190 仮面の少女再び 1
「帰りは、歩こうかな……」
5日間の休暇の初日で「妖精に会う」という悲願を成就してしまったマイルは、帰りはのんびりと歩こうかと考えていた。
往路は、目的の達成にどれくらいの時間がかかるか分からなかったため、急いで走ったのである。……本気で。
空気抵抗を減らすためと、衣服が千切れたり燃えたりするのを防ぐため、特殊素材で作ったぴちぴちスーツを身に纏い。
勿論、そんな姿を人目に晒すわけにはいかない。主に、羞恥心的な問題で。
なので、魔法による光学迷彩処理を施しての疾走であった。
しかし、復路には時間的余裕があった。「長年の悲願達成のため、この5日間に賭けます」と言って出発したというのに、翌日帰還したのでは恰好が付かない。ここは、最終日まで時間を潰さねば……。
それに、いざとなれば往路より速く帰還できる方法も考え、ナノちゃんに確認、可能であるとの返事を貰っている。なので、帰路に就くのは、最終日になってからで充分なのである。
斯くして、休暇の2日目から、マイルのぶらり旅が始まったのであった。
このあたりは王都からかなり離れており、隣国との国境に近い。まぁ、妖精が住んでいるような場所なので、僻地なのは当たり前であろう。滅多に通りがかる人もない道を、軽やかな足取りで歩いていくマイル。ごく稀にすれ違う旅人が挨拶してくれる。
12歳くらいに見えるマイルであるが、ハンター装備であり、それも新品ではなく結構使い込まれて身体に馴染んだ様子から、そう旅人達に心配されるようなこともない。10歳を過ぎれば、正規のギルド員、Fランク以上のハンターなのであるから。そして正規のハンターになってから少なくとも数年間は生き延びているらしき様子から、このようにひとりで行動しても大丈夫な理由があるのだろうと判断するのが、物事が分かる大人、というものであった。
(……ん?)
マイルが名も知らぬ小さな村の近くを通りかかった時、何やら不穏な状況の集団が目に入った。
数メートルの距離をおいて向かい合った、片や20人弱の農民達、片や10人前後の兵士らしき男達。
兵士達は別に剣を抜いているわけではないが、農民達は鍬や鋤、鎌等を手にしていた。明らかに、ヤバそうな雰囲気である。
自分には全く関係のないことであるが、そこで素通りするようなマイルではない。それに、何より、時間に余裕があった。いや、あり過ぎて持て余していたのである。
しかし、事情が分からなくては手出しも口出しもしようがない。マイルは直ちに光学魔法で姿を消し、集団にそっと近付いていった。
「帰れ! 俺達は要求が通らない限り、一切話し合うつもりはねぇ!」
「貴様達、それが反乱行為だということが分かっているのか? このままだと、取り返しのつかないことになるぞ。それが分かっているのか!」
どうやら、他国の侵略とか、兵士崩れの盗賊に村が襲われている、とかいうことではないらしかった。どういう理由かは分からないが、農民達が領主側に何らかの要求をしているらしい。税が重過ぎて生きていけなくなったのか、領主側から理不尽な要求がなされたのか……。
「そもそも、お前達の要求というのは、この村の税を大幅に減額しろ、という荒唐無稽なものだろうが! この領地の税は、周辺の他領と大差なく、決して法外なものではない。そして、お前達の村だけを減税することなどできるはずがないだろうが。
そんなことをすれば、他の村々に対して説明ができんし、そもそもそうすべき理由もない。いったいどうしてそんなことを言い出したのだ?」
どうやら、事情を抱えているのは村人達の方らしかった。
「うるせぇ! 俺達は要求が通るまで退くつもりはねぇ!」
そう言って、手にした農具を振りかぶる農民達。そして、やむなく剣に手をやる兵士達。このままでは、戦いが始まるのは必至であった。
マイルはあたりを見回すと、丁度良さそうな枝振りの木を選び、その上に跳び上がった。そしてアイテムボックスから仮面を取り出し、装着した。そう、以前使ったことのある、あの仮面である。
仮面を着けたマイルは、光学魔法を解除し、大きな枝の上に仁王立ちになって兵士や農民達に向かって叫んだ。
