第43話 シャネル
どうしよう、結界の中に閉じ込められちまった。誰も入れない結界の外からはストラスとセーレが必死に何かを呼びかけている。でも声すらも遮断されて完全に俺とシャネルだけの世界だった。
修道服とはあまりにも不釣り合いな斧を持ってシスターは俺を睨んでいる。その目は血走っていた。
43 シャネル
「なぁマジでやめよう。殺し合いなんて馬鹿げてるよ!」
ストラスがいない今、俺の言葉をギリシャ語に訳してくれる奴はどこにもいない。伝わらない言葉での説得が無理なんてこと分かっているはずなのに、なんとか斧を捨ててほしくて必死で戦う意思がない事を訴えるもシスターは揺るがない。斧を構えなおしてこっちに向かってくる。
「Κμβο!!(死ね!!)」
「止めろよ!!」
俺の言葉に耳を貸さず斧を振り回すシスター。走り回ってそれを避けると忌々しそうに舌打ちをされた。
「Δραπετεει!(逃げるな!)」
なんて言ってるかわかんない、でもまともに相手したらマジで殺される。なんで殺すことに抵抗がないんだよ!可笑しいだろ!斧で人の頭勝ち割ろうなんて普通の神経じゃないだろ!なんで怖くないんだよ!?俺は人殺しにはなりたくないんだ!!誰か助けてくれ!誰か、誰か……!!
結界を叩いてストラス達に助けてくれと訴えても、どうにもならない。悔しそうにしているストラスと顔を真っ青にしているセーレしかいない。その訴えも追いついたシスターが振り回した斧によって遮られ、結界の中をひたすら走って逃げる。どうすればいいんだよ!!
***
ストラスside ―
『くそっ!結界の中が見えない』
セーレは悔しそうに結界を叩くが、中からは何も反応がなく、どうなっているかもわからない。どうやら外側から中を見るのは不可能の様です。
拓也がとらえられたことの罪悪感からか、セーレはその場に膝をつき、泣きそうな顔でどうしようとつぶやいた。
『俺がもっとしっかりしていれば……っ!拓也に、何かあったらどうしよう……俺のせいだ!』
『セーレ、貴方のせいではありません。それよりもこの結界を壊す方法を見つけなければ』
恐らく結界は衝撃に耐えられなくなれば壊れるはず。しかし元々イポスは肉弾戦ではなく、魔法主体の悪魔。肉弾戦が主体のヴォラクが張った結界をマルファスが壊すのにも十数分の時間を要したのに、私とセーレがイポスの結界を破るとなると何十分かかるのか。パイモンならばなんとかなるかもしれないが、イポスとの戦いで精一杯の彼がこちらに手を回せるとは思えない。どうすれば……
セーレが弾かれたように顔を上げてジェダイトに命令する。
『ジェダイト、結界に体当たりしてくれ!』
ジェダイトに結界を破らせようとしているのか!確かにジェダイトは拓也達が数人で乗っても軽々と持ち上げれるくらいです。体当たりした時の衝撃はかなりのものでしょう。ジェダイトはセーレの命令通り思いきり結界に体当たりしましたが、結界はびくともしません。それでも結界にジェダイトは体当たりを続ける。何もできない私には方法すら思い浮かばない。自分の不甲斐なさに憤りが募る。
横ではパイモンがイポスの攻撃をかわしながら、反撃の機会をうかがっています。
拓也、もう少しだけ頑張ってください!
