193 謎の誘拐団 1
ある日、仕事を終えた『赤き誓い』が宿に戻ると。
「戻ったよ~、ファリルちゃん……、あれ?」
この時間にはいつも受付カウンターにいるファリルちゃんの姿がなかった。
「お手洗いかなぁ?」
まぁ、そういう時もあるだろう。だって獣人だもの。まいる
「おお、あんた達か……」
調理場から出てきた大将の顔色が、あまり良くない。
「どうかしたんですか?」
そう尋ねたマイルに、大将は心配そうな顔で答えた。
「ああ、ファリルが帰って来なくてな……。いつもなら、とっくに帰ってきている時間なんだが。
まぁ、友達と遊んでいるから、時間を忘れているだけだとは思うが。友達は、ファリルと違ってまだ家業の手伝いはしていないから、帰らなきゃならない夕食時までには時間があるだろうからな」
そうは言っても、心配そうな大将。まぁ、小さな女の子なのだから、心配するのも無理はない。
友達と一緒、というので少しは安心だが、それでも心配なのには変わりがない。
外に出る時にはフードかボンネットを着けてはいるが、子供のことだ、遊びに夢中になって捲れたりもするし、元々ファリルちゃんのことを知っている獣人排斥主義者とかもいるだろう。
王都には雑多な人々がおり、人数は少ないとはいえ、エルフやドワーフ、そして獣人やそれらとのハーフも皆無というわけではない。なので、表立っては差別や迫害等はないが、友好種族であるエルフやドワーフと違って、獣人は魔族寄りであるとの定説と、森で暮らす者が多いことから、軽んじられたり、陰で苛められることはある。尤も、普通は大怪我をしたり生命に拘わるようなことをされることはないが。
そんなことをすれば、さすがに、犯罪者として捕らえられる。国や各領地の上層部も、獣人達との全面抗争は避けたいのである。
獣人との戦いは、軍隊同士の正面対決ではなく、「森にはいった人間が殺される」という、言わばゲリラ戦のような形になるため、猟師も樵も、そしてハンター達も森に立ち入れなくなってしまい、経済が大打撃を受けるのである。
そして、森の中やその近くを通る街道は、とんでもなく物騒なルートと化し、跳ね上がる護衛の費用や損害率の高さから商人が通らなくなり、下手をすれば多くの領地の経営が破綻する。
なので、好き好んで獣人と敵対したいと思う者はいない。
……普通は。
そう、「普通は」、である。どの世界にも、馬鹿や変質者はいるし、人間と獣人との対立を煽りたい者もいるかも知れない。そう、武器業者だとか、傭兵団とか、他国の工作員とか……。
「私が迎えに行きましょうか? どのあたりで遊んで……」
マイルがそう言いかけた時、ドアが乱暴に押し開かれた。
そして、右手で5~6歳くらいの少女の手を握った30歳前後の男性が、血相を変えて飛び込んできた。
「ダフレルさん?」
驚く大将に、ダフレルとかいう男性は、頭を下げながら悲痛な声で叫んだ。
「すまん! ファリルちゃんが攫われた!」
「「「「「ええええええええぇ~~っっ!!」」」」」
「さっき娘が泣きながら戻ってきてな、どうしたのかと聞いたら、ファリルちゃんが変な男達に無理矢理連れて行かれた、って言うんだ。すまん、本当にすまん!」
ぐすぐすと泣いている女の子、メセリアちゃんをなんとか宥め、ようやく聞き出したところ、ふたりで遊んでいるところに突然数人の男達が現れて、「こっちだ!」と言ってファリルちゃんを捕まえて、口を塞いで無理矢理連れ去った、とのことであった。
「うう、ファリルちゃんが男の人の指に噛みついたりして必死で抵抗したんだけど、口に布を押し込まれて、縄で縛られて連れて行かれちゃったの……。私も頑張ったんだけど、突き飛ばされて……。ごめんなさい、ごめんなさい……」
そう言って、再び泣き始めたメセリアちゃん。
「ど、どうすれば……」
デカい図体をしていながら、おろおろとするだけの大将。どうやら、気が動転しているらしい。
(駄目だ、大将は使い物にならない! ここは、私達が……)
そう思ったレーナが声を出そうとした時。
「そおぉぅですかぁ……」
「「「「「「「ヒッ!」」」」」」」
大将、ダフレル氏、メセリアちゃん、そして『赤き誓い』の残り3人と、不穏な雰囲気を察して厨房から出てきた女将さん。7人全員が、恐怖に引き攣った声を上げた。
「そおぉぅなんですかぁ……」
それは、地獄の底から聞こえてくるような、マイルの声であった。
怒りに震えた、マイルの……。
マイルの怒りには、明確な段階があった。
ぷくっと膨れる。これは、ちょっと御機嫌斜め、という感じで、少し拗ねているだけであり、大したことはない。
無表情になる。これは、明らかに腹を立てている。冷たく冷静な状態であり、相手に厳しい対処を取る。前世でストーカーに対処したり、今世では盗賊を相手にする時が、こんな感じである。
そして、怒りの表情を表す。それは、仲間が、大切な人が傷付けられた時。そう、あの古竜戦の時のように……。
「お嬢ちゃん、ファリルちゃんが攫われた場所に案内して貰えるかなぁ? 案内してくれるよねえぇ……」
こくこくこくこくこく!
