第零話『その盲目は悲劇を見る~前』
俺達には、彼等を守るべき義務がある。
思念体という化け物が居る。
そして思念体を排除し、人々の暮らしを守るのが、俺達、魔心導師と呼ばれている者達の役目だ。なにせ普通の人間には思念体が視えない。完全に無防備な状態だ。俺達が守らなければ、彼等の生活はすぐに破綻するだろう。
――なんて長々しい説明を父さんがしてきた。
それはもう説教交じりの、どこぞの教科書からそのまま持ってきましたみたいな口調でだ。
「……くどい。それはもう地球が生まれてから今日まで回ったのと同じ回数くらい聞いてる」
顔を逸らして頬っぺたを膨らませて言うと、父さんはおれの肩を掴んできた。
「それでも、何回でも言わないとお前は覚えようとしないだろう?」
それはその通りだ。おれだって小学校の授業とかクラスメートの名前とか、覚えなきゃいけないことが沢山ある。
「そんな事より術とか教えろよ。こーりつこーりつ」
「駄目だ」
おれのやる気を下げるような事を言って、父さんは力を込めて言う。
「他の術を教えるのはもう少し成長してからだぞ」
術というのは、魔心導師が思念体を排除するために使う力のことだ。どうやら俺の意見は却下らしい。
おれの家は、形だけは寺の形をしている。小山の上にぽつんと立ったお寺が俺の家で、いつもは境内とかでやる思念体と戦うための朝稽古も、今日は外でやることになった。
というのも。
「今日から転校生も来るんだろう? ちゃんとその子も守れるようにならないと駄目なんだからな」
そうなのだ。今日、おれのクラスに転校生が来る、と父さんに言ったら、父さんが妙に気合を入れて、どうしてか外での朝稽古になった。
「よゆーだっての。クラスの皆も転校生も、おれが守ってやるって」
父さんが守れ守れ言うから、父さんの喜びそうな言葉を選んで使ってみた。
だというのに、父さんは眉を寄せて、不機嫌そうに重たい息を吐く。
「いいか、お前はまだ弱い」
うわ、今、すごくやる気を削がれた。
「ていうか、そいつを守るのと今の説教、どう関係してるんだよ。どうせ守るんだから関係ないだろ」
説教は嫌いだ。解りきってることを今更言われると嫌な気分になる。
「かなり深く関係しているぞ。いいか、お前は――」
「あーはいはいわかったよ」
もう嫌になりすぎて、父さんの言葉を遮って頭を掻くと、父さんが怒り出しそうな気配を感じた。
やべ、逃げなきゃ。
そう思ったら、裏手の入り口から声がした。
「あにうえ、ははうえが、よんでる」
見なくたって解る。妹の声だ。
「あれ? もう朝ご飯?」
朝稽古の時間はまだ三十分はある。なのに、
「あにうえ、きょう、にっちょく」
「あっ!」
そうだった。かもしれない。忘れてた。今日は日直だから、いつもより早く学校に行かないといけなかったんだ。
おれは慌てたフリをして走り出す。
「おい、彼方! 話はまだ終わってないぞ!」
「解ったってば! 全員守る! これ了解! それで話終わり!」
そのまんま父さんから逃げて、表に回って玄関に突撃。居間に入ると、そこにはスクランブルエッグとソーセージと焼いたパンがあった。ラッキーラッキー。これならしっかり父さんから逃げられる。飲みこめ飲み込め。
「あら彼方、そんなに急がなくても時間は平気よ?」
居間に居た母さんがそう言うけど、時間は平気じゃない。日直には間に合うけど、おれは父さんからも逃げないといけないんだ。
スクランブルエッグとソーセージをパンに挟んで、口を大きく開けておもいきり頬張る。
この勢いのままいけば一分せずに朝食は完了だ! と思ってたら、三口目で「ぶほっ!」とむせた。
「はい牛乳」
と、落ち着いたままの母さんがコップを差し出してくれる。