『継承者が気になってしょうがないか?』
イポスは隙をついてパイモンに攻撃を仕掛けている。先読みが得意なのか、上手くパイモンの逃げ道を先に封じてくる。それだけでも戦いづらいはずなのに、彼には羽がある。そのためパイモンが斬りかかるとすぐに上空に逃げてしまいます。埒が明かない、拓也を早く救い出すためには先にイポスを倒さなければならないのに。
パイモンは舌打ちをして、私たちに振り向きました。
『セーレ、ストラス!手伝え!』
セーレは拓也の無事を確認できないことに若干パニックに陥っており、パイモンの呼びかけに首を横にする。
『駄目だパイモン……拓也はどうするんだ!?今も彼は危険な目に遭っているんだぞ!?』
『その結界はお前たちでは壊せない!それよりこいつを倒して結界を消す方が先だ!俺は空が飛べない。セーレ、お前の力を貸してくれ!ストラスは魔法陣の準備を!』
『魔方陣ですか?』
『奴の力を消去する魔方陣だ。あいつを倒してもあいつの歌によってシスターが暴走する可能性が高い。奴の力を吸収する魔方陣を頼む。場所は好きな所にしろ。そこに奴を落としてやる』
『わかりました』
私は木の枝を加え、パイモンの言った通り魔法陣を描く準備をし、セーレはジェダイトに乗ってパイモンの援護に向かいました。セーレが加わったことにより空中戦が始まる。その様子を見たイポスは手に力を込めました。
『神速セーレか……情にあついお前の裏切りは予想内ではあったけどな』
『セーレ、できるだけ近寄れるか?遠距離戦では勝ち目がない』
『わかった』
セーレはジェダイトの腹を蹴って空中に舞い上がりました。
拓也side ―
肩で息をしながらも顔を上げる。やっべぇ……逃げ回って疲れた。
でもそれは向こうも同じ。シャネルも肩で切るように呼吸をしている。どうすりゃいいんだよ!?言葉が通じない今じゃ説得なんて不可能だ。パイモン達が結界を壊してくれなきゃ、壊す……
そうだ、結界を壊せばいいんだ!そうすれば俺はここから出られる!今までだってできたんだ、今回だってできるに決まってる。
俺は剣にイメージを注ぎ込んだ。またあの竜巻で攻撃すれば結界は壊れるかも!
剣が光を帯びてきたのを見て、上に向けた。シスターは怪訝そうに顔をしかめ、何かをされる前にとでも言うようにこちらに走ってくる。
「行け!」
それを遮るように声を出せば、剣から竜巻が放出され、シスターは一瞬身を強張らせた。竜巻は轟音をまき散らし結界にぶつかる。これで、壊せたか!?
しかし俺の願いはむなしく竜巻が当たった空間はびくともせず、傷一つすら入っていなかった。
「え、嘘……」
サミジーナの時はこれで一発OKだったのに!こうなったらもう一度!
再度剣にイメージを吹き込もうとする俺を危険視したのか、今度こそはとシスターが斬りかかってきた。
「Δεν μπορε να δεξει.(させない)」
「げっ!!」
まだ俺、この剣にイメージ吹き込むのに時間かかるんだよ。だけどシスターは俺の目前で斧を振り下ろそうとしていた。
避けられない!!
俺は剣に竜巻のイメージを吹き込むのを止めて、とっさに剣を立てる。
お互いがぶつかりあい、剣と斧がギリギリと音を立てている。こっちがビビっているのに対し、シスターはさらに力を込めてくる。でも男と女、体格が勝っている俺の方が有利で、何とかシャネルの斧をはじいて距離をとることができた。
心臓がドキドキ言ってるし冷汗が止まらない。あの時、剣を立ててなかったら確実に俺はあの斧で真っ二つにされてただろう。シスターは体勢を立て直し、斧を抱えなおす。どうすりゃいいんだよ!?どうすれば!!
『何を迷う必要があるんだ?そんな奴斬っちまえ』
急に頭の中に聞こえてきた声、その声は間違いなくウリエルだった。今までなんの連絡もなかったくせに、こんな時に何の用なんだよ!どうせ俺を助けてなんかくれないくせに!
「なに言ってんだよ……相手は悪魔じゃなく人間で、女の子なんだぞ!」
シスターは日本語が聞き取れないので、自分に話しかけられたと思っているのか、表情を歪め斧を構える。
『駄目だ、この罪は死でしか償えない。お前も甘さは捨てろ。あいつはお前に殺意を持っている。なぜお前が庇う必要がある』
「俺は人殺しになんかならない、あの子を助けたいんだよ!」
『……あまちゃんだな』
ウリエルはその言葉を最後に、それ以上の発言はなかった。見捨てられてしまったのか……せめて助けてくれって言えばよかった。そう後悔した瞬間、突然俺の体が動いた。
この感覚に覚えがある……あいつ、強制的に俺の体を乗っ取ろうとしているのか!?シスターを殺す気だ!
「やめろよ!」
体を抑え込んでその場にうずくまるけど、体は動きたいとでも言う様にガタガタ震えている。自分の体なのに、思い通りに抑えられない。マジで全身で集中しなきゃ、体が勝手に動き出しそうだ。
「やめろやめろやめろやめろやめろ!!」
頼むから止めてくれ!!
