憶が戻った、のである。
きっかけは簡単だった。
今日と言う日に受けた授業の復習を、そして予習を行なうため、単身図書室へとやってきたのだ。
そしてお目当ての本を手にしようと指先を伸ばし、そしてそれがつるりと見事に滑った。無論落ちてくる先は脳が内包される頭蓋骨である。打ち所は悪くなかったらしい。リスティはうずくまり、痛みに耐えながら今まで生きてきた人生を反芻したのだ。それは自分以外の第三者が、自分を見ているような不思議な感覚だった。そう、自分を自分ではないもう一人の自分が見つめていた。
思い返せば何度か、あった。
鏡の中に写る自分が、自分ではない感覚。それがもうひとりの、否、今現在自分であると認識している意識だった。
「ちょっと待て、落ち着け、オレ」
かつての自分と今の自分を頭を抱えたまま認識する。
以前の名前はもういい。今現在だけを見つめよう。そう思いながら深呼吸を繰り返す。
ここ、オレが居る場所はリンガル・トーレス学院に併設された、蔵書1万冊以上だと云われる図書館にある一室だ。
学院に通う生徒であれば誰でも利用可能である、開放型の知識の蔵。持ち出し禁止の書もあり、それより上位の封印された魔道書もどこかにあるとかないとか。
そしてオレはその学院に通う生徒だ。高等部3年、貴族の中でも優秀な人材だけが集められる特Aと呼ばれるクラスに在籍している。この時点で、オレは詰んだ、とため息をついた。
記憶はあれど、今までの通り振舞えるかどうかは未知数だからだ。いや、無理な部分も多いだろう。なにせ、オレは学年の中で最も高飛車で傲慢で鼻持ちなら無い、一般生徒から嫌われているTOPに君臨してるんだ。
記憶をこうして二重取得するまでなら出来ていただろう。そういう教育を受けてきたからだ。
お前は貴族として生まれ、下々を導いてやらねばならぬ。下々は欲求だけは一人前だ。己の責務を放り出し、こうしてくれ、ああしてくれとだけ我らに口を出してくる。だが下々は可愛がらねばならぬ。生かさず殺さず、ある程度の快楽を与えて飼ってやるのだ。そうすれば下々は我らにたてつかず、従順な獣となるだろう。その術をお前は知らねばならぬ。知り、操り、我が治める領地を拡大しておくれ。
オレは幼い頃からそう教えられてきた。
だからオレは教えられたとおり、振る舞い、教えられたとおり、下々に接していた。
無理だけどな!
これからは!
『出来ないはずはないでしょう? やっても居ないのに出来ないだなんて馬鹿ですの? 紛れも無くあなたもわたくしなのだからやってみればいいではありませんの。それとも自信が無いので? ふぅん、わたくしの新たな一面といってもむかつきますわね』
心のどこかでそんな思いがふと沸いた。
随分な言いようをされてるが、勝手にオレを判断するなよ。オレが誰だか知らないくせに。
『うふふ、やっと出会えましたわね』
オレの中で、リスティとして育ったオレがオレを無視して語りかけてくる。
『あなたのことはよく存じておりますのよ。乙女の夢に何度も出てくるのですから。少しは慎みをお持ちなさい、もてませんわ』
『お聞きになって。もうすぐわたくしは眠ってしまうでしょう。でも気になさることはございませんわ。あなたにお任せしますので、よくお考えになって動かしなさい。光栄でしょう? 男が女の体となるのは、いろいろと楽しみがあってよろしいのではなくて』
『夢の中で見るあなたは、素敵でしたの。友達というものはあのような方々を指すのだと、妬ましく思っておりました。わたくしの、自称学友たちは、わたくしが将来手にするでしょう権力に擦り寄ってくるカスばかりなのですから』
『あなたはわたくし自身でもあるので魔法の使い方ももちろん、お分かりになりますよね。出来ない、なんて申される訳など無いと信じておりますわ。ですがもし、万が一、出来ないのであればわたくしの名誉のため血反吐吐いても練習しなさい』
『ああ、後庭で育てているドリアドナリア、枯らせないでくださいましね』
「ちょっと待て、オレはお前に取って代わるつもりは!」
ない。
そういい終える前に彼女の意識は消えた。何度も呼びかける。
音を出す声で、心の中で思う声で、何度も、何度もオレはこの体の主であった存在に呼びかけた。
待ってくれ。
オレは、ここで何をどうすらばいい?!