「ん!」
受け取った牛乳で流し込んで、残ったパンも口の中へ放り込み直し、一分と少しで朝食は終了。おれはそのまま走って、自分の部屋に行ってランドセルを回収。今日は特に持ってくものとか無かったはずだから、中身はこのままでいいや。
玄関で靴を履いて、砂利に挟まれた参道を過ぎて、鳥居に囲まれた階段を降りていく。
「ひっひっひー、ざまぁ」
父さんから逃げ切れた事を実感したら嬉しくなって、やったね、とガッツポーズしてから、また走る。
ある程度走ったら疲れたから歩いて、まだ他の生徒が居ない通学路を、なんとなく楽しい気分で歩く。いつもの場所がいつもと違う風景だと、少し嬉しくなる。
十五分くらいで学校に着く。
職員室に寄って挨拶して、同じ日に日直だった友達と合流。そのまま仕事をして、ちゃっちゃと終わらせる。
「今日来る転校生、どんなんだろーな」
と、仕事終わりの、他の生徒達も集まってきた教室で友達が言った。
「さぁ。先生に聞いてみれば?」
そう返すと、友達は苦笑した。
「なんかさ、それだと転校生大歓迎! みたいな感じして、かっこ悪くね?」
「そかな」
よく解らない理屈だ。歓迎するにせよしないにせよ、どうせおれにとっては守ってやる対象。違いなんて無い。
ふと周りを見てみると、どこも同じ話をしてるみたいだった。
転校生を待ちかねてるんだと、そう思った。
でも。
朝の会が始まって皆が席に着いて、先生が点呼を取って、いよいよご対面。
「転校生を紹介するぞー」
そんな前置き。
「入ってこーい」
そして開く教室の扉。
入ってきたのは、黒い肌に赤っぽい瞳。黒い髪の、学校で飼ってる黒うさぎみたいな感じの女の子だった。
教室中がざわざわしてる。先生はそれを治めもしないで、煩い中で女の子は自己紹介をしていた。声が小さくてよく聞こえない。名前も聞き取れなかったし、喋ってたのが日本語なのかも解らない。
日本人じゃない。
どこの国の子かも解らない。
でも外人だ。見た目も雰囲気もまるっきり外人。
へぇ、と、小さく震えるうさぎみたいな女の子を見つめる。
ざわついた教室のどこからか、こんな声が聞こえてきた。
「黒猫みたい」「ほんと、ふきつぅ」
誰が言ったかは解らないけど、その言葉は先生には聞こえなかったらしい。誰も、それを言った人を怒ったりしなかった。
────mashinndoshi────
一応、おれも忙しい。朝は学校へ行く前に稽古があるし、放課後はすぐに帰って、父さんのお勤めに付き合わないといけない。街に出て思念体を倒すお父さんをサポートするついでの修行だ。だからとっても忙しい。
そのせいで、その転校生とちゃんと話す事が出来たのは二週間くらいが経ってからで、その女の子がおれと同じ植物係になったからだった。
「どこから来たんだ?」
教室のベランダにある花壇へ水をあげながら聞くと、女の子は小さい声で答える。
「…………外国」
「それは解ってる。どの国?」
答えが答えになってなかったから聞き直したんだけど、女の子はその質問に答えてくれない。
「根暗なやつ」
それが、おれがその子に抱いた第一印象。
でも、その子が転校してきてから三週間目。つまりおれと初めて話してから一週間目の事だ。
「……今日、水上げるの、わたし、一人でやるね」
放課後になるちょっと前、その子が言った。
「え、なんで」
聞くと、その子はやっぱり小さい声で言う。
「たい、大光司くん、いつも、忙し、そう、だから……。たまには、早く、帰りたい、よね」
正直いつも思ってた事だ。放課後のお勤め手伝いがあるから、この係の仕事がまどろっこしかったりした。
だからその提案はすごく良い提案だった。
「ほんとに!? おまえ、良いやつだな!」