俺は自分を抱きしめるような体勢で叫び続ける。全身から汗が噴き出て、それでも思い通りにさせてたまるかと、全神経を集中させて体の乗っ取りを阻止した。
『……やっぱ合意の上でないと体の拝借は無理か。後悔するぞ』
頭に声がはっきりと聞こえて、体の震えは止まった。やった……あいつを追い出せたんだ。これでこの子を殺さないで済む。そう思ったのも束の間、俺の目の前にシスターは近寄っていた。膝をついている俺には避けることなんてできない。
「Amen……(アーメン……)」
膝をついている俺の頭上に斧が掲げられる。
殺される!もうウリエルは助けてくれない!本当に、このままじゃ俺は殺される!!
そう思った瞬間、何も考えられなくなり、手に持っていた剣を夢中で振りかぶって……
シャネルの体を切り裂いた。
***
ストラスside ―
『くっ……流石セーレ、素早いな』
やはりセーレのスピードについて行けないのか、イポスは舌打ちをしました。セーレのおかげで遠距離戦一方ではなくなった。少しずつだが傷を与え続け、それが確実に大きくなっている。それでも傷ついたのは向こうだけではないのですが。
『セーレ、次で決める。全速力であいつに突進してくれ』
『何か策でも?』
『いや、だが弱っているあいつなら一撃だ』
『わかった』
ジェダイトはものすごいスピードでイポスに突進する。
だがイポスも馬鹿ではない、突進してくるジェダイトを避けないはずがない。
『くっ!』
ですがジェダイトのスピードはかなり早い。わかっていても体はなかなか反応できないもの。
イポスは突進は避けたがスレスレでした。
『終わりだイポス。俺に喧嘩を売った報いを受けるんだな』
パイモンの冷たい言葉が空気を裂き、そのままジェダイトからイポスに剣を立てて飛びかかりました。体勢を崩したイポスは避けきれない。
『パイモン……ッ貴様ぁ!!』
パイモンそのままイポスの腹を剣で突き刺して地面に叩き付けました。
叩きつけた場所は私が描いた魔法陣の中。狙っていたとはいえ、本当にピンポイントで落としてくるとは……やはりパイモンの実力は計り知れない。着地したパイモンと違い、剣を突き刺されたうえに背中から落ちたイポスとではダメージのケタが違う。そのままイポスは倒れこんでしまいました。
イポスは傷の治療に力が必要なはず。そうしたら結界を張っておく余裕もない。案の定、結界は薄れていく。
『拓也っ!』
やっと救い出すことができた私の主。名前を呼び、近寄ろうとしたのですが奇妙な臭いを感じて立ち止まってしまった。パイモンもセーレもこの光景をあんぐりとして見つめている。
拓也は真っ赤に染まっていた。一瞬、瀕死なのかと心臓が嫌な音をたてたが、どうやらそうではないらしい。拓也は大量の返り血を浴びていたのだ。そして拓也の足元には大量の血を流して倒れているシスターの姿があった。シスターは息も絶え絶えで、必死に呼吸していました。
シスターはイポスに手を伸ばすが、イポスは魔法陣に閉じ込められて苦しそうにしている。
「σον αφορ σε με…… Αυτ κβοι που εναι μια ττοια θση……(私は……こんなところで死ぬの……)」
声を出すたびに口と腹から噴き出る血。拓也は呆然とその光景を見ている。まるで放心しているように。
「(……大嫌い。皆、大嫌いよ)」
それがシスターの最後の言葉でした。
シスターはそのまま息を引き取りました。
***
***
シャネルside -
私の名前はシャネル。その名前をくれたのは両親ではなく司教様。生まれてすぐにサモス島の教会の前に捨てられていたと聞いた。だから私は生まれてから一度も両親の顔も名前も見たことも聞いたこともない。
私を育ててくれた司教様はとても優しい人だった。
「司教様ー」
上手くできた花の冠を持って司教様に飛びついた幼い私をいつも笑って受け止めてくれていた。そして頭と頬を撫でて、服についた草を取ってくれる ― 私は、司教様が大好きだった。
「シャネル、走ってきたら危ないでしょう?」
「ごめんなさい。でもきれいなお花がいっぱい咲いてたからこれ、司教様に」
子供が作った不格好な冠を司教様はいつも喜んで頭につけてくれていた。聖人の輪のようだと言って笑う司教様。彼女は私から見たら本物の聖人。どんな神も聖人も、彼女には敵わない。私にとってたった一人の家族であり母親代わり。
「いつもありがとうシャネル」