まるで親を失った子供のようだった。
鳥かごの中で生まれ、生きてきた小鳥とでも云えばいいのだろうか。飼い主からある日突然に自由に好きな場所に行けばよい。そう告げられ巣から出されたとしても、どこに行くとも分からずその場に留まって首を傾げる。さあさあ、行け。追い立てられて翼を羽ばたかせても、飛ぶ方法など分からず途方にくれる、そんな状態のオレがその場に取り残されたのは云うまでも無い。
****
それから数週間、オレは何とか精神的に浮上することが出来ていた。
記憶はあるんだ、どうにでもなれ、半ばやけになっていたのだろうと思う。
目をつぶって洗っても、手のひらに伝わってくる弾力だけはどうも出来ないし、想像するなと言われても無理だった。笑ってくれてもいい。ある意味修行僧の気分なんだ。煩悩なにそれ、美味しすぎます。
…正直、学院生活は楽しかった。やったことがあるのか無いのか、いや、オレ自身もリスティだとするならば、やっていたんだろう。だが主として体を動かし、何かをするという感覚はとてつもなく新鮮だった。きっとオレはリスティの中で在る時、オレも同じように授業を受け手みたいだとか、友達と話してみたいと思っていたのかもな。
しかし、楽しさに水をさすが如く、腹立たしく思う出来事も数多くあった。出会う特Aクラスの誰も彼もが、リスティに一線を引いていた。自分を取り立ててもらうため、両の手をすり合わせてご機嫌伺いをして来るんだ。それが基本的毎日繰り返される。オレは考えた末ただ黙ってやり過ごす、を徹底した。
魔法は・・・使えた。内心が今までの経験上最大の修羅場を迎えたが、案外簡単に使えてしまった。だが得意分野が違ったんだよ。イタタタ、だ。
「・・・リスティ様は変わってしまわれた」
例の一件、入れ替わりが起きた次の日から次第にオレの周囲から取り巻きがゆっくりと消えていった。なぜかって? 無視されるってのはすげぇきついもんなんだ。なにせそこに居るのにも関わらず、存在をみとめて貰えない状態が続くんだ。人間も群れて生活する生き物だからな。孤独を愛し、ひとりきりが好きでしょうがないっていうヤツでも、必ず誰かの世話にはなってる。それが生きるって事だ。オレは取り巻きたちの『存在』をただ認めなかった。それだけのことだ。
運が良かったのはオレがリスティだった、という一点に尽きる。
もしこれがオレではなく、例えば適当なほかのヤツだったとしたら貴族間にある取り決めに従い、比べて低い身分の家が処分されてただろうな。なにせ貴族特有の、先祖代々云々の、伝統の、尊厳を傷つけられた、とか。面倒だ。案外リスティは小まめだったのかもしれない。口があんぐりと開き、目元が引きつくようなお世辞を並べ立てる全部に、視線だけとはいえ返していたんだからな。
誰もが最初はいぶかしんだ。何かが違う、変わっている。察しのいいやつほど早くに行動を切り替え始めた。
だがどんな行動も無視され、いったい何に反応してくれるのか。試行錯誤をし始めたヤツや、何が気に障ったのか教えて欲しいと懇願してきたヤツもいる。だが最終的には誰もがあきらめた。リスティを表面的に知るヤツらがオレを遠巻きに眺めるようになったんだ。
後出しになるが、実はリスティはこの国を治める王のいとこに当たる。前王の妹が母なんだ。しかも幼い現王の後見人を父が、宰相と共に務めている関係で、ものすっごい権力を持ってるってわけだ。
なのでおこぼれが欲しい誰もが、リスティに群がってくる。
リスティは寄って集ってくるそれらを虫けらとして見ていた。実際友達など一人も居らず、孤独だった。
唯一は枯らすなと言われたドリアドナリアだ。これなぁ、オレが知る知識の中での、ドリアードっていうのと、マンドラゴラってのを合体させたような悪魔なんだよな。
ちなみに魔族、居るぜ。
そんなこんなで普通はこそりと囁くはずのそれを、取り巻きだったひとりが歯軋りした。
男としての意識を持つオレが、ヤロウにかしずかれて嬉しいと思うほうがおかしいんだ。嫌がっているのを察して身を引きやがれ。
学院の授業も実際、何もかもが容易かった。リスティが半端無かったのだ。オレ自身がリスティだと納得いく事象でもあるんだ。ドリアドナリアももうひとりのリスティだと認識したし、オレがオレだと認めざるを得なかった。
「あ…」
小さな衝撃と共に何かが床にばら撒かれる。
考え事をしながら廊下を歩いていたのが悪かった。視線を周囲に向ければ、今にも泣き出しそうに震えている少女が居た。
散らばっているのは集めた課題だろう。
「怪我は、」
オレは膝を折り、紙を拾う。
「っ、え。あ、う…」
少女が目を見開いている。
見詰め合うこと数秒。
あ。
らしくないことをしてしまった。
気づいた時にはもう遅い。
『何をしているの?』 か 『邪魔でしてよ、早く片付けなさい』
もしくは無視。
が正しい選択だったのだ。
ざわめきすらない。誰もが足を止め、絶句している。
仕方がないじゃないかー。オレの中ではこれが普通の判断なんだ。ぶつかってしまったならごめんなさい、が当たり前だろう。
ツンでデレ無くて、高飛車、傲慢、自己中心で、恩きせがましくなんて言えるか!