嬉しくなって、その子の肩を叩きながら言う。
すると。
「いたっ!」
その子が小さな悲鳴を上げる。そんなに強くは叩いてないはずなのに。
「あれ、もしかして、怪我してる?」
思念体との戦いとか稽古でいつも怪我してるおれだ。そういうのはすぐに解る。
でも。
「う、ううん、ち、違う、よ……?」
その子は自分の肩を庇いながら、震えた声で、解りきった嘘を吐く。
「ふーん」
迷った。
ここは無理矢理にでも保健室に連れていこうかとも思ったけど、相手は外人とはいえ女の子。多分、おれは知らないほうが良いこと、ってやつもあるだろう。
だから俺は、
「じゃ、任せた!」
そう言って、係の仕事はせずに一人で帰ることにした。
そのせいと言うべきか。そのおかげというべきか。いつもより早い時間だから急ぐ必要も無いのに急いで靴箱に向かっている最中。
「ねぇねぇあいつ、すごい痛そうにしてたよねー」「してたしてた。作戦成功だな」
そんな声が物陰から聞こえてきて、おれは立ち止まる。
声の主を探してみると、それはおれと同じクラスのやつだった。
「あいつが不吉だから悪いんだよねー」「あいつに近付くと不幸になるんだもん」
それは五人のグループだ。
でも、殆ど五人じゃなくなってた。
階段の下。通る人の死角になるところに集まっている五人の背後に、それは居た。
暗いせいでちゃんと見えないけど、それは頭の無い巨人みたいな姿をしていた。
丸太みたいに太い腕が、身体の殆ど。大きな腕に見合わない細い胴体と、短い足。大きさは、大人の三倍くらい。色は灰色。生物では有り得ない、どろどろと溶けていくアイスクリームみたいに、半透明な色だった。
思念体。
人の思いが生み出す化け物。
人に害を与える悪者。
倒さなきゃいけない存在。
でも、おれはまだ修行中だ。あんな大きなやつ、父さんと一緒にしか倒した事が無い。父さんだってあのサイズのやつと戦ったら苦戦するはず。
まずは、あの思念体がどんな思念体なのかを調べないといけない。どんな感情から生まれて、どんな効果を持った思念体なのかを見極めないと。
階段の下で話しているクラスメート達の会話に耳を傾ける。
「ほんと、国に帰っちゃえばいいのにね」「不幸菌が感染する前に倒さないと」「倒すのは無理だって。あいつ、すぐに逃げるから」「逃げ足速いよね」「不幸菌だから卑怯なんだ」
あいつ、というのが誰のことかはすぐに解った。それと、クラスメート達が何をしてるのかも解った。
「おい、お前ら!」
おれは、見極めるとかそういうのも忘れて、いつの間にか声を出して、そいつらと向かい合っていた。
「え、あれ、どした彼方」
前、一緒に日直をやった友達もその中に居た。
「そういうのやめろよ。いじめだぞ」
そう言うと、友達が答える。
「いじめじゃないって。あいつは人を不幸にする悪者だから、これは正義だぜ」
どこがだ、と叫ぼうとして、でも辞めた。そいつらの後ろに居る思念体が変化したからだ。
巨大な腕の肘にひとつ、真ん丸い目玉が現れた。
それは、クラスメートの五人を睨みつけていた。
怖かった。怖くて何も言えなくなって、だから辞めた。これ以上は刺激しないほうが良いと思った。
思念体は色んな力を持ってるけど、物理的な攻撃はしてこない。思念体が物理的な攻撃をしようとしても、普通の人間には触れないし、物理的に触らなくても力を発揮出来るからだ。
でも、魔心導師は違う。魔心導師は思念体に触れられる。だから思念体も魔心導師に触れる。
もしもおれが今ここで思念体に攻撃を仕掛けたら、思念体はおれが魔心導師だと気付いて、自分を守るために攻撃してくる。そうなったら駄目だ。
だから、
「と、とにかく、そういうことするのやめろよ! 絶対だからな!」