「ねぇ司教様」
「なに?」
「いっぱいいっぱいエライ子にしてたら、お父さんとお母さんはシャネルに会いに来てくれると思う?」
「勿論よ。神様は全て見ていてくださるのだから」
私は司教様が大好きだった。しかし幼い私は両親が迎えに来てくれることを信じていた。だから司教様の言葉を信じることに疑いはなかった。善行を重ね続ければ、神も私に希望を与えてくださる、純粋にそう思っていた。
私は、自分がいらない人間だから捨てられたと言うことを、そのころはまだ気づいていなかったのだ。
***
「司教様……死んじゃいや」
私が握りしめた手を、司教様は弱弱しく握りかえす。暖かい手が少しずつ体温を失っていくのがわかる。病には勝てず、司教様は五十七歳でこの世を去った。
「シャネル……人を憎んでは、ダメよ。人を尊び……大地の喜びを感じ、いつか貴方自身が幸せに……」
「司教様……?司教様!!」
どうして?お祈りも毎日かかさずにした。神の教えを毎日勉強した。
そのころには親に捨てられたということも理解していた。自分がいらない人間だと言う烙印を押された気持ちにすらなったけれど人を恨むことなどせずに生きてきた。
しかし、私の幸せはこんなにも簡単に崩れ去っていく。この教会が、潰されると言う話は聞いていた。それを止めていた司教様がいなくなってしまったら、教会を潰すことを阻止する力は私にはない。
それでもまだ神様は私と司教様を見てくださらないの?
***
「お願いです!ここは司教様がずっとずっと守り続けた教会なんです!どうか取り壊すのだけは!」
「ダメだ。それにもうこの教会に巡礼に来ている人間自体も少なくなっているだろう。わかってくれよシャネル、俺達も生活しなくちゃいけないんだ。神様にすがってる場合じゃないんだよ」
「それは、そうかもしれませんが……ですが取り壊すなんて……ほかに場所はあるではないですか!神は全て見ているのです!天罰が下りますよ!?」
「天罰か……ははは。食らってみたいもんだねぇ」
「なんという事を……」
「司教もお前もいつまでも下らないことをやってないで、もっと村に貢献すべきだったんだよ。所詮捨て子のお前には分からねえか。親からじゃなく、こんな司教に教育されてきたんじゃな」
「そんな……」
私の居場所がどんどん奪われていく。一つ一つ司教様との共通点が消えていく。自分の生きてきた全てを否定されていく。私は、結局いらない人間だったんだろうか。
教会などいらないと、司教様の教えは無意味だと、取り壊す住民たちは口を揃えて言う。私は、この生き方しかしてこなかった。それを全て否定されて、結局何が正解だったのか分からない。
でも、私と司教様を繋ぐ最後の一つも……消えてしまった。自分が誰かにとっての特別な人間から、誰からも必要とされない人間に堕とされたような気がした。
***
「シャネル、何の用だ?もう教会は取り壊したんだぞ」
謝ってほしかった、ただそれだけだった。司教様を侮辱したこと。それだけ謝ってもらえれば私は一から頑張っていこうと心に決めたいた。きっと、司教様もそれを望んでいるし、生活のためという理由も分からないわけではないから。 ― 憎むなと、司教様に教えられて生きてきたから。
「過ぎてしまったことは仕方がありません。ですが神を冒涜した事と司教様を侮辱したことを謝ってもらいたく思っています」
「なぜ俺が謝る?」
「なぜ?私にとって司教様はかけがえのない存在です。身寄りのない私をここまで育ててくださった……誰だって親が侮辱されれば平気でいられるわけがないでしょう?分からないのですか!?私は司教様の件の謝罪があれば、わだかまりを捨てて島に貢献する道を選びます。どうか、ご理解してください」
「わからないねぇ。大体」
男はクッと笑う。その顔がゆがめられ、哀れなものを見るような目が私をとらえる。
「天罰が下る、だっけな。まったく下ってないぜ?下らせてもいいんだぜ?お前らの信仰もその程度なんだよ。所詮、ただのままごとみてーなもんだろ?俺はどうも司教が嫌いでよ、あいつに頭下げるのだけは何があってもできねえんだ」
「なんですって……?」
心がざわめくのがわかる。
私と司教様は遊び半分で教会を守っていたわけじゃない!なぜその様なことを言われなければならない!!?
神はこのような男まで平等に生きる権利があるというのか!?誰かを傷つけて笑っているこのような男にも!