「争いをやめよ!」
「「「「「「……え?」」」」」」
突如木の上に現れた年端も行かぬ少女、怪しい仮面付き。そしてその少女の口から放たれた言葉に、動きを止め、ぽかんとして樹上を見上げる男達。
「誰だ!」
誰何する、兵士達の指揮官らしき男。
呆気にとられる兵士達に対して、農民達の様子は明るかった。
それはそうであろう。この場でこういう登場の仕方をするのは、弱者の味方以外の何者でもない。そして自信たっぷりに現れるということは、見た目に拘わらず、かなり腕に自信がある者に違いない。思わぬ援軍に、農民達が喜ぶのも無理はなかった。
「とおっ!」
マイルは掛け声と共に樹上から飛び降り、兵士と農民達の真ん中に立った。そして、くるりと農民達の方を向いた。
「私は、優勢な方に助力する者。人呼んで、『優勢仮面』!」
「「「「「「何じゃ、そりゃああああぁ!」」」」」」
敵味方であるはずの兵士と農民達の心が、今、ひとつになっていた。
マイルは、前世での小説やアニメで、いつも思っていたのである。どうして主人公達はいつも、もうすぐ負けそうな方の味方につくのだろうか、と。
優勢な方の味方につけば、戦いはすぐに終わり、これ以上死ぬ兵士も、夫を失う妻も、父親を失う子供達もあまり増えない。しかし劣勢な方の味方をすれば、戦いはまだまだ続き、双方の死者は増え続ける。
そりゃ、侵略してきた他国の兵士だとか、村を襲う盗賊とかの場合は、話が別である。決して勝利を許してはならない場合、というものはある。しかし、国内での内輪揉めや、どちらにもそれぞれ言い分や「自分達の正義」がある場合、わざわざ劣勢な方に味方して余計な死者を増やしてどうするのか、と。余計な手出しをしなければ、すぐに勝敗が決して争いが終わるというのに……。
戦うどちら側の者も、それぞれ家族がおり、兵士という立派な職に就いて真面目に働いているだけであったり、国や領主に徴兵されて命令に従っているだけであったり、家族を守るために頑張っているだけなのである。もしあまり立派な理由がない戦いであったとしても、それは上層部の責任であり、現場の者達のせいではない。
それを、たまたま片方の勢力と縁があったとか、美人に頼まれたとかいう軽い理由で劣勢な方の味方につき、終わりかけた戦いを再燃させて死者を増やすなど、どこの馬鹿のやることか。
とりあえず戦いはさっさと終わらせて、上層部が腐っていたなら、後でその連中を潰せば良いのではないのか。マイルは、いつもそう思っていたのである。
何、権力者を潰すなど、毒殺、外出時の奇襲、狙撃、放火、罠等、手段はいくらでもある。
とにかく、このままでは農民の多くが殺され、残りの者は捕らえられる。そして兵士の方にも、数人の死者や怪我人が出るであろう。そうなれば、捕らえられた農民達も、他の村人達も、ただでは済むまい。それよりは、農民達が無傷で捕らえられた方が遥かにマシである。
それに、もしマイルが農民達に味方して兵士達を退けたとしても、次はもっと大勢の兵士達がやってきて、それを退けてもまた更に大勢の兵士達が、となり、事態はますます悪化する一方である。
そしてマイルにはそんなに長期間付き合うつもりはないし、領主と全面対決するつもりも毛頭なかった。そんなことをすれば、お尋ね者になり、ハンター資格も剥奪されるであろう。そしてもし身元がバレて他国の貴族だと知られれば、国際問題になりかねない。
ここは、丸く収めるためには、農民達を抑え、彼らが反乱勢力と決定付けられるのを防ぐしかない。
「兵隊様方、お役目、御苦労様です。この場は、相手を無傷で捕らえるのが得意であるこの私、優勢仮面にお任せを!」
「お、おぅ……」
マイルの言葉に、つい頷いてしまった指揮官。
そして、自分達の味方だと思っていた怪しい仮面少女が、まさかの敵側と知り、動揺を隠せない農民達。
「えぇい、たかが小娘ひとり、どうということはない!」
農民側のリーダーがそう叫んだが、それは、普通、悪役側の台詞である。
「行きます!」
そう言うマイルの手には、いつの間にか1本の木剣が握られていた。