そういう注意だけして、おれはそこから離れた。
いや、逃げ出した。
父さんに相談する前に、自分で出来るだけの事をやっておこうと思った。
思念体は、魔心導師に力さえあれば無条件でも倒せるけど、思念体の事をより知っていたほうが有利に戦える。あと、思念体は人から発生するものだから、場合によっては、思念体を発生させてる源をなんとかすれば戦わなくても消したり弱らせたりも出来る。だから、戦う前に、よく考える。
あの思念体は、間違いなく転校生に纏わる思念体だ。転校生がいじめられているというのが源になっている。
なら、と思って、次の日。
「お前、いじめられてるだろ」
と、花壇に水を上げながらおれは言った。
でも、
「……そんなこと、ないよ」
と、その子は答えた。
「嘘吐かなくてもいい。いじめが嫌なら先生に言えばいいんだからな。絶対に抱え込むなよ」
力強く説教してやった。これでこの子はもう大丈夫だろう、と思ったのに、その子は何故か首を横に振る。
「……皆の気持ち、解るから」
「?」
いじめっ子達のいじめ事情なんて、おれは考えたくもない。
だけどその子ははっきりと言う。
「知らないものは怖いもん。わたしは、皆にとって、知らないものだから、皆、わたしを怖がるの。……それは、仕方ないよ」
「はぁ!? 全然仕方なくねぇよ!」
知らないことが怖いなら知ればいい。そうすれば知らないことじゃなくなる。
「もしお前が嫌だって言うなら、おれが庇ってやるからな! なんならおれが先生に告げ口してやってもいい! 悪い事したやつにはしっぺ返しが来るんだからな!」
ジョウロの水が空になったからそれを置いて立ち上がると、ばし、と、腕を掴まれた。
「駄目、だよ。そんな事したら、皆が、嫌な思い、することになる」
「悪い事したなら嫌な思いして当然だ!」
おれのそんな主張は、その子には届かなかった。
いや、そうじゃなくて、多分、届いた上で、跳ね返されたんだ。
おれの言い分より、その子の主張のほうが、よっぽど強かった。
「皆がね、わたしを怖がってるなら、怖がってるからこんなことしてくるなら、わたしには、皆が怖がるようなことは無いよって、知ってもらえれば、誰も嫌な思いしないで、いじめも終わるよ。だから、わたしは、それが、いいなって」
黒い肌が夕日を反射して綺麗に見えた。
「お前は、それでいいのかよ。我慢出来るのかよ」
聞くと、その子は座ったまま、汚い暴力を受けたんだと思う腕を擦りながら頷く。
「うん。だって、頑張って我慢して、ちゃんと真っ直ぐに進んでれば、いつかね、本当に自分の事を理解してくれる人と、ちゃんと出会えるはずだから」
そんな綺麗な言葉を、その子は言う。
「今が苦しくても我慢して、それでそれを正しいって言ってくれる人と出会えるのって、我慢しないで八つ当たりしたり、喧嘩とか、しちゃったり、するよりも、ずっと素敵な事だと思うんだ」
放課後の夕日に照らされてるからかもしれない。皆がどうして怖がるのか解らないほど、ああ、この子は綺麗な子だなと思った。
可愛くて強い子だなと感じた。
だから、おれはその子の隣に座る。
「じゃぁ、おれが協力してやるよ」
それはおれがこの子を守りたいと思ったのもある。
今、思念体に憑かれているクラスメート達を、あの思念体から解放してやりたいというのもある。
なにより、おれが守ったんだぞ、っていう結果が欲しかった。
この転校生を中心にして発生したあの思念体はおれが倒して、おれが皆を守ったんだぞっていう、そういう結果が。
すると、その子は笑った。
花壇の草花が、夕日の光を反射して、その笑顔をもっと綺麗にする。
「ほらね、出会えた」
嬉しそうなその声が、おれを強くしてくれる。そんな気がした。