「……おい、何持ってんだ?」
「そのように天罰をお望みならば、私が与えて差し上げましょう」
「冗談だろ?」
「アーメン」
***
逃げなければ、逃げなければ。私はなんてことをしてしまったのだろう。
一時の怒りにまかせて、人を殺害してしまうなんて……
「私は今まで何のために……」
このような私を神がお許しになるはずがない。ならばここで自分自身の命でその罰を……
斧を首元にかける。怖い、けどそれ以上にこれから先、生きていくのが怖い。
「司教様、シャネルは約束を破ってしまいました……」
人を憎んではいけない、人を尊べと。なのに私は……その約束を守れなかった。貴方の教えを最悪な形で裏切ってしまった。私にもう、生きる価値などない。こんな私だから、神は救ってくださらなかったのだ。
『本当にいいのか?』
声が聞こえ、顔を上げると目の前には羽の生えた男がいた。
もしかして天使様が私を迎えに来てくださったのですか?私なんかを、天国に導いてくださるの?
「天使様、ですか?」
『俺は天使じゃない。でもこの苦しみから救ってあげる方法は知っている』
「方法ですか?」
『哀れな子』
男の手が私の頬に触れる。
『神に裏切られた。最も信用ならないだろう?神なんて』
そうだ、神は助けてなんてくれなかった。私は神に見捨てられていたの?
『俺はそばにいるよ』
もう泣かないって決めた。こんなロザリオ、私には必要ない。目の前のこの天使のような男が私を必要としてくれるのなら、それだけに縋って生きていたい。
そう思った、ただそれだけだった。
どうして私は幸せになれないの?黒く染まり血を浴びて……全部あいつらのせいなのに。結局私は幸せになれなかった。夢見てたのになぁ……いつか父さんと母さんが迎えに来てくれることを。
***
私たち全員が放心してるこんな状況にも関わらず、拓也の剣は輝きだしました。恐らくイポスを戻すために魔法陣を描けということでしょう。パイモンは固まっている拓也から剣を抜きとりましたが、それでも拓也は反応を返さなかった。
パイモンは私の描いた魔方陣から上書きするようにイポスの召喚紋を描き、死んでいるシスターの指から契約石のムーンストーンの指輪を抜き取った。彼女の望み、苦しみ、悲しみ、そして怒り。何一つ理解できず、救うこともできなかった。
それほどまでに彼女はすべてに対し心を閉ざしてしまっていた。どうしようもなかった……
『シャネル、シャネル……』
詠唱を始めたパイモンの周りを囲むように光が集まり、イポスの体が透けていく。
イポスは最後の力を振り絞ってシャネルに手を伸ばしました。
『お前の死体は誰にも渡さない。魂も記憶も……お前は天国へは行けない。だけどお前一人を地獄にも行かせない。俺が……ずっと付いていてあげる』
……彼なりにシスターを想う心はあったのでしょう。
そしてイポスは地獄へと消えて行った。
『拓也、これは貴方が……』
ちゃんと質問をしたかったのに、なぜか全てを聞くことが恐ろしくなり、最後まで聞くことができなかった。怖かった、拓也の口から真実を聞かされるのが。私の予想と同じ結末になるのが。
沈黙の間に、シスターの体が砂のように崩れていった。
セーレがその砂の一欠片を手ですくう。
『イポスが最後の力を振り絞って、シャネルの魂を自分の元に引きずりこんだんだろう。このまま天国に行ってもこれだけの罪を犯したんだ。地獄に落とされるだろう。それならまだイポスと2人で居たほうが良かったのかな……』
『さあな』
その答えをわかる者はもういない。
セーレもこの無残な結末を迎えた少女の残骸である砂を悲しそうに眺めていました。
『何も救えなかったんだな。何もわからなかった。あの子がどうしてここまで歪んでしまったのかも、何も……』
『分かっていた所で救えるかは別の話だ。シスターを救うには俺たちはあまりにも部外者だ。俺たちに心を開くことは考えにくい。結局、同じ結末さ』
拓也は砂をジッと見つめていた。
『拓也……』
「ストラス……駄目だよ。汚れる」
ゆっくりと拓也に近づいていくと、拓也は消えそうなか細い震えた声を出した。