必死で首を縦に振り続ける、メセリアちゃん。
「では、行きましょうかあぁ……」
(怖い! 怖いわあぁ!!)
しかし、レーナは『赤き誓い』のリーダー……ではないが、一番ハンター歴が長い真の責任者として、やるべきことがあった。
「ポーリン、大将さんと一緒に、ギルドへ行って! そして、大将さんに緊急依頼を出して貰って、それを受けてきて頂戴!」
「「「え?」」」
驚きの声を上げる、大将夫妻とダフレル氏。
「い、今、そんなことをしている場合じゃないだろ! お金なら、後でいくらでも払う! だから、すぐにファリルを! みんなの全力で、ファリルを捜し出して、助けてくれ!」
必死にそう叫ぶ大将に、レーナが説明した。
「落ち着いて! 全力でやるから。だからこそ、この手続きが必要なのよ。
このままみんなでファリルちゃんを捜しに行ったら、それはただの個人的な行動に過ぎないわ。ファリルちゃんを見つけて相手と戦いになっても、それはただの私闘扱いで、もし相手が貴族や金持ち等に雇われた者だったりした場合、こちらが襲撃者、悪者にされる可能性があるわ。そうなれば、ファリルちゃんを奪回できなくなるわよ」
「え……」
レーナの説明に驚き、絶句する大将。
「そこで、この緊急依頼よ。
ギルドで誘拐事件を大々的に公表して、ファリルちゃんの救出と犯人の捕縛、もしくは殲滅の緊急依頼を出し、ポーリンがそれを受ければ、この件はギルドを通した正式な依頼となり、私達の邪魔をする者は、すなわちギルドに敵対する者、ということになるわ。まともなハンターや傭兵、貴族や商人達がハンターギルドを敵に回すということがどういうことか、分かるわよね?」
そう、ポーリンの実家の時、あの商会主や領主が慌てていたように、それは多くの者にとって社会的に致命傷となることを意味していた。
勿論、レーナだけでなく、他の3人もそれくらいのことは分かっているので、彼女達は別にレーナの言葉に驚いたりはしていない。これくらいのことは、当然ハンター養成学校で教わる、ごく基本的なことである。養成学校の座学の時間は、別にお昼寝タイムというわけではないのである。
「更に、もし私達がマズい状況に陥っても、ギルドの仕事を受けて、その遂行に伴う事態となれば、ギルドが徹底的なバックアップをしてくれるわ。たとえ相手が貴族や大商人であってもね。つまり……」
「……つまり?」
ごくりと息を飲んでそう聞いた大将に、レーナはにやりと嗤いながら答えた。
「ファリルちゃんに、私達の関係者にふざけた真似をしてくれた奴らに、本気で、徹底的に、死んだ方がマシだと思えるようになるまでやれる、ってことよ。
『赤き誓い』の関係者に手を出したらどうなるか。誘拐犯達は、もうすぐそれを知ることになるのよ……」
そして、レーナが宣言した。
「依頼内容、ファリルちゃんの救出と犯人達の捕縛、もしくは殲滅! 黒幕がいた場合は、全て撲滅! 『赤き誓い』、出撃!」
「「「おお!!」」」