慣れてないんだ! あれは絶対に、リスティの特技だ、そうに決まってる!
「お立ちなさいな。これで全部かしらね。今後気をつけなさい」
オレは全てを拾い終えたことを確認し、しかもそれが何事でもないかのように、出来るだけ自然に、颯爽と立ち去った。
出来る事なんて、それしか思いつかなかったんだ。
****
『リズもぉ、やさしいね』
満月の夜、オレはドリアドナリアのミドリに会いに来ていた。髪に当たる部分が綺麗な緑色でさ。ミドリって呼んでいいかって聞いたんだ。そうしたら『いいよー』と了解を貰ったんで、そう呼ばせて貰っている。呂律が回らなくて舌を噛みそうになったから、じゃないぞ。
日中は土の中に潜って眠っているこの悪魔は、月から放たれる魔力を受けて目を覚ます。ここは学院の寮にあるリスティ専用バラ園の片隅にある、小さな花壇だ。
オレの体にくるりとツタと言うかなんというか、植物の色々な部分を撒きつけてきている。
手加減しろよ。この体意外と胸、でかいんだ。支えてくれるのは嬉しいんだが、無くなると肩がだるくなるんだよ。
ミドリの愛情表現らしい抱擁を受けながら、オレは小さくため息を落とす。下着と言う名の締め付ける系にもようやく慣れてきたが、世の女性はマジで大変だと思い知ったからだ。美しく着飾るため、体型の保持に矯正下着ってすげぇよ。涙ぐましい努力を繰り返してる女性をやっても無駄、とかけなすのはよした方がいい。
骨格の違いもあるんだろうがな。
しかし、あれを一度でも経験すれば、体壊さん程度に頑張れ、と女性を労わる意識転換すら出来るようになる。
夜はさすがにはずさせてもらっているが、がーずるとーくで聞こえてくる会話では、着けて寝るが正しいらしい。
オレは外さないと無理だ。眠れない。無理なんだ・・・理由は察してくれ。
オレは持ってきた飲み物で喉を潤す。
この世界にはペットボトルが無いため、それに準じた陶器に紅茶を入れてきた。今の気候が夏前、春寄りっぽいんで、あったかいのな。
「で、オレも、ってどういう意味だ」
ここに来るときだけ、オレはオレの言葉を使う。たまにごっちゃになるんだが、発音が違うみたいなんだよ。
けどミドリには通じる。
『だぁって、リスィもやさしいよ。あたしのことたすけてくれたんだもん』
オレの記憶が確かなら、あいつはただ単に落ちてきたドリアドナリアにビックリして、とりあえずこれは何であるか、詮索をする前に土に埋めつつ結界で閉じ込めただけ、なのだ。どこら辺が助けてもらったのだろうかと小一時間膝を突き詰めて話したいような気もしたが、そこはそれ、みどりが助けてもらったと言うならば、そうしておいたほうがいいと判断した。
リスティは光魔法を得意としていたんだ。
高飛車で傲慢な腫れ物であっても、国を魔法という結界で包み込み、護れるという類稀ない能力を持っていたのが運のツキと言ったほうがいいのだろうか。中枢に組み込まれることを予定され、蝶よ花よと育てられた。扱いやすいようにする為に、それだけを目的に作られたのだろう、とオレは予想した。
だってさ、考えても見ろよ。
世間知らずなんだぜ。おだてられて、嬉しがってるってどうだよ。いや、悪くはないんだけどさ。
可愛いとは思うんだ。賢すぎても揚げ足をとられてる、とか、うん、まあいろいろあるんだ男には。
で、オレが得意な魔法ってのが、破壊系なんだな。しかも属性が真反対って言えば分かるだろうか。
他のも使えるんだけど、詠唱無しで思いのまま操れる属性がそれ、なんだ。
白も一応は使えるが、リスティの半分以下がいいところだろう。
リスティが存在する限り、現存する楯は在りつづける。
ただし他に張る場合はオレの持つ力が基準となるだろうから、同じような耐久力は望めない。
『だいじょーぶ。まおーはリズだもん。リズがどっかーんするしないうちはだいじょーぶ』
ん?