拓也は今にも崩れてしまうのではないかというぐらい小さくと笑い、膝をついた。ガタガタと震え、震えのせいか上手くしゃべることもままならない。それでも拓也は喋り続け、自分の無罪を主張してくる。その姿があまりにも痛々しい……拓也の心は、折れてしまったのだ。
「頭上で斧を振りおろされそうになった時さ、もう何が何だか分かんなかったよ。ウリエルは殺せって俺の体勝手に動かそうとするしさぁ。でも殺したくなかったんだよ。だからウリエルを俺の体から追い出した。俺、頑張ったんだよ」
『ええ、貴方は頑張りました』
「殺す気なんかなかったんだよ……殺したくなんかなかったんだ……」
そんなこと、言われなくても分かっている。あんなに優しい貴方がどうして簡単に人を殺めることができるだろう。
「本当なんだよ」
『わかっています』
言い終えて沈黙が漂う中、口元を歪めて笑みを作っていた拓也から表情が消えていく。
瞳からは涙が零れ落ち、その場に座り込んだ拓也はポツリと一言「殺した」と呟いた。しかしその一言で拓也は現実を認識してしまった。
「殺した、殺した、殺した、殺した!!」
『拓也っ!落ち着いてください!』
拓也は狂った様に叫び、自分の手を見た。
真っ赤に染まった手を見て、拓也は遂にパニックを起こしました。
「うわあぁぁあああああぁあぁぁぁあああああ!!!」
『拓也!』
セーレも駆けつけて拓也の肩を掴むが、拓也は頭を押さえて泣き叫ぶ。
「ああぁぁああああああぁぁぁあああああ!!!」
『拓也、貴方は悪くありません!悪くなんかありません……!!』
「殺した、俺が殺した……俺が殺したんだ!人を殺したんだ!あの子を俺は、俺は!」
拓也は泣き叫んでそのまま倒れこむように地面に頭をこすりつける。
あまりに悲痛なその姿に私達は耐えられなかった。
「見るな!見るな見るな見るな!俺を見るなぁ!!!」
『主……』
「あああぁぁあああぁぁぁあああぁぁああ!!!!!」
拓也の泣き叫ぶ声だけが森の中にこだました。
***
『拓也はどうなってしまうのでしょう……』
ジェダイトに乗ってマンションに帰っている途中で不意にこぼれた不安。拓也はその後も泣き叫んでいましたが、暫くするとショックがもう許容範囲を超えたのか、そのまま気を失って倒れこんでしまいました。私達は拓也をジェダイトに乗せて、マンションへ急ぐ。
『シトリーとヴォラクに殺されそうだね』
そうですね。彼等はなんだかんだ言っても、拓也のことを心配している。こんな姿の拓也を見たらまず言われるでしょう。
なぜ拓也を守れなかったんだ!?と……私たちは最悪の結末を迎えてしまった。拓也が最も恐れていた殺人をさせてしまったのだ。
『甘んじて受けるさ。契約主を守れなかった。自分の無力さをここまで思い知ったことはない』
パイモンが自分を責めるように握りしめた拳からは爪が食い込んで血が溢れていた。パイモンのせいではない、そう言いたいのに言葉が出なかった。拓也の体感した恐怖と恐ろしさはこんなものではなかったはずだ。
平和な世界に生を受けて、両親に愛されて育って、友達と笑いあって、死や殺戮と無縁な世界。そんな世界で育った拓也が人を殺したなんて誰が思うでしょう。仕方なかったとしても、人を殺したことには変わりはない。心が壊れてしまってもおかしくない。
“指輪の継承者といえど所詮は子供。お前達は重すぎる重圧をかけていたんじゃないか?”
本当にその通りでした。私達は拓也に重圧をかけ過ぎていた。
“こんな子供に悪魔退治なんて酷だと思わないか?なぁ、今まで何人の人間の死体を見せてきたんだ?何人の人間の悲しむ顔を見せてきたんだ?何人の人間の憎しみの表情を見せてきたんだ?何も知らなければ良かったものを”
イポスの言葉が頭で反芻される。それが悔しくて仕方がない。もう拓也が悪魔を退治していくのは不可能かもしれない。このままイポスが言ったように拓也の心は壊れて、そのまま……自分の考えに嫌気がさして頭を振る。守ると決めていた。でも守れたのは表面だけだった。
この傷は決して消えない。私たちは守れなかった……
寄り添って感じる温かい体温。彼は必死で乗り越えようとしている。
その痛みを少しでも共有できたら、一人ではないと思えてもらえたならば……その願いを込めて拓也にただ寄り添った。