爆弾発言、聞いたような気がしたが、オレはそっとその記憶を脳内から削除した。
****
黒の宝玉に光が満ちた。
それはこの世界の来たの果てにある魔王が居城に安置されたものだった。
出現したのは17年前に遡る。魔王誕生に多くの魔族が目を覚まし、その行方を捜した。しかし探せどその姿を、気配すら感じられず多くの氏族は途方にくれた。
魔族と呼ばれるモノたちにとって魔王は命だった。
魔王がこの世界に存している間のみ、魔族は種を増やすことが出来るのだ。命の元だと言い換えても過言ではないだろう。
世界にとって魔族は悪ではない。
悪ではないが危険な存在ではあった。
世界にいくつも存在する人の国をあっという間に滅ぼすことも出来る力を保有しているからだ。
魔族は王にかしずく。魔王に頭を垂れる。魔王に絶対の服従を差し出す。
だから世界は魔王の出現に敏感だった。
敵対する王であれば手を携え討ちに往く。もし干渉して来ないならば北の大地に監視をつけ、没するまで見続ける。
先代の魔王は破壊者だった。世界そのものを壊そうとした、と記憶にも新しい。遡ること人間の暦で50年ほど前、たった一人の魔王に対し、魔族をも友軍へと招き入れた連合軍は150日もの間、多くの犠牲を出しながらもなんとか、魔王を屠ることに成功した。
魔族は魔王が存在しなければ絶滅する。
多くの氏族が次の魔王が生まれ出るまで眠りについた。
そしてか細く、弱弱しくはあるが魔王からもたらされる命が注がれ、多くの魔族が目を覚ましたのだ。
「おお、老。いらっしゃったか」
「伯、王が見つかったのか」
「いいえ、いいえ。ですがご覧ください」
それぞれの氏族の長が集まり、浮かぶ黒へと目を転じる。
今までは中心部分がわずかに灯っているだけだった。それが今、宝玉を満たし、外へ光が漏れ出している。
光を浴びるだけで握る拳に力が入った。息を吸い込めば深く、力が体に満たされるような感覚が染みてきた。
「王のご帰還が叶ったのでしょうか」
「見つかったと言う報は」
期待の色が声に出る。
しかし全ての長からは否定しか出ない。
「どういうことなのでしょうか」
「よもや人が王をどこかに幽閉していると言う可能性は」
「分からぬ、わからぬが・・・」
沈黙が落ち、誰もが口をつぐんだ。
北の大陸、魔族が住まうこの大地は人やその他の種族が住む陸地とは海峡を隔てている。
かつて結んだ友好条約は、まだ期限を切らしては居ない。
新たな魔の王となるものが現れ、それが王位に就くまではお互い干渉しない、という約束だったはずだ。
「器を用意すべきなのやも・・・」
つぶやかれた声に、複数人が息を飲む。
「王の力はここにある。だがそれが注がれる器が無かった、と」
そう考えれば何もかもが納得いくではないか。
時が満ちたのだ。
器を探せ!
捜すのだ!
王がここに在る為に!
長期の不在が招いた、果たされず、渇き、待ち望み、希う願いに誰もが誘発された。
いつかは途切れてしまうかもしれない、このか細い糸を守る為に。
そして世界に散らばった各氏族による、魔王の器を捜す過程で、世界は混沌と化してゆく。
世界が揺れ動く。
きっかけは些細だった。
だがそれが次第に大きな溝を作ってゆく。
世界はふたつの勢力に別れ、対峙した。
そしてふたりは再び出会う。
握られた手を話さず、お互いに背合わせのままだ。
「厄介ごとはさっさと終わらせたほうが後々、楽だしな」
「その厄介ごとの種はあなたですのよ。全く、無自覚なバカは好きではありませんの」
楯と剣はそれぞれを見る。
楯は黒を、剣は白を。
黒と白、それぞれの色を示しながら、世界を再びひとつに戻すため、握り締めた手を離した。
空から天使のはしごが下り、七色の橋が架かる。
全てが終わったとき、ふたりの手は再び握